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夜更かしの星 公式
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夜更かし好きの方、みんなでゆるく語り合える、まったり深夜の居場所を作りました。
ちいかわ愛の星
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ちいかわ好きが集まって
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日常に潜むちいかわを投稿して
わちゃわちゃしましょう\( ॑꒳ ॑ \三/ ॑꒳ ॑)/
30代からの社交場の星
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30代overだからこその悩み……仕事、育児、家庭、恋愛…なんでもぶち撒けこ⸜🫶⸝もちろん毎日𝓗𝓪𝓹𝓹𝔂 ❤︎な出来事のシェアも👍30代からの交流の場になれ🪐そしていつかは繋がりたい🤝
日常のちょっとした気持ちを吐き出して❁⃘*.゚
たくさんの投稿をお待ちしてます。
グルチャも( .ˬ.)"是非
どうかしてる星
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どうかしてるぜ!!!
自然豊かな星
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夜更かし民の星
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夜寝れない子、夜誰かとお話したい子おいで!
グループチャットでは夜に限らずいつでも話してください!
何かあったらオーナーに教えてください( . .)"
みなさんと楽しく、仲良くお話できたら嬉しいです! よろしくお願いします(>人<;)
毒親育ちのための惑星
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参加
毒親育ちのための居場所です。
毒親について現在や過去にあったことを叫ぶも相談するも思い出して解毒する(難しいけど出来るといいね、みんなで)も良しです🍀
ただ行き過ぎた出会いを求めたり誹謗中傷はやめてあげてください。毒親育ちならばそれぞれわかるであろう距離感で各々接してあげて欲しいと思います。
注)この星は惑星主が居なくなってしまい2025年2月末より管理人が異なります。
管理人を引き継いだ際に自由搭乗にした場合のルールを見てこの毒親育ちの星にはそれはなるべくあって欲しくないと思うことがあり承認制も引き継いでますが特によほどでない限り拒否していませんので気軽に申請よろしくお願いします🙇♀️
褒め褒めの星
421人が搭乗中
参加
✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。
【褒め褒めの星】をつくりました
些細なことを褒め合おう
褒めて褒められてまたがんばろう♡
✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。✰⋆。:゚・*☽:゚・⋆。
ここの優しい方々がだいすき。感謝。
かわいい食べ物の星
419人が搭乗中
参加
🍒🍒゚*。,。*゚*。,🍒🍒゚*。,。*゚*。🍒🍒
誰でも参加可能🙆♀️見る専可能🙆♀️
男性でも、女性でも👨👩
可愛いお菓子とか
ごはん、料理
ケーキなど、市販のものでも
手作りのものでも見かけたら
載せたり共有する星( ͜🍏 ・ω・) ͜🍏
🍒🍒゚*。,。*゚*。,🍒🍒゚*。,。*゚*。🍒🍒
友達できるかな
305人が搭乗中
参加
友達100人できるかな?
2つ目の惑星作りました。純粋に友達がいっぱい出来たらいいなって感じでやってます。
良かったら入ってくれると嬉しいです(*.ˬ.)"
また星主をしているケンもルーム主にクランのリーダーもさせてもらってます。
良かったらそちらも いいね を頂けたりフォローしてもらえれば光栄です(*.ˬ.)"
