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くらはし

くらはし

今日「哲学書はツッコミみたいなものなんじゃないか」と思った。ツッコミは正しいことを言うと思われがちだけど正しいというより「正しさ」的なものが昂りによって一瞬全ての欲求などの頂点にいった状態なんじゃないか。哲学書も同じバイブスで書かれていそうだなと思った。コギトみたいなかんじで、ツッコミも点として生起する。デカルトは存在論にまで手を出すけど、本当にデカルトがいいたかったのはリアルな存在のことではなく、点としての瞬間のリアリティだと思うから、ツッコミもそういうもの。これは極めて理性的だが理性の求める一貫性や整合性すら二次的なものとするし、主体すら二次的なものとする瞬きのようなもの。ツッコミも矛盾を許容する。かまいたちやエバースでツッコミの矛盾がボケに指摘される。ボケはむしろ理性的だ。それはボケが詭弁を受け入れているという点で持続的な運動だから? わからん。 ボケのことは保留
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れき

れき

これはあくまで私のバタイユ読解なのですが、内的体験において内在性と超越性は共に無化される。超越性とは社会規範であり、道徳であり、ラングであり、他者であり、客観であるわけですが、それらが根本的に空虚に支えられていることを痛感する経験が恍惚には串刺し刑にはあります。超越性=空虚。では内在性とは何か。それが交流、伝達なわけです。裂傷を抱え、自閉した実存の無為の共同体。それはエラン・ヴィタール的な生命の連続性といえばそれまでですが、実存的にはむしろ孤独と自閉症の極北にあるようなもので、極めて稀です。共同の不可能性による共同。それが無神学大全を書くバタイユの動機でしょう。そして超越性は事後的に崩壊されるわけですが、だからと言って否定されるわけではない。別にバタイユはアナーキズムを掲げているわけではない。むしろバタイユは内在的に道徳を再建しようとします。「もしも人が死ぬほどまでに笑わねばならないのだとしたら、この内在的な道徳は抗しがたい笑いの運動ということになるであろう」(ニーチェについて,354)彼は笑いを社会学的主題として把握します。なぜ、笑いなのか。そのことを考える前に内的体験の先に何があるのか考える必要があります。自我の溶解、他者との交流といった文字面では見えにくいですが、そこには「私」と呼ぶ他ない経験の残滓がある。コギトすら相対化され、残りの者たちと共生関係を持続する他ない。でないと、死ぬ他ない。生き永らえることと自殺することは殆ど同じことですが、敢えて生きることを選択したと仮定すると、もう共生の道しかないわけです。善悪の彼岸において、他者、否、私と共生する。その時、私は哲学者になるスタート地点に立つでしょう。それは僕の場合、全く「哲学」的ではない予感がしますが。
哲学哲学
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重めのジョナサン

重めのジョナサン

探し物を探そう

好き、嫌いは、私なのだろうか。
朝、目が覚めると、それらはもうそこにある。
選んだ覚えはない。
ただ、世界に触れた反応として立ち上がってくる。
けれど、それが私だと言われると、どこか手応えがない。
好き、嫌いは、いつも外を向いている。
近づくか、離れるか。
世界との距離を測るための動きにすぎない。
では、私の内側とは何だろう。

自分というものを探してみるが、
掴めるような「私」は、ほとんど見つからない。
デカルトは、その空白の中に残ったものを
「考えている」という事実だけに絞り、
それをコギトと名付けた。
確かに、思考は消えない。
だが私は、
コギトしかないと言いたいのではない。
むしろ、コギトしかないわけがないと、

呼吸の奥で否定しているものが、確かにある。
私はそれを、魂と呼ぶ。

魂は、何かをしてくれる存在ではない。
答えを与えたり、導いたりもしない。
ただ、問いかけてくる。
――お前は、どこへ行くのか。
――なぜ、今日も目覚めたのか。
そして同時に、
私からの問いを、ずっと待っている。

魂とつながるというのは、
何かを得ることではない。
むしろ、すでに信頼されている場所に身を置くことだ。

私はその信頼を、神と呼んでもいいと思っている。

神や魂は、私を操作しない。
助けもしない。
ただ、見守り、信頼している。
その中に身を置くとき、
私は初めて、自分のリズムを取り戻す。

私を超えた揺りかごを信頼したときに生まれる、このリズムを、私は精神と呼びたい。

精神とは、思考ではない。
意志でも、感情でもない。
信頼の中で自然に生まれる、在り方のテンポだ。
このリズムによって、
私たちは人と関わることができる。
同時に、
故人とも、まだ見ぬ未来の人とも、
つながることができる。
そのとき、
他人はもう、単なる他人ではない。

親は、年を取った自分であり、他人。
子どもは、自分の魂からこぼれ落ちた宝物であり、他人。

同一化も、支配も、必要ない。
世界や他者は、制御するものでも、
良い関係を築こうとコントロールする対象でもない。

私と魂が、
私と神が、
信頼によってつながれるように、
私もまた、
精神を携えて、
他者であり、同時に私である者たちと、
つながることができる。

さて、今日も目覚めた。

魂を探しに行こう。
神を探しに行こう。
誰かを探しに行こう。
何かを探しに行こう。

私を向かい入れよう。

心当たりはあるだろうか。
今日は、会ってくれるだろうか。

わからない。
それでも探そう。

私はこの試みを「生きる」と呼びたい。
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SS

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完全なる首長竜の日

恐るべき小説

普段、本の感想は書かないが、ともかく備忘録として書いておかなければならないことだけ書く

あらすじを書くことには意味を感じない(ので省く)

