ゆきぬ
麻雀好き個人主義者、夜型人間、
お絵描き、ルービックキューブも好き
文章は構造化の発露、絵は閃きの外化
#左利き#MENSA会員
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ゆきぬ
言われた言葉より「言われなかった言葉」を重視する、情報の欠落から意図を読むところがある
自分の心の動きを“観察対象”として扱う傾向が強い(自分の感情をそのまま鵜呑みにせず、
観察し、分解して、検証する)
他者の視点に立った時の“世界の見え方”を推測する
ゆきぬ
真意をうまく伝えられない
会話自体は成り立つが、見えているものが違う、その違いをうまく伝えられないことに葛藤する、というのが近いかもしれない
仮に二次元しか認識できない生物がいたとして、その生物に「球」や「立方体」という概念を認識させることは難しいことに似ている
「球は円に近いよ」「立方体は正方形に近いよ」と近いものを提示することはできるが、それは球や立方体を示しているわけではないので、我々からすれば「わかりやすいけれども間違っている」概念を伝えている形になる
この「わかりやすいけれども間違っている」ものを伝えていることを「正確ではない」と認識することが、「意思疎通ができていない」と葛藤するものの正体となる
この葛藤を無視して「本当に賢い人の説明はわかりやすいはずだ」などとのたまう低IQ側の意見には正直うんざりすることもあり、それが高IQの人に「IQが20違うと話が通じない」と言わしめることとなるのだと思う
我々が4次元を完璧には知覚できないことに対し、5次元以上の世界の住民がヤキモキする感覚とも言えるのかもしれない
違う世界でものを見ていることを自覚するのは想像以上にストレスだ
ゆきぬ
This illustration depicts a colossal statue rendered as a 3D figure with depth perception, situated among skyscrapers in central Tokyo. The statue towers over the buildings. The photograph was taken from a helicopter. Generate the image.
【Mass Appearance】
This illustration is rendered in 3D, depicting numerous figures of varying sizes walking among the buildings in sunny central Tokyo, with some floating in the sky. All background signs are solid-colored with no text elements. Do not depict people. Generate the image.





ゆきぬ
私たちはいつもどこかで
「無意識の迫害」をしているのかもしれない
ただ「加害者」である自分自身に気付かない人も少なくなく、
彼らは自らの影を直視しないまま
世界を呪い続けている
そして「感動」という言葉も、
実はとても雑だと思う
本当の感情はそんな単純なラベルでは括れない
ゆきぬ
この物語は後半に進むにつれて、加速度的に狂気を帯びていく
この狂気は決して異世界のものではなく、むしろ現実社会に潜む“正常に見える狂気”の鏡像
読み進めるほどに
物語の歪みが私たちの現実と重なり合い
津波のような迫力で迫ってくる
ラロロリン人やピョコルンは単なる空想の存在ではなく、「差別の象徴」
すなわち“社会が生み出す他者”そのもの
彼らが排除され、消費されていく様は、現代社会の構造的残酷さをそのままなぞっている
物語は誇張を交えながらも、描かれる痛みや暴力は、今の私たちが生きる世界線と地続きだと気づいた瞬間、全身に鳥肌が立つ
表層的には異形の存在や異世界的な要素で読者を引き込みながら、核心では“構造的差別”や“集団の狂気”を描いている物語だ

