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あなたの個性を表す3つの形容詞を教えてください。あなたの個性を表す3つの形容詞を教えてください。
怠惰 悲観的 俯瞰的
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「自分の存在意義とか求めなくてもいいんじゃね+アルファ」

今日は少し肩の力を抜いて、最近僕が純粋に感じたことを書いてみようと思う。

僕はGravityの中でよく相談枠を開いている。
その理由はシンプルで、人の話を聞くのが好きだし、誰かの話を聞く中で自分自身の悩みや人生のヒントも見つけたいと思ったからだ。

そうしていろんな人の話を聞いてきて、ふと気づいたことがある。
みんな、少なからず「自分の価値をどこかに見出したい」と思っている。
誰かに認められたいし、愛されたい。
それは人間としてごく自然で当たり前の感情だと思う。

でも現実はどうかというと、みんな自分のことで精一杯。
社会だって、ほんの一部の「成功者」と呼ばれる人たちが特別扱いされるだけで、多くの人は日常の中で孤独を感じながら生きている。
どんなに能力があっても、どんなに努力しても、この時代に孤独を感じるのはむしろ必然なんじゃないかとさえ思う。

だからこそ、人は他者を求め、自分の居場所を必死に探そうとする。
けれど現実は、そう簡単には満たされない。
そしていつのまにか、求めても得られないループにはまっていく。

じゃあ逆に考えてみた。
「他者の存在なしに、自分だけで存在意義を確立できるのか?」

理論上はできるような気もする。
だけど、僕の結論はこうだ。
一時的にはできても、持続的には無理だと思う。
僕たちは社会の中で生きている以上、どれだけ「自分軸」を持とうとしても、必ず他者の存在に影響されるし、「誰かに必要とされたい」という欲求は消えない。
完全に自分ひとりで存在することは、この現実世界では難しい。

そこでひとつの考えに行き着いた。
「じゃあ、いっそ存在意義なんて捨てちゃえばいいんじゃないか?」

これは絶望しろって意味じゃない。
もっとシンプルに、生きるために生きるという選択肢。
動物は生きるために動き、植物は根を張り、光を受ける。
存在意義なんて考えるのは人間だけだ。
だったら、無理に価値を証明しようとせず、目の前のことに集中する。
それだけで充分じゃないか、と。

そしてもし、それでも誰かに受け入れてもらいたいと思うなら、まずは自分が相手を受け入れること。
他者を受け入れ、理解しようとする姿勢があってこそ、自分もまた自然と受け入れられるようになる。

存在意義を探し続けて苦しくなったときは、それを一度手放して、ただ目の前のことに集中する。
ただ生きて、ただ今をちゃんと味わう。
その繰り返しの中で、いつの間にか自分の居場所も、人との繋がりも、自然とできていくのかもしれない。

最近はそんなふうに考えながら、生きている。

ここまで見てくれてありがとう。 貴方の人生に幸福がありますように。
#哲学 #人生 #幸福 #生きること #存在価値
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何を目的に生きていますか❓何を目的に生きていますか❓
いい質問ですね。 めちゃくちゃ抽象的になってしまうのですが、なるべく幸せだと思いながら死んでいくためです。
だから具体的に人生の目的とかはあえて決めずにいます。僕自身が飽き性なのと、結局その瞬間でやりたいことや価値観も変化すると思っているので。
まあ敷いていうなら今の眼の前の本当にやりたいことをとにかくやる、それにつきますね。
まあでもあえて目標とするなら、なるべくゆっくり生きることでしょうか。
正直ものに対して人よりこだわりない方だし、多分最低限生きることができれば、それなら考えたり本を読んだりしたりする方に時間をさきたいです。
社会的に成功するのではなくて、生きてく最低限だけ仕事したら、あとはゆっくり生きるが常に目的としてることですね。
とはいえ人生苦痛なことのほうが多いので、だからそこ力抜いてちょっとふざけてる感じで生きてた方が楽しいですね。
適度に適当を繰り返して、最後はなんかよくわからんかったなっていって死んできたいですね〜

#哲学 #人生 #適当に #社会不適合 #幸福
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AIによる管理社会はユートピアなのか


現在、僕たち人類は過去に例のない「知性の転換点」に立っていると感じている。
長い歴史の中で蓄積されてきた知性の果てに、僕たちは自ら思考するAIという異質な知性を作り出した。

