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現在主夫をしながら、小説を執筆しています。どちらかと言うと執筆とスマホいじりに時間を割きがちなので、妻に怒られてばかり。一日48時間くらい欲しい……
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天道か人道か

かの二宮尊徳は、『二宮翁夜話』の中で弟子にこう語ったという。
「天道と人道というのは必ずしも一致しない。たとえば人道に従えば、田畑の草むしりや灌漑をする事で秋の実りを収穫出来る。けれど天道に従うと、田畑は荒れ放題でも良しとせねばならなくなる。かほどに、人道と天道の目指すべき点は違う」
19世紀前半の考え方がそのまま現代に通じるとは言わない。ただ、これは現代のテクノロジーに過度の警鐘を鳴らす状況にブレーキをかける役割くらいにはなるのではないか。
確かに地球温暖化は深刻だ。しかし、仮に日本だけがこれに血道を挙げても大して効果がない。そんな風聞を知ると、SDGsでなんなの?と疑問すら湧いてくる。
ただ、現代の地球温暖化の着地点がどこにあるにせよ、人類なんて存在しなければ良かったというペシミズムに陥ってはいけないという事だ。
少なくとも二宮尊徳は、人間の可能性を信じていた。だからこそ生涯、身を粉にして働き続けた。

ふと、久しぶりの草むしりをしてた時、そんな事が思い浮かんだ。
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#ちょっと自慢したい
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鍋でも食べるか

いつだったか、静岡は温暖な気候で離れ難いとアンケートで答えた。これはほぼ、池波正太郎の弁であり私もある程度は当たっていると思う。それでもやはり、冬は寒いのである。

とはいえ、静岡市の寒さなんて雪国のそれに比べたら生ぬるいと一喝されかねないのは承知している。その上で、温暖な土地柄はそれはそれで冬を感じるのだ。昔大阪から越してきた上司が、

「大阪の寒さに比べたら、あくびが出ちゃうよ」

などと言っていたが、そのご本人すら、何年も住み続けるうちに寒さで風邪をひく始末だった。そう、人は環境というものに慣れてしまうものなのである。私なども、埼玉に12年近く住んでいたから静岡に越してきた春先、やけに暑いなと夜は寝苦しかったくらいだ。

「冬の寒さというのは、慣れようにも慣れないものだ」

身震いしながら私たちにそう語ったのは、信州在住の妻の従兄。長らく埼玉に住んでいたが、母親の生まれ故郷に引っ越した際あまりの極寒ぶりに、シャレではなく震え上がったそうだ。もっともそう言っていた当人は、既に地元の冬に耐性が出来ているようで、私たち夫婦が震える中石油ストーブ一つで頑張っていた。

人というのは結局、住み慣れた環境に体を馴染ませていくものらしい。今夜はキムチ鍋かな。
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レクイエムは歌わないで

母が亡くなった。78歳で末期の肺癌だったという。従姉妹から電話を受けた時、来るべきものが来てしまったんだなと茫然とした。物心がついてから初めて会った二年半前の事がふと思い浮かんだ。
振り返ってみれば、母親失格な人だった。私には私の生活がある。その一言で詫びの一つも入れなかった人を母と思うべきか。どうしようもない思いが、私の中で未だに渦巻いている。
父親違いの妹二人と初めて会った時、あの人の亡骸と対面した時不覚にも涙がこぼれた。
「通夜や葬儀の出席は遠慮してくれ」
従姉妹の非情ともいえる一言に、ああ、やっぱり自分はこの人に必要とされていなかったのか。二重の意味で捨てられた気がした。一度目は赤ん坊の時に、二度目は臨終の席に立ち会わせてもらえなかった事で。
今日通夜で明日は葬儀だという。せめて東の空に向かって手を合わせてくれ。従姉妹の言葉が、今は虚しく響く。彼女の死を受け入れるのに、どれだけの時間を要するだろう。今の私にとっては、時間こそが味方だ。
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交通事故にあったことや起こしたことありますか?交通事故にあったことや起こしたことありますか?

回答数 179>>

あったことも起こしたことも片手じゃ足りないほどあります。なのに、私に運転させるウチの奥さんって…😅
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映画館に行ったとしたらエンドロールまで見る?見ない?映画館に行ったとしたらエンドロールまで見る?見ない?

回答数 797>>

エンドロールまでが映画だからね。楽しませてもらっています。
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静岡ってどんなイメージ?静岡ってどんなイメージ?

回答数 228>>

温暖な気候。池波正太郎が『真田太平記』の中で、一度住んだら離れられなくなる土地柄と書いていたけど、結構当たっているかも。
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#GRAVITY5 19698
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#一番好きな季節 春。桜が満開になる頃、気持ちが華やいでいくので本当にウキウキする。
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#気付くのが遅すぎたこと 自分が周りから大切にされていたこと。
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「もし違ったらまたやり直せばいい」って思える?失敗が怖くて慎重になる?「もし違ったらまたやり直せばいい」って思える?失敗が怖くて慎重になる?