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重めのジョナサン
私は自分のことを、
バランスの悪い人だと思っている。
一定のペースで物事を続けるのが苦手で、
ある時期は異様なほどの量をこなすのに、
そのあと、何もできなくなる。
何かを始めると歯止めがきかない。
とりあえず数をやる。
納得するまでやる。
そして、違うと思った瞬間にやめる。
だから外から見ると、
何をしている人なのか分からないらしい。
私が一年の目標を、
本気で作るようになったのは
二十九の時だった。
それまでも、目標らしきものは立てていた。
けれどそれは、言うだけだった。
年の終わりに振り返ることもなく、
どれくらいできたか確かめたこともない。
目標は、ただ置いてある言葉だった。
学生時代の私は、
スポーツだけをやっていたと言っていい。
いわゆるスポーツバカだったと思う。
ただ、チームが勝ちたいとか、
誰かに認められたいとかは、
あまり考えていなかった。
頭の中にあったのは、
自分を納得させることだけだった。
その特性は、受験期にも続いた。
好きな教科は滅茶苦茶やった。
しかも、テストに関係ないことばかりだ。
逆に、嫌いなものは全くやらなかった。
納得できないものに時間を使うことが、
どうしてもできなかった。
私は二十二歳まで、
スポーツと身体のことに
どっぷり浸かっていた。
社会に出てからは、
多分、皆と同じように、
社会人生活に溺れた。
その頃、
恋愛をほとんどしたことがなかった私は、
マッチングアプリでデートをしまくった。
今考えると極端が過ぎるが、
多分、二百人くらいと会っている。
私は恋愛にも溺れていた。
二十六歳あたりから、
絵を描いたり、ペーパークラフトを作ったり、
短歌や詩を書き始めた。
それまで体育会的なことばかりやってきた反動だったのかもしれない。
私は昔から、
無意識に「言い訳のきかない場所」
を目指していた。
スクワットなら二百キロ。
ランニングジャンプなら一メートル。
そこに届いたかどうかで、
自分が自分に嘘をついたかが分かる場所だ。
その癖が、形を変えて残っていたのだろう。
とりあえず百やる。
それが、いつの間にか
私の中のルールになっていた。
百やるだけで終わらせず、
完成形としてSNSに上げてもいた。
書き忘れていたが、
二十六から二十九あたりまで、
私は病みに病んで、
起き上がれないほど体調を崩していた。
今思えば、
あの頃の私は体調に溺れていたのだと思う。笑
さて、話を二十九歳の新年に戻す。
体調が回復してきた私は、
目標を一つだけ決めていた。
ベンチプレス百四十キロ。
百四十キロは、
言い訳のきかないラインだと思ったからだ。
その年の記録は、
百三十七・五キロだった。
惜しい。
でも、不思議と悔しさはなかった。
そのうち超えるだろう。
まあ、いっか。
そんな感覚だった。
私はこの時、初めて
目標を立てること、
そこに向かうこと、
そして目標に囚われないこと。
その全部を、
同時にできた気がした。
それから私は、
立てたもん勝ちだと言わんばかりに、
目標を立てまくった。
不思議なことに、
立てただけで終わることは、
ほとんどなかった。
去年は八十八キロまで増量するという
目標を立て、
実際にそこまでやった。
気がつくと私は、
数値化できない目標にも近づいていた。
自分に嘘をつかないこと。
無理をしすぎないこと。
何かを始めても、
途中で自分を見失わないこと。
では、私はなぜ
今、エッセイを書いているのか。
私は、
私と世界を知りたいからだ。
表現したいからだ。
語りたいからだ。
振り返ると、
私は溺れてばかりだった。
けれど、
ただ流され続けていたわけではなかった。
その時々では、
自分でも何を掴もうとしているのか
分からなかったが、
何となく掴みたいと思っていたものに、
私は確実に近づいていた。
そして多分、これからも私は、
何かを見つけては、
