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マサヤス 龍之介
#読書の星
☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店
現在のソニーミュージックエンタテインメントの前身CBSソニーは1968年に設立した。その発足と同時に入社した白川隆三は営業から1974年にディレクターに抜擢され、山口百恵や郷ひろみのプロデューサーだったヒットメイカー酒井政利のアシスタントを経て初めて担当したシンガーが太田裕美だった。白川は「筒美京平さんは面識ある唯一の作曲家で自分が一本立ちする時には相談に行こうと思っていた」存在だった。余程信頼を置いていたのだろう。1974年7月14日、松本隆はスリーディグリーズの歌入れをソニー1階のスタジオで立ち合っていた。2階では筒美やディレクターの白川がB面の♫にがい涙 の歌入れの準備中だったが、途中で2階から降りてきた白川は初対面の松本に「君は作詞もやるんだってね。今度頼みたい仕事があるんだ」と声を掛けてきたと云う。白川はそれまで、はっぴいえんどの存在を全く知らず、松本が太田裕美の作詞を手掛けることに決まって初めて知ったと田家に明かしている。太田裕美は渡辺プロが経営していた東京音楽学院出身で卒業後はスクールメイツに所属、同期生はキャンディーズの伊藤蘭、田中好子らがいたと云う。レコードデビューが決まるまでは、渡辺プロ経営の西銀座のライブハウス『メイツ』でピアノの弾き語りをしたりして一応下積みを経験している。デビューは1974年11月1日リリースの♬雨だれ であった。松本隆はこのデビュー曲から太田のプロジェクトに参画している。が、このシングルデビュー曲はチャート最高位14位。田家はよく健闘したと誉めつつも、レコード会社的には必ずしも満足の行く結果では無かったと記述している。
むしろ翌年'75年2月にリリースされたファーストアルバム『まごころ』の楽曲全てに解説を披瀝している。このアルバムは所謂コンセプトアルバムの様な作り方がされていて、アルバム一枚分が1つの物語となっている。1枚がカレンダーの様になっている恋のアルバムとも紹介している。コンセプトアルバムと云う言葉そのものは80年代に入ってから使われた新語だが、松本と筒美はこうした作りのアルバムを新人の、ましてやデビューアルバムで試すと云うのはかなりな冒険だった。
続



雨だれ
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にゃん

ぽてと
そういう自分が悲しい。
そうなってしまったことも悲しい。
でも、騙してないなきっと、と思える人達もいる、ありがたい。
世界中全て敵だったら本当に苦しいよね。

つきこ
ちょっと元気になりました--*
(助けた後にお昼に怒られたっぽいのは、流石にキツかった〜)

コンビ
走ると自分にぶつかって滅茶苦茶価値落ちる

トゥー
これが最高なんだぜ

ナズ

宮下/み

ダルタ

あおり

北関東
どこの自粛だろ
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