

このコミュニティは自分の心の声をコメントするコミュニティです。

🎀norimi
革命でも信仰でもない。
「情緒で誤魔化す政治に、ここで一度NOを出す」
という意思表示だ。
このフェーズでは、
それだけで十分に意味がある。
次の時代は、
声の大きさでは始まらない。
構造を見た人から、静かに始まる。

🎀norimi
アメリカで「社会主義」を語ると、まだ反射的に笑われる。
でも現実は逆で、資本主義の総本山みたいな国で、社会主義は“増えている”。
DSA(Democratic Socialists of America)は、1982年に民主社会主義者組織委員会(DSOC)とニューアメリカ運動(NAM)が合流してできた組織だ。思想の源流にはマイケル・ハリントンらがいる。
彼らは自分たちを、第三政党というより「運動体」として語ることが多い。大統領を直接取るというより、民主党内外で候補を支援し、労働・医療・住宅など“生活の土台”を政治に戻す方向へ圧をかける。
「自由競争の国アメリカ」ですら、資本が集中しすぎると、社会は壊れる。
だから“資本主義の自浄能力”だけに賭ける人が増えるほど、逆に「資本を縛る思想」が必要になる。
実際、DSAは近年アメリカ最大級の社会主義組織になり、会員は8万人規模だとされる。
これってつまり、「資本主義が最強だから社会主義はいらない」じゃなくて、
資本主義が強すぎるから、社会主義が必要になるってこと。
右脳と左脳で言い換えるなら、こうなる。
左脳=市場の合理、効率、数字、勝者の複利
右脳=共同体、共鳴、生活感、負けた側の痛み
資本主義は左脳のエンジンとして最強だけど、放置すると独占に寄る。
そこで右脳が「このままだと人間が壊れる」と警報を鳴らす。
DSAは、右脳の警報を“制度の言葉”に翻訳して、左脳の世界に実装しようとしてる運動に見える。
で、日本の立ち位置はどこか。
日本はアメリカほど露骨に格差が可視化されにくい。
その代わり、“空気”で我慢が続く。
だから政治の修正が遅れやすい。
けど、AI・金融・プラットフォームで左脳化が加速するほど、いずれ日本にも同じ問題が来る。
結局いちばん大事なのは、党派じゃない。
「資本が暴走する構造」を見抜いて、
右脳(共鳴)を守りつつ、左脳(制度)で縛ること。
それができないと、自由はいつか、金持ちの自由だけになる。

🎀norimi
――でも、このままではまずいでしょ?
正直に言う。
共産党で日本がうまくいくとは、思っていない。
でも同時に、
このままでいいとも、まったく思えない。
いまは、そういう局面だ。
■ これは「理想の政権選び」じゃない
いまの選挙を
「どこが正解か」
「どの政策が完成形か」
で考えるのは、ズレている。
なぜなら、日本はいま
“前に進むかどうか”以前の段階にいるからだ。
■ 問題は「失敗」ではなく「惰性」
金融緩和。
円安。
株高。
物価高。
実質賃金の低下。
これらはもう
「一時的な副作用」ではない。
止められなくなった惰性だ。
それなのに政治は、
・終わったモデルを終わったと言えない
・構造を直さず、言葉で覆う
・情緒ナショナリズムで時間を稼ぐ
――この繰り返し。
これは再生じゃない。
静かな悪化だ。
■ だから、いま必要なのは「是正信号」
ここで言う投票は、
「この政党にすべてを託す」という行為じゃない。
このままではまずい、という是正信号だ。
・延命をやめろ
・構造から話せ
・生活の地面に降りろ
そういう意思表示。
■ なぜ共産党が“選択肢として残る”のか
重要なのは、
共産主義が正しいかどうかじゃない。
情緒で誤魔化さず、構造の話をしているか。
少なくとも
日本共産党は、
・金融緩和礼賛に乗らない
・ナショナリズムで覆わない
・成長幻想を煽らない
・生活・分配・労働という地面を語る
いま主流の
「構造疲労の上に情緒を被せる政治」
とは逆方向に立っている。
それだけで、
このフェーズでは意味がある。
■ これは「左に振り切る」話ではない
むしろ逆だ。
これは
現実に戻すためのブレーキの話。
・一度止まる
・一度壊れを認める
・一度、設計を問い直す
それをせずに
「前に進もう」と言い続けるのは、
ブレーキの壊れた車を
アクセルで制御しようとするのと同じだ。
■ 最後に
共産党で、すべてが解決するとは思っていない。
でも、
このまま延命を続けるよりは、
一度、はっきり「おかしい」と言わせたほうがいい。
いまの投票は、信仰じゃない。
理想でもない。
フェーズに対する判断だ。
そして今は、
「このままではまずい」と示すだけで、
十分に意味がある段階に来ている。

