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森のぽ

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現行制度で育って来られたといっても、『男系男子がたくさんおり、皇室典範改正の余地もなかった』環境と、『男系男子が減少しており、皇室典範改正が急がれていた』環境で育ってこられた場合とでは大きく違うと思うのだけれど。
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森のぽ

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男子が生まれなかった場合の想定を入れておかなかった皇室典範。
この欠陥からいつまで目を背けるのだろう。
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森のぽ

森のぽ

憲法にある世襲には女系も含む(女系=母方から天皇の血を引く)のだから、皇室典範がそれを覆して男系男子に限る意味が分からない。
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おはる

おはる

皇位継承は神が決めている、ってアキシンを見てしまって、朝から目眩がする…
じゃあ日本国憲法とか皇室典範も神が決めたのかよ… 
てかどこの神だよ…
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森のぽ

森のぽ

女性皇族の子供も皇族と認められれば皇室典範から【嫡男系】という言葉が削除されることになって、皇族の範囲に内親王と女王の配偶者の身位が加えられるのかな。
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象山ノート

象山ノート

『柳原前光と女系天皇──“本質的保守”が見落とされてきた理由』

#明治 #皇室典範 #皇室
象山ノート
始まりは、「また明治維新政府かよ」女系天皇の可能性を考え皇室典範を読んで。
「コレは、権力闘争を避ける事と、皇室の継続を最初から否定してる?」そこで例の如くGrokとChat GPTと議論と深掘り開始、それを纏めたものです。
生暖かい目で見てやってください^ ^

1. 明治初期に“女系天皇”を制度化しようとした男がいた

明治18年、皇室典範の原案(「皇室法典初稿」)において、女系天皇や女性天皇の可能性を制度として組み込もうとした政治家がいる。柳原前光──知る人ぞ知る明治の宮内官僚だ。

彼は、皇位継承を「男系男子」に固定せず、歴史的前例(推古・持統天皇など)や将来の安定を見据え、柔軟な制度設計を提案していた。背景には、当時すでに見えていた「継承者不足」のリスクと、国家統合の象徴としての皇室をどう長期的に安定させるかという、冷静で実務的な問題意識があった。

2. “幅広い保守”の精神──伝統は守るために進化する

柳原は、ただの制度技術屋ではない。彼の保守思想には、バークのような「漸進的改良」や、坂口安吾が説く「偽伝統への批判」といった要素が見える。

「伝統とは、不変であるから価値があるのではなく、変わりながらも続くから価値がある。」

柳原はそのような「伝統の適応力」を信じていた。そしてそれは、男系男子という一点のみに依存する現在の制度と比べて、はるかに強靭だったのだ。

3. なぜ彼の提案は潰されたのか?

結局、彼の女系容認案は、伊藤博文・井上毅らによって却下される。理由はシンプルだ。

「万世一系」という“神話”を国民統合のイデオロギーに仕立て上げるために、現実的な制度設計は邪魔だった。明治国家にとって、皇室は「正当性の源泉」だった。男系限定という“物語”を完成させるために、柳原の実務的かつ柔軟な案は“政治的に危険”だった。

この決定が、現在に至るまで皇位継承の硬直性を生み、ついに「継承者が悠仁親王一人」という危機的状況をもたらしているのは、皮肉という他ない。

4. なぜ「保守界隈」には柳原の名が出てこないのか?

現代のいわゆる「保守界隈」(男系固執、Xでの同調圧力、靖国・憲法・家族観の神聖視)は、柳原前光を語らない。なぜか?