SNSのアルゴリズムを筆頭に、これからの未来、僕たちの欲求も行動も完全にスコアリングされ、生活の方向性や関心に至るまでAIの手の中に落ちていくだろう。
だがそれは決して悪いことではない。
文明の発展の歴史を振り返れば、人類は常に少しずつ「自分の選択肢」を社会に委ね、管理されることを受け入れてきたからだ。


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社会と人類の共依存関係

そもそも、僕たち人類はなぜ社会を作ったのだろう?
なぜ宗教を作り、神という概念を生み出したのだろうか。

それは人間が社会的動物であり、「社会ありきの人類」「人類ありきの社会」という共依存関係が生まれたからだ。
動物が生きる理由は、突き詰めれば自己保存のため。つまり「生きるために生きる」ことだ。

しかし人類は言葉を話し、本を書き、自分の考えや感情を記録・共有する術を得た。
これが文化や思想を生み出し、個の保存を超えて集団の維持と発展を優先する生き物へと進化させたのだ。

それは哲学者や天才だけの話ではなく、例えば親が子に安定した生活を願う行為も、同じように文化や価値観の保存と継承だと言える。


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AI管理社会の到来と人間の生き方

さて、ここからが本題だ。
現代の僕らは社会という制約の中で生きることを強いられ、その中での競争や消費を繰り返すことで文明を発展させるループ構造にいる。

これからの世界では、さらにAIによる管理が進み、僕らの欲望や生き方の選択肢までもが最適化され、社会に握られていく。
便利になる部分も多いだろう。健康状態の管理も、服選びも、さらには職業やパートナーまでも「最適解」が提示される未来が来るかもしれない。

けれど、それは本当に幸せなのだろうか?

自分で選んでいるようで、実は選ばされている。
生きがいすら計算の中で決められてしまうなら、どれだけ便利でもそれは人間としての生き方とは呼べないのではないか。


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今、僕らにできること

もちろん、そんな未来も避けがたい現実として訪れるだろう。
だからこそ、僕は今、自分の意思で生きることを大事にしたい。
考えられる範囲は自分の頭で考え、自分の欲求や生き方を問い直しながら生きていこうと思う。

結局のところ、どんな時代でも僕らにできることは変わらない。
「自分の頭で考え、自分の意思で生きる」
それだけだと思う。



ここまで読んでくれてありがとう。
これを読んでくれたあなたに、ささやかでも幸福がありまますように。 


#哲学 #人生 #幸福 #未来 #社会

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占いは信じるタイプ?占いは信じるタイプ?
過信はしませんが、単純にロマンとして好きですね。
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好きな言葉は❓好きな言葉は❓
「誰にも敵などいない  トールズ 」

ヴィンランドサガという漫画のトールズというキャラがゆっていた言葉です。
個人的に人生の教訓にしている言葉ですね。
人間は誰しも自分自身を大切にする思いから、どこかで相手より優れていたいって気持ちが出たり、上手く言ってる人を妬んだりする瞬間があると思うんです。
僕もしょっちゅう嫉妬してるし、すぐになんで自分ばかりって思いがちです。
でも本来は優劣もあらゆる価値は人間が決めたものに過ぎない。あるいは社会の中で有利になる仕組みのせいで追わざるを得ない状態になってるだけなんですよ。
だから本当は誰かと争うことにも意味はないけども、本能がそれを許してくれない、本当に人間て不条理な生き物なんですよ。
でもだからこそいかにして相手を傷つけずに対話するか、他者をありのまま理解する気持ちが大切なんだなって思います。
それは自分自身もそうだし、他者だってお互いの共感なしに幸福にはなれない。
そういった意味でこの言葉は僕にとって人生で一番重要な意味合いだとも思っているんです。

さてここまで見てくださってありがとうございます、見てくれた貴方に幸福がありますように。

#哲学 #人生 #幸福 #ヴィンランドサガ
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質問募集中!

質問募集中!

