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毒親育ちのための惑星

1298人が搭乗中
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毒親育ちのための居場所です。 毒親について現在や過去にあったことを叫ぶも相談するも思い出して解毒する(難しいけど出来るといいね、みんなで)も良しです🍀 ただ行き過ぎた出会いを求めたり誹謗中傷はやめてあげてください。毒親育ちならばそれぞれわかるであろう距離感で各々接してあげて欲しいと思います。 注)この星は惑星主が居なくなってしまい2025年2月末より管理人が異なります。 管理人を引き継いだ際に自由搭乗にした場合のルールを見てこの毒親育ちの星にはそれはなるべくあって欲しくないと思うことがあり承認制も引き継いでますが特によほどでない限り拒否していませんので気軽に申請よろしくお願いします🙇‍♀️

不登校の親の星

495人が搭乗中
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不登校の子どもを持つ親が、 日常の独り言や悩みを投稿・共有するためにこの星を作成しました! 自己紹介・情報の交換も自由です 特に決まったルールはないですが、あえて挙げるとしたら… ・不登校に関係しない内容の投稿ばかりすること はお控えください(いないと思いますが) ・自由に愚痴等投稿できる星です。現在不登校のお子さんは精神的にダメージを受ける可能性もあります。その場合はこの惑星から降りてもらうことをおすすめします ⭐︎惑星を作った私⭐︎ ・バツイチのステップファミリー母 ・仕事は植木屋(小規模活動中) 長男…中2から不登校⇨公立の通信制高校1年生。親の言うことを何も聞かない。昼夜逆転。 次男…小6から不登校⇨中学の支援級に週一送迎付きで通う2年生。ADHDグレー、場面緘黙、繊細すぎる 三男…小2から不登校⇨現在小5で今年から支援級に在籍、体育など部分的に登校。ADHDグレー、繊細すぎる、癇癪もち 長女…一才👶

障害児親の星

207人が搭乗中
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障害のあるお子さんを育てる親御さんが日々の不安や不満を吐き出したり、お子さんの成長を喜んだりする場所です。 発達グレーや軽度・境界など、未診断のお子さんがいる方もどうぞお気軽に申請ください。 手帳の有無や障害の種別は問いません。 育児の悩みは人それぞれ。 お子さんの苦手も得意も人それぞれ。 無責任な慰めや共感はNGです。 センシティブな界隈なので、参加申請いただいた方のプロフィールや過去投稿を確認した上で許可します。 グラビティではお子さんの障害を公表していない、という方はお手数ですがDMください。 情報収集、興味本位での参加はお断りしています。 差別、偏見、侮辱、誹謗中傷など、お子さんや親御さんを傷つける投稿は見つけ次第、通報追放します。 子育てがんばろーね!

ひとり親の星

56人が搭乗中
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ひとり親同士の情報交換の場になれば😊苦労話や愚痴なんかもどうぞ吐き出してください。

親族には見せれんの星

54人が搭乗中
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ココに居る人達みんな親族🫣

日本大帝国万歳な親方

27人が搭乗中
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きてます🫸🔮🫷きてます ビバンザイ

親バカの星

22人が搭乗中
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子どもが大きくてもちっちゃくても男の子でも女の子でも!かわいい!素敵!かっこいい!!などなど思ったときにぜひ呟いてみてください! この星を覗くと子どもののろけであふれかえっているような星にしたいです! ※子ども関係の星、ということで、念の為プロフィールがわからない方は拒否させていただいたりするかもです

