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哲学

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ちなみに「マグニフィコは悪者じゃねえだろ。ウィッシュ駄作。」みたいな意見も理解の放棄寄りの意見だから、「あくまでこう思います」くらいの感想を持てるようでいないとまあ危険思想に足突っ込んでる。他文化批判はダメだって言葉上では知ってるのに無意識に批判はしちゃう人多いよね

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あの作品ってニーチェの思想である「既存の価値観を壊して自己の価値と正義を再構築する」って部分が作品全体の解釈としてできると思うんだけど、ニーチェってそもそも社会構造とか格差という概念は軽視してた側だからヒロアカみたいに「善悪の価値観って壊して新たに想像できるけど、それをやれるのは力を持つ者」っていう結局は「強さ=正義」としか言えてない作者の力量不足的なとこがあって、その中で加害者側の爆轟とかエンデヴァーみたいなキャラが出しゃばったらそりゃ後は読者の感性に任せるしかなくなるわけで、要はヒーローこそが正義の中枢っていう一方的な価値観の押し付けを拭うことまではできてなかった。
もっとこうバットマンみたいに絶対的正義の象徴じゃなくて価値観同士の衝突みたいなヒーロー作品にしてたら爆轟っていうキャラにも逃げ道はあったのかなって

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徽宗っていう宗の時代の皇帝が描いた花鳥画が元ネタなんだけど、あえてバイソンって北米を代表する生物をモチーフにすることで文化とか伝統が本当に絶対的なものなのかどうか問われてるし、あえてタイトルに907年って記すことで過去のことでも芸術では蘇らせられる事を物語っている。
あえてアメリカの歴史的な建造物じゃなくてバイソンっていう自然そのものを置く事で「文化は固定されずに揺らぐけど自然は歴史を再演できる」っていうメッセージがあるように感じられる。
文化って本来正解の形なんてないのに「これが正しい」って無理やり整えられた形で保管したつもりになってるけど、その不確定さ故に国とか国境という枠を関係なく飛び回って、音楽も宗教も食文化も平気で他所様の自然に溶け込む事ができて。この絵はそれを綺麗に可視化させることで、違和感があるはずなのに全く違和感を感じさせてこない。
あくまで俺が見て勝手に思った哲学視点だけど、芸樹ってマジで余白を遊び尽くす最強の存在だと思う


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逃走、戦闘は必要になった進化の路線がわかるけど防衛だけは納得が難しい。
「ヤバいから逃げる」「腹減ったから武器手に入れる」じゃなくて「ヤバい状況を作らないようにする」「ダメージを最小限にする」
これって認知・予測・計画を含んだ知能的な副産物に感じる。ちなみにここでいう防衛本能って「体の硬さ、毒、擬態、棘」みたいな物理的オートガード機能じゃなくて、脳で判断する防衛本能のことで、人間の文化ってつくづく生物の持ち合わせている本能から進化してきたものばかりだと思っているから、進化元のない防衛本能が穴だらけなのって人が本質的にそこに熱量を帯びてないからなんじゃないかな、とか

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「身体的に〜」「生物学的に〜」っていう人は確実にいるだろうけど、それは外から見た特徴を勝手にカテゴリに当てはめただけで、存在そのものの本質はそれとは関係ない。存在の本質ってそもそもは観測者は一切決められず、本人の脳内でしか定義できないものだからね。
当然法的、社会的には否定されるけど本質を覗けば「自分を何者か定義するのは当人の自由領域以外の何でもない」。それでも「女性用トイレに自認女性が入るのはちょっと…」って意見は当然あるし、それって「自認」を否定してるわけじゃなくて結局社会構造はどれだけ「自由に生きていいよ」って言ってても社会自体がそれに耐えられるほど柔らかい構造にはなっていないから。
内側の自由は無限に広がるけど外側の社会が有限で窮屈だから、このギャップが「生きづらい」って感覚を作り出す。俺が自認アザラシの赤ちゃんを認められないのも社会は「人として扱うためのルール」以外で動いてないから。
自認の自由と社会の安全を両方守るのってかなり難しいけど、不可能ではないギリギリのラインを人類は常に試行錯誤してたりするんだよね