回答数 5085>>

成功するまで続ければ、失敗も必要な糧だったと気がつく。
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永久欠番

作詞・作曲:中島みゆき

1.どんな立場の人であろうと
いつかはこの世におさらばをする
確かに順序にルールはあるけど
ルールには必ず反則もある
街は回ってゆく人ひとり消えた日も
何も変わる様子もなく
忙しく忙しく先へと

2.百年前も百年後も
わたしがいないことでは同じ
同じことなのに生きてきたことが
帳消しになるかと思えば寂しい
街は回ってゆく人ひとり消えた日も
何も変わる様子もなく
忙しく忙しく先へと
かけがえのないものなど
いないと風は吹く

3.愛する人の席が空っぽに
なった朝もう誰も座らせないと
人は誓ったはずでもその思い出を
知らぬ他人が平気で座ってしまうもの
どんな記念碑(メモリアル)も雨風に削られて
崩れ人は忘れられて代わりなどいくらでも
あるだろう誰か思い出すだろうか
ここに生きてたわたしを
※(間奏)
百億のひとびとが忘れても見捨ても
宇宙(そら)の掌の中ひとは永久欠番
宇宙(そら)の掌の中ひとは永久欠番

長嶋茂雄氏を悼んで
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晴れたらいいね

昨日、地元の友人と久々のランチをした。彼とは、去年末の忘年会以来である。近況を尋ね合う意味もあったが、実は先月の今頃彼が面白い話を持ち掛けてくれたのだ。

地元のお街から1kmちょっとくらい離れた商店街で古本市をやるので、一緒に出品してみないかということだ。毎日決まりきった日常を繰り返している身としては、新しい事を始めてみたい気持ちもあったので二つ返事で引き受けた。

この日はその話をメインにするかと思われたが、何の事はない日常についての話に花が咲いた。ま、これいつもの事です。一見無駄話に思えるこの時間が、小説やエッセイを書く上でのヒントとなったり、溜まり切ったストレスを発散するためのガス抜きとなるのだ。

最後に、まだ初めてやる事ながらこの古本市への出店を毎年行えるようにしたいとか、紙の本はこれからの時代も必要だよねという主旨のことを熱っぽく語り合った。

おっさん二人が年甲斐もなくとお笑いなさるな。人生100年時代とはいえ、社会から既にお荷物とされかねない年頃の男たちのささやかな夢語りである。世の中と何らかの形で関わっていきたい。なんなら貢献したいという思いが詰まっている。

予定はほぼ一ヶ月先。古本市ゆえ雨で中止となったら泣くに泣けない。前夜はてるてる坊主を1ダースくらい吊り下げて臨みたい。
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黄砂に吹かれて

ある日の昼下がり、家内と待ち合わせのため某ファストフード店にてお昼をすませながらぼんやりしていた。少し離れた席で、同年代かもう少し下くらいのおばさま三人が世間話に花を咲かせていた。何の気もなしに話が耳に入った。

A子「そういえば、ここ何日か黄砂だったじゃない?洗濯物、外へ干せなくてまいったわ」
B子「黄砂って言えば、私、工藤静香の"黄砂に吹かれて"が好きだったよのねえ」
C子「その話題、やめてもらえる?私、花粉症だから、話聞いただけで鼻がムズムズしてくるのよ」

三段落ちみたいな会話に笑いを噛み殺すのに必死だった。最後の女性が深刻なのは理屈ではわかっていたつもりだったが、話し方が漫才のツッコミみたいなので笑いを禁じ得なかった。そういえば我が街は、黄砂が飛来することは滅多にないらしいがそれでも今回は晴れでもぼやけ空になるくらいのありさまであった。

私など、それと気づかず洗濯物を外に干してしまい、サザンオールスターズの歌の一節ではなが、

「馬鹿で〜馬鹿で〜ごめんよ〜🎵」

我が身の迂闊さに頭を抱えたものだ。幸い黄砂はほとんど付着してはいなかったが。話を元に戻すと。このご婦人方の会話で、もっとも同意出来たのはB子さんのものだった。実は私は、中島みゆきのアルバムに入っているオリジナルの"黄砂に吹かれて"が好きで、一時期繰り返して聴いていたのだ。

偶然なのか、この日の夜テレビで工藤静香のものを視聴する機会を得た。後藤次利による作曲のそれは派手で、確かにかつての若人だった女性が好みそうな楽曲だった。これはこれでいい。私は、中島みゆきの素朴でしっとりとした曲調を愛するが。
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外は寒いが

ここ何日かの大寒波で体調が不安定だ。昨日など帰ってから寝込んでいた。だけど、私などまだ恵まれている。六十代後半の妻が年金を受給していて、週に三日のパートをやってくれているおかげで生活ができている。彼女には感謝してもし足りないくらいだ。

一方世の中には、この寒さと飢えをどうしのごうか悩んでいる人たちもいる。そういう人たちを救う術を、今の私は残念ながら持っていない。

偽善者と笑う人もいるだろう。しかし、やらない善よりやる偽善という言葉を聞いた時妙に腹落ちした記憶がある。母は、赤ん坊の時に生き別れた母は、毎年のように春先に福島に桜を植樹に赴くそうだ。多少の打算はあるかもしれない。だが、行動に移したこと、それこそが尊い。母は私の誇りだ。

私も何か社会に貢献できたらと思う。微力なれど無力に非ずという言葉を噛み締めつつ。今は、一日も早い再就職を目指して。
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おれも一人の寅なのだ

家内が「男はつらいよ」のファンで、書店で定期購読したDVDを休みの間中鑑賞していた。ご存知の方には釈迦に説法だろうが、この映画ではフーテンの寅こと車寅次郎が葛飾柴又の実家に帰ってくる度に、身内と些細なことから喧嘩を始めたり妙齢の女性に惚れた腫れたとなるのが基本パターンだ。

このパターンで50作も仕上げた山田洋次監督の手腕もさることながら、故渥美清の放埒な演技にも毎度馬鹿だねえと笑わされる。確かに今のコンプライアンス重視の世の中だと、アウトだと言われかねない言動も目立つ。この作品が地上波テレビで放映されなくなったのもその辺が理由であろう。

そんな、今日から見ると乱暴な言動をする寅さんに懐かしさを感じるのは自分にも彼と同じ側面があるからだろうか。気の置けない相手にはつい憎まれ口を叩いてしまい、綺麗な女性を見ると誰彼なく惚れてしまう。そう、それはまさしく昔の私そのものだ。

思えばあの昭和の頃は、誰もが結婚できるのが当たり前と思われていた。そんな時代にいつまでも独り身で、日本全国を放浪するように旅ガラスを決め込んでいた寅さんに皆が皆、多少の侮蔑と同情心も込めながら観ていたのであろう。

