
sun☀️
どんな感情もあっていい
いい、わるいはないのだということを
再確認するための場所🌱
音楽
猫
話を聞くのが好き
料理
カラオケ
歌うこと
アート
自炊
インテリア
読書
HSP
キャンプ
星野源
椎名林檎

sun☀️
怖い顔や言い方にならないよう
細心の注意を払ってみた!
後から今日の私も怖かったですか?と
同僚に聞いたら、
今日は全然そんな印象はなかったよ!
成長だね☺️と言ってくれた。
そうか、
今回も言いたいことは結構
漏れずにしっかりと言ったけど、
伝えている内容が
怖いんじゃなくて
話し方の問題だったんだなと
改めて理解した。
別の同僚も、私がピリついてたことについて
若いときはみんなそんなものだよ、
今から自覚出来ているなんて
〇〇(私)さんはすごいねと言ってくれた。
その人にも確かに怖い顔をしていて
話しかけづらい時があると聞いたけど、
でもそれはしたくてしているんじゃなくて
私が真面目過ぎて仕事に一生懸命だから
そうなってしまってることは分かってるんだよ
という話もしてくれた。
こうやってわざとじゃないところを
しっかり理解してくれる同僚がいて
本当に嬉しかった。
やっぱり意図しないところで
誰かを傷つけたくはないし、
それにより私も傷つきたくないから。
その為には謙虚でいることだ。
もっともっと大切にしていこうと思う。

sun☀️
コンプレックスを持っていた。
線が細く、
男らしい肉体とは程遠いと。
そんな男は女性から愛されない
という思い込みで
気付くと筋トレをする癖が
ついていたという。
でも私はそんな彼の身体のラインが
凄く好きだった。
骨格タイプで言うウェーブ体型で
曲線が美しく肌も白くて。
私はゴリラみたいな男性よりも
百合のように綺麗な男の人のほうが好きだ。
もしツインレイは鏡なのだとしたら
彼は彼で
私自身が嫌っている何かが
好きだったのかもしれない。
そういえばこれまではあまり
面と向かって言われてこなかったけど
彼は事あるごとに
よく可愛いといってくれたっけ。
今からでもいいから
もっと受け取ろうと思う。
そもそも相手を好きだと
思う気持ち自体が
もしかしたら自分を好きだと思うことと
同じなのかもしれない、とも思った。

sun☀️
唯一苦手なアーティストがいた。
それはバックナンバー。
(ファンの方すみません)
姉が好きでよく聞いていたんだけど、
バンド名からするに女々しいというか
私が嫌っている情けなさそのものな気がして
ずっと避けてた。
でもよりによって、
彼が好きだと挙げてくれた曲が
バックナンバーの水平線だった。
中でも好きな歌詞は2番で、
『心は誰にも見えないのだから
見えるものよりも大事にするといい』
というところ。
ルッキズムに苦しんだ彼だからこそ
この歌詞はより一層刺さったのだろう。
彼と離れて
思い出のひとつとなってしまったこの曲。
今気付いたけど、
今こそこれまで避けてきた
バックナンバーの歌の数々に
私が自分の中にあるものとして
受け入れていくといいことが
宝物のように散りばめられている
のではないか、という直感が今朝あった。
家族にとって私は
優しく親孝行な孫娘だった。
でも私の心がどうなってるのかには
あまり関心を持たれずに生きてきた。
だから、見える部分では
家族から愛されてきたけど
実は見えない部分については
大事にされてこなかったのだということを
ようやく今私は受け入れつつある。
もし帰省しないなら愛さないということ
だとしたらそれはもう
条件付きの愛ということなのだ。
彼女たちは
まさか条件をつけている意識は
ないだろうけど、
それでも私はその波に飲まれて
自分を後回しにするのは
もう死んでもごめんだ。
彼のように、
自分のために必死に生きたいのだ私は。
だからたくさんバックナンバーの曲を
聞いてみて、
これまで置き去りにしてきた
私の要素のひとつひとつを
ヘンゼルとグレーテルの
ちぎったパンを拾うように
今取り戻していきたいんだ。
今水平線の続きの歌詞を見た。
『耐える理由を探しながら
いくつも答えを抱えながら悩んで
あなたは自分を知るでしょう』
ここも好きだ。
だって今の私そのものだから。
水平線

sun☀️
もちろん相手のことを思い出すと
毎度悲しいのだけど、
それよりも怖いのは
まるで暗い黒々した宇宙で
もやし(私)一本で浮いているような、、
それくらいの頼りなさだ。
自身の感情に浸ろうとするのも
まるで熱湯に耐えながら
風呂に浸かっているのと同じくらい
今はしんどく感じる。
なんだか、落ち着かない。
本当はどっぷり自分の海に浸りたい欲も
実はある。
でもなんだろう、トイレとか
家事とか、仕事とか、水分補給とか、
数時間おきにやらなきゃいけないことが
出てくるから、
それをつい優先してせかせか動いてしまって
なんだかそういうモードに入れない。
まぁそれも回避癖として
身体に染み付いていることなのかな。
祖母はまさしくその典型だったし。
でもそう考えると
祖母みたいにはなりたくないな。
まだ7時だし、
その気持ちをバネにして
もっと余白を今夜は意識してみようかな。
隙間を開けたら
きっと良いものが入ってきて
くれるはずだと信じて。。

sun☀️
私の八つ当たり。
それは病み上がりたて&寝不足&生理前
というメンタル不安定フルコンボみたいな
状態からくる余裕の無さから
言い回しがチクチクしてしまったことが
原因だった。
寝不足の原因は、
相手の構って欲しいという気持ちに
応えようとしたから。
49%は寝たかったけど、
51%は私もそうしたいと思ったから
受け入れた。
でもその時本当に安心して信頼してる
相手だと認識していたら
断っても良かったはずなんだよね。
そこを断れなかったのは、
やっぱり期待に応えない私では愛されない
という思いが強かったからなのだと思う。
でもそういう自分でも気付かなかった
たった1%の我慢は
よりタチの悪い嫌味という形に変わり
翌朝相手に漏れ出てしまったのだ。
今思えば1%差なんて言ってるけど、
多分本当は99%は寝たいが本音
だったのかもしれないな笑
この50%分の認識のバグを
埋めていく作業をひたすらにしていく
ということ。
その為に常に自分に問うことは
「今私はどうしたい?」、だ。
ずっとずっと
そういう関心を私に寄せてくれる人を
これまでは外に待ち続けてきた。
でもそれは私自身だった。
これまでも自己啓発で
散々耳にしてきた話だけど、
以前の私には吸収出来なかった。
今なら緩やかに実践出来る気がする。
実はこういうアウトプットも
自分の感情と向き合っているように見せて
“向き合っている風“に酔えるものだとも
思っている笑
もちろん書きたいから書くんだけど、
YouTubeと一緒でやってる間は
感情は動かさなくて済むのだ。
だから時間とともにおそらく
こういう投稿は減っていくはずと思う。
それは私が自分のこころを
味わう時間が増えたか、
あるいは全てから
逃避してるかのどちらかだろう笑
まぁ、そうやってジグザグに
上がったり下がったりを繰り返しながらも、
でも着実に少しずつ上がっていく
ものなのだきっと。
今日もいい天気だね☀️

sun☀️
すぐにスマホを触ろうとしたら、
心の中にいる幼い自分が
ぐっと大人の私の腕を引き戻した
ような気がした。
行かないで。
もうちょっとここにいてって。
分かったよといいつつ、
その間大人の私は
つい仕事のことを考えたりも
したんだけど、
その間は足をぶらぶらさせながらも
自分なりに小さい私は横にいてくれた。
少ししたら落ち着いたのか、
もういいよ、やりたいことやってねと
言ってくれた。
なんか、外に向いた関心を
内側の声から内に戻すようなこの感覚は
今回が初な気がした。
全部とは言わないけど、
今までは大方無視しまくっていた
んだろうな。
それは感情に浸るのも
少しは悪くないのかもしれないと
思え始めている証拠なのかなとも思う。
幼い私は物分かりがいいから、
まだまだ我慢させちゃう時期は続くかも
しれないけれど、
誠意をもって大人の私で
極力受け入れてあげたいなと思った。
そういえば今朝も
彼に話しかける夢を見た。
姿は今思えば見てないけれど。
それにしても思うのは
自分への否定がないだけで
なんだか穏やかな気持ちになれる。
昨日友人と話していて、
これまでの私なら首を突っ込んでいたなと
思う他人のことにも興味が沸かない自分がいた。
今はほんとに自分自身の優先順位が
とにかく高い感覚みたい。
今までこの感覚もあまり知らなかった。
私は私。あなたはあなた。
今起きていることは
その人の課題。
そういえばツインレイの相手というのは
絶対に一番助けて欲しいところでは
手を差し伸べないようになっているらしい笑
それはツインレイの統合というのは
自立したもの同士での繋がりを
前提としているから。
だから自力でやるしかない部分には
絶対に干渉してこない。
これを聞いて、
だからあんなに分かって欲しい相手だったのに
あんなに私の為に全力で向き合ってくれたのに
かゆいところに手が届かないような感覚
があったのはそういうことだったのかと
納得した。
やっぱりそこは私自身でやらなくては
いけない部分だったのだ。
そして“そこ“に向き合うのが今なのだ。
実はツインレイとの再会は
まだ統合度合いでいうと7割くらいらしく、
その後残りの3割を
2人で一緒にやっていくイメージなのだという。
だから再会したら喧嘩をしなくなる
訳でもないらしく、
調子が落ちすぎたらまたサイレント期間に
入るパターンも中にはあるらしい。
とても険しいな、、と思うけど、
それらは確実に前に進んでいる証拠でも
あるのだという。
自己成長は螺旋階段のイメージ。
同じ景色に見えても、
実は一段上のところにいるもの。
だから焦らなくていいのだ。
必要のない感情はない。
だから、浮かんできた感情は
全て、本当に全て、
受け止めてあげていいものなんだ。

