投稿

マサヤス 龍之介
#読書の星
☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店
チューリップの話を書いた田家は次にアグネスチャンの話になるのかと思いきや、ここであがた森魚のアルバム『噫無情(レ・ミゼラブル)』の話を差し込む。1974年リリースで松本隆がプロデュースを行っている。松本隆が作詞家に専念する直前、はっぴいえんど解散後松本は作詞家ではなく、レコードプロデューサーになるべく活動し始めたのだった。松本がプロデューサーとして手掛けたアルバムは4枚あると田家は記述、最初に作ったのが南佳孝の『摩天楼のヒロイン』、岡林信康『金色のライオン』、あがたのこれ、そして再び岡林信康『誰ぞこの子に愛の手を』。1973年9月から1975年1月までの間に行なった松本の仕事であった。この4枚のアルバムにも傾向が2つに分れると書いてあるが、ここでは詳細は省く。あがたと松本は松本の人脈から知り合った。松本隆の弟 裕がドラマーで参加していたはちみつぱいはシティポップ の古典と呼ばれる『センチメンタル通り』をリリースした後ムーンライダースへと発展、ドラマーも松本裕からかしぶし哲郎にメンバーチェンジしてベースの鈴木博文、リーダーの鈴木慶一らと自然と松本隆は交流してゆき、その関係からあがたと知り合う。あがたのアルバム『噫無情』は南佳孝の『摩天楼のヒロイン』と同様懐古調で南の方は舞台が1920年代末のハリウッド調ハードボイルド趣味に彩られ、あがたのアルバムは日本が舞台の懐メロ調、昭和レトロ趣味の世界だった。どちらも私の個人的趣味の琴線を刺激して余りある作品で1980年代後半に双方の作品に出会い私は愛聴した。あがた作品の中に所収された♫組曲 噫無情・嘆きの舞姫(バレリーナ)』 売ることに忖度しない松本のやりたいように書いた自由さに満ちた虚構の中の流行歌といった趣きではっぴいえんどとは違う背伸びした青さを湛えた松本隆25歳の大人のメルヘンの表出した非定型詞であった。
編曲はムーンライダースと近しかった矢野誠だった。このアルバムの中の♫最后のダンスステップ(昭和柔俠伝の唄) は1996年になって突然クミコがカバーし、それがクミコと松本隆の出会いに繋がったと田家はこのアルバムの項で短く記述している。
続




「噫無情」組曲
話題の投稿をみつける

四季

さいこ
この1年勝負よ🙄(直近1年分の賞金)

モカ❤
大好きな兄貴分
めちゃくちゃ観ます
いいよねGOAT
って言葉をあんなに可愛くて穏やかで優しい笑顔と生き生きとした表情で言えないと思う☺️
3人もだけど2人も顔や表情に出てしまうタイプだよね☺️
だからこそ観ていて幸せな気持ちになった🥹

うるさ
テレビで見てると、どっちかと言うと小柄でかわいい感じなのに、去年のえび座で通路側の席から見上げた後ろ姿はなんか…なんというか…オーラあったな 自信に溢れた顔してた。(ちなみにファンサは頂いてません

樹下蜜
ワン。
と吠えた。
よしよしお前は俺の言う事が理解できるのか?
雲丹をだきあげると、雲丹がぺろぺろと顔を舐めた。
どうやらたどり着いたようだ。
みんな気をつけろ!
浬が突然大声を上げる。

はらぺ
固有の窓通したりと神業すごかった🪓
チェイスしながらも発電機にメテオ投げしてくるし隙間でちゃんと当ててくるの憧れる✨
俺もキラーそのレベルで極めたい

まりぃ
とても冷静だった😆パニクらずひたすら呼吸とリラックスする事が理想なお産だな〜
あと、アロマか何か匂いを鼻から嗅いで
口でフーーって呼吸してて、それは使えそう!ってアイデアだった💡

【楽ら
🔔Win5東京11Rダービー
サンライズアース
2走前すみれS道中後方から捲り勝ち
ジューンテイク
前走京都新聞杯前残りの流れを最速上がり差し切り勝ち
ビザンチンドリーム
2走前きさらぎ賞前残りの流れを最速上がり差し切り勝ち

ロンレ
一戦目からの裏話がてんこ盛りで、あの熱戦の舞台袖はお祭り騒ぎだったようです
最終的には打ち上げの話で大盛り上がりし、毛利さんいじって終わりましたw
青春ですね😊

みやみ
良い1日をお過ごしくださいね
日本ダービー
◎⑥コスモキュランダ
単複⑥
馬単、馬連、ワイド ⑥→⑮
3連複 ⑥−⑮−(総流し)
3連単 ⑥⑮−⑥⑮−(総流し)
15複は人並みに金曜購入済み
メインまでに利益が出たら3単2軸マルチを買いたい
#日本ダービー
もっとみる 
関連検索ワード
