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マサヤス 龍之介
#日本映画古典
☆『家族会議』/ 松竹大船作品
1936年昭和11年封切 原作:横光利一 監督:島津保次郎 脚色:池田忠雄 撮影:桑原昴、水谷至宏 音楽:早乙女光 出演:佐分利信 高杉早苗 及川道子 桑野通子 高田浩吉 志賀靖郎
※ 東京・兜町の重住高之(佐分利信)は株式店主とも思えぬ近代的教養のある青年。一方、大阪株界にあっての大立者仁礼文七(志賀靖郎)の娘泰子(及川道子)、同じ大阪・北浜の梶原株式店の娘清子(桑野通子)は共に高之を慕っている。二人は共に浪華娘らしからぬ内気さで、相手に対する情熱は熱いのにそれを微塵も示せない。そんな二人を心からの友情で応援する同じ大阪株式界隈の令嬢たち。泰子には池島信助(藤野秀夫)の娘忍(高杉早苗)、清子には尾上惣八(水島亮太郎)の娘春子(立花泰子)らが織りなすスマートな都会派の現代劇である。そこに仁礼商店の番頭京極(高田浩吉)や梶原(河村黎吉)らが絡んで商売と恋愛の一大活劇である。
現代でもよくある経済小説、その先鞭を付けたのがこの横光利一の同名小説である。山崎豊子、城山三郎、そして池井戸潤に連なるその系譜の始まりは大正末期にデビューした新感覚派と呼ばれた彼は片岡鉄平、川端康成らと新しい波を起こした。そして編み出されたのがこの小説である。経済活動に於ける様々な葛藤と東西に亘るスケール感に富む経済戦争、複雑に絡み合う恋愛模様と云う設定は斬新な発想であった。
監督を務めた島津保次郎は初期松竹から脈々と流れるメロドラマの定型を作り、絶大な権力を誇った城戸撮影所長から全幅の信頼を得ていたベテラン監督であった。その演出風景はオッさん島津の陽気な罵声が飛び交う活気に溢れていたと云う。その罵声を浴びせられた島津門下からは五所平之助、豊田四郎、吉村公三郎、木下恵介、中村登らの名匠たちが巣立って行った。#映画の星



マサヤス 龍之介
#日本映画古典
☆『情熱の詩人 啄木』/ 日活多摩川作品
1936年昭和11年封切 原作:小田喬 監督:熊谷久虎 脚本:安達伸男 撮影:永塚一栄 出演:島耕二 小杉勇 黒田記代 沢村貞子
※ 岩手県渋民村の朝。
かにかくに 渋民村は恋しかり
おもひでの山 おもひでの川
一雄(島耕二)は、小学校の代用教員、啄木と言う名の詩人でもある。家には妻節子(滝花久子)、一子慎一、それに老父母を抱えて重苦しい生活だが、無垢の子供たちには、飽くまで情熱を注ぐ。子供たちもどじょう髭の校長(沖悦二)や天理教の古川訓導(吉谷久雄)などより、啄木を敬慕する。子供は自由に伸び伸びと育てなければならないと云う一雄の信念は、頑迷な校長には理解されず校長の倅の忠一が手に追えぬ程の腕白坊主と知りながら、それを容赦無く罰する一雄の厳しさは校長の威厳に刃向かう者と苦々しく思い、益々両者の対立軸が激化する。校長は村の助役(村田宏寿)や郡視学らと共謀して一雄追放を密議、やがては因習的な村の有力者らも同調しだす。一雄はそれでも僅かな給金を我が家に運ぶのみである。
働けど働けど わが暮らし
楽にならざりし じっと手を見る
そんな一雄をいつもそっと慰め、優しい友情を示してくれる同校の訓導並木智栄子(黒田記代)だった。一雄にとってのただ一つの喜びである。やがて一雄は東京と渋民村の二重生活をするようになる。詩人として詩壇に認められたい一心であったが、そんな倅を助けたい父親(小杉勇)は金を送ろうとして、些少な不信を犯した為務めていた寺を辞さなくてはならなくなったが友人の尽力で住職に復職出来たその直後、日夜迫り来る貧苦を見るに忍びず遺書を置いて出奔、父思いの一雄には堪え難いショックである。そして、啄木としていよいよ完全上京を決心、一雄は児童たちを前に惜別の辞を述べる。
石をもて追わるゝ如く ふるさとを
出でし悲しみ 消ゆることなし
監督の熊谷久虎は原節子の義兄として名高い。兄として原への影響力が強いことはつとによく語られるが、原が生前に余り多くを語らなかった事から多くの謎が今尚残る。熊谷はリアリズム手法で多くの作品を監督し当時の映画界では刮目すべき存在だったと同時代の評論家の勝俣勝人などは賞賛するが、後年日本愛国主義に走り国士的に些か主義傾向が強まり敬遠された。