sun☀️
別れ際に嫌味発言を注意されて以来、
今日初めて自分は確かに職場でも
チクチクした言い回しをついしていたかも、
ということを自覚をした。
今まで通りの感覚でメールを打った時、
遠回しに相手を責めるような言葉を
私は打っていたんだなと。
だから今日は
自分のそんな表現に気付いたら
そっと優しい言い方に変えてみるトライをした。
でもなぜか気分的に主張が
譲れない場合もあって、
そんなときは自覚をしつつも
そのまま送らせてもらい、
その後落ち着いてから
フォローのメッセージを入れた。
自分に優しい人は他人にも優しく出来る、
という順番がセオリーかもしれないけど、
逆に他人に優しくあろうとすることで
自分自身にも優しくなれる、という順番も
きっとあるような気がするから。
暫くはこのやり方で
少しずつやってみようかなと思う!

sun☀️
かなりしっくりくる意見が出てきた!
それは、感情を感じ切るのが
今は苦手だからこそ、
相手がどう感じているかよりも
分析や解決でサクサク処理しようと
する癖がついているからでは?というもの。
しかも解決することは良いことだと
強く信じている節があるから、
ついつい相手が求めているかどうかを問わず
偉そうに言ってしまうのでは、
というのを同じく上から
目線問題を課題に感じている
友人から先ほど聞いてとてもしっくりきた。
でも、そうなってしまったのは
それだけ幼少期に傷つきすぎたことへの
防衛反応なんじゃないかとも思ってるらしく、
確かにな〜と思った。
肉体的な防衛反応だからこそ、
頭で催促する程度のことでは
きっと安易に手放せなかったのだ。
でもサイレント期間に入ったということは
おそらくそこに
そろそろあなたは
向き合える状態になってきてるよ、
大丈夫だよ、というサインなのかもしれない。
ここで大切なのは
言葉で満足して終わり、ではなく
身体を使って感じ切ることなのだという。
とても地味だし変化も小さいかもしれない。
そういう塵も積もれば山となる的な
ものは今まで苦手だったんだけど、
ここまで来たらやるしかないなぁ。
今日も少しで良いから
身体に目を向けてから寝よう😌

sun☀️
「変わらなきゃいけない」から
「変わりたい」に
最後の最後までならなかったことに
絶望したと別れ際に言っていた。
この4か月、彼が必死で私に
伝えようとしていたこと。
それを本当に理解し腑に落とすことが
私にとっての試練であり成長なのだと思う。
今思うに恐らく要となっているのは
他人の期待に応えない自分を
どうしても出せない怖さと
いかに向き合えるかどうか、
というところだと思う。
頭ではどれだけ向き合おうとしても
私は怖い怖いと最後まで
向き合わなかった。
だから行動するところまで
辿り着けなかった。
ツインレイとは
ある程度精神性が高まり
進めるステップに入ったからこそ
出会うのだという。
そしてツインレイの相手というのは
最後の傷やトラウマの炙り出しを
してくる存在らしい。
彼にとって私は
死んでも手放したい他人軸で生き
どこまでも自分の人生から
逃げ続けている存在であり、
また散々人をバカにして
自分からもバカにされてきた己を
映す鏡でもあった。
私は私で彼に炙り出されたものは
なんだろう。
やっぱり頼れる人がいないと
自分はひとりでは生きていけない、
という部分だろうな。
1人で生きていけるイメージが
全く沸かないから、
生存戦略として相手に気に入られる為に
自分を消して相手に合わせるけど
結局小さな我慢が嫌味、という形で
漏れ出てしまう。
そんなパターンを散々繰り返してきた。
でも今までずっと自分から
向き合うことを逃げ続けてきた言い訳
となっていたのは、
“これといってきっかけがない”
からだった。
大怪我もなく精神的にダウンしたわけでもなく
身近に死があった訳でもなく、
逆に大きなきっかけがあって
人生を切り拓いた人を羨ましいとさえ
思っていたほどだった
(当人からしたら失礼かもだけど)。
でもとうとう今回、
自分を変えざるを得ないきっかけを
彼が自身の回復を犠牲にしてまで
作ってくれたのだと思う。
それはただ振られた、ということではなく、
最後に彼から愛のある喝をもらったからだ。
他人の期待なんてものに左右されるから
心身ともに壊れて狂ってしまうのは、
もう我々は痛いほど学んできてますよね、と。
彼は私に向き合いを強要していたけど、
それは今の私を否定したかったのではなく
私に自分軸の人生を生きて欲しかった
からであって、なによりそれが出来る2人で
ありたかったからだった。
だから、今はやらなきゃというよりは
感謝のエネルギーで私の心は満ちている。
本当の意味で自分と向き合うきっかけを
私は与えてもらった。
もちろんこれからメンタルは色々
波はあるかもしれないけど、
この喝を思い出せば、
私は大丈夫。やっていける自信がある。
改めてありがとう。

sun☀️
アウトプットする。
今朝も夢をみた。
なぜか知らん人まで招いてしまった
うちでのお泊まり会みたいなのに
彼もいて
聞いてないよと
眉間に皺をかなり寄せながら
アウェイの中耐えている様子を見る夢。
彼の機嫌もとりながら、
でも主催者として周りにも気を遣って、、
そんな立ち振る舞いを自分はしていた。
そして二つ目は
これまた家族が出てきて
とくに両方の祖母が焦ってトイレに
向かうのをガイドする夢。
母方の祖母の方は
かなりスタスタと歩いていて
びっくりしたけど笑
私は自分のほんの少しある尿意を
後回しにして
諦めそうになる祖母たちを
とにかく一生懸命に誘導していた。
(あとトイレの中になぜか昆布の自販機が
あった笑)
三つ目は彼と一緒に街中を歩く夢。
でもお顔が全然違くなってて
私のせいで彼は変えたんだと言っていた。
でも私は元のお顔の方が
好きだったのになぁなんて思った。
どれもへんちくりんだったけど
自分の立ち振る舞いに関しては
かなりリアルというか、、
普段やってることがそのまま
出たような、、そんな夢だった。
夢でさえ私は私を後回しにしてるし
彼にもかなり気を遣っていたようだ、、
それはやっぱり
…とまた分析をしようと思ったけど
それはもう散々したんだよな。
大切なのは私がどう感じたのか。
ひとつ目については、
やっぱり板挟みは正直辛かった。
本当はアウェイだとしても
私が気を遣わなくても
喜んで楽しんでもらいたかった。
こんな場を用意してくれて
最高だよ、ありがとねと
言って貰いたかったな。
よく主催者として
頑張ってるね、偉いねとも
言って欲しかった。
トイレガイドの夢については、
でも案外悪い気はしてなくて…
でもなんだろう、
今これを打ったら涙が込み上げてきた。
なんの涙なんだろうこれは。
どうやらまだ言語化できない我慢が
私の奥底に溜まっているみたい。
少なくとも祖母の価値観と
私の価値観は別個のものであり
その切り分けを今私は
しっかりしなくてはいけない。
現実世界でも
寂しいから顔見せろよという電話が
たまにくるのはプチテストだと思っている。
例え大切な家族であろうと
私のことをエゴで搾取するのは
許されないのだから。
家族に喜んでもらおうと
行動しない私のことも
しっかり今後は愛してあげたいから。
そんなことよりも自分のしたいことに
もっと時間を使って欲しいから。
自分が選んだ大好きな人との時間を
大切にしたいから。
三つ目はなんだろうな。
私のせいで、というところが
キーなのかな。
どんな気持ちがしたか。
やっぱり悲しかった。
ありのままの相手を認めてあげられなかった
からそうなってしまったんだと思った。
相手を満たしてあげられない非力さ。
それは自分が自分で否定してきた
己の弱さのひとつだ。
だから、何にも間違ってないよ、
それで大丈夫なんだよ、という
メッセージを今の私から送ってあげよう。
本当に弱さもあっていいということは
それでなんの問題もないということだから。
それに相手を満たしてあげたいと
思ってること自体が
私の素敵なところじゃないか。
だから、なんの問題もないことだ。
その気持ちがあればきっと上手くいくし、
ちゃんと相手にも伝わるよ。
だから大丈夫だよ。