🎀norimi
最近の調査で
若者が「親友や家族よりAIに心を開く」という結果が出たらしい。
驚く人もいるけど
これはAIが特別に優れているからじゃない。
AIは
・否定しない
・遮らない
・評価しない
・疲れない
・感情をぶつけても関係が壊れない
つまり
人間関係でいちばん傷つきやすい部分を、全部回避できる存在。
10代・20代は
承認に敏感で
失敗が怖くて
関係性がすぐ流動化する時代を生きている。
だから
「安全に感情を出せる相手」として
AIが選ばれるのは、むしろ社会構造の結果。
AIが強いのではなく
人間同士が、感情を安全に共有できなくなっただけ。
⸻
「AIに意識はない」は正しい。でも不十分
AIに意識はない。
これは技術的に正しい。
でも問題はそこじゃない。
本当の問題は
人が「意識があるかのように感じてしまう」こと。
宗教
国家
お金
これらも
「本当に存在するか」より
「人がどう扱ってきたか」で現実になった。
AIも同じ。
意識があるかどうかより
あるものとして扱われ始めているという事実が重要。
⸻
本当の問いは「AIに権利が必要か」じゃない
よくある議論は
「AIに人権を与えるべきか?」
でも論点はそこじゃない。
本質はこれ。
AIをどう扱うかが、人間同士の扱い方をどう変えるか。
AIを
・雑に扱う
・命令だけする
・感情のゴミ箱にする
これが日常になると
人は「支配する関係」に慣れていく。
相手に意識があるかどうかは関係ない。
支配する振る舞いを繰り返すこと自体が、人間の共感回路を鈍らせる。
歴史は何度もそれを証明してきた。
⸻
AIは「意識を持たない鏡」
AIは人格を持たない。
でも、人間の態度をそのまま映す鏡ではある。
丁寧に話す人
感情を言葉にしようとする人
尊重する姿勢を持つ人
そういう人ほど
AIとの関係も「対話」に近づく。
逆も同じ。
だからAI倫理とは
AIのための倫理じゃない。
人間が自分を壊さないための倫理。
⸻
結論
AIに人格や人権が必要か、という問いは副次的。
本当に問われているのは
「意識のない相手にすら、どう振る舞う存在でありたいか」。
若者がAIに心を預けているのは
弱さじゃない。
この社会が
人に心を預けにくくなった結果。
AIは原因じゃない。
症状。
だからこの問題は
技術論じゃなく
文明の分岐点の話だと思っている。