独身男性が長野県民の人口を超えるほどになったと言われている昨今、寅さんの色恋沙汰を素直に笑える人がどれだけいるだろう。そう考えると、あれはまだ日本が豊かだった頃の寓話であったなと思い知らされる。今、寅さんが生きていたらこんな迷える子羊たちにどのような講釈を垂れるだろう。
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愚痴りたくはないが

「ナニワ金融道」というテレビドラマがあった。緒形拳、小林薫という芸達者を脇に固めて、中居正広が主演したフジテレビのスペシャルドラマである。面白かった。帝国金融という街金に勤めることになった中居演ずる灰原達之が、失敗と挫折を繰り返しながらも借金取りとして成長していくさまにワクワクした。

特に社長の金井高利役の緒形拳や、教育係の小林薫演じる桑田澄男との掛け合いが毎回観ていて、生き生きしているなと魅せられた。緒形が生きていた十年間で五本も制作されたことを考えると、一定数のファンは確実にいたのだろうと思う。

印象に残っているのは、帝国金融総ぐるみで裁判所に赴いた際、緒形演じる社長が灰原を演技で殴りつけて裁判所の同情を引いた場面だ。ここでの中居は、性悪な借り手に騙されて絶体絶命という状況だった。そこから緒形の一芝居で形勢が逆転するくだりで、拳さんのこのシリーズにおける最期の勇姿でもあった。

今、翻って思う。あの頃の緒形拳のように一芝居打って、中居やフジテレビを救ってくれる人が出てくればのにと思う。こんな形での終幕は、正直誰も望んでいないはずだ。誰か、中居の目を覚ますためにぶん殴ってほしい。
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続き

たった一回の本番で、このシーンはOKとなった。後で、プロデューサーから、

「あれは本番前でガチガチだったお前の緊張を解くために緒形さんが瞬時に見抜いてやったショック療法だ」

とフォローしたのだ。その時の過激な演技指導で火がついたのか、高橋はその後90年代・2000年代を代表する人気俳優の一人となった。

中澤まさみも晩年の緒形に影響を受けた一人だ。唯一の共演作である「セーラー服と機関銃」でその存在感に圧倒されながらも、懸命に主役を張った。後年、あれほどカリスマ性のある方は見たことがなかったと涙ながらに語った。

現在、緒形拳の作品は映画も含めて過去のものばかりで、当然新作など観る縁もない。その代わり彼の薫陶を受けた木村拓哉などが、新しく伝統を継承するように道なき道を切り開いていくだろう。

そういえば、中居正広はSMAP時代緒形と数多く共演した一人だった。
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継承されるもの

キムタクで思い出した。かつて彼がフジテレビのめざましテレビで単独インタビューに答えた際、影響を受けた先輩俳優について既に故人となっていた緒形拳を揚げた。2006年というから、拳さんの最晩年に近い時期だ。木村は「武士の一分」で主演を任されたが、その時共演した緒形拳が演武のシーンを撮っていた際、カットかかかってから、

「(木村)たのしいか?」

と尋ねられたという。キムタクが咄嗟に緊張しながらも、はいと答えると、ただ無言であの拳さんの人たらしと言われる満面の笑みを浮かべてくれたそうだ。

当時を振り返って木村は、あの笑顔でお前はそのままで充分いいんだぞと認められた気分になったと述懐した。緒形拳には、さまざまな後輩俳優が影響を受けたと感謝の弁を述べている。

高橋克典がミュージシャンから初めてテレビドラマの世界に飛び込んだ時、共演した緒形拳に恋人を取られると思い掴みかかるファーストコンタクトがあった。しかし右も左もわからない高橋、どうすればいいかわからない。

すると緒形、何を思ったが自分の芸名の由来ともなったあの大きな拳で殴りつけてきた。理由もわからず打擲された高橋は、そのまま本番に臨むこととなった。

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エンターテイメントの力を信じて

キムタクについて触れたい。
今、「グランメゾン・パリ」の封切り前に録画した、「グランメゾン・東京」の特別編を観ながらこれを書いている。
キムタクというと、若い頃は何をやってもキムタクと酷評する人もいた。今でもそうだと、昔の曲のように言う人もいる。一体、今まで何を見てきたのか。

アンチに何を言っても耳に入らないだろうが、木村拓哉という役者は確実に進化している。たとえば2023年に月9で連続放送した「風間公親〜教場0〜」、こちらは視聴率が振るわなかった。私の家庭でも録画したままだった。

去年の暮れ近くようやく妻と観た。驚いた。内容的には暗い。しかし警察学校の鬼教官風間公親が、警視庁に勤めていた頃の因縁話が語られている。風間が新人の教育係として不適切な刑事を交番勤務に差し戻すという、既に原型が出来ている。

同時に厳しさ一辺倒ではない仄かに見える温かみを抑えた演技で新境地を開いたように見える。昔に比べたら、体のキレは確かにない。しかし若い頃には若い演技が、おじさんにはおじさんの味わい深さがある。もっともっと彼の真摯な演技が見たい!
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命の重さ

「私、失敗しないので」

一見(一聴と書くべきか)傲岸不遜とも受け取れる決め台詞を背景に、数々の難手術に挑んできた天才外科医・大門未知子。映画版の本作は、初めて彼女のルーツに迫る意欲作であり、この言葉に込めた未知子の決断と勇気のとほうもない大きさと重みに触れる正に最後にふさわしい内容となった。

ローマは一日にして成らずと言うが、大門未知子という天才外科医も幼少期からずば抜けた能力の持ち主でなかったというエピソードは充分な説得力があり、医者に限らず自分にはこの仕事は向いてないのではと思い悩んでいる人にも勇気を与える一助となっている。

