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03 主にひとりごと
自分を好きになりたい
猫
学生
写真撮影
散歩
旅行
友達募集
切り絵
洋楽
EDM

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寝たんだけどな

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これでもかという憂鬱な感情と
なんとかなるさみたいな軽〜いモードが
交互にやってくるの、とてもやめてほしい
頼むから均等に分布してくれ

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そもそもなんでこうなったかな、って。
人嫌いも距離が近くなると嫌悪感を持ってしまって遠ざけてしまうのも、なんでかなって。
自己否定の根本というかそうなった原因から遡ろうと思って
"逃げるな" "感情を逃げさせるな"って自分に言いながら過去を振り返り続けて
私を見捨てないで、1人にしないで、寂しいよ
誰か誰でもいいから私を必要として、
って多分封じ続けてた感情が出てきた。
わがまま過ぎるよね。笑っちゃう
初めて私なんかを好きになってくれた人を、自分からフェードアウトしておいて。
なんでこうしてしまうのか自分でも分からない。
人のことを嫌いになりたくない。人の感情を受け取れるようになりたい。
誰かが欲しい。助けてほしい
麻痺によって封じてた感情を逃げずになんとか向き合ってみようとしたら、出てきたのは
"I HATE YOU DON'T LEAVE ME"
(←有名?な本のタイトル)
まさにこの状態。
いちばん厄介なやつじゃん、勘弁してよ
もう笑えないけど笑うしかないよね。
私は人と関わっちゃいけない類の人間なんだろうな。
人と距離とり続けて"穏やか"の仮面を被っていないと、人と関わっちゃいけない。
私がやらないといけないことは今ない。
役割も役目もない。
いなくても何も変わらない。
いなくなってもいい気がしてきた。
感情を麻痺させるのをなんとかしたらちょっとは好転するんじゃないかと思ってたのに、
悪化してるの馬鹿でしかない。
どうしたらいいんだろうね

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もはやとりあえず生きてるために授業もないのに大学に行って研究室に籠ってる。
研究室に行けば私のデスクがある。
人がいて会話がある。
私が人間でいられる気がする。
やらなきゃいけないことがない状態で家に居続けたら、生活の時間もリズムも終わってる
醜い感情の塊の化け物になってしまうから。

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毎日夜中泣いては、何も考えなくて済むために夜中に2時間くらい歩いて
疲れてそのまま寝るを繰り返してる。
かと言ってそれをやめると昼間に影響が出てくるから、それよりは余程まし

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安全基地を作ろうと言うし思っているけど、
お金を払っている対価としての安全基地ってどうなんだと思うし、相手は仕事としてやっているのであってけして私のためと思ってくれてるわけではないということ。
両親が医者のもとで、患者の愚痴やら悪口を言っているのを聞いて育っている身としては
そういう仕事の人って命や精神を仕事として扱っているだけで、対応が本心でないことをよく知っているから。

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自分の求める形と違う愛情を受け取れるようになればいいのかと思ったけど、
それは親からの歪んだ愛情を受け取れるようになろうと言ってるのと同じで、でも実際に自分が苦しんできたという事実を考えるとこれはおかしい気がする。

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だから苦しい。
受け取れなかったことも、受け入れられなかったことも。
そのいくつかに、私の傷に塩を塗るようなものがあって私が耐えられなくなってしまっただけだから。

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「やってみせ言って聞かせてさせて見て褒めてやらねば人は動かじ」
でも私が褒められたのは全国試験で結果出したときだけだった。
家族みんなで笑顔で食卓を囲むことなんてなかった。会話なんてない。
母がたまに体調不良だと嬉しかった。叩かれないで済むから。
母はいつも義務的にご飯を作っていた(たまに)
そもそも大抵は既成品だったけど。
誰も"私のために"って作ってくれる人は居ない。
機嫌が悪いときの音が怖い。叩いてくる手も飛んでくる物も、いつかけられるか分からないお茶も怖い。目の前で教科書が壊されるのも怖い。
だからいつもアンテナを張りっぱなしてた。
バレエもバイオリンも英会話も科学教室も工作教室も塾も、たくさん習い事してた。
小中高ずっと私立だった。
服もいいものを着せてもらってた。小学生のときまでは毎年ハワイ旅行にも行ってた。
だからなんだと言うんだ。
私は落ち着けるあたたかい家族がほしかった。
叩いたり蹴ったりして物投げてお茶かけて、怒鳴って怒って、
勉強しろと言って自分で食べることも頭洗うことも髪を乾かすことも歯を磨くことも許してくれなかった母親と
全て見て見ぬふりして止めることもなにもしなかった父親じゃなくて
優しい家族がほしかった。
そのまま愛されたかった。

