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カナタ
Chased temporary before revealing what’s permanent.
先日も取り上げた「永遠」を意味する単語permanentが出てきていますね。直訳すると「何が永遠か明らかになる前には、一時的なものを追いかけていた」という感じですね。
色んな人と付き合ったけど、最後には一人に落ち着いた、という話なのかもしれませんし、転職を繰り返したけど、最後には天職に巡り会えた、という話なのかもしれません。まあでも未来のことは分からないので、「今」最後だと思っているもの、それが永遠だと思ったものでも、将来的にはそうではないかもしれません。
そういえば余談ですが、どこで聞いた話かは忘れましたが、「変わらないものなんてない」ということの反論として「変わらないものなんてない、ということは変わらない」つまり全てのものは変わり続けるということが不変の法則なら、その法則自体が変わらないものである、という逆説的な話を聞いたことがありました。先日も話題にしましたが、永遠を表す二つの単語permanentとperpetualのうち、perpetual(絶え間なく動き続ける)の方に何となく似ていますね。
さらに余談ですが、何となく連想したのがザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」の冒頭の歌詞ですね。
永遠なのか 本当か
時の流れは 続くのか
いつまで経っても変わらない
そんな物あるだろうか
こんな感じで短い詩から色々と連想するのもまた楽しいものです。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Humility and humidity humble my humanity.
ラップなどでも使われる、いわゆる「韻を踏む」というやつで、語感の似た単語を4つ使っているところがいかにも詩的ですね。直訳すると「謙遜と湿気が私を謙虚な人間にさせる」という感じですが、これは意味を問うというより言葉遊びの意味合いが強いかなと思います。
もうちょっと深読みすると、今のこの過酷な暑さに耐えて精神を訓練することで、自分の人間性が鍛えられる、とも取れますかねえ。そうとでも考えないと、この連日の暑さはやってられないかもしれません。
#sixwords #6語の物語

カナタ
"Won't do" exceeds "to do" list.
『「やらないことリスト」が「やることリスト」を上回る』
exceedは「(数量的に)上回る」というニュアンスがあり、やらないと決めたことのリストの項目数が、やるべきことのリストの項目数を上回っている、ということですね。
これは自己啓発本などでも良く出てくる『「やることリスト」より「やらないことリスト」の方が重要』という話かと思います。人は本能的に、たとえ必要なくても、つい多くの選択肢を可能な限り残そうとしてしまう特性があると言われます。可能性を失うことは痛みであり、人は「痛み」に過剰反応してしまうからだと言われていますが、他の可能性を閉じないということは、逆に言うと「選択をしない」という選択をしていることになり、それによってさっさと選択をした時に得られるはずであった利益を失っているとも考えられます。何も諦めない人は何も得ることができない、なんて言葉もありますが、投資でもよく言われる「損切り」が重要だということですね。そうは言っても、「捨てる」「諦める」ということは、なかなかできないことではあります。
そういえば関係あるようなないような話ですが、ひと昔前に「人生がときめく片付けの魔法」という本が流行ったことがありましたね。これも確か「ときめかないものは役割を終えたものだから、感謝して捨てる」ことで「身の回りをときめくものだけに限定する」ことを実現し、人生をよりよいものにする、といった内容だったと思います。
「やらないことリスト」にせよ、「ときめかないものは捨てる」にせよ、ルールを決めてそれを守り、例外は認めない、という強さが必要かなと思います。まあでも、それが出来れば苦労しないよ、という声が聞こえて来そうではありますね。かく言う自分も、なかなか捨てられないタイプです。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Like the flowers, I cannot bloom.
省略された語を補うなら、
Like the flowers do, I cannot bloom.
