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甲斐性無しの甲斐の人

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小幡陣屋

織田信長の次男信雄の孫信昌によって築かれた陣屋。
織田信雄は羽柴秀吉によって織田家を乗っ取られて以降、結局領土も取り上げられて没落し出家して常真と名乗るようになるが、なんやかんやで大坂の陣では豊臣方の総大将として担がれそうになる。
しかし既に大軍を率いて天下を争うような気概は無かったため、船で大坂を脱出した。
結果、豊臣秀頼の誘いに応じなかったとして家康から宇陀松山に3万石、上野に2万石を与えられ、そのうち上野の2万石を三男の信良に分知して立藩させた。
そして上野小幡に前田、池田など織田と縁のある諸大名から寄付を集めて理想の庭園を目指して楽山園を作庭したが、晩年だった常真自身は訪れることは無かったという。
元々は陣屋は別の場所に築かれていたが、信良の死後その息子信昌が藩主のときに楽山園に隣接させる形で新たに築いたのがこの小幡陣屋。

訪れてみるととても良い陣屋跡だった。
軍事色はかなり薄く、石積で入れ違い虎口などもつくられているが、石垣ではなかったりと元々見た目重視のつくりだったのだろう。
この年代に築かれたものでありながら野面積であることも、美しさを表現する上でとても良いと思うし、やはり庭園は立派だった。
観光客もあまりおらずゴタゴタしていなかったことも良かった。
なぜか餅をついている石の武士も印象的だった。

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