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物質的に恵まれてた分余計に人には理解されなくて、余計に孤立していく。
そのまま望まれて、そのまま愛されたかった。

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ようやく向き合おうと決めたのが最近。
分かってた。
でも愛着障害と向き合うのはきつい。
触れたくない傷を1回抉らないといけない。
感情をちゃんと感じないといけない。
でも私はいつもやってきたみたいに感情を封じ込めようとする。それはとても簡単に出来るし、感情を感じないのはとても楽だから。
でもそれじゃ駄目。
蓋しちゃいけない。逃げちゃいけない。
感情を感じきる、これくらいは出来るようになりたい。
音楽を耳が悪くなると分かってても音量上げて聴き続けるの。
もはや感情に蓋をする以外の逃げ方をしてるだけなのか、感情をどっかやらずに意識を留めるために音楽を聴いているのか
どっちなのかすら分からない。

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あんたは口がくさいと母親に言われ続けて、ある程度の距離がないと、もしくはマスクをつけていないと怖くて話せなくなった。
今も、人が近距離にいるときは話せない。
あんたは口を閉じてるのに咀嚼音が聞こえるねと言われて、人がいる静かなところでは食べられなくなった。
遺伝を感じる引っ込んだこめかみと出っ張った頬骨、パーツは嫌いじゃないけど骨格が嫌い。
マスクをつけていれば大嫌いな頬骨が隠れるから、コロナ終わっても暫くマスクを手放せなかった。
未だに写真はそのままの顔では写れない。
これまた遺伝の毛深さ。
剃るけれど綺麗になるわけじゃない。
だから夏でも肘くらいはある服しかいない。
揚げ物、甘いもの、全て絶っていて
アルコールも煙草も何もしていなくて
カフェインも摂取していなくて
ピル飲んでビタミンを摂っても
出来てくるニキビたち。これまた遺伝。
嫌いなところだらけ。
自分が嫌い。自分が写った写真が嫌い。
そもそも撮られないように逃げるし…
少しだけでも自分を肯定したくて
スタイルだけは良く維持してBMIは標準値の最下限を保つ
所作を綺麗にする
歩き方を綺麗にする
背筋を伸ばして姿勢を綺麗にする
これだけは心掛け続けている。
大学のゼミ発表。
先輩のひとりに「良い声だね」と言われた。
初めて言われた。
嬉しかった。

