投稿

マサヤス 龍之介
#読書の星 #音楽本
☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷
牧村憲一はシュガーベイブが突然の解散により暫くは途方に暮れたという。無理からぬことだ。
だが、すぐに頭を切り替えて解散コンサートの時に山下達郎と大貫妙子らにソロアルバムを提案した。山下にはナイアガラでは出来なかったインパクトを出す為に、思い切ってアメリカ録音を進めた。すると山下はほどなく、一緒にやりたいプロデューサーやミュージシャン達の候補を挙げてきた。
一方、大貫妙子はシュガーベイブあっての自分だという思いが強く、ソロでやるという想定すら無かったようであった。
牧村の山下達郎のファーストソロアルバムに関しての思いは並々ならぬ思いが籠っており、正に真剣勝負だったという。それは山下達郎という豊かな才能をもっと前面に押し出して、メロディーメイカーとしての資質を証明したいと言う決意、とでも言おうか。そしてそこにはもう一つの意図があり、それは洋楽ファン層へのアプローチであった。というのも、1976年当時、日本のサブカル界隈を取り巻く環境とそれを支えるファン層は、今以上に洋楽志向が強かったのだという。山下の紡ぐ楽曲には何処か日本人離れしたものが漂っており、それこそ洋楽志向のファン達に刺さる楽曲であると、これはもう牧村の触覚というか嗅覚の鋭さと本物を見抜く力であろう。
そんな折に山下の海外レコーディングに手を差し伸べる頼もしい人達が現れた。フジパシフィック音楽出版の朝妻一郎とRVCビクターの小杉理宇造だった。朝妻は早くから自分の好きなアーティストにスポンサーとして目を掛けて育てる明白楽で、大滝詠一なども彼がバックボーンとしてずっと下支えしていた。小杉はそれこそ、山下達郎のビジネスパーソンとして正に二人三脚でずっと歩を一に歩んできたのだが、このファーストアルバムでの奮闘振りは目を見張るものがあり、山下と意気投合してこの時より現在に至るまで山下の音楽環境を取り巻くあらゆる困難から山下を守り山下を援護してきた重要なパートナーの一人となる。そんな心強い人達の協力を得て牧村は山下と共にニューヨークに乗り込む。
つづく……。




コメント
話題の投稿をみつける

ヘテロ
すべてはそれからだ。

ひさの

あおい

れっく

しんま

ロネ

ココロ
午後のうちに荷物と私を社用車で新しい部署に運んでもらって、夕方は荷ほどきをした。
帰り道、やっぱり少し遠いなぁと感じつつ、脚のリハビリになると思うことにして、明日からこちらへ出勤だ。

ロヒキ

ヤスモ

紗綾絶
もっとみる 
関連検索ワード

うっかれ🧚ラフレシア
続き、面白そうですね[にこやか]