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マサヤス 龍之介
#読書の星 #音楽本 #新書
☆『「ヒットソング」の作りかた
大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』
/ 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷
牧村憲一のプロデューサー論
竹内まりやを手掛けたその後の牧村の軌跡は加藤和彦のヨーロッパ三部作の話、いけないルージュマジック誕生秘話、そしてYMO。未だに語り草になっている伊武雅刀の♬子供たちを責めないで 80年代晩期にプロデュースしたフリッパーズ・ギターのレコードプロデューサーとして話題作を連発してゆくのだが、結局それらの項目に触れて行くとこの本の紹介、という領域を超えてしまうのでここらで打ち止めとしたい。最初期のシティポップの名門レーベルとして名高いキングレコード傘下のベルウッドレコードを立ち上げた三浦光紀はプロデューサーとは「アーティストにとって最高の環境を揃えて上げる仕事」といったが、牧村は「アーティストに常に問いかけること」と更に踏み込んで役割を担えるか?がプロデューサーとしての明暗を分ける。つまり、…いいねいいね、とおだててるだけではダメであり、時にアーティストと膝付き合わせてディスカッションも辞さない覚悟が必要だと牧村は説く。1970年代に牧村は重要なキーパーソンたちから或る重要な提言を受けたと云う。1人は大滝詠一のスポンサーとして有名な朝妻一郎、もう1人は加藤和彦、この2人から『牧村くんはすごくいい音楽を作るけど、売れないよね』更に加藤は『プロデューサーは1位をとること』とまで言い放ったのだった。悔しさはあったが2人のこの言葉が無ければ牧村は意識的にヒット曲を作ることは無かったかも知れないと告白する。同時に、その反対もまた違うと結論づける。
売れることばかり追求し、安易な作りに安んじることは牧村には受け入れられないと豪語する。
結果的にヒット曲を作ることと、高いクリエイティブな音楽を作ること、この二つの要素が揃った音楽が今日シティポップの古典として時代というふるいに掛けられて残った音楽なのではないだろうか。それが私がこの本を読んで思った率直な感想である。
=敬称略=
完
**写真は朝妻一郎と加藤和彦


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