sun☀️
チェイサーとランナーという
いずれかの役割に別れるらしい。
チェイサーは追いかける側で
女性が多く、
ランナーは逃げる側で
男性が多いらしい。
それでいうと私は
典型的なチェイサーだ。
最後相手のメッセージに既読だけつければ
潔く終えられたはずだったのに
ついつい私は今思えば不要な返信を
最後に出来心でしてしまい、
相手の既読無視という形で
やりとりはおわってしまった。
こうなった時、
つい相手は何を考えているのかに
焦点をあてがちだけど、
大切なのはその焦点を
自分に戻すことなのだという。
つまり、既読無視をされて
私はどんな気持ちがしたのか。
それを考えたときに
わたの中で思ったのは、
「俺の関心を惹きたかったんだろうけど
その手には乗らないからな」
と冷たく思われてそう、
というイメージだった。
これまでもこういう
私の中だけの解釈の歪みが
度々喧嘩の原因になってきた。
これに対し手を打つには、
自分の中にこれとは真反対な
自分彼氏をつくり、
その彼にたくさん構ってもらうことだ。
君のことをもっと知りたいんだ、
教えてくれないかな、という優しい声を
私が望んだタイミングと熱量で
してもらうということ。
私は私にもっともっと
自分のことを知ってもらいたいし
教えてもらいたい。
そんなことを思った。

sun☀️
本当に焦りたくて焦ってるの?
そしたらまた涙が出てきた。
先日、包丁で指を少し切ってしまった。
なぜそうなってしまったかというと、
夜ごはんが私の残業で遅くなってしまって
早くパートナーはご飯が食べたいはずだと
勝手に決めつけて焦り、
そこで怪我をしたのだった。
これまでも焦る癖はずっとあった。
でもそれこそ今思うと焦るというのは
他人軸そのものの傾向だなと思う。
昨日も読まなくなった本を
売りに行ったとき、
焦る理由もないのに
番号札を無くしたと勘違いして焦ったり
入れてきた袋を持ち帰り忘れたりと
ひとりばったばたしていた。
レジはなぜかすごく焦る。
なんだろう。
のんびりしていては
人に迷惑をかけてしまう、
みたいな思い込みがどうやら
私にはまだあるのかもしれない。
それなら対策としては
わざとあらゆる事を
のんびりやってみること
なのかな。
焦ると言えば今日仕事中も
思い通りに中々いかない時に
思わず自分のほっぺをぺちんと
叩いていた自分がいた。
あぁと思って後から撫で直したけど、
改めて自分に厳しすぎるなと、
こういうところにでちゃってるんだなと
思った。
これもまたサクサク仕事ができない自分を
自ら罰しているということかもしれない。
思えば私の会社PCは
他の人のよりも動作がかなり重い。
だから余裕がないときなんかは
非常にイライラしてしまう。
でもどこかでそれも
スピリチュアル的に言えば
自らが引き起こしているということに
実は薄々気付いていて、
これもまた、
もっとゆっくりやっていいんだよ〜
それを学んで欲しいんだよ〜という
宇宙からの愛なのかもしれないと
今改めて思った。
焦りという重さを手放したら、
きっと私のPCもサクサク軽やかに
動いてくれるようになるのかもしれないね。

sun☀️
なんだろう、、
自分ひとりじゃ何も出来ないよ、、
って感覚かなぁ。。

sun☀️
ひとりになると
ふと泣きたくなる。
仕事中でさえ。
強がりがすこしずつ
剥がれてきているみたい。
会えない悲しさもあるし、
今まで依存していた相手を失った
喪失感もある。
一緒にやる予定だったのに
結局出来なかったことも数々浮かんできて
とても寂しくもなる。
相手を傷つけてしまった、
という罪悪感も痛いし、
何より彼は今自宅で
私と出会う前の状態のように
ひとり苦しみもがいている気がして。
それを思うと心がぎゅーっとする。
いますぐ暖かくハグをしてあげたかった。
けど今それを仮にできたとしても
ハリネズミのジレンマのように
私は相手を刺してしまう。
中でも一番痛いところを。
だから別れを告げられたのだ。
秋頃に桜並木を上から見て、
来年一緒に咲いてる所を見ようね!
と言ったら
見れるかなぁと彼は言っていた。
私はなぜそんなことを言っていたのか
さっぱりだったけど、
限度のカウントダウンは既に
彼の中で始まっていたんだなと
思うと切ない。
こうしてついつい迷惑をかけてしまった
ことばかりが浮かんでくるけど、
せっかくなので
逆に相手にしてあげられたことも
改めて思い出してあげたいと思う。
ハード面としては美味しいご飯と
楽しいゲームや運動遊び。
そしてピアノ練習の機会提供や
料理スキルの向上。
グルテンフリー店舗や食材の開拓も
とても楽しかったし、
好きな動画や作品の共有も
お互いにしたりした。
彼はタバコを吸う本数も
後半はかなり減っていて、
体力もかなり出会う前よりも
ついてきていた。
ソフト面では、温もりの提供。
彼がなにより必要としていたもの。
しっかりとハグをしてから寝た日は
ぐっすり眠れるとも言っていた。
そして生い立ちへの理解だったり、
スピリチュアルを否定しないスタンスも
お互いに有り難みが大きかったと思う。
相手の囚われをひっくり返した
私からの光の言霊のプレゼントも
心に響いたらしくとても喜んでくれた。
本人は自信がないと言っていた
ルックスや歌声も本当にタイプだし
素敵だったから褒めたら
照れくさそうに喜んでくれた。
お金がかからない
手作りのお誕生日ケーキも
すごく喜んでくれたな。
過去のフラッシュバックがきて
過呼吸になった彼を
強く抱きしめた夜もあったっけ。
してあげられたことを書き出すことで
自分の愛されるに値するようなことにも
目を向けてみようとしたけれど、
なんだか書けば書くほど
自分がしてあげた、というより
ふたりだから出来たことというか、
ただただ無性の愛を
お互いに送りあってただけだったような
気がしてきた。
ベランダから見える夜景を
瞳にキラキラと反射させ
凛と遠くを見つめる彼の横顔を見るのが
本当に好きだった。
…なんだよ、なんだか
どんどん切ないじゃないか。
こういう時に良いのは感謝だ。
これだけ愛おしい存在に出会えたことへの
感謝を、ただただ味わう時間なんだ今は。
今日慰めてくれた同僚からは、
感動系の映画をたくさんみて
涙で流しちゃいなさい!と言われた。
心が落ち着いてきたら
アマプラに登録するかな!

sun☀️
床に落ちていてびっくりする夢を見た。
夢占い的には
ストレスとか、
大きな変革の準備期とからしい。
サイレント期間の初期は
一般的にパニックになることが多いらしい。
でも今私は謎の落ち着きがある。
もちろん泣いたりもしたけれど
すぐにおさまるくらいしか泣いてない。
でもあぁいう夢を見るということは
これも強がりということなのだろうな。
その強がりをとる時間を
意識的に少しずつ作っていく
ことなのかなと思う。
自己統合は女性が先と聞くと、
私がはやく受容をしないと、その間
彼は苦しい期間がどんどん続いてしまう
のでは、という思いがよぎった。
どれだけ他人軸が染み付いてるんだと
自らツッコミを入れつつ、
そう思っちゃうんだね、
と優しく見守る自分もいる。
そうやって自分のどんな思いも
受け入れていくことを
ひたすらにやっていこうと思う。

sun☀️
見てみた。
先人がいる安心感が
ある一方で、
改めて自身の課題が見えてきた。
キーワードは、「受容」、「女性性」、
そして「母親の価値観からの卒業」だ。
こうして離れている期間は
サイレント期と呼ばれるらしい。
この時期の前半は
女性が自身の女性性を癒す時期なのだという。
つまりどんな私でも愛されて
いいんだと気付くこと。
その後に今度は自分の中にある
男性性がそんな女性性を守らなきゃ、
となり、
自分の中にある女性性と男性性が
相互に守り守られる関係になる。
そんなふうに内側のエネルギーが
統合されることで、
現実世界でも相手と再会する
流れになるのだという。
女性は例えるなら海。
男性のどんな姿も状態をも
まるっと包み込む受容感のある存在。
私は相手に大木のような
どしっとした構えを期待していたのだけど
本当はその役割をすべきは
私の方だったのだ。
自己統合は女性が必ず先なのだという。
先になんでも受容できる器が出来れば
男性は本当の意味で弱さを曝け出せる
ようになるし、そんな女性を守りたいという
男性性が出てくるようになるという。
数投稿前に私は
弱い人が大嫌いだ、と投稿した。
確かにこんなマインドの人に
俺も不安なんだよ〜と
打ち明けられる訳がないよなぁ。。
ユングの言葉で、
「弱さを認めない者は
他人の弱さに攻撃的になる」
というのがある。
私はまさしくこのような状態になっていた。
だから彼を苦しめてしまったのだ。
私はこのサイレント期間で
自分の弱さを本当の意味で受け入れることを
学ぶ必要があるようだ。
そこでのヒントは
やはり母親、になってくるのだろう。
別の投稿でこれについては
深堀りしてみようと思う。

