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Ana

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「世界の美しい図書館」

著者:パイ インターナショナル
写真:㈱アフロ他

世界の〜シリーズの図書館。
ユネスコの世界遺産としても登録されている歴史的な図書館や、巨匠による最新鋭の名建築など、世界各国の豪華な図書館やユニークな施設を100館掲載。
学校と記載レイアウトはほぼ一緒です。

1つだけ行けるのなら
街とスラムをつなぐスペイン図書館へ


#読書の星 #読書 #図書館
読書の星読書の星
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彼方@休眠中

彼方@休眠中

ふふふ、今日出会ったガチャが素敵すぎる!!

ポーチなのに、
文庫のブックカバーになる!!

これを見よ!!

#読書好き #読書の星 #読書の秋
読書の星読書の星
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かすみ

かすみ

読書好きな人と繋がりたいです📘
下記の本が好きです♪

銀河鉄道の夜/宮沢賢治
星の王子さま&人間の土地
/サン=テグジュペリ
シュガータイム/小川洋子
青い鳥/メーテルリンク
スプートニクの恋人/村上春樹
生まれ出る悩み/有島武郎
赤毛のアン/モンゴメリ

真夜中のピクニック/恩田陸
天使の骨/中山可穂
ムーンライト・シャドウ/吉本ばなな
美しい村・風立ちぬ/堀辰雄
戯作三昧/芥川龍之介
草枕/夏目漱石

魅せられたる魂/ロマンロラン
サロメ/ワイルド
即興詩人/アンデルセン
愛の妖精/ジョルジュサンド
ゲド戦記/ル・グィン
トムは真夜中の庭で/
フィリッパ・ビアス
クローディアの秘密/
カニングズバーグ
ジェニー&トマシーナ/
ポール・ギャリコ

#GRAVITY読書倶楽部
#読書の星
読書の星読書の星
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イチロー

イチロー

#読書の星 #ミステリー #読了  

「オランダ靴の謎」エラリー・クイーン

(あらすじ)
 
 大病院の創立者であり資産家でもある老婦人が手術の前に殺された。エラリーが事件の調査を開始するがその解決を待たぬままさらに第二の殺人が起きる。犯人の巧妙な殺人計画によりエラリーも苦戦を強いられる中、ある事実の判明により、意外な犯人の姿が浮かび上がってくる...。

(感想)

 実際にできるかは別としても、読者への挑戦状の前の時点で犯人を指摘するための手がかりが全て揃っていたのも事実であり、それがエラリーによって紐解かれていく展開には息を飲んでしまった。
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みおこんぼ

みおこんぼ

高畑京一郎「新装版タイム・リープ あしたはきのう 上下巻」読了。

新装版出てたの!?と、今更ながら気付いて電子書籍で購入。
これ、未読の方いたらぜひ読んで欲しいオススメ本です。小一時間で読めます。(上下巻にしなくても良かったくらい)

タイムリープものって今ありふれたものになりつつあるかもですが、この高畑京一郎さんの小説がある意味発祥だったんじゃないかなぁ。(時をかける少女は別)
タイムリープって何よ、的な人にもぜひ読んで欲しい。

構成がしっかりしていて、ハラハラドキドキ、真相がわかる最後まで一気に読めます。

新装版は下巻の巻末に高畑京一郎さんの書き下ろしがあって、テンション上がりました。
思いがけず米澤穂信さんのお名前も出てきて、あ、米澤穂信さんの作品久しぶりに読みたいなってなりました。好き。

脱線しましたが、1996年に出たお話なのに今でも全く色褪せない名作です[照れる]

#読書の星 #読書メモ #読書 #タイムリープ #高畑京一郎
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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-6

#読書の星

☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

 チューリップの話を書いた田家は次にアグネスチャンの話になるのかと思いきや、ここであがた森魚のアルバム『噫無情(レ・ミゼラブル)』の話を差し込む。1974年リリースで松本隆がプロデュースを行っている。松本隆が作詞家に専念する直前、はっぴいえんど解散後松本は作詞家ではなく、レコードプロデューサーになるべく活動し始めたのだった。松本がプロデューサーとして手掛けたアルバムは4枚あると田家は記述、最初に作ったのが南佳孝の『摩天楼のヒロイン』、岡林信康『金色のライオン』、あがたのこれ、そして再び岡林信康『誰ぞこの子に愛の手を』。1973年9月から1975年1月までの間に行なった松本の仕事であった。この4枚のアルバムにも傾向が2つに分れると書いてあるが、ここでは詳細は省く。あがたと松本は松本の人脈から知り合った。松本隆の弟 裕がドラマーで参加していたはちみつぱいはシティポップ の古典と呼ばれる『センチメンタル通り』をリリースした後ムーンライダースへと発展、ドラマーも松本裕からかしぶし哲郎にメンバーチェンジしてベースの鈴木博文、リーダーの鈴木慶一らと自然と松本隆は交流してゆき、その関係からあがたと知り合う。あがたのアルバム『噫無情』は南佳孝の『摩天楼のヒロイン』と同様懐古調で南の方は舞台が1920年代末のハリウッド調ハードボイルド趣味に彩られ、あがたのアルバムは日本が舞台の懐メロ調、昭和レトロ趣味の世界だった。どちらも私の個人的趣味の琴線を刺激して余りある作品で1980年代後半に双方の作品に出会い私は愛聴した。あがた作品の中に所収された♫組曲 噫無情・嘆きの舞姫(バレリーナ)』 売ることに忖度しない松本のやりたいように書いた自由さに満ちた虚構の中の流行歌といった趣きではっぴいえんどとは違う背伸びした青さを湛えた松本隆25歳の大人のメルヘンの表出した非定型詞であった。
 編曲はムーンライダースと近しかった矢野誠だった。このアルバムの中の♫最后のダンスステップ(昭和柔俠伝の唄) は1996年になって突然クミコがカバーし、それがクミコと松本隆の出会いに繋がったと田家はこのアルバムの項で短く記述している。



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「噫無情」組曲

あがた森魚

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Ana

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「満月珈琲店  メニューブック」

桜田千尋イラスト集

満月の夜にだけ現れる満月珈琲店では、猫のマスターと店員が、極上のスイーツやフードとドリンクで客をもてなす「満月珈琲店の星詠み」という小説に登場するドリンクとフードたちのイラスト集

キラキラした世界感にうっとりです✨



#読書の星 #読書 #猫 #おやつ
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「Red」
・島本理生
・中公文庫