親すれ違いの星

19人が搭乗中
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親不孝でも、いいじゃない。 自分のことが嫌い、生きづらさを感じている方へ 「三つ子の魂百まで」ということわざがあるように、私たちの性格や感じ方には、親や家庭環境の影響がとても大きく関わっています。 だから、自分のダメなところ、嫌いなところを「親のせいかもしれない」と思うことがあっても、いいんです。 一人で抱え込まずに、思っていることを少しだけ言葉にしてみませんか? みんなで聞けば、「そんなふうに感じてたんだね」と、きっと誰かが受けとめてくれます。 そして、あなたの思いに共感することで、救われる方だっています。 話すことは、あなた自身にとってだけでなく、誰かの力にもなるのです。 気持ちを共有することで、少し肩の力が抜け、新しい道が見えてきたり、自分を受け入れられるようになったりします。 「私だけじゃなかったんだ」と気づけた瞬間から、心が少し軽くなるかもしれません。 あなたが、あなた自身を少しずつ好きになれますように。 ⚠️注意点⚠️ この惑星のテーマから大きく外れた内容や、見る人が不快に感じるやり取りがあった場合は、惑星主の判断で投稿を通報または惑星からの追放をすることがあります。みんなが安心して過ごせる場所にするため、ご理解とご協力をお願いします。

片親の星

12人が搭乗中
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片親を愛し、片親に愛された者。

親子カラオケ🎤の星

12人が搭乗中
参加
ヒトカラの配信してる人は多いと思うけど親子配信してる人は少ないと思い星を立ち上げました 小さい子から成人した人まで親子でカラオケ楽しもう〜 懐メロから最新曲まで親子で一緒に楽しんで情報交換 リモカラ など皆で楽しも〜

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sun☀️

sun☀️

『ティール組織』。

フレデリック・ラルー氏が
来日講演の中で言っていたこと。

“「組織や自分の人生の目的(パーパス)は、
見つけに行こうとするのではなく、
パーパスの方が自分を見つけてくれるように
自分を明け渡すのだ」“

“「人生がわたしを通っていけるように、
できるだけ大きなスペースを自分に
あけておく」“

“「決断は先に身体が決めて、
あとから頭が考えているのだから
身体や直感を感じられることが大事」“

“「ただ、人生があなたを見つけることを
許可するだけです」“

これまで資本主義であった
ビジネスの世界とは全く異なる世界観を
彼は示してくれた。

これはソマティックでいうところの、
Get/サバイバルモードではなく
Allowモードだ。

身体性とは、
身体をよりよくコントロールしよう
というトップダウンのアプローチではなく、

身体が持っている解や声に耳を傾けて、
それが何を起こすかを見守る
ボトムアップのアプローチ。

これは老子の思想にも、
カウンセリングやコーチングにも、
宇宙意識とやらのスピリチュアルにも、
私が行こうとしていた旅の世界観にも、
そして理想の子育てにさえも
あらゆる点で私が追求していいたいと
思っていたものだ。

つまり委ねること。
余白を作っておくこと。
そして見守ること。

そう、もしビジネスをすることに
なったらこの価値観で立ち上げたい。

とりあえず転職するとなったら、
私の現在の能力などは一旦脇に置いて
このような価値観のある職場で
働いてみたい。

私と同じイズムを持っている人が
きっといるはずだ。

先日奇妙なプレゼンの話も書いたが、

私が目指したいのは
Getモードの恐れからくる
「ちゃんとしなきゃ」でお互いを塗り固め
首を絞め合うような
お利口さんたちによる集団破滅ではなく、

ひとりひとりが自分を愛し、
己と向き合いながら力みを手放し、
その力みに使われていたコストを
もっとポジティブでクリエイティブなことに
たくさんつかっていけるような、
そんなエネルギーを回していける
ような組織だ。

その為にはまずは自分が
体現すること。

わたしの身体の声を
もっともっと聞いてあげることだ。

これまで避けていた
コツコツ地味な積み重ねと
向き合うときがきた😌
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うーと🌐🐺

うーと🌐🐺

個人的おすすめ宗教
1位 天理教
2位 浄土宗、浄土真宗系(親鸞会を除く)
3位 ジャイナ教(あんまりおすすめはできないけど考え方はちょっと好き)
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臼井優

