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道徳的主体として「豚を法廷にたたせた」という史実がある。あなたならどこに着眼して論じる?

かさ

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どういう事情で豚のような存在を法廷に立たせたり、立たせなかったりするのかの状況の方にしか面白味を感じないから、そのレポートが書けたらすごく楽しいんだろうなって思う
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憂い顔の騎士

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当事者能力があるかないか
権利を主張し義務を履行することができるかどうかである。あくまで、法廷において、自己の権利の妥当性を法的根拠に基き主張できなければならず、裁判の結果、義務を負った場合に、履行可能能力を有していなければならない。
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A

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豚を法廷に立たせる意味について論じるかな。豚の権利はもっぱら養豚家が有している。豚は道徳的主体だとしても、命が養豚場の生産システムに組み込まれている。同時に養豚家は生殺与奪の権を有しているわけで、豚は殺されても文句言えない。自分の命に対してすら権利を持てない豚の主張は、どう足掻いても養豚家の主張の代理として翻訳されてしまう。そうなると、豚が何を主張しても、畜産の倫理や行政指導の下に調整されるだけになる。つまり、豚が何を主張しても「養豚家はどうすべきか」という話に帰結するため、豚そのものを法廷に立たせるのは、法的な意味はない。
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狼

道徳的主体とは、『善悪や義務を自ら判断し、それに従って行動できる、自律的な存在を指す』言葉らしい。

 主体があるとして法定に立たせたなら、その豚には豚なりの自律能力と判断能力があるという事になるので、その前提で進めねばならず、それはつまり、豚なりの権利主張が可能という事になる(やや飛躍だが、そう言う前提と扱いをしなければ、主体を持つとは到底言えそうにない)

 しかし、実態としては豚に主張があったとして、それを完璧に汲み取り、人間が人間のために作った法律で、豚の主張を公平に扱う事が出来るかと言えばおそらく無理でしょう。猿の惑星を観れば分かるが、被告人(正確には被告豚)として立たせたとしてまともな裁判にはならず、豚が勝訴する事は難しいし、裁判官だったとしても豚の判断を反映させた裁判結果は人間からすると納得など難しいものになるでしょう(例︰人の100万~1億倍優れた犬以上の嗅覚を持つ豚が考える異臭問題の受忍限度が人間より圧倒的にハードルが高かったとしても、社会的な受忍限度≒人間の受忍限度で考える方が人間主体社会ではそれを反映させられないはず)

以上の問題を解決するためには豚の豚権を守る活動と法律整備が必要があるが、果たしてその必要があるか?

 この疑問は現在の多様性問題で実際に起きている。
 必要ない、とするなら人間は豚に優先される上級民であり、今まで通り豚を殺して権利を無視して置けば良い。必要だとするなら、ではどのように豚の権利を守るかを真剣に考えなければならず、これは正直容易ではない。

 中世で行われていたのはおそらく「豚に主体があるとして扱った上で、法律の中で裁くという形だけ整える事で、人間全員が納得(安心)して結果を受け入れられる」為に行われた事で、豚の主体など本気で考える気は無かっただろうと邪推する。
 豚だったらそれで良かったんだけどね。

 豚は豚(家畜)のままでいるべきか? 割とゆゆしき問題である。
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ナトル

ナトル

ものすごくずれた〇〇ニズム究極のシーンではないだろうかと感じる
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アンパンマン

アンパンマン

法律を人間以外に適用している
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なずむ

なずむ

美味しいお肉〜美味しい!
ん〜これはね、いぱい喋ってもらってね、ただの家畜からスペシャルゲストになったということを、証明するぬよ〜!!
四足歩行は例外なく、食らえ。
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マツ

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豚が人間に裁判させてあげたんじゃない?
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