マサヤス 龍之介
#日本映画古典
☆『限りなき前進』/ 日活多摩川作品
1937年昭和12年封切 原案:小津安二郎 監督:内田吐夢 脚本:八木保太郎 撮影:碧川道夫 音楽:山田榮一 出演:小杉勇 轟夕起子 江川宇礼雄
☆ 野々宮保吉(小杉勇)は、実直なリーマンだ。定年間際で決して重役にはなれない。婚期の迫った娘(轟夕起子)の事を考えると、ふと気が重くなりややもすると、恐怖感に苛(さいな)まされる。
或る日、彼は出社するなり専務室に収まり、社員たちに明るく振る舞い、一同を料亭へ連れて行き上等な料理をご馳走して、得意の"さんさ時雨"を唱ってきかせるのだが、その朗々たる美声は部下たちの心にも沁み入るのであった。いつか自分にも襲いくる運命ではないのか。。。
急の報せに駆けつけた娘と近所の青年で許婚者の北くん(江川宇礼雄)に抱き抱えられる様に彼は帰っていった。父が精神病なのは明白であり、強く打ちひしがれる娘を北くんは力強く励ます。ラストの言葉が堪らなく残酷だ---親父は結局、もう過去の人間だ。過去は過去として葬らしめよだ。---
原案者小津安二郎の"らしい"作品である。小津は最初『愉しき哉保吉君』と云うタイトルで自分で映画化することを考えていたが、松竹からは内容が余りに暗いと突っぱねたので、やむを得ずストーリーを仲間の八木保太郎に手渡された(未脚本だった)。八木は当時珍しかった雑誌『新潮』に掲載された。映画のシナリオが文藝雑誌に載るのは当時も現在も珍しい。しかし、小津がもし映画化していたら脚本ほど暗いものにはならなかった筈だ。小津のサイレント期の保吉ものに見られる或るほろ苦い笑いの仮面を被らせて、この老リーマンの悲劇を描いたであろうと想像できる。


マサヤス 龍之介
#日本映画古典
☆『伊豆の踊子』/ 松竹蒲田作品
1933年昭和8年封切 原作:川端康成 監督:五所平之助 脚本:伏見晁 撮影:小原譲治 出演:田中絹代 大日方伝 小林十九二 竹内良一
若水絹子
※ 伊豆を舞台に旅役者一座の可憐な娘(田中絹代)と共に道行きの友となった一高生(大日方伝)の淡い恋と葛藤を描いた詩情溢れる原作最初の映画化である。五所監督は日本映画に一番欠けていたリリシズムを湛えた監督であったが、その後の日本の軍国主義化に映画界が迎合していき、彼の活躍の場は制限されていく。五所監督は戦後東宝へ移籍して再び息を吹き返す。戦後になって美空ひばり、吉永小百合、山口百恵らでリメイク作品が作られたが、初作のこの作品を凌ぐものはない。
五所監督はこの作品の中で主役の田中絹代を如何に可愛くいじらしく撮るか、に力点を置いたことが成功に繋がった。五所監督は実生活でも絹代を愛していたことは、この作品を通して伝わってくる。それは1987年封切の市川崑監督の田中絹代の伝作『映画女優』の中でも描かれている。
筆者の祖父源太郎の故郷は伊豆・湯が野でありその人を父に持つ利彦はこの映画の封切の年に東京蒲田でうまれている。その子の筆者が今これを書いており、不思議な関連相関図であることに書きながら今気づいている。