ゆきぬ
こう聞かれて、正確に答えられる人は少ない
むしろ、「賢いんだから、楽に生きられるはずじゃないの?」とすら思われている
でも、本当に“賢い人”って、どういう人なんだろう?
世間が言う「賢さ」は、
学校の成績だったり、語彙が豊富だったり
難しい本を読めることで測られている。
だが本物の“知性”とは、そんな表面的なものじゃない、それは「問いを手放せない」という、燃える構造のことだ
ギフテッド型の知性は、思考が止まらない
周囲の会話がどれだけ無難でも、流される話題でも、「その前提、本当に正しいのか?」と頭の中で問いが火を噴く
たとえば
職場で交わされるあたりさわりのない会話
「まあ、そういうもんだよね」と言われた瞬間
ギフテッドの脳内には警報が鳴る
そういうもんで済ませていいのか?
誰が決めた“常識”なんだ?
そもそも“空気”って、誰の価値観なんだ?
問いは、止まらない
だから彼らは、浮く
「賢い人が浮く」という現象の裏側には、
この"問いを持ちすぎる構造”がある
そしてこれは、本人の選択ではない
“そういう仕様”で生まれてきた知性なのだ
ギフテッド型の人間が、なぜ生きづらいのか
それは、ただの知識量ではない
構造そのものが“ズレ”を見抜いてしまう能力だからだ
共感のリズム、話題の流れ、空気のバランス
そういった「合意の儀式」が行われているとき、ギフテッドだけがその台本の“外側”を見てしまう
そのとき、彼らの選択肢は2つしかない
空気を読んで、問いを黙殺する
空気を壊して、問いを語り出す
どちらを選んでも、“浮く”
それは、“賢さの代償”じゃない
社会が「問いを許さない構造」でできているだけだ
だから「賢い人 話が合わない」と検索する人がいる
だから「空気が読めない 原因」を調べる人がいる
それは、社会不適合者ではない
“問いを手放せない人間”の自然な悲鳴だ
本当に知性がある人は、問いを抱えている
理解されたいんじゃない
「まだ言語化されていない違和感」に名前を与えたいのだ
それが、ギフテッドという燃える知性の正体だ
社会は“平均値で動く”ように設計されている
「浮いている人間」は、社会の誤作動ではない
むしろ、“浮くように設計された知性”が存在しているだけだ
この事実を見落とすと、ギフテッドは一生「自分が間違っている」と思い込む
社会は、平均で動く
電車は時刻表で走り
授業はカリキュラム通りに進み
面接は定型質問で構成される
すべてが、「誰でも参加できる速度」と「誰でも理解できる難易度」で整備されている
つまり
突出しすぎる知性はシステムそのものに“馴染めない”ように作られている
ギフテッドのように「一を聞いて十を考える」「言われる前に構造が読める」人間は、
標準化された空間では、煙たがられるか、抑圧されるか無視される
たとえば会議で「なんかちょっと違和感あるな…」と思っても
誰も口に出さない
ギフテッドだけが"前提のズレ”を感じて発言してしまう
その瞬間、空気が止まる、場が凍る
「空気が読めない」「協調性がない」と見なされて浮く
でもこれは、“その人が悪い”のではない
社会という設計図の中に「浮かされる構造」が組み込まれているだけだ
ギフテッドが生きづらいのは能力のせいではない
周囲に「合わせられない」からではなく
「合わせることに意味が見出せない」からだ
これはもう、“故障”ではなく“仕様”だ
賢い人が社会に馴染めないのは
ズレてるからじゃない
見えすぎているから
見えてしまう
なぜこの空気が成り立っているのか
なぜ誰もそこに疑問を持たないのか
なぜみんなが不安な顔で笑っているのか
そういった"言語になっていない構造”が、ギフテッドの視界にははっきり映ってしまう
でもその「見えてしまう知性」は
“見えていない大多数”にとっては異物でしかない
だから煙たがられ、浮く
そしてここに設計上の致命的なミスがある
あるいはこれは“ミスではなく意図された仕様”かもしれない
社会は「協調」と「共感」によって機能している
つまり問いを持ちすぎる者は最初から“はじき出される構造”になっている
問いが多い者、ズレを察知する者
「みんなで一緒に」を壊してしまう者
そういう人たちにとって社会は“ずっと生きづらいまま”なのだ
でもそれはあなたが間違っているからではない
それはただ、あなたが「問いに選ばれた知性」だったというだけの話だ
なぜギフテッドは「生きづらい」のか?
ギフテッドが「生きづらい」と感じる瞬間は、たいてい「話が合わない」「ノレない」「合わせられない」場面だ
何気ない雑談、場のノリ、共通の価値観
そのすべてが、自分の中に「入ってこない」
たとえば飲み会でみんなが盛り上がってる話題に、まったく意味を感じない
誰かが褒められている空気がどこか演技に見える
「わかる〜」の合唱が、ただの同調圧力に聞こえてしまう
そのときギフテッドは笑っているフリをしながら
内心こうつぶやいている
「なぜ、わたしは“共感”できないのか?」
だが本当は違う
「共感できない」のではない
“共感の構造”が透けて見えてしまっているだけだ
この“見えすぎる”感覚こそが、生きづらさの根だ
つまり
話が合わない
浮く
馴染めない
空気が読めない
これらはすべて
問いを持ちすぎる知性の副作用だ
ギフテッドは、問いが止まらない
「それって本当にいいことなの?」
「なんでみんな納得してるの?」
「誰のためにやってるの?」
「それ、再現性あるの?」
この“構造的な問い”が
共感や場の空気と、徹底的に噛み合わない
そして周囲との「ズレ」が生まれる
このズレはただの意見の違いじゃない
“前提ごとズレている”という、深い断絶だ
ギフテッドが生きづらいのは
そのズレが、“いつも自分の中で発火してしまう”からだ
なぜ今ここで黙っているべきなのか
なぜこの人の嘘に誰もツッコまないのか
なぜみんな笑っていられるのか
構造がズレている
でも誰も、それを言わない
ギフテッドが“空気が読めない”のではない
「空気の構造が読めすぎてしまう」だけなのだ
だから、疲れる、浮く、生きづらい
けれどこれは“社会不適合”ではない
“構造適合不能”という知性の証明だ
あなたがうまく馴染めないのは
あなたの問いがまだ死んでいないから
あなたがその場に意味を感じないのは
「燃えない場所」で燃えようとしていたからだ
問いを消すか、空気を壊すか
ギフテッドは常に、この2択を迫られている
でも本当はもうひとつの選択肢がある
それは、「自分に合った空気」を作り直すことだ
問いが燃える場所で、問いのままで、生きること
それが、ギフテッドという知性に与えられた、
唯一の“居場所戦略”なのかもしれない
ゆきぬ
降りしきる雨のなかで参拝☔️
外宮と内宮、それぞれで神鶏🐓と遭遇
外宮にいた🐓は近寄ってくれて可愛かった
どちらでも会えるって珍しい事なのかな






