
マサヤス 龍之介

マサヤス 龍之介
1898年5月28日 - 1992年12月11日

Until the Real Thing Comes Along

マサヤス 龍之介
1905年8月20日 - 1964年1月15日

Love Me

マサヤス 龍之介
【この惑星で楽しみたいこと】
当垢で、この星を立ち上げようとしたら事務局から却下されました。本垢ミチフミの本領発揮です。
【最近のマイブーム】
買物ブギーのオリジナル盤‼️
今では復刻盤で見事にカットされている放送禁止用語もはっきり聴き取れます[笑う]

買物ブギー

マサヤス 龍之介
1902年6月19日 - 1977年11月5日

Harbor Lights

マサヤス 龍之介
音声ルーム🎙告知⋆͛📢⋆͛📢⋆͛📢
岸辺🏝の音楽ルーム♩( ´ー`* )♩
厳冬の折、グラ民の皆様に於かれましては、いかがお過ごしでひょーか。
ミジンコも縮み上がる寒さも今日この頃、特に降雪地域にお住まいの方々には頭が下がる思いひとしおであります🙆♀️
最近、ペースダウン気味の岸辺🏝の音楽ルームですが、主は元気です。
今後の音楽ルーム岸辺🏝の予告編です。
歌謡・流行歌の岸辺🏝
敢えて昭和歌謡、としなかったのには理由があります。昭和歌謡…と言っても実に広域に及びます。昭和とは1926年12月25日に始まり1989年1月7日までの実に63年14日までが昭和なのです。
今、昭和歌謡と言えば大抵、古く見積っても1960年代以降のものが多く語られます。音楽ルーム岸辺🏝でもその辺が掛かる割合が多いですが、今回は明治期に生まれた流行歌から昭和最終年の昭和64年=平成元年=1989年までを完全網羅、ルームも元号別ではなく西暦別に分けたいと存じます。
一、1920年代以前
二、1930年代
三、1940年代
四、1950年代
五、1960年代
六、1970年代
七、1980年代
以上全七回シリーズとして各年代ごとの流行歌を掛けてゆきます。一回から四回くらいまではSPレコード音源が多数出て参ります。が、それとてその時代では最先端の音だった訳ですから、モノは聴きよう、というもの。但し、第一回目は明治期から大正、昭和最前期の歌が多数あり、その時代の歌は流石に全てSPレコードという訳にはいかず昭和期に入ってからの聴き取りの良い音の音源を多数使用すると思います。大多数の方々にとっては古くさい楽曲ですが、ふと童心に帰る唄、耳慣れてはいてもいつの歌か分からなかった歌、など日本人の郷愁をくすぐりまくる音楽ルームとはなるでしょう。
ユーミン・バースデイ・ルーム🎙 # 2
1月19日のユーミンのバースデイから数日を経て# 1をお送りしました。ユーミンのデビューシングル♬返事はいらない からシングル曲を中心に1978年リリースの『流線形'80』までのアルバム楽曲を掛けました。# 2ではその続きを開催致します。ユーミンがいかに卓越したコンポーザーであったかが判る音楽ルーム🎙70年代末期から益々冴え渡る楽曲を作り唄っていたか、とくと御堪能下さいまし。
1983年昭和58年のうた
或る日、当ルームで1974年昭和49年のうたを集中的に掛けまして、大変ご好評を頂きました。今回は'83昭和58年のうたをディープに深掘り致します。主はこの年、17歳!青春真っ盛りでしたがほろ苦い思い出ばかり。放送部の部活動に入れ込んでたなぁ。そんな年の楽曲たちを集めました。
山下達郎バースデイ🎂🎉ルーム
2月4日で73歳となる山下達郎の音楽ルームです。達郎のメイン音源のみならずクリエイターとして提供した楽曲も取り上げたいと存じます。
普遍のポップスをシュガーベイブ時代から世に問うてきた彼の作品は洋楽の強い影響を受けながらもその洋楽を凌ぐクオリティーを維持し、長年に亘り常に第一線で音楽を届け続けています。音質にも拘る彼に敬意を払う意味で、本回も最高のモノラル音質でお送り致しますm(_ _)m
福山雅治バースデイルーム🎙
最近は余り聴かない『魂のラジオ』。昔はTOKYO FM系で日曜日夕方やっていた頃の番組SUZUKI Talking F.Mはよく聴いていたもんだが、土曜日14時に移り現在の番組名に変更となった。その頃は土曜日の深夜にもラジオをやっていたからその人気のほどが分かりそうなものだ。
私が盛んに聴いていた頃は独身貴族ど真ん中だったから、ラジオでも下ネタバンバン、ホテル福山などというコーナーは楽しかった。そんな彼も本年2月6日で57歳。88年に俳優デビュー、90年にはCDデビューした。一時はキムタクと"抱かれたい男№1"を争うなど人気俳優兼シンガーとして一時代を築いた。そんな福山クンのデビューシングルから振り返りルームを挙行致します。お楽しみに(* 'ᵕ' )☆
桑田佳祐バースデイルーム🎙
日本が世界に誇る最強クリエイターにして唯一無二のシンガー桑田佳祐の古希の祝いが2月26日である。サザンファンならご案内の4th.アルバム『ステレオ太陽族』に所収されている楽曲♬素顔で踊らせて の中で桑田は……2月26日には ささやかな 二人の絆…… と唄っている。それによりサザン桑田ファンの中では彼の誕生日は二度と忘れない永遠のメロディーとなっている。桑田ご本人は以前テレビで「私はJ-POPのメインストリームじゃございませんよ」とかなり謙虚に言っていたが、1980年代からこれだけ一貫してアルバム1位を継続しているのだから、……いえいえ、あなたはメインストリームじゃないけど、ジャパニーズポップス王であることには違いはございません……と返信したい。そんなジャパニーズオンリーワンの桑田&サザンルームを本年も開催致します。
2月もビッグネームミュージシャンのバースデイが相次いでいるので、岸辺🏝ルームが放っておく手はない。無論、上記以外にもオムニバス音楽ルーム🎙もあります👆次回のオムニバス音楽ルームから山下達郎の向こうを張って"棚つかの岸辺🏝"と改名致します。私のCD棚から順々に掛けて参りますので乞うご期待m(_ _)m
尚、各ルームの実施日はただいま未定です。各回ともルーム当日までには予告投稿します。悪しからず🍀*゜