私に質問してくださいね。

「何故人は他人のつくった価値観に対して、過度な愛着を持ってしまうのか。」

最近ネットを見てると、前にもましてコメントなどの言い争いが増えたのではないかと思うことが多くなった。
その原因は色々あると思うのだが、結局は価値観の違いによって生じてるものがほとんどだ。
だがふと考えた時に少し疑問が湧いたのだが、そこまで自分の価値観について言い争う必要は果たしてあるのだろうか。
自分の価値観といったって、結局は誰かのこと言葉だったり、自分の尊敬する人間、あるいは最近では押しのアイドルなど、あくまで他人が築いた価値観を自分の価値観として取り込んでいる場合がほとんどだろう。
元来人間とはそういうもので、先人達がつくって来た社会的なルールや法則性を受け継いで僕ら生活をしている。
つまりは僕ら人間は、他者の存在ありきで自分の価値観を成立させているのだ。
でも逆にいえば価値観が自分自身そのものから出来上がったものではないとしたら、それに過度に共感してストレスを抱え込む必要もないと思うのだ。
何か自分の意見と反対の意見があると過度に反応して、言葉のナイフを切りつけるコメントをしてしまう人がいる。
でもそもそも価値観=個人を尊重するものという法則が存在しない以上、それは貴方自身を否定したものではないし、それに傷つくのはもったいない気がする。
何かを信じることは人が生きる上で確かに重要だ、だが理性的に見ればそれに囚われる生き方は本当にもったいない。
価値観は自分自身そのものではなく、あくまで自分の存在を社会や他者などを通して、肯定した気になる為のツールという側面を理解しなければならないと思う。

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「もし言葉のない世界なら愛とは果たしてどんなものなのか」

前回僕は言葉とゆうものについて少し考えを書いた。
言葉とは世界に区切りを入れて物事を認識するためのツールであり、知性や新たな概念の根本を理解するめに必須なものであると。
だけどもし仮にそれが存在しなかった世界に置いては、僕らの愛というものはどんなものだったのだろう。
恋愛、家族愛、無償の愛、友愛、僕ら人間はいろんな言葉で愛というものを作り上げてきた。
でもこれらはあくまで言葉であり、本質的には各々が自分自身や他人との関係性の中で感じた体験に対して、名前をつけているに過ぎない。
それならば言葉による進化をすてた人類の愛とはなんだろうか。
そこにこそ僕らが求める究極の愛があるんじゃないか。
僕はその世界における愛は他者も自分も区別がないという、状態があるということだと思う。
私と他者という境界線を排除して、全ての存在をただ認識するだけの存在、そこにはおそらく僕らが感じている喜怒哀楽というものもほとんど存在しないのかもしれない。
でも限りなく自分と世界が一体になるという体験以上に幸福はないんじゃないだろうか。
今の発展した世界において生じる苦しみは、何かを区別することから始まっている。
「善と悪」、「勝者と敗者」、「幸福と不幸」
僕ら人間は何かと何かの比較によって知性を発達させたと同時に、様々な苦しみを相対的に増やしいている。
それ全て捨てて、ホントに僕らが生まれたときの主観そのものの世界をもう一度知れるとしたら、是非その世界に行ってみたいと思う。
さて今回も長くなったが、ここまで見てくれてありがとう。
皆さんの意見お持ちしております。
#哲学 #人生 #幸福 #言葉 #愛
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「言語で僕らは世界を認識している」

言語化という言葉が最近流行っている。
自分の内面だったりを言葉や文字に起こす事でより今の悩みがはっきりさせたり、物事を進める方向性が決まりやすくなるなどのメリットがあって、そういった点ではこの情報過多な世界では需要がでてくるのもわかる気がする。
現に私が投稿している文章もまさに言語化であり、無意識のうちにやってることも多い。
ではそもそも我々が使っている言葉とはなんだろうか?
私にとっての言葉とは人間が世界を認識するために、あえて世界を分断するためのツールだ。
多分多くの人からしたらなにいってんだこいつって話だと思うので、軽く例を上げて説明したいと思う。
例えば我々が普段よくスーパーでめにするりんごを例に上げてみよう。

りんごとは赤くて甘い果物で、リンゴジュースやアップルパイ、そのままでなく色んな物に加工されて食されている。

めっちゃざっくりしているがwiki的にりんごを説明したとしたら、まあぱっとみこんな説明になるだろう。
ここで需要なのは今正に僕は言葉を用いてりんごというものを認識したということだ。
どうゆうことかというと、「甘くて赤い果実という言葉を用いて特徴を形づくり、最終的にりんごという名付けをして、始めてりんごはりんごになった」。。。。
おそらくさらにややこしくなったと思う、ごめん笑
じゃあ今度は皆さんに考えてほしいのだが、言葉を用いずりんごを感じてみてほしい、どうぞ!
。。。