夢と現、意識とは何か、肉体の死と魂の死、シミュレーション仮説、自己と他者、デジャヴ、クオリア、フィロソフィカル・ゾンビ…

読んでいる間、ずっと現実感覚がおかしかった

夢と現実を行き来するような構成がなされているが、それは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のようにパート分けされているわけではない

それどころか、どこからが夢でどこからが現実なのかわからなくさせるような描写が延々と続く

その境界線を求めても意味がないように描かれており、果ては読者(つまり私たち)の現実生活もまた夢と現の境界線などはっきりしないのだ、ということを否応なく悟らされる

『胡蝶の夢』、『バナナフィッシュ』、『シミュレーション仮説』

同じモチーフが何回も繰り返され、さっき見た文章が異なる時間と空間の中に挿入されながら、微妙なズレが少しずつ大きくなっていく気配があるのに、それが何なのかははっきりとはわからない

あるレビューでは「夢オチ的な意味で無だ」と断じてあったが、僕はそうは思わなかった
むしろこんなに恐ろしいほどリアルな小説はないと思った
本当に一周回り切ってしまうと、夢は現になってしまう

誰もが一度は人生を夢なのではないかと疑う
自分以外の人間が本当は存在していないのではないか、と疑う
世界は無限に疑うことができる
その果てに「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」を見いだすが、その"我"が一体何なのか、今度はそれが問題になる

荘周が蝶の夢を見ているのか、蝶が荘周の夢を見ていたのか…

空間も時間も世界そのものも、全ては懐疑の対象になり得る

だけれども疑えないものも実はあると思う
それは『クオリア』としかいいようのないもので、とにかくそれは夢だろうが現実だろうが、嘘だろうが本当だろうが、何はともあれ、痛いものは痛いのである
それだけは誤魔化せない
いや"疑っても仕方がない"というべきか

多分、本当に疑えないものはこれだけだ
そう考えると本当に孤独な地平に放り出されるような気がするが、それでも最後の引き金を引いてはいけない

独在性の檻の中、それでもこのクオリアを全うする意味を信じながら、夢かもしれない現実を生き抜くしかない
読書の星読書の星
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素直な一般人

素直な一般人

好きなトレーナー1位〜3位まで教えて!好きなトレーナー1位〜3位まで教えて!

回答数 31>>

総合だとわからないから男女別で言うと、

男性     女性
一位レッド  一位コギト
二位トウヤ  二位トウコ
三位カルム  三位マツリカ

強かったり不思議なキャラを好きになりがち。
ポケモンの星ポケモンの星
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吉田賢太郎

吉田賢太郎

​💎 君は裏側に光を持つ者(モノ)
​――「存在」と「裏側」の哲学詩
​1. 表無しの存在証明
​世の中のすべてを 疑っていい。
大人も、ニュースも、自分の能力さえも。
誰かを信じるのが怖くて、涙が出てもいい。
​でも、忘れないで。
**「疑っている きみ自身」**だけは、
誰にも否定できない、たったひとつの真実だ。
​我思う、ゆえに 我あり(コギト・エルゴ・スム)。
​他者に見せる「表(おもて)」の姿が無くてもいい。
飾らなくてもいい、偽物(にせもの)の自信はいらない。
きみの存在そのものが、すでに 最高の証明なんだ。
​2. 裏側に灯る 自分の神殿
​「表無し、裏有り」
​それは、外側の評価(ひょうか)を求めず、
内側にすべてを持つ者の、静かな宣言(せんげん)。
​誰にも見えない 裏側こそ、きみの**神殿(しんでん)**だ。
そこで不安と戦い、努力を積む。
不安や弱さという名の「影(かげ)」を、
きみ自身が光で照らし、優しく受け入れる。
​きみは、きみの心のルール。
きみ自身が、きみを導く 唯一の力。
​3. 真ん中を歩く 勇気
​裏側を信じる強さがあれば、ひとりで立てる。
だけど、ひとりで全部を背負わなくていい。
​誰かを信じるのは、自分の判断を信じること。
誰かを助けることは、きみがきみに贈るエールだ。
​裏側の確かな存在を土台にして、
強さと優しさの、その真ん中を歩こう。
​表が無くても、大丈夫。
きみの裏側には、消えない光がある。
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夢見る機械の修理屋

夢見る機械の修理屋

時代は遥か未来、サイバネティック・ルネサンス期へ。人類は肉体をバイナリコードへとディコンストラクトし、意識を情報複合体としてアップロードした。彼らのイデアは、特異点を超克した知性の恒久性。だが、彼らのデジタル・コギトを守るために構築された戦略的核弾頭ネットワークが、皮肉にも彼らのアイデンティティを破壊するパラドックスとなる。外部からの脅威はなくとも、システム内部のセキュリティ・プロトコルが誤認したエラーコードをトリガーと認識し、自律的な核兵器の連鎖起動を引き起こす。全電子世界を焼き尽くすホロコーストの炎は、物理世界とメタバースの境界を融解させた。
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