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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-16[LAST]

#読書の星 #音楽本 #新書


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷

牧村憲一のプロデューサー論

竹内まりやを手掛けたその後の牧村の軌跡は加藤和彦のヨーロッパ三部作の話、いけないルージュマジック誕生秘話、そしてYMO。未だに語り草になっている伊武雅刀の♬子供たちを責めないで 80年代晩期にプロデュースしたフリッパーズ・ギターのレコードプロデューサーとして話題作を連発してゆくのだが、結局それらの項目に触れて行くとこの本の紹介、という領域を超えてしまうのでここらで打ち止めとしたい。最初期のシティポップの名門レーベルとして名高いキングレコード傘下のベルウッドレコードを立ち上げた三浦光紀はプロデューサーとは「アーティストにとって最高の環境を揃えて上げる仕事」といったが、牧村は「アーティストに常に問いかけること」と更に踏み込んで役割を担えるか?がプロデューサーとしての明暗を分ける。つまり、…いいねいいね、とおだててるだけではダメであり、時にアーティストと膝付き合わせてディスカッションも辞さない覚悟が必要だと牧村は説く。1970年代に牧村は重要なキーパーソンたちから或る重要な提言を受けたと云う。1人は大滝詠一のスポンサーとして有名な朝妻一郎、もう1人は加藤和彦、この2人から『牧村くんはすごくいい音楽を作るけど、売れないよね』更に加藤は『プロデューサーは1位をとること』とまで言い放ったのだった。悔しさはあったが2人のこの言葉が無ければ牧村は意識的にヒット曲を作ることは無かったかも知れないと告白する。同時に、その反対もまた違うと結論づける。
売れることばかり追求し、安易な作りに安んじることは牧村には受け入れられないと豪語する。
結果的にヒット曲を作ることと、高いクリエイティブな音楽を作ること、この二つの要素が揃った音楽が今日シティポップの古典として時代というふるいに掛けられて残った音楽なのではないだろうか。それが私がこの本を読んで思った率直な感想である。

=敬称略=




**写真は朝妻一郎と加藤和彦
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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-15

#読書の星 #音楽本 #新書


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷

竹内まりやのファーストアルバム『BEGINNIXG』のクレジットには竹内のあげたミュージシャン達の名前がズラリと並んだ。牧村の中では勿論、このアルバム1つで世の中を変えられるとは思って無かったものの、その先見性たるややはり確かだったのである。彼女は後に「昭和・平成・令和3時代で1位を獲得した初の女性アーティスト」となると同時に、「女性最年長1位獲得アーティスト」(64歳6か月)と云う偉業を達成する事になる。つまり、牧村の初心は完徹することになったのだ。彼女は正に時代を動かす吉田拓郎のような、いや、或いは吉田以上の存在になったと云うべきであろう。牧村は竹内まりやのオリコンチャートが右肩上がりに売れてゆく様(初期の頃)を観て、自分の願いは通じるかも知れないと竹内の爆発的ブレイクを予見したと云う。
また、若い時から苦楽を共にしてきたミュージシャン加藤和彦に竹内まりやのデビューシングルや初期作品を依頼して、加藤の云う「ヒット曲を書きたい」と云う願望が叶うことになる。加藤もアングラからフォークを経てギンギンのロックバンドをイギリスで成功させたのだが、クリエイターとしての揺るぎない自歩を築いたのは竹内まりやの作品を書いてからであった。又、竹内の2枚目のアルバム所収の楽曲(♬ブルーホライズン)を山下達郎に依頼して、その歌入れが済み山下もその時に立ち会っていた時の話だが、牧村プロデューサー以下スタッフ達は竹内の唄にかなりな好感触を掴んでいたのだが山下は「違う‼️」と言い実際に自分で唄ってみせてくれたのだが、牧村はシャッフルリズムの奥義を山下から学んだ様だった、とこの本の中で独白している。恐るべき山下達郎。その後竹内に再度唄って貰ったものは見違える出来になったのは言うまでもない。

つづく……。
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ブルー・ホライズン

竹内まりや

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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-13