弱い者の力になりたい。幼少期の彼女が抱いていたこの想いは、その後フリーランスの外科医として活躍した未知子の変わらぬ芯といえる。ただ普段の彼女は、ぶっきらぼうな言動でその本性を隠している。そういった意味では、彼女は手塚治虫が産み出したブラック・ジャックに連なる極めて露悪的だが熱い心を持った医者なのだ。

未知子の面目躍如たる外科医としての凄味は、本作でも如何なく発揮されている。特に岸辺一徳演じる師匠の神原晶との強い絆に触れた時、涙なしでは見られない場面もあった。全編心地良い緊張感に溢れ、最後にふさわしい内容となっていた。

もう充分だろうと、観る前は食傷気味だった私であったが大門未知子が追求し続けてきた、手術で人を助けることの貴重さ・荘厳な意味合いに久々に魅了された。終盤近くで誰かが言った、

「大好きだ、大門未知子結婚してくれ」

という台詞を言いたくなったほど(誰が言ったかは、スクリーンを観てのお楽しみに)、彼女の人柄に惚れ込んでしまった。事実上、西田敏行の遺作にもなった本作、出来れば映画館で観て欲しい。最後に、大門未知子よ永遠に。
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犬派?猫派?人間派?犬派?猫派?人間派?

回答数 249>>

猫派。
人間はぬこ様の下僕です。
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今入院しています。有り余る時間をどう過ごすべきか教えてください?今入院しています。有り余る時間をどう過ごすべきか教えてください?

回答数 362>>

本を読みましょう。こういう時の読書というのは、気持ちを慰める役に立ちます。
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気まぐれ散歩道

四日ぶりのチョコザップ通い。週末にお腹を壊してしまい、半病人のようにして生活していた。ようやく体調もぼちぼち上向いてきたので、健康のため散歩を兼ねてチョコザップへと赴いた。

が、利用して一時間ほどして思いつくように県立中央図書館のほうへ歩を進めた。帰り道とは逆方向だが、あるいは陽気に誘われたのかもしれない。風は寒い。だが夏と違ってかえってそれが心地良く、絶好の散歩日和だった。

途中菩提寺に寄り、義両親と父そして弟の墓参りをした。うかつにも失念していたが、先月は父の命日今年は十七回忌にあたる。十三回忌が終わる頃に墓じまいをして今は永代供養をしている。お寺から連絡が来なくなったので忘れたのだろうか。

罰当たりな話かもしれないが、父とて生前は私の誕生日を度々忘れていた。おあいこということにしてもらおう。

菩提寺を出ること十分足らずで県立中央図書館に到着。坂道を登りながらの行程は夏場だと汗びっしょりとなる。結婚する前から通い詰めていたから、少なく見積もっても二十年以上静岡に越してからと考えると三十年近くの付き合いになるわけである。

なるほど、自分も歳を取るわけだと古ぼけた施設を眺めながら感慨を抱いた。前任の知事が別の場所に移転すると決定したので、そのうちにこの地から県立中央図書館は消え去ることになる。思い出深い所だから、どうにかならんかな。図書を借りた帰路、そんなことを思った。
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今の自分にひとことかけてあげて!今の自分にひとことかけてあげて!

回答数 488>>

まあ、無理せずぼちぼちやっていこうよ。
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人生の最後に食べたい物は?人生の最後に食べたい物は?

回答数 201>>

刻み昆布のお茶漬け。ワサビは多めで。
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気まぐれ旅日記:前編

先日の三連休の際信州へ行って来た。長野県は家内の亡くなった両親の生まれ故郷であると同時に、私が小学生低学年を過ごした所でもある。立地的に静岡から四、五時間くらいで行けることもあり、度々訪れている。

今回三連休の中日に訪ねたのはそば処黒曜。長和町にあり、昼間の数時間しか営業していないお店である。この日店は大変混んでいた。席に着くまで一時間半も待つことになり、その間スマホをいじったり本を読んで時間を潰した。

注文をお願いした後も、調理する人手が足りないのかニ、三十分はかかったかもしれない。それでもお茶受けのお香の物や野菜天セットで頼んだ天ぷらをつまみながら、ようやくざる蕎麦がやってきた。

自分は韃靼蕎麦で家内は田舎蕎麦。それぞれ注文が違うので半分こにしていただいた。家内は韃靼蕎麦より田舎蕎麦の風味のほうがいいと言っていた。栄養という点で言えば韃靼のほうだが。最後に出された蕎麦湯は、韃靼を茹でたものらしくとろみが普通のよりも濃厚だった。

本来なら写真も掲載しておくべきだが、お腹も空いていたこともあり撮るのを失念してしまった。興味がある方は長和町に立ち寄った際に寄ってみてはどうだろう。ただし早い時には13時には閉店になるので、開店時の11時半かそれより早めに待つことをお勧めする。

なお、山道にある蕎麦屋さんなので車でしか行けないのが難点。以前わざわざタクシーで乗りつけながらも、蕎麦が売り切れていて泣く泣く帰った人もいた。早めの来店が必須である。
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棺置いて事定まる、という。
西田敏行の偉大さを生前は気がついていなかった気がする。あまりにいるのが当たり前過ぎて、それこそ太陽のようにそこにあって周りを照らしてくれるのが当然のように感じていた。奇しくも私たちが東北旅行に赴いていた時の訃報だった。最終日に福島の郡山に在住する友人を訪ねたのも、偶然とはいえ不思議な縁といえた。

家内の五十年近い友人であるその方によると、西田さんは度々故郷郡山の美術館などに献花することがあったという。十五で故郷を離れて上京して以来、忘れ難き場所として胸に温められていたのだろう。

西田敏行の代表作といっても、数が多過ぎて絞り込めない。その事実に今更ながら愕然とすると同時に、彼がいかに稀有なエンターティナーであったかという事実に気づかされる。敢えて二つだけ選ぶなら、高校時代文化祭で文芸部で上映した「植村直己物語」とハネムーンの帰りの航空機で繰り返し観た「ゲロッパ!」である。