ゆきぬ
倭姫命の御尋に大若子命『速雨の二見國』と御答へ申し上げる
その『速雨の二見國』の夫婦の立石に引きわたす大注連縄の間を通し
東海の海上より暁の雲を突いて さし昇る旭光を拝迎し
その先の興玉神降臨の霊石を遥拝されたことに当社の創始をみる
禊祓、災厄穢れを清める 「おきたまさま」と慕われる大神様は名勝『二見の浦』の大自然の風光美とともに二見興玉神社








ゆきぬ
ゆきぬ
それをアルゴリズムと言うけど
アルゴリズム=縁起
とも言えるなぁと思うので
自分が居たい情報空間に居られるように
自分の演技を整えて行きたいと考えている
"投影は縁起から成り、意図により縁起の中芯は変えることができる、その結果、投影も変わる"
ゆきぬ
当の本人は総理がどういうものか、一般人の何倍もそばで見ていて、自分にできると思っているところが考えられない。
あまりにも見えている世界が違い過ぎる。
ゆきぬ
逆境に打ち拉がれている時の精神面でのポイントは、自分自身を客観的かつ俯瞰的に見ること。
離人感ほどではないにしろ、自分自身の行動や人生を他人事のように捉える。
自分自身を「ああ、あいつ相当苦しんでるな」とかの視点を持ち、後は惰性だけで行動してみる。
バーチャルゲームでキャラクターを動かしているような感覚で現実を仮想世界のように考えて自分自身の肉体を動かすような感覚かな。
すると、全ての事がどうでもよくなってくる感覚になってくる不思議。
他人に何か非難されても、他人事のように認識する。
でも俯瞰的に見ることで自分自身では思いもつかなかった解決法も見つかることがある。
今までこういった思考法でやってきた結果、深刻な結末にはならずに逆境もなんとかなってしまうと気付きを得た。
適応障害とかなら自分の精神を自分自身の肉体から離して人生を他人事のように軽く捉えてみるのも吉。
ゆきぬ
ゆきぬ
#LDP #Japan