百、やり始めるのだろう。
大切なのは、
目標があることでも、
ないことでもない。
そんなものは、
あってもいいし、
なくてもいい。
社会的な意味でもない。
評価でもない。
理由のよく分からない目標のほうが、
私らしい。
達成したか、
しなかったかでもない。
結果は、
結果に任せておけばいい。
最も大切なのは、
そのとき私は、
私なりに、
ちゃんとそこにいたか。
それだけだ。
だからたぶん私は、
エッセイも、百、書くのだと思う。
書いて、まとめて、
書籍にして、
枕元に置く。
読み返すためでも、
誰かに見せるためでもなく、
そこに置いておくために。
それが、
今の私にとっての
ちょうどいい「百」だ。

しぃ
ストーリーは、
醜い顔と演技の才能を持つ少女・累(かさね)。彼女は顔を入れ替える不思議な口紅をきっかけに、美しい顔を手に入れ、舞台の世界へ踏み出していくー…という物語。
個人的に面白いと思ったところ。
【1】顔の入れ替え候補として、色んなタイプの美人が登場する。
①自分の美しさに無自覚で、心も綺麗な女性
②美しいことを自覚しており、醜いものを見下す女性
③美しすぎるがゆえ不幸な人生を歩んでいる女性
共通するのは、このだれよりも累は女優としての才能をもっているということ。
【2】顔は性格に大きな影響をもたらす。
顔を入れ替えたことで、話し方、姿勢、目線、すべてが自信に満ち溢れ、変わっていくかさねの姿には爽快感すら感じた。
そして、かさねと顔を交換した女性が他者の視線におびえる描写がとても印象に残っている。
【3】アイデンティティの欠如。
顔をかえ舞台にたつということは、中身はかさねなのだが、その名声は彼女にむけられることはない。これは誰にむけられた声なのか、私は何者なのかという問いに進む。
最終的に、かさねは幸せになれたのか、是非チェックして確かめてください[笑う][いいね]


ayu

重めのジョナサン
それでも話そう
四人以上の飲み会になると、
私は必要最低限のことしか話さなくなる。
これは、たぶん私だけじゃないと思う。
賑やかで、笑い声もあって、
誰かがずっと話している。
場としては、うまく回っている。
それでも私は、
だんだんと言葉が減っていく。
そんな時
私はだいたい身体から先に反応している。
特に食べたいものもないのに、
やたらとメニューを眺めている。
もう何度も見たはずのページを、
また最初からめくったりする。
飲み物もまだ残っているのに、
グラスの中を覗き込んで、
氷が溶けているのをぼんやり見ている。
誰かの話を聞いていないわけじゃない。
相槌も打っている。
笑うところでは笑っている。
私がこうなるのは
話題の良し悪しの問題ではない。
前提が違うのだ。
何をしに集まっているのか。
何を共有したいのか。
何を終わらせたくて話しているのか。
それが揃っていないまま言葉だけが往復すると、
会話は雰囲気になる。
雰囲気は、人を包んでくれる。
場をなめらかにし、
沈黙を気まずくしないようにし、
誰かが孤立しないように働く。
雰囲気が悪いわけじゃない。
むしろ、雰囲気はいいことのほうが多い。
笑いもあるし、
空気も和やかだ。
ただ、
雰囲気は方向までは示してくれない。
どこに向かっているのか。
何が終わろうとしているのか。
誰が、何を持ち帰ろうとしているのか。
そこまでは、雰囲気は連れていってくれない。
だから私は、
雰囲気が成立している場で、
自分の身体だけが少し遅れる。
言葉は飛び交っているのに、
どこか遠い。
そのとき私は、
会話に参加していないのではなく、
会話の役割が変わってしまったことを
身体で察知しているのだと思う。
そして私は常にそう思っているわけでもない
なんだかとてもめんどくさい。
多くの場合、
私たちは「話したい」が先にある。
何かを決めたいわけでも、
何も話すことがなくても、
ただ、話したい。
だから私は今日もルームを探している。
私たちにとって話すとは
どういうことなんだろうか?