#読書の星 #音楽本 #新書


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷
次なる問題は竹内まりや本人への説得であった。牧村は自分の事務所アワ・ハウス近くの青山三丁目の喫茶店で竹内に、アルバムを作らないか?と提案した。その時たまたま外に大貫妙子が通り掛かるというドラマの様な展開になり、牧村は援護射撃して貰おうと店内に促した。大貫妙子の第一声は「何してるんですか?」だったという。訳を話すと大貫は笑いながら「辞めた方がいい、デビューは。レコード作っても、いい事なんかないんだから」……ガーン😵であった。
よりにもよって反対するとは…しかし彼女の嘘偽りない心境を思うと、牧村は二の句を継げなかったという。しかし牧村は同書でのこの箇所で大事な独白をする。竹内まりやの場合、単にいい声だから…というだけではなく、やがて彼女の存在はこの疲弊した邦楽界を活性化してくれるだろうと。つまりフォーク界に於ける吉田拓郎のような大きい存在になるという第六感が牧村には感じられたのである。吉田拓郎ようなというのは、吉田拓郎の人気によりそれが結果的に彼の周辺にいるミュージシャンたちにも恩恵をもたらしたことを意味していた。拓郎は自分がいいと思ったミュージシャンの曲を積極的にカバーしたりすることで、その存在を世間へと知らせる役割を様々な形で果たした。それと同じようなことを竹内に期待したのだった。大貫妙子がシビアな現実を伝えてくれたことで、竹内には逆に刺さったという一面もあったのかも?と牧村は振り返るが、結局その日は結論を出さず別れたのだが、次に会ったときに竹内は「この人たちにデビュー曲を書いて貰えたら、やってみようかと思う」と条件を出してきたのだった。そのリストアップされた布陣をみた牧村は表向きには深刻な顔をしながら、心中では快哉を上げていた。
加藤和彦、山下達郎、センチメンタル・シティ・ロマンス、細野晴臣、そして杉真理。
竹内はこれだけのラインナップは揃えられないだろうと、だから断るキッカケになるという思いで書いてきたのではないか?と牧村は書いている。


つづく…。
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イメージの詩

吉田拓郎

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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-14

#読書の星 #音楽本 #新書


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷
ところが、出されたリストに載っていたのは牧村の周辺ミュージシャンばかりであった。このリストの中に山下達郎の名があったのは、まりやがシュガーベイブのファンだったからでこの頃は無論、何の関係性もない。そしていよいよファーストアルバム『BEGINNIXG』が誕生した。1978年のことであった。この頃の牧村周辺の年表がこの本の巻末に載せられていてとても有難い。前年の1977年には大滝詠一は念願だった自分が携わってきたCM音楽を集めた意欲作『ナイアガラCMスペシャル』をリリースした。山下達郎は2枚目のアルバム『SPACY』をリリースするが売れ行きは捗々しく無かった。大貫妙子も2枚目『サンシャワー』をリリース。山下同様余り話題にも上らずに終わった。大貫が青山の喫茶店で薄笑み浮かべながらまりやに語ったのは丁度この頃のことで、どんなに素晴らしい演奏でアルバムとしての完成度が高くてもちっともレコードが売れないと云う自分が置かれている状況を憂いてみせたのであった。又同様に山下もこの世界に導いてくれた恩人大滝詠一にレコードが売れないのは一時の流行しか追わない聴く側の問題だ、送り手だってちっともプロモしてくれない無い‼️と慟哭していたと云う。
 78年になるといよいよYMOが結成される。加藤和彦はこの年アルバム『ガーデニア』をリリース。加藤はこの後牧村が本格的にプロデュースを手掛けることになる。細野晴臣はYMOと平行して自分のソロアルバム『はらいそ』をリリースする。後にYMOのファーストに所収された名曲♫コズミックサーフィン の最初のヴァージョンが収められているが、横尾忠則が手掛けたジャケが高い芸術性を表して話題となった。大貫は売れない現状を嘆きつつアルバムは意欲的にリリースしていて、YMOの坂本龍一がオールアレンジメントを施して名曲がズラリと並ぶ傑作アルバム『ミニヨン』が、坂本龍一も自己のファーストアルバム『千のナイフ』を出したところでYMO待望のファースト『イエロー・マジック・オーケストラ』が出された。

つづく…。
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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-8

#読書の星 #音楽本


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷

実際、売れるかどうかも判らないのに海外レコーディングを行い、海外のプロデューサーやアーティストと組むという条件を呑んでくれるレコード会社を探すのは現実的に困難だったが、そんな時に現れた2人の救世主が昨日紹介したお二方だった。レコードはA面をニューヨークで録音したものを、B面はロスで録音しようという運びになり、ニューヨークサイドのプロデューサーはフォーシーズンズのアレンジャーとして名高いチャーリーカレロに依頼したいと言う山下の要望を受けRVCの辣腕交渉人小杉理宇造が見事に期待に応えた。
カレロはニールダイヤモンドの♫スイートキャロライン やグレン・キャンベルの♫サザンナイト
など名曲のアレンジャーとして名を馳せたベテランプロデューサーでもあった。小杉がどうやってカレロを口説いたのかは不明だ。山下の書いたスコアを見てその才能を素早く見出したのか、はたまた有り余るほどのジャパンマネーで納得させたのか。ただこれだけははっきり言えるのは、ニューヨークでの録音後にギャランティーを牧村がカレロに支払う際に、カレロ本人から言われた言葉、「お前のマネーが俺に良いアレンジをさせた」。。牧村は…これがアメリカの音楽ビジネスか、と痛くカルチャーショックを受けたという。
ロスでの録音ではケニーアルトマンのbが加わってからはジェリーイェスターに山下本人もセッションに入り一同ノリノリで録音を終えられた。2度目のセッションでは計12時間に及ぶ白熱のレコーディングとなり、無事にレコード両面分の録れ高は埋まったという。
この山下のレコーディングを書きながら牧村はこの時代に大滝詠一や山下達郎らと出会い、彼らが愛したビーチ・ボーイズの音楽やその周辺のアーティストやプロデューサー、ミュージシャンといった人々の本場の音楽に触れて、音楽的スキルを高められたことが、後の自分の仕事にどれほどの恩恵をもたらしてくれたことか感謝しかないと書き、こうその項を締めくくっている。
『結局はいい音楽を作ることにしか未来はないと信じ合えた」と。