前者は文化祭の余興としてVHSビデオをスクリーン上映したのだが、私自身が当時植村直己をリスペクトしていたので引き込まれて観た記憶がある。後者は今の家内と結婚したものの、ほぼ同時にうつ病に罹患した状態で新婚旅行へ行った。仕事もまだ決まってない状態で約二週間の海外旅行を終え、日本に帰ったらどうしようか。迷いの中で視聴した。

面白かった。特にクライマックスのジェームス・ブラウンが憑依したかのような「Get up!」(これがゲロッパ!に聴こえる)を歌うさまは圧巻だった。泣いて笑って、何か悩んでいる自分が馬鹿みたいに思えた。少なくともあの間は、苦しい現実を忘れることができたのである。

ひょっとしたらここまでどうにか生きてこれたのは、西田さんなど数多くのエンターティナーや表現者の琴線に触れたおかげかもしれない。反則みたいだが、「釣りバカ日誌」シリーズも理屈抜きで楽しめる映画だった。

さようならは言うつもりはない。彼が出演したドラマや映画を観れば、また会えるだろうから。それまでおやすみなさい。
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大山のぶ代さんが逝った。90歳で老衰とのことである。私の世代にとって、この方はドラえもんの声優として有名だった。少年時代、荒みがちな家庭生活の中でドラえもんは唯一の救いであった。中学に進み、自我が拗れるとパタリロ!の露悪趣味な世界に溺れ込んだが少年時代を語る時、ドラえもんは切っても切れないものだった。

あのドラ声も良かったが、あのアニメ番組について論じる時彼の四次元ポケットから繰り出される数々の秘密道具が一番の魅力であった。あの頃の私は、大山さんが番組に込めた願いよりも秘密道具に魅せられていた。大概の子供たちはそうだったと思う。今になってみると、乱暴な殺伐とした言葉遣いはしないという彼女の配慮が長寿・国民的アニメ番組になっていったきっかけだったのだと思い至った。

晩年は決して恵まれていなかった。12年に認知症を発症され、旦那様は大山さんのことを心配しながら癌で逝去されてしまった。それとも考えようによっては、神様のくれたギフトだったのだろうか。もしも心身がしっかりされている状況で夫の砂川(さがわ)さんの死を目の当たりにしていたら、やはり悲しいことは悲しかっただろう。女性のほうが悲しさを引きずることは少ないとよく言うが、この点どうだったのかわからない。

ただドラえもんの声でかつての少年・少女を楽しませてくれた余禄として、精神の痛みの少ない老後を送ったと思いたい。あのしゃがれた温かみのこもった声は記憶に残り続けるだろう。
間違いなく少年時代を彩ってくれた方だった。

※何日も原稿を書き留めているうちに、昨日西田敏行さんの訃報が飛び込んできた。大山のぶ代さんの死から大して日数が経っていないのにと茫然としている。西田さんを知ったのは、「最遊記」というドラマの猪八戒役であった。詳細はまた来週にでも書くが、名優の立て続けの逝去に昭和は遠くなりにけりと思わざるを得ない。合掌。
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孤独を見つめた姿

『百年の孤独』。ガブリエル・ガルシア=マルケスの代表作で、長年読もうと思いつつ叶わないでいた大作だ。マルケスがこれを執筆した当時、既に十年を超える中堅作家だったという。とはいえ満足のいく作品を生み出していたとは言い難く、十八ヶ月間タイプライターと向き合って書き上げたのが本書だという。

一つの作品、それも長編を仕上げるのにどれだけの月日を要するか作家によってさまざまだろう。ジョルジュ・シムノンがメグレ警視シリーズ一本を書き上げるのに、一晩で生み出したというエピソードを聞くと自分とは頭の作りが違うのかと嘆息したくなる。

その点、ガルシア・マルケスの創作する上での息の長さは、どれだけ時間がかかっても完成を目指せばいいのだと励みになる。反面その間、一つの作品に没頭する粘り強さが自分に残っているかと問いかけたくもなる。

解説を書いた筒井康隆によると、我が国では彼と大江健三郎、井上ひさしが『百年の孤独』に影響された作品を生み出したという。大作家ですらそのような具合だ。仮に私が影響を受けても罰は当たらないということだ。

かくいう私は、長編らしきものを書き始めて五ヶ月目に突入している。まだなかなか進行していないが、己自身を直視しながらいつの日か完成させたい。
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もはや、夢を超えた男としか言いようがない。
2024年9月20日という日は、この先9月の最高気温と共に記憶されるだろう。この日メジャーリーグでドジャースの大谷翔平選手は、50-50(50本塁打、50盗塁)を達成するんじゃないかとペナントレース前の下馬評を更に上回り、51-51と記録をあっさりと更新した。

更に言えば、本日21日においても52-52と瞬きするほどの気軽さで更に記録を伸ばした。昨日ロバーツ監督が、60-60までいくのではと冗談を飛ばしたがそれすら現実味を帯びていくような快進撃ぶりだ。

ここまで凄いと、正直集団催眠で夢でも見せられてるのかと呆れるくらいだ。恐らく漫画で表現したら、あまりにリアリティがないと没にされるだろう。それくらいあり得ないことが連日展開される。

イチロー選手が現役を引退する時に言った、

「(大谷は)50本塁打を打てる選手になる」

という言葉が、正に予言となった。思わずにいられない。どれだけの才能を秘めていれば、どれだけの努力を重ねれば、どれだけの徳を積めば前人未到の領域に踏み込めるのか?

