投稿

ハーロック
ただ、それがパニック障害だと知ったのは、40歳を越えて、うつ病になってからでした
心療内科医に症状を告げたところ、パニック発作だと言われました
治療方法は教えてはもらえませんでした
僕は自分で調べました
調べるうちに、自分がパニック障害だと知り
なぜパニック障害になったのかを知りました
親に殴られ、兄に殴られ、教師に殴られ、不良に殴られ
僕の心はズタボロになりました
よく生きていたと思います
うつ病の火種は、中学時代からあったのです
職場でうつ病を発症して、12年の長きにわたり治療をしました
結局治りませんでした
自死寸前で自分の考えで治療をしようと思い、病院に見切りをつけ、本格的に本で調べました
概念的に幼少時代から成長をやり直し、歪んだ部分を修正して、僕は自分で自分の性格を変えました
求めたところで、誰も助けてくれなかった
唯一、リワークのカウンセラーだけが少しヒントをくれました
つまるところ、最後の最後で頼りになるのは自分だけと知りました
気の合わない友達には見切りをつけ、親を捨て、兄を捨て、死ぬほど勉強して、この世の理を知りました
そしてついに、うつ病もパニック障害も克服したのです
恨んではいません
恨みは自分のためによしとは思いませんでした
許すのは、これから僕が生きていくためです
やつらのためではない
許す、しかしもう二度と会わない
それだけです
そういう考えに至れたのは、本を書いてくれた先人のおかげです
ただ、うつ病を克服した後も、やはり辛い状態は続きました
この世とは何かを知ってしまったからです
生きていても仕方がない
そう思いました
だから、沖縄に行きました
最期はせめて、見たこともない綺麗な海で
そう思いました
だけど僕は、沖縄で予期せぬ石碑を見つけてしまった
だから、泣きました
声をあげて泣きました
理屈ではありませんでした
感情だけだったと思います
僕は生きて京都に戻りました
昨年の11月のことです
それから、ずっと笑っています
生きるのが楽しくなりました
沖縄は、僕の大切な場所になりました
迷惑をかけなくてよかった
今年もまた、沖縄に行きます
今度は、楽しむために行きます
新しい感動を探しに
#希望
コメント
話題の投稿をみつける

えふぴ

てじ

あてし

タジ@ポ

みめ

しおん
ミカタデヨカッタの意味は?
ミカタデヨカッタは、特に日本の若者の間で使われる言葉で、「味方でよかった」という意味です。このフレーズは、誰かが自分の味方でいてくれたことに感謝する気持ちや、支えられていることへの喜びを表現する際に使われます。
使い方の例:
友達が困っているときに助けてくれた場合、「ミカタデヨカッタ」と言うことで、その友達の存在に感謝を示すことができます。
文脈:
この表現は、特に困難な状況や挑戦を乗り越える際に、支えてくれる人々への感謝を強調するために使われることが多いです。
この言葉は、友情や絆を深めるための素敵な表現ですね。

ハディ

毎日腹

らい
すっごく纏まってて良かった(*´艸`*)
#フラメモ_レッドブーケ編完結

ゆに
もっとみる 
関連検索ワード

そら𖤐´-
パニック障害は根本を断ち切り、自分を大事に思える気持ちが1番だと思います。私自身は根本が今もそばに居るから完全に良くなることはないのだろうと思うけど、パニック障害で抗うつ薬も処方され今も断薬出来ずできずですでこんなにやめるのが大変なのを知っていたら薬は飲まなかったのにと悔やまれます。 薬を飲んでいるから前向きにいられてるのではなく今は自分を肯定して生きているから元気に暮らせていると思ってます。 起き上がれない程の日々が今は何も状況は変わらないのに自分を強く持つようになって一気に変わりました[照れる] 難しい勉強はしてないけど、 自分のことは肯定しかしない。原因も責めない。これも克服になるのかな。
ココ🐾
克服されるまで言葉にできないほど苦しんで苦しみ抜いたと思います。 今度は、楽しむために沖縄に行くって言うのを読んで心から良かったと思えました。
かな🐱
私も両親を捨てた人間です。 母親は亡くなりましたが、亡くなった今も恨み続けています。 多分私はこの先親を許すことは出来ないと思います…。
-
石碑の文字、誰かが読ませてくださったのかもしれませんね。
くおん
自分を救うのは他者ではなく自身ということですね(*´・ω・`)b うちも自身を救うために地元に戻りました 身も心も削り崖っぷちのところを救ってもらったのは他者でした 同じ境遇の人をハーロックさん達のように支える他者になりたいと思いました