
愛善院
宗教家、国語教師、彼氏あり男、腐男子気味、作家、ゲームクリエイター、女性恐怖症、大喜利、その他いろいろ
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愛善院
宗教家でもある私は戒律上、夜明けを必ず自力でみなければなりません。最悪でも4時には必ず起きます。

愛善院
回答数 8>>
そのうえで「自分はこう思う」「自分の属する集団はこう考えるだろう」という、いわゆる社会的文脈的を後発させる。
言葉になっていない他者の考えを、勝手に自分の考えを載せてしまうのは狂気の沙汰。
そこに「それでも自分は」「それでも世の中は」と言うべきものがあるとき、そこに価値観や批判というべきものが身につく。
同調圧力でしかコミュニケーションがとれないとしたら、それは「言外のことをも相手にやって(理解して)もらおう」という依頼心で生きている人間だと言わざるを得ない。

愛善院
回答数 8>>
ヒトは殖えすぎると「資源」がたりないことを知覚してしまったから、繁殖が「自分という個」に不利であることを見抜いてしまっている。

愛善院

愛善院
なんで真っ直ぐにしか歩けねえのよな

愛善院
回答数 17>>
むしろ当然に、もとより不完全なメディアであることは自明なところと思います。

愛善院
回答数 16>>
と、思うけども、まあ、基本的にはノイズですねぇ。

愛善院
なったから何だというのか!?
そんなものを当て擦りされても知らん!!
彼氏と別れるつもりもないからな!

愛善院
回答数 6>>
哲学的思考はそこにある現象に良かれ悪しかれ価値を求める。
論理的思考はそこにある現象に原因、根拠、理由を求める。

愛善院
回答数 14>>
悩ましいことが単純化する。
当たり前なことが面白くなる。
常識になっていることを愉悦とともに眺められる。
そこにある風景に全て意味らしきものがありそうなことを見出だせる。

愛善院
回答数 22>>
これがあるから生きられるし、生き延びようとするし、その生き延びるために色々と工夫することに繋がる。

愛善院
東北地震か。東京でも感じられるとは相当な。
多くの人がご無事でありますよう

愛善院
回答数 8>>
RGB 143/95/143くらい。
webカラーで#8f5f8fくらい。
いわゆる京紫。
紫みの赤。


愛善院
悪を懲らしめ、善を勧める
(……むしろ善行そのものより「懲悪」に偏った惑星のようにも見受けられるが)
悪に立ち向かうための日々をどう生きているか、みなさまのヒーローっぷりを聞かせてくんなまし

愛善院
回答数 23>>
モノでも旅でも、
「こうしたらどうだろう」「こうなったらどうしよう」という、頭の中の組み立てと、その通りにはいかないトラブルやハプニングこそが、人生に価値をもたらしていく、そんな気がする。
肩透かしで期待していたよりくだらなかった、というのも含めて。

愛善院
回答数 9>>

愛善院
回答数 17>>
言葉によって弄ぶことができる、
各地の文明に「我らが王はライオンを素手で倒した」「我らの王はクマどもを討伐しきった」「我らの王はドラゴンとかいう見たこともないものを退治した」という喧伝があり、それを上手く使いこなすことができたゆえに「結束」と「離反」が生じた。
また、「頭のなかでこうしたものを組み立てる」ことができたから、仮説や立証の基礎、サピエンスの基礎にも結びついた。
言ってみたら、頭のなかに「仮置きできる言葉」というシステムが大脳新皮質の容量に搭載されていたのがホモサピエンスといえるのではなかろうか。
他の「ヒト」は、事実しか伝えられなかった、と想定すると、こう帰結する。

愛善院
回答数 16>>
(格に注意して読むと義がズレることの喩え)
👹「馬鹿にしてんの?」
💩「いいえ、馬鹿なの」
😺「幸福になりた〜い」
👽「幸福なかたですねぇ」
というのが成立してしまう。
何度かこいつらはシソーラスを組んでいるのだけれども、どうも「評価」で使う言葉である必要はなくて、なんのベクトル(志向)も持たないニュートラルな状態が「幸福」でも「馬鹿」でもあるような気がしている。

愛善院
回答数 42>>
ゲームデザインとかレベリングの話だけど、
「宝箱取り逃がすかもしれない」からできるだけ初見で正解ルート(進展してしまうルート)を選びたくない、という人と、「宝箱よりも展開が気になる」から、さっさと迷宮には決着をつけたい、正規ルート万歳、という人とがいるはずなんだよね。
それに対してどうアプローチするかというと、
「見えるけど回り道する必要があることが分かる」開放的ルートを設計したりする。
もしくは逆に、関門システムで、宝箱を取り忘れているとその先に進めないようにしておく。その宝箱を取りに戻る経路にも重要なものがあることを示す。
みたいな、PLをいかに「動線」と「導線」で把握するか、というのが、ゲーム作るときは面白かったりするのよね。
自分で気づけば、自分で築ける。