踊子

マサヤス 龍之介
#日本映画古典
☆『マダムと女房』/ 松竹蒲田作品
1931年昭和6年封切 監督:五所平之助 原作・脚本:北村小松 撮影:水谷至宏 ギャグマン:伏見晃 出演:渡辺篤 田中絹代 伊達里子 小林十九二
※ 劇作家の芦野新作(渡辺篤)は東京郊外の文化住宅を借り、新作の脚本を依頼されて張り切って仕事に取り掛かるが、猫鳴いたり子供がムズがったりしてやかましたくて仕事に集中出来ない。その上、隣家からは一日中うるさいジャズを蓄音機でがなりたてるので、カッとなり怒鳴り込む。
しかしそこには美人のマダム(伊達里子)がいて、芦屋先生は忽ち丸めこまれてしまう。マダムは芦屋のために、♬スピードアップホー を唄ってくれた。芦屋はすっかりほだされて帰宅する。家ではマダムのことで嫉妬する女房(田中絹代)を一喝して、上機嫌で脚本の執筆に励むと見事な出来栄えの脚本が完成。折しも空は快晴、隣のマダムは今日も陽気に♬私の青空 を唄っている。
日本初のトーキー映画として松竹をあげて急ピッチで製作。トーキーの特製を生かしたストーリーで特に波乱もない、松竹製ライトコメディの誕生はその後の松竹路線の典型となる。欧米映画のトーキー化の波が我が国にも押し寄せたのだが、トーキーを撮るとなると、専用スタジオの建造は急務だったのだが、我が国の映画資本はまだジリ貧で、この体制がで揃うにはあと数年は掛かることから、サウンド版と言う形式的にはサイレントなのだが、唯一音楽が付くという映画の傾向が暫くは続く。そこで、1933年昭和8年にPCL研究所が発足。若き日の井深大など後のソニーを創立させる人物が技師として雇われて、数年後阪急グループ総帥の小林一三により買収されて東宝映画となる。東宝は最初からトーキー在りきの映画製作会社だったのだ。


マサヤス 龍之介
#日本映画古典
☆『祇園の姉妹』/ 第一映画作品
1936年昭和11年封切 原作:クウプリン『ヤーマ』監督:溝口健二 脚本:依田義賢 撮影:三木稔 出演:梅村蓉子 山田五十鈴 志賀廼家弁慶 進藤英太郎 深見泰三
※ 梅吉(梅村蓉子)はおもちや(山田五十鈴)は姉妹で出ている祇園の芸妓である。姉の梅吉は古い義理人情や、世間態を気にして未だに未婚。今はおちぶれて店を人手に取られた昔の馴染客 古沢(弁慶)をうちへ引き取り居候させている有様だ。女学校出のおもちやには、そんな姉が焦ったい。そんな妹は勘定高い現代娘で、姉とは正反対。しかし金欲に溺れるうちに、生来の美貌も仇となり何かと悶着を起こしがちな性格。。。
男の身勝手さ、傲慢さに翻弄されながら生きる祇園の姉妹を軸に現代女性の思想を正面から見つめて、その生態を描く溝口作品。前作『浪花悲歌』では不良と呼ばれる一人の女のエゴイズムの本質を生々しく鮮烈に描いたが、この作品では女性の新旧の価値観の相剋を炙り出した。山田五十鈴はこの2作で名実共に女優として筆頭に成り上がる。優れたこれらの作品が同年に作られたところに日本映画の第一次黄金期の幕が切って落とされたのは云うまでもない。


マサヤス 龍之介
#日本映画古典
☆『彼と彼女と少年達」/ 松竹蒲田作品
1935年昭和10年封切 原作:ジョルジュメナール 監督:清水宏 脚色:荒田正男 撮影:青木勇 出演:上原謙 桑野通子 爆弾小僧 突貫小僧
※ 巡航船の甲板で、彼からタバコの火を貰った彼女。彼もその港で下船した。彼は大学生、甲州屋に宿を取ったが、彼女は観音裏の色町の女だった。朴訥とした長閑な港町。床チビ(爆弾小僧)と甲州屋(突貫小僧)は、喧嘩のために生まれてきたような子供たちだ。そして彼と彼女と、すぐに仲良くなった。大人の世界に倦ていた彼女は彼の淡い恋を受け流して、甲州屋少年を可愛いがる。
彼は何度も港を去ろうとするが、彼女への未練が邪魔をする。一方、甲州屋少年は彼女を独占しようとする、勿論子供心で。親達はそんな彼女を色眼鏡で見てるから当たりはキツい。そんなギクシャクした人間関係の中、遂に子供達との仲を割かれた彼女は、自分がこの上なく情け無く、詫びしかった。なびきそうで遂になびかぬ彼女に、堪りかねて彼は別れの盃を彼女に捧げて一人寂しく東京へ去ってゆく。その船が港を出て行くのを、1人黙って懐手をして見送る彼女の顔に、海風が当たる。
一週間くらいの間の毎日が日記風に淡々と描かれて、人生抒情詩とも云うべき味わいが美しい。今では無いこのようなタッチのシャシンである。人生の行間とでも云うべき語り口は監督清水宏の真骨頂である。倫落の女の侘しさ、頼りなさを清水は詩情豊かに表現する。そして当時はまだ新人だった桑野通子の好演に観る者はため息しかない、上手い!それは彼女の天賦の才か清水監督の演出力か。彼女は新人スターとして以後頭角を出すが戦後直ぐに早逝してしまう。享年31歳。子宮外妊娠による出血死だった。美人薄命は彼女の為にある言葉か。彼女の一粒種である長女みゆきは戦後に松竹専属女優としてデビューし、花形として活躍した。通子の夫は森永製菓会社社員時代からの同僚である。共演の上原謙はこの年の新人スターで桑野とは同期、すぐにロマンスが流れたが後に先輩女優小桜葉子と結婚、長男が東宝のスター加山雄三である。