という感じで、直訳すると「その花が咲くようには、私は咲けない」という感じでしょうか。
もう少し補足すると、flowersが複数形で定冠詞theが付いています。ひとつ考えられるのが、この詩を読んだ作者の目の前にはお花畑があり、それを見て自分との比喩を詩にしたためたのかもしれません。もう一つの可能性としては、the flowersが「周囲で成功した人たち、輝いている人たち」の比喩なのかもしれません。いずれにせよ、作者は咲けなかった、失敗した、こんなはずじゃなかった、という失意の中にいるのでしょう。
花の比喩で言うと、花は自然の摂理に従って種から芽吹き、成長して花開き、そして散り種を残します。当たり前のように繰り返されるこの自然の摂理のようには自分は咲けなかった。これは人間であればたとえば両親のいる幸せな家庭に生まれて愛されて育ち、大学を卒業して結婚して家庭をつくり、子をなして育て、やがて子は巣立ち、静かな老後を迎える、ということが「当たり前」だとされたなら、自分は上手くいかなかった、ということなのかも知れません。まあ実際にはこれってけっこう難易度が高くて、当たり前ではないんですけどね。
いずれにせよ、世間や他人との比較からの自己否定感、社会不適合感、疎外感、孤独感などを詠った詩と解釈できそうです。嫉妬と言ってもいいかもしれません。なお、そうしたネガティブな思考を緩和するための心構え(嫉妬した時、された時の対処法)は一つ前の詩の紹介の時に書いたので、よければそちらも読んでみてください。
そういえば全然関係ないのですが、花の比喩で思い出したのですが、有名な建築家クリストファー・アレグザンダーの著書に次のような一節があるそうです。
If you want to make a living flower, you don't build it physically, with tweezers, cell by cell. You grow it from the seed.
「生きている花をつくろうとすれば、ピンセットで細胞を一つ一つ物理的に組み立てるのではなく、種から育てるであろう」という感じですね。
つい「あの花になりたい」と思うこともあるかと思いますが、残念ながらすぐになれるわけではなく、「種から育つ」というプロセスを経る必要があるということは、あらためて意識しておくと良いかもしれません。格好だけ真似したとしても、その人にはなれません(そういえば昔、Appleの創始者の一人として有名なスティーブ・ジョブズの外観を真似した起業家がいましたが、実は詐欺だった、なんて事件がありました)。ローマは1日にしてならず、ですね。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Precariously teetering on edge of success.
こちらも解釈の余地があまりなさそうなので、6語にするために省略されたであろう語を補ってみます。
I am precariously teetering on the edge of success.
直訳すると「私は危うく成功の縁に揺れ動いている」という感じです。いま成功している人も、あっという間に転落してしまう可能性がある、というのは昨今のスキャンダルなどを見ていると分かります。あるいは今まさにあなたが上手くいっているのであれば、それを失う怖さというのも実感として分かると思います。
成功が安定しない理由は色々とあるかと思いますが、一つは嫉妬されることですね。他人の不幸は蜜の味、なんて言葉もありますが、他人との比較でしか自分の幸福を感じられないという人は多いと思いますので、幸福な人を貶めてやろうと考える人は多いものです。なので成功を安定させる一つの方法としては「嫉妬されないようにする」ことが挙げられます。謙虚でいること、成功で得たものを他人にも共有すること、幸福を見せびらかさないことなどが挙げられます。まあでも人間には承認欲求がありますので、なかなか難しくはあるのですが。
もうひとつ成功が安定しない理由としては、成功を外部の評価に委ねてしまうということが挙げられます。外部に評価を委ねると、それは自分ではコントロールできません。たとえばミシュランの星を得たレストランであっても、評価されなくなったら(星を失ったら)失敗と見なされますよね。あるいは何らかの順位(人気ランキングとか)や目に見える数字で評価されるもの(年収は分かりやすいですね)もそうですね。こちらについては「外部の評価を気にしない」「他人との比較をやめ、自分で自分を評価するようにする」ということが挙げられます。頑張った自分を自分自身で褒めましょう。比較するなら過去の自分と比較しましょう。こちらもなかなか難しくはあるのですが、どうしても他人と比較して嫉妬してしまうことがあれば、その嫉妬の対象となる人が成功の影でどんなに辛い思いをしているかを想像してみましょう。あるいは今回紹介した詩のように、あなたが羨む人は成功しているように見えて、常にそこからの転落を恐れているかもしれません。そう思うと少し気持ちも楽になるのではないでしょうか(ただし、こういう嫉妬心は思うだけにして、口にしたり書いたりするのは避けた方が無難です)。
#sixwords #6語の物語

カナタ
In a perpetual state of toe-stubbing
直訳すると、足の指をぶつけている状態がずっと繰り返されている、という感じでしょうか。意訳するなら、小さな不運や失敗なんかがずっと続いている、という感じですね。なんか嫌な感じですが笑 人生なんてそんなものかもしれません。
ちなみにperpetualは「永遠に」と訳されることがあって、同じ訳が当てられるpermanentとの違いが日本人だと分かりにくかったりしますね。ニュアンス的にはperpetualは「しつこく(絶え間なく)続く」という感じで、permanentは「変わらない状態が続く」という感じです。perpetualの方は動いている状態が続くイメージ、permanentは静止している状態が続くイメージですね。単語を覚える時は単純に訳語を一対一で覚えるのではなくて、その単語が表すイメージも合わせて覚えると良いかもしれません。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Vet bill pricier than engagement ring.