愛善院
回答数 16>>
そこに比較を以て優劣を感じ取る「しかできない」のであれば、ずいぶん人間というものに「汚染された言葉」だと思う。

愛善院

愛善院
いいなぁ、羨ましいなぁ。
(本が読めない人)
(国語教師やめたらいいのに)

愛善院
回答数 44>>
そうねぇ、頭によぎった言葉でも。
植物は、自己の保存や繁殖を越えて、カロリーを蓄える。そんなもんは植物の自由だ。
それを食う動物がいる。自己の保存のために、できるだけ群れで、ぞろぞろと動く。そんなもんは草食動物の自由だ。
それを食う動物がいる。いつ次の獲物が捕れるかわからないから、追いかけ回し、遥かな距離を走る。そんなもんは肉食動物の自由だ。
二本の脚によって歩けるようになって、二本の腕の先にある果実をもぎとることができる動物がいる。いままで見てきた、どれよりも不自由なのかもしれない。
たったひとつ。
この最後の動物が他よりも自由なのは、誰にも強制されることなく、頭のなかに自由そのものを描くことができることだ。
私たちは、自由を得るために進化した。
海から陸へ。
植物から菌類、あるいは動物へ。
自由へ、自由へ。
ありとあらゆる犠牲をはらいながら。
私たちは有限の肉体に、永遠を望む精神を宿している。

愛善院
回答数 20>>
サングラスをかけるか、眼鏡をかけるか。
顕微鏡をのぞくか、望遠鏡をのぞくか。
これらにしても世界と自分との間に「フィルター」をかけかえただけといえるので、
「色がついたようにみえる」
「くっきりはっきり輪郭がみえる」
「細かいところまでつぶさにみえる」
「近くにあるように詳らかにみえる」
「なんかチクワ臭いけどみえる」
という一人称状態にはなるけれども
「世界そのもの」が変化したからではない。
私は言語分野もフィルターの一種だと思っているので
「その言葉を知る前と知った後と、では、世界の「見え方」は変わってしまう。しかし、世界そのものは変わっているわけではない」
ということは日常にも良く起きていると感じる。
人間は「外なる世界」を「内なる世界」に受け取るとき、ちくわどころか言葉どころか、その他、ありとあらゆるフィルター(ふるい)を通してしか(外なる)世界を認識することができない。
ありのままに外なる世界を受け止められるとしたら、このあたりはたぶん、仏教的な「悟り」のなかでも、かなり上位の悟りにはいっていく。

愛善院
回答数 7>>
磨けば傷つく、ようにみえて光っている。
この熱量を、その電磁を、周囲に伝える。
私は金属でありたい。
薄ら笑いを浮かべ、焦点はあわず
頭はどこまでも悪そうに見える。
砕け散らず、とろけるように姿をかえ
自他境界を変幻自在にありたい。
嫌なことがあればトンズラし
スリルのなかに身を翻し
攻撃されたときに風のように涼しく
会心の一撃は昇天するほど目くるめく
いっちょ咬みしたものの経験値のみを蓄え
いつか誰かにそれを託そうとしている。
私は、はぐれメタルでありたい。

愛善院
回答数 42>>
授人以魚 不如授人以漁
人に魚をもって授くるは
人に漁をもって授くるに如かず
魚を与えることは飢えている人に対して大事だが、もし猶予がありそうならば釣りの仕方をあたえることのほうが大事になる。

愛善院
回答数 25>>
自分で創った【完成させた】作品は、他者の目に触れるようになった時点で、すでに「自分」から切り離されて「自分ではないもの(自分とイコールではないもの)」として世界の片隅に存在してしまいます。
これに対して「それはどういう意図でおつくりになりましたの?」と解説を求めるのは「作品そのもの」と「作者」に対して敬意がない。
また、作者のがわも「すでに自分ではなくなった」作品を、これはこういう意図で〜、と解釈しはじめるのは「作品」そのものがもつ伝える力に対するリスペクトがない。つまり、自分の創ったものであるのに信頼していない。平たく言えば、ダサい。
鑑賞する人にも、作者にも、別々の「内なる世界」がある。そして、「作品」となっているものは、すでに「外なる世界」に属している。
このとき「自分ではないもの」として、そこに「私にとってどのような価値があるか」という批判を置くことのほうが、「表現の意図、どういう意味がある、何を表現したかったものか」の解釈解説をするよりも、遥かに価値がある。
そこにある作品は「他(自分ではないもの)」として、「自己」に何をもたらしているのか。それを詳らかに感じとり、言語化していくことが「鑑賞」と言えるのです。

愛善院
回答数 8>>
私のペットは蟻さんや蜘蛛さんなので、あんまりしつけませんけども。

愛善院
回答数 5>>
つまり、自分の期待する結果を相手に求めてしまっていたらコミュニケーションのなかでも最も下策。どう進むか13通り以上は先にベクトルを(期待せずに)予測しておくものです。

愛善院
回答数 30>>
頭で考えているうちは生物的合理性はたどれないし、感情に操られているうちは論理的に説得できないし、生物そのものであると納得なんかかなぐり捨てているものです。