臼井優

「他力本願(たりきほんがん)」は、本来、仏教(特に浄土真宗)において阿弥陀仏の救いの力に全てを任せるという意味ですが、
 現代では「自分の努力なしに他人の力や運に頼る(人任せ)」という誤用が定着しています。
 宗教用語としては「安心・救済」を指し、日常語としては「他人依存」という、全く異なる二つの側面を持ちます。

他力本願の詳しい解説
本来の意味(仏教・浄土真宗)
親鸞聖人が教えた言葉で、「他力」とは人間の力ではなく阿弥陀如来の「救わずにはおれない」という願いの力(本願力)を指します。

自らの修行(自力)ではなく、仏の力によって平等に救われ、極楽浄土へ往生することを意味します。

「人任せ」という無責任な意味ではなく、仏に身を委ねるという前向きな信仰の形です。
一般・現代的な意味(誤用が定着)
「他」を文字通り「他人(自分以外)」と解釈し、自分の努力をせずに他人の助力や運を期待する、人まかせ、依存的という意味で使われます。

「他力本願な態度」のように、受け身で主体性のない態度を批判する文脈で使われることが増えています。

誤解の理由
「他力」という言葉が日常語の「他人の力」と解釈しやすいため、宗教的な「仏の力」という意味が抜け落ち、文字面通りの「人任せ」という解釈が一般化したと考えられています。

使用例
本来(仏教): 「他力本願の心で念仏を称える」
現代(一般): 「このピンチは、他力本願で乗り切るしかない(他人が解決してくれるのを待つ)」
なお、類義語としては「棚ぼた」「人任せ」などがあります。
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臼井優

臼井優

真宗十派(しんしゅうじっぱ)は、親鸞を宗祖と仰ぐ浄土真宗の主要10教団の総称で、主に「真宗教団連合」に加盟する歴史ある宗派です。
 西本願寺(本願寺派)や東本願寺(大谷派)をはじめ、高田派、佛光寺派、興正派、木辺派、出雲路派、誠照寺派、三門徒派、山元派で構成され、それぞれ独自の歴史と本山を持っています。

真宗十派の一覧は以下の通りです。
浄土真宗本願寺派(西本願寺・京都市)
真宗大谷派(東本願寺・京都市)
真宗高田派(専修寺・三重県津市)
真宗佛光寺派(佛光寺・京都市)
真宗興正派(興正寺・京都市)
真宗木辺派(錦織寺・滋賀県野洲市)
真宗出雲路派(毫摂寺・福井県越前市)
真宗誠照寺派(誠照寺・福井県鯖江市)
真宗三門徒派(専照寺・福井市)※讃門徒派とも
真宗山元派(證誠寺・福井県鯖江市)

主なポイント
構成: 本願寺ゆかりの2派(本願寺派・大谷派)と、親鸞の直弟子の流れを汲む高田派や、北陸に本山を持つ「越前四箇本山(出雲路派・誠照寺派・三門徒派・山元派)」などから成る。

連合組織: 1969年に結成された「真宗教団連合」に加盟しており、十派はそれぞれ独立した教団であるが、親鸞の教えを共有し、協同活動も行っている。

特徴: 格上・格下のような関係ではなく、それぞれに独自の特色を持つ。
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臼井優

臼井優

「我が心の良くて殺さぬにはあらず」とは
 「私の心が善いから人を殺さないのではない。そうではなく、人を殺すような『縁(えん)』がないから殺さないだけだ」という意味で、
 親鸞聖人(しんらんしょうにん)の教え(『歎異抄』などに由来)であり、「自分の善意を過信するな、私たちは皆、悪を犯す可能性のある存在(『悪人』)である」と自覚を促す言葉です。

解説
意味: 自分の心が優しいから、あるいは道徳的に優れているから、悪事を働かないわけではないと指摘しています。

背景: もし「食べ物がない」などの強い「縁(状況・条件)」があれば、普段はしないような悪事(万引きなど)をしてしまうかもしれない、という人間の弱さを示唆します。

核心: 悪を犯さないのは「心が善いから」ではなく、「悪を犯す状況に陥っていないだけ」であり、そのことに気づき、自分の力を過信せず、阿弥陀仏の救いを求めるべきだと説くのがこの教えの真意です。

