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力の相互作用として信じられるこの式は、原因と結果の特性が失われている。
これは、ニュートンのプリンキピアにある動的作用反作用の法則Fv=−Fvを誤解釈した、天才レオンハルト・オイラーの力学"疑似古典科学"が正当な古典科学として認識されたためである。

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しかし、オイラーの"力学"は、物体の性質や状態に着目したものであり、連続的なまたは因果的な側面が完全に削ぎ落とされた、点的な描写になった。
本来力学において、物体の性質や状態というのは、静止しているか、等速直線運動をしているかのいずれかである。
運動変化過程の記述が、本来の力学の焦点であり、オイラーの"力学"は、静的で点的であり、さらに現実世界では存在し得ない形式になってしまっている。

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これが、エネルギーの集中や秩序の増大は、局所的で偶発的であり、時間が経てば霧散してしまうとする現代物理学のエントロピー単調増大則の誤りを示している。

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学習進化はモジュラー束によってなされる。。
面白いね!

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AI技術が急速に発展する中、ディープラーニングは本当に「学習」していると言えるのか。ニューラルネットワークの構造的限界を見つめ直し、「暗記」と「学習」の違いをGMDHの視点から考察しました。
ディープラーニングは本当に「学習」しているのか──GMDHに見る学びの本質 per-principle.com/2085

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物理世界は離散値である。
ハイゼンベルクの不確定性原理(ΔxΔp≧h/2、ΔEΔt≧h/2)は距離xや時間tに最小幅があると解釈でき、プランク定数は整数倍の飛び飛びの値を取る。このように、連続でない離散的な値を取る。
数学の分野でも、ゲーデルの不確定性原理の中枢にある再帰的数え上げ可能性により、座標軸上をびっしりと覆い尽くす"連続実数"は、定義できない。再帰的に関数を用いて一つ一つ数を定義していっても、∞は数字でなく概念なのだから、∞に到達したといったら嘘になる。微分積分学における差分を無限∞に近づけた無限小差分とやらも存在するとも存在しないとも証明できない。
上記ハイゼンベルクの不確定性原理のΔxやΔtは右辺が定数である以上、Δx→∞のような極限は自然界に存在しない。
よって連続実数は存在するとは言えず、この世は実際のところ、離散値の世界である。
実際に離散値でこの世が作られていることは、神の証明となる。コンピュータ数学が離散数学というように、コンピュータは0と1の有限個の状態(ビット)を使って情報を処理するため、「連続量」ではなく「離散量」を扱う。だから離散数学が理論的基盤になる。
すなわち、私たちの世界が離散値で形取られているなら、高度な知識を有した存在がこの世界をプログラムしたことになる。よって「知の神」は存在すると証明された。

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これは、秩序は乱れていく方向にしか進まないという考えだ。
しかし、身の回りを見渡してみれば、美しい天体から、複雑ながらも均衡作用で保たれる生態系、ホメオスタシスにより維持される生命まで、高度な秩序が見て取れるものは、枚挙にいとまがない。
しかし、プリンキピアに隠された真理、動的作用反作用の法則より、"反エントロピー"は論証される。
動的作用反作用の法則F1v1=-F2v2
F1/F2=-v2/v1
温度Temp1=| F1/F2|=|v2/v1|
と定義する。
相転移とは温度と共に物質の乱雑さが変化する。
エントロピーは自然対数を用いて
S1=lnTemp1=ln |v2/v1|
と定義される。(対数は加法性を確保できる)
力はエネルギーの座標分布なのだから
作用反作用で、エネルギーの分散|F1|>|F2|
が起これば、|v2|>|v1|となり、|v2/v1|>1
すなわちS1=ln |v2/v1|>0
エントロピーは増大する。
作用反作用で、エネルギーの集中|F1|<|F2|
が起これば、|v2|<|v1|となり、|v2/v1|<1
すなわちS1=ln |v2/v1|<0
エントロピーは減少する。
よって、エネルギーの集中がなされたとき、エントロピーは減少方向に向かう。すなわち、秩序がもたらされる。
ニュートンの動的作用反作用の法則を用いれば、反エントロピーも許容されるのである。