vetは「獣医」ですね。直訳すると「獣医からの請求が婚約指輪より高い」、もうちょっと意訳すると「ペットの治療費は婚約指輪より高い」という感じでしょうか。
ペットを飼った(そして看取った)ことのある人ならご存知かと思いますが、ペットの生涯にかかる費用というのはそれなりにかかるものです。特に老年期の治療(延命と言ってもいいかもしれません)をどこまでするか(嫌な言い方をすると、寿命はある程度お金で買うことができます)の判断は、正解がないので悩ましいですね。まだペットを飼ったことがないという方は、買う前にそういう悩みがあることは知っておくと良いかもしれません。
余談ですが「vet」のような「ある職業を一つの単語で表す」ような単語って、知らないとどうしようもないので、覚えるしかありません。そういえば昔TOEIC対策の勉強をした時に「TOEICで良く出る単語」として覚えさせられた「plumber」という単語を良く思い出します。「配管工」という意味なんですが、そんな単語、普段使わないよね? 覚えて意味あるの? と当時は思ったんですが、そういえばスーパーマリオブラザーズのマリオとルイージの職業は配管工なんですよね(マリオの映画を見てて「あ、plumberだ!」と思いました笑)。そんな感じで意外なところで役に立ったり? もすることがあるので、多分使わないだろうなあというマニアックな単語でも、覚えておくと良いこともあるという一つの例としても見ていただければと思います。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Monophobia: don’t leave, but go away.
孤独恐怖症。行かないで、でも離れて。
これはまあ、解説は不要でしょうか。孤独恐怖症だからと言って、べったりくっついて欲しいわけではなくて、適度な距離感を保って欲しいということですね。これは逆に孤独が好きな人であっても当てはまると思います(ずっと一人でいたいわけじゃなくて、たまにはだれかと話したいこともある)。
矛盾する二つの表現(「行かないで」「離れて」)を同居させて、その間にある微妙な何かを伝えるのは詩的な表現としてはよく使われるのですが、そう言えば先日ご紹介した「ニュージャージー出身(派手で下品なイメージ)だけど、カトリック育ち(上品でお堅いイメージ)の女の子。どっちも当てはまる」という意味の
Catholic girl. Jersey. It’s all true.
もそうでしたね。白と黒の間には無限の色が広がっているのです(ミスチル)。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Recovery does not look one way
「回復の仕方は一つではない」という感じでしょうか。
これはまあ、解説は不要でしょうか。回復の仕方は人それぞれで、遅い人もいれば速い人もいます。また繊細な治療が必要な人もいれば荒治療が向く人もいます。いずれにせよ、その人を尊重し、その人に合った治療法を選択できると良いですね。
そういえば余談ですが、「ファクトフルネス」という本の中に『「悪い」と「良くなっている」は両立する』という話が出てきます。今は状態が良くないが回復してきている、という状況はありえる、という当たり前の話なのですが、つい人はどちらかだけを見てしまい、「悪いものは悪い」と解釈したり、「良くなっているのだから良い」と見てしまいがちだということでした。
この本はひたすら「世界は少しずつ良くなっている」ということをデータで示す、という内容なのですが、だからと言って世界は必ずしも楽観視して良い状態ではない、ということも忘れてはいけないとも言っています。悲観しすぎるのも楽観すぎるのも良くないので、『「悪い」と「良くなっている」は両立する』ということは忘れないようにしたいですね。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Words own me? I own them.