神様からの贈り物

マサヤス 龍之介
Bing Crosby、Rythm Boys -vo.
Bix Beiderbec -cornet
Steave Brown -s.b.
take # 3 1928.2 Recording

From Monday On (with Bing Crosby & Bix Beiderbecke)

マサヤス 龍之介
1897年10月11日 - 1961年12月18日
Lewis Conrad -vo.
Bubber Miley -tp.
Eddy Duchin -p.


What Is This Thing Called Love?

マサヤス 龍之介
1890年3月28日 - 1967年12月29日

Nobody's Sweetheart

マサヤス 龍之介
1893年3月18日 - 1962年3月24日

My Pretty Girl

マサヤス 龍之介
1897年12月18日 - 1952年12月29日?

Sugarfoot Stomp

マサヤス 龍之介
1901年8月4日 - 1971年7月6日

明るい表通りで

マサヤス 龍之介
1901年5日30日 - 1956年6月11日

Happy Feet

マサヤス 龍之介
1910年8月8日 - 1966年9月28日

Apollo Jump

マサヤス 龍之介
Jay McShann
1916年1月12日 - 2006年12月7日


Sepian Bounce

マサヤス 龍之介
出てくれないかなぁ。

ミライのテーマ

マサヤス 龍之介
Hank Jones -piano
1918年7月31日 - 2010年5月16日
Ruby Braff - cor.
1927年3月16日 - 2003年2月9日