続き: 「また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」と続き、善意や決意だけではどうにもならない、人間の本質的な危うさ(煩悩)を説いています。

要するに、「私は大丈夫」という思い込みを捨て、「何をしでかすかわからない自分」を自覚しなさい、という深い警鐘(けいしょう)の言葉です。
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臼井優

臼井優

『歎異抄』の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とは、「善人でさえ極楽浄土に往生できるのだから、
 まして(救いを求める)悪人は言うまでもなく往生できる」という意味で、悪人正機説(あくにんしょうきせつ)を説く親鸞聖人の最も有名な言葉です。
 これは、自力で善行を積む人(善人)よりも、煩悩に苦しみながらも他力(阿弥陀仏の本願)にすがるしかない人(悪人)こそが、真に救われるべき対象であるという、浄土真宗の核心を示す逆説的な教えです。

言葉の解説
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(『歎異抄』第三条冒頭)
現代語訳: 善人でさえ往生できるのだから、まして悪人は言うまでもない。

「善人」とは: 仏の教えに従い、善行を積むことができる人を指す。

「悪人」とは: 罪悪にまみれ、煩悩から離れられない自分を自覚し、他力にすがるしかない人を指す(単なる犯罪者ではない)。

「いわんや」: 「ましてや」「言うまでもなく」という意味。

この言葉が示すこと(悪人正機説)
阿弥陀仏の本願の対象: 阿弥陀仏の本願は、自力で救いを求める善人を対象とするのではなく、自力では救われようのない「悪人(凡夫)」を救うために立てられた。

自力と他力の対比: 善人は自力(自分の力)で往生できると思いがちだが、真の救いは他力(阿弥陀仏の本願の力)による。自己の力を頼む心(自力心)がある限り、弥陀の本願には真に遇えない。
「悪人」の自覚: 自分の弱さや罪深さを深く自覚し、「これでは救われない」と絶望して、完全に他力にすがる人こそが、阿弥陀仏の救いを最も必要とし、真に救われる(往生の正因となる)。
「造悪無碍」ではない: この教えは「悪いことをしてもよい」という悪行の勧め(造悪無碍)ではない。むしろ、自らの悪さを深く知り、そこから抜け出せない苦悩を抱える人への呼びかけである。
この言葉は、人間のありのままの姿(煩悩具足の凡夫)を深く見つめ、自己の無力さを認め、阿弥陀仏の他力本願にすべてを委ねる(他力を頼む)ことこそが、浄土への道を開くという、浄土真宗の根幹をなす教えです。
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臼井優

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「親鸞閉眼(へいげん)せば、賀茂河(かもがわ)にいれて魚に与ふべし」
 親鸞聖人が自身の死後、葬儀や墓は不要であり、遺体は鴨川に流して魚の餌にするよう言い残した言葉です。
 肉体への執着を捨て、阿弥陀仏の救い(本願)と信心を第一とする姿勢(自然法爾)を示した言葉であり、形式的な墓や葬式へのこだわりを否定しています。

この言葉のポイントは以下の通りです:
出典: 曾孫・覚如上人の著『改邪鈔(がいじゃしょう)』に記録されています。

真意: 肉体は単なる「抜け殻」であり、死後の形よりも、現生で信心を得て浄土へ往生することが重要であるという教えです。

背景: 当時、葬式や墓を建てることを重んじる風潮に対し、真宗の「自然法爾(じねんほうに・自然に仏の力に任せること)」の精神を強調するために言われたとされています。

歴史的事実: 実際には家族や弟子たちによって葬儀が行われ、大谷(現在の京都)に墓所が築かれました。

この言葉は、仏教において葬儀や墓そのものが必須ではないということを、極端な例えを用いて現代にも示しています。
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