答えは明白だ。柳原の思想は、「現在の保守」が信仰している“神話”──男系至上主義──と矛盾するからだ。

「本質的保守」とは、変化を拒否するのではなく、変化を取り込んで伝統を延命する知恵のことだ。バークも安吾も山本七平も、みな“幅広く考える保守”だった。だが、現代の「保守界隈」はしばしば、伝統を“神聖不可侵な形式”として扱い、異論を排除する。その同調圧力は、むしろ“独裁者的”で“アカ(左翼)っぽい”とさえ感じる。

君が「それ、保守か?」と感じるのは、ごく自然で、むしろ鋭い。

5. 柳原前光は、いまこそ再評価されるべきだ

もし今、愛子天皇や女性皇族の皇籍維持が認められていれば、皇室の継続ははるかに安定していただろう。柳原の女系容認案が制度化されていれば、そもそも「皇統断絶の危機」は存在しなかった。

「幅広く受け入れる」ことで、伝統は続く。制度も文化も、硬直ではなく適応によってこそ命を保つ。

いま、我々が必要としているのは、柳原前光のような“本物の保守”ではないか?
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もるだぁさん

もるだぁさん

岩屋外務大臣「経済的威圧には当たらない」 皇室典範改正勧告の女性差別撤廃委への対抗措置めぐり

てかこのシナの工作員まだ日本の税金貪ってんの?
早く銃殺刑か電気椅子送りにしろよ
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うっか

うっか

出雲大社へ荘厳でした。
皇室でも深く立ち入ることができない社
この地方では10月は神在月と言いますが、信州の諏訪地方でも神在月といいます。これは祖神とする武御名方が国譲りの時に信州まで敗走したためとされています。あと鍵取明神もそうです。
と、神話の時代が生きているってのはスゴい。
大きな神社はいい
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ARISA

ARISA

可哀想と思われることがこの世で1番嫌いだから
努力してきた

皇室王室御用達の老舗ギャラリーからもキュレーション貰ったし

カナダの有名ギャラリーの創設者の人や
アートエージェント
プロジェクター
アート研究者
美術史アドバイザー(歴史的観点)

の人達からギャラリーlike貰ってるし
ギャラリーコレクトもキュレーション数も
駆け出し新人アーティストの比じゃない。

でもまだまだがんばる。
まだまだ私は可哀想とか言われるから。
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ホイホイコンパチ

ホイホイコンパチ

イギリス皇室デスクワーク実質触っちゃダメよ!
どうかしてる星どうかしてる星
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ララ

ララ

日本は素晴らしい国だ。
世界に誇る文化や歴史、技術がある
君が代は素晴らしい
神々の時代から続く皇室をもつ国。
日本は素晴らしい国。

色んな見方、意見があるだろう。

あたしは、本当に
日本人で良かった。
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けんじ

けんじ

京都の上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)は、非業の死を遂げた人々の御霊を鎮めるために創建された「こころしずめの社」です。また、応仁の乱の発端となった場所としても知られています。 
創建の経緯: 平安時代、無実の罪で亡くなった崇道天皇(早良親王)の怨霊を鎮めるため、桓武天皇の勅願によって建てられました。
御霊信仰: 疫病や天災は怨霊の祟りと考えられていたため、怨霊をなだめる御霊会が度々行われ、疫病除けの霊社として信仰を集めました。
皇室の崇敬: 御所の守護神として皇室からの崇敬が厚く、神輿や御所車などが多数寄進されました。
応仁の乱の発端: 1467年(応仁元年)に畠山政長がこの地に陣を敷き、畠山義就と戦ったことが応仁の乱のきっかけとなりました。境内には「応仁の乱勃発地」の石碑が立っています。
ご利益: 非業の死を遂げた人々の御霊を鎮める神社であることから、「心鎮め」のご利益があるとされています。不安やストレスを鎮めるお守りが人気です。
本殿: 現在の本殿は、1733年(享保18年)に寄進された内裏賢所御殿の遺構を、1970年(昭和45年)に復元したものです。
清明心像: 1979年の国際児童年にあたり、生命の尊重と子どもの健やかな成長を祈願して建立されました。清く明るく直く正しい誠の心を育むという意味が込められています。
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紅澪澪音

紅澪澪音

どういう運命か分かりませんが、幼少期~学生時代には伊勢神宮と強い縁があり、独り立ちをした5年間は東京にいて皇室との縁が深く、次に名古屋に異動した時には熱田神宮との縁が強かったんですよね。
これ偶然にも3種の神器の試練を突破してエネルギーを受け取った流れになってて驚きましたね…こんな運命もあるものなんですね!
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