sun☀️
凄く悲しいです。
今までは別れる頃にはお互いに
冷めてることが多かったけど、
別れた後でも相手を
愛おしく感じてしまうのは
今回が初でした。
思えば私たちはボロボロな状態で出会い、
相手は私にマリア様のような母性を、
私は相手に大木のように動じない父性を
期待しあっていました。
でもお互いに未熟で、
1番助けて欲しい部分のケアを
しあうことが出来ませんでした。
まぁお互いに身体的に回復傾向はあって
少しは出来ていたのかも
しれないけれど、
それは自立した男女の関わり、
というものとはあまりに程遠かった。
今まで彼は
パーソナル障害なんじゃないかと
思っていました(本人もほぼ全て症状が
当てはまると言っていたから)。
でも実は私の方こそ「他人の期待」に
応えることがかなり染み付いている
状態だと分かり、
私もそれに該当するんじゃないかと
昨日友人に言われ、初めて自覚しました。
つまり理想的な自分とダメすぎる自分の
極端などちらかしかなく、
等身大な自己像が欠けている状態にある
ということ。
だからありのままの自分に自信が持てず
他人からの期待に応じたり、
他人からの評価を
そのまま自己価値と認識してしまう。
ルッキズムによる比較に苦しみ
あらゆる裏切りや人間関係の破綻を
経験してきた彼は、
そんな状態から死んでも脱出してやる
という熱量が非常に高い人でした。
私はその必死さを最後まで理解しないまま
なぁなぁで側に居続けてしまった。
自分軸の人生を取り戻すには
必ずしも必死になる必要はないのかも
しれない。
でも、それくらい大きな熱量を
持とうとしていた心はとても尊いことだと
今更になって気付いた。
自分のことというのは、
それくらい必死になってまで
大切にしなくちゃいけないものだったのか。。
そんなこと、私の家族は全く
教えてくれなかったよ。。
いや、彼の家族も毒親エピソードを
聞いていたから、彼もまた教わらなかった
人間のひとりだ。
なのになぜ、そこまで自分の人生を
生きる熱量を持てるのだろう。
一度これに関して質問したことがある。
なぜ親からの愛情がなかったと言っていたのに
こんなにあなたは愛情深いのかと。
それは自分が先天的に愛が大きい人だから
だと思うと彼は言っていた。
そういう要素を持って生まれたんだと。
だから自分の人生テーマは愛なんだと。
実は私は勝手に彼のことを
私の魂の片割れだと思っている。
ということは
私の中にも本当は大きな大きな愛が
もともとあるということだ。
自らが望みさえすれば、
思い出しさえすれば、
私の内に本当はあるはずのものだったのだ。
彼はただただ
そんな2人になりたかっただけ
なんじゃないだろうか。
でも強いて付け加えるなら、
彼の熱量は色で例えると
赤のようなエネルギーで、
そうでもしない限りは
幸せになれない、というような
息苦しさを含むものでもあった。
私が求めていたのはそんな必死さではなく
緑のようなリラックスしたエネルギーだった。
でも私が赤の反応をした時
緑で対応するほどの余裕は向こうにはなく、
私もまた自分の赤をコントロールする技術と
なにより相手、そして自分への
リスペクトが欠けていた。
そういうことだ。
必死にあがくのも愛だし、
必死にならないのもまた愛なのだ。
これからの1人時間で考えることは
これしかない。
私はどう生きたいのか。
そして、どんな人間でありたいのか。
これまで感じることを避けてきた
悲しい、苦しい感情とも
もっとど正面から向き合っていく。
死なない限りはきっとどうにかなるから。
無意識に諦めていたことも
素直に望んでみたいし、
今よりもうんと謙虚な人間になって
たくさんの人に愛を届けられるようになりたい。
そう思っている。
(これからもたくさんアウトプットします!)

sun☀️
それが私の中に本当に無いのかと
問われたら答えはノーだ。
子どもの頃、主に姉に対して
私はそういう思いをふつふつと
抱えてきたように思う。
だっていつも
心が踏んづけられるから
私だって踏みつけ返したくなる。
そんな心理で。
その鋭さをひたすらに
磨いてきた子ども時代だった。
だがある日、
彼氏に振られたばかりの姉に
二重整形の線が変だと言ってしまって
姉が心底傷ついた反応を見せた時、
初めてやり過ぎた、と思った。
その日からはあまり
そういう発言は控えてきた。
控えたということは、
姉を傷つけることは
本来の目的ではなかったということになる。
だとしたら私は何のために
チクチク言葉の刃を
必死に磨いてきたのだろうか。
ここに大切な何かが
埋まっているような気がする。

sun☀️
本当にパートナーを大切に思うのなら
3万円払って私の施術を
自分の意思で受けにきてください。
、、と言われて
私そうなんですね。。
ハイわかりました!お願いします!!
なんて思う人はいるのだろうか。
(それでも素直に一回やってみた私偉くないか)
確かに家族から影響された
生きづらさ、みたいな自覚はある。
でもその泥が本当の私と
ほぼ一体化している状態で
その泥は汚いと言われて
傷つかない人はいるのだろうか。
泥も含めてアイデンティティに
なってしまっているのが現状なのに
その私の要素の一部を否定してくる人に
勇気をもって自分を変える手伝いを
申し入れたくなるとでも思ってるのか。
トラウマのある保護猫や保護犬は
最初優しく接してくる人間に
めちゃくちゃ攻撃的になる。
そんな攻撃的なところを見せてもなお
相手の愛が怖さを上回ったときに
初めて
犬猫はお腹の弱いところを
相手に見せても大丈夫だと思えるように
なるのだと思う。
しゃーしゃーされると
バカにされてるみたいで傷つくから
今日は帰るね。
味方の〇〇さんにこう言われたけど
君には向き合う覚悟があるのかい?
そんな態度や言動をされて
心を開く人がいるもんか。
課題が多いのはこっちの方なのは
自分でも分かってる。
だってしゃーしゃーしちゃうのは
いつも私の方だから。
でも課題が完全になくなった人なんて
いないのに、
課題があるはお前の方だって言ってる人は
自分のことを言ってるだけだなと
ただただ俯瞰してスルーしてくれればいいのに
真にうけてどんどん深刻がられて
変わる覚悟を問われるのは
すごくしんどい。
今の自分の気持ちを大切に。
どんな私でも愛してるよ。

sun☀️
なぜなら弱い人は
もっと弱い私を守ってくれないからだ。
傷ついているのは
こっちの方だ。
納得がいかない間は会わない。
心がまたぐっと閉じてしまったから。
相手のことを思いやれないうちは
あっちのことは考えなくていい。
誰だって疲れたときは
メンタルが悪くなることはある。
それをモロに喰らわれてしまうと
ちょっとした不調すら見せられないと
思ってしまう。
私のせいで傷つくなら
もういいです離れてもらって。
そういう気分になってしまう。
愛してくれるのは
調子がいい時の私だけなんだよねって
思ってしまう。
搾取感、というのか。
なんか色々嫌になってくる。
とりあえずこの土日の安全は
確保した。
これ以上傷つくのは怖いから無理だ。
おやすみなさい。

sun☀️
喧嘩になりかけた。
事前に今日は話を聞いて欲しいと
私はパートナーにLINEをしていた。
そしてパートナーと合流してから彼は
私が自ら話出すのをずっと待ってくれていた。
でも私も私でその間
パートナーから質問されるのを
ずっと待っていた。
一向に聞かれる様子がないから
次第に私は勝手に塞ぎ込んでしまった。
(メンヘラ)
こうして険悪な雰囲気になりかけたけど、
心をリセットしてまた話し合いをしてみて
気づいたのは、
なぜ自ら話かけられないのかというと、
心を開いて自己開示したときに
冷たくあしらわれるのが私にとっては
なにより辛いことだったからだった。
そうなるくらいなら
自己開示をしない。
自己開示をするには
質問をされることで
相手が自分に関心を持っていることが
分かり安心してからでないと出来ない。
そんな心理があることが分かった。
私の母はそういう寄り添い方は
出来ない人だったから、
今の私はどうしてもこうなってしまう。
そう伝えたらパートナーは
しっかりと理解してくれた。
抱擁などの肉体的な安心感と
言葉を使った共感や理解。
そのどちらが先に
入っていきやすいかは
個人差があるのだと思う。
私は言葉を先に理解してもらえることで
身体が緩むタイプ。
彼は逆で、
肉体での寄り添いで緩んだら
思考がすっと入っていくタイプ。
そういうタイプの違いを
お互いに理解し合おうね、
という話が出来た。
今日も帰ったら
何気ない話を聞いてもらおう😌
いつも本当にありがとう。