私たちはただただ、大谷選手と同時代を生きている幸福を噛み締め、ただただ驚き続けることだろう。夢と言えば、これほど鮮やかな夢を他に知らない。
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苦労多き人生であったと思う。
福岡に86歳になる伯父がいる。苦労人で亡き祖父が何度かの結婚を繰り返し、外でも愛人をつくるなど子供たちに心配をかける中一家の長としてなにくれとなく兄弟の面倒を見てきた。私も父が物故した後、伯父夫婦に葬式の一切を取り仕切ってもらった返したくても返せない大恩がある。

穏やかな人である。故石原慎太郎を優しくしたような風貌と声の持ち主で、叱るわけでない柔らかい福岡弁で話しかけられるとああ、いい人なんだなと心が温まる。

父が亡くなった頃、私と父は五年近く絶縁状態だった。うつ病と結婚をほぼ同時期に経験した私は、新しい家庭を守るため何より治療に専念するため、父と距離を取る必要があった。

伊豆の介護施設で、彼が息を引き取った後その遺骨を引き取ってくれたのが伯父であった。福岡から新幹線で現地まで赴いてくれたことを思うと、今考えただけでも赤顔の至りである。

あの頃は、伯父夫婦や二組の叔母夫婦のご厚意を素直に受け取れなかった。なにくれとなく助言をしてくれた伯母や叔母の一言を邪推し、却って憎まれ口を叩いたくらいだ。それに対して、伯父は叱りつけるわけでもなく静観していた。いつかはわかってくれる日が来ると、待ってくださったのかもしれない。

伯母には去年の今頃、亡くなる前にお会いして遅まきながらお礼を述べた。もう二度と会えないと死期を悟っていたのだろうか。潤んだ目で何度も頷いていたさまが忘れられない。

生涯の伴侶を失い、意気消沈していたであろう伯父は間もなく介護施設に入所した。認知症が進行していたのだ。家族や兄弟のため身を粉にして働いてきた伯父は、今は何を思って生活しているのか。

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「汝、怒るべからず」

短気は損気と言います。
今日怒りに任せてボールペンをへし折ってしまった。昨日に続いて二回目で我ながら呆れるしかない。原因はインクがまだ充分残っているのに書けなかったことで、たかがこれくらいでと我が身を責めたくもなる。

とはいえ、小説を執筆していて興が乗ると書けないという物理的事実がどうしても許せなくなる。余白に何度も試し書きしてもインクが出ないなら、諦めて別のボールペンを使えばいいだけのことである。

そう、事はそれだけ単純なことなのだ。しかし、執筆を邪魔された怒りで頭は熱くなってしまっており、冷静な判断を下せず昨日、今日と暴発してしまった。

かつて大指揮者の名を欲しいままにしたアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)は有名な癇癪持ちで、オーケストラが自分の思いのままに演奏をしないとタクトをへし折ることで言う事を聞かせようとした。

本人も自分の癇癖を悩んでいたようで、

「神は何故、八十を過ぎた自分に十七、八の若者のような熱情を残したのか」

と嘆いたという。実際彼の振る舞いが、指揮者とは独裁者であるという悪いイメージを浸透させたのは事実だろう。人たる者、己の感情をコントロールできるようにならないと。自らも鑑みて思わずにいられない。
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「古(いにしえ)の頃」:後編


1999年の7月に恐怖の大王が襲来してきたら、自分は30歳になる前に死んでしまう。半ばそう信じていただけに始末に負えない。今小説を書き続けることは、この先訪れる自分の決して長くはなりそうにない作家生活を支えるための研鑚と本気で思っていた。

あるいは目前に迫る入試を、そんなファンタジーを信じ込むことで忘れたかったのかもしれない。大学など端から諦めて、働きながら小説を書くというのがまだ現実的であっただろう。しかし夢見がちな文芸部の部長殿は、恐怖の大王よりも真っ先に訪れる受験失敗というカタストロフィーから目を反らし、ひたすら小説や雑文をせっせと書いて文芸誌に発表していった。

今年の正月はとうとうお年玉を貰えなかった。そんなのんきな編集後記で最後の個人文芸誌を締め括った私は、この期に至ってようやく入試に目を向け始めた。時既に遅し、いや遅過ぎるくらいで、間もなく受験勉強を散々さぼってきたツケを払わせられることになる。その年の三月、進路が決まっていない数少ない一人として母校を卒業した。この半年後、浪人生としても頑張れなかった私が受験を断念して社会人になる事はまだ予想だにしていなかった。
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そういうことではないのだが。
私には母方に従姉妹が1人いる。年齢が近いことなどから話が合い、よくLINEをしたりしている。最近、こんな会話を交わした。

従姉妹「そちらのほう、米売ってる?」
私「家内の友人が農家やってて、そこから購入してる」
従姉妹「なるほど。最近、米不足でスーパーの店頭にも並んでないことがあるよね」

実は令和の米騒動に関しては、不明にも知らなかった。自分が違う経緯で入手していたので、気がつかなかったと言えばそれまでなのだが。

私「政府の怠慢がここへ来てツケが回ってきた感じだね」

政府が長い間、減反政策を進めて米の自給率を低くしていたことは何かで読んだ記憶があった。もっと食糧自給率を上げていかなくちゃね、という議論を期待していた。

従姉妹「ロシアに喧嘩なんか売るからだよ!アメリカの言いなりで、ロシアの足を引っ張るからこういうことになる」

LINEで送られてきた文面に、私は頭を抱えた。彼女は反米の親露が政治ポリシーの人なのだ。私とは政治信条が異なるので、なるべくその手の話題は避けたかったのだが。

亡き祖父の薫陶を受けた彼女は、ガチガチの保守派でそれは個人の見解ということで私も受け流している。正直従姉妹は四年制大学を卒業して、国家資格も取ったいわば勝ち組だ。一人娘もいて私よりは恵まれている。

そのような人がこちらから見ると、偏っているように思える政治信条を持っているのは不思議だが彼女にもポリシーがあることだしあえて突っ込まない。親しい仲でも、政治と宗教と野球の話は禁句だというが的を得ているなと思わずにはいられない。
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夢見る勇気(ちから)がある限り恋は消えない
夢見る勇気(ちから)それだけが私の取り柄なの
中島みゆき「夢見る勇気(ちから)」より