「言葉が私を支配しているのでしょうか? いいえ、私が言葉を支配します。」
これは「人は言葉によって考えるのか、それとも考えた結果言葉が出てきたのか」というわりと普遍的な(哲学的な)問いなのかなと思います。言葉により思考を体系化することが可能になりますが、言葉により思考が制限される(見たことや感じたことを言葉で表す過程で何かが失われる)こともあるので、これはなかなか難しい問いですね。
そんな中で、元の詩では「自分が言葉を支配するんだ」と宣言していますが、そう思っていたとしても、それは本当にあなた自身が考えて出てきた言葉でしょうか。誰かの言葉の引用だったりしないでしょうか。行動経済学などを引き合いに出すまでもなく、YouTubeやTikTokで見た動画に感化されてしまう人は多いのではないでしょうか。影響力工作や陰謀論なんていう話もありますが、特に最近ではAIによる動画の生成が可能になり、何が本当で何が嘘なのか、見抜くのが難しい時代になってきました。
「自分の頭で考えましょう」とはよく言われることですが、実際にやってみると結構しんどいものです。常に自分で考えることが出来なくても、せめて「自分の考えだと思うことは、実は誰かにそう思わされている可能性がある」ということだけは常に意識しておきたいものです。
#sixwords #6語の物語
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カナタ
1965 Mustang receipt unearths hidden father.
「1965年型フォード・マスタングの領収書が、父親の意外な一面を掘り起こした。」
恐らくこの詩の作者が部屋の片付けなどをしていて昔の領収書を発見したのでしょう。もしかしたら父親が亡くなって、遺品の整理などの最中だったのかもしれません。
さて、それではこの短い詩から、この詩の作者の父親の人物像を想像してみましょう。1965年型フォード・マスタングの領収書ということですので、中古で買ったのでなければ1965年に購入したと考えるのが自然でしょう。
アメリカのフォード(自動車メーカー)と言えば大量生産の大衆車メーカーの先駆けとして有名ですが、フォード・マスタングは「スポーティカー」(スポーツカーのような外観の大衆車)の先駆けとして1964年に販売が開始されたシリーズだそうです。
とすると、「スポーツカーのような外観の大衆車」を購入するのであれば20代の独身の頃だと想像できますので、1940年代生まれ、存命であれば80代であると思われます。
そして、「スポーツカーのような外観の大衆車」を所持していたことが意外だということなので、老いて物静かな父親の若い頃は、もしかしたらヤンチャだったのかもしれません。領収書は残っているけど車を所持していたことを誰も知らなかったということは、写真や日記などの記録を意図的に廃棄したのかもしれず、本人的には黒歴史だったのかもしれませんね。
1965年のアメリカと言えば、ベトナム戦争に本格的にのめり込んでいく時代でもあり、それに合わせてカウンター・カルチャーが生まれようとしていた時代になります。経済的には黄金期ですが、徐々にアメリカ一強に翳りが見えだす、そんな時代です。そうした背景からこの詩の作者の父親の人物像を想像してみるのも面白いかもしれません。こんな短い文章からでも色々と想像できるのもまた、短文詩の魅力ですね。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Chaos feels better with good company
「良い仲間と一緒なら、混沌も心地よい」
companyは「会社」と訳されることが多いですが、「仲間」「一緒にいる人」といった意味でも使われます。たとえchaos(混沌、混乱、無秩序、予測不能といった意味)がやって来たとしても、良い仲間と一緒なら楽しんで乗り越えられる、ということかと思います。
そういえば、旅行とかもそうですよね。旅行には予定外のハプニングは付き物ですが、そうしたトラブル自体を楽しめる人と一緒だと、旅行は楽しいものになります。
とはいえ旅行に限らず、予定をきっちり立ててスケジュール通りに行動することも大事ですし、予測可能にコントロールされた状態を好む人も多いでしょう。これはどちらが良い悪いということではなくて、相性かなと思います。旅行の話に戻ると、一緒に旅行してみて初めてお互いの良いところ悪いところが見えたりもしますので、相性の良し悪しを知りたい場合は一緒に旅行してみるのも良いかもしれません。
さらに余談なのですが、昔読んだ「ビジョナリー・カンパニー2 飛躍の法則」というビジネス書に「最初に人を選び、その後に目標を選ぶ」という話があったのを思い出しました。変化の激しい世の中なので、一度決めた目標は変わることもあるけれど、目標に向かって一緒に働く仲間は変わらない(まあ転職とかはあるかと思いますが)ので、素晴らしいビジョンを掲げるのも大事ですが、その前に素晴らしいチームを作ることの方が大事だという話だったかと思います。
仕事にせよ人生にせよ、何があっても楽しんで乗り越えられる仲間と一緒にいたいものですね。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Scrolling endlessly, searching for something real.
