
マルチェロ
あぁ、あぁ、あぁ。
読書

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それこそ石原慎太郎の初期の小説もそうだし、その師匠格(厳密には師匠ではない)の伊藤整、同時代の高橋和巳、または丸谷才一や庄司薫にもその傾向が強いんですが、他人(特に女性)を遊び道具にしてポイっ、という倫理観が「知識人」らしさだと思われてた時代(特に1950-70年代)ってあるんですよ(なんと大岡昇平の『花影』とかもそういう空気がある)。これから半世紀、こういう態度は、いまや暴露系YouTuberの否定のタネになってますね。
こういう時代に、1950-70年代の文学は、忘れ去られ、眠っているべきなのか、むしろ積極的に反省されるべきなのか。わかりません。

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All I Need Is Everything

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普通の人
・心霊スポット「ワーイ!」
・部下を気分次第で監禁する上司「うわぁ……」
わたくし
・心霊スポット「うわぁ……」
・部下を気分次第で監禁する上司「ワーイ!」

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マノエル・ド・オリヴェイラ『クレーヴの奥方』
90代にさしかかった監督が、拡大する国内・国際的なあらゆる格差と分断を遠景に、18世紀フランス文学の古典を端正な映像で映画化した作品だが、その映される人物やものが、どうにも引っかかる。
まず、フランス文学の古典だから、筋はそう複雑ではない。ただ、そこで現れる男たちが、片や「ロックスター」(とはいっても、退廃的なナイトライフを送って心身ボロボロになるというよりは、昼間から仕事をさぼってピンボールかなんかしてそうな風貌で、髪が薄く、サングラスは似合わず、おまけに着ているものは、まるで清朝の下級官員である)、片や「医師」(というのはわかるのだが、如才なくも純情な雰囲気が出すぎていて、人間ばなれしている。あの迫力は、EAポーやボードレール、またはシャーロック・ホームズにでも現れるオランウータンである)という状態である。ロックスターのライブには、ホーンセクションなのか、手拍子三人衆なのか、横揺れ担当のエキストラなのかわからないやつがついてくる。主演のキアラ・マストロヤンニの優雅さもまた、絶妙にミスマッチで、修道女を演じたレオノール・シルヴィエラのほうが俗っぽく見えるくらいだ。いやいや修道女より清らかというのも人を食っているなぁ。
そして、映像ともなると、まともな歩行のスピードでカメラが動くシーンはたぶんひとつしかない。カメラは静止し、車は駐車シーンばかりが映され、彫刻まで動いているように見えるくらいの静止ぶりである。スリリングなシーンでは、シンセのフルートが不安を煽る。あのフルートはかなりシリアスに聞こえた。
こうなると、滑稽に滑稽を重ねて、シリアスな味を出すという作品である。こうも大真面目にくすぐりを入れられると、その場では笑っていられるが、鑑賞後の感覚は多層的になる。

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ゴダール『はなればなれに』
そう動くなよ、静かにしなさいよと言いたくなるくらい、登場人物がみんなよく動くわりに、身体の使い方が不器用で、アンナ・カリーナが虎を餌付けしたり、男ふたりで川をボートで渡ったりするあたりはいかにもぎこちない。ダンスやルーブル美術館弾丸見学のシーンも、動きたいけど運動神経が悪い、でも動く、という妙な意志を感じさせる。
肝心のシーンでも動きすぎは収まらず、荒っぽくもよちよちしている。しかも、脇役にいたるまで動きがおかしく、バイオレンスのシーンで小学生のドッジボールみたいな動きをしていたり、バスケットボールのシーンでたらたら動いていたり、この国には体育のカリキュラムがないのだろうか。よくそんな文化圏で『死刑台のエレベーター』みたいな運動神経のよい映画がとれたなぁ。
もれなくこの映画では、機械や車までもがやたら運動していて、全編にわたってむやみなノイズ(生活音)が楽しめる。
たいへんおもしろかった。

