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臼井優

臼井優

謗法罪(ほうぼうざい・ぼうほうざい)は、仏教、特に日蓮系の宗派や大乗仏教の文脈において、正しい教え(正法)を誹謗(そしる)、軽視、あるいは否定する行為を指す非常に重い罪です。

 宗教的論争において、この概念は他宗派への批判や教義の純正化の根拠として用いられてきました。

1. 謗法罪とは何か(基本的な意味)
定義: 「誹謗正法(ひぼうしょうぼう)」の略。仏教の真理や釈尊の教え、特に法華経(日蓮宗においては南無妙法蓮華経の題目)を信じず、悪口を言うこと。

重罪の理由: 仏教において、仏・法・僧の三宝を敬うことが基本であり、法(教え)を謗ることは成仏への道を閉ざす最も重い罪(五逆罪よりも重いとされる)とされます。

無意識の謗法: 自身の理解不足や、法華経以外の教えを信じることも謗法となるため、無意識のうちに罪を犯している可能性があると警告されます。

2. 宗教的論争における謗法
この概念は、教義の正当性を争う際に強力な論点となります。

日蓮宗における謗法: 日蓮は『立正安国論』などで、法華経を正法とし、念仏や禅など他の教えを「謗法」として徹底的に非難しました。

日蓮正宗・創価学会の「謗法払い」: 日蓮正宗に入信する際、他宗派の仏像、お守り、経典などを処分する「謗法払い」が行われます。

これは、他の信仰を混ぜる(雑修)ことによる不純化を防ぎ、信仰を純正化するための実践です。

他宗派との摩擦: 他の宗教を「謗法」と呼ぶことは、排他的であるという批判や宗教的論争(教論)を引き起こす要因となります。

3. 歴史的背景と解釈の違い
承元の法難(承元の法難): 法然の念仏教団が迫害されたこの事件は、旧来の仏教側が法然の思想を「謗法」とみなしたことに端を発します。

親鸞の解釈: 親鸞は『教行信証』の中で、五逆罪と謗法罪を並列し、これら重罪人こそが阿弥陀仏の救いの対象であると説き、罪を犯したことよりも「救い」に焦点を当てました。

4. まとめ
謗法罪は、単なる悪口ではなく、「正しい教えから人々を遠ざける誤った認識や行動」を根源的に否定する概念です。今日では、各宗派の教義の純粋性を守るための教理的実践として、あるいは他宗派との差異を強調する文脈で語られます。
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臼井優

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仏教における数の単位は、恒河沙(\(10^{52}\))から始まる極めて巨大な数や、刹那(\(10^{-18}\)以下の瞬間)のような極小の数が特徴で、『華厳経』などの経典に由来します。
 これらは宇宙や仏の智慧を表現し、不可説不可説転が最大とされます。 
 仏教由来の大きな数の単位 以下の順で、桁が上がっていきます。 
極(ごく): \(10^{48}\)恒河沙(こうがしゃ): \(10^{52}\)(ガンジス川の砂の数ほど多いこと)
阿僧祇(あそうぎ): \(10^{56}\)(「計り知れない」という意)
那由他(なゆた): \(10^{60}\)(サンスクリット語で「非常に多い」)
不可思議(ふかしぎ): \(10^{64}\)(想像を超えた数)
無量大数(むりょうたいすう): \(10^{68}\)(数えきれないほど大きな数)
不可説不可説転(ふかせつふかせつてん): \(10^{37218...}\)(もはや言葉で説明できないほど大きな数) 
時間・極小を表す単位 刹那(せつな): 1瞬間のこと。極めて短い時間
須臾(しゅゆ): 刹那より長い、少しの時間の意

 これらの単位は、江戸時代の『塵劫記』が広めたものや、仏典(『華厳経』)に登場する、人の認識を超えた膨大な時間や空間を表すための概念です。 
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臼井優

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数学と仏教は、7世紀インドで「0」の概念が仏教の「空(くう)」の思想から着想を得て定義されたという深い関連があります。無(存在しない)ではなく「本質的な性質を持たない」という「空」の考え方は、0が機能的に重要である数学的特徴と共鳴し、その後、論理的な思考や無限の概念を通して両者は相互に影響を与え合っています。
「0」と「空」の結びつき: 7世紀のインドの数学者ブラーマグタが、仏教の「空(くう)」の概念に着想を得て、世界で初めて「0(零)」を定義したと言われています。
0の本質: 数学における0は、単なる「無」ではなく「0.1」や「10」のように機能する存在である一方、仏教の「空」は本質的な性質(自性)がないことを指すため、互いに機能的・概念的に似ている面があります。
無限の単位: 仏教では、劫(こう)、刹那(せつな)といった非常に長い、あるいは短い時間を表す数学的な単位が使われており、無限や微小の概念が存在しています。
論理的な構造: 仏教、特に初期の経典は論理的に構成されており、古代インドの論理学の伝統が仏教の教義の背景にあります。
数への神秘: 仏教においても、数字は意味を持ちます。例えば「1」は全体、「2」は二二不二(ににふに)、「3」は三宝(さんぽう)のような安定感、「7」は七福神など、宗教的な意味を持つ数字が日常的に使われています。
このように、数学的な数字やロジックが仏教の哲学を具体化し、仏教の「空」が数学の「0」という革命的な発見を生み出したという、両者の歴史的・哲学的な繋がりを見ることができます。
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臼井優