「終わりなくスクロールしながら、本物の何かを探している」
以前にも書きましたが、「six words」のサイトの投稿にはバックストーリー(何を見て、何を思ってその詩を書いたか)も合わせて投稿できるのですが、次のような文が添えられていました。
Days slipped away in an endless stream of posts and notifications. It felt like connection, but something was missing — authenticity, presence, meaning. The more I scrolled, the further I drifted from real life.
「投稿や通知の果てしない流れの中で、滑るように日々は過ぎ去っていった。それはつながりのようにも感じたけれど、何かが欠けていた――本物らしさも、今ここにいる感覚も、意味も。スクロールすればするほど、現実の生活からどんどん離れていくようだった。」
これはもう解釈の余地もなさそうなので、解説は不用ですね。デジタル・デトックスなんて言葉もありますが、SNSやショート動画には中毒性がありますので、この詩のような状態に陥ったのなら、たまにはスマートフォンから離れてみるのも良いかもしれません。
#sixwords #6語の物語

カナタ
We dance on porches not ballrooms
「私たちはボールルーム(舞踏会場)ではなく、ポーチ(玄関)で踊る」
ボールルームは社交ダンスを踊る場所であり、欧米であれば華やかな社交の場というイメージがあります。ちなみに日本では社交ダンスという文化が根付かなかったため、現在の日本のホテルのボールルームは主に宴会場(立食パーティー)やウェディング会場、講演会場(大会議室)として利用されるため、日本だとあまり華やかなイメージがありませんね。
そしてポーチは玄関前の屋根のある部分のことですね。この屋根は雨傘や日傘をさす・畳む場所として役に立つほか、雨に濡れるのをある程度防げるので荷物を一時的に置くといった使われ方をします。
元の詩に戻ると、ボールルームではなくポーチで踊ることは何を意味しているかと言うと、華やかで格式ばった場所ではないところで自由に踊るんだ、という意思表明なのかもしれませんし、何らかの理由で舞踏会場には行けなくたって玄関前で踊ることはできる、身分や所得に関係なく人生を楽しむことはできる、といったことを言いたかったのかもしれません。
ちなみに余談ですが、冒頭で日本には社交ダンスの文化が根付かなかったという話をしましたが、大正時代とその前後あたりには東京の銀座や日比谷あたりには複数のダンスホールが建ち、いわゆるモボ・モガ(モダンボーイ・モダンガールの略)たちの象徴的な娯楽でした。そういえば谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」でも主人公の譲治とヒロイン(?)のナオミがダンスホールに行くために社交ダンスのレッスンに通うエピソードがありましたね。
その後時代は昭和になり、戦時体制が強まるにつれて、社交ダンスは風紀を乱すものとして禁止されたため、廃れていきました。まあでも社交ダンスでなくても日本には昔から盆踊りがありましたし、バブル期にはディスコ、現在はストリートダンスがありますので、これからも踊るということ自体は形を変えて続いていくのでしょう。自分は普段は踊る機会はないのですが、たまには踊ってみるのもいいかもしれませんね。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Razor sharp pencil. Cutting edge story.
