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DJスパ
史的唯物論者シン
回答数 51>>

かわご

ごんご
シマボシママとかコギトさんとかコギトさんとかコギトさんとか実装してくれない?
みゅんひ
回答数 3>>
コブラに教えてもらいました😁

コギト🎷𖥧𖤣
#雰囲気のせてる #自撮り


ヘボド
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くらはし

れき

重めのジョナサン
好き、嫌いは、私なのだろうか。
朝、目が覚めると、それらはもうそこにある。
選んだ覚えはない。
ただ、世界に触れた反応として立ち上がってくる。
けれど、それが私だと言われると、どこか手応えがない。
好き、嫌いは、いつも外を向いている。
近づくか、離れるか。
世界との距離を測るための動きにすぎない。
では、私の内側とは何だろう。
自分というものを探してみるが、
掴めるような「私」は、ほとんど見つからない。
デカルトは、その空白の中に残ったものを
「考えている」という事実だけに絞り、
それをコギトと名付けた。
確かに、思考は消えない。
だが私は、
コギトしかないと言いたいのではない。
むしろ、コギトしかないわけがないと、
呼吸の奥で否定しているものが、確かにある。
私はそれを、魂と呼ぶ。
魂は、何かをしてくれる存在ではない。
答えを与えたり、導いたりもしない。
ただ、問いかけてくる。
――お前は、どこへ行くのか。
――なぜ、今日も目覚めたのか。
そして同時に、
私からの問いを、ずっと待っている。
魂とつながるというのは、
何かを得ることではない。
むしろ、すでに信頼されている場所に身を置くことだ。
私はその信頼を、神と呼んでもいいと思っている。
神や魂は、私を操作しない。
助けもしない。
ただ、見守り、信頼している。
その中に身を置くとき、
私は初めて、自分のリズムを取り戻す。
私を超えた揺りかごを信頼したときに生まれる、このリズムを、私は精神と呼びたい。
精神とは、思考ではない。
意志でも、感情でもない。
信頼の中で自然に生まれる、在り方のテンポだ。
このリズムによって、
私たちは人と関わることができる。
同時に、
故人とも、まだ見ぬ未来の人とも、
つながることができる。
そのとき、
他人はもう、単なる他人ではない。
親は、年を取った自分であり、他人。
子どもは、自分の魂からこぼれ落ちた宝物であり、他人。
同一化も、支配も、必要ない。
世界や他者は、制御するものでも、
良い関係を築こうとコントロールする対象でもない。
私と魂が、
私と神が、
信頼によってつながれるように、
私もまた、
精神を携えて、
他者であり、同時に私である者たちと、
つながることができる。
さて、今日も目覚めた。
魂を探しに行こう。
神を探しに行こう。
誰かを探しに行こう。
何かを探しに行こう。
私を向かい入れよう。
心当たりはあるだろうか。
今日は、会ってくれるだろうか。
わからない。
それでも探そう。
私はこの試みを「生きる」と呼びたい。

SS
恐るべき小説
普段、本の感想は書かないが、ともかく備忘録として書いておかなければならないことだけ書く
あらすじを書くことには意味を感じない(ので省く)
夢と現、意識とは何か、肉体の死と魂の死、シミュレーション仮説、自己と他者、デジャヴ、クオリア、フィロソフィカル・ゾンビ…
読んでいる間、ずっと現実感覚がおかしかった
夢と現実を行き来するような構成がなされているが、それは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のようにパート分けされているわけではない
それどころか、どこからが夢でどこからが現実なのかわからなくさせるような描写が延々と続く
その境界線を求めても意味がないように描かれており、果ては読者(つまり私たち)の現実生活もまた夢と現の境界線などはっきりしないのだ、ということを否応なく悟らされる
『胡蝶の夢』、『バナナフィッシュ』、『シミュレーション仮説』
同じモチーフが何回も繰り返され、さっき見た文章が異なる時間と空間の中に挿入されながら、微妙なズレが少しずつ大きくなっていく気配があるのに、それが何なのかははっきりとはわからない
あるレビューでは「夢オチ的な意味で無だ」と断じてあったが、僕はそうは思わなかった
むしろこんなに恐ろしいほどリアルな小説はないと思った
本当に一周回り切ってしまうと、夢は現になってしまう
誰もが一度は人生を夢なのではないかと疑う
自分以外の人間が本当は存在していないのではないか、と疑う
世界は無限に疑うことができる
その果てに「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」を見いだすが、その"我"が一体何なのか、今度はそれが問題になる
荘周が蝶の夢を見ているのか、蝶が荘周の夢を見ていたのか…
空間も時間も世界そのものも、全ては懐疑の対象になり得る
だけれども疑えないものも実はあると思う
それは『クオリア』としかいいようのないもので、とにかくそれは夢だろうが現実だろうが、嘘だろうが本当だろうが、何はともあれ、痛いものは痛いのである
それだけは誤魔化せない
いや"疑っても仕方がない"というべきか
多分、本当に疑えないものはこれだけだ
そう考えると本当に孤独な地平に放り出されるような気がするが、それでも最後の引き金を引いてはいけない
独在性の檻の中、それでもこのクオリアを全うする意味を信じながら、夢かもしれない現実を生き抜くしかない