医学が進化して男が子供を産めるようになるまで、いつだって何かを捨てるのは女だ。

子(孤)育て、母親、仕事、待機児童、自分のキャリア、嫁、恋愛

ここに書いてある事の心情を
とても上手に言葉にしてあり、沢山の女性の心中を代弁してくれているようにおもった。

現在どこかに当てはまるのなら
彼女の言葉がすっと
しみるのかもしれない。





#育児 #読書の星#読書
読書の星読書の星
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「世界の美しい学校」

出版:パイ  インターナショナル
写真:株式会社アフロ他

歴史ある荘厳華麗な学都から、時代を象徴する建築様式の校舎群、緑豊かなキャンパスまで。国や地域の文化と調和した、世界の学び舎100校を歴史・特徴とともに短い文で解説。

学校は有名所のアイビーリーグから日本ではあまり耳にしない(私の感想)大学まで美しい校舎と景観を持つ学校を270点の写真で。

ほとんどが写真で、文字はほんの少しです。

子供の頃に、これを眺めていたら
世界がほんの少し広がったかも🤭

大人も子供も楽しめる素敵な一冊✨
あなたは、どの学校に通ってみたいですか?


#読書の星 #読書 #教育 #写真
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マサヤス龍之介

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岸辺の100冊📖´- # 14-4

#読書の星

☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

ファーストアルバム『はっぴいえんど』のジャケは昨日の投稿に添付した。このアルバムが"ゆでめん"と呼ばれる所以は見ての通りだからだが、本書ではそのことにもキチンと触れている。イラストレーターの林静一が手掛けた。林は当時の松本や大滝が愛読していた貸本漫画雑誌で「ガロ」で「赤色エレジー」を連載していた。ガロはサブカル好きの今どきの若者でも飛び付きそうな雑誌で、永島真二やつげ義春、水木しげるらが健筆を奮っていた。最終的には2002年まで続いたので後期では内田春菊やみうらじゅんなんかも執筆陣に入っている。ジャケを依頼したのは松本で、新宿三越裏の「青蛾」という有名な喫茶室で林に松本がそのコンセプトを伝えた、とある。林の述懐もこの本の中に載っている。ゆでめん誕生秘話である。私がこのファーストアルバムの中でのお気に入りは♫朝 で、大滝詠一の最も大滝らしい作品である。
 続く二枚目の『風街ろまん』ははっぴいえんどの代表作と呼ばれるアルバムで何かと取り上げられる機会が多い。大滝も細野も兎に角、渾身の作が多くギタリスト鈴木茂が初めて曲を書きレコーディング時には大滝が1番から3番まで全て別パターンのコーラスアイデアを一晩掛けて考えてきてくれて今でも感謝している、と鈴木はNHKBSで嘗て放映された『名盤ドキュメント』の中で俯き加減に独白していた。それは♫花いちもんめ という楽曲で松本は細野と大滝の確執を千住に嘗てあったお化け煙突になぞらえて見事に表現した。
 はっぴいえんどはアルバム二枚目にして既に内部亀裂が生じており、解散は自然発生的に起こった。アルバム三曲目の♫風をあつめて はこの風街という松本の造語が最も如実に再現された曲であり、現在の所謂シティポップブーム発生以前から世界中の若者たちがちゃんと日本語でギターの弾き語りをしながら唄う様がYouTubeに投稿されていた。曲を作った細野は松本だけをレコーディング当日スタジオに呼び出した。なぜ?というクエスチョンには細野いわく、…ドラムは必要だと思ったから…とあっさりした物言いで肩透かしだったがスタジオに来た松本に…ごめん、まだ曲が出来ていないんだ…と告白されて松本は…


 
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風をあつめて

はっぴいえんど

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カルル

カルル

というわけで
読み終えました

間違いなく人生で1番読んでよかった本です

人間関係に悩む人だけでなく
順風満帆な筈なのになぜか不安が拭えない人
自分を変えたい人
より一層成長したい人
全てにおすすめしたい本でした

内容についてはまだうまく説明できそうに無いので気になった人は是非手にとってみてください

#読書の星
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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺🏝の100冊 # 7-16[LAST]

#読書の星 #音楽本 #新書


☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷

牧村憲一のプロデューサー論

竹内まりやを手掛けたその後の牧村の軌跡は加藤和彦のヨーロッパ三部作の話、いけないルージュマジック誕生秘話、そしてYMO。未だに語り草になっている伊武雅刀の♬子供たちを責めないで 80年代晩期にプロデュースしたフリッパーズ・ギターのレコードプロデューサーとして話題作を連発してゆくのだが、結局それらの項目に触れて行くとこの本の紹介、という領域を超えてしまうのでここらで打ち止めとしたい。最初期のシティポップの名門レーベルとして名高いキングレコード傘下のベルウッドレコードを立ち上げた三浦光紀はプロデューサーとは「アーティストにとって最高の環境を揃えて上げる仕事」といったが、牧村は「アーティストに常に問いかけること」と更に踏み込んで役割を担えるか?がプロデューサーとしての明暗を分ける。つまり、…いいねいいね、とおだててるだけではダメであり、時にアーティストと膝付き合わせてディスカッションも辞さない覚悟が必要だと牧村は説く。1970年代に牧村は重要なキーパーソンたちから或る重要な提言を受けたと云う。1人は大滝詠一のスポンサーとして有名な朝妻一郎、もう1人は加藤和彦、この2人から『牧村くんはすごくいい音楽を作るけど、売れないよね』更に加藤は『プロデューサーは1位をとること』とまで言い放ったのだった。悔しさはあったが2人のこの言葉が無ければ牧村は意識的にヒット曲を作ることは無かったかも知れないと告白する。同時に、その反対もまた違うと結論づける。
売れることばかり追求し、安易な作りに安んじることは牧村には受け入れられないと豪語する。
結果的にヒット曲を作ることと、高いクリエイティブな音楽を作ること、この二つの要素が揃った音楽が今日シティポップの古典として時代というふるいに掛けられて残った音楽なのではないだろうか。それが私がこの本を読んで思った率直な感想である。

