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#パニック #パニック発作 #パニック障害
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発達障害を持っている人、周りに発達障害がある人が暮らしやすくなるように情報共有や悩みを話していきたいと思います。よろしくお願いします。
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今日は〇〇した!等、皆さんの健康法や美容法を
惑星と連携して投稿しましょう❣️
★こんな使い方がオススメ★
・ダイエットの宣言、経過報告
・自分の健康法&美容法を共有
・他の方がやっている健康法&美容法が得れる
一緒に美しく健やかに生きましょう⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
AI駆動開発の星
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気軽に投稿してOKです!
自分だけのTimelineにしたいわけじゃないので笑
【宇宙に散らばる下記メンバーを募集!】
🌀 Vibe Codingにハマった人 🌀
🤖 プログラミングが嫌いでAIに任せたい人 🤖
👿 AIをただの道具として使いたい人👿
【活動内容】
特になし。何もないので何も求めないでください
【注意事項】
飽き性なので飽きたら辞めます
【自己紹介】
本職は別のエンジニアでAIは知らないです。
ツールとして割り切りながらも自分の範囲内でAIの勉強をしたりしなかったりしてます。
【ツール使用経歴】
3/6: Claude Proに挨拶する
4/2: Claude MCPと握手する
4/15: Claude Maxと船に乗る
5/17: Claude Codeに取り憑かれる
8/28: Windsurfに乗り換える
10/7: CursorとWindsurfの両立
10/25: CodeRabbitに興味を持つ
10/30: Maxプラン無料招待によりCC復帰
11/18: ClaudeアカウントBAN
11/19: Google Antigravityを触る
12/9: 誤ってCopilot proに申し込む
俳句575の星
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義実家ストレス発散の星
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⚠️申請する方は申請方法の記載がありますので下記説明文を必ずお読みください!!
※※義実家に関することなので義実家と関係が良好な方や、義実家と関係がない方(独身等)の参加は御遠慮ください。
ーーーーーーー申請する場合ーーーーーーーー
対象の方……既婚者で義実家に悩んでる方
※※※※申請された全ての方
ご自身から惑星主(よん。)へ
申請理由を簡潔にDMお願いします。
申請理由の記載されているDMを確認できないと許可することはできません。
申請後、一定期間DMがない場合は申請を取り消しております。申請を取り消された方はもう一度申請と『DM』をしてください。
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義実家で悩んでる方々、こちらの星で発散や共有することで共感してもらいませんか?
義実家付き合いが大変なこともあるかと思います。
義実家との距離感、常識、過保護……
愚痴やこれおかしいんじゃないか?などの投稿大歓迎です!
全体公開で投稿しても、義実家との背景を知らない方々とは分かり合えません。
主も全体公開で袋叩きにあった過去があります。
そのため、この星である程度人が集まってきた時には、分かり合える人達のみでの共有(星の住人たちのみ公開)をオススメします。
2025.02.07~
※真面目にストレスが溜まっている方々ばかりですので、冷やかしは御遠慮ください。冷やかしする暇があれば別に能力使ってくださいね☺️
プロフ拝見し、無関係、売名行為等で星に入った方については退いて頂きますのでご了承ください✋
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タニ

臼井優
豊玉発句集 土方歳三

太郎
さみだれを集て早し最上川
芭蕉
samidare o atsumete hashi mogamigawa(日本語の音表記)
初案は「集て涼し」であった。この句ははじめ挨拶句であったものを現在の形で発句(連句のはじめの句)にしたのだった。山本健吉は以下のように評している。両岸の絶壁の鬱蒼とした間を下る濁流の最上川下りの感動が、この句を詠ませる。「集て早し」とは濁流の量感と速度そのものの即物的、端的な把握である。岸で作った眺望の句が、一字の改訂で、最上川経験の直接の感動に矯め直されたのである(『芭蕉全発句集』から一部抜粋)。
私は「さみだれ」の時期であるのに何故か開放感があるのはa音のせいだと感じる。この句の作成にあたって皆さんが句を作るとして「さみだれ」と「最上川」は出てくるとしても「集て早し(atsumete hayashi)」が出てこないと思う。
芭蕉は音としてa音を求めていたのではないだろうか。確かに「最上川」は「さみだれを」「集て」「早し」なのである。このあたりが芭蕉の心のなかでよく整えられているのである。つまり「最上川」と「さみだれ」の関係性を「最上川」を中心に据えて熟考した点、平凡ではない。また、「さみだれ」と「最上川」が雨音や川音の濁音であることも忘れてはならない。