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なぜこうなったのかを振り返って考えても、やはり誰が悪かったのか分からないことがある。
前提として、まずその人は愛着障害など無縁な親や可愛がってくれる周りの人に恵まれて生きてきた人。
私の親の話などをしてもなお、「過去と自分は違うんだから切り離してよ」と簡単なことであるかのように言ってきた。
だから私は、この人は私の過去ごと受け止めてはくれないのだと分かって、その人に安全基地を求めるのをやめて自分で頑張ろうとした。
色々調べて調べて、病院とかカウンセリングルームとかも検索したりして、なんとか愛着障害に折り合いをつけようと頑張っている状況だった。
で、その問題となった会話は、私が愛着障害について、こういう種類とか段階があって私自身はこれで、だからどうすると良くて…みたいな話をしていた後に起きた。
そしたらその人は
「そんな分類分けなんて馬鹿らしい、必要ない」「ネットで調べて何になるの?それが役に立つわけ?」「なんで今話してる自分じゃなくてネット上の情報を信じるの?」
って言ってきた。
私からみれば酷い話。
人付き合いがうまくやれないのを自覚して距離をとっていたにも関わらず距離感ガン無視で近付いてきて、"なんでも話して、信用していいよ"と何度も言われてようやく話せば私を受け止めてくれる気などなく。
ならばひとりで頑張ろうと情報収集すれば、それすら否定された状況。
それで私がもう黙っていたら、その人が「どう思ってるの?」と聞いてきたから
私は「何も知らないやつが何言ってるんだとしか思わない」と言った。
そしたら「考えて言葉をかけた自分によくそんなひどいことが言えるものだね」とその人は言って、私をひどい人にした。
これが多分私がようやく開きはじめた心を閉ざすことになった理由のひとつだった。
私の考えだと、
相手の傷を軽く見て思うことを発言し、その発言が拒否されたからといって相手をひどい人呼ばわりするその人が信じられなかった。
私がその立場であったなら、「なにが分かる」って言われたということは自分の発言は相手に寄り添えない軽率なものだったばかりか相手をより傷つけたのだ、と自覚して
では自分にはなにが出来るのだろうかということを相手とコミュニケーション取りながら考えて寄り添うことをしたはずだ。
でも最近、世の中の大半の人はその人みたいなのかもしれないと思いはじめた。
"もう20代なら自己責任だろ"とか"いつまで親のせいにしてるの?ただの甘え"みたいな、愛着障害に無理解な発言をよく耳にする。
分からない人からみたら本当にそういう認識になるんだなと分かって、あの時のその人の発言はひどいのではなくあれが普通なのかもしれないとも思うようになった。
私の寄り添いレベルが逆におかしいのかなと。
私が傷ついた事実は変わらないわけで、あれが普通だったとしてもだから何でしかないんだけど、
それでも世の普通はどうなのかを知りたい。

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合うかどうかも分からないのに1回に1万円弱飛ぶのって、学生には結構痛いのよ…
あともしうまくいってそのまま自分を肯定できるようになったとしたら
存在する理由を求めて自分を痛めつけるレベルの努力をしたり、自己犠牲的な面であったりした私は何のために居たんだろうか…となってしまうし
人に優しかったりという自分が消えてしまったら、私の良いところが消えてしまう気がして。
今まで頑張ってやってきた私を1回壊す覚悟を私はまだ持てていない。

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私は仲良くなるというか、ある程度の距離を受け入れた人に対しては
"相手がどうなろうと関係を変えない"
"相手が最悪の状態にあろうと絶対に手を離すことも見限ることもしない"
"相手が大変なときは自分のことは後回して寄り添う"
ことが出来る自信はあるし、それが出来るかを考えて人付き合いをしている。
逆にそれ重視で普段はどうでもよい。
だから1番の友人とも、普段は会うこと殆どなく連絡もあまりとることなく、1ヶ月に1回くらい唐突にリアルタイムでLINEし続けたり、1年くらい会ってないところで突然8時間もzoom繋いで話したりみたいな感じ。
でも多くの場合人は多分そうじゃなくて
大抵の人が望んでるのは
"普段話して落ち着ける関係"
"普段一緒に何かして楽しめる関係"
なのか。
だから私は選ばれないし、全然仲良くなれないし、なんかどこに行っても浮いたというか余り物みたいな感じになっちゃうんだな。
でも、普段とかよりお互いが最悪の状態のときに相手を支える、背負う覚悟ってのが1番大事なんじゃないのかな…?
違うのかな…
重すぎる…?

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人から加えられる問題の中で最も大きいのが親との愛着によるものだと思う。
私が以前関わった人は愛着障害なんてなりもしない素晴らしい親の元に生まれることができた代わりに、相手の痛みに寄り添う能力を失った人間に育ってしまったけれど
私は愛着障害になるように育った代わりに、同じような人とか人の裏切りとか他人由来の苦しみを理解することが出来るようになった。
良い親に恵まれたあのような人間のほうが圧倒的に幸せに生きられるのだろうけど、
私は自己犠牲的な部分がより私自身を苦しめるとしても、自分が少なくともあの人間よりかは人の痛みを理解して寄り添える人間になれたことを誇りに思う。