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でも重要なのは、「感情を傷つけられた」=悪、ではないしどう転んでも悪にはならないってことで、
「自分がされたら嫌だ」「痛い思いをした過去がある」「裏切りは許せない」っていう個人的情動を社会的に強そうな言葉でドレスアップさせてるにすぎないんだよね。
要は「不倫は文化」。不倫をしないのは人間の持っている「理性」の部分だけど、理性って結局は人が自分を守るための嘘みたいな物で、欲望とか衝動とか孤独っていう本来生物なら誰でも持ち合わせてるものが実際の「恋愛」の主役部分だったりする。ここで言われる文化って「今この時代の」文化じゃなくて「人類ってずっと不倫してきたよね」っていう意味の文化。不倫がなかったらシェイクスピアの詩もギリシア神話も描かれることはなかっただろうし、文化っていうのは結局のところ人間の矛盾を無理やり折りたたんだ雑な折り鶴みたいなもんだから、不倫は善悪以前にそもそも初めからそこにあった物でしかない。
突き詰めれば倫理とは関係なく、人間の情動処理の問題の産物=不倫なんじゃねえかと。知らんけど

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見えない世界は怖いからせめて自分の立ち位置は見える位置に固定しておきたいっていう防衛本能で、本当の意味での現実逃避。それでもおそらく世の中多くの人は自分が中心にいるっていう無意識の自覚を持っている。
世界って、未来とか他人の心とか因果関係とか全部完全に「揺らぎ」でしかなくて、とりあえず「俺、僕、私etc」っていう仮の杭を打つことで自分を保とうと頑張るけど、結局は自分を中心に置くことで世界の揺らぎはさらに増すっていうループが起きているに過ぎないんだよね。しがみつかないと沈む気がしてるだけで、世界に沈む場所なんて最初から存在していない。
イマヌエル・カントは「人間は自分の認知の枠でしか世界を捉えていない」と言ったし、ニーチェは「人は弱くて自分の恐れから意味や中心をでっち上げる」と言った。ただ、結局はその言葉たちも人間という揺らぎに耐えられないがために作り出した「仮設の壁」でしかなくて、結局哲学者や数学者や心理学者たちまで揺らぎの上にしか立っていない。ハイデガーの「不安」も、デリダの「脱構築」もぶっちゃけ貫通出来ちゃうよね

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脳が「前進の物語」を描くから前に向かってる気がするだけ、「下降の物語」を描くから下に行っている気がするだけ。世界の方向性を決めつけてるのは人間がそうしたいからそうなってるように見えるだけで、方向なんて初めからないよね。
人の思考も、深く掘ってるつもりで同じ風景を別角度から見てるだけ。角度が変わるから深いと思うだけ。深いと思うからさらに上に行ったり下に行ったりしようとするだけ。結局は無限階段を行ったり来たりしてるだけで、構造は初めから何も変わっていない。
「どうでもいい」←これ思った瞬間が実質出口に思えるけど、脳って基本的に「どうでもいい」には到達できない様にできてて、だから本当にどうでもよくなった瞬間無限階段の全体像は見えなくなる。ただ、理解しないこと≠存在しないことであることは忘れちゃいけなくて理解の放棄とは「無限階段は左に向かってるんだよ」っていうアホみたいな回答してるのと同じこと


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光(成功、自由、チャンス、自己実現etc)を目指すと同時に闇(格差、競争地獄、孤独、自己責任の押し付け)っていう夢の副作用も同時に生まれるっていう二元論こそがアメリカらしすぎる思想(ヒーロー神話とか)で、突拍子もなく何かに挑戦したいとか人生に劇的な変化がほしいとか現実の慎重モードをぶち壊してみたいとかその感覚があるからこそその先にあるかもしれない「破滅」さえロマンがあって、アメリカンドリームを扱った小説にはそういうグッドエンドではないかもしれないけど夢と現実は紙一重に存在して最後は二つが重なるっていう瞬間があるから人間の「夢に酔いたい欲」を満たしてくれるんだよね多分。
俺みたいな人生ほどほどでいいよねくらいの人にはそれで十分すぎる、って思ったけどこの衝動買いもプチアメリカンドリームしてたりする?