皆さん何が見えただろうか、おそらくは説明できるわけねえだろ!って思われただろう。
そう、それが正に僕らが使ってる言葉の正体なのだ!
言語化とは先程述べた通り、この本質的に分からない世界をわかるために翻訳する性質があり、僕らはその言葉のイメージに騙されながら現実を生きている。
これを考えると日常で感じる喜怒哀楽も、言語化されるまでは本来は僕らにとってはただの本能からくる反射程度のものだったのかもしれない。まあこれも言語化してるわけだから、証明できるものでもないのは前提だが。。。
まあ何が言いたいのかというと言葉という形式を用いて世界を認識している以上、本当の物事は分からないし、それならなるべく楽観的に生きた方がいいなって事である。
結構全体的にざっくりしてしまったが、是非皆さんの意見をお待ちしています!
見てくれてありがとう✨
#哲学
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これまで人間関係で困った事これまで人間関係で困った事
今までの人生困ってることしかないです笑
元々人の目が気になる性分だったし、なにより超不器用人間なので舐められやすいし、余計な事言っちゃうしで、まじで俺生きるの下手だなーってなんやかんややってます。
でもどんだけ悩んでも不器用は不器用だし、できないことも当然あるから、まあしょうがねえなって思って生きることしかできないんですよね。
でも不器用な自分なりに試行錯誤は頑張ろっては思ってます。
どんだけ下手くそで不器用でも、何かを調べたり学んで、成長はできると思うので。
そしてなにより新しいことを知ることは楽しいですからね。
まあそんな感じでなるべく気楽に生きて、最後笑って死んでければ最高ですね笑
適当に楽しめばいいんですよ人生なんて👐👐👐👐
不器用の一人ごとでした🙃🙃

#人生 #適当 #楽観的 #自分不器用ですから
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「執着心と人間臭さ」


執着心、我々人間にとってはホントに身近な感情であり、日々の生活のあらゆる場面において気がついたら顔をだす感情だ。
恋人に対する不信感、より贅沢な生活やお金を求めてしまうこころ、いま手にしているものを失ってしまうという幻想が執着心となって私達の心を乱す。
今や瞑想や禅など、いわゆるマインドフルネスなどでこの執着を取り除こうという流れがある。
私自身もこの執着心をある程度捨てるということには賛成で、無駄な苦しみを減らすためにも必要なことだとは思う。
しかしそれと同じくらい執着心というか、このなにかに囚われて悩むことこそが人間臭さなのではないかと思う。
根本をだどれば僕らはこの世界に理由も無く生まれてきて、その世界で何かしら自分を自分たらしめる何かを求めて生きていく。
そんなこと考えて生きていないという人でも、少なからず自分の趣味や人間関係、なにかしらに依存しているものがある。
勿論これらの中には自分自身の努力でどうにもならないものがほとんどだし、そうゆうどうにもならないものは諦めた方が合理的かもしれない。
でも本来人間は不合理だし、悩んでも苦しくてもそうやって何かを追い求める無様さが人間らしさなんじゃないだろうか。
僕もいまだに悩んでいるテーマで、全てを諦めてそれに納得して生きるか、己の欲求が仮に叶わなくて苦しくても追い続けるか、なにも正解はないのかもしれないが、僕はその悩んで生きていく姿に愛着を感じているし、自分自身も合理的な考えに偏りすぎないようにと思う。
無駄な事にこそロマンがやどる。
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「孤独は悪なのか」

今日は先日少しだけ触れた孤独について、引き続きかいつまんで話していこうと思う。
特に孤独とははたして人生において悪いものなのか、または何をきっかけに私達は孤独を感じるのか、それについてぺーぺーなりに考えていこうと思う。

まず結論からゆうと私は孤独は別に悪いものではないと思っている。とゆうか自分の人生を自由に生きた結果として現れるものが孤独感だと思うからだ。
私達人間が生きていて孤独を感じる瞬間はいつだろう。親しい友との1日が終わってしまった時、もしくは恋人との別れを経験した時、たとえ集団の中にいても孤独を感じることはある。
つまるところ他者に対して物質的、もしくは精神性の部分で世界や物事に対する乖離を極端に感じた時に私達は孤独感を認識するのだ。
だがこれは言い換えれば、他者と自分の存在を明確に区切る為の境界線と言い換えることもできる。
例えば友達とある小説のワンシーンについて話をしていたとしよう。
その小説の中で出てくる海沿いの街が凄くすきだと仮に友達が話したとして、それを聞いた僕が浮かべる海沿いの町とはおそらく相違があるだろう。
なにが言いたいのかというと、僕達は自分という主観でもって世界を認識している以上、本当の意味で物事を共有するというのはほぼ不可能に近いということだ。
だから僕達の共感とは幻想であり、自分自身を相手に投影した結果現れる好意的感情を共感とゆっているのではないか。
その理屈を前提にするならば私達の人生から本当の意味での共感は得られず、孤独感の完全な払拭も困難だとわかるだろう。
逆にいえば孤独を感じないということは、自分自身を相手に投影することに盲目的になり、ある意味自分の人生を見つめることができないとも言える。
これに関しては個人差もあるし、誰かを否定する意図はないことをご理解頂いた上で私の意見
としたい。