私は時折、饒舌に話したことを後悔する。
あんなに話したのに、距離が縮まらない。
それどころか、
話す前より遠ざかったように感じる。
あとから振り返ると、
私はただ、
話したいことを話していただけだった。
そして、そういうときに話しているのは、
たいてい「最近気づいたこと」だ。
相手に話しているようでいて、
実は、話すこと自体が目的になっている。
私は言葉を発することで、
自分の中を整理している。
そしてそれは、
話を聞く側に回ったときも同じだ。
「話を聞いてほしい」と言われた時、
その人はまだ、
自分が何を言いたいのか分かっていない。
むしろ、その出来事が
自分の中で何だったのかを整理するために、
話し始めている。
この二つのことは、
同時によく起きる。
そして、すれ違いを生む。
ここではまだ、
不確かなものについて、
見方の異なる二人が話している。
一方は、
いままさに起きていることを
生きている当事者だ。
一次情報を抱えている。
もう一方は、
その話を聞いている側だ。
どうしても二次情報になる。
当たり前だが、
聞いている側はどうしても
安全地帯に立つことになる。
手触りのない概念で、
考えるしかない。
この立っている場所の違いが、
距離を生む。
巷では、
「悩みを聞いてほしいと言われたときは、
何も言わずに聞いたほうがいい」
という風潮がある。
それは一理ある。
だが私は、
それだけでは足りないとも思っている。
わからないことを、
わからないまま引き受ける。
整理しきらないまま、
相手の世界に触れようとする。
その姿勢があってはじめて、
会話は「整理」以上のものになる。
私はわからないまま
相手の世界の輪郭に静かに触れようとする
ことを「同席」と呼んでいる。
同席した二人が、
それぞれの内面に向き合ったとき、
はじめて会話は、
「整理」以上のものになる。
人はおそらく、
起きた出来事に対する感情や、
自分がどこに立っているのかを、
完了させるために話している。
話し終えたあと、
すっと生活に戻れている会話は、
きっと、同席していた会話だ。
会話とは、それ自体が一つの行為だ。
けれど、話しているあいだ、
現実では何も起きていない。
ここに、大きな落とし穴がある。
私たちは、
話すことで行為をした気になってしまう。
あるいは、
話すことで行為を代替してしまう。
本当は歩いていないのに、
歩いたような気分になる。
本当は何も変えていないのに、
変わったような手応えだけが残る。
私は独立すると言ってから
実際に独立するまで、四年かかった。
この四年のあいだ、
私は何度も
「独立するつもりだ」と話していた。
誰かに。
何度も。
何度も。
その会話のたびに、
少し前に進んだような気がした。
理解された気もしたし、
自分で自分を確認できた気もした。
でも、現実は動いていなかった。
話しているあいだ、
私は確かに行為をしていた。
けれど、
独立という行為そのものは、
一ミリも起きていなかった。
今振り返ると、
あの四年の多くは、
行為の代わりに会話をしていた時間だったのだと思う。
ただ、
あの時間が無駄だったとは思っていない。
自分の気持ちや、
覚悟や、
置かれている現状を、
自分自身が引き受けられるようになるまでに、
どうしても必要な時間だったのだと思う。
話すことでしか、
そこに辿り着けなかった部分も、
確かにあった。
それでも、実際に独立を起こしたのは
言葉ではなかった。
私をその気にさせたのは、
すでに独立して生きている
先輩たちの背中だった。
彼らは多くを語らなかった。
正解も、方法も、保証もなかった。
ただ、すでにそこに立っていた。
会話は、私たちの足元を照らしてくれる。
迷子にならないための灯りにはなる。
今どこに立っているのか、
何に躓いているのかを、
そっと可視化してくれる。
けれど、
実際に一歩を踏み出させるのは、
言葉ではない。
行為を起こすのは、
すでに歩いている行為者の背中だけだ。
会話は、私たちの足元を照らしてくれる。
でも歩くのは、いつも自分だ。
だからそれでも、話そう。
同席したり、すれ違ったり、
ときどき置いていかれたりしながら。
言葉を連れて生きよう。
自分が何を語るのか、耳を済ませよう。
自分が何者なのか確かめよう。
たまには来た道を振り返ろう。
きっと一直線じゃない。
そんなこんなで、
私は今日もルームに潜る。

磐長姫命 低浮上
素直に彼女が欲しいっていえばいいのにダサいと思った
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