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「いつも自分、自分、自分、そればかり」
と何度も言われたけど
そういう思考に育つような親の元に生まれてなければ分からないんだろうね。
幼少期の周りの人間に恵まれた人はそれを自覚したほうがいい。
ずーっと私が悪い、そのままの私は愛してもらえない…の思考で育って、なんとか抜け出そうとしてみれば「他責」と批判される。
自分ばかりと言われても、貰えなかったものは貰い方もあげ方も分からないんだよ。それでも私なりにとても頑張った。
本心ではなくても相手に最も寄り添ってあげられると思った言葉を電話越しにかけた。
触れられることに恐怖と嫌悪感しかなくても、耐えた。それで精神的に疲れ過ぎて動けなくて公園で座り込んでいても、何も知らずに"楽しかったね"なんてLINEをしてきた相手にそれを一切悟らせなかった。
でもなんにも伝わってなかったみたいだね。
「親の影響って大きいんだよ、それを分からないばかりか軽く見られるならば、傷口に塩を塗られるならば私はもう関わりたくない」
って言ったのにね。
それでもやはり私を責めるのか…って絶望して、連絡絶ったら鬼のような私を責めるLINEと電話。恐怖しかなかった。
相手が愛着障害持ちを受け入れられる器がなかったのだと分かってもなお思考が引き戻されるのがなんでかなと思ったら、愛されることへの執着なんだろうな。
初めて好きになってもらえたから。
親は成績が良くなければ、叩く、私を置いてどこか消える、物投げつける、お茶かける、本を破る捨てる、ご飯もらえない、が日常。
小学校ではいじめられたり、奇数人での余り物だったり、逆の意味で対等に扱ってもらえなかったり。
中高で仲良かった友人はみんなもっと仲良い人や恋人を見つけて疎遠になっていって
大学に入って男子8割女子2割の環境の中にいるにも関わらず私は好意を寄せられたことなくて好きと言ってもらえたのが初めてだった。
私を好きになってくれるような人、私を選んでくれるような人がいることが嬉しかったのと、上手くやらなかったら今後私に好意を持ってくれる人なんていないだろう、と思ったから。
私の最初の印象は多分優しい。新しく入った後輩にも馴染めるようにたくさん話しかけるから後輩にも好かれる。頼られることも多い。
でも同期の中ではサークルでも学部でも余り物ポジションだし、頼りも甘えもしないからか先輩から可愛がられた記憶はない。
自分で言うのは…だけど所作は綺麗だと思うし、スタイルは良いほう。
顔は好きではないし、女の子らしいものも基本嫌いだから女らしさはないけれど。
だから割と普通と思うのだけど、多分根本的に私は好かれない。
動物には基本好かれるけども。
人に好かれることを諦めるのがいいんだろうな。
悲しいね。

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私が恋愛関係を持ったことがないことを分かってて、親に見捨てられないために努力し続けてきた過去を話していたにも関わらず、
どこかに出かけるみたいななんのステップも挟まないまま体の関係を求めてきて、
拒否したら"ならもういいよ、もう連絡しない"みたいな発言をする人間がろくな奴じゃないってことに。
"俺は優しい"と自分で言ってたくらいだから無自覚なんだろうけど、こうしないと見捨てるよっていう無自覚な言葉の裏の脅しで、無自覚に私の傷を抉り続けてたんだよ。
私を受け入れてくれるかもしれないなんて淡い期待を持って信じてしまった私が馬鹿だっただけ。
人は信じてはいけない。
自分には自分しかいない。

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でもさ、仕方ないよね。
奥底に封じ込めてた"そのまま受け入れて貰えることを望んでいる幼いままの私"は満たされてないんだから。
結果しか見ない親や先生、かつていじめてきたのに私の成績がいいことを知って態度を翻したクラスメイト、"あなたの頭は私達と違うから"って一線を引いて私と対等な関係であってくれる友人がいなかった小学校時代の環境で
その「小学校とかそれ以前の人間関係で身につけておくもの」が養われるわけないじゃん。
安定型になれるような両親と、無条件に好意を寄せてくれる友人や可愛がってくれる先生に囲まれて育ってきたやつが言わないでほしかった。
先に私の愛着に関する問題について伝えて、私の昔の話も親の話も全て話してて、それでもって言ってくれたから信じたのにね。
結局、相手は口で言ってたほど
愛着障害持ちと関係を築く能力も、頑張って治そうともがいてる私を待つ能力も、持ち合わせてなかったってことなんだね。