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これ、たぶん、あれだけ会話が限られて、ほぼ夫人と情人しか話をしないのは、その夫役のサーシャ・ピトエフが、調べてみると、やっぱりロシア演劇系の演技で演じる人だからで、ピトエフに話させようものなら、ピトエフが悪目立ちするから、というのもありますね。フランス語がわからなくてもわかる、あの台詞のアクセントの共演者との違いは、語らせると隠しがたい。
それなら、もう映画それ自体を、むしろフランスの不条理劇みたいなパントマイムの連続にしてしまうのが、デルフィーヌ・セイリグに焦点をあて、ピトエフのチェーホフ的なぎこちなさを生かし、バロックの宮廷道化の雰囲気も出せる、非常によい方法になるわけです。好きとはいえませんが、凄い方法です。

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映像も饒舌で、色々なもの、たとえば練習中のあんまり滑らかじゃないピアノや、ラジオから流れる長唄かなにかが漏れ聞こえてきたり、ビクターテレビの巨大看板や、愛知は蒲郡の旅館の庭のカットがよかったり、余計なものがたくさんあって心地よかったなぁ。その旅館で笠智衆が詩吟を唸ります。佐分利信、中村伸郎、さらに同級生の江川宇礼雄なんかも、寝てるのかとばかり思ったら、いきなり唱歌を合唱しはじめて、その歌唱力も微妙なところに味わいがありました。
個人的には、まったくノーチェックだった浪花千栄子さんの演技の上手さもミソでした。たぶん素で話の長い佐分利さんとよい対照になってましたね。

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他のアニソンはな……他の人がアニメまったく見ないとか、アニメの嗜好で対立するとか、異様に詳しい人が現れるとか、色々なことが起きますからねぇ。

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モンティ・パイソンズ・フライング・サーカス!
#伝われ

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映画音楽(日本では未公開の『ミシマ』という映画です。わたしは観たことがなく、すみません)のピアノ版アレンジが YouTube にありまして、好きなんですよね。盛り上がるわりに落ち着いてみて、ちょうど『近代能楽集』のときの三島由紀夫の文章みたいです。三島は苦手なんですが、『近代能楽集』、あれは素晴らしいと思います。

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ウェールズの田舎町で、ただのんべんだらりと、仕事や学校を一応こなしながら過ごしている人達が、口さがなく互いのことを噂したり、寝言をあれこれ言ったりしているだけなのだけれど、やっぱり詩人の作品だからイメージが綺麗だし、それでいて、ちょっと下品でかなり笑える。登場人物がみんな愛すべき俗物なのも楽しい。
イギリスのインディーとか、少しばかりひねくれたようなポップスが好きな人は好きになる世界観ではないだろうか。

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こうなると探偵は要らなくなるから、この小説において正義の役を果たすはずのアイダは、かなり影が薄い。そのかわり、不良少年たちの描写は鮮やかで、ダロウ、ピンキー、スパイサー、コレオーニ、カイトなどみんな存在感をもつ。正義をなすのはアイダではなく、神でしかありえない、というグリーンの立場がそこに見える。

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大阪なら織田作之助や田辺聖子、神戸や芦屋なら谷崎潤一郎、和歌山なら有吉佐和子、と考えてみると、案外そちらも少ない。小説ってかなり一極集中なんだ、と改めて気づく。
わたしは神奈川出身だけれど、神奈川が印象的な小説といえば、谷崎潤一郎『痴人の愛』、横光利一『春は馬車に乗って』、夏目漱石『こころ』、安岡章太郎『海辺の光景』、川端康成『山の音』とかが浮かぶ。

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『ハワーズ・エンド』Howards End が代表作なのだけれど、これは辛い話だった。単純にいえば、教養ある名家、お金もち、教養に憧れる貧しい若者の人間ドラマなのだけれど、そのシビアな空気が、のどかな文章のそこかしこから漂ってきた。がんばって英語で読んだからなおさら、そこでやりとりされる微妙な感情が苦々しく思えた。
ただ、そんな小説でありながら、この作品には、人に薦めなければ、と思わせる優しさもある。微妙な感情の数々が冷徹に描かれ、そんななかでも、まだ、人間の優しさを信じたい、という作者の意志がある。お薦めです。

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