sun☀️
なぜ嫌なのか、という話を
面と向かって伝えてきた!!
一回タイミングがあったから
えいやと勇気を出して話しかけたんだけど、
たまたま別の人に話しかけられちゃって
中断したときはモヤモヤしたまま
保留にしなきゃいけなくて
めちゃストレスだった(泣
でもその中断にも意味があるのかもと思って、
散歩休憩を挟んだら、
ふと自分の本音に気づいた。
この後また話しかけたら
体育館裏に呼び出すような感じで
相手は怯えちゃうかなとか
頭では強気に思ってたけど、
散歩中ふと泣きそうになって、
あぁ、わたしも怖かったんだって
気付いた。
わたしが自分の気持ちを正直に伝えた時
それで相手が崩壊してしまったとしたら。
その責任を感じるのが怖かったから、
わたしはメンヘラなことをされても
嫌という本音を言えなかったのだ。
そう、主に母に対して。
その自分の気持ちに気付けたから、
これで完結したな、と思った。
でもその上で伝えようと思った。
母じゃない人にだって
伝えてみる勇気はきっと価値があること
だと思ったから。
実際、その後の話し合いは
相手の話やスタンスを尊重しながら
話し合うことが出来た。
相手の話を聞くと
相手は調整役を常に担っている、
ということだった。
それは私が家族の仲介役をしている様子と
重なってきて、
聞いているうちにまた
涙腺が緩んできてしまった。
私はただ、
参加したいなら素直に参加したいと
言ってもらいたかった。
そんな誰かや何かのために
自分の楽しみな気持ちを犠牲に
しないでもらいたかったのだ。
それは自分に対して言いたいことだと
分かっているから、
目の前の相手はスタンスを
変えるつもりはないとの話だったけど
全くそんなことは気にならなかった。
たった一言がきっかけなのに
こんなに私にとっては大きなことに
なるなんてびっくりだ。
でも、丁寧に扱えて良かった。
今日の私はすごくよく頑張った!🙌✨

sun☀️
いい年をした男性なのに
言動があまりにメンヘラ過ぎるのだ。
謙虚なふりをしてるけど
実際には自己防衛してるだけで
結果相手に負担をかけていることに
全く気付いていないところがムカつく。
なんでこんなに腹が立つのか。
恐らく彼へのイライラには
私にとって大きな宝物が眠っているに
違いない気はしているのだけど。
これまでもいわゆる女々しい男性を
心底嫌ってきた。
女々しいと言っても、
今の彼氏のような、
自分で受け入れた上での
弱さの提示は清々しく、
むしろ強ささえ感じる。
私が無理なのはそうじゃなくて、
言い訳くさいというか、
怖すぎて気付いてないふりをしようと
するような弱さ。
その弱さを正当化して
周りに害をもたらすような、、
そんな弱さのある人が大嫌いなのだ。
ご縁とは不思議なもので、
仕事で1番やりとりをする先輩もまた
同僚の男性たちから見たら
かなり女々しいタイプの人だ。
でもなぜかその先輩には
イライラしない。
やはりそれはあくまでビジネス上の
付き合いだから、私に対しての
捻くれ要素がないからだろう。
正直、その先輩が恋愛対象に
1ミリもならないのは、
付き合ったらその捻くれが
爆発しそうなのがどこかで
分かっているから笑
捻くれは腐敗臭と同じだ。
鮮度が良かった食べ物も
放置すると腐敗して臭くなる。
冒頭の男性からは
そんな腐敗臭を感じるから
嫌なのだ。
そして嫌いな人の要素は
自分自身だ、ということも
私は知っている。
つまり私自身もまた
この類いの腐敗臭を大いに漂わせている、
ということ。
だからそんな自分と同じ人を見ると
イライラしてしまうのだ。
この男性を心の底から許して
あげられるようになったときに
私は私を許してあげられるのだきっと。
意気地なしな自分を
愛せるようになるには
どうしたらいいのだろうか。

sun☀️
昨日、帰宅しておかえりーと
嬉しそうに迎えてくれた
パートナーに対して、
ついハイハイと相手したあと
すぐ帰宅後のTodoをさくさくと
進めている自分がいた。
昨日はドライで申し訳なかったかなと
我ながら思ったけど今気付いたや、
感情をほどく、という経験を
私は母から教わってこなかったのだ。
最近は右頬のニキビが
赤く炎症を起こしている。
顔の右側にでるニキビは
分かって欲しい相手が外にいる、
ということらしい。
私の口が言ってくれないから
肌から出してくれてるんだよね。
もっと素直に伝えていこう。

sun☀️

sun☀️
数週間前から時折ずっと痛い。
おたふくカゼとかで腫れるところで、
どうやらストレスや疲労による免疫の低下や
筋肉の緊張によるリンパ液の滞りが
原因らしい。
とくに痛くなるのは、
夜人と会う予定を入れて沢山話したときで
中でも笑うとより痛くなる。
私はいつも笑顔だねと言われる。
その理由は色々あって、
そもそも楽しいことが好きな性格なことや、
自分の話をするより人の話を聞くのが得意で
その為には笑顔だと話して貰いやすいことや、
また自分の目つきは鋭いイメージがあって
真顔だと怖い印象を与えてしまうのでは
ないかという恐れがあることも
理由のひとつだ。
以前とある子から、
私にとっての笑顔は鎧だね、
と言われた。
笑顔でいることで
人から嫌われないようにしてきた、
というのは結構しっくりくる。
今は心を許せる人としか
接してないと自分では思ってるんだけど、
パートナーといる時でさえ、
耳の下は痛くはなる。
それは、やっぱりどこかで
無理をしている、ということなのだろう
と正直思う。
自分でも気づかないくらい
細かい粒子のような単位で。
だって1人になった今の今も
すごく無表情でいたい気分だから。
この無意識な無理癖をとることが
今の私の課題な気がする。
今パートナーはつい張ってしまう見栄や
プライド、つまりカッコつけをやめる
チャレンジをしている。
男だけど、寂しいとか
辛いとか、ダサいとか、
不潔とか、泣き虫とか、
嫉妬とか、そういうのも、
全部素直に出していきたいと言っている。
人に散々言ってきたけど、
私の方こそ『良い彼女』を手放す
勇気を持つことが出来たなら
彼の努力に見合う人間として
この先も共に生きていけるような。
そんな気がした。

sun☀️

sun☀️
改めてすごいテイカーだなと思った。
そしてその分とんでもないギバーでもある。
というのは、
父親が私にとって“親“らしい振る舞いが
少なかったのは、
そもそも父もまた
祖母のおもりをひたすら今も
し続けているからだ。
もちろん父を育て上げたのは祖母だ。
そういう養育的な部分ではなく、
感情表現が子供のようだ、ということ。
畑に連れてってくれ。
手に刺さった棘を抜いてくれ。
背中に薬を塗ってくれ。
あのストックが無くなったから車だしてくれ。
私が作った料理をちゃんと食え。
身体に悪いものは食うな。
この密度がわが父と祖母の日常。
こういう一方的なお願い事を
父はひたすらに叶えている。
今もなお。
その間父の本音はいつも
後回しだった。
そして私の母もまた
そんな夫に親代わりになって
貰えないから、
今も祖母にポジションを
取られたような感覚で拗ね続けているのだ。
そんな父に私は当然“親“を
求められる環境じゃなかったんだきっと。
しかし祖母もまたギバーであると書いたのは
我が実家の経済を支えているのは
祖母だからだ。
家の掃除やら買い物やら
畑仕事やら来客対応やら
なんでもこなす。
なんでも自分でやらないと
気が済まないから自分でやるんだけど、
いつもおればっかりやっていると
勝手にイライラしている。
そのイライラに対しうちの両親は
もう感覚が麻痺していて
文句を言う、とか争う、という考えは
全くないようだ。
祖母が孫の私に会いたがるのも、
私は帰ったら料理を手伝うから、
可哀想な自分を助けてくれる存在だと
思っているから。
つまり父だけではもの足らず、
孫の私にも更に甘えようとしてくる人なのだ。
どこまでテイカーなんだ。
私はもうそこには応じないよ。
その方が実は健やかだって
分かったからね。

sun☀️
それはキャッチボール。
女の子だから、という理由なのか
分からないけど、
まだ一緒にやったことがない。
つい最近ようやく
中古の野球グローブを購入した。
それでやりたいな。
父とキャッチボール。
もっと子どもの時に
父と遊びたかったな。
大人になった今からでも
やったらいいね。

sun☀️
実は私がメンタルブレイクして
退職を考えていた時に
話をしっかり聞いてくれた人だ。
でも私が昨日気に食わなかったのは、
私たちが担当しているとある業務について
相談したところ、
俺はそのへん分からないから、そっちで
よしなにやってよと言われたことだった。
なんで関心を持とうとしないのか、
という怒りが湧いた。
確かに役職者だからといって
業務の細部まで頭に入れておく必要はない
という合理性は理解出来る。
でも言い方、というのかな。
面倒なことは関与したくない、興味ない、
みたいな姿勢。そこが引っかかった。
でもこう振り返ると、
冒頭にも書いた通り私は
特に彼には自分の気持ちを
理解してほしい、理解してくれるはずだ、
というニーズを良くも悪くも強く
持ってしまっている気がする。
理想の父親像と彼を
私は重ねてしまっているから、
その期待が外れるような言動だったから
怒りが湧いてくるのかもしれない。
つまりは、反抗期の娘を
彼を利用し私はやっているんだ。
そう思うと世の上司というのは、
あらゆる部下たちのそういう類いの期待と
重さがのった言動が降りかかってくる
ポジションとも言えるのかな、、
かなり大変そうだな、、苦笑
同僚に対して上司を父親と重ねてませんか、
みたいな話を偉そうにしたことがあったけど、
私だってまさにやってたんだなぁ。
今日ようやく気付いたや。
自分の気持ちを分かってもらいたいのは
母親に対してだと思ってたけど、
どちらかというと母親は
私たち娘が面倒を見る必要のある
子どもみたいな存在だったから、
私にとっての“親“のような要素は
父の方に私は求めていたのかもしれないな。
学校の男性の先生に
私のニーズが叶えてもらえなかった時
深くショックだったのは
そういうことだったんだなぁ。。
あー目が潤んできた。
今日はこの感情に浸ろう😌。。。