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幼稚園くらいから
・親が望む選択や言動
・奇数の友人関係が上手くいく立ち位置
とかやってきて
中3くらいから、疲れたのと感情コントロールに問題を感じたため"最低限以外人と関わらない"ということを意図的に行うようになった。
ちょっと前に初めて
"自分にはなんでも言ってくれていい" "思ったことはそのまま言って"と言ってくれた人がいたから、初めて[自分の意思を優先させる]ということを実行してみたのだけど
「私はこういう理由でこういう言動をした」
「私はあなたのその発言に対してこう感じた」
みたいなのを言っていたら
"考え方が悪い" "捉え方が悪い" "幼い" "もっとこうして" "ちゃんとして"
そればかり言われて、
自分の意思を尊重するって人には受け入れてもらえないことなんだなって、もういいやって思うようになってしまった。

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安全基地になってくれるような相手が現れてくれる人なんて限られてるよね
・人がそもそも余り近寄ってこない(私から話しかけないと私以外で話している)
・男が大多数の環境で、好きになってもらえるどころか遊びに誘われたことすらない
・高校からの友人は、1人を除いてみんな各々のコミュニティの人ともっと仲良くなっていていつの間にか疎遠
・時折自分の過去の欠片だけ話してみても一瞬で別の話題へと移っていき、聞いてくれそうな人すらいない
人間はそういう存在になってはくれない。
近付いてきてくれて初めて期待した人は、傷ついた過去のまま時間が止まってる部分の私を見せたら"考え方が悪い" "幼い" "過去と自分は関係ない、切り離して"とその私を受け入れてはくれなかった。
やはり人間は安全基地にはなってくれなかった
安全基地と言える存在になって1年も経たずに最愛の猫は行ってしまった(もう共依存だった気がする)
誰もいない

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もし行ってどうにもならなかった場合、行けば治るかもしれないという一縷の望みすらなくなるという状況が怖すぎて。

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現に寝不足でふらふらしてたり、それでもなお徹夜したり、低血糖症状が出てようやく何か食べたり、毎日ロキソニン飲んでたり
とかが日常茶飯事過ぎて
いざ休もうとしても目が覚めるし、休むほど精神状態は悪くなるし
やりたいことやろうって思ってもやりたいことが思い浮かばなくて何も出来ないし
やらないといけないことを探し求めて、何もなければバイト漬けにしてまでやらないといけないことを探し求めてしまう
休めないって結構重症だと思い始めた最近。
多分物理的に動けなくなるまで何かし続けそう

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「自分で自分を承認するしかない。周りにはそれを求められない」
ことを体感する機会があるべきだったのだろうと思う。
親に叩かれ続けて自由もなくて睡眠時間削って友達と放課後遊んだこともなくて、色んなものを犠牲にし続けた結果
社会的には評価されるかなりの高学歴を得てしまったがゆえに
かえって
「ここまでやらないとなんの価値も得られない、逆にここまで自分を追い詰めれば最低限の承認が得られる」
という無意識の刷り込みが出来てしまったと言える。
そして
休むことが出来ない、睡眠を削って無理をすればするほど気分は高揚し、自分を追い込むことをし続け、長期休みとかでやらないといけないことがなくなったら動けなくなる
という物理的にも精神的にも不健康すぎる状態が出来上がった。
さて、今からどうしろと…

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当人だってなりたくてなったわけじゃないし、なんなら自分でもどうにも出来なくてそれでもどうにかしようと頑張っていても、やはり嫌われる。
回避型の人と関わって苦しむ人がいるのは分かるけど、嫌なら相手が回避傾向あるの最初に分かった時点でさっさと引けばいいじゃんね。
ズルズル関係続けてやっぱりだめになったからと言って、全回避型に対して恨み言を言わないでよという感じ。
それでもその相手がいいなら腹括って待つ覚悟持ってくれよという気分。
回避型になるような環境要因がなかった人は、ただでさえ苦しんでそれでも努力してる当人たちに追い打ちをかけないでほしい。
自覚があるから人と深く関わらないようにしていたにも関わらず、距離感皆無野郎にずけずけと入ってこられて信用してみようと努力したにも関わらず
私が全て悪いみたいな言い方をされて無理になってフェードアウトで縁切ったやつがいる身として思う。