「鋭く研いだ鉛筆で、新しい物語を切り開く」
これは色々と解釈できるので難しいですね。単純に解釈すると物理的に先の尖った鉛筆で物語を書くという意味になりますが、今の時代に鉛筆と原稿用紙で文章を書くというのは考えにくいので(まあでも文豪みたいでちょっと憧れますね)、これは比喩だと考えるのが自然でしょう。
とすると何の比喩なのか、まず「鉛筆」が何を表しているかですが、書き手を表していると考えると、筆者が鋭い感性を持っているか、あるいは風刺の効いた文章を書くのが得意だということなのかも知れません。
そして後半の「新しい物語」が何を表しているかですが、筆者がこれから書く文章、あるいは作品のことだと考えられるかなと思います。すごい文章を書いてやるぞ、という意気込みかも知れませんし、あるいはよく言われる「ペンは剣よりも強し」を体現したいということかもしれません。
あとはテクニカルには、前半のrasor sharp(カミソリのように鋭い、という意味)と後半のcutting edge(刃の先端、転じて最先端という意味)が対比になっていて、どちらも鋭さをイメージさせる語句であることも詩的な表現になっています。こういう言葉遊びも短文詩の醍醐味の一つですね。
#sixwords #6語の物語

カナタ
High chairs. Musical chairs. Rocking chairs.
ハイチェアとは座る部分を高くすることのできる、赤ちゃんが大人と同じテーブルに座るための椅子ですね。その次のミュージカルチェアとはそういう名前の椅子があるわけではなくて「椅子取りゲーム」という意味になります。最後のロッキングチェアとは揺り椅子とも訳されますが、椅子の足の下に反ったスキー板みたいな曲がった板(いわゆる木馬の足)のついた、前後にゆらゆらと揺することのできる椅子で、欧米では老人が座る椅子というイメージがあります。
話を元の詩に戻すと、それぞれがchairsと複数形になっていて、定冠詞のtheが付いていません。なので何か特定の椅子を表現しているのではなく、赤ちゃん椅子・椅子取りゲーム・老人椅子のそれぞれが表すイメージを列挙した詩だと捉えることができます。具体的には人は生まれ、競争し、静かに老いる、そんな人生の縮図を表現したものと考えられます。たった6語で人生を表現した、とても巧い詩ですね。
あとは野暮な解説を付け加えるなら、真ん中の「椅子取りゲーム」は権力や社会的地位を奪い合う様子が想像できます。chair(椅子)という単語自身にも地位という意味が含まれることもありますね(王座は分かりやすい例です)。勝ち組・負け組なんて言葉もありますが、その椅子取りゲームの結果がどうあれ、最後には誰もが揺り椅子に静かに座って過ごすことになる、という社会風刺と捉えることもできるかもしれません。
誰かを介護する経験をしたことのある方はご存知かと思いますが、人生の老年期には徐々に出来ることは減っていき、最後には地位や所得に関係なく同じような生活を送ることになります。なので、他人との競争はほどほどのところで降りて、老年期になる前に人生を充実させる方向に注意を向けた方が、人生をより豊かに過ごすことができるかもしれません。まあそうは言っても人はつい他人と比べてしまいがちなので、そうした生き方を選ぶことはなかなか難しいかもしれませんが。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Grades can’t capture my quiet grind.
「成績は、私の静かな努力を捉えきれない」という感じでしょうか。
以前にも書きましたが、「six words」のサイトの投稿にはバックストーリー(何を見て、何を思ってその詩を書いたか)も合わせて投稿することができ、こちらの詩には次のような文が添えられていました。
Got my test results today. I worked hard, but the marks didn’t show it. I’m still proud of myself for trying. I’m learning that progress matters more than perfection.
