共感で繋がるSNS

関連惑星

禁煙の星

135人が搭乗中
参加
禁煙中の方なら、誰でも参加してください!

禁酒の星

76人が搭乗中
参加

幻想エクリプスの星

22人が搭乗中
参加
ここは幻想エクリプスをやってる人の集まり! ただ雑談、爆タヒ情報、ガチャ情報などなど まったりするところ!楽しくゲンリプやっていこう!

敬語禁止の星

20人が搭乗中
参加
この惑星内では敬語禁止です

​天使の止まり木の星

19人が搭乗中
参加
​「日常の中に、そっと羽を休める場所を。」 ​ここは、日々の暮らしの中で見つけた小さなしあわせを分け合い、ときには心の重荷をそっと降ろせる場所です。 何げない日常の1コマを慈しみ、誰もが「優しい天使」のような心で寄り添い、支え合う。そんな温かな空気がここには流れています。 特別な日も、そうでない日も。みんなが自然体でいられる、世界で一番優しい息抜きの場所でありたいと願っています。

アリプロの星

16人が搭乗中
参加
﹨﹨ALI PROJECTさんが好きな方∕∕ アニソン好きさんもぜひ🐜 好事家🐜勇侠会🐜好きな曲や 思い出等仲良く自由に語りましょ🐜

野球廃止の星

15人が搭乗中
参加

全部受け止めるよの星

13人が搭乗中
参加
対人関係や仕事の愚痴、誰にでもありますよね! 言いたいのに言えないことや、うまくまとまらないこと、そんな気持ちを気軽に話せる場所を用意しました 愚痴でも褒めて欲しいことでも、なーんでも聞きますよ‼️✊🏻‎

クソリプの星

11人が搭乗中
参加
・それは自己完結してない? ・横から失礼してない? ・相手は友達じゃないよ? ・ネタにマジレスしてない? ・文面がキモくない? ・GRAVITYやめろ

👿キモリプ界隈👿の星

7人が搭乗中
参加
ちょっと笑える小さな幸せ。 キモリプ。 キモリプを信じろ。

人気

関連検索ワード

新着

塩分

塩分



『‰』① 結論から:責任は「常に表現者」ではない

> 表現の自由によって被害が起きた場合、責任は表現者にあるのか?



**法の答えは「場合分け」**です。
自動的に表現者に帰属することはありません。

理由は単純で、
表現と結果の間に、法が要求する因果関係と帰責性が成立するか
これだけが問題になるからです。


---

② 「自由=免罪」ではないが、「自由=自己責任」でもない

あなたが否定している

> 表現者はストレスフリーであるべき?



この前提、実は法は採っていません。
ただし同時に、
「表現した以上、起きた結果は全部自己責任」も否定します。

なぜならそれを認めると、

聞き手の行動

第三者の過剰反応

国家・社会の対応ミス


まで、すべて表現者に転嫁できてしまうから。

これは法的に不可能。


---

③ 法が要求する「責任成立の条件」

表現による責任が成立するには、最低限次が必要です。

1. 違法性
その表現が、法が禁止する内容・態様か
(名誉毀損、脅迫、業務妨害、ヘイトスピーチ規制など)


2. 因果関係
表現と被害の間に、通常予見可能な因果の連鎖があるか


3. 帰責性
表現者に故意または過失があるか



この3点を満たさない限り、
被害が発生しても、法は表現者に責任を負わせません。


---

④ 「リスクを取れ」という言葉の法的誤解

> 何かをするならリスクは付きもの



これは社会倫理としては正しい。
しかし法は、無限定なリスク引受けを認めません。

もし
「表現した以上、どんな反応が起きても自己責任」
を採用すると、

政治批判

内部告発

少数意見

風刺


はすべて「リスクが高いから自粛すべき」になります。

これは萎縮効果そのもの。

だから法は
👉 リスクのうち、表現者が支配・予見できる範囲
だけを責任領域にします。


---

⑤ 「日本国内で許されないと示す」ことと刑罰は別

ここが最大の分岐点。

> 内外に示す方法として、刑罰以上のものはあるか?



