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じらく
前回僕は言葉とゆうものについて少し考えを書いた。
言葉とは世界に区切りを入れて物事を認識するためのツールであり、知性や新たな概念の根本を理解するめに必須なものであると。
だけどもし仮にそれが存在しなかった世界に置いては、僕らの愛というものはどんなものだったのだろう。
恋愛、家族愛、無償の愛、友愛、僕ら人間はいろんな言葉で愛というものを作り上げてきた。
でもこれらはあくまで言葉であり、本質的には各々が自分自身や他人との関係性の中で感じた体験に対して、名前をつけているに過ぎない。
それならば言葉による進化をすてた人類の愛とはなんだろうか。
そこにこそ僕らが求める究極の愛があるんじゃないか。
僕はその世界における愛は他者も自分も区別がないという、状態があるということだと思う。
私と他者という境界線を排除して、全ての存在をただ認識するだけの存在、そこにはおそらく僕らが感じている喜怒哀楽というものもほとんど存在しないのかもしれない。
でも限りなく自分と世界が一体になるという体験以上に幸福はないんじゃないだろうか。
今の発展した世界において生じる苦しみは、何かを区別することから始まっている。
「善と悪」、「勝者と敗者」、「幸福と不幸」
僕ら人間は何かと何かの比較によって知性を発達させたと同時に、様々な苦しみを相対的に増やしいている。
それ全て捨てて、ホントに僕らが生まれたときの主観そのものの世界をもう一度知れるとしたら、是非その世界に行ってみたいと思う。
さて今回も長くなったが、ここまで見てくれてありがとう。
皆さんの意見お持ちしております。
#哲学 #人生 #幸福 #言葉 #愛
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