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ところで、ハイゼンベルクの不確定性原理ΔxΔp≧h/2や、プランク定数が飛び飛びの整数値を取る事実より、実際のところ、物理世界は"離散値"によって支配されている。
そこで、連続実数を前提とする微分積分ではなく、離散バージョンの和分差分を考えたとき、対数関数にあたるのは、フィボナッチ数列(1,2,1+2=3,3+2=5...のように前後の和で構成される。)である。フィボナッチ数列を引いたり足しても、またフィボナッチ数列に戻ってくる。
もちろん、フィボナッチ数列は隣同士の比が黄金比1.618となっていく数列である。

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流れるときに、真空中に満たされた他のエーテルとの間に摩擦力が生じ、結果として、マイナス極からプラス極方向の力が生じる。これが、ビーフェルド・ブラウン効果の原理である。
マイナスからプラス方向への「真空を足場とした力」が生じ、この力でアメリカのステルス戦闘機は動く。

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F1v1=-F2v2 (1)
これは、粒子1と粒子2の相互作用を示す。(Fは力、vは速度)
ここで、真の素粒子とは、実際には、磁気単極子のみである。
磁気単極子は、エーテル繊維が、トグロを巻いた形をしている。現代物理学のひも理論は、素粒子がひもだと仮定するが、そのモデルを知らない。
エーテル繊維と、そのエーテル繊維がトグロを巻いてまとまった粒子について、
エーテル繊維と粒子の相互作用すなわち、エーテル繊維の巻き込みと吐き出しに関する式は、
(1)より、
m1a1v1=m2a2v2 (∵F=ma)
繊維が巻き込まれる加速度a1と粒子が繊維を巻き込む加速度a2は等しいので、a1=a2
よってm1v1=m2v2
このように、質量と速度の積の形に直せる。
ニュートンの動的作用反作用の法則の相対論バージョンとして、光速度cは、真空で一定であり、粒子から見た光速度との相対速度(c-v)を取ると、
F(c-v)=-F(c-v)
ここで、先ほどと同様に、粒子とエーテル繊維間の相互作用を考える。
直線速度vが0の静止質量のMの粒子の場合、
ma(c-v)=Ma(c-0)
m(c-v)=Mc (2)
となり、(2)より、粒子とエーテル繊維間の相互作用が導かれた。
(2)において、粒子の直線速度vが光速度cを超えた場合、動的質量mは負になる。
逆に、負の質量を作り出せば、光速度を超えた運動として「テレポーテーション」が可能になる。


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マクスウェルは、論文で四元数に言及しましたが、ヘヴィサイドやギブスによって今日のベクトル解析の形に改められました。
つまり四元数のスカラー部(内積)とベクトル部(外積)をバラバラに分けて抜き出し、『死んだ』ベクトル解析の形で物理学に適用させました。
ダイナミックな相互作用である四元数の積がさらに四元数となる形は失われてしまいました。

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超平面 とは、n次元のとき、n-1次元の平面を表す。例えばn=3次元空間では、n-1=2次元の平面が存在する。これをn次元に一般化する。
通常の像は、2次元の平面に像を結ぶ。
ホログラフィーの原理は、xyz座標空間に時間tを入れた4次元空間から、3次元空間の像を結ぶことを意味する。そのため、何もスクリーンのないある空間一点に像が映し出される。

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ゼロ磁場がなぜ発生するか?
メビウスコイルはある面上の点から一周すると裏面に辿り着く。
さらに、もう一周すると、元いた点に戻ってくる。この性質より、電流をメビウスコイルに這わせると、右ネジの法則により、それぞれ逆から二方向のN→Sの磁力線が発生する。よってゼロ磁場が発生する。

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反磁場は負のエネルギーをもたらす。
E=mc^2 E'=Mc^2 F=kmM/r^2より
F=kEE'/c^4r^2
EまたはE'が負のとき、F<0となり、
反重力

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それは、『負』の誘電率により、ピエゾ物質内の、+の電荷同士、もしくは−同士の同符号の電荷が引き合い、+と−の異符号の電荷同士は、反発しているためである。

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一見すれば何もないが、空間的、時間的な『間』に、価値を見出してきた。
さらに言えば、引き算の美学を実践してきたとも言える。
無駄を極限まで削ぎ落とし、本質だけを浮かび上がらせた。まさに『侘び寂び』である。