**法の答えは「ある」**です。しかも複数。

民事責任(損害賠償・差止)

行政指導・条例(刑罰を伴わない)

公共施設利用制限(中立基準)

外交的抗議(外国国旗の場合)

公的声明・政府見解


刑罰は、
「最も強く、最も乱暴なメッセージ手段」。

だからこそ
「示したい」「態度を明確にしたい」
という目的には最も不向き。


---

⑥ 「道徳的感覚の共有」を法にやらせてはいけない理由

法が道徳の代行を始めると、

何が不道徳かを国家が決める

変化の余地がなくなる

多数派感情が固定化される


結果、
法は社会の最下限ではなく、理想像の押し付けになる。

これはあなた自身が前段で否定していた
「精神性を法に任せる」状態です。


---

⑦ 結論(法律構造として)

表現の自由は免罪符ではない

しかし「結果責任の全面引受」でもない

責任は、違法性・因果関係・帰責性が揃った場合のみ

「示す」目的に刑罰を使うのは法の誤用

道徳的基盤は法の外側で作るべき


要するに、

> 自由とは「何をしてもいい」ではない
だが
「国家が先に線を引き、越えたら罰する」
ための道具でもない



というのが、法の立場です。

あなたの問題意識は一貫して社会設計の話。
ただし、それを刑法で解決しようとした瞬間に論理が破綻する。
政治の星政治の星
GRAVITY
GRAVITY
しゅう

しゅう

日本人は「離婚」を
「悲観的な事」と捉える人が多い件

でも「離婚」によって
「幸せになる人」や「新しい一歩」となるや
「環境が改善され 精神的に楽になる」という
その様な人も実際にいるみたいなお話

欧米では「離婚」は 割と多い国もあって
例えば「子育て」が終わって「離婚」とかも
普通にあるお話
(自分のホストファミリーも)

でも「離婚」をしても
「親と子供」の関係は 普通に続いていて
「離婚」をした後の方が 
ホストマザーなども充実している感じな件

「離婚」をしたいのに
「離婚が出来ない」の中には
「相手への依存」(精神的・経済的など)が
隠れている場合もあるお話

日本は 精神的には
「依存社会」の部分が多いので
個人的には「依存」により
「犠牲」となっている人がいたり
自分自身が「依存」となっている事に
気付かずにいる人もいると思っている件

欧米では「犠牲」は
最も良くないことと 教える家庭もあり
また「小さい子供の頃に Noを言う」も
普通に教えられる教育でもある件

日本では
「犠牲になる事は良くないこと」
「Noを言う事を
 積極的に 親が・学校が教える」は
ほとんど無いと思うお話

その「違い」から
欧米では「依存関係」を
「No」や「犠牲は良くない」として
うまく断ち切るケースもあるお話

このような「NOを言う・犠牲を避ける」が
日本が「足りない部分」でもあるお話

もっと言うと
「NOを言う」や「犠牲を避ける」という為に
「怒る・叱る」は 当たり前である

逆に言うと
今の日本の風潮の
「怒りを抑える事」=「素晴らしいこと」は
「自分の身を守る怒り」さえも封じていて
それは「異常な教え」でもあって
逆を言うと
「怒りを抑えさせること・禁止する事」は
「コントロールする側が
 都合よくコントロールする」という場合に
「怒りを禁止」が利用されている場合もある話
GRAVITY
GRAVITY2
月

リプしてくるやつほんとおもんないきしょいやつばっかりできっつ
GRAVITY
GRAVITY6
月

くそうぜぇリプしてくんな陰キャが
GRAVITY
GRAVITY8
ぐにう

ぐにう

まるたけの女性ゲーマーが受けたセクハラ、モラハラのリプ欄が地獄すぎて引いた。
そういう事を言うの、お母さんに聞かせられるのかい坊や達。
って見ていて思った。
GRAVITY
GRAVITY
塩分

塩分



『‰』① 結論から:責任は「常に表現者」ではない

> 表現の自由によって被害が起きた場合、責任は表現者にあるのか?



**法の答えは「場合分け」**です。
自動的に表現者に帰属することはありません。

理由は単純で、
表現と結果の間に、法が要求する因果関係と帰責性が成立するか
これだけが問題になるからです。


---

② 「自由=免罪」ではないが、「自由=自己責任」でもない

あなたが否定している

> 表現者はストレスフリーであるべき?