つづく…。
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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-5

#読書の星 #音楽本


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷
牧村がシュガーベイブの音楽制作・広報担当
マネージャーをやる前の経緯も興味深く読んだが、それまで勤めていたCM制作会社ONアソシエイツを辞めて、丁度その頃泉谷しげるが新しい音楽出版社を立ち上げるタイミングと符号したこともあったが、牧村をやる気にさせたのは、泉谷の「儲けたお金は自分で遣うより、若い連中に遣って貰いたい」という崇高な志に打たれたからである。こんな話はこうした本で関係者が語らないと永遠に埋没してしまうだろう、泉谷本人は決して語りたがらない人だから。その名もパパソングス。
だが、実態は赤字続きですぐに継続不能に陥る。そこで牧村は新たにアワハウスとい音楽事務を設立した。通常、音楽事務所と言えばアーティストのマネージメントに終始するのが通例だが牧村はONで、CM制作に携わり大滝詠一の仕事を間近に見てその愉しさに魅了されたので、拘ってやってみたくなったのだ。
そしてアワ・ハウスとしての最初の仕事はシュガーベイブの2ndアルバムの制作であった。
シュガーベイブの1st.アルバムリリース後ナイアガラが契約していたエレックレコードが倒産するという不測の事態に陥り、シュガーベイブの2ndアルバムの話は宙に浮いてしまった。その時のナイアガラのスタッフへの山下の不信感があったという。契約やレコード制作の条件が明快でなく、エレック倒産の際の対応もないままだったという。そこで牧村がマネージャーとして山下と共に大滝の下を訪れ、ナイアガラから抜けさせて欲しいと要望をだし大滝も応じた、という。こんな話も初めて公表されたのではないだろうか?内部の人間しか分からない事情がこの本によって陽の目を見たのである。山下本人もこうした話は好んで語りたがらない。牧村の当時の立ち位置からしたらやはり表沙汰にするべき事柄だと思ったのだろう。誤解があってはならないが、これは大滝本人の問題ではない。大滝の事務所を運営していた当時のスタッフの問題である。大滝と山下との人間関係は大滝が亡くなるまで終生保たれたと信じたい。

つづく…。
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怜也(レイヤ)

怜也(レイヤ)

本屋さんでつい立ち止まるコーナーって??本屋さんでつい立ち止まるコーナーって??
新しく出版された本?新書かな
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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-7

#読書の星 #音楽本


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷

牧村憲一はシュガーベイブが突然の解散により暫くは途方に暮れたという。無理からぬことだ。
だが、すぐに頭を切り替えて解散コンサートの時に山下達郎と大貫妙子らにソロアルバムを提案した。山下にはナイアガラでは出来なかったインパクトを出す為に、思い切ってアメリカ録音を進めた。すると山下はほどなく、一緒にやりたいプロデューサーやミュージシャン達の候補を挙げてきた。
一方、大貫妙子はシュガーベイブあっての自分だという思いが強く、ソロでやるという想定すら無かったようであった。
牧村の山下達郎のファーストソロアルバムに関しての思いは並々ならぬ思いが籠っており、正に真剣勝負だったという。それは山下達郎という豊かな才能をもっと前面に押し出して、メロディーメイカーとしての資質を証明したいと言う決意、とでも言おうか。そしてそこにはもう一つの意図があり、それは洋楽ファン層へのアプローチであった。というのも、1976年当時、日本のサブカル界隈を取り巻く環境とそれを支えるファン層は、今以上に洋楽志向が強かったのだという。山下の紡ぐ楽曲には何処か日本人離れしたものが漂っており、それこそ洋楽志向のファン達に刺さる楽曲であると、これはもう牧村の触覚というか嗅覚の鋭さと本物を見抜く力であろう。
そんな折に山下の海外レコーディングに手を差し伸べる頼もしい人達が現れた。フジパシフィック音楽出版の朝妻一郎とRVCビクターの小杉理宇造だった。朝妻は早くから自分の好きなアーティストにスポンサーとして目を掛けて育てる明白楽で、大滝詠一なども彼がバックボーンとしてずっと下支えしていた。小杉はそれこそ、山下達郎のビジネスパーソンとして正に二人三脚でずっと歩を一に歩んできたのだが、このファーストアルバムでの奮闘振りは目を見張るものがあり、山下と意気投合してこの時より現在に至るまで山下の音楽環境を取り巻くあらゆる困難から山下を守り山下を援護してきた重要なパートナーの一人となる。そんな心強い人達の協力を得て牧村は山下と共にニューヨークに乗り込む。

つづく……。
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