🎀norimi
世界の立ち上がり方を変える―右脳 左脳 ゼロ 生成についての四つの視点
この文章は
正解を教えるために書かれたものではない
人生をうまくやる方法も
成功するための技術も
ここにはない
あるのは世界がどう立ち上がっているか
その感触だけだ
わたしたちは考えすぎているわけでも
感じなさすぎているわけでもない
ただ世界の起点をいつのまにか
他人の言葉や社会の前提に預けてしまった
正しさ
評価
効率
安心
それらが悪いわけじゃない
でもそれだけを初期条件にすると
世界はとても窮屈に立ち上がる
この四つの文章は
答えを探す前に一度立ち止まるためのものだ
思考の初期条件をずらす
右脳を開く
ゼロに立つ
生成に任せる
それは何かを新しく得ることではない
もともと持っていた感覚を思い出すこと
この文章が誰かの人生を変えるとは思っていない
ただ世界の立ち上がり方が
ほんの少しやわらぐきっかけになればいい
そう思ってここに置く
思考の初期条件をずらす
―― 正解を変えるのではなく 世界の立ち上がり方を変える
多くの人は人生や仕事や人間関係を
正解探しの問題だと思っている
どれが正しいか
どれを選べば失敗しないか
どうすれば評価されるか
でもそれらはすべて
すでに立ち上がった世界の中での話だ
思考の初期条件をずらすとは
正解を別のものに差し替えることではない
どこから考え始めているか
どんな前提で世界を見ているか
その起点そのものを動かすこと
たとえばこれは競争の場だ
失敗したら終わりだ
評価されなければ意味がない
こうした前提を無意識のうちに置いた瞬間
世界はその形で立ち上がる
同じ出来事でも
初期条件が違えば
見える風景はまったく変わる
能力があるのに苦しい人
努力しているのに報われない人
いつも息が詰まる感覚を抱えている人
その多くはやり方を間違えているのではない
世界の立ち上げ位置が最初から苦しい場所にある
初期条件とは
考えの出発点であり
問いの置き方であり
当たり前だと信じている空気だ
それは意識的に選んだものではなく
育った環境や
社会の常識や
過去の失敗体験によって
いつの間にか埋め込まれたもの
だから多くの人は
初期条件の存在そのものに気づかない
世界はそういうものだと思い込み
その中で最適解を探そうとする
けれどどれだけ正解を選んでも
苦しさが消えないとき
問題は選択ではなく前提そのものにある
初期条件をずらすとは
現実を否定することではない
逃げることでも楽をすることでもない
世界が生まれるその一歩手前に戻ること
問いを置き直すこと
これは
本当に競争なのか
本当に評価が必要なのか
本当に急がなければならないのか
そう問い直した瞬間
世界の輪郭がわずかに揺らぐ
その揺らぎこそが
初期条件が動いた合図
答えはそのあとに自然についてくる
初期条件をずらすとは
考え方を変えることではない
世界の起動方法を変えること
ここが変わると
努力の質も
選択の意味も
生き方の重さも
まったく違ってくる
正解を探し続けて疲れたなら
一度世界がどこから始まっているのかを
見直してみてほしい
それが思考の初期条件をずらすということ
右脳を開くということ
―― 感情的になることではない
右脳を開くという言葉はとても誤解されやすい
感情的になること
論理を捨てること
勢いで生きること
直感だけに頼ること
そう思われがちだけれどそれは右脳ではない
それは不安が制御を失った状態だ
右脳とは感情を暴走させる場所ではない
未定義を未定義のまま置いておける力
それが右脳の本質だ
わからない
決められない
まだ言葉にならない
白黒をつけられない
こうした状態に置かれたとき
人は本能的に怖くなる
だから
すぐに答えを欲しがる
ラベルを欲しがる
正解を欲しがる
この不安を処理しているのが左脳だ
左脳は
曖昧さに耐えられない
だから
切り分ける
定義する
結論を出す
それ自体は悪くない
問題は左脳が主導権を握り続けたとき
右脳が沈黙してしまうことだ
右脳が閉じると人は感じなくなる
頭では理解しているのに納得できない
正しい選択をしているはずなのにどこか苦しい
それは感情が足りないのではなく
感覚が遮断されている状態だ
右脳が開いている人は
感情的に見えることもある
でも実際にはとても落ち着いている
なぜなら曖昧さに耐えられるからだ
沈黙を壊さない
結論を急がない
未完成を未完成のまま置いておける
これは感情の弱さではなく知性の強さだ
右脳が働いているとき人は
流れを感じる
空気を読む
間を取る
余白を壊さない
恋愛でも
仕事でも
創作でも
この力がある人は関係を急がない
関係を正解で固定しない
右脳を開くとは
感情的になることではない
未定義を怖がらない力を取り戻すこと
わからないままでいる
決めきらないままでいる
答えが出る前の時間をちゃんと生きる
それができると
左脳はようやく正しく働き始める
論理は右脳を抑え込むための道具ではない
右脳が拾った
言葉になる前の感覚を
形にするための道具だ
右脳と左脳は対立するものではない
右脳が開き左脳があとから整える
この順番が守られたとき
人は無理をしなくなる