Someday You'll Be Sorry

マサヤス 龍之介
1920年5月26日 - 2002年1月21日

Fever

マサヤス 龍之介
1911年12月14日 - 1965年5月1日

Cocktails for Two

マサヤス 龍之介
1913年5月16日 - 1987年10月29日

Four Brothers

マサヤス 龍之介
1911年12月15日 - 1979年8月25日

Artistry in Rhythm

マサヤス 龍之介
1913年10月26日 - 1991年9月4日

Cherokee

マサヤス 龍之介
1909年5月30日 - 1986年6月13日

Let's Dance

マサヤス 龍之介
1904年3月1日 - 1944年12月15日

アメリカン・パトロール(『グレン・ミラー物語』より)

マサヤス 龍之介
1916年3月15日 - 1983年7月5日

Ciribiribin

マサヤス 龍之介
1908年11月2日 - 1942年6月2日

Livery Stable Blues

マサヤス 龍之介
Chick Webb
1905年2月10日 - 1939年6月16日
Ella Jane Fitzgerald
1917年4月25日 - 1996年6月15日


ア・ティスケット・ア・タスケット (feat. Chick Webb and His Orchestra)

マサヤス 龍之介
1902年6月6日 - 1947年7月13日

Organ Grinder's Swing (feat. The Jimmie Lunceford Orchestra)

マサヤス 龍之介
Bing Crosby - vo.
Jimmy Dorsey - cl. as
Tommy Dorsey - tb
Bunny Berigan - tp.


Stay On The Right Side Of The Road

マサヤス 龍之介
Jimmy Dorsey - cl. as
Tommy Dorsey - tb
Bunny Berigan - tp.


Mood Hollywood

マサヤス 龍之介
1905年11月16日 - 1973年8月4日


Rose Room

マサヤス 龍之介
旧年中は音声ルームで沢山の方々と知り合えてグラビティ歴上、最高な一年と成りました。
投稿でも沢山のいいね(´∀`)を頂き一重にお読み下さる方たちと和えかな、コミュニティが出来ました\(^o^)/
音声ルームも投稿でもやはり発信しても、それを受け取る方々あってこそ。
私はそんなSNS、グラビティが好きです。
本年は歳男らしく馬車馬のごとく、奔馬のごとく駆けて参りたいと存じます🏇💨
本年もどうぞ宜しくお見知り置きのほど、
宜しくお願い申し上げまする🙇♂️🍵