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しかし、シュンペーターによれば、利益はイノベーションの源泉であり、イノベーションこそが利益を産む。
経済活動において、マルクスは人を単なる労力とみなしたが、シュンペーターは、人の持つ知性に着目した。
内発的なイノベーション=発見的学習(暗記主義的学習ではない)、創造的活動こそ、経済発展を引き起こす。
内部における革命、古い構造が絶えず壊され、新しい構造が創造される『創造的破壊』のプロセスこそ、資本主義の本質である。

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すなわち、自分の存在を未来に投げかけること。
物理学において時間軸とは、物体の動いた軌跡であり、常に進行方向を向く。
自由意志による行動は常に変化する。
4次元空間の4面体座標系において、時間軸は常に進行方向を向き、軌跡が時間軸を形成する。
ここで、未来の時間軸は定まっていない、すなわち人間の自由意志の保証となる。
自由意志が保証されるならば、フロイトの原因論的に過去の要因により全ての行動が決まるのではなく、目的論的に、人は自らの目的を達成するために行動を起こすとしたアドラーの考えが説得力を増すだろう。

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経済学者シュンペーターは、静態的な経済モデル、すなわち需要と供給の法則からなる市場均衡理論を批判した。
静態的経済モデルとは、均衡、安定を目的とした発展しない衰退的な経済である。
シュンペーターは、ワルラスの経済は均衡に向かうと言う考えを否定した。
常に均衡を撹乱するエネルギーを想定し、むしろ、常に変動し成長する動態的な経済モデルを主張した。
まさに現代物理学が孕む問題と同じである。
動的作用反作用の法則を捨てて、常にパラメータの変動しない静的な作用反作用の法則のみを用いたばかりに、折衷主義の矛盾だらけの理論が生み出された。
本来、万物は流転し、常に変動する。実は、動的作用反作用の法則より、エネルギーは運動エネルギー、位置エネルギーの他に、ねじれエネルギーの項が導出される。エネルギー保存則は、加速度一定の場合の"アドホック"な理論であり、普通は不断のねじれエネルギーが供給される。
物理学や経済学が、昨今甚だしく複雑怪奇になり、学んでも何ら有益をもたらさない"塩の柱"になってしまったのは、常に変動する物理、経済モデルを捨ててしまったからだろう。

ゆう
(差分とは、離散値ver.の微分)
註※ハイゼンベルクの不確定性原理は、物理世界の離散値性を示す。
その中間差分の二乗Δx^2
と
前進差分と後退差分の積Δx+・Δx-
を
定義に従って解いていくと、値は1になり、2つは等しくなります。
これは、前進差分と後退差分、中間差分は可換であることを示し、
差分は微分より豊富な形式を持つ(対称性のある空間は中心差分、過去の時間データは後退差分など)のですが、
この性質は、すでに定められていたかのようで、不思議に思いました。
#今日の1枚


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ΔxΔp≧h/2
が持つ最小幅Δxは、極限のΔx→0という操作が自然界に存在しないことを示す。

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内側円筒空間内ではS極系エーテル繊維自体とN極系エーテル繊維自体とが互いに斥力で反発し、同軸ではない。
円筒空間外ではS極系エーテル繊維自体とN極系エーテル繊維自体とが互いに引力で引き合い、同軸となる。

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しかし、物理学において時間軸とは、物体の軌跡が時間軸と見做せるため、時間軸とは過去の原因によらず、質点の行動次第で変化すると解釈できる。
空間座標軸における因果律は存在する。たとえば、自転車を横から蹴れば、倒れる。
したがって原因論的な、時間軸を元にした因果律=トラウマは存在しないが、空間座標軸における因果律は存在する。

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例えば、ma=F
これは、ニュートンの運動方程式だが、右辺の力F(原因)が、左辺の質量mの物体に加速度a(結果)を与えたという意味である。

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全体では、特定の方向に進むが、コルクの栓抜きのように、回転しながら動く。
ねじれ場を無視した現代物理学は、作用反作用をF=ーFと、静的な場合でのみしか、考慮しておらず、動的なねじれ場の作用反作用を表すFv=ーFvを知らない。
これは、ニュートンのプリンキピアにも書かれていたが、現代物理学は今もなお、見落としている。

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速度v2がv1より遅くなれば、F2は大きくなる。Fとは座標上で、エネルギーの分布を表すため、エネルギーの集中、つまり反エントロピーは起こり得る。

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陽電子は、金属元素中の電子の抜けた空孔に存在する。
陽電子とは、軌道電子と対になって原子核の周りを軌道陽電子として周回すると結論づけられている。