=敬称略=




**写真は朝妻一郎と加藤和彦
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Ana

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「日々のあぶく」
津田まさごろ

短い詩の中に
パンチのきいた物語が詰まっている
そんな詩をギュッと集めた
1冊です。
詩は、日常、社会、恋愛など
題材は様々。

昔、ファッション誌で連載されていたような。。。

#読書 #読書の星 #詩集
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マサヤス龍之介

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岸辺の100冊📖´- # 14-3

#読書の星

☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

ファーストアルバム『はっぴいえんど』の中の♫春よ来い よりインパクトがあったのは♫12月の雨の日 の方だった。
 全体的に物憂げだがマイナーキーとメジャーキーの狭間のようなメロディに松本の紡ぐ詞は詩に近かった。選ばれる言葉も…雨に憑かれた ひとが行き交う…だとか、…凍てついた空を 街翳が縁どる…といったおよそ歌の詞とは思えない難解な漢字が使われている。サビに至っては…雨あがりの街に 風がふいに立る…である。立る、とは尋常な読ませ方ではない。ここは大滝は、おこる、と詠んでいる。松本の書いたこの歌のタイトルが「雨あがり」だった痕跡が残る部分だが、これだけ切り取っても松本がはっぴいえんどに売れることを全く期待してなどいなかったかが判る。当時松本は実家暮らしで家は麻布にあった。そこから経堂にある大滝のアパートに向かう時の今のテレビ朝日が入る六本木ヒルズの辺りの風景をスケッチしたとテレビ番組インタビューで話していた。田家は本の中で、最後のフレーズである…流れる人波を ぼくはみている…の部分に強く惹かれたと書いている。
 「何をするでもない、何かを語りかけるのでも訴えるのでもない。メッセージでもアクションでもない、ただ"みている"という歌が心地よかった」と。私はこの大サビのメロディがすきである。このメロディだけはハッキリとメジャーキーであり、僅かな光明を得ることが出来るからだ。
 ここのメロディがもしマイナーキーだったならば歌はとても平面的になっていたことだろう。一見すれば何ごともなく過ぎ去る人波をただ見ているのかも知れないが、ここを明快なメジャーキーにすることで、その若者の"行動"に意味が生じてくるのである。俺はただ見ているんじゃねーぞ、と言わんばかりの明日に向かって撃つ為の何かが予見出来るのだ。大滝の松本の書いた詞の読解力が如何に優れているか?であろう。当時の音楽評で散々"暗い"と叩かれたはっぴいえんどだったが、松本に言わせれば「僕たちは明るく乾いている積もりだったのに」とラヂオで証言していたのも、ただ暗いだけじゃないよ、という示唆に他ならない。この歌こそはっぴいえんどのもう一つの代表曲である。そのもう一方の一つは明日書くことにする。


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12月の雨の日

はっぴいえんど

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みおこんぼ

みおこんぼ

安澄加奈「いまはむかし」読了。

オススメの本を図書館で借りて押しつけてくる変わり者の友人が居まして。
「○月○日返却だから宜しく(読んだら図書館返しといてね)」っておいていかれるわけなんですよ。
これ、結構策略家だなと思うのは、
「自分のオススメの本を○月○日までに読ませる」という圧を感じさせるとこ。
私みたいなやつはホイホイ読んじゃう。で、感想とかも語り合っちゃう。

安澄さんの本は初めて読みましたが、児童文学のように読みやすく、1時間くらいで読み終わりました[ほほえむ]
とにかくテンポ感が早い。サクサク話が進みます。

この物語は「竹取物語(かぐやひめ)」のお話が何故生まれたのか、その背景となるストーリーを書いたものです。
最後まで読むとなるほどね、となります。

デビュー作だからなのか、とにかく勢いがあって良かったです。が、恋愛的なところに関してはなんだか幼い、というか浅いというか…あれだ、明るすぎる?
葛藤が浅くて気持ちの変化もあっという間で、スピード感重視に仕上がっているような感じです。
しかし話自体のアイデアがとても良く、矛盾なく竹取物語に結びつけられているのが大変素晴らしい[照れる] 良作でした。
古典で竹取物語を習った皆さんにオススメです。

#読書の星 #読書メモ #読書 #図書館の本
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岸辺の100冊📖´- # 14-19

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☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

鈴木茂の『Band Wagon』の中に松本が同年に初めて上梓したエッセイ集のタイトルにもして80年代にそれを映画化した時のタイトルにもなった ♫微熱少年 が所収されている。当時の松本の心情が一番生々しく且つ松本特有のファンタジックな世界をまとめた作品としてこの楽曲は、鈴木のこのアルバムの中でも一際輝きを増している。田家は本の中で「言葉のリズムと展開する情景という意味でも傑作だろう」と的確な評価をこのアルバムに与えている。♫微熱少年 はこんな歌詞だ。


 俄か雨降る午後に 体温計を挾み
 天井の木目 ゆらゆらと揺れて溶けだした

 窓のガラスを叩く 野球帽子の少年の
 ビー玉を石で砕いては空に撤き散らす
 ほらね 嘘じゃないだろう
 路面電車は浮かんでゆくよ 銀河へと

 遠い電車の響き 路地から路地に伝染り
 目覚めれば誰もいない部屋 夜が忍び寄る

 ほらね 嘘じゃないだろう
 路面電車は浮かんでゆくよ 銀河へと


 路面電車という現実からそれがやがて浮かんで銀河へと走ってゆく、まるで映画の一場面のような視覚的、立体的な構図で紡がれる。松本とはっぴいえんどを結成した細野晴臣はテレビインタビューでこう回想する。「松本と二人でよく都内を路面電車で回ったんだ。都心は当時次々と路面電車が廃止されていっていた時期だったからね。二人で赤坂見附のところで息を呑んだんだ、凄いよねって」今の溜池交差点から赤坂見附へ向かう所は丁度坂になっていて赤坂見附はその勾配の頂上に当たる。そこに無数の路面電車が溜まっている風景を観て二人が感慨に耽った感想なのだが、赤坂見附はそこを横切る国道246号線と都道405号線は共に都電が敷設されていたからターミナル駅となっていたのである。今ではもう味わえない時代の壮観である。所謂団塊の世代である細野も松本。細野は白金台、松本は青山出身。復興期にあった東京が原風景である二人にとって道を走る都電は当たり前に日常にあったのだが、それが1964年の東京五輪に向けて昭和30年代後半から急激に区画整理が始まり、車の交通量が高度経済成長の風潮の中で劇的に増えてゆき路面電車は肩身が狭くなってゆく。その経済成長風潮に足並みを揃えるかのように地下鉄のネットワークも格段に伸びて路面電車の需要は減速してゆくのである。時代の趨勢である。細野も松本もこの経済成長風潮に一様に反対派であった。この辺りが学生運動世代の気概であるのだが、体制側の傍若無人な横暴な都心改造にはっきりとNO!と言っている。無論2020東京五輪にもNOの姿勢だった。それは1964の反省もなしに又やるのか?という確個たる反対表明であった。東京にずっと居住し続けている細野は「それは今でも確実に息づいているよ。都会に住んでても季節の匂いはね。感じることは出来る」と胸を張る。片やとっくに東京を捨てて今は関西に居住する松本。松本の場合、幼少期に立ち退きに遭い引越を行政から強要された、という事が繊細な松本隆に心の傷として残っている。松本の生まれた青山の家は今は骨董通りという道路となってしまっている。そういった背景が松本の書く詞には常に潜んでいることを心して読むと、松本の詞に込められたメッセージがより伝わるのではないだろうか。