マサヤス 龍之介
#読書の星
☆『年末の一日 / 芥川龍之介』
新潮文庫刊 『戯作三昧 一塊の土』
1976年(昭和51年)8月10日 13刷より
この本は昭和51年の発行である。奥付にそうあるので、私が小4か小5の時に駅前の書店で購入したものだろう。定価は¥180 いい時代だった。
このくらいの価格なら小学生でも容易に手に入れられる。今なら¥500 は下るまい。しかし、今どきの小学生も携帯電話なんぞ持ち歩いているので或いは、青空文庫で読書を済ませるのだろうか。だとすれば味も塩っ気もない話だ。青空文庫は便利には違いないが、ただ字を追うのみである。挿絵も無ければ表紙も無味乾燥。物としてのバリエーションに欠ける。従って想像力の欠如、イマジネーションが培われない。……年寄の戯言だ。
読書子には或いは、この装丁が懐かしい、と思われる方もおられるだろう。今の新潮文庫は完全に違う装丁になっているし、値段だって跳ね上がっていることだろう。
久しぶりに我が敬愛せる芥川龍之介の作品を紹介する。以前芥川龍之介の作品だけを紹介する戯文を連載したことがあるが、この愛すべき小品は抜けていた。
この小品は1926年(大正15年)一月号の『新潮』に初めて発表された。小説というより随筆に近い。今日の様な大晦日にうってつけだ。今から丁度100年前の芥川の年末の一日に起こった小事が書かれている。
『僕』は雑木の生えた、寂しい崖の上を歩いて行った。崖の下はすぐに沼になっていた。その又沼の岸寄りに水鳥が二羽泳いでいた。どちらも薄い苔の生えた石の色に近い水鳥だった。『僕』は格別その水鳥に珍しい感じは持たなかった。が、余り翼が鮮やかに見えるのは不気味だった……そんな夢から起きた『僕』だった。それは、がたがたと云う音が響いていたからであり、その音が年末の大掃除で、妻や伯母のフキが座敷の縁側でせっせと硝子戸を磨いている音だと分かったのは、後架へ小便をしに行った帰りしなにその大掃除の光景を見たからだ。伯母からは「お前、もう十二時ですよ」と言われたが、『僕』は三つの雑誌社から新年号の小説の依頼をけ受けて最後の仕事が終わったのは夜明け前のことだった。芥川の精神疾患については統合失調症であるが、現代ではそういった精神疾患についても普遍化していて、一般的にも可也認知度は広まってきているが、大正末期のこの頃に江戸時代に生まれた芥川の伯母フキにそこは理解してやらないと…と云うのは酷な事なのかもしれない。が、仕事に追われる芥川は田端の自宅では煩い伯母やまだ幼かった3人の子供達がいる以上、静かに小説など書ける環境ではなくこの頃の芥川の夥しい写真は大抵今で云うシティホテルのソファで寛ぐ姿が多いのはそのせいである。芥川はこの文章の中でこう書いている。「朝飯兼昼飯をすませた後、僕は書斎の置き炬燵(こたつ)へはいり、二三種の新聞を読みはじめた。新聞の記事は諸会社のボオナスや羽子板の売れ行きで持ち切っていた。けれども僕の心もちは少しも陽気にはならなかった。僕は仕事をすませる度に妙に弱るのを常としていた。それは房後の疲労※のようにどうすることも出来ないものだった。……」この頃の芥川は統合失調症の諸症状に
頻繁に苛まされ斎藤茂吉のいる青山脳病院へ通院していたが、一向に改善されず悩んでいた。そして芥川が1927年の7月に服毒自殺をとげた最大の要因はこの精神疾患からくる自殺願望の果てによるもの、とされている。そういった背景を頭に入れて読まないとこの時代の芥川の文章は理解し難いと思う。
お昼頃めざめた芥川が朝飯兼昼飯をとった後の二時頃、K君が来訪する。と或る新聞記者でありK君は社用の次いでにちょいと寄った、と言った風だった。「どうです?お暇なら一緒に出掛けませんか」。切り出したのは芥川の方だった。「どこかお出になる先はおきまりになっているのですか?」「いいえ、どこでも好いんです」「お墓は今日は駄目でしょうか?」K君のお墓と言ったのは夏目先生のお墓だった。K君は半年前に芥川と約束した夏目漱石の墓に案内してもらう、という意味だと芥川はここで漸く気付いたのだった。年末にお墓参りをする……芥川自身にぴったりしないものを感じつつ、でも芥川は「じゃあ、お墓へ行きましょう」と安請合いしてしまう。この辺の芥川の気風のよさがいかにも都会人気質でよい。
夏目漱石のお墓は雑司ヶ谷霊園にある。芥川の自宅から一番近い本郷動坂の電停へK君と連れ立った。
「天気は寒いなりに晴れ上がっていた。狭苦しい動坂の往来もふだんよりは人あしが多いらしかった。門に立てる松や竹も田端青年団詰め所と言う板葺きの小屋の側に寄せかけてあった。僕はこういう町を見た時、幾分か僕の少年時代に抱いた師走の心もちのよみ返るのを感じた。」