ゆきぬ
移民反対派の人
日本の治安を守りたい人は集まれ
9/12.13 2日間
場所:東京都庁第一庁舎前歩道内
時間:16時半〜18時半
#東京都エジプト合意撤回デモ
#移民政策断固反対

ゆきぬ




ゆきぬ









ゆきぬ


ゆきぬ

ゆきぬ
気付いても気付かないふりをしてしまうのは、強固な同調圧力の弊害です
デモが拡大しないのも日本社会特有の“和”を重んじる文化と同調圧力が作用しているためでありこれは構造上避けられない現象と言えます
さらに戦後GHQによって施された徹底的な意識改造が潜在意識に強力な刷り込みを残し、それが現在まで温存されてきた
我々がその刷り込みから解き放たれるには、大きな衝撃や外的要因が不可欠になるでしょう
現代の日本社会は、
構造を読み解く訓練をほとんどしてこなかった
感情、空気、共感
そうした「即時的な快・不快」に最適化された環境で育った人々は複雑さや矛盾と向き合うことを本能的に避ける傾向を持つ
だからこそ、都合の良いルールを作る側は
それを理解したうえで“抜け道”を設計する
気づかれないように、反論されないように。
自らが逃げずに思考する側に回らない限り
それが少数派から多数派に転じない限り
この社会の「不条理のベクトル」は
決して変わりません
ゆきぬ
私は、その真っ只中で育ってきた
我々世代、そして私自身もまた、
確かに日本政府の被害者だ
だが、それ以上に許し難いのは、
未来に希望を託して結婚し、家庭を築いた
両親の思いまでも無惨に裏切られたということだ
希望を踏みにじったのは、
紛れもなくこの国の政治であり、
国家の意思決定のあり方であり、
そして
見て見ぬふりを続けた「大人たちの集合体」だ
それなのにすべてを
「個人の努力不足」にすり替えてきた
その責任転嫁こそが
この国に深く根を張った「構造的暴力」だということを
私たちは、決して忘れてはならない
幼かった私は
この歪んだ社会の変遷をまだ明確には感じ取れなかった
だが、私よりもはるかにリアルに、その社会の軋みや崩壊の兆しを感じ取っていたはずの両親は、
どれほどの不安や怯えを抱えながら
日々の生活を支え、私を育ててきたのだろうか
どれほどこの国の未来に疑念を抱きながら、
その影を、子供である私には悟らせまいと隠していたのだろう
その心労を想うと涙が出る
ゆきぬ
選挙も完全出来レース
歯向かうものは殺される
選挙制度の抜本的な改革が必要
#犬丸勝子さんの不審死
ゆきぬ
The Japanese government admits its Children and Families Agency is involved in middleman skimming — but says “it’s the smallest amount.”
Since when is minor corruption okay?
This isn’t just a Japanese issue — it’s what happens when governments forget they work for the people.
They attempted to justify their actions by claiming, “It’s acceptable because our amount is the smallest,”
but in doing so, they inadvertently revealed that other ministries are engaging in even greater public fund skimming.
#Corruption #PublicFunds #GovernmentAccountability