sun☀️
悪口をつい言った。
出来の悪い後輩や
話の通じない先輩のことも
同僚に愚痴った。
最近怒りをそのまま出せるように
なってきている気がする。
表面からしたら口の悪い人になった感じ
でしかないと思うんだけど、
抑えるよりも出した方が
自分の気持ちには素直な気がしている。
それに素直に私の愚痴を聞いた相手は
当人を庇いたくなる心理が生まれるのか、
その人の良いところを
教えてくれたりもするから、
そんな一面もあるのかと知ることが出来る
メリットも実はあったりもする。
色々な人を相手に怒ってるけど、
振り返るとそのどれも全てが
自分を大切に扱ってもらえてないという
怒りからくる不満だ。
もちろんそれぞれに私が知らない背景があり、
業務負担も、私より明らかに高い人たちだから
色々大変なのだとは思う。
でも私はそういう“いい人じゃない自分“も
大切にしたい。
そういうのを素直に出せる人の方が、
それが自分の思い込みだったと気づいた時でも
素直に心を切り替えられるだろうから。

sun☀️
昨日の投稿の話をパートナーに
素直に伝えた。
やっぱり私が私を主語にする分には
全く問題がなく、
むしろ私が私の為に
よりよく生きようとしている姿を見て
自分と同じ心持ちの人がいる、という意味で
勇気をもらえるし、愛おしく感じる、
という話だった。
男の人の幸せって、
彼女が幸せそうにしていることだって
記事は見たことがあったけど、
本当にそうなんだな、改めてと思った。
女の私からしたら、
正直理解が難しいけど笑、
まぁ世界はそういうものだというなら
素直に従っておこう笑
またこれまで、理解を献上することで
見捨てられないようにしていた私が
理解を示さずにどう愛してもらえるのかが
ピンとこないという話も正直に聞いてみたら、
彼は私からの日々散りばめられている愛を
感じているとのこと。
薄着で寒くない?とか
お腹大丈夫?とか
傘持った?とか、そういうの笑
それは私が頑張ろうとして
やってることじゃなくて、
素でやっている部分。
だから無理して理解しようとしなくても
既に愛されるようなことは
してくれてるんだよ、とのことだった。
存在しているだけで愛されるとか、
いらないものを削るだけ、みたいな話は
よく聞くけど、
こういうことなのか、と思った。
一方で、向こう側の課題も
なんとなく感じてはいたものの、
うまく言語化出来なかったけど、
先ほどなんとなく言語化できた。
もちろん本人には言わないけれど、
昨日ふと気になったのは彼の口角だ。
笑うと右側が上がっている。
これは調べると人を見下している心理が
あるらしい。
まぁこれは本人が自分で
そういう生き方をこれまでしてきて
辛かったという話をしてくれているから
なんら疑問はないんだけど、
今回の彼の拒絶にもこれは
関係しているのではないかと
直感的に思った。
例えばだけど、
りんごが好きな人と
洋梨が好きな人がいて、
タルトにするならどちらがいいか、
という話になった時、
別にタルトにはりんご一択でしょ!と
主張されたからといって
洋梨タルトを全否定したことには
通常ならないと思う。
あぁ、あなたはそうなんですね、
それってあなたの感想ですよね?
ってひろゆきみたいに言えばいい話だろう笑
でもそこでムカ!って
なってしまうというのは、
自分の意見に反する主張を
されたときに
それを違い、ではなく
“見下し“として受け取ってしまう癖が
おそらくあって、
その蓄積がおそらく人相にも
出ている、ということなのだと思う。
特にメンタルの話はご飯の話と違って
カウンセラーぽいというか
上下関係を感じさせやすいから
尚更そう捉えやすいのかな、と思う。
そういう解釈の歪みが綺麗さっぱり
無くなった頃にきっと
口角の歪みもいつのまにか治っているもの
なのだろうな。
まぁでもこれは単に時間の問題だとも思うし、
ましてや私から指摘する話でも
さらさらないだろうと思うから、
胸の中にそっとしまっておこうと思う。
まぁ彼のことだから、
それが障害となると思ったときに
自分で外すだろう。
、、とはいえ、我慢はできない性分なので
どこかで言ってまた喧嘩になるんだろうな笑
まぁそれもまた一興か。
そんなんで私たちは壊れないだろう。
喧嘩になりそうなことを話すor話さない、
そのどちらも受け入れられる
私たちでいよう。

sun☀️
『助けたいと言う気持ちは
本当は見捨てられたくない心から
うまれる』
と言うたまたま見かけた一文が
しっくりきた。
先ほどの投稿で、
分からないと答えた時に思ったことが
それに近いことだったから。
私が分析モードに入る時というのは
つまりは私を見捨てないで〜
ってことなのかも。
より深くその人のことを理解出来れば、
きっとその人は私を手放さなくなるはずだ
とかって、どこかで思ってるのかな。
つまり見捨てられない為の交換条件として
相手への理解を献上してきた、
ということだったのかもしれない。
となると、実はやりたくてやってる訳じゃ
ないのかもしれない?
理解しようとしなくても愛される。
そんな経験がしたいのかな。
そんなこと、あり得るのか?
でも現にパートナーが
そういう類の“理解“を嫌がりつつも
そばにいてくれるというのは
それを体現してくれている、とも言えるよな。
理解を献上しなくても
私は愛されるのか。
それを実験するときがきた、
と言うことなのかもしれない。
となると、何が愛してもらえる要素に
なるのだろうか。
そういうことを考えていること自体、
そもそもズレているのだろうか。
そういえば先ほど
昨日の状況を俯瞰できる画像も見つけた。
自分の人生を取り戻す3ステップというやつ。
初期は自分なんて、、という時期。
そして次のフェーズは
自分を大切にしていいと気付き始め、
雑な扱われたらとにかく戦うが、
思考やコミュニケーションが極端なために
周囲との摩擦が増える時期だ。
正しく今私たちは
このフェーズにいるものと思われる。
でも救いなのは、
(仕方ない)という一言が
最後に添えられていたこと。
そう、ステップとしては
摩擦はどうやら仕方ないらしい。
なんだか最近、仕方ない、という言葉に
結構救われている自分がいる。
仕方ない、と言うと
思考のぐるぐるが止められて
一息つけるような。
そんな感覚。
そのフェーズを経て、
最後に自分より人生を大切にする時期、
がくるらしい。
自分と人生って何が違うん??
どう言う意味なのか、
今はさっぱり分からない。
ということはやはり
まだ私はフェーズ2にいるようだ。

sun☀️
喧嘩、まではいかないけど
やっぱりパートナーと深めに話し合うと
ぶつかってしまう。
反発されるのはいつも
私が相手の心理を分析しようとした時だ。
この行動の背景には
どんな恐れがあるのかとか、
何を分かって欲しくてやってるのかとか。
私としてはそれは愛から
やっている行為。
もっと相手の本当のところが
知りたいから、つい聞いてしまう。
というか、これまでの人間関係は全て
そのアンテナに応じてくれる人とばかり
作ってきた。
そのやり方でしか
人と仲良くなるやり方を知らない、
とも言える。
でもパートナーにそれをすると
拒否レベルで嫌がられてしまう。
今週会った友だちとも
この悩みについて話を聞いてもらった。
その子とも前回は遠慮なく
家庭の話とかにも踏み込んで質問した。
本当にNGそうな話を私が
聞いた時は相手が話題を逸らしたから
それを無理に戻すようなことは
流石の私でもしなかったけど、
表立ってイラつかれることもなく
その他の話題で盛り上がり、
その後またねと解散した。
でも本当は嫌だったのかなと思って、
今週会った時はその辺の深掘りを
控えめにしてみた。
それもまぁいいんじゃない?と
その子は言ってくれたけど、
なんか私的には
前回よりも表面的な会話で
終わってしまったような感覚が残った。
でも、この感覚は、
もうひとつの正解、なのだろうか。
私が慣れてないから
しっくりこないだけで、
これまでとは違う
人の愛し方、ということなのだろうか。
それとも神さまが
あなたは他人の心じゃなくて
自分の心に集中しなさいと
私に仕向けているのだろうか。
極端な話、
こういう心の会話が出来ないのなら
一緒にいる意味すら分からないくらいには
拗ねてしまっている私がどこかにいる。
そんなの心を開いていない人たちとの
飲み会に参加するのと
なにが違うのって、思ってしまう。
そのモードの時は
たくさんハグをしましょうと言われても
ただ近くに触れ合える肉体さえあればよくて
私である必要なあるのかなとかまで
考えたりもした。
パートナーからは
抽象論も嫌がられた。
私は構造として理解したいと思い
ついさっき起きた出来事を
例えばA対Bのような形で
理解しようとする人なんだけど、
パートナーからすると
それは本質からどんどん逸れて
辛くなってくるらしい。
なんだろうな。
感性派の人に理詰めしているような
ことになってたってこと…?
あぁ分からない。
彼は、俺の価値観は今どうでもいいから
私が彼に望んでいるのは何かだけを
知りたくて話を始めた、と言っていた。
分からないなら分からないでいいから、
とも言われるけど、
私的に分からない、と伝えたら
それっきり放置されるんじゃないか
という悲しさがある。
それは嫌だから
何かしら話を続けようとするんだけど、、
望んでいるつもりのことを
すればするほど嫌がられてしまう。
はぁ、今日はどう過ごしたらいいんだろう。
こんなにお互い分かろうとしてるのに
分かってもらえない寂しさが
胸にこびりついている。
それを感じる1日にしようか。
拗ねてしまうのは仕方ない。
それで解散になってしまっても仕方ない。
そう言う時は時間が必要なんだろうきっと。
そこも含めてお互いの為になると
腹をくくることなのだろうか。