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また、慢心は人を「理解できるもの=世界、理解できないもの=誤り」っていう独裁的な構造を作り始める癖があって結果科学こそが真理の唯一の道だと思い込み始める危険性があるし、その上「限界」の存在を自覚しないと学問の進歩はそこで止まる。少なくとも、創世記や天動説の時代の科学者たちはその学問の穴に気づいていたおかげで新しい学問の存在に気付いたわけだからね。
世界という『ドーナツ』は初めから完璧で、間違っているのは人間の思い込みの方

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力を持った勇者側の人間がやるべきことは「魔族と人間の共存の交通整理」であって、そのためにまず「人間側にもめちゃくちゃ強い奴いますが?」ってことを両陣営に見せつける必要がある。倒して終了〜なんてことしてたら一生何も成長しないよ。
悪が消えれば世界平和ってことではないし、そもそも悪と決めつけるそのやり方こそが人間側の最もドス黒い悪では

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①ポジティブに生きよう=ポジティブ絶対主義
②個性を出そう=同調圧力
③自分らしく生きよう=自分らしさを定義しろっていう押し付け
④固定概念を壊そう=壊すべきだっていう固定観念
要は全部レッテル貼りで概念の暴走でただの構造ミス

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なんで後世でそれを洞察力がある〜やら観察眼が鋭い〜やら言うのかというと、単純に「みんな分かってなかっただけ」。ダーウィンもガリレオもニュートンもエジソンも新しい世界を作ったわけではなくて、持ってた道具(道具・視点・胆力・好奇心)で雑誌の袋の封を切ったにすぎない。
象に興味のない人ほど元からある情報でしか象を語れないし、なのに異様なほど評論家ぶるのは情報を見つけるフィルターを完全に閉じてるから。逆に興味ある人は象の足一本だけで永遠に語れる。象に興味ない人は象について語るべきではないし、世界に興味ない人は世界について語るべきではない。
トーク力って言うのもこれに繋がってて、人って視点が狭いと物事に興味を持てない仕様になっているから、会話が続かない。興味があれば「これを話したい」って言う燃料にもなる。ちなみにここで言うトーク力って、何も口で会話することだけじゃなくてスタンプ、投稿、顔文字、画像、短文、長文全てにおいて現代ではそれらを「トーク力」と言うことができる。むしろコミュニケーション=口で会話することって決めつけてるのは昭和世代からアップデートできてないんだよね。
現代って、誰かに何かを伝える方法は無限大にあるんだから、大事なのは何かに興味をひたすら持つこと。持った瞬間世界は無限に広がる

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いつの時代の学者も全員が正しくて全員が不正解っていうのを歴史では常に繰り返してて、なぜ繰り返すかっていうと答えに実態は存在しないから。200年前に「人は神に作られた」って言ってた人たちも、今「宇宙はビックバンから生まれた」って言ってる人たちもどちらも正しかったからね。
ブラックホールの特異点も、時間と空間の不確定さも、観測しないと位置が決まらない粒子の動きも細かいとこまで説明しようとすると「説明できなくね?」ってなる。理由はシンプル、言葉とは道具として小さすぎるから。
宇宙を完全に理解することは不可能だと思うけど、宇宙を捉え続けることはできると思うし、それこそがロマンって奴なんじゃないすかね、とか思ったり。しらんけど

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ただベビーカステラだけは本体(親)から継承されてるのせいぜい色合いと「甘い」っていう要素だけなのが派生語として成立しないし、分類学・言語学・文化論を無視して横断してるのがかなりモヤモヤする。
「ナポリタン」はまだいい、ナポリになんかそれっぽい「タン」をつけたにすぎないから。ただベビーカステラだけは認めない。系譜を名乗るなら実体を伴い、伴わないなら最初から別名で独立してほしい。

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①争いの火種の分析
②利害の衝突の調整をする交渉
③相手が武力を持っている状況でどう安全を保証するか?
くらいの要素を全て考えた上でもまだ戦わざるを得ない国もあるし、テレビ見てて「喧嘩こわ、平和に生きよ」は流石になんというか、せめて家庭内の喧嘩レベルの平和に留めとくべきよ。いうのは自由だけどそれで感情的になるのはおかしい

