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🪭映画大喜利お題🪭​自分の上司だったら、1日で辞めたくなる映画キャラは?『分かるぅ〜🤣』と言いたくなるキャラお待ちしてます〜理由もあったら嬉しいです🪭映画大喜利お題🪭​自分の上司だったら、1日で辞めたくなる映画キャラは?『分かるぅ〜🤣』と言いたくなるキャラお待ちしてます〜理由もあったら嬉しいです

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「仁義なき戦い」シリーズ
山守組長 金子信雄
頼みがあると泣き落とし、ケチ、無責任、立場が弱い奴はボロクソ。
そんな神輿を担ぐための「仁義」を問うた作品です。「枯れ木も山のにぎわいじゃのう〜」
映画の星映画の星
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臼井優

臼井優

長宗我部元親の生涯における主な「誤算」は、天下情勢の読み違えと、後継者をめぐる悲劇に集約されます。
1. 織田信長との外交方針の転換
元親にとって最大の誤算の一つは、織田信長との関係悪化です。
「切り取り自由」の撤回: 当初、信長から四国の「手柄次第の切り取り」を認められていましたが、1581年頃に方針が転換されました。
領土限定の通告: 信長は土佐一国と阿波の南半分のみの領有しか認めず、元親がこれに反発したことで、信長による四国討伐軍の派遣が決定的となりました。本能寺の変により一時的に回避されましたが、中央政権との決定的な対立を生む要因となりました。
2. 豊臣秀吉の圧倒的な軍事力とスピード
秀吉との戦いにおいても、情勢判断に誤算がありました。
小牧・長久手の戦いでの連携: 徳川家康・織田信雄連合軍と結んで秀吉に対抗しようとしましたが、秀吉が早期に家康らと講和したことで梯子を外され、孤立しました。
四国征伐の規模: 1585年の秀吉による「四国攻め」では、10万を超える圧倒的な大軍を三方向から送り込まれ、四国を統一したばかりの元親は短期間で降伏に追い込まれました。
3. 戸次川(へつぎがわ)の戦いと嫡男・信親の戦死
元親の人生を大きく狂わせた最大の誤算は、1586年の九州征伐における嫡男・信親の戦死です。
無謀な渡河作戦: 監軍の仙石秀久による強引な策に従わざるを得ず、島津軍の「釣り野伏せ」に遭って敗北しました。
家督問題の混乱: 寵愛していた信親を失ったショックから、元親は性格が豹変したと言われています。強引に四男の盛親を後継者に据えたことで、一族内に深刻な対立(香宗我部親泰の死や吉良親実の粛清など)を招き、後の長宗我部家滅亡の遠因となりました。
これらの誤算は、個人の武勇で四国を平定した「土佐の出来人」といえども、急速に拡大する天下人の権力と、戦場での一瞬の判断ミスからは逃れられなかったことを物語っています。

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臼井優

臼井優

小牧長久手の戦いで戦死した武将が娘へ送った手紙の具体的な記録は、名古屋市博物館の資料によると、森長可(もりながよし)が戦死前に残した遺言状に「娘は京の町人に嫁いでほしい」と記されていたことが分かりますが、これは「手紙」というより遺言(遺言状)の内容です。この戦いでは池田恒興やその息子たちも戦死しており、娘への想いを残した武将は他にもいたと考えられますが、現在に伝わる有名な手紙としては、この森長可の遺言状が代表的です。
森長可の遺言状(概要)
母の処遇: 京に住まわせること。
娘の処遇: 京の町人に嫁がせること。
家督: 幼い弟に継がせず、秀吉の側で奉公させること。
その他
小牧長久手の戦いは、織田信長亡き後の後継者争いから発展し、羽柴(豊臣)秀吉と織田信雄・徳川家康連合軍が激突した大規模な合戦でした。
財務省の記事などでは、徳川家康に関する遺愛品や駿府での生活が紹介されていますが、直接娘への手紙という形ではありません。
中国新聞デジタルで紹介されているような、戦時下での家族への手紙は多く残されていますが、小牧長久手の戦い(1584年)とは時代が異なります(太平洋戦争)。
まとめ
小牧長久手の戦いで戦死した武将と娘への手紙という点では、森長可の遺言状(「娘は京の町人に嫁いでほしい」)が最も具体的な内容として知られています。
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臼井優

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小牧・長久手の戦い、特に長久手の戦い(1584年4月9日)では、羽柴(豊臣)秀吉方の池田恒興(つねおき)、森長可(ながよし)ら主要武将を含む数千人規模の戦死者を出し、徳川家康・織田信雄連合軍が勝利しました。秀吉方は池田恒興・元助父子や森長可など多くの将兵が討ち取られ、家康方でも負傷者が出ましたが、全体的に羽柴方が大敗を喫し、総死傷者は1万人以上ともいわれました。
主な戦死者
羽柴(豊臣)秀吉方
池田恒興(信長の乳兄弟、総大将):長久手で戦死。
池田元助(庄九郎)(恒興の子):父・恒興と共に戦死。
森長可(長可):鉄砲で狙撃され討死。
堀秀政(家臣団):敗走中に討死(図屏風にも描かれる)。
織田・徳川連合軍
永井直勝(家臣):池田恒興を討ち取るなど奮戦。
安藤直次(家臣):池田元助を討ち取る。
戦いの状況と死者数
長久手の戦いでは、徳川軍(井伊直政、永井直勝ら)が池田・森軍(池田恒興、森長可ら)を相手に大勝利。
池田・森軍だけで2,500名以上の戦死者を出したとされ、秀吉軍全体の死傷者は1万人とも報じられています。
家康方(徳川軍)の死者は約550~590名程度とされ、羽柴方が圧倒的に大きな被害を受けました。
長久手には、池田恒興の「勝入塚(かついりづか)」や池田元助の「庄九郎塚」など、多くの犠牲者が出たことを示す史跡が残されています。
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のしがもす