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夜は枕投げとかして
隣の人が寝相悪すぎて蹴られたり
トランプやって大笑いしたり
室内で鬼ごっこして怒られたり
なぜ成長するとこうできなくなるんだろうか…
枕投げやりたいな

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普段は歩くのが好きで、よく写真を撮り、勉強ばっかりしている動物大好き人間で
常にうちの猫かわいいと思っているような単純な人間だったりする

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私の認識は
相手が最もダメな状態とか弱ってる状態のときに、それを受け止めて寄り添うことだった。
相手がその状態であれば、自分がそのとき忙しくても優先するというか時間を惜しまない。
実際、向こうが"自分は定期的に鬱状態になる"といって実際そうだったとき、相手が私にどういう接し方をしてほしいのか、どうしてほしいのかを聞いたうえでそのようにした。
勉強で忙しいタイミングだったけど、勉強時間も睡眠時間も削って話を聞いた。
そして、話してくれて良かった、ありがとうということも伝えた。
でも向こうの認識は
もっと日常的な毎日電話するとか、物理的なスキンシップをとるとか、一緒になにかするとかそういうことだった。
そう考えると、うまくいかなかったのも腑に落ちる。
私は日常生活ではあくまで学業や他の活動が優先でありスキンシップも興味なかったからあまり応じてこなかったし、
向こうは私が愛着障害を引き摺って苦しんでるときに"それは考え方や捉え方が悪い" "幼い"と切り捨てた。
それで当然お互いに、"自分は相手を大事にしてるのに相手は自分を大切にしてくれない"と思っていたのだから。
これを話していたら良かったのかもしれないけど、今更どうこうする気はない。向こうは自分が正しいと思ってるタイプだから変革は望めないし。
結局合わなかったということなんでしょうね

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大学に入ってから思っていたこと
"環境が恵まれているのかについて"
幼稚園のとき、勉強が出来なかったりなにか間違えたりすると"出てけ"と言われ、泣いていたら"なら私が出てく"と母はいつも出ていった。
小中学生のとき、勉強が出来なかったりなにか間違えたりすると叩かれた。叩かれない日はなかった。牛乳とか味噌汁とか紅茶をかけられたり、置き時計とかコップとか投げつけられたり、椅子ごと蹴り倒されたりもよくあった。
出来ないと教科書を破られたり、好きだった工作は目の前で全ての道具を捨てられた。
小学校高学年のときは、"私が食べさせるから/髪乾かすから/歯を磨くから全ての時間を勉強に充てろ"と、自分でご飯を食べることすらも許されず自ら動く自由はなかった。
100点じゃなければ夕ご飯がなくなった。
高2になってようやく与えられたスマホはほとんどの機能が使えず、履歴も位置情報も全て親が監視できるようになっていた。
ずっと勉強しろと言われ続けて、放課後に友達と遊んだことすらなかった。
保育園なかったらあんた死んでたね、と言われた。
イヤイヤ期も反抗期もなくて楽だった、あったら無理だったと言われた。
子供は嫌いだけど体裁が悪いから産んだと言われた。
なにか出来なかったとき、育て方を間違えたと言われた。
叩かれたくなくて、必死に勉強した。
勉強が出来ないといけなかった。
見捨てられるのが怖くて勉強した。
そうやってずっとずっと勉強し続けて、難関と言われる国立大学に入った。
そしたら人は、
"あなたは環境が恵まれていたのであり、全て自身の努力によるものではないと自覚しなさい。" "環境に感謝しなさい"という。
有名だよね、上野千鶴子さんの祝辞とか。
正直ふざけるなよと思う。
貧困かつ親の虐待とか、自分よりずっと大変な人がいるくらい百も承知してる。
でも何も背景を知らない人が、大学名だけを見て恵まれてるなんてよく言えたもんだなと。
金銭的には恵まれてると思う。
小中高全て私立だし、塾もずっと行ってたし
バレエとかバイオリンとかお金かかる習い事もずっとやっていた。
はたから見れば子供にしっかりお金をかける良い親。だからこそ余計に理解されない。
世間的に金銭的に恵まれているから、誰も助けようとしてくれる人はいない。
"あなたは恵まれてる"と言われるたびに、私が受けた暴力もネグレクトも過干渉も
全て"贅沢なわがまま"かのように片付けられていると感じる。
目に見えるような物理的な豊かさは社会で考慮される。色々な制度とか累進課税とか。
でも精神的な部分で恵まれていたのかは、社会ではあまり考慮されない。