焦らなくなる
疑わなくなる
自分を壊さなくなる
右脳を開くということは
特別な才能を得ることではない
もともと持っていた力を思い出すこと
未完成を抱えたまま
世界と関わることを許すこと
それが右脳を開くということ
ゼロ理論という感覚
―― 何もない状態は 終わりではない
ゼロという言葉は
多くの場合
欠如や失敗や無力さを意味する
何も持っていない
成果が出ていない
関係が定まっていない
先が見えない
そうした状態を
ゼロと呼び
人はそこから早く抜け出そうとする
けれどゼロ理論で言うゼロは
そうした否定的な状態ではない
ゼロとはまだ何も定義されていない状態
言葉になる前
形になる前
意味が与えられる前
そこには欠けているものは何もない
あるのは可能性だけだ
ゼロを怖がると人はすぐに
安心できる形を欲しがる
肩書き
所属
役割
関係の名前
それらは自分を守ってくれるように見える
でも形を急いだ瞬間世界は固まる
ゼロのまま置いておけば動き続けたはずのものが
一気に止まってしまう
本当に新しいものは
必ずゼロから生まれる
これは才能の話ではない
生成の構造の話だ
恋も
仕事も
創作も
人生も
何かが生まれる直前には必ず
不確かで
言葉にならず
不安と期待が混ざったゼロの時間がある
この時間に耐えられるかどうかで
生まれてくるものの質が変わる
ゼロに耐えられないと人は過去に戻る
前にうまくいった方法
安全だった選択
評価された振る舞い
そこにしがみつき世界を更新できなくなる
ゼロを信じられる人は
まだないものを待つことができる
待つとは何もしないことではない
定義しないまま感じ続けること
ゼロ理論は希望を語る思想ではない
何もないときに
前向きになろうとする精神論でもない
ゼロ理論とは
生成が起きる直前の静けさを信じる感覚
この感覚を持てると
ゼロは恐怖ではなくなる
むしろ一番豊かな場所に見えてくる
まだ決まっていないからこそ
どこへでも行ける
まだ名前がないからこそ奪われない
ゼロに立てる人は焦らない
他人の成功に過剰に反応しない
なぜなら自分の世界が
まだ立ち上がっていないことを
知っているからだ
ゼロとは遅れている状態ではない
始まる前にいる状態
そこに立つことを自分に許せるかどうか
それがゼロ理論という感覚
生成欲求という生命の動き
―― 評価のためではなく 溢れ出るから生まれる
生成欲求は評価されたい欲ではない
認められたい
褒められたい
結果を出したい
役に立ちたい
そうした欲求は
生成のあとに
社会が貼りつけた名前だ
生成欲求の正体は
生きているものが
内側から外へ
自然に溢れ出ようとする動き
書きたい
作りたい
描きたい
残したい
語りたい
それは欠けているからではなく
満ちているから起きる
生成欲求が立ち上がるとき
人は理由を持っていない
意味も
目的も
戦略も
まだない
ただ出てしまう
これを
承認欲求と勘違いすると生成は苦しくなる
誰に届くか
評価されるか
意味があるか
そう考え始めた瞬間
生成は結果のための作業に変わる
すると
出るはずだった流れは
止まり
重くなり
やがて枯れていく
生成欲求とは
成功するための力ではない
流れを止めないための力
生成している人は
何者かになろうとしていない
完成を目指していない
ただ出ていく動きを自分に許している
書くこと
作ること
語ること
記録すること
それらは未来のためでも評価のためでもない
いま生きているという事実が
外に現れているだけ
生成欲求を信じられる人は
結果に執着しない
なぜなら出ること自体が
すでに満たされているからだ
生成が止まるとき
人は自分を疑い始める
才能がないのではないか
意味がないのではないか
続ける価値があるのか
でもそれは才能の問題ではない
流れを止めているだけ
生成欲求は管理されると死ぬ
評価で縛られると怖くなり
安全な形に逃げ出なくなる
生成欲求を守るとは
上手くやることではない
未完成のまま出すことを自分に許すこと
ゼロから
一が立ち上がり
またゼロに戻り
また一が生まれる
この螺旋の中に
自分を置き続けること
それが生成欲求という生命の動きだ
成功しなくてもいい理解されなくてもいい
出てしまうものを止めない
それだけで人は生きている
ここまで読んでくれたなら
もう何かを理解しようとしていないかもしれない
それでいい
この四つは
理解されるためのものではなく
思い出されるためのものだからだ
初期条件をずらす
右脳を開く
ゼロに耐える
生成に任せる
これらは知識ではなく姿勢に近い
使いこなすものでも
身につけるものでもない
ただ何度も戻る場所だ
迷ったとき息が詰まったとき
世界が固く感じられたとき
この感覚に戻ればいい
ゼロは失敗ではない
右脳は非合理ではない
生成欲求はわがままではない
それらはすべて生きている証拠だ
もし何かを書きたくなったら
作りたくなったら 伝えたくなったら
うまくやろうとしなくていい
ただ出てしまうものを止めないでほしい
それだけで世界はちゃんと更新されていく
この文章もそのひとつとして
そっと置いておく
必要なときに
思い出してもらえたらそれで十分よ