「今日テストの結果が返ってきた。頑張ったけれど、点数にはそれが表れなかった。それでも挑戦した自分を誇りに思う。完璧よりも前進することの方が大切だと学んでいるところだから」
努力や成長と言うのは、なかなか結果に表れない、外からは見えないこともあります。だからと言って努力していれば成長していないわけではありません。たとえ評価や結果につながらなくても、頑張った自分をほめてあげましょう。
また成長というのは連続的ではなく不連続な場合もあり、ドラクエのレベル上げのようにある程度経験値が貯まらないと次のレベルに上がらないと言ったこともあります(コツが掴めることで一気に上手くなるとか)。結果に現れるまで客観的に見て変化がないように見える時は苦しい時でもありますが、そこで止めずに続けることで次の段階への道が開けることもあるので、苦しくなったらそんな事も思い出しつつ努力を継続すると良いかもしれません。
ただし、人には向き不向きがあるので、どうやってもその分野では努力しても成長が見込めないということもあります(プロスポーツや芸能の世界など)。やみくもに努力するのではなくて、自分が何に向いているのかを冷静に分析してから努力する方向を決めた方が良いかもしれません。まあ、このあたりは難しいことではあります。
外から見て変化がないように見えて、中では実は成長しているというものの例としては、(以前にも書いた気もしますが)雛になる前の卵が挙げられます。外から見ると「全く変化のなかった卵が、ある日突然殻が割れて雛に変わった」ように見えますが、卵の中から見ると「雛は少しずつ成長していき、やがて殻の大きさを超えるほどに成長すると殻が破れて外に出る」という感じで、中から見ると殻を破るのは成長の一つの過程に過ぎないことが分かります。自分の成長は自分自身がよく分かっている、ということもあるかと思います。外部の評価を気にせずに努力し続ければ、ある日突然評価につながる(殻が破れる)こともあるかもしれません。
長々と書きましたが、何かに努力している全ての人を応援したいと思います。ガンバレ!
#sixwords #6語の物語

カナタ
i’m not weird; i’m limited edition
「私は変じゃない。限定版なんだ」
weird(変な)という単語には、どこか否定的なニュアンスがありますが、limited edition(限定版)というと肯定的な(希少価値がある、といった)ニュアンスになります。どちらも「普通ではない」という意味なのですが、捉え方によって良くも悪くもなる、というところがこの詩の面白いところです。
これは「リフレーミング」とも呼ばれ、捉え方を意図的に変えることで新たな視点や解釈を得る手法です。たとえば「飽きっぽい」と言うと否定的ですが、「好奇心旺盛」「新しい環境にすぐに馴染める」と捉えると良い面もあることが分かります。ほかにも「おせっかい」は「世話好き」とか、「口が軽い」は「隠し事をしない」など、何事も捉え方によって良くも悪くもなります。つい否定的に見てしまうという人は、別の視点で捉え直してみると新たな発見があるかもしれません。
あるいは適材適所という言葉もある通り、ある場所ではその人の欠点だと思われたことが別の場所では長所になると言うこともあります。まずは自分の特性を自己分析した上で、それを活かせる場所を戦略的に目指すことで、人生を豊かなものにすることができるかもしれません。特性分析はさまざまなものがあります(有料ですが、たとえばクリフトンストレングスはお勧めです)ので、試してみるのも良いかもしれません。
#sixwords #6語の物語

カナタ
Distressed mess, still an f’ing princess.
これはかなりのスラングなので訳すのが難しいのですが、意訳すると「どんなに最悪な気分でも、私はまだちゃんとお姫様」という感じでしょうか。
これはもう色々な背景が考えられるので解説するのも野暮なんですが、おそらくこの詩の作者には何か嫌なことがあったんでしょう。それでも「私はお姫様」と自己肯定することでアイデンティティを保っているのかもしれません。あるいは「自分自身の価値を決めるのは自分だ」という宣言かもしれません。
詩的なテクニックとしては、この詩はとても汚い言葉遣いを(おそらくあえて)しているのですが、それと対比して「お姫様」という上品な単語を入れることで、その対比を際立たせているのでしょう。この「矛盾する表現を同居させることで詩を際立たせる」というテクニックは、これまでにも何度かご紹介しましたね。
またもう少し邪推すると、いわゆるジェンダー論やフェミニズムといったテーマも見え隠れします。以前にご紹介した詩でも同様のテーマのものがありましたが、色々な意見がありますので、このあたりは扱うのが難しいものですね。
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