sun☀️
という解決策はこれまで
正直薄っぺらく感じていた。
私のニーズは
言語を使った理解の中にあるのに、
と思っていた。
でもいまたまたま見た投稿で、
ハグは甘える練習にぴったりだと
いうコメントがあった。
かつ不安な時ほど
頭は思考でどうにかしようと
するという記事も先日見た。
パートナーと喧嘩になるのは
必ず後者のモードの時だ。
相手を傷つけてしまった!と
ショックを受けるのが
いつも喧嘩の入り口だった。
人を傷つけるどうしようもないモンスターに
成り果ててしまったような、そんな自責感。
これは、甘えるというのとは
かなり真逆のような心理状態になる。
そこから勝手に追い詰められ
これまでの防御パターンとしての
被害者モードがオンになり
不穏になる。
尾鰭を切るということは、
いち早く自分のこのモードを自覚し、
とにかくごめんねとまず謝ること。
傷つけたいわけじゃなかったと
伝えること。
それをやるには、
そのモードに入った自分を
まず自分で許してあげることが
必要になる。
それが許せて初めてハグを求められる
心理状態になれるし、
そんな自分を相手からも
抱きしめてもらうことができる。
かつ許して手放す為には、その前に
感情を抱きしめて感じ切ることもまた
必要なプロセスで、
その為は
これまで自分を守ってくれた鎧を脱ぎ去り
ネガティヴをネガティヴなまま、
そのまま感じようとする勇気が必要だ。
そんなステップが
これらの根本解決には必要なんだと
思っている。
この許しが板につくまでは
何回でも何回でも繰り返して
どんどん自覚スピードを上げていくこと。
そうしていけばきっと
パートナーを傷つけない自分になれる。
、、というかそれ以前に
傷ついた自分に寄り添うのが先、だよな。
他者を傷つけないのは結果でしかなく
そこをゴールにするとまたズレてしまうな。
仲直りの時、
パートナーは私を抱きしめながら
〇〇(私)は〇〇を幸せにすることだけを
考えていればいいの、と言った。
その意味がその瞬間は分からなかったけど、
たぶんそういうことだ。
私が私を救おうねというお話なんだ。
色々書いたけどこれらを踏まえると、
ハグで解決、というのは
思ったよりも“深い“ものなのかもしれない。
こういう思考うんぬんを超えて
自分は愛されていることが
ダイレクトに分かるから。
喧嘩の時に限らず、
量は質に転化するというのが
宇宙の法則だと思うから、
頭では意味が分からないままでも
ただただハグをし続けて
甘え上手を蓄積させることで
見えてくる世界があるのかもしれないと、
そう、思った。

sun☀️
いつも入り込んでしまうのか。
最近その自覚が特に強い。
多分今までもずっと
やってきているんだけど、
その中でたまたまそれをされても
私と仲良くしてくれている人は
侵害されている自覚が薄い
人なのだと正直思っている節がある。
(失礼でごめんなさい)
でもパートナーは
そこに凄く敏感で、
もうそういう不快感を
ダンマリできない生き方になっている。
だからうっかりでてしまうと
毎度傷ついたと言われてしまう。
なぜ人の心に土足で入ってしまうのか。
心がピンとこないから
一旦ロジックで考えてみると、
シンプルに自分が散々されてきたから、
ということになる。
DVを経験してきた人は
つい子どもにしてしまうとよくいうけれど、
私の場合は
土足で踏み込まれ続けてきたから
そうされたら嫌だろうという知覚が
どこか麻痺していて
つい人にしてしまうのかもしれない。
この悩みと本当にちゃんと
おさらばするには、
土足で踏み込まれる痛みを思い出し、
慰めてあげなくてはいけない気がする。
誰に踏み込まれたのか。
それは他でもない、家族だ。
主に祖母。
母からはあったのかな、どうだろう。
その痛みを本当にちゃんと痛いと分かって
初めて人にしなくできるんじゃないだろうか。
そんなことを思った。

sun☀️
ケンカをしかけた。
でも幸い戻ってこられた。
行ったり来たりを繰り返す中で
分かってきた。
ありのままの自分を好いてくれる
パートナーがいるという確信が1%で、
平和な日常を共に送ってる時は
この1%に浸って生活出来るんだけど、
少しでも相手を傷つけてしまった、
ということがひとたびトリガーになると、
残りの99%を占める
こんな私じゃ愛されないという
思い込みがどんどんどんどん
膨らんでいってしまうのだ。
そしてその思い込みの中で感じた
私のニーズが叶えられないという思いは
必死に本音を探ろうとすればするほど
99%の中で確信めいていき、
それに比例して外界との
乖離がどんどん広がっていく。
パートナーのことを引き摺り込んでしまう
魔力があるから、次第にパートナーも
私に冷たい言動をするようになり
やっぱり私は愛されないという帰結に
強引に持っていかれそうになる。
でも、帰られそうになったときに
ハグをお願いしたら、
その呪いが解けた。
それで分かった。
その1%を信じられないのは、
99%の沼に足を突っ込んでいる状態に
いるせいだったのだ。
沼の中では確実に私を救ってはくれない
方法にしか思えないけど、
そもそも沼に入らなければ
ありのままで愛されている自分が
もう既にいるのだ。
だから次から気をつけるのならば、
その1%から離れてしまったと気付いたら
すぐに戻るようにすることなんだ。
それは、相手が喧嘩になりそうなときに
ハグしようと提案してくれた時が
ひとつのタイミングなのかもしれない。
そのとき気持ちを理解してくれてない!と
思う自分を自分と認めても
それは沼の自分だから、
本当にパートナーから愛されている
自分じゃないんだ。
ちょっと俯瞰で理解できた。
何千回だって、
この行き来をしていいよと
パートナーは言ってくれた。
その言葉を信じること。
不安にのまれないこと。
そして不安にのまれても大丈夫なのだと
確信すること。
今大事なのはそういうことだ。

sun☀️
過去に一度だけ、
そんな経験をしたことがあった。
それは、大勢人がいる中で
主催者に質問をした時のこと。
彼はあえて私ひとりに
様々な問いを繰り出し始めた。
自分のことを話すことに
そもそも慣れていないし、
なによりみんなの時間なのに私だけに
時間を使い過ぎているという焦りもあって、
私は逃げに逃げるような回答を
しまくった。
そしたらその人は、
そんな私の焦りも見兼ねた上で
一息ついた後、
『でも〇〇さん、
そうやっていつまでも核心から
逃げ続けていたらさ、
いつになったら
本当の〇〇さんの声を聞いて
あげられるの?』
と言った。
そこで涙腺がうわ〜っと緩んで
目が潤んだ。
そう、彼がみんなの時間を使ってまで
私に迫ったのは、
セッショニストとして
こういうアプローチも身につけて欲しい
という意図があってのことだったのだ。
そして私はなにより
彼から大きな無条件の愛を感じた。
その人とは
質問は何回かしてきたくらいの接点しか
なかったけど、
心をぐっと掴まれたような
そんな経験だった。
そんなことを今朝思い出していたら、
ふと上から目線で内省のアドバイスを
してしまう理由が分かった。
人にしたいことは
自分がされたいこと。
つまり、私は彼がしてくれたような
核心に迫るような質問を
渇望していたのだ。
その切り口となりそうな問いを
自分のエゴで外の人にぶつけて
しまっていたんだ。
それを自分ではしてくれないから、
声に出して誰かに伝えてくれないから、
代わりに皮膚を使って
顔の右側や首にニキビをたくさん
作った。
パートナーと2度目の喧嘩をした時、
お互いに傷ついた子猫同士
しゃーしゃーしちゃってただけだったんだね、
もっとたくさんハグしようね、
という落とし所に不完全燃焼感があったのは
やっぱり私は怒りをパートナーに
分かってほしかったからなんだ。
パートナーに向いた怒りではなくて
これまで溜め込んできた怒り。
主に家族に対しての怒り。
祖母からの留守電を聞いて
涙が流れたのは、
あぁやって寂しいみたいな言われ方を
されてしまっては、
私の内にある怒りをそのまま出せない、
という苦しさからだった。
エニアグラムでタイプ7の人の苦しみは
湧いてこなくなったというよりは
上から抑え込まれたという感じ、と
先生は言っていた。
まさしくこれがそうなんだと思う。
寂しいという声すら
時に攻撃になるなんて
頭じゃ理解が追いつかない。
でもおそらくそれが本当のところ
なのだろうと思う。
まずは今日パートナーに、
この話を聞いてもらおうと思う。
今日も1日、頑張ろう😌