ゆきぬ
ゆきぬ
「制度の演出」を解体し、
「責任の所在」を論理で詰め、
さらに「公開」という社会的圧力をも読み込む
こうした認知スタンスを市民一人ひとりが備えることは、この国における民主主義の真の成熟にとって、不可欠である
ゆきぬ
トランプ大統領は、7月19日の大阪万博に出席する大統領代表団の任命を公表。
参議院選挙の投票日前日
このタイミングで、この面子は意味深
団長:財務省のスコット・ベセント長官
メンバー:
・駐日アメリカ大使(ジョージ・グラス)
・労働省長官(ローリ・チャベス=デレマー)
・国務省副長官(クリストファー・ランドー)
・アメリカ館コミッショナー・ジェネラル(ウィリアム・グレイソン)
これは単なる万博の祝賀ではない。
外交、経済、安全保障を見据えた明確なサイン
この布陣、どう読み解くべきか
あなたはどう思う?


ゆきぬ
この書簡をお送りできることを、大変光栄に存じます。それは、日米間の貿易関係の強さと相互の取り組みの姿勢を示すものであり、アメリカ合衆国が、日本との間に大きな貿易赤字を抱えていながらも、引き続き協力していく意思を示すものです。
それにもかかわらず、私たちは今後、より均衡が取れた、公正な貿易のみを前提として、日本との関係を進める決断をいたしました。よって、世界最大の市場であるアメリカ経済にぜひご参加いただきたいと存じます。
日米間の貿易関係については、長年にわたり議論を重ねてまいりましたが、私たちは、日本の関税・非関税政策や貿易障壁によって引き起こされる、長期かつ根深い貿易赤字から脱却しなければならないとの結論に至りました。残念ながら、これまでの関係は相互的とは言いがたいものでした。
2025年8月1日より、アメリカはすべての日本製品に対して、セクター別関税とは別に一律25%の関税を課すことといたします。関税逃れのために第三国を経由した製品については、より高い関税率が適用されますので、あらかじめご了承ください。
この25%という数字は、日本との貿易赤字の格差を是正するにはまだ不十分であることをご理解ください。ただし、日本または日本企業がアメリカ国内で製造・生産を行う場合には、関税は一切課されません。加えて、我々は必要な許認可を迅速かつ専門的に、そして定常的に処理するよう、あらゆる手段を講じます。
つまり、数週間で完了する見込みです。
もし何らかの理由で、日本が関税を引き上げる選択をされる場合、その増加分はアメリカが課す25%に上乗せされることになります。こうした関税措置は、日本による長年の関税・非関税政策および貿易障壁が引き起こした、アメリカにとって持続不可能な貿易赤字を是正するために不可欠なものであることをご理解ください。
この貿易赤字は、我が国の経済および国家安全保障にとって重大な脅威であります。
今後も、貴国の貿易パートナーとして長きにわたり協力していくことを心より願っております。仮に、日本がこれまで閉ざされていた市場をアメリカに開放し、関税・非関税政策および貿易障壁を撤廃されるのであれば、本書簡の内容についても見直しを検討いたします。
これらの関税は、今後の日米関係に応じて、引き上げも引き下げも可能です。アメリカ合衆国と関係を築くことで、貴国が失望されることは決してありません。
本件についてご配慮を賜りますようお願い申し上げます。
敬具 🃏