こういう芥川の文章表現はタイトル通りの読者の期待感を一定量満たすものである。『年末の一日』と言う以上、そこに師走の町の様子が描かれ作者がどういう感慨を抱いたか、を明文化してくれて読者のカタルシスは満たされるからだ。
やがて、護国寺行き路面電車が到着し二人で由無しごとなどを話していた。電車が富士前を通り越した頃、突然電車の中ほどの電球がひとつ、偶然抜け落ちて床で粉々になるハプニングが起こった。「そこには顔も身なりも悪い二十四五の女が一人、片手に大きい包を持ち、片手に吊り革につかまっていた。電球は床へ落ちる途端に彼女の前髪をかすめたらしかった。彼女は妙な顔をしたなり、電車の中の人々を眺めまわした。それは人々の同情を、-ーー少なくとも人々の注意だけは惹こうとする顔に違いなかった。が、誰も言い合わせたように全然彼女には冷淡だった。僕はK君と話しながら、何か拍子抜けのした彼女の顔に可笑しさよりも寧ろはかなさを感じた。」
一見すると芥川のこの女性への眼差しは冷たいように感じるが、最後に女の儚さを感じ入る辺りは人一倍女性にやさしかった都会っ子芥川の面目躍如であろう。
芥川の短編の傑作と言われている『蜜柑』にも似た様な表現があった。横須賀線のボックスシートにたまたま乗り合わせた歳わも行かない少女に対し、散々蔑んだ表現で表した最後の最後で車窓から見送りに来た弟達に対して蜜柑を投げつけた瞬間を切り取り、その神々しいまでの表現で賞賛した。これは芥川固有の表現である。同時に芥川の女性観をよく表しているともいえる。
この後、芥川達は無事に雑司ヶ谷霊園に到着するのだが、案内役だった芥川はあろうことか、不覚にも漱石の墓への道をど忘れしており、小路を行きつ戻りつオロオロしてしまう。幾ら行っても一向に漱石の墓に辿り着かない。最後は施設清掃の女性に聞く有様であった。墓に着くと漱石ファンだというK君はわざわざ外套を脱ぎ、丁寧におじぎをしたが、芥川自身は今更恬然(てんぜん)とおじぎする気にはなれない、というのだ。漱石亡きあと9年が流れた。漱石は芥川文壇にデビューするきっかけを与えてくれた恩師であるはずだが、今の芥川にはそんな感慨に耽るほどの余裕は無かったのだ。これも精神疾患のせいだろう。
やがて、2人はもと来た電車で戻ったが芥川だけ富士前の電停で降りた。東洋文庫にいる石田幹之介に会い、再び動坂に着いた。往来は先程よりも一層混雑していた。「が、庚申堂を通り過ぎると
人通りもだんだん減りはじめた。僕は受け身になりきったまま、爪先ばかり見るように風立った路を歩いていった。すると墓地裏の八幡坂の下に箱車を引いた男が一人、梶棒に手を掛けて休んでいた。箱車はちょっと眺めたところ、肉屋の車に近いものだった。が、側へ寄って見ると、横に広いあと口に東京胞衣(えな)会社※2と書いたものだった。僕は後ろから声を掛けた後、ぐんぐんその車を押してやった。それは多少押してやるのに穢(きたな)い気もしたのに違いなかった。しかし力を出すだけでも助かる気もしたのに違いなかった。
北風は長い坂の上から時々まっ直ぐに吹き下ろして来た。墓地の樹木もその度にさあっと葉の落ちた梢を鳴らした。僕はこう言う薄暗がりの中に妙な興奮を感じながら、まるで僕自身と闘うように一心に箱車を押しつづけて行った。……」
この頃の芥川は、周辺の人々にしきりに自殺を仄めかしたりしていたという。それくらい彼の厭世観はふくれていて、最早それは自分でもおよそコントロール出来ないところまに達していたという。しかし、これを読む限りは、この最後の情景はなんと生気に満ちていることだろう。しかももう自殺願望に漲っていたとされるこの時期に。
これはその死の7ヶ月前に発表された。それでも生きようとしている芥川に私は目頭が熱くなるのを抑え切れなかった。
芥川研究の第一人者だった吉田精一がこの文庫本の解説を書いているが、吉田は、この作品は作者が苦心もし、愛着もあった作品であると書かれている。芥川は箱車のあと口に『東京胞衣会社』
の数文字を書くまで、いく度その一行を書きかえたか知れなかったということである。と解説している。
※ 男女の交合のあと の意味。
※2 出産のとき排泄される胎児を包んでいた膜や胎盤の処理をした会社。
本年も私の様々な雑文をご拝読くださって且ついいね👍をくださった方々に深く御礼を申し上げます。
どうぞ、良いお年をお迎えくださいm(_ _)m
そして、来年も引き続きご厚誼のほどを宜しくお願い申し上げます。
2025(令和7年)年12月31日