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でも与えたいと思う対象は、いつも弱ってたり苦しんだりしてる人とか、自分より大丈夫ではない人たち。
そして多分その背景にあるのは、
・役に立つことで自分の存在する理由を感じられる
・自分が必要とされていると思える
・私がいないと駄目な存在がいることへの喜び
こういう自分のための理由
自分より大丈夫な人、私がいなくても問題ない人、そういう人たちに対して与えたいという感情は起きない。
人に期待しないようにすると考えると、人と関わる理由がなくなる。
与えたいと思う人がいて、でもその人が私より大丈夫になったら私は関わりを放棄してしまう。私がいなくて大丈夫になったら、与える理由がなくなるから。
そして世話を焼くことができる次の人を探す。
自己投影でしかない。
だから結局私は救われないし、いつかキャパの限界が来ると分かってる。
自分の価値のために与え続けても、いつか自分の価値を作ってくれる人は居なくなるから。
・自分で自分に価値を認めること
・見返りを求めずに、自分がしたいからという理由で人になにかをすること
・人に期待しないこと
これが大事と分かってる。
ただただ私に与えてくれる人がほしい。
でもそれを人に期待することをやめたら、人と関わる理由が消える。
とはいえもし何もしない自分に価値を見出だせたとしたら、今度は人に与える理由が消える。
私はただの冷たい人間になってしまう。
なら、どうすればいいの?
分からない。

よる
・頑張るから受け入れて
・一生懸命やるから愛して
・ちゃんとやるから捨てないで
というのが根底にあるって書いてあったけど、まさにその通りだな〜と思うこの頃。

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与えられたければまず自分が与えないといけない、とよく言うけれど
本来なら無条件の愛情をくれるはずだった親がそういう存在ではなく
ずっと父親の悪口を言う母親を見続けたり
自分ではどうしようもない理由で人から距離置かれたり、外部評価が入ったことで人の態度が180°変わったのを目の当たりにしたり、3人組で常に余り物だったり、最も仲良い友人にとって私はそうでもない存在という経験を繰り返したり。
こんな感じだったため、自分から与えるということが怖くなってしまった。
でもこれじゃ駄目なんだよね

よる
他人に対して感情を持たないようにして…
猫とか動物と一緒にひとりで暮らす、あるいは犬猫連れ独り身どうしのシェアハウスくらいの距離感で生きてこうと思ってたのに、
突然やってきて人の距離感を無視してずけずけと踏み込んできた奴のせいで、封じ込めてた"人に大切にされたい欲求"を自覚することになってしまい
腹立たしい感情すらある

よる
"そんなこと言ってない"
"そう捉えてしまう受け取り方が良くない"
"幼い"
"こういう反応になると決めつけて何も言わない私が悪い" (決めつけではなく今までの会話に対する反応から判断したんだけどな…)
"そもそもそういうことを自分に言わせてしまう態度をとる私が悪い"
みたいに全て私が悪かった方向に話を向ける。
そして私がパンクして連絡を絶った。
多分向こうは本気で自分は正しいと思っているから悪気もなくて、本気で私が良くないと思ってるから
向こうは私が突然フェードアウトした酷い奴だと思ってるんだろうな

よる
親に愛されてのびのびと育ち周りにも可愛がられて、モテるタイプの恋人が絶えなかったような人と
不仲な親を見てきて、親から毎日叩かれてずっと顔色を窺いながら生きてきて、
3人組の人間関係では常に余りもの
1番仲良い人にはいつももっと仲良い人がいて
私が相手を思っていたほど相手は私を思っていなかった、
みたいな経験ばかりの私
自分は好かれるものと思っている向こうと、
悲しい思いはしたくないからそもそも人付き合いを避けていた私が、お互い同じ程度の熱量を注げるわけがなかった。