ゆきぬ
対象は、日本の外務大臣による近々の外交訪問。そこに絡む政策履歴(ビザ緩和・情報保全制度の不整備等)に関して、安全保障の視点からの問いを米国メディアに対して英語で伝えました。
もちろん、すべては公知の事実に基づくもので、陰謀論でも攻撃でもありません。
むしろ、「国内で扱われない論点を、どう検証可能な形で可視化できるか」を考えた結果です。
情報の透明性・ガバナンスの健全性に関心のある方であれば、この視点に一定の共感を持っていただけるかもしれません。
もし内容にご関心ある方がいれば、DMにてご連絡ください(公開は控えます)。
ゆきぬ
構造を読み解く訓練をほとんどしてこなかった。
感情、空気、共感
そうした「即時的な快・不快」に最適化された環境で育った人々は複雑さや矛盾と向き合うことを本能的に避ける傾向を持つ。
だからこそ、都合の良いルールを作る側は
それを理解したうえで“抜け道”を設計する。
気づかれないように。
反論されないように。
自らが逃げずに思考する側に回らない限り。
それが少数派から多数派に転じない限り。
この社会の「不条理のベクトル」は
決して変わらない。
ゆきぬ
論旨の一貫性や戦略性に注目し、「あえて対立を作り出している」構図や「感情ではなく構造批判」を試みていると読み解けるのか?
話し方のトーンよりも内容の中身やリスクを取った発言の背景に関心を持っているのか?
現実的な改革には痛みが伴うことを理解しておりその前提での評価ができるのか?
肯定的に受け取るか、感情的に否定するか。
この違いに受け手の「認知の深度」が浮き彫りになる。
表層か、構造か。感情か、論理か。
これは思考力のリトマス試験紙。
ゆきぬ
#石丸伸二さん
事実を提示しても届かない。
届けようとすれば、“共感”という感情回路に乗せざるを得ない。それは果たして、迎合なのか、戦略なのか?
結論から言えば、「共感」や「感情」を通して事実へ導く設計が最も現実的な道だ。
これは知性の敗北ではなく、むしろ知性の戦略的進化だ。
石丸氏の姿から学んだのは、敵を作らない言葉で
理解の裾野を広げることの難しさ
冷静かつ構造的に社会を見る視点を持った人が、共感やナラティブを戦略的に使いこなすことができたとき、初めて「民意に知性が宿る」可能性が現れる。
つまり、「共感」は思考停止の温床ではなく知性への入り口になり得る。
そのためには、自らが「折れる」ことも時に必要だ。
それは敗北ではなく成熟の証だ。
それこそが、「再生の道」の本質ではないか。
ゆきぬ
自分にとって大事なことを、日常に落とし込んでいく。気づいたら自然にできてるレベルまで落とし込めたら、それはもう「努力」じゃなくて「呼吸」になる
ゆきぬ
ゆきぬ
言い換えれば、「自分が国民側だったらどう騙されるか?」の思考がない
これは、単なる無関心ではなく政治家としての致命的欠陥
情報操作や印象操作がどこまで通用し、どこから逆効果になるかの読みが甘い
「バレなきゃいい」「国民はどうせ気づかない」と思っている。これは知性というより政治ゲームに対する戦略思考力の欠如
「国民のため」と言いながら実際は派閥や利権の論理で動いている政治家も多い
それを本人が信じ込んでしまっている
これはもう自動操縦状態の認知麻痺
さらに深刻なのは「共感の機能不全」
国民が何に怒り、何に不安を感じるか、想像できていない
感情の射程が近すぎて、“国民”という概念が他人事にすり替わっている
こうした政治家が生き残るのは、派閥・世襲・小選挙区制といった構造が温存されてるから。つまり、これは制度が思考停止を生む仕組みそのもの
そして問題は、国民の怒りの矛先が“仕向けられている”ということ
「自民党にも良心はある」と見せるためのスケープゴートの存在。
本丸はそこじゃない
本当に国を操っているのは、顔が見えない財務省を中心とした官僚機構
選挙で裁けず、メディアにも出ない存在
政治家が無能でも問題ないように、
国家は“知的ゾンビ構造”で設計されている
だから今の日本は、
有権者が「考えなくなる」よう仕向けられている
政治に絶望し、政治から距離を取った瞬間に、
本当の支配が完成する
だから私は問い直したい
「もし自分が有権者なら、どこで騙されるか?」