20代の頃、コリン・ウィルソンの『夢見る力』という著作を読んだ。作家志望の私には、正に勇気を与えられた一書だった。コリン・ウィルソン自身がイギリス人ということもあったのだろうか。ジェイムス・ジョイスなどイギリスの有名作家を中心に、バッタバッタと斬りまくったさまが心地良いと共に歯牙にもかけられていない作家への評価はもっと辛辣なのかと慄然とした記憶がある。

しかし本書を単なるこき下ろしの誹謗中傷の評論集と見ると本質を見誤る。うろ覚えだが、次の言葉がこの著作の核というべきものである。

"たとえばドストエフスキーなど、もっと文章力が巧みであればと惜しまれる作家がいるのも事実だ。だが、一つだけはっきりしていることがある。どれだけ文章が上手くても、何かを表現したいという気持ちの代わりにはならないということだ。"

何事かを表現したいという気持ちは、文章力の下手・上手を超える。この言葉にどれだけ励まされたことだろう。私が今日も小説を書き続ける理由はこの一点に尽きる。コリン・ウィルソン自身も、同世代の作家の中で文章が粗いと揶揄された人だった。それでも表現したいという思いが優って、数多くの著作を著した。かくありたい。
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道半ばですが諦めません。
私事ながら、今日55歳の誕生日を迎えた。人間老い易く学成り難しとはよく言ったものだ。この歳になるまで、私は何事も成すことなく馬齢を重ねてしまった。形あるものをこの世を去る前に残せたらいいのだが。

未だプロの作家になれていないことは、大した才能の持ち主じゃない証かと思うことがある。同時に一度きりの人生だから、とことんまで挑戦したいという自分もいる。たぶん、心底小説が、書くことが好きなのだ。だからこそ未だに続いているのだろう。

なんのために書くのか。時々思うことがある。たぶん生きている証ではないか。プロになって、妻に今までの苦労を労いたい気持ちもある。何より書き続けることが自分の存在証明なのだ。

まだ書き足りない。そう思えばこそプロを目指すのだろうし、不様に見えながらも継続していくのだ。あとどれだけ書き続けることができるだろう。
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たとえ忘却の彼方へ連れ去られようとも。
今日8月7日は、司馬さんこと司馬遼太郎の101回目の誕生日となる。日本が敗戦となった月に誕生日があるのが厭わしかったのか、生前の司馬さんは自分の年齢に対して意識的に無頓着なところがあった。

少なくとも、彼が後に小説を書くきっかけとなった21から22歳にかけては、自分が日本に生まれたことすら宿痾に思えたのだろう。だからこそ、この頃の自分に戦争中の日本や日本人は愚かだったかもしれない。でも、戦国時代や幕末・明治期の日本人は違った。それを証明するために、歴史小説を手がけるようになったと言った。

日本や日本人は決して捨てたもんではない。そのような気概で書かれた『竜馬がゆく』、『国取り物語』、『坂の上の雲』などによって、前後の日本人を大いに励ました。司馬さんと生前親交のあったドナルド・キーンは、人柄の良さを認めつつも文学そのものは評価しなかった。

あるいは司馬さんの作品には、日本人でなければ理解できないエッセンスがあるのだろう。彼の著作がなかなか翻訳されない所以がこのあたりにあるのかもしれない。

この先、50年後あるいは100年後になったら、司馬遼太郎の作品は読まれないかもしれない。だが、彼の日本や日本人に対する愛情の深さが忘れられなければ、細々とでも読み継がれるだろう。ある読まれなくなった古典が、一個人が読むことによって息吹きが甦るように。
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好きこそ物の上手なれ。
本日の午前中はチョコザップを休んで、読書に一時間、小説の執筆に一時間時間を割いた。書き終えて思った事、我が文才のなさに呆れ返った。とにかくもたついているという印象は拭い難く、これが40年近くも小説を書いてきた人間の文章かと暗澹たる思いに囚われた。

何年か前に絶交した友人の、

"あんたには才能がないよ。いい加減、くだらない文章を書くのは辞めたらどうか。"

という捨て台詞が、棘のように心に突き刺さる。やはり自分には、プロの小説家になるだけの才能も実力もないのではと悲観する反面、まだまだ諦めたくないともう一人の自分が負けを認めない。

自らが撤退を潔しとしてないのならば、せめてこの作品を完成させよう。それでもなお、燃え盛るものがこの内に残っているならば書き続けよう。そう、私にとって小説こそが命、生きている証。
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故郷は遠くで思うもの。
埼玉県の小川町は私にとって第二の故郷である。出身地である三島市にあまり思い出がないことを考えると、あるいは本当の意味での故郷は小川町ではなかろうか。12歳の夏から24歳の春まで、あの地には思い出が多い。良いことも悪いことも含めて、私のことを知る人たちがいるということは面映い。

今でも年に一度か二度の割合で訪れる。今年は今のところ残念ながら行く機会がなかったが、社会人として初めて働いた製麺工場直営のうどん屋さんで夫婦共々立ち寄るのが日課となっていた。あそこの歯応えのあるうどんを食べている時、ああ、帰ってきたんだなと実感する。

小・中・高校時代の友人の所在がわからない分、かつての職場は本当に懐かしい場所である。一緒に働いていた同僚のおっちゃん、おばちゃんは全てもう退職しており鬼籍に入っている人が多いという。考えてみれば私も来月で55歳、年を取っているはずだ。

あと何回、故郷を訪れることができるだろう。何か吉報を持って立ち寄れたらいいのだが。
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親の愛には敵いません。
今週の木曜日、X(旧Twitter)にて知人が、朝ドラ「虎に翼」でヒロインが母親の死を前に思わず泣きじゃくったシーンに涙ぐんだと投稿していた。その後、自分も親を亡くしたらどうなってしまうか今から心配だと結ばれていた。その気持ちよくわかる。

