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ゆきぬ
この物語は後半に進むにつれて、加速度的に狂気を帯びていく
この狂気は決して異世界のものではなく、むしろ現実社会に潜む“正常に見える狂気”の鏡像
読み進めるほどに
物語の歪みが私たちの現実と重なり合い
津波のような迫力で迫ってくる
ラロロリン人やピョコルンは単なる空想の存在ではなく、「差別の象徴」
すなわち“社会が生み出す他者”そのもの
彼らが排除され、消費されていく様は、現代社会の構造的残酷さをそのままなぞっている
物語は誇張を交えながらも、描かれる痛みや暴力は、今の私たちが生きる世界線と地続きだと気づいた瞬間、全身に鳥肌が立つ
表層的には異形の存在や異世界的な要素で読者を引き込みながら、核心では“構造的差別”や“集団の狂気”を描いている物語だ

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らリル
バトルシーン(スカーレットと聖の戦う姿が迫力あってかっこいい)
人間関係の描写(2人と周りの人達の絆が深まっていくシーンが大好き)
渋谷ダンス(祝祭のうたの歌詞が自分に刺さり過ぎるのと、唯一2人が平和に過ごしているシーンだから大好き)
2人の別れ(初めて映画で泣いてしまった。音楽も神すぎて尚更やばかった)
最後にスカーレットが1人で聖を思い出してエンディングを歌い始めるシーン(余韻が過去最高すぎた。エンドロールが涙で見えなかった。こんなの初めて)
心境の変化について。
自分の価値観を本当に大きく変えてくれた素晴らしい傑作。全部ではないけどいままで良さがさっぱりわからなかった他の作品の魅力もわかるようになった。ネガティヴ発言も前より明らかに少なくなった。

平凡☕️


鮟鱇
threads.net/@g1zg1zg1/post/C3ZPevPv60X
122🌙1765829101

*まゆまゆ*
一昨日寝る前体調悪いって言ってたけど、昨日は会社のBBQ休めないから薬大量に飲んで出掛けたみたい💧
私は【逆流性食道炎】らしくて熱い物が通る時激痛が走る⤵
私たち、体調シンクロするからお互い健康に気を付けなきゃ[冷や汗]

ねぼすけ
もっと上手く描けるようになりてぇよぉ


小藤 志優愛
ウィキペディアによると、「西洋の古典音楽と大衆音楽以外の伝統的な音楽」「西洋と日本の古典音楽と大衆音楽以外の伝統的な音楽」「特定の民族・地域・国で行われている音楽全て」「自民族の伝統的な音楽およびそれに基づいて新たに創作された音楽」「エキゾチックな感じを与える音楽」であるとされる。
おそらく、特に「民族音楽」と指す場合の意味合いは、「特定の民族・地域・国で行われている音楽全て」「西洋と日本の古典音楽と大衆音楽以外の伝統的な音楽」が強いと思われる。
私も古今東西、様々な音楽を聴いてきたつもりだが、そも「民族音楽」なるモノはとても差別的であるし、「民族音楽」なるモノは存在しないとすら思う。
「ジャンル」と言う概念がある以上は、しかしそういった風に例えば「ロック」「ジャズ」「ボカロ」などなどと、それぞれに分けた方が楽だし、覚えやすく、見やすいモノだ。
しかし、例えば我々日本人から見た、東南アジアやアフリカの小国で大昔から代々伝えられてきた伝統的な音楽は、「民族音楽」というイメージが強いし、私も彼等の音楽をどうしても「民族音楽」とみなしてしまうのは、致し方ないことかもしれない。
けれども、ではアメリカのロックやジャズは民族音楽か? と言われれば、民族音楽だと思う。
「アメリカ」と言う国の民族が作り出したモノならば、当然それは民族音楽に当てはまる。
よく「音楽に国境はない」と言うが、音楽に国境などなければ「民族音楽」などといった言葉はないだろうし、廃れるべき言葉なんではないかと思う。

ごろう🍒

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双葉🌱

はな🐹

のびた
どこでもドアがあれば!
昔は良く聞いたものだが、最近耳にしないのは自分が大人になってしまったからだろうか。
コロナを経て、リモートでのコミュニケーションが一般的になった。
それ以前にもテレビ電話はあったが、
テレビ電話は合うための代替手段というよりは
「電話なのに顔も見えちゃう!」という印象だった。
ネットワーク上でのリモートが
会うための代替手段として広く認識されるようになったのは
最近なのではないだろうか。
声フェチである私にとって極、個人的にではあるが、
電話とテレビ電話は全くの別物だ。
夜中ベッドに転がって朝方まで何というわけでもない会話をしていた記憶
その時耳を通して伝わってきていたものは
テレビ電話では得られないものだった。
神経を耳に集中し、ただ一つの穴から
ただ一つの器官でそれを自分の中へ浸透させてゆく。
美味しいものを口にしたとき
つい、目を閉じて咀嚼してしまうそれに近しいものがある。
種々のSNSが跳梁跋扈し
人と人との交わりが複雑怪奇に入り乱れる中で
ネットワークを介した交流は隆盛を極めている。
しかし
そこにはやはり
「会いたい」と思う感情が存在する。
「会いたい」
ご存じの通り文字を紡ぐのが好きである。
実際に口に出して会話するよりも
おそらくはこちらの方が得意であるくらいに、
実際のコミュニケーションは不得意である。
声フェチである。
先に書いた通り、耳からの摂取を好む者である。
だが
それでも
人に「会いたい」と思うのは何故なのだろう。
文字で伝えるよりも
耳を溶かすよりも
人に相対したいと思うのは何故であろう。
会うための代替手段である
テレビ電話ではダメなのは何故であろう。
苦手であるのに。
もちろんそこには
「触れたい」という抗い難き感情があるのは確かだが
それ以上に現実感を、リアルさを求めているのではないか。
相手の存在証明は自分の存在証明足り得るのだ。
そこにいること、が重要だ。
近い未来、VRであたかもそこにいるかのうような会合も可能であろう。
ただ、やはり
どこでもドアには敵わないのだ。
子どもの頃よりも必要なのはむしろ大人になってならなのだ!
たすけてー!
ドラえもぉぉぉぉん!

ドラえもん

霧沙
まだどんな内容かも分からないけれど、11人誰も欠けて欲しくないです

パフェ

めしょ

舞まい

イル🕶
上司部下の関係が解除されるまで恋人になれなかったし、解除したらもう会えないタイプの降風が好きで考えている(書いていない
最後まで恋愛感情に至らなかったが、それ以上に永遠の特別な存在として胸にしまって歩く二人ロマンすぎ文字数

妖怪い

ななう
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