ここまでの前提を踏まえた上で最初の結論に戻ろうと思う。
孤独とは個人の世界観を区切る境界線であり、それを感じることは正常な人間の機能である。
だからこそこの孤独感を感じた上で人生を歩むことこそが人間の本懐であり、自分の意思で人生を生きた結果として生じる感情が孤独であると言うのが、僕の現時点での結論だ。


上手くまとめらてるかは不安だが、是非皆さんの意見を聞かせてほしい。
ここまで見てくれてありがとう。

#哲学 
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読書か映画か、どちらが好き?読書か映画か、どちらが好き?
どちらも比べたくないくらい好きですが、どちらかといえば読書ですかね。
映画も読書もどちらとも作り手の感情だったり感性を、作品を見る側の感性で評価して楽しむ部分は共通してますよね。
ただ読書の場合はより読み手側の主観だったり、想像力の面がより強くでると思うんですね。
映像があればある程度その物語のイメージや世界観は作り手の想像に見る側は任せて楽しむんですが、読書だとそうはいかない。
世界観の設定はわかるけどその状況を想像するのは僕ら自身だし、ある意味個人の想像力で作品の意図だったり構想だったりの解釈の方向性が変わりやすいと思うんです。

これは僕自身の楽しみ方だとも思うんですが、映画や読書などのコンテンツって言うのは、ある意味僕らの感性や価値観の能力を図るツールの面もあると思っていて。
その前提においてより自分自身でその作品を想像して、自分なりの解釈をもって理解できたときが一番僕は楽しいんですよ。
だからそうゆう瞬間を感じやすい点で僕はどちらかといえば読書の方が好きかなぁと思います。

#読書 #映画 #質問
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感動したアニメある?感動したアニメある?
ピンポンという卓球漫画ですね。
いわゆるスポ魂もののジャンルに当てはまるのですが、今作は人の才能とか能力の差っていう、僕らがいやというほど人生で感じることを、ひたすら卓球っていうスポーツの中で説いてくるんですよね。
今作の良いところって最初にも述べた通り、人の能力の差について深堀りして考えられることにもあるんですが、それだけじゃなくて負けた側がどうやって生きていくか、どう生きるかって部分に焦点が当てられてるとこなんですよね。
勝負で負けたとしても僕らは自分の人生を生きなければいけないし、なにより負けたからその後の人生が幸福にならないわけでもない。
なんというか勝つ事=正解っていう、競争における絶対原理を否定してるんですよね。
それがめちゃくちゃ面白い。

私達の生きてる世界は正に余裕がない完全な競争社会になっています。
だからこそこうゆう時代に戦う以外の選択肢だったり、生き方に焦点を当てて書いてくれるこうゆう作品が必要なのかなぁと思います。
是非呼んで欲しいです🙆
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最近読んだ中で、一番心に残った本は?最近読んだ中で、一番心に残った本は?
ショーペンハウアーの「幸福について」という本です。
幸福に関しては僕自身も昔から人生においてひたすら考えてきたことですが、ある種のそれに対するベースの考え方をを作ってもらった本です。

僕の人生の目標は割と抽象的で、死ぬまでになるべく幸福感を感じて死ぬことが目標です。
その上で「幸福を噛み締める為の精神性の豊かさ」と「幸福につながる為の手段、いわゆる旅行や本や娯楽、そういった物質的な豊かさ」の2つの相互バランスによって幸福が決まるというのが、僕の幸福に対する感性です。

今回のショーペンハウアーの本はまさに僕の考えに対する回答を出してくれた本で、幸福のこの二面性について、より深堀りして解説してくれてるので、哲学書の入りとしても、テーマとしてもめちゃくちゃオススメの本ですね。
是非よければ読んでみて欲しいです✨✨
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今日配信に来てくれたフォロワーさんから同じ世代がゆってためちゃくちゃいい言葉をもらった。