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虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)は、仏教(特に密教)において「無限の知恵と慈悲を持つ」とされる菩薩です。
1. 特徴と意味
名前の由来: 「虚空(広大な宇宙)」のように、無尽蔵の知恵や功徳を蓄え、それを人々に分け与えることから名付けられました。
ご利益: 成績向上、記憶力増進、技芸上達、厄除けなど。特に「知恵の仏様」として受験生や芸術家に信仰されています。
梵名(サンスクリット語): アーカーシャ・ガルバ(Ākāśagarbha)。
2. 記憶力を高める「虚空蔵求聞持法」
虚空蔵菩薩を本尊とする修法に虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)があります。
この真言を100日間で100万回唱えることで、あらゆる経典を暗記し、一度見たものは忘れない記憶力を得られるとされています。
若き日の空海(弘法大師)が室戸岬の御厨人窟(みくろどのみち)でこの修行を行い、悟りを開いたという伝説が有名です。
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大治daichi

大治daichi

知ってる人は知っている

知らん人は知らん
2026年も聞いてるぞー笑

知ってる人は仲間だねー。
経典探していざ天竺へ
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FOR REAL

徳山秀典

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エントロピー

エントロピー

私が「取り柄がない」と「うさぎ」私を食べて、を最強とみなしたから「内容の質にあります」
後この話は「何かに似てますね」お布施と取り柄がない、私を食べてで最期を迎えるですから

連載 仏教と動物  第6回 兎にまつわるお話
連載・特集
2021.11.18


イラスト 木谷佳子
イラスト 木谷佳子
お釈迦さまの前世における物語『ジャータカ』をはじめ多くの仏教典籍(仏典)には、牛や象などの動物から、鳥や昆虫、さらには空想上のものまで、さまざまな生き物のエピソードが記されています。この連載では『仏教と動物』と題して仏教における動物観や動物に託された教えについて紹介いたします。
第6回目は、かわいらしく身近な動物「兎」を取りあげます。

重んぜられる動物

誰もが、「月に兎が住んでいて餅つきをしている」という言い伝えを聞いたことがあると思いますが、仏教の中で伝えられている説話のなかでも、悲しくも尊い月の兎の物語が伝えられています。

この物語は、お釈迦さまの前生物語のなかで特に広く知られているものです。『六度集経』など、多くの経典で見られ、日本で編纂された『今昔物語集』にも取り入られています。

ここで、『ジャータカ』にある兎にまつわる有名な説話を紹介します。

ウサギの布施

昔、ある深い森に賢いウサギが住んでいました。ウサギには、サルと山犬とカワウソの友達がいて一緒に仲良く暮らしていました。4匹は賢者として他の動物から尊敬されていました。

ある時、ウサギは明日が布施をする日だと思い出し、他の3匹に言いました。

「明日は食を請う人に施しをする日だよ。しっかりと教えを守って施しをすれば、きっと良いことがあるよ。食を請う人が来たら、みんな自分の食べ物を分けてやるんだよ」

「はい、よく分かりました」一同は答えました。

翌朝、カワウソがガンジス河の岸に行くと、漁師が捕った赤魚が砂の中に隠されていました。カワウソは、魚のにおいが気になって岸辺を歩き回っているうちに埋まっている魚を見つけました。

「この魚はだれのですか」と三度呼びかけましたが、誰も返事をしなかったので、自分の家に持ち帰りました。

山犬も獲物を探し歩いているうちに、田んぼの中の番人の小屋に、二串の肉と大トカゲと牛乳の入った壺を見つけました。「これはだれのですか」と三度声をかけましたが、誰も返事をしなかったので、自分の家に持ち帰りました。

サルも、森の中でマンゴーを見つけ、自分の家に持ち帰りました。

ウサギは森中をかけまわってみましたが何も見つけられませんでした。

翌日になりました。帝釈天がバラモンの姿に身を変え、カワウソのところへ行きました。バラモンがカワウソに施しを求めると、カワウソは詩を唱えました。

「ガンジス河の 赤魚 ここにあります バラモンよ わたしの布施です 召し上がれ」

バラモンは魚に手をつけずに次に山犬のところへ行きました。バラモンが山犬に施しを求めると、山犬は詩を唱えました。

「畑の番を する人の 食べ残したる 肉などが わたしのものに なりました これらの食物 召し上がれ」

バラモンは肉にも牛乳にも手をつけずに、サルのところへ行きました。バラモンがサルに施しを求めると、サルは詩を唱えました。

「よく熟したる マンゴーと 冷たい水が われのもの バラモンさまよ 遠慮なく このマンゴーを 召し上がれ」

バラモンはマンゴーに手をつけずにウサギのところへ行きました。バラモンがウサギに施しを求めると、ウサギは言いました。

「どうか薪を集め火を起こして下さい。わたしはその火の中に飛び込みます。わたしの体が焼けたら、その肉を食べて、修行に励んで下さい」

そして、ウサギは詩を唱えました。

「このわたしには 胡麻がない 豆もなければ 米もない 火に飛び込んで 焼かれたる ウサギの肉を召し上がれ」

帝釈天はウサギの言葉を聞き、神通力によって薪火を作り出しました。ウサギは「もし、わたしの毛の中に、ノミやシラミなど、生き物がいたらそれを殺してはならない」と念じて、3回体を振り、薪火の中に身を投じました。