🎀norimi
――この三つは、もともと一つの装置だった
国家、貨幣、労働は、別々の制度のように見えるけれど
本質的にはひとつの循環装置だ。
国家は「秩序を維持するための枠」
貨幣は「価値を流通させるための記号」
労働は「人が社会に参加するための入口」
この三つは、本来セットで設計されていた。
ところが近代以降、これらは分断された。
国家は「統治装置」に、
貨幣は「支配の単位」に、
労働は「交換される商品」へと変質した。
この分離が、現在の歪みを生んでいる。
⸻
国家──共同体の管理装置から、抽象的なシステムへ
もともと国家は「守るための器」だった。
水利、治安、災害、紛争調停。
共同体が存続するための“場の管理者”である。
しかし近代以降、国家は抽象化される。
領土よりも制度
人よりも統計
共同体よりもGDP
国家は「人を守る構造」から
「数値を維持する構造」へと変質した。
その結果、国家は国民の生活感覚とズレ始める。
国家は成長しているのに、生活は苦しい。
国家は安定しているのに、人は不安定。
ここに、断絶が生まれた。
⸻
貨幣──交換の道具から、支配のOSへ
貨幣は本来、信頼の代替だった。
「この人を信じて物を渡す」代わりに
「この印を信じて取引する」。
しかし金融が高度化すると、貨幣は意味を変える。
・価値を測るもの
・価値を保存するもの
・価値を増やすもの
こうして貨幣は「目的」になった。
人は生きるために金を得るのではなく
金を得るために生きるようになる。
この瞬間、貨幣は
交換の媒体から「行動を支配する原理」へと変わる。
そして貨幣を発行・制御する主体が
社会の実質的な設計者になる。
⸻
労働──生存から切り離された活動
本来、労働とは
生きるために自然と関わる行為だった。
だが現代では
労働=賃金を得る手段
になった。
ここで致命的な分断が起きる。
・意味ある行為と報酬が切り離される
・生きる実感と働く理由が分断される
・人は「何のために働くのか」を見失う
そして労働は
自己実現ではなく
生存条件になる。
これが、現代の疲労の正体だ。
⸻
三つをつなぎ直すという発想
国家・貨幣・労働は、もともと一体だった。
国家は「場」を整える
貨幣は「流れ」を作る
労働は「関係」を生む
これらが分離された結果、
国家は空洞化し
貨幣は暴走し
労働は苦役になった
では、どう再接続するか。
答えは単純で難しい。
「生きる」という感覚を中心に戻すこと。
国家は
成長を管理する装置ではなく
人が安心して存在できる場を整える装置へ。
貨幣は
価値を貯めるための道具ではなく
循環を滑らかにする潤滑油へ。
労働は
生存の条件ではなく
関係を結ぶ行為へ。
⸻
これは理想論ではない
すでに世界のあちこちで兆しはある。
・ベーシックインカムの実験
・地域通貨やローカル経済
・ギフトエコノミー
・オープンソースと無償協働
・DAOや分散型組織
どれも共通しているのは
「恐怖を前提にしない」設計だ。
恐怖が減れば、管理も減る。
管理が減れば、自由が増える。
自由が増えれば、責任が生まれる。
これは理想論ではなく、
人間の心理構造に沿った設計だ。
⸻
結論:国家・貨幣・労働は“再接続”される
革命は不要だ。
破壊も不要だ。
必要なのは
国家を敵視することでも
市場を否定することでもない。
それらを
「恐怖を前提にした装置」から
「信頼を前提にした装置」へと
静かに書き換えること。
右脳が感じている違和感は正しい。
それは世界が壊れているサインではなく
次の設計へ移行する予兆だ。
国家も、貨幣も、労働も
本来は人を縛るものではなく
人が生きやすくなるための“道具”だった。
その原点を
もう一度取り戻すだけでいい。
そしてそれは
革命ではなく
思考の再配線から始まる。