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微熱少年 (2025)

鈴木茂

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マサヤス龍之介

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岸辺の100冊📖´- # 14-18

#読書の星

☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

1975年にリリースされたシティポップの古典の中に鈴木茂のソロデビューアルバム『BAND WAGON』がある。はっぴいえんどのギタリストとして活動していた時はまだ高校生だった。なので、はっぴいえんどが解散となった時には流石に血迷ったらしい。鈴木にしたらはっぴいえんどで初めてレコーディングを知り、曲も初めて書いた。さー、これからだ、という時に細野と大瀧の確執でバンド解散の憂き目に遭ってしまう。鈴木にしたらはっぴいえんどありきの音楽活動だったからだ。途方に暮れた鈴木だったがギタリストとしての天才性を認めていた細野と行動を共にすることにより自己のアイデンティティをどうにか保っていた。やがて細野が結成したキャラメルママ~ティン・パン・アレーという不確実性なバンドで頭角を現してレコーディング時にも調整室で誰よりも強く仕切る存在となっていた。だが、鈴木本人は他アーティストのバッキングに明け暮れる仕事にフラストレーションを感じていたのも事実で、鈴木は「もう一度ロックに戻ろうと云う気持ち」で単身ロスに乗り込み、はっぴいえんどのロス録音のときにコーディネートをしてくれたシンコーミュージックのロス支部に居たキャシーカイザーと云う女性マネージャーに再びミュージシャンのブッキングを依頼した。鈴木は、ティンパンのメンバーにも相談せずに、レコード会社のクラウン側のスタッフ調達の配慮も断り、正に単身で乗り込んだのだった。
 当初キャシーに希望のミュージシャンを提示して凡ゆる準備をしてロスに着いてキャシーと合流すると全くメンバーが集まらない…とお手上げ状態だったと云う。10日間は何もする事なくイタズラに時間だけが過ぎてゆく。するとキャシーの女性友達のキコと云う人物から、電話がありサンタナのダグローチとコンタクトが取れたから直ぐに電話して!と連絡があった。
 全てはココから歯車が動き出したと云う。
 サンフランシスコにあるダグの自宅で打ち合わせを行い、セッションをすると互いに"面白い"と云うことになりその後は実にスムーズに事が進んで行ったと云う。ロスレコーディングに漕ぎ着けた鈴木のファーストアルバムは豪華な布陣がバッキングメンバーに名を連ねる。
 この♫砂の女 では実質バンドのリーダーを務めたサンタナのベーシスト、ダグローチ 他のメンバーは専らこのダグの親交から集められた。
 ドラムスにはタワーオブパワーからデビッドガルバルディ、そしてキーボード奏者はジャズ系ピアニストのドングルーシンと言った腕利き揃い。
 鈴木のギターと唄声にも自然とグルーヴィーさが派生している。
 その他の楽曲にもスライのドラマー、グレッグエリコやリトルフィートのキーボーディスト、ビルペインと言ったビッグネームがスケジュールの合間に次々と参加、超ハイブロウなアルバムとなった。そして作詞については当然の流れで松本に国際電話で字数とリズムを伝え頼み込んで書いてもらった。松本は後に「僕はもう当時作詞家としてヒットも出ていて実績もあったんだけど、少し屈折していて…これで、いいのかな?…ってまだ迷いがあった。やはり畑が違うから単身赴任してる感じで居心地が悪くてさ。そんな時に茂からこの話が来てすごい救いになった。♬砂の女 や
♬100ワットの恋人 みたいな詞が書けて凄い救われたんだよね。」

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砂の女 (2008-Special Edition-Unedited Long Version)

鈴木茂

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-16

#読書の星

☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

松本隆が太田裕美の『心が風邪をひいた日』のコンセプトについて語っている。「フォークと歌謡アイドルという2つの大きな柱があって、デビューしてすぐの太田裕美はどっちつかずの状態になっていたんだ。どっちつかずというのはよくないから、間を埋めようって。その2つの大きな柱の間をね」田家は素晴らしい一言でこのアルバムの章を締め括っている。…青春とは「心が風邪をひく」季節。それがこのアルバムなのだと思う…
 ♫木綿のハンカチーフ の半年後に出た5枚目のシングル♫赤いハイヒール リリース。前作とシチュエーションが似ているが今度は女性が上京してやがて挫折を味わう。後半からブワーっと長調に転じて今度は男性目線の詞。木綿のハンカチーフ の男女対話形式を少し進化させたのとワンコーラスの中で短調と長調が同居する。この手法自体は流行歌の時代からあったものであるが、女性目線を短調、男性目線を長調とメリハリを効かせているところがミソ。更に言えば、女性は現実に押し潰されそうになって苦しまぎれなので短調、それを受けて男性目線では彼女をポジティブシンキングで勇気付けているので長調、そんな男女の心情に即した曲を筒美が考えて詞先にした気がする。だから曲がよく練られている。松本と筒美が『心が風邪をひいた日』で実践した実験を更に深めていることが、次の一手で汲み取れる。前作同様、このシングルもヒットした。無論、松本隆や筒美らの仕事は素晴らしいが忘れてならないのがシンガーとしての太田裕美の技量が当然賞賛に価する。太田のソフトリーな声にもう一つの魅力はあの舌ったらずの発声であろう。少女と大人が同居する丸っ切りの子供声ではない。そこが松本の云うどっちつかずの立ち位置とシンクロして興味深い。そんな太田に松本は次のアルバム『こけてぃっしゅ』からは、歌い手としての"語り部"としての要素を強めてゆく、と田家は分析している。
 このアルバムはA面が「GIRL SIDE」B面が「LADY SIDE」とカテゴライズされている。アナログ時代ならではの工夫である。♫赤いハイヒール に次ぐシングル♫九月の雨 もこのアルバムに所収されている。