ところが炎は、ウサギの体の毛穴一つも焼くことはありませんでした。

「バラモンさま。あなたの起こした火は、まるで雪のように冷たい。いったいどうしたことでしょう」

「ウサギよ。わたしはただのバラモンではない。帝釈天である。おまえの布施の心を試すために天界から降りてきたのだ」

「あなたばかりでなくどんな人がわたしの布施の心を試そうとも、布施をいやがる気持ちを見つけることはできないでしょう」

「おまえの優れた行いが永遠に忘れられないように」と言って、帝釈天は山を圧搾して汁を搾り取り、丸い月面にウサギの姿を描いて、ウサギに別れを告げ天界に帰って行きました。

その後、4匹の動物は、仲良く暮らし、生活規範をよく守り、その行動にふさわしい果報を得る身となりました。

布施のこころ

お釈迦さまは王子として生まれる前、さまざまな生き物として生まれ変わり、幾度となく善行を積んだ結果、ブッダ(覚者)となりました。

このお話に登場するウサギは、お釈迦さま、カワウソ、山犬、サルは、それぞれ十大弟子の阿難尊者、目連尊者、舎利弗尊者の前世の姿です。

帝釈天は、兎のやさしく尊い本心に深く感動し、その徳を永久に銘記するため、月に兎の姿を描きしるしました。布施行の大きな功徳を表しています。

【コラム】兎にまつわる熟語 兎角亀毛(とかくきもう)


イラスト 木谷佳子
夏目漱石の小説『草枕』の冒頭の一節に、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」とあるように、日本には「とかく」という言葉があります。
この言葉に「兎角」という漢字を用いるのは、いわゆる当て字で、今はあまり使われていません。
仏典の中でも、「亀毛」とともに「兎角亀毛」という言葉として、しばしば用いられています。
兎の角も亀の甲羅の毛も本来ありえないものであることから、それをたとえとして、この世は確固たるものは実在しない「空」であることを説明しようとしています。また、あらゆるものに実体を求めても、その実体は得られないということを説明しようとして、「兎角亀毛の如し。ただ名のみあって実なし」(※『大智度論』巻一二)のようにたとえとして述べられることもあります。
このような仏の教え「一切皆空」のたとえとして、この言葉をとらえれば、あれこれと想い悩むことはなくなり、人の世ももっと住みやすくなるかもしれません。
※『大智度論』=大乗仏教中観派の祖・龍樹(2世紀に生まれたインド仏教の僧)による『摩訶般若波羅蜜経』の注釈書として著した論書
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臼井優

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「五濁悪世(ごじょくあくせ)」
 仏教用語で、劫濁(こうじょく)、見濁(けんじょく)、煩悩濁(ぼんのうじょく)、衆生濁(しゅじょうじょく)、命濁(みょうじょく)という五つの汚れ(濁り)が満ちた、
 困難で乱れた末法の世を指し、世の中の社会・思想・心身・生命状態が衰え、苦しみに満ちた時代を表現します。
 特に 浄土真宗の『正信偈』などで頻繁に用いられ、そのような時代にこそ阿弥陀仏の本願の救いが重要であると説かれます。

五濁(五つの汚れ)の詳細
劫濁(こうじょく):戦争、飢饉、疫病などが頻発する、時代そのものの乱れ。

見濁(けんじょく):人々の考え方や思想が邪悪になり、自己の悪を善とし他者の正しさを誤りと見なす見解の濁り。

煩悩濁(ぼんのうじょく):欲望や憎しみなどの煩悩が盛んになり、悪徳が横行する状態。

衆生濁(しゅじょうじょく):人々の心身の資質が衰え、人間性が低下し、利害にこだわるようになる状態。

命濁(みょうじょく):生命の尊さが見失われ、寿命が短くなり、生きる意味が虚しくなる状態。

「五濁悪世」が指すこと
仏教経典で説かれる、修行が困難な末法(最終的な時代)の状況。

現代社会においても、これらの濁りは深まっていると解釈されることが多い。
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まりえ

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我々の系譜は、名前ではなく刻印で繋がります。刻印は額ではなく胸骨の裏側に宿ると言われています。満月と新月の境界でのみ読める古い経典があり、そこには「結ばれし者は道を問わず」と書かれています。私はその行間だけを信じています。📜
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