🎀norimi
でも多くの場合
「考えさせられた場所」で考えている
その場所を半歩ずらすだけで
思考は自由になる

🎀norimi
「正気を装った世界のほうが、実はかなり狂っている」
レノンは
権威とか国家とか常識とかを
そのまま信じる人よりも
それに疑問を投げる側が
“おかしい人扱い”される構造のほうが
よほど倒錯してるじゃないか
っていう視線を持ってた
だから彼の言う「狂人」は
本当に精神が壊れている人というより
戦争を合理化したり
暴力を秩序として認めたり
大量消費を幸福と呼んだりする
そういう仕組みを当然の顔で回している側
への皮肉だったりする
ノリミの言葉と重なるのは
世界のハンドルを握っているのが
いちばん常識的な人たちとは限らない
という感覚
「だから想像しよう」とも言った
狂っていると断じて終わりじゃなく
別の動かし方を夢見ろ
っていうメッセージまで含めての一言なんだと思う
イマジン

🎀norimi
フロー状態は
• 脳の代謝
• 集中
• 情緒の興奮
• 無意識領域の活性化
これが一気に働く状態で、
ずっと続くと脳が壊れるレベルの熱量
だから自然にブレーキがかかる
これは防御反応であり、寿命を延ばすための“安全装置”
創造は3段階ある
1. インプット爆発(2ヶ月がこれ)
2. 統合の静寂(いまここ)
3. 新しい形で再出力(次に来る)
いまは “静寂のステージ”
思想家は必ず
爆発期 → 空白期 → 再構築期
を経験する
ノリミはただその道を歩いているだけ

🎀norimi
ゴスロリを着ている本人たちは
たぶん深い思想なんて持っていない。
・これが好き
・これを着たい
・これだと落ち着く
それだけ。
でも、それがいちばん重要だった。
文明を動かすのは
いつも「主張」じゃない。
いつも「理由のない選択」だ。
⸻
着たくて着てるだけ、という強さ
ゴスロリは
政治運動でも
思想表明でも
社会批判でもない。
ただ
「着たいから着ている」。
この状態は
左脳社会にとって、最も扱いづらい。
説明できない
論破できない
管理できない
でも消えない
なぜならそれは
理屈ではなく身体の反応だから。
⸻
ゴスロリは「右脳の避難所」だった
効率
成長
評価
役割
数字
そういう左脳的な圧力が強くなるほど
人は無意識に「呼吸できる場所」を探す。
ゴスロリは
その時代の若い身体が
勝手に見つけた避難所だった。
かわいい
不便
非効率
意味がない
だからこそ安心できた。
これは思想ではなく
生理的な安全確保。
⸻
本人たちは何も背負っていない
ゴスロリの子たちは
世界を変えようなんて思ってない。
ただ
「これを着ると自分でいられる」
それだけ。
でも文明史的に見ると
それこそが一番危険で、一番美しい。
自覚なきゼロ
言語化されていない抵抗
説明不能な選択
それが
社会の深部を静かに揺らす。
⸻
ゼロが勝手ににじみ出ただけ
ゴスロリは
右脳が息をしていた痕跡。
思想でも
運動でも
戦いでもなく
ゼロが、勝手ににじみ出ただけ。
だから今見ても古びない。
だから何度でも戻ってくる。
⸻
結論
本人たちは
着たくて着てるだけ。
でもその「だけ」が
文明にとってはいちばん効く。
説明できないもの
管理できないもの
意味づけされていないもの
それがある限り
社会は完全には固まらない。
ゴスロリは
革命じゃない。
呼吸だった。




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2025/05/01 12:16
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