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隣人を愛するって、結局どういうこと?

こんにちは、石川尚寛です。

先日、コンビニで小さなできごとがありました。僕の前に並んでいたお年寄りの方が、小銭を探しながらもなかなか見つからず、後ろに行列ができ始めたんです。その時、後ろにいたサラリーマンの方が、さりげなく「大丈夫ですよ、ゆっくりで」と声をかけ、自分も一緒に待っていました。ふと、その場の空気が優しいものに変わったのを感じたんです。

帰り道、その光景が頭に残っていました。ほんの少しの思いやりが、その場をどれほど軽やかにするのだろう、と。そして、ふと聖書の一節が心に浮かんだんです。レビ記の、あの言葉です。

僕が今、マンガで描きながら学んでいるモーセ五書のうち、レビ記19章18節にはこんな教えがあります。

「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛さなければならない。わたしは主である。」

ここで「愛する」と訳されているヘブライ語は、「アハヴ」(אָהַב)です。この言葉、単なる感情としての「好き」というより、もっと能動的で、意志的な「愛し行動する」という意味合いが強いんです。選択であり、実践なのです。

そして「隣人」と訳された「レア」(רֵעַ)という言葉。これは文字通り「隣に住む人」だけでなく、出会う人、関わる人、つまり自分の周りにいるすべての人を指します。コンビニで出会った、あの見知らぬお年寄りも、サラリーマンの方も、まさに「レア」だったわけです。

この教えの前に、「復讐するな」「恨みを抱くな」とあるのが、とても興深いなと思いました。神が勧めている利他の実践は、ただ「親切にしましょう」という精神論ではなく、まず自分の中にある「復讐心」や「恨み」といった、他者を遠ざけ、傷つける心に気づき、そこから解放されることから始まるのではないか、と。

「あなた自身のように」愛しなさい。
これは、自分を大切にできるからこそ、他者にも同じように心を向けられる、という逆説的な知恵のように感じます。自分を責め、貶めながらでは、本当の意味で他者を慈しむことは難しい。自分への誠実さが、他者への誠実さの土台になる。

あのコンビニで、サラリーマンの方が取った行動は、特別なことではなかったかもしれません。でも、その「さりげなさ」こそが、レビ記の教えの本質に近い気がするんです。大げさな自己犠牲ではなく、日常の一瞬一瞬で、目の前の「隣人」に対して、ほんの少し心を開き、手を差し伸べる選択。神は、そんな実践の積み重ねの中に、共に生きる社会の基盤があることを、教えてくれているように思います。

僕はまだ、レビ記を学びながら、この「アハヴ」という能動的な愛を、自分の生活の中でどれだけ実践できているのか、問い直す日々です。あなたの「隣人」は、今日、どこにいますか?

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とよ

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#こじつけ読書会

#時間衝突」第8回(9)【全12回】

#バリントンJベイリー

下記の #YouTube のリンクから見れます。

読書会系YouTube番組📺️

⭐時間衝突の惨劇を回避しようと、地球の物理学者アスカーは、レトルト·シティの時間現象研究家シューに「時間とは何か?」をたずねる。

奇想天外な時間SF⭐

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https://www.youtube.com/live/4Dgi76zClXg?si=jlyBMrW0bYJslmtT
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ハシオキ龍之介

ハシオキ龍之介

昭和懐古録 # 386

#グラビティ昭和部


・昭和11年(1936年)

☆『芸妓や女優の豆まき禁止』

1月25日 来る二月四日の節分をひかへて帝都吉
例の「モダン豆撒き」の祭典が文部当局の「宗
教関正」の槍玉に上り「映画女優や芸者、レビ
ュー・ガールの出演は絶対罷りならぬ」ときつ
いお達しで豪華な狂色を掻き消す事になつた。
「豆撒き」がかうも俗化し堕落しては捨てて置
けぬと宗教取締の元締、文部省宗教局がツムヂ
を曲げたのも無理もない。早速宗務課長橋本鶴
太郎氏は数日前、各宗本山に対して「宗教上の
教化の目的に反する豆撒きの余興は本年から慎
んで貰ひたい」と内示の形式で取締を申渡し
た。(東京朝日)
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なお

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「罪深いが神に選ばれた人たち」シリーズ①:血に染まった手が、神に近づく手になるまで──レビの話

こんにちは、石川尚寛です。
先日、ある地域の相談役の方と話す機会がありました。
若い頃に大きな過ちを犯したというその人は、今では誰よりも人の痛みに寄り添っていて、
「なぜこの人が、こんなにも優しいのか」と、僕は静かに驚きました。
そのとき、レビ族のことがふと頭に浮かんだんです。

創世記34章。
レビと兄シメオンは、妹ディナが辱められたことに激怒し、
町の男たちを剣で討ちます。
ヤコブはその行為に深く困り、「あなたが私を困らせた」と叱責します(創世記34:30)。
レビという名前は「לֵוִי」(Levi)──「結びつく」「つながる」という意味。
でもこの時点では、むしろ断絶の象徴のように見えました。

ところが、出エジプト記32章。
金の子牛事件のあと、モーセが「主の側に立つ者はここに来よ」と呼びかけると、
レビ族が応じます。
彼らは剣を取って、偶像礼拝に加担した者たちを討ちます。
その結果、神はレビ族を祭司として選びます。

この流れを読んでいると、
「血に染まった手が、なぜ神に仕える手になるのか」
という問いが浮かびます。
僕はそこに、神のまなざしの深さを感じます。
過去の罪が消えるわけではない。
でも、その痛みを知っているからこそ、
神の側に立つことができるのかもしれない。

僕自身も、過去の失敗や後悔を抱えながら生きています。
でもそれが、誰かの痛みに気づく力になるなら、
それは神が用いてくださる道なのかもしれない。
そんなふうに思えるようになりました。

このシリーズ、次回はカインを取り上げる予定です。
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【ケンタッキー小樽イオン店】久しぶりのチキンフィレオバーガー!感想レビ

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11/2の昼ごはんは、ケンタッキーさんに行きました。チキンフィレオバーガーセットを注文しました。
感想は、久しぶりだったので見た目小さくなった?と錯覚してましたが、食べごたえがあり、満足でした。ただ、マヨネーズが少なかったのは少しガッカリでした。チキンは安定の美味しさでした!
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