「孤独はあって当たり前だし、それに気づいたなら今一度その孤独を噛み締めて。」

凄くはっとさせられました。

今まで僕は漠然と孤独感は人との関係や何かしらで消せるものだと思っていたけど、そもそも孤独なのが当たり前なんだと。
今の時代はSNSもあるし人と表面上で繋がった気になる手段はいくらでもある。
でも元来人間は一人だし、その上でたまに誰かと繋がれた瞬間を感じた時に始めてそれに感謝できる。
孤独は払拭するものではなくて、それを感じた上でホントにたまにある心から人と繋がれた瞬間を楽しむためのギャップにつなげるもの何だなと。
人とのつながりをドラッグ的に捉えて、孤独を常に消してはいけないんだなと思った。
そして何よりこういう価値観をもった人が同じ世代にいることがなにより嬉しかった。
明日も頑張れる。

#人生 #哲学 #孤独 #人生観 #日常
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最近めちゃくちゃ考えてることがあって、この世が仮想現実だとしたら、もしくはそれがこの僕らが生きてる時代に判明したとしたら、はたしてこの世界はどうゆう方向性に進んでいくのだろうかという疑問。
釈迦もショーペンハウアーも世界をひたすら哲学し続けた先にたどりついた人の答えは、この世は限りなく夢のようなという結論。
現代でいうところの仮想現実も形は違えど近い考え。
でももしそれが根拠のもとに私達の価値観として世界に証明されたら、僕たちの人生に対する価値観とはいったいなんだろう。
苦しみも楽しさも全てが幻想なんだとわかってしまったら、もはや人生は茶番なのではないか。
茶番だとわかった上で好きかってやる人もいれば、人生を捨てて死ぬ人も勿論でてくると思う。
でも今までおとぎ話しのように思われていたその説がもはや笑えないくらいに現実的になってくる。
この世が幻想だと証明されたら貴方はどう行きます?
よければご意見お待ちしてます。
#仮想現実 #人生 #哲学 #マトリックス #死生観


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じらく

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今、一番会いたい人は?今、一番会いたい人は?
地元の友達ですね。
多分ホントに一番弱みを見せられる人かもしれない。
人に甘えたり弱みを見せるのがあんまり得意じゃないのですが、その人だけにはさらけ出してしまいたくなる。
ホントに大切にしたい縁です。
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一番最近観た映画で印象に残ったものは?一番最近観た映画で印象に残ったものは?
秒速5センチメートルという新海誠監督の映画ですね。
結構昔の映画なのですが、凄い心理描写がリアルというか、いい意味で凄く現実なんですよ。
失恋した後の心境の変化だったり、時とともについてくる価値観の変化、それによる人間関係のすれ違い、そうゆう一個一個に対して風景描写だったり、登場人物の表情だったり、しっかりとした根拠を持って感じることができる。
人間のそうゆう汚い部分というかそれが逆に共感できるんですよね。
最近の世の中はいかに綺麗なファンタジーを見せるかどうかにエンタメ全体が傾いてる気がしますが、そうゆう時代だからこそ、こうゆう人間そのままな表現が効くのかもしれません。
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質問募集中!

質問募集中!

私に質問してくださいね。

なんでも答えます
#質問募集
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最後に聴いた曲は何?最後に聴いた曲は何?
eric benetというアーティストのCracks of My Broken Heartという曲。
アーティスト性もロマンティックで大人っぽくて好きなんですが、声に本当に深みがあって心地よくて、フレーズの頭聞いただけで心が締め付けられる。
星空でもみながら、ゆっくりとベランダとかで聴きたくなる曲ですね。
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幸せを感じる瞬間は?幸せを感じる瞬間は?
幸福というものを何に求めるかによりますが、個人的には良くも悪くもない平穏な生活が遅れてる時が一番幸せですね。
程々に散歩して、ねて、たまに映画見たり、そうゆうなんとも無いような出来事を精一杯感じれている時が本当に幸せです。
色んな刺激に出を出すことよりも、今あるものをどれだけ味わえるか。
幸福を噛みしめる能力を培うことが一番必要なことだと思います。
物質的な豊かさだけが全てではないんです、精神的な豊かさとのバランスが幸福につながると思います。
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カラオケでよく歌う曲は何?カラオケでよく歌う曲は何?
オリビアを聴きながら
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最近心がけていることは何?最近心がけていることは何?
なんでも自分から進んでする事。
自分から期待して待っているとなにも始まらないから、自分から行動を起こすことを重視してます。
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