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赤いハイヒール

太田裕美

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-15

#読書の星

☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

♫袋小路 とはよく名付けた、と思う。なぜなら男女の立ち行かなくなった関係性をズバリ表現しているのが、この言葉だからだ。ここからは田家の解説。…3曲目の♫夕焼け は先行シングルとして発売された。真夏が過ぎた海辺の駅で別れた後の歌。"真夏が過ぎた""汽車は秋へと走り出した"という表現がピークを過ぎて曲がり角に差し掛かった恋愛末期とのダブルミーニングのようだ。走り出した汽車が♫木綿のハンカチーフ の"ぼくは旅立つ"につながっていったのか。4曲目の♫かなしみ葉書 は、旅立ってしまった"あなた"から届いたさよならの葉書にあった場所に行ってみたという歌だ。絵葉書にあるのは都会ではなく、"吊り橋"の写真だ。ただ、思い出して感傷的になっているわけではない。なぜそこを選んだのかを推測して"あなた"の優しさを感じとる。悲しんでいるだけではなく、もらった葉書を通して相手の気持ちを想像する細やかさも歌いこまれている。構成の妙は5曲目の♫THE MILKY WAY EXPRESS だろう。9曲目の♫銀河急行に乗って の短い伏線。"はたち"という年齢が出てくる。
"あなたのところへ行きたい"という願望が夢の中で叶えられるのが9曲目だ。♫木綿のハンカチーフ
には"半年"という具体的な時間が書かれている。
6曲目の♫七つの願い事 は時間的な裏付けの様だ。4月から9月まで毎月、「何かが変わる」と願い続けている。7ヶ月目の10月、別れが訪れて全てが変わってしまったことを知る。荒井由実作曲の7曲目♫ひぐらし と筒美京平が書いた8曲目
♫水曜日の約束 は、それまでの曲と舞台が変わる。前者のバス旅は数少ない幸福な思い出なのかもしれない。後者では"ロードショーの切符"を手にしたまま映画街に取り残されることになる。前のアルバム『短編集』の中の♫妹 の続編のような"妹のように振る舞えたら"という1行が三部作を印象づけている。そして11曲目♫青春のしおり は♫木綿のハンカチーフ の補足や続編のようだ。アルバムタイトルがこの曲の中に登場する。三番の…若い季節のかわり目だから 誰も心の風邪をひくのね…

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青春のしおり

太田裕美

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-14

#読書の星

☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

松本が既存のアルバムのやり方を打ち破った革命的な太田裕美の『心が風邪をひいた日』はどんなものか見てみよう。このアルバムでは作曲者が筒美京平の作品ばかりではないと田家は作品構成を紹介している。ユーミンには2曲依頼している。
 美乃家セントラルステーションを主宰していた佐藤健の作品もある。ユーミンは特にシンガーとして認知される前から作品提供をしていた。松本の証言「(ユーミンとか)みんな、まだ売れてなかったから書いてくれたんですよ。ニューミュージックっていうジャンルが出来たての頃でね。そう云う人たちには彼女(太田裕美)、人気があったかもしれない。認知されたアイドルって云うのかな。あんまりアイドルって好かれないんだけどね。それで、自分は間違っていないこととか、自分の感性は間違っていない事とかがわかったんだ。テストに合格したみたいな感じで。その合格のし具合がちょっと圧倒的だったんで、それからすごくやりやすくなっちゃってね。」
 アルバム2曲目♫袋小路 終始マイナーキーで運ばれる。初期ユーミンの良さが伺われる。文字通り行き場を失った二人乃ワンシーンだ、と田家。
 7曲目♫ひぐらし の詞。

ねえ私たち恋するのって
鞄ひとつでバスに乗ったの
マクドナルドのハンバーガーと
煙草はイブをポケットに入れ

御殿場までが矢のように過ぎ
緑の匂い胸にしみるわ
昔はカゴで通ったなんて
雪の白富士まるで絵のよう

読んだ漫画をあなたはふせて
内緒の声で耳打ちばなし
スーツを着てるあいつを見ろよ
三億円に似てないかって

最後に吸った煙草を消して
空の銀紙くしゃくしゃにした
窓に頬寄せ景色見てると
時の流れをただようようね

ガラスに映るあなたの寝顔
私はふっとため息ついた
生きてる事が空しいなんて
指先みつめ考えてたの

日暮れる頃に京都に着くわ
それは涯ないひぐらしの旅
あなたと二人季節の中を
愛はどこまで流れてゆくの

 固有名詞だらけの面白い詞。松本がこのアルバムで"したかった"実験"の一旦である。サウンドは翌年のユーミンの♫14番目の月 を先取りしている。♫14番目の月 をミディアムスローにしたような楽曲で愉しい。

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ひぐらし

太田裕美

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かめ

かめ

『6人の嘘つきな大学生』浅倉秋成

〈あらすじ〉
IT企業「スピラリンクス」の最終選考に残った波多野祥吾は、他の五人の学生とともに一ヵ月で最高のチームを作り上げるという課題に挑むことに。うまくいけば六人全員に内定が出るはずが、突如「六人の中から内定者を一人選ぶ」ことに最終課題が変更される。内定をかけた議論が進む中、発見された六通の封筒。そこには「●●は人殺し」という告発文が入っていたー六人の「嘘」は何か。伏線の狙撃手が仕掛ける究極の心理戦!

〈感想〉
伏線とミスリードの連続でそれぞれの人物に対するイメージが二転三転。特に終盤にかけて伏線を掻っ攫っていく気持ちよさがたまらない!ただの犯人探しだけでは終わらない人狼的な駆け引きも楽しい!就活あるある満載で就活経験者は笑えると思うし、これから就活する人にもおすすめ!