この問いを持てない政治家に立法府の資格はない
ゆきぬ
安倍氏は過去2度にわたって、財務省が推進する増税路線を延期してきた。1度目は2014年11月、民主党時代に交わされた三党合意で予定されていた2015年10月の消費税10%への引き上げを、2017年4月へと1年半延期。2度目は2016年6月、さらにその引き上げを2019年10月に再延期し、実質的に「再々延期」も示唆する姿勢を見せていた。
だがちょうどこの局面で、突如として「森友学園問題」や「加計学園問題」など、スキャンダルが相次いで噴出する。政治主導を掲げ、財務省を含む官僚機構を制御しようとしてきた安倍政権が、ここを境に一気に腰砕けとなったように見えたのは、決して偶然ではない。むしろそれは、政と官、そしてメディアを含めた支配構造の内部摩擦が臨界に達した結果であった。
ことの核心には、昭恵夫人という「公人であり私的存在でもある」立場の曖昧さがあった。政治的にはノータッチであるはずの総理夫人が、スキャンダルの中心に据えられ、安倍氏自身が「家族」という最も人間的な領域を突かれることによって、彼の政治的リーダーシップそのものが深刻な打撃を受ける構造が巧妙に仕組まれていた。人間心理の最も弱い点に焦点を絞ったこの攻撃手法は、制度の歪みではなく、むしろ制度が許容する“機能”として内在していた。
さらに深刻だったのは、森友学園問題において財務省職員による公文書の改ざんが発覚し、それが「政権を守るため」とされた点である。だが、これは本当に政権を守るためだったのか?むしろ、「政権が財務省に借りを作る」構図を意図的に演出したのではないかという読み方すら成り立つ。官僚機構は時に、形式上の従属関係を逆手にとって、政治を支配するという“逆転の支配構造”を歴史的に何度も発動してきた。
こうして、安倍政権は財務省への政治的・道義的債務を背負わされ、最終的には消費税10%引き上げを容認するかたちで妥協を余儀なくされた。これは単なる個別の政治判断ではなく、政治主導という理念が、制度的慣性と倫理的圧力によって封じ込められた「構造的必然」であった。
日本の統治構造は、民主主義的手続きの外側にある「非選挙的権力」の重層的ネットワークによって支えられている。財務省を頂点とする官僚機構、司法、メディア、そしてその背後にある国際的な資本や同盟構造。それらは、時に見えない「構造的ストッパー」となって、政治的逸脱を自律的に修正する。
そして、安倍政権がたどった軌跡は、この構造の存在と作動を、最も生々しく体現した事例であったと言えるだろう。
ゆきぬ
ストッパーのいなくなった小泉政権は1985年来、腹を空かせて待ち構えていたハゲタカ外資に「マグロの解体ショー」よろしく流通、建設、不動産といった不良債権を抱えた企業を解体し、優良資産を片端からハゲタカの外資に二束三文の値段で引き渡していった。
銀行も例外ではなく2002年にりそな銀行が一時国有化され、足利銀行は破綻に追い込まれた。競争力のない企業は切り捨て、生き残った企業で日本経済を再生させるという日本政府の方針は、まさに弱肉強食そのもの。日本独自のルールで成長を続けてきた日本社会は徹底的に破壊され、アメリカ式のグローバル資本主義のルールが罷り通ることで「勝ち組と負け組」に分断される社会が誕生したのもこの頃だ。
ゆきぬ
歌詞という形式は一見、感情や思想を深く表現しているようでいて、実際には「作者の意図の枠内」にリスナーを閉じ込める側面も強い。
勿論、優れた詩や比喩には、その枠すら超える広がりを持つこともある。しかしそれでもなお、言語という形式は構造的に“方向づけ”を内包しており、解釈の自由には常に見えない境界線が伴う。
私は子供の頃からそこに「それ以上の解釈にはならない限定性」や不甲斐なさと抵抗感を感じてきた。
それはきっと、自分自身の根源的な本質として「言葉以前のもの」への志向が存在することに繋がるのだと思う
私の中には「抽象性への共鳴」と「限定性への抗い」が、同時に存在している。
だからこそ、思考すると同時に「余白の尊重」や「多義性への信頼」を何よりも重んじる。
こういった価値観を持つ者にとっては、まさにその空白の部分にこそ、自由や真理の可能性が宿っている。