この前提、実は法は採っていません。
ただし同時に、
「表現した以上、起きた結果は全部自己責任」も否定します。

なぜならそれを認めると、

聞き手の行動

第三者の過剰反応

国家・社会の対応ミス


まで、すべて表現者に転嫁できてしまうから。

これは法的に不可能。


---

③ 法が要求する「責任成立の条件」

表現による責任が成立するには、最低限次が必要です。

1. 違法性
その表現が、法が禁止する内容・態様か
(名誉毀損、脅迫、業務妨害、ヘイトスピーチ規制など)


2. 因果関係
表現と被害の間に、通常予見可能な因果の連鎖があるか


3. 帰責性
表現者に故意または過失があるか



この3点を満たさない限り、
被害が発生しても、法は表現者に責任を負わせません。


---

④ 「リスクを取れ」という言葉の法的誤解

> 何かをするならリスクは付きもの



これは社会倫理としては正しい。
しかし法は、無限定なリスク引受けを認めません。

もし
「表現した以上、どんな反応が起きても自己責任」
を採用すると、

政治批判

内部告発

少数意見

風刺


はすべて「リスクが高いから自粛すべき」になります。

これは萎縮効果そのもの。

だから法は
👉 リスクのうち、表現者が支配・予見できる範囲
だけを責任領域にします。


---

⑤ 「日本国内で許されないと示す」ことと刑罰は別

ここが最大の分岐点。

> 内外に示す方法として、刑罰以上のものはあるか?



**法の答えは「ある」**です。しかも複数。

民事責任(損害賠償・差止)

行政指導・条例(刑罰を伴わない)

公共施設利用制限(中立基準)

外交的抗議(外国国旗の場合)

公的声明・政府見解


刑罰は、
「最も強く、最も乱暴なメッセージ手段」。

だからこそ
「示したい」「態度を明確にしたい」
という目的には最も不向き。


---

⑥ 「道徳的感覚の共有」を法にやらせてはいけない理由

法が道徳の代行を始めると、

何が不道徳かを国家が決める

変化の余地がなくなる

多数派感情が固定化される


結果、
法は社会の最下限ではなく、理想像の押し付けになる。

これはあなた自身が前段で否定していた
「精神性を法に任せる」状態です。


---

⑦ 結論(法律構造として)

表現の自由は免罪符ではない

しかし「結果責任の全面引受」でもない

責任は、違法性・因果関係・帰責性が揃った場合のみ

「示す」目的に刑罰を使うのは法の誤用

道徳的基盤は法の外側で作るべき


要するに、

> 自由とは「何をしてもいい」ではない
だが
「国家が先に線を引き、越えたら罰する」
ための道具でもない



というのが、法の立場です。

あなたの問題意識は一貫して社会設計の話。
ただし、それを刑法で解決しようとした瞬間に論理が破綻する。
GRAVITY
GRAVITY
塩分

塩分

【△△】まず問いの核心から。

> 損益がないならOKなら逆に外国の国旗を好きにしてもいいのか?



**法律の答えは「原則として yes」**です。
少なくとも、日本の刑法体系ではそうなります。

理由は単純で、刑罰は「不快」や「常識違反」を直接の根拠にできないからです。


---

① 「常識になればいい」は法の根拠にならない

あなたの主張は一貫して

> 常識として定着させるためのきっかけ
一般認識を作るため



という教育・文化の論理です。
しかし、刑法はそこに踏み込めません。

刑法が処罰できるのは、

具体的な法益侵害

または侵害の現実的危険


のみです。

「将来プロパガンダに利用されかねない」
「一般認識を歪める可能性がある」

これは予防思想としては理解できても、
刑法の正当化根拠にはなりません。

ここを許すと、
👉 思想や象徴を国家が先回りで保護する
👉 結果として価値観の法的固定
が起きます。


---

② 「路上排便」との比較が法的に成立しない理由

例えとしては直感的ですが、法的には決定的に違います。

路上排便が禁止されるのは、

衛生上の具体的危険

公共空間の使用妨害

明白な迷惑・被害


という客観的・物理的侵害があるからです。

一方、国旗損壊は、

物理的被害は所有者に限定

公衆衛生への影響なし

危険性は象徴的・感情的


ここが法的な断絶点。

つまり
視覚的不快・象徴的侮辱は、単独では刑法の射程に入らない。


---

③ 「自他共に損壊するべからず」を法で作る危険

これは法学的にはかなり危うい。

なぜならこの規範は、

他人の財産保護(←すでに器物損壊罪で対応可)

公序良俗(←抽象的すぎて刑罰根拠にならない)

国家象徴への敬意(←思想・良心領域)


が混ざっています。

刑法はこの混合物を扱えません。
扱えるのは切り分けられた法益だけです。

もし
「国旗は特別だから一律にダメ」
を刑罰化すれば、

なぜ天皇の写真は?