sun☀️
それは例えば、
自分的にこれはやってはいけないと
思っているミスを
あえてやってみる勇気を持つこと。
遅刻してはいけない、が強くて苦しいなら
信頼している人との待ち合わせに
あえて遅刻してみる。
ご飯を残してはいけない、でしんどいなら
あえて人前でご飯を残してみる。
いざやってみたら
別に責められなかったり、
誰も気にしてすらなかったり
するようなこと。
でも実際に試すまでは、
どう思われるのかという恐怖が強すぎる。
だから勇気がいるのだ。
パートナーシップを強くするということは
この類いの勇気をどれだけ
一緒にいながら出せるか、
という気がしている。
でも1番愛してほしい人だからこそ
同時に1番やるのが怖い相手でもある。
その人にがっかりされたら
それこそ辛いもの以外の何者でもないから。
だから、心の中にそっとしまい、
表面的で、非言語の平和の世界に浸かる。
でもそれは、
ハリーポッターの映画に出てくる
どれだけ掬っても掬えない
水のシーンのような、
そんな感覚と似ている
と思った。

sun☀️
ここでの投稿を
これまでパートナーにも
オープンにしてたけど、
全然みてくれていない様子で
ショックだと伝えたら
向こうは向こうで
文章だとディスコミニケーションが
発生してしまいやすいと感じているらしく、
それのせいで勘違いして
一方的に傷つくのが怖いから、
大切な話は対面で話し合って
認識違いをしないようになるべく
したいとのことだった。
なんだ、そういうことだったのかと思い、
私は私で向こうが傷つきそうなことを
書けないな、、という制限を
実は感じていたので
アプリを消してもらった。
言うのが怖いことほど
なーんだ、ほっこり!って展開にしか
ならないと分かっていても、
毎度伝える前は怖いなと思ってしまうのは
一体なんなんだろう笑
まぁでも今回もそういう話し合いが
出来て良かったし、
トゲトゲしてる自分も含めて
本音を表現できる場が確保できて良かった。
身体に溜めず、
どんどん出していこう😌✨

sun☀️

sun☀️
よく見ている(かてぃんさん)。
私自身ピアノは
弾けそうと言われるものの
全く習ってはこなかった。
なぜなら祖母が
田舎の娘がピアノをやってどうすると
習わせようとした母を止めたから為だ。
なんだそれ。
まぁそこでやってたら
パーカッションとは出会えなかっただろうから
結果オーライなんだけども。
それでもピアノの上手い人のコメント欄に
よくつく、
あなたのショパンが1番ですとか、
重い鍵盤をなぜこんな軽やかに弾けるのかとか、
音粒が美し過ぎて涙が出たとか、
そういう経験者だからこそ
感知できるようなコメントが
本当に羨ましい。
素人からしたら
上手なんだろうな、という解像度でしか
わからないのだ。
悔しい。
でも今度もしかしたら姉がエレクトーンを
貸してくれるかもしれないことになった。
ダメ元でお願いしたら、
案外いけた(まだ確定じゃないけど)。
させてもらえなかったことを
大人になってからするんだ!
両手でするほどのモチベはないけど、
主旋律だけ当てずっぽうで弾いてるだけでも
ピアノって楽しいもんね。
中学の同級生が弾いてた、
3月9日のピアノは
本当に美しいメロディだったなぁ。
あんなふうに、
わたしも音を楽しみたい。

sun☀️
朝ごはんは納豆ご飯にけんちん汁
を食べた。
仕事でしたミスも
ちゃんと改善策を先輩と話し合ったし、
後輩とも積極的に
コミュニケーションをとりにいった。
お昼後も20分以上歩いたし、
帰り道も10分歩いた。
そして何より、
メンタル的にしんどかった仕事を
助けてと同僚にヘルプが出せたのが
とても偉かった。
たかが2つだけど、
1人で17時過ぎから4つは
気持ち的に無理だった。
1人にお願いしたら
別の人も進んで手伝いにきてくれて
とても有り難かった。
誰かを手伝うより100倍難しい
誰かに頼る、ということを
スモールステップでやれた自分が
とても誇らしい。
訳もわからず先ほど涙が出たのは
そんな自分をちっとも褒めてなかったから
かもしれない。
一生懸命に生きる私のことが
本当に大好きだよ。
今日もありがとう☺️

sun☀️
うちの母がどうやら
うさまる展に行きたいらしい。
だが姉は忙しく付き添い出来ないから
あんたが一緒にいってやってくれないかと
連絡があった。
今の私は家族と距離をおくモードなので、
当然断った。
姉には物を借りる約束をしてる最中だから、
それに影響しないといいなぁ。
なんだが改めて私たち姉妹は
ふたりして母のおもりをしてきたのだなと
今日思った。
話は戻るが、
今週はシンプルに仕事が忙しかった
のに加え、
数年に1回向き合えば素晴らしいね
くらいの重みのあるテーマが
3つも続いた。
かつ静けさが苦手で睡眠不足ときたら
そりゃ肉体も悲鳴をあげるか。
明日やるつもりだった仕事も
もう降参して来週水曜期限に
してもらおうかな。。
本提出は来週中って言ってたしな。
私は私のことで
今は大変忙しい。
だから、母のことを考えている
場合じゃないのだ。
今週はちょっと降参だ。
色々諦めよう。

sun☀️
今日は珍しく体調不良で早めに帰宅した。
最近しんどそうな親友と
ご飯にいく約束を急遽前倒ししたものの、
耳たぶの下の腫れがじわじわきて
やはり直前でキャンセルさせてもらった。
今までは無理できていたのかもしれないけど、
無理が出来なくなってくるとは
こういうことかと思った。
キャンセルは基本お店に悪いから断れない、
そう思ってたけど、
もちろんそれはそうなんだけど、
コースでもない限りは
そこまで気負う必要もなかったのかもと
後から思った。
キャンセルの旨も
親友が家を出る前に伝えられたなら
充分なのかなと。
しんどそうな友人のことを
ギリギリまで優先してたけど、
いざこちらの方がダメそうな時は
全然向こうも無理しないでって
言ってくれたから、
やはり家に帰ってゆっくりできて
すごく安心したし、
軽く寝たら耳の下の違和感も少し軽くなった。
自分に寄り添った選択ができて
改めて良かった。
思えば今週は盛りだくさんだった。
1番深い闇に触れられそうになり
深く動揺したり、
仲直りして絆がまた深まったり、
新しいステップにチャレンジしてみたり。
その間日中の仕事もなんやかんや忙しく
リセットタイムも然程つくれないまま、
残業したり、
昨日も遅くまでサークル活動をして
今日も寝不足なまま出勤し
仕事フル勤務でそれでも終わらず
この週末も実は少し進めたいものがある状態。
(本当は今日やる予定だった分。
一度納期を延期してもらってて再依頼は
しにくかった、、)
思えば今週は2人くらい
最近忙しい?とか、手伝おうか?と
声をかけてもらっていた。
でも、別に忙しくはないですよ〜とか、
私の方で出来ますよ〜と返事をしてた。
前者については本当にそう思ったんだけど、
いま振り返ったとおり忙しくないは
月トータルの話であって
今週については嘘だし笑、
私の方で出来るというのも
本当にそう思ったと言うよりは、
他の人の仕事を増やしていいのかという不安を
感じないようにするために
咄嗟に言ったことだった。
典型的な頼り下手やないかいワレ。
社内には協力体制が最近組まれていて、
一部の人に業務負担がいかないように
随時ヘルプが出せる仕組みになってるんだけど、
それを使うのって凄く勇気がいるから
まだ使ったことがない。
来週も予定がマックスじゃないと
使う権利ないんじゃないかとか、
別にお客さまから急かされている訳では
ないのだからゆっくりやればいいじゃないか
とか、
使わなくていい理由は山ほど出てくる。
でも全体の合理性で考えたら
早めに出来るものは依頼した方が
お客さまの為になるよなとも思ったり。
改めて人に頼るって
すごくすごく難しいんだなぁ😭
先輩もそこが1番厄介で
休職にまで追い込まれてしまったのだろう。
今日も体調不良気味なので
早めに帰りますねと伝えたら、
そう言う時に粘っても何もいいことないって
俺が証明してるからねってカラッとした顔で
見送ってくれたな、、
あはは、、
とことん人を傷つけない振る舞いを
し続けてきた人なんだよなぁ。
まぁその刃が全部本人に
突き刺さっちゃってるんだけどもね。
でもまぁよく考えたら
ヘルプを出したところでみんな忙しければ
自分でやることになるわけだし、
緊急なときに頼る仕組みだから
来週の忙しさとか関係ないよな。
実際の業務量うんぬんというより、
心の余裕を作るために
その日その日のパンク具合で活用する許可を
自分に出してあげてもいいのかもしれない。
そういう勇気の筋肉を
引き続き鍛えていきたいなと思った!