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-13

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☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

本回は♫木綿のハンカチーフ の作曲者筒美京平のお話を1席🍵 松本と筒美京平は太田裕美のデビューがきっかけで知り合った。筒美京平はその頃既に歌謡曲のヒット作品を手掛けていたヒットメイカーだった。松本にしたら雲上の人だった。松本がCBSソニーの白川ディレクターにコンセプトアルバムの提案をした時に、実は筒美京平にも違う提案をしていた。それまでは曲先だったものを詞先で書かせて欲しいと。はっぴいえんどの時がそうだったから、と事も無げに語る松本の肝っ玉も座っていた。歌謡曲の大家に向かってサラリとそう言ってのけたのだ。若い松本(年齢差は10歳以上ある)が考えてぶつけて来た提案を筒美はしっかりと受け入れた。筒美は松本との後の対談で初めて会った時の松本の印象をこう述べている。「書生さんみたいな雰囲気だったね。」
これは見た目の印象も去ることながら、内に熱いものを秘めている、という意味である。明治の世から使われていた「書生」という語を使う筒美の心中が透けて見える。その頃の若者…特にインテリ青年に対して使われた言葉だが、所謂書生節というフロックコートを身にまといヴァイオリンを弾きながら世を嘆く歌を街中で唄うのだが、そうした歌を演歌と呼んだ。無論現在の演歌とはまるで違う。添田唖然坊や神長寮月、桜井敏雄といった演歌師が流行らせた。政治風刺や世相斬りを主に謳い上げた。昔から学生は熱かった!松本に筒美はきっとそんなものを感じ取ったのだ。筒美京平という人はそんな大御所であっても気さくで振り幅のあるジェントルでもある。ニューヨークを訪れていた山下達郎夫妻と筒美京平が現地でバッタリ出会し会食することになった。筒美は二人の活躍が頼もしいと、特に竹内まりやの作った♫けんかをやめて を賞賛したという。以来何かにつけて目を掛けてくれたのだという。…とっても可愛がって頂いた…と山下はTV番組のインタビューで語りリスペクトを隠さなかった。
筒美はヒットメイカーでありたいと終生思っていた、と松本は云う。ヒットチャートから筒美の名前が消えつつあった1990年代、筒美はこんな言葉をラジオで呟いた。「時代は常に先を行く。時代が作曲者を選ぶんだな」。

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夕焼け

太田裕美

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-12

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☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

1975年12月5日リリースの太田裕美3rdアルバム『心が風邪をひいた日』。その筆鋒1曲目の♫木綿のハンカチーフ はこのアルバムでは核になる曲であった。のみならず、アルバムリリース後にシングルカットされ太田裕美の生涯の代表作ともなり引いては、日本の70年代を代表する1曲にもなった。そもそもこの曲、当初はあくまでアルバムの中の1曲として松本は考えていた。彼の証言によると「あのアルバムにはすごい思い入れがあったからね。最初アルバムに入れるために書いた曲だから。シングル用だったら、ああいう詞はたぶん書かなかったと思う」なぜそんなに強い思い入れがあったのか? 前回書いた松本が白川ディレクターに突き付けた要望を思い出してほしい。よって松本は思う存分にコンセプトアルバムをイメージして臨んだのである。「とにかくあの当時のポップス系のアルバムの作り方っていうのに、すごく僕は不満だったんですね。もっと丁寧に作りたかった」「(田家)すでに出たシングルを何曲か集めて、捨て曲を足して、みたいな」「そんなんじゃダメだって言って、それをすごい主張して。アルバム作るんだったら、真剣にやろうよって。それで詞のバリエーションを変えて書いて、それの一番とんでもないのが♫木綿のハンカチーフ (笑)」なんと、松本は作詞家の観点から邦楽のアルバムの在り方まで変えてしまった人でもあったのだ‼️
この曲はアルバムリリース後に評判を呼びそれを受けてシングルカットされたのであった。田家はこうも書く。当時の常識からすれば、シングルは3分以内、アイドル系ポップスには2分足らずのものもある。4分近いシングルはそれだけで異例だった。何よりも、1曲の中で男性と女性のやりとりをする対話形式を大胆にも前半4行の歌詞は男性側、後半は女性側の言葉という二人の関係の変化を半年という時間の経過とともに進行してゆく。
太田裕美は例の著作『太田裕美白書』の中でこの曲について「最初に聞いた時は売れるとは思わなかったですね。アルバムの中の1曲と思っていたし…男女の対話形式が新しい手法という、客観的な感じだけで全然売れるとかそういうことは思わなかったですね」。

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木綿のハンカチーフ

太田裕美

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-11

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☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

田家はここで又、一区切りと言わんばかりに話を変えて、はっぴいえんどから独立間もない松本の最初期の作品へと話を持ってゆく。この本は総ページ数525ページで大部と云う程でもないが、決して短くもない。それは新本価格¥2,600と云う値踏みにもよく表れていると言えよう。何せ松本隆の歴史は正にシティポップの歴史と言わんぱかりの解説振りだからだ。松本隆を語る時にその周辺の同じ音楽状況を客観的に捉える作業は、音楽を語る時には必然だから、この本は或る意味理想的な形と言えるかも知れない。しかも、松本のほぼ売れなかったそうした作品にまでスポットを当てるのは作家の「事実を炙り出す作業」として大事であり、1人の人間の評伝を書く時には必要不可欠な作業でもあり、それがその対象者に対しての礼儀でもあると思う。そういう点では柳田ヒロとのアルバムの仕事に関する記載があるこの本のP.115ページからP.122ページの半分ちょっとまでは誰も書かなかった松本の最初期の記録として大変貴重なデータベースでもある。大変有難い。この後もしばしばそうしたそうした記載に出会すが、私はこの連載ではなるべく松本に関係ないことは排除して、松本に関するところだけピックアップしている積もりである。必要に迫られて書く場合はこうして1話丸々、周辺解説に費やす。その方が判りがいいと思う。それに矢張りある程度は体系的に書き進めた方が読む方もスッキリ出来ると思う。同書もほぼ体系的に書き進められているので、安心して読める。なので、ここに書かれた柳田ヒロとの初期仕事はこの際割愛してしまおう。それは矢張り同書を買って是非ご確認願いたいところである。
次回からはいよいよ太田裕美のあのヒット曲が所収されたアルバム『心が風邪をひいた日』に進む。




※ 音楽は松本隆作詞家提供第一作目の作品。
1972年4月リリース。
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えんだん

五つの赤い風船

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マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-10

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☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