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他文化が寄り集まってるアメリカ辺りなら多様性への理解も早かったりするけど、基本的にどの家庭も生活スタイルの軸が同じで他の家庭と比べたがる日本みたいな国だと理解に悩むのも仕方ない気がする。
「1 on 1じゃない恋愛なんてやだ!」なんて単純な話じゃなくて、「関係性をどう設計するか」っていうもっと根本的な人間社会の思想に繋がってくる

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安定してきたら次は、本来は死なない為にしていた「食べる」に余分な余白部分であるはずの「味付け」をし始めた。多分それって生存には関係ない悪ノリとか遊び心だった説あるすね知らんけど

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「善悪」っていう虚言を暴く存在だからめちゃくちゃ魅力的なんよね知らんけど

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自分の持ってるイメージから外れること=間違いっていう、自分の安全圏から外れるようなことに足をつっこみたくないという偏見とか差別寄りの考え。
結局、法律側の人間も法という人間の作り出した「善悪」ルールの下に生きてる時点で差別主義寄りなんだよね

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安心したい=知らない世界が怖い
怖い=本心が丸裸のままじゃ生きられない
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これ人間が言葉持った故の宿命ね
「善い悪い」「正しい正しくない」結局こういう風にわけていかないと不安になるから。やってることはヴィクター・フランケンシュタインとなんら変わりなくて、差別やら偏見やら人間が光を当てたことで生まれた闇の部分を更に卑下にしたことで倍になって返ってきたに過ぎない

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その人に下心で近よってくる人も「足りてない部分が多い欠点だらけの自分」を受け入れてくれる優しい人だと勘違いしているだけ。
恋愛経験多い人ほどパートナーが悪い傾向にあるのってそこにある。

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構造知らないのにやたら物を嫌う人ってひたすら性格悪く見えるからね。相手を尊重する姿勢が見えない人は他人から好かれないよ

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下半身がない=○的な行為は成立しない、っていう存在なのにそれが逆にその言葉の概念を増幅して存在感を増やすっていう所謂「リミナルスペース」の擬人(?)化。
「ない」って言葉は、存在しない部分にこそ存在するもので、日本人の美学で有名な「侘び寂び」の本丸はそこにある。壺が欠けてれば、その「欠け」が美しい。水墨画の余白の白い部分の美しさ。余白を愛する民族だからこそ存在する美学。
完成している=安心、不完全=無関心っていうのが人間だから、テケテケの「半分だけの身体で完成品」っていう存在は人間の情緒をめちゃくちゃくすぐってくる。怪談や百物語もそうだけど、美と恐怖っていうのは常に地続きだから人はホラーを恐怖しながらも目を離せないんだろうね。

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ある意味仏教における涅槃ってこれのことで、「外界の評価、騒音が溶けて、自分の中心だけで世界が回りだす」状態そのまんまだから、ピンク好きな人はマジで自分に誇り持って生きていい

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日常の一瞬=宇宙の断片。過去の瞬間、痛みの残像、思考の余韻、プロフィールによる永続性。これ全部宇宙の揺らぎ。つまり俺の左手親指は銀河系が広がってると言っても過言ではないよね知らんけど

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つまりこれって差別や偏見の基盤に繋がる話で、「認知のズレが生む偏見の構造」を子供に植え付けてることになる

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その上「人を○ったらアウト」ってローカルルール勝手に作って自然界にキレてるのってもう虫タイプがドラゴンタイプにタイプ相性説いてるようなもんだよね。

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「昔は大型犬しかいなかったから、チワワみたいな生き物は幅広い視点で見れば犬だけど歴史的に作り上げられた『犬』という像には当てはまらない!」って言ってるようなもん。アホかお前ってなるでしょ

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知識を得て神に近づこうとした時点で人間の生み出した倫理なんて置いてかれて当然だし、善悪どうこうの前にすでに「正しさ」は持て余されてたんだと思う。
「正しい」とか「進歩」は必ずしも良いこととは限らないけど責任だけは何があっても背負わなきゃいけない。光があたれば影ができるけど、それはただ我慢して受け入れなきゃいけないものじゃなくて、希望という光を現実化した象徴になる。

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