私は39の時に父親に先立たれた。その心痛は何年経っても癒えることはなかった。親孝行らしいことを何一つしてやれず、それが何よりも心残りだった。涙が乾く暇もなく、心の中はいつも土砂降りであった。

何故なのか、今ならその理由がわかるからだ。親の愛情というのはある意味無償だからだ。そりゃ確かに、将来面倒を見てもらおうと思っている人も少なからずはいよう。しかし、それくらいは思ったとて罰は当たるまいと見逃してもらいたい。

何しろ、親は何十年もかけて子どもに愛情を注ぐ。これが仮に子が引きこもりにでもなったら、死ぬまで面倒を見ることになりかねない。将来を悲観して、子どもを手にかけてしまう不幸な親も中にはいよう。しかし、親は原則として子を見捨てない。

何故か?これは人の親になったことがない私にはわかりにくいことである。ただ、想像することだけはできる。水木しげるの代表作「ゲゲゲの鬼太郎」で主人公の鬼太郎が悪い妖怪に敗れて、その肉体が滅んでしまうくだりがあった。当然、父親である目玉の親父は嘆き悲しんだ。ところが鬼太郎の遺灰から地面に芽が出て、鬼太郎そっくりの花が咲く。それを見た父親は涙を流しながらつぶやく。

「どんな形であれ子どもが生きていれば、親はうれしいものだ」

これは水木しげるが親になったからこそ描き得たエピソードであろう。子どもが生きてさえくれれば親は嬉しい。この言葉は重い。これ以上は何もつけ加えようがない。

今朝体調がすぐれなかった。そういえば今日は父の月命日、たまには顔を見せろとせっつかれたのだろうか。墓参りに行こう。
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気に病むことはない。
キムタクは大根役者かのように酷評されることがある。何故なら、どのような役を演じてもキムタクにしか映らないと見える点にあろう。彼も既に50を過ぎている。いつまでも少年のように夢を語り、ムキになる人物像はさすがにキツいというか成長しろよという意味も込めているのだろう。

とはいえ、彼は間違いなく平成の大スターだった。「ロングバケーション」にしろ、「HERO」シリーズにしろキムタクが主演しただけで高視聴率を取ったテレビドラマは数知れなかった。旧ジャニーズにSMAPという国民的アイドルグループに在籍していたという強力な追い風があったにしても、彼のスター性は頭一つ抜けていた。視聴者だって馬鹿じゃないのだ。

最近の木村拓哉は、所属している事務所が崩壊しつつあることも関係してか、やることなすこと裏目に出ているようにさえ見えてくる。しかし、誰も彼もが沈没船と見定めて逃げていくなか、彼は未だに頑張っている。今更、他の事務所に移れないと観念しているのか。だとしたら、気の毒な気もする。

話を戻せば。私は、彼の演技が好きだ。何を演じても同じに見えるということは、裏を返せばそれだけキムタクの個性が際立っている証拠ではないか。悪く言えばワンパターンと言われかねないが。

名前は忘れたが、オペラ歌手で彼みたいな人がいた。何を演じてもワンパターンになるのだが、一旦配役がハマると聴衆をたちまち魅了し大スターと称された。キムタクはいわば、そんなタイプの唯一無二の俳優ではないか。

今夜観た連続ドラマの最終回で、何か疲れを感じさせた風情であったが願わくばもう少し木村拓哉の演技を見続けたい。
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手塚治虫がモーツァルトなら、宮崎駿はベートーヴェンみたいなものです。
先日、図書館で借りた「プロフェッショナル-仕事の流儀-宮崎駿編」のDVDを視聴した。彼が「崖の上のポニョ」を発案し、制作するまでの過程を通算300日にわたって撮影したドキュメントである。当時67、8歳だった宮崎氏は体力の限界を日に日に感じており、事実上上記の作品を最後の長編作品と位置付けていた。

「崖の上のポニョ」の着想を得てから完成させるまでの試行錯誤が見ていて息が詰まりそうになり、一つの物語を生み出すまでの苦悩が感じ取れた。元々手塚治虫の漫画に影響を受けて一時は漫画家を目指した宮崎が、アニメーターとなりアニメ映画監督になるまでの紹介もされていた。

思い出した。手塚が1989(平成元)年に亡くなった時、各界さまざまな著名人があまりに早過ぎた最期を悼んだ。その中でただ一人、故人に喧嘩を売るかのようなコメントをした人がいた。それが宮崎であった。うろ覚えだが、次のようなものだった。

-僕と手塚さんとでは、アニメに対する物の見方が違い過ぎる。僕は今後、それを自分の人生で証明することで彼への餞(はなむけ)としたい。

この頃宮崎が立ち上げたスタジオジブリは、ようやく商業的に軌道に乗ってきていた。かつて東映のアニメーターとして実績を挙げてきた彼から見れば、手塚のアニメは漫画家の余技くらいにしか見えていなかったのかもしれない。この漫画の神様に畏敬の念は抱きつつも、アニメにおいては一歩も譲れないという思いが一見不遜に聞こえるコメントを寄せる動機になったのだろう。

このさまに、私はモーツァルトとベートーヴェンの微妙な関係を見る思いがした。手塚に影響を受けた宮崎が、結果的に漫画では彼を超えられないと思いアニメに転身したように、ベートーヴェンは師匠のハイドンや先輩モーツァルトが開発し尽くしていない交響曲に自分の今後を賭けた。宮崎も自分の残りの人生を、アニメ制作に投じたのである。

宮崎が己の生涯を賭けたアニメで一時代を築いていることは、現在周知の事実である。果てしなく遠い道のりだったかもしれない。それでも彼は歩み続けた。そこに私は、ベートーヴェンのような孤高な闘いを垣間見るのだ。
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