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⚪︎あきーえとかあびい落書き漫画「伊勢1335」パート2
【解説】
伊勢の山々が見える場所を駆け、馬を降りているので館(度会氏の館と思われます)に到着したのでしょう。出迎えたのは顕家の弟の顕信でした。

⚪︎顕信の作画について
逃げ若でまさかの一コマしか出てこなかったので、もうどうしようもなくて、ほぼほぼ顕家卿な見た目ですw顕信について続きは、パート3の人物紹介で。

⚪︎伊勢での滞在場所
顕家たちの今回の滞在場所…

そこを考えるのに必要なのは、まず逃げ若17巻…
時行が極楽と間違えた梅の花が咲き乱れる顕家卿の館の場所はどこかの特定…いや、どこなんだ…w

候補は、玉丸城(※田丸城のこと)、霧山城(多気城たげじょう)&多芸御所(北畠神社)…
あ、地理的に玉丸城っぽそうw

さて、17巻は1338年でまだまだ未来のお話なので、今回の滞在場所をどこにするか…

とりあえず、史実を見てみましょう。
 延元元年(1336年)10月、伊勢に下向した親房、顕信らは、外宮の渡会家行に迎えられ、度会郡の玉丸山に砦を築く。これが玉丸城となり、天正3年(1575年)に信長の次男信雄が改修を行い田丸城となります。
 多気城は、興国3年/康永元年(1342年)または興国4年/康永2年(1343年)に北畠顕能によって築かれる山城です。その割と近くにあるのが多芸御所、北畠氏は平時の居館として過ごしていたのだそう。ただ、御所と呼ぶようになるのは顕信が鎮守府将軍に叙されてからのことだとか。ふむー??

もっと詳しく見てみましょう。
前回の【第五弾の読まなくても良い解説22⚪︎親房の体調】にも同じことを書いていますが、『北畠准后傳』(多少写し間違いがある)によると、1336年の4月?5月?27日親房は病に罹っていて宇治にいて、その後6月には伊勢に赴いてはじめは多芸の山荘に滞在した、とある。多芸の山荘とは、おそらく多芸御所の前身の館ではないでしょうか?ここから目をつけるのが現在の玉城町は玉丸城のあたりなのは間違いない。度会氏のお膝元なので、度会氏の居館などもありそう。どうでもいい疑問ですが、度会家行は禰宜(ねぎ)だったそうなので、外宮に住んでいた可能性はもしかして低いんでしょうか??
話を戻します。
多芸にはもともと館があったっぽいが、ここで問題なのが、だいぶ山の中である。標高506m?!伊勢神宮までも10㎞以上離れている!!今回は、話の流れ的にも外宮の近くにいてもらわないとちょっと困る…
そして、お気づきでしょうか?そうなんです。このあきーえとかあびいの親房は、京に行く前に、先に伊勢にいたんです。しかも、親房は伊勢神宮を重視し、家行より伊勢神道を学んでいたので、もっと便利の良い場所に進出し居館を構えていた可能性…(新たに建てるわけではなく、間借りする的なイメージ)

というわけで、今回は玉丸山周辺の度会氏の居館を借りて過ごしているということにしてください。

⭐️カービィを探せ!は、1箇所(コマ含め3箇所)。

#カービィ #逃げ若
#のしがもすのらくがき #あきーえとかあびい ←前作などはこちらのタグ、もしくは、pixivからも読めます〜
『逃げ若』大好きの星『逃げ若』大好きの星
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甲斐性無しの甲斐の人

甲斐性無しの甲斐の人

小幡陣屋

織田信長の次男信雄の孫信昌によって築かれた陣屋。
織田信雄は羽柴秀吉によって織田家を乗っ取られて以降、結局領土も取り上げられて没落し出家して常真と名乗るようになるが、なんやかんやで大坂の陣では豊臣方の総大将として担がれそうになる。
しかし既に大軍を率いて天下を争うような気概は無かったため、船で大坂を脱出した。
結果、豊臣秀頼の誘いに応じなかったとして家康から宇陀松山に3万石、上野に2万石を与えられ、そのうち上野の2万石を三男の信良に分知して立藩させた。
そして上野小幡に前田、池田など織田と縁のある諸大名から寄付を集めて理想の庭園を目指して楽山園を作庭したが、晩年だった常真自身は訪れることは無かったという。
元々は陣屋は別の場所に築かれていたが、信良の死後その息子信昌が藩主のときに楽山園に隣接させる形で新たに築いたのがこの小幡陣屋。

訪れてみるととても良い陣屋跡だった。
軍事色はかなり薄く、石積で入れ違い虎口などもつくられているが、石垣ではなかったりと元々見た目重視のつくりだったのだろう。
この年代に築かれたものでありながら野面積であることも、美しさを表現する上でとても良いと思うし、やはり庭園は立派だった。
観光客もあまりおらずゴタゴタしていなかったことも良かった。
なぜか餅をついている石の武士も印象的だった。

#一日一城
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さっぴ

さっぴ

ホームズリバイバル上映&トークショーに来てるよ!
今月2回もやって下さるの神✨だし
お会いしたかった神作品作ってる神々に会えるのが又嬉しい[大泣き](本当は会う訳ではなくて拝観拝聴する)
本日は友永和秀さん(作画)・富沢信雄さん(作画) <MC>叶精二さん
叶さんいつもありがとうございます🙏🙇
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