太郎
奥州高館にて
夏草や兵共がゆめの跡
芭蕉
Natsukusa ya tsuhamonodomo ga yume no ato(日本語の音表記)
有名な話であるが芭蕉はこの句の前文に杜甫の「春望」、「国破レテ山河在リ、城春ニシテ草木深シ」を引いている。芭蕉は最初に杜甫の詩の影響を実作として表した日本の詩人だと言われている。このあと日本で特に杜甫の影響を実作に表した有名な詩人は正岡子規である。日本の詩は和歌→連歌→俳諧(連句)→俳句(発句)と移り変わる。この俳諧を市井の言葉を入れてなお格調高く際立って芸術的に表現したのが芭蕉である。また俳諧の最初の発句を俳句として始めたのが子規である。その時代じだいの要請をいち早く取り入れたこの二人の詩人がともに杜甫の詩を高く取り上げているのを私は必然だと思う。先見の明=目利きであったのである。さて、この句の背景については例によって『芭蕉全発句』から抜粋する。
高館は義経の館で、義経主従は藤原泰衡の大軍に攻められて、全員討死した。その古戦場の跡に立った回顧の詠である。古戦場で命を落したつわものたちの瞋恚の執心が残って矢叫びの音の絶えない、修羅場の文学の伝統的発想があった。その慰霊の文学の伝統が、この句に脈々と伝わっているようだ。「兵共がゆめの跡」は義経伝説を育んで来た東北の民衆の間に、ずっと続いている心の伝承であり、芭蕉の詩精神がそれを己のものとすることで、おのずから詩的肺活量の大きさを示している(適宜改稿=抜粋者)。
ここからはこの句自体について見てゆくことにする。季語は「夏草」である。私はこの句の音のなかに「つわものども」の戦が一瞬にして微風に揺らぐ「夏草」の「ゆめの跡」に変化する幻を見る。それはまず「夏草や」の勢いのあるtsu音が「兵」のtsu音と変化するところではないかと感じる。つまり「夏草」→「兵共」→「ゆめの跡」、騎馬の蹄の音や鎧兜で身を固めた歩兵の「兵共」の音が蘇っては消えてゆくのは「夏草」と「ゆめの跡」に挟まれているからだと。この句の母音が軽快で開放的なa音から重量感のある執心的なo音に混ざり合い「ゆめの跡」として閉じられることからもそれが感じとれる。この世の現実が生まれて生きて死んでゆく個々人の脳の「夢」であり、さらに未来に夢を描いてしまう人間の思いという「夢」が「夢のまた夢」ということである。

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太郎
閑さや岩にしみ入る蝉の声
shizukasa ya iwa ni shimiiru semi no koe(日本語音表記)
芭蕉
stillness !
rock into penetrate
cicada’s voice David Landis Barnhill=English translation
初案は「山寺や石にしみつく蝉の声」、再案は「さびしさや岩にしみ込蝉の声」。次第に表現の純度をまして来ているさまが見える。そして最後に「閑かさや岩にしみ入る」の詩句が、蝉声いよいよ盛にして四辺の閑かさがいよいよ深まった夕景の山寺を、彷彿とさせるのである。
蝉の声の他は何も聞えず、前文を注釈として言えば「佳景寂寞として心すみ行のみおぼゆ」るのである。そしてその蝉の声すらも、そのためにかえって一山の閑かさがいよいよ際立って意識される。蝉の声が岩にしみ入るとは、同時にあたりの閑かさがしみ入ることであり、そこには、ひそまり返った趣で大地に岩が存在する。そこに立つ作者の肺腑にも、自然の寂廖そのものとして深くしみ入るのである(『芭蕉全発句集』=山本健吉から適宜抜粋)。
日本語音表記を見てもらえれば分かるようにshi音が効果的に用いられている。とくに「shizukasa」と「shimiiru」のshi音が同調するところに注目してもらいたい。この音韻によってこの句のリズムが整えられるとともに「蝉の声」がいや増しに活きてくるのである。また当然のことながら「しみ入る」という動詞を発見した適切差にも注目してもらいたい。
David Landis Barnhill訳のBasho’s haikuをDimitri Avgheirinosさんからシェアして頂いたことに感謝します。


太郎
塚も動け我泣こゑは秋の風
芭蕉
Tsuka mo ugoke waga naku koe wa aki no kaze(日本語の音表記)
例によって『芭蕉全発句(山本健吉)』を参考に抜粋する。
芭蕉の来訪を待ちわびていた金沢の俳人、小杉一笑があった。三十六歳で死んだ。芭蕉はそれを知らないで旅立った。金沢は裏日本一の文化都市で、芭蕉に心を寄せる俳人も多かった。芭蕉は金沢について始めて一笑の死を知って驚く。芭蕉は一笑に逢ったことがなかったが、酒田出発以来、金沢を目標としたことは、一笑に逢うことを目標としてきたのである。目的地に着いてみれば、二十日間ひたすら心に抱いていた一笑像が、はや影も形もないのである。願念寺での一笑の追善会での追悼句である。塚も鳴動して、我が慟哭の声に答えよ、という意。折から吹いて来た秋風の響きが、さながら自分の慟哭の声かと聞きなされるのである(適宜省略・改稿=抜粋者)。
「塚も動け」は字余であることによっていっそう芭蕉の慟哭の昂りをよく表している。私は山本健吉と後半感じ方が違う。「塚も動け」と慟哭した芭蕉の声も無常の「秋の風」にすぎないとその虚しさを芭蕉は感じていたと解する。「動け」「こゑ」「風」のe音が芭蕉の感情の変化とその無常をよく伝えている。


太郎

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