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その時、上昇方向に垂直な平面上の移動は、時間軸に対して垂直方向なので、時間の変化が0となりテレポーテーションが起こる。

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t,x,y,z軸が互換可能な正四面体座標系(過去の投稿でct軸をとるミンコフスキー座標系は誤りである理由を述べた。)において、移動方向にt軸が向くのはこのためである。
また、wikipediaより「数学においてエルゴード性(エルゴードせい、英語: Ergodicity)とは、力学系であれ確率過程であれ、力学系の一点は最終的に、その系が移動する空間のすべての部分を一様かつランダムに訪れるという考え方を表す。」
というのは、この世の物質がただの粒子で構成されているだけではなく、エーテル繊維との相互作用によって成り立っていることを示す。
そして、そのエーテル繊維とは上記で述べた通り、時間軸とみなすことができる。
つまり我々の行いは、時間軸であるエーテル繊維(まとまれば磁気単極子)に記録されている。
神様が作った世界の根底には因果律が確かに存在する。
必ずすべての人に、その手の行いに従って、報いが返る。
「それゆえ、わたしは憤りを彼らの上に注ぎ、怒りの火によって彼らを滅ぼし、彼らの行いの報いをその頭上に返す」と主なる神は言われる。」
エゼキエル書 22:31 新共同訳

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t,x,y,z軸が互換可能な正四面体座標系(過去の投稿でct軸をとるミンコフスキー座標系は誤りである理由を述べた。)において、移動方向にt軸が向くのはこのためである。
また、wikipediaより「数学においてエルゴード性(エルゴードせい、英語: Ergodicity)とは、力学系であれ確率過程であれ、力学系の一点は最終的に、その系が移動する空間のすべての部分を一様かつランダムに訪れるという考え方を表す。」
というのは、この世の物質がただの粒子で構成されているだけではなく、エーテル繊維との相互作用によって成り立っていることを示す。
そして、そのエーテル繊維とは上記で述べた通り、時間軸とみなすことができる。
つまり我々の行いは、時間軸であるエーテル繊維(まとまれば磁気単極子)に記録されている。
神様が作った世界の根底には因果律が確かに存在するようです。
必ずすべての人類にその手の行いに従って、報いを返されるでしょう。
「それゆえ、わたしは憤りを彼らの上に注ぎ、怒りの火によって彼らを滅ぼし、彼らの行いの報いをその頭上に返す」と主なる神は言われる。」
エゼキエル書 22:31 新共同訳

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t=1/x x=1/t
上の式は、クーロンの電磁気力の式や万有引力の式をニュートンの動的作用反作用の法則に代入して得ることができる。
これは、われわれが生きる世界の座標軸x,y,z,tにおける、空間座標x,y,zと、時間tが互換可能であることを意味している。
現代物理学、数学にもエルゴード性なる性質が説かれており、「物理においては、力学系の運動の長時間平均と位相空間における平均が一致する性質。」
と小難しく述べているが、まさにこれは時間tと空間座標x,y,zの互換性について言及している。
また、wikipediaより「数学においてエルゴード性(エルゴードせい、英語: Ergodicity)とは、力学系であれ確率過程であれ、力学系の一点は最終的に、その系が移動する空間のすべての部分を一様かつランダムに訪れるという考え方を表す。」
というのは、この世の物質がエーテル繊維によって接続されているため、「空間のすべての部分を一様かつランダムに訪れる」と説明することができる。

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ミンコフスキー座標においては、時間軸tが空間軸x、y、zと垂直だが、これらが垂直であると、x、y、z方向に物体が運動した際、時間軸tの変化は0になってしまう。物理の基本的なパラメータである速度は、時間あたりの空間距離の変化であり、時間変化がないと根本的な物理の事象に矛盾する。

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ミンコフスキー座標においては、時間軸tが空間軸x、y、zと垂直だが、これらが垂直とであると、x、y、z方向に物体が運動した際、時間軸tの変化は0になってしまう点である。物理の基本的なパラメータである速度は時間あたりの空間距離の変化であり、時間変化がないと根本的な物理の事象に矛盾する。

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正極に蓄積される正電荷の陽電子
金属元素に電圧をかけ、負電荷の電子が抜け出すと、正孔には陽電子が残る。

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電磁気力をつかさどるN極磁気単極子

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