ここまで書いた田家は'75のこっち側、つまりニューミュージックの状況について解説している。
松本隆に関する概要は'75.1にリリースされた小坂忠の名盤『HORO』。後に小沢健二もカバーした♬しらけちまうぜ に軽く触れている。キャロルを解散した矢沢永吉がファーストアルバムをリリースしたのが同年9月『I LOVE YOU , OK』で、この中に所収された♬サブウェイ特急 を松本が提供した。…俺は畳じゃしなねえぞ…地下鉄みたいに吠えてみろよ…ヤミに向かって突っ走るのさ 何処までも…松本隆がはっぴいえんどから脱却し抜いたと思わせるに足る詞である。
一方、太田裕美プロジェクトは同年6月にセカンドアルバム『短編集』がリリースされる。前作同様1曲目からラスト12曲目まで1つのストーリーとなっている。が、結果は前作とほぼ同じオリコンチャート最高位41位。先行シングル♬たんぽぽ
は33位。アルバムリリース後の8月にリリースされた3rdシングル♬夕焼け に至っては37位だった。当時を振り返り松本は2000年に出版された『太田裕美白書』の中で「シングル3枚が出るうちに、段々売上が落ちてしまって。それで♬夕焼け が出たあたりで白川さんを呼び出してね。…彼に詞を直されまくってた。それで僕はどうすればいいのか分からなくなっちゃった」「それまでは、結構、いい子に作詞家やろうと思ってたんだけど、こんな仕事してたらつまらないなと思って、その姿勢自体が悪いんだなと。それで、白川さんに…一回好きなように書かせてくれ…って言ったんです。次のアルバムからは詞に対して口を出さないでくれって。白川さんは…シングルには口を出すけど、アルバムは好きに作っていいって言ってくれたんだ。だから『心が風邪をひいた日』と云うのは、本当に好きに作った。」松本隆はあるテレビ番組でシングルよりもアルバムこそシンガーやミュージシャンにとっての集大成なんだと力を込めて語っていた。それがえらく私の胸に残ったがここを読んで初めて点が線で繋がった思いだった。シングルはアルバムを売る為の1つの戦略でA面は売れ線でB面がアルバムコンセプトを表す楽曲を入れると云う。

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ピアニシモ・フォルテ

太田裕美

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-9

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☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

現在のソニーミュージックエンタテインメントの前身CBSソニーは1968年に設立した。その発足と同時に入社した白川隆三は営業から1974年にディレクターに抜擢され、山口百恵や郷ひろみのプロデューサーだったヒットメイカー酒井政利のアシスタントを経て初めて担当したシンガーが太田裕美だった。白川は「筒美京平さんは面識ある唯一の作曲家で自分が一本立ちする時には相談に行こうと思っていた」存在だった。余程信頼を置いていたのだろう。1974年7月14日、松本隆はスリーディグリーズの歌入れをソニー1階のスタジオで立ち合っていた。2階では筒美やディレクターの白川がB面の♫にがい涙 の歌入れの準備中だったが、途中で2階から降りてきた白川は初対面の松本に「君は作詞もやるんだってね。今度頼みたい仕事があるんだ」と声を掛けてきたと云う。白川はそれまで、はっぴいえんどの存在を全く知らず、松本が太田裕美の作詞を手掛けることに決まって初めて知ったと田家に明かしている。太田裕美は渡辺プロが経営していた東京音楽学院出身で卒業後はスクールメイツに所属、同期生はキャンディーズの伊藤蘭、田中好子らがいたと云う。レコードデビューが決まるまでは、渡辺プロ経営の西銀座のライブハウス『メイツ』でピアノの弾き語りをしたりして一応下積みを経験している。デビューは1974年11月1日リリースの♬雨だれ であった。松本隆はこのデビュー曲から太田のプロジェクトに参画している。が、このシングルデビュー曲はチャート最高位14位。田家はよく健闘したと誉めつつも、レコード会社的には必ずしも満足の行く結果では無かったと記述している。
むしろ翌年'75年2月にリリースされたファーストアルバム『まごころ』の楽曲全てに解説を披瀝している。このアルバムは所謂コンセプトアルバムの様な作り方がされていて、アルバム一枚分が1つの物語となっている。1枚がカレンダーの様になっている恋のアルバムとも紹介している。コンセプトアルバムと云う言葉そのものは80年代に入ってから使われた新語だが、松本と筒美はこうした作りのアルバムを新人の、ましてやデビューアルバムで試すと云うのはかなりな冒険だった。




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雨だれ

太田裕美

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-8

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☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

昨日のアグネスのB面♬想い出の散歩道 。松本の2曲のもう一曲についてはこの歌の詞と本項# 14-5で紹したチューリップの♬夏色のおもいで
の詞を読まなければ田家の思いが伝わらない。
♬夏色のおもいで の2番…きみの眼の向うに 青い海が見えるよ すきとおった波が そっと零れおちるんだ 涙ながすなんて ねぇきみらしくないよ ぼくたちのこの愛 誰にも邪魔させないさ
きみをさらってゆく風になりたいな…
♬想い出の散歩道 の1番…あの静かな 丘の上に そびえていた リンゴの木 背のびしても
届かないの 笑いながら もいでくれた あなただけがいないのね あとはみんな昔のよう わたし
ひとりぼっちで 歩いてゆくわ ほら想い出は もう風色よ… ♬夏色のおもいで の中の"青い海"と♬想い出の散歩道 の"丘の上"。"ぼくたちの愛"を手にしている♬夏色のおもいで と"ひとりぼっち"
の♬想い出の散歩道 。それぞれの曲が"風"で締めくくられていると異型同意の対比の論理で田家は見事な初期松本隆の論評を指摘している。
1974年11月リリースの世界No.1ガールソウルグループ スリーディグリーズの日本オリジナルシングルを松本隆、細野晴臣のコンビが手掛けるという栄誉に浴する。松本の証言によると彼女らの新曲が中々出ないので、それなら日本で出して仕舞おうと云う運びになりレコード会社はソニー。そこの洋楽部の高橋裕二からプロデュースと作詞を松本に依頼して来たと云う。作曲は細野晴臣に頼み二人でフィリーサウンドが好きだからそれで行こうと。スリーディグリーズを今の人に説明するとすれば矢島美容室を想像して頂ければよいと思う。松本は先ず日本語で詞を書きそれを英訳して貰い細野に後から曲を付けて貰った。リズムはティンパンアレーで弦アレンジは矢野誠。フィリーサウンドとは米国フィラデルフィア産のソウルミュージックスタイルの音楽を指す。ドリカムも色濃く影響されたと云う。ディレクターは白川隆三で太田裕美の担当ディレクターだった。これが運命の出会いだった。

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Midnight Train

スリー・ディグリーズ

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岸辺の100冊📖´- # 14-7-2

#読書の星

☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

 それは養護学校の身障者の子供たちが野山をピクニックしながら♬ポケットいっぱいの秘密 をみんなで歌ってたんだ。ぼくはそれを観て感動して泣いた。自分は間違っていないと。歌って、趣味趣向や理屈よりもっと深いものであるべきだと。」