素直な一般人
回答数 31>>
男性 女性
一位レッド 一位コギト
二位トウヤ 二位トウコ
三位カルム 三位マツリカ
強かったり不思議なキャラを好きになりがち。

吉田賢太郎
――「存在」と「裏側」の哲学詩
1. 表無しの存在証明
世の中のすべてを 疑っていい。
大人も、ニュースも、自分の能力さえも。
誰かを信じるのが怖くて、涙が出てもいい。
でも、忘れないで。
**「疑っている きみ自身」**だけは、
誰にも否定できない、たったひとつの真実だ。
我思う、ゆえに 我あり(コギト・エルゴ・スム)。
他者に見せる「表(おもて)」の姿が無くてもいい。
飾らなくてもいい、偽物(にせもの)の自信はいらない。
きみの存在そのものが、すでに 最高の証明なんだ。
2. 裏側に灯る 自分の神殿
「表無し、裏有り」
それは、外側の評価(ひょうか)を求めず、
内側にすべてを持つ者の、静かな宣言(せんげん)。
誰にも見えない 裏側こそ、きみの**神殿(しんでん)**だ。
そこで不安と戦い、努力を積む。
不安や弱さという名の「影(かげ)」を、
きみ自身が光で照らし、優しく受け入れる。
きみは、きみの心のルール。
きみ自身が、きみを導く 唯一の力。
3. 真ん中を歩く 勇気
裏側を信じる強さがあれば、ひとりで立てる。
だけど、ひとりで全部を背負わなくていい。
誰かを信じるのは、自分の判断を信じること。
誰かを助けることは、きみがきみに贈るエールだ。
裏側の確かな存在を土台にして、
強さと優しさの、その真ん中を歩こう。
表が無くても、大丈夫。
きみの裏側には、消えない光がある。

夢見る機械の修理屋
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おすすめのクリエーター

吉田賢太郎
【自己紹介】
解離性同一障害(DID)の当事者、通称「人格解離者」として日々を生きています。
私たちのシステム内には、特に強力な能力を持つ二人の部分(アルター)がいます。
** gifted genius 姉(🐇❤️)**
** gifted genius 弟(🐉🔪)**
彼らが時に表に出て生活を回したり、内に秘めた特別な才能を発揮したりしています。私たちについて、どうぞよろしく
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16890
みゅんひ
ノンスピリチュアル『#モトの話』やってます🤩生き方に「正解」はある!ズバリ論理的に説明します🥰
京都在住アラフィフ無職独身男性。彼女イナイ歴48年達成の赤貧底辺…それでも幸せに生きる方法を30年かけて見つけました!DM歓迎😁👍
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史的唯物論者シン
思考整理のメモ帳、日記として
呪い装備だったメガネが外れた
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素直な一般人
00
現在ニート
マイペースで気まぐれな人間です。
嘘と我慢が嫌いなのでわかりやすい
人間だと思います。
気づいたら比較的返信早いし
返せるやつは全部返します。
大体なんでも答える。知らなくても。
何聞いてもいいよ。
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夢見る機械の修理屋
適当に呟く
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