愛善院
回答数 23>>
受動的であり続けて文句だけ吐いてても満たされるわきゃねぇ自分ってやつに気付いちまったんだろうぜ

愛善院
回答数 18>>
「生きる」とは「死につつある」と同義です。

愛善院
回答数 79>>
「物理ではない空間」
とでも呼ぶべきものが広がっているのではないかなぁ、とか思っています。
入れ子構造というか。
宇宙の外側に、もうひとまわりでっかいのがあることでしょう。
ということは、宇宙の果てには、なんらかの「キワ」とか「カベ」的なものがあるのではないかなぁ、と思います。

愛善院
回答数 15>>
鳩が友達の猫の妊娠に気づいて鳩クオリティの巣を猫のために作っていた
というのを見ました。
どうしても私は小動物が好きでやんす

愛善院
回答数 7>>
つまり自分の役割を、自分自身で確信し、自分自身で選び取り、自分自身が引き受ける価値を、間違いなく理解できる、ということになるのではないでしょうかねぇ。
自己犠牲が純然たるものになるので、このままの繁殖システムだと個体数は減るでしょうけれどもね

愛善院
回答数 21>>
感情に操られているとこれは見えてこないような気もしますねぇ。
もっと簡単にすると「明日は明日の風が吹く」を、その肉体自身が勝手に理解している、くらいが大事かと思いますねぇ。

愛善院
回答数 22>>
「分からない」なのではないかしら。
「分かろうとしなかった」という結果ではないかしら。
もしくは「分かる必要などない」のではないかしら。
互いに「あるようにある」ってことを尊重できないとヲカマがすたるってもんだわ!

愛善院
回答数 5>>
左は「自由と平等を進める」
右は「伝統と役割を固める(保守する)」

愛善院
回答数 12>>
なるようになって欲しいなぁ、と願うんだよねぇ、私は。
シムシティとかカイロソフトとか。
試行錯誤しながらオリジナリティを出すのも好きなんですけどねぇ。

愛善院
回答数 5>>
そのエネルギーで自家発電でもできればいいのになぁ。

愛善院
回答数 28>>
ぜひとも「地域交流の中心地」となる機能を持ってほしいものだ。

愛善院
回答数 17>>
目的と意図および表現において、極めて他害を含むとき、火の粉は降ってきた方向に払いますけども

愛善院
回答数 5>>
あなたが存在するはるか以前から言葉は言葉としてあったのだから、あなたのほうが先に言葉に近づけば、言葉はあなたにたくさんの贈り物をしてくれることでしょう。

愛善院
回答数 44>>
日常生活でまともにやりとりできない【ゆえに】SNSという状況において理解されないことを発し続ける、という人々の巣窟になる。
そもそも「他者の使う言葉」を文脈的に完璧に理解できる日本人というのは、本当は3%くらいしかいないのです。

愛善院
回答数 3>>

愛善院
回答数 21>>

愛善院
回答数 16>>
パズルピースAは繋がるパズルピースBを探しているのに、近づけたパズルピースCは、どうやってもAに繋がらない。
パズルピースAに繋がらないパズルピースCは目的を達成する力がない!とりあえず、まあ、そこにいるだけでいいよ!
とやると、
目的を「真に」理解しているとはいいがたい。
ただし、目的に対して力量不足であっても、最低限「そこにいることの容認」が為されていることは「役にたたねぇな!」と捨ててしまうよりも遥かに価値があるといえる。
さて、ジグソーパズルの目的を「真に」理解するには、パズルピースの視点では、それこそ力不足だ。ピースでは「となり近所にコレがこい、コレはくるな」程度の、共同体が形成されるのはガチャ的な何かであるかのように錯覚している。
ジグソーパズルに目的があるというのであらば、その目的は「作り手」に委ねられる。
パズルピースAとパズルピースCは手を結ぶことはないのに、「AとCには絶対に仲良くして欲しい」という目的があるならば、この作り手は、ジグを切り落としでAとCを繋いでしまうことだろう。
これでもまだ「真に」目的を理解しているとはいいがたい。
「全てを以て共同体であること」を目的とする作り手がいる必要がある。ピースAに対するのにピースCでは能力がたりない、しかし、「ジグソーパズルを完成させる」目的がある作り手は、ピースCに「おまえは能力が足りない!」と言うだろうか。
必ずピースCも「ピースAではないどこかで」役にたつことがわかっているのに?
パズルピースは、場合によって、他のピースとの結びつきや課題の取り組みに偏りがある「すみ」とか「かど」とかいうものたちもいる。
パズルピースを作るものにとっては、これほど重要なパズルピースもない。
そして、結局。
どのピースであろうと、ひとつだけでは(繋らないひとつぶだけでは)、さほどの価値もないことも付け加えねばなるまい。

愛善院
回答数 30>>
他の人に指摘されてもよいし自己照覧のなかに見出してもよいが、ありとあらゆる「自分自身に属するもの」は、フル活用して全身全霊を自分でありたいとする。その奥に、ようやく「自分を知る」が存在する。
で、よくやる言葉遊びとして
「自分で気づけば、自分で築ける」