よる
でも、私は相手に恋愛感情を持っていないことを伝えたうえで、それでもいいと言われたからOKしたのだから
私が相手に同じ感情を返せないことは向こうも最初から了承済みだったはずだから、これについてはどうしようもなかったね

よる
今まで一度も好きとか言われたことなくて、自分のことを好きになってくれる人がいることが嬉しかった。
あとは、私を好きになってくれるような人はもう今後現れないかもしれないと思った。
こういうのが良くなかったんだね。
自分が自分のことを好きでなければ、人がいたところできっと満たされないまま

よる
全てスマホ
#空の写真







よる
回答数 86>>
小学校時代いじめられたときがあった。
低学年の時、ほぼ全指にいぼができて気持ち悪いもの扱いされ、私が近づくと皆離れてく。私が触ったものに触れない。
学校行きたくないと朝泣いた日もあったし。
これはクラス替えとともにおさまった。
でもその後、仲良い子と2人でいたらそこに1人加わって、3人組が2:1になるときの1になった。色々あってメンバー変わっても同じことの繰り返し。私はいつも3人の余る側。
私の学校は塾通ってた人多かったけれど、私もそうで私が一番上のクラスにいると知った途端いじめっ子筆頭が態度180°変えた。
そいつは学年一の問題児で、学歴至上主義で自分より成績の良い人のいうことは聞くやつだったから、そいつを制御するために私はずっと同じクラスにされた。
そしてクラスメイトからも"あなたは私達と頭が違うから"と線を引かれ、純粋に仲良くなれる人は殆どいなかった。
そんなことがあって完全に人間不信だった。
中学時代はいじめ側になった時もあった。
全て1対1で、ただ無視をするとかだった。
ひとりは当時私と仲良かった友人との間にいきなり現れた。小学校時代3人組でいつも余り物になり続けたからもう1人になりたくなくて、その子が自ら離れていくまでその子を無視し続けた。
もうひとりは、小学校時代クラス一緒にされ続けたいじめっ子に目が似てて怖かった。やる側にならないとまた私はいじめられると。
冷静に考えたら同じ人じゃないのだからそんなことないのに、その理性が働かなかった。
あと私は幼稚園の頃から母に叩かれない日がなかったから、その抑圧された部分が出たのだろう。
両サイドになって思うのは、本人に闇とかトラウマがあってそうなるんだと。流される周りの人はそうでもないけれど、最初とか筆頭の人は間違いなく精神的な問題を抱えてる。
それが分かったから、私は自分をかつていじめた人を恨んでない。むしろきっとその人もそうなる環境要因があったのだと思うし、願わくばその環境を乗り越えて幸せになってほしいと思う。
でも世の中は加害側に1度でもなった人を永遠に許さない。だから私はずっと許されない存在なんだろう。
今、私は愛着障害を乗り越えようともがいているけれど、自分は幸せになってはいけない存在なのかと時々考える。

よる

よる
最初は優しいと言われるし、後輩には基本好かれる。
これなのか…
でもこれを取ったら私の性格はどうなるんだろうか?

よる

よる
回答数 72>>
信じることによって自分を救おうとするもの
なのかなと、一神教を信仰する人を見ると思う。
個人的には、日本の昔ながらの"八百万の神"みたいなのがしっくり来る。
ただ、いるもの。
何かをしたりするわけではなくただそこに存在するもの。
そして付喪神みたいに、思いによって生み出されるものも。

よる
色んな人の考えを見てなるほどと思って更に思考深めること
この2つが出来るこの緩い空間、結構楽しいね

よる
回答数 103>>

よる
回答数 329>>
肉体は消える。精神は…分からない。
脳は体の一部だから消えてしまうけど、何らかの手段で記憶は残るのかもしれない。
生まれ変わりを真面目に研究してる人がいて、そういう事例もある
でもこれが生まれ変わりなのか、
強い強い記憶や感情が容器(肉体)を伴わずに暫くの間存在できて、ただ新しい容器へ乗り移ってるだけなのか。
これは分からない
あってもなくても、いずれその時が来たら分かる

よる
回答数 199>>
あとは誰も知らない心の中で考えてることを書く場所として。

よる