マサヤス 龍之介
1905年5月8日 - 1965年6月28日

China Boy

マサヤス 龍之介
1910年5月23日 - 2004年12月30日

Begin the Beguine (From the Film ''Night and Day'')

マサヤス 龍之介
12.29(mon.) 18時~ 年末サザンオールスターズ
桑田佳祐音楽ルーム
12.30(tue.) 13時30分~ 大滝詠一追悼SP
大瀧詠一SONGwriting特集
12.31(wen.) 21時30分~ 岸辺のゆく年くる年
岸辺サブスク堂
※ 仕事中に敢行する為、途中中止の
場合あり
1.1(th.) 14時~ 新春シャンソンショー
シャンソンと昭和流行歌
1.3(sat.) 18時~ 1974年の岸辺に🏝
昭和49年の歌特集
1.5(mon.) 18時~ 月曜日の岸辺に🏝
オムニバス音楽ルーム🎙









恋のアメリカン・フットボール

マサヤス 龍之介
1899年4月29日 - 1974年5月24日

ザ・ムーチ

マサヤス 龍之介
1904年2月29日 - 1957年6月12日

St Louis Blues (feat. The Dorsey Brothers Orchestra)

マサヤス 龍之介
1904年8月21日 - 1984年4月26日

コーナー・ポケット

マサヤス 龍之介
1905年11月19日 - 1956年11月26日

Opus One

マサヤス 龍之介

Winter Moon

マサヤス 龍之介
雨の☔️クリスマスとはなりにけり
♫兄は夜更過ぎにゆきえと変わるだ~ろ
懐かしいボキャブラネタ🤣
昨日の我が音声ルーム岸辺🏝でもクリスマスソン
グを特集しましたが、クリスマスは今日が本番🎄
グラ民の皆様にも最高の2025クリスマスになりますよう雨の大阪の地からお祈りいたしております。
ハッピークリスマス🎅
Beautiful christmas 𝐃𝐚𝐲🎄🎄🎄

White Christmas

マサヤス 龍之介

Moonstruck

マサヤス 龍之介
朝ドラ主題歌の岸辺に🏝️〜花子とアン以降
前回は第89作『ごちそうさん』テーマ曲
♫雨のち晴レルヤ までお送りしたので、それ以降の主題歌を集めてみました。
クリスマス🎄🎅イヴイヴ(死語💦)にお送りするニッポンの正統派ドラマを飾った馴染みのJ-POP群をご堪能くださいまし😊
本夜は久しぶりに19:00〜の定番配信です。
ノンストップ完全5時間配信⏳で有馬♨️
📦はご自由に‼️出入り自由🆓寝落ち推奨ルームとなっておりますので、お気軽にお越しくださいま!









若い広場

マサヤス 龍之介


Moonstruck (with Jimmie Grier and His Orchestra)

マサヤス 龍之介

月光価千金 (feat. マリア・コール)

マサヤス 龍之介
♫Shine On Harvest Moon のカバー

三日月娘