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ポケットいっぱいの秘密

ティン・パン・アレー

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岸辺の100冊📖´- # 14-7

#読書の星

☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

 アグネス・チャン5枚目のアルバム『アグネスの小さな日記』ははっぴいえんどのミキサーを務めた吉野金次によってもたらされた。松本の話によると吉野には、「コマーシャルソングを書きたいんだけど」と伝えたのだが、それを吉野はコマーシャル=商業的な、と捉えてアグネスの仕事を持ってきてしまったらしい。アグネスは当時ナベプロの第一期黄金期の一翼を担ったアイドルの中のアイドルだ。アグネスのこのアルバムには当時の錚々たる作家陣が名を連ねており、例えば、山上路夫の作詞に森田公一作曲が3曲、安井かずみの作詞に平尾昌晃の作曲、松山猛の作詞に加藤和彦の作曲が3曲といった手合い。知名度、実績で松本は他の3名には及ばなかった。松本曰く…アグネスの場合は最初はテストでアルバムの中に書いてくれと言われたの。それで2曲書いたら他のは大御所ばかり。僕なんか端っこの端っこ。で、そうこうする内になんか色々もめ始めて、メジャーな人たちが落選していく訳。最終的に試しに書かせた僕が一番いいと云う事になっちゃってシングルカットはそうやって決まったんだ。僕からすれば棚ボタ(笑)…。田家も当時を述懐して「♬ポケットいっぱいの秘密 が出た時の驚きはチューリップの時の比ではない。」と言い切る。確かにアイドルを如何にチャーミングにそして、ユーモアも交えた或る種の余裕感、そうした魅せ方のアイデアがこの楽曲には湛えられている。つまり要求以上のものが回答されていたと云う事になる。それにこのバッキングの演奏もとても達者で独特の安定感を感じる。演奏したのはキャラメルママとまだ名乗っていた頃のティン・パン・アレーだ。松本は「オケがキャラメルママだったのも、偶然だった。仕掛けたのは吉野さんだと思うけど」と証言する。当時細野晴臣からも…歌謡曲に魂を売ったんだね…と揶揄されていたが、その細野とてしっかりアグネスのバッキングを演奏していたのは皮肉なことだ。しかし松本はこの楽曲のヒットに後悔はしていなかった。そう思える小さな出来事を証言する。「この詞のせいで、ぼくには昔の友達が殆ど居なくなったんだ。…あいつはロックから歌謡界に魂を売った…ってことで(笑)。そんな時にNHKのドキュメントを観たんだ…

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ポケットいっぱいの秘密

アグネス・チャン

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-5

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☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

…レコーディング当日なのに曲が出来てないなんて随分悠長な人だな…と思ったと云う。ドラム以外は全てのパートを細野が行ったのだが、この曲はファーストの時点で「風を集めて」と云うタイトルで録音までされていた。恐らくそうした下敷きを基調に曲を練り上げていったのだろうが、世界中から反響があると聞いて松本はぽつりと、…たまたま出来上がった世紀の名曲…と表現した。『風街ろまん』について著者の田家は詳細に記述している。日本語ロックの金字塔と言われる名盤には語るに足る名曲が多く所収されているからだ。はっぴいえんどの解散前後に松本は次の自分のポジションを模索する。それは作詞家だった。その為には所謂アチラ側へのアプローチも目指した。ここで云うアチラ側とは華やかな歌謡界の意味。そうしたものとは無縁を決め込むフォークやニューロック(当時はそう呼ばれていた)はコチラ側、その為に松本は橋を渡った、と田家は書いている。松本は田家のラヂオ番組で…作詞家宣言をして当時3人に相談した。岡林信康のマネージャーだった高木さん、はっぴいえんどのエンジニアだった吉野金次さん、初プロデュースをした南佳孝のファーストアルバム『摩天楼のヒロイン』のディレクターの鈴木孝夫。その3人にしか話してないのね。吉野さんがアグネスチャンの話を、高木さんがチューリップの話をそれぞれ持ってきてくれた。その二曲ともベストテンに入っちゃったから下積みゼロで作詞家デビューしちゃった。…
 チューリップとして3枚目のシングル♫心の旅 がヒットした直後のシングル4枚目をどうしようかと云う時で、バンドのソングライティングを担当していた財津和夫は煮詰まっていた時期だったと云う。後にも先にも他人が書いた詞はチューリップのキャリアの中でもこの♫夏色のおもいで だけだと云う。

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夏色のおもいで

TULIP

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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-2

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☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

この本のタイトルの"風街"とは松本隆の造語である。その定義は松本の長編小説『微熱少年』の中で語られている。…青山と渋谷と麻生を赤鉛筆で結び、囲まれた三角形を風街と名付けた。それは僕の頭の中だけに存在する架空の街だった。…
デラシネとはフランス語で根無し草、漂泊者を意味する。2017年クミコのアルバムに松本は大半の詞を書き下ろして、アルバムタイトルを考えなきゃと思って思いついたのがこの言葉だったという。これは田家がパーソナリティを務める2018年のラヂオ番組で松本が告白している。この本のタイトルにも田家が敢えて使用する位だから松本のこの言葉に対する思い入れ振りが伝わるが、それは同書を読んで納得して頂きたい。
私がはっぴいえんどに開眼したキッカケは大滝詠一だった。そもそも大滝詠一に目覚めたのは1982年、高1の時放送部で先輩がお昼の放送製作時にOPでナイアガラソングブックを掛けていた時に、その流麗なストリングスの調べに衝撃を受けた。その頃の私は夕方の若山弦蔵さんのラヂオでインストの洋楽モノに馴染んでおり、大滝のサウンドはそれらを踏襲して更にブラッシュアップしたような洗練された魅惑のサウンドに仕上がっていたのが琴線に触れたかのようだった。その後大滝の70年代のアルバムを少ない小遣いでレコード屋で一枚づつ買っていきナイアガラワールドにハマっていったのだが、高校を卒業して社会人になった1年目の1985年に代々木の国立競技場で行われた『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW by LION』ではっぴいえんどが12年振りに復活するということで、そのイベントとは別次元で盛り上がりを見せておりFM東京(現.TOKYO FM)ではっぴいえんどの4人が出演する特別番組も放送された。
私はその気運に後押しされるようにはっぴいえんどにのめり込んでいった。初めて聞いたはっぴいえんどはそれまで聴いてきた大滝のサウンドや曲調とはまるで異質で、殆ど洋楽を聴いている感覚であった。が、大滝の唄う♬春よ来い などはお正月がどうしたとか、カルタをしてだのサウンドと詞がまるでチグハグなので初っ端の印象は丸で受入れられなかった。

続。
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