マサヤス 龍之介
#日本映画古典
☆『国士無双』/ 千恵蔵プロ作品
1932年昭和7年封切 原作・脚本:伊勢野重任
監督:伊丹万作 撮影:石本秀雄 出演:片岡千恵蔵 山田五十鈴 高瀬実乗 白川小夜子 香川良介
※ 食い詰めモノの浪人二人、なんとか楽に飯の食える方法はないかと思案して、一人が妙案を思いつく。恰度その頃、伊勢伊勢守なる盛名の剣聖が逗留しており、その名を騙って料理屋で飲み食いしよう、と云うのだ。格好の旅がらす(千恵蔵)を一人つかまえて、伊勢守に仕立て上げその家来を装って上手く無銭飲食に成功。ところが料理屋が本物(高瀬)のところへ勘定の取り立てに行って、あっさりバレてしまうが、話を聞いて本物は怒り心頭。我が名を騙るとはけしからんと、贋者を捕まえていざ!立ち合い、緊張が走る💧長い睨み合いの末、その決着はあっさり贋者が勝ってしまう。これは天下の一大事、本物は大いに己の未熟を恥じて山中に篭り技を磨く。その間、本物の娘お八重(山田五十鈴)は、あろうことか、相手が父の仇と知り乍ら思慕を寄せてしまう。贋者はさらに、お金のために身投げしようとする娘お初(白川小夜子)にも慕われて、二人の女の恋の鞘当ては熾烈を極める。やがて、贋者の下にヤクザの一味"オケラの八兵衛"(香川良介)一家が入門するに至り、勢い付くがその頃合いに、山での修行を終えた本物が現れる。いよいよ、勝負のその前に贋者は交換条件を突きつける。それは、勝ったら所望の品をよこす、と云い本物も応諾、いざ勝負‼️ だがまたしても結果は同じ。本物にはどうしても解せない、本物が贋者に負ける筈がない…と。「しかし、本物は正しいのだ。正しいものが、贋者にまけるとは。」「それは違う。正しいものが勝つとは限らん。いつの世でも、勝ったものが正しいのだ」そして約束の品、本物の娘お八重を貰い受けて、贋者は雲を霞と逃げる見事な引き際となり一巻の了り。
この時期、大手プロで名を上げた映画スターは軒並み自己の名を冠したプロダクションを設立し、弱小乍ら名作を生んだ。阪東妻三郎然り、嵐寛寿郎然り、市川右太衛門、そして白塗りの二枚目スター片岡千恵蔵もその流れに乗った。各人各様だが、総じて実力派監督と名ライターを起用して成功したが、映画スターの独立プロの時代は長続きはしなかった。資本力に於いては大資本には敵わなかった。


マサヤス 龍之介
#日本映画古典
☆『人生のお荷物』/ 松竹蒲田作品
1935年昭和10年封切 監督:五所平之助 原作・脚本:伏見晁 撮影:小原譲治 音楽:堀内敬三 出演:斎藤達雄 葉山正雄 田中絹代 佐分利信 水島光代 吉川満子 小林十九二 飯田蝶子 小桜葉子
※ 監督の五所は当時は珍しいほどのリリシズムをたたえた作風を得意とした。昭和6年には我が国初のオールトーキー作品『マダムと女房』を手掛けたが、その2年後にはサイレント映画の傑作『伊豆の踊子』を撮り、人々をうっとりとさせる。
脚本の伏見は小津安二郎監督の傑作『生まれてはみたけれど』のシナリオを手掛け、軽妙な中に人生の哀感を忍ばせる名ライターである。この作品はそんな二人がタッグを組み、二人の合わせ技一本!と云った仕上がりとなっている。現在でもプリントは残っていてビデオ化もされているが、DVD📀化まではいかがなものか?
あらすじを書くとあっさりしてこの作品の良さは伝わらない。見終わったあとに残るほのぼのとした後味は、老舗の銘菓を上等な煎茶で頂いたような、いつまでも芳しい香味の如しである。軽妙且つリリカルと云うミスマッチが戦前の時期に作られていたと云う歴史に感謝しかない。






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