なぜ憲法前文は?

なぜ国歌は?

なぜ靖国の碑文は?


と、無限拡張が不可避になります。

これは立憲主義的にアウト。


---

④ 外国国旗についての決定的ポイント

外国国旗損壊罪がある国でも、
それが正当化される理由は一貫しています。

👉 国際関係という具体的法益
👉 外交摩擦という現実的危険

つまりこれは
「国旗が神聖だから」ではなく
「国家間トラブルの現実的コストを防ぐため」。

この理屈を国内の「自国国旗」に適用することは、
法益のすり替えになります。


---

⑤ 「きっかけとしての刑罰」は法が最も警戒する発想

最後に一番重要な点。

> 要はきっかけになればいい



これは刑法理論では
最も否定されてきた発想です。

刑罰は

教育のきっかけ

道徳の呼び水

規範意識の醸成


のために使ってはいけない。

それを許すと、刑法は
**「人格形成ツール」**になり、
自由の最終防衛線ではなくなります。


---

結論(法律視点のみ)

「常識」や「一般認識」は法の外側で作るもの

不快・侮辱・象徴破壊は、それ単独では処罰根拠にならない

刑罰を“きっかけ”に使うのは立憲主義と衝突する

国旗尊重を育てたいなら、法ではなく教育・文化・社会規範の仕事


要するに、

> あなたの目的は「保守的に正しい」
しかし、その手段として刑法を選ぶと、
法の論理そのものを壊してしまう



という評価になります。
政治の星政治の星
GRAVITY1
GRAVITY1
吉田賢太郎

吉田賢太郎

​📜 心のバトンをつなぐ詩:
​『僕らのタイム・シェアリング』
​一人の身体は、みんなの乗り物。
誰かがずっとハンドルを握りしめたら、
その子は疲れ果てて、エンストしてしまう。
​だから、僕らは約束しよう。
空の色が変わるたび、
得意な誰かに、バトンを渡すことを。
​🌅 おはようタイム(5:00 - 12:00)
​「はじまりの光を、あつめる人へ」
世界が動き出す音。
ここでは「しっかり者」の出番。
正論で誰かを急かすんじゃなく、
重い扉を、優しく開けるために。
淡々と、今日を始める準備をしよう。
​☀️ こんにちはタイム(12:00 - 16:00)
​「外の風と、踊る人へ」
いちばん騒がしい、太陽の時間。
ここでは「やりくり上手」の出番。
疲れた自分を「ダメだ」と責めるんじゃなく、
「休もうか」と声をかけ合って。
みんなのエネルギーを、賢く分け合おう。
​🌙 こんばんはタイム(17:00 - 23:00)
​「本当の心に、触れる人へ」
仮面を脱いで、一息つく。
ここでは「自由な心」の出番。
何を好きになってもいい、何を感じてもいい。
飾らないあなたを、そのまま抱きしめて、
内側の世界を、好きな色で塗りつぶそう。
​💤 おやすみタイム(23:00 - 5:00)
​「暗闇で、命を守る人へ」
すべてを止めて、ただ眠る。
ここでは「守り神」の出番。
反省会はおしまい。明日のことは、明日の僕らに。
「今日も一緒に生きてくれて、ありがとう」
そう囁き合って、深い静寂に沈んでいく。
​💡 このポエムの本質(中高生へのメッセージ)
​この世界は、**「一人で全部やろうとしないこと」**でうまく回り始めます。
​賢者マウンティング禁止: 「こうあるべき」という正解で、他のパーツの口を封じないで。
​弱者マウンティング禁止: 「どうせ無理」という諦めで、他のパーツの足を引っ張らないで。
​自分の中の多様性を認め、時間ごとに「役割」を交代する。それは逃げではなく、全員で生き残るための最強のチームプレイなんだ。
GRAVITY
GRAVITY10
もっとみる

おすすめのクリエーター