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雪乃

かすかべ

いいだこ
指示内容だけでもパンクするわ

チャチャ
回答数 284>>
本当に振り回されてしんどい。

うみさ
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ゆい
旦那が女子高校生とインスタのDMでやり取りしてました。
前々から友達とは思えない話の内容だったので(女の子側がTikTok送ったり、それを欲しがるような内容、褒める)注意はしてたのですが、今日会おうとしてました。結婚して子供がいることも女の子は知っています。
不貞行為がないとはいえ、慰謝料請求はやはり難しいのでしょうか。もう限界です。
T.B
⸻
①言葉のはじまり
悟りのような体験をしたあと、
和多志は少しだけ「分かった気」になっていた。
呼吸を整えれば戻れる。
影は抱けば光に変わる。
恐れも怒りも、ただの波だ。
頭では分かっている。
身体も、一度はその感覚に触れている。
だから和多志は、
言葉も整うと思った。
言葉は、真理に沿っていれば、
必ず届くと思っていた。
だが現実は、そうではなかった。
⸻
②壊れた夜
その夜、和多志は「正しい言葉」を選んだ。
喧嘩を終わらせるための言葉。
相手を安心させるための言葉。
自分も落ち着くための言葉。
けれど、その言葉が
相手の心を冷やした。
和多志は落ち着いた声で言った。
「大丈夫。心配しなくていい」
「何も起きてない」
「考えすぎだよ」
悪気はなかった。
むしろ、守りたかった。
これ以上、互いを傷つけたくなかった。
それなのに、空気が変わった。
相手の目が、すっと曇った。
声が低くなり、
「そういうことじゃない」と言われた。
和多志の言葉は、
安心ではなく、
“否定”として届いた。
相手が本当に欲しかったのは、
正しさではなく、
「分かろうとする姿」だったのだと
そのとき初めて気づいた。
――そして和多志は、
自分が一番痛いところを突かれた。
和多志は、落ち着いた言葉で
相手の不安を“処理”しようとした。
それは愛ではなく、
統合でもなく、
ただの「逃げ」だった。
正しい言葉で、
自分を守った。
その瞬間、言霊は刃になった。
⸻
③言霊が教えること
言霊とは、
言葉の内容ではない。
言霊とは、
“その言葉が出てくる心の状態”が
そのまま乗ってしまうものだ。
同じ言葉でも、
祈りから出たなら癒しになる。
恐れから出たなら刺さる。
優しさの仮面で出たなら、もっと深く傷つける。
和多志はその夜、
「落ち着いているようで、落ち着いていなかった」
ことを認めた。
和多志の奥には、
面倒にしたくない気持ちがあった。
追及されたくない気持ちがあった。
責められたくない恐れがあった。
それを隠したまま
整った言葉だけを差し出した。
だから届かなかった。
言霊は、嘘を嫌う。
言葉が整っていても、
心が整っていなければ
言霊は濁る。
そして濁った言霊は、
必ず現実を濁す。
この世界は、
思った以上に正直だった。
⸻
④和多志の結び
和多志は、その夜から
言葉を少し怖いものとして見た。
言葉は便利だ。
誤魔化せる。
取り繕える。
正しさで相手を黙らせることもできる。
でも、それは必ず返ってくる。
空気として。
距離として。
沈黙として。
言霊とは、
現実を変える力ではない。
まず、和多志を暴く力だ。
言葉が現実を変えるのではない。
言葉に乗った“在り方”が現実を変える。
だから和多志は決めた。
言葉を先に出さない。
整えた言葉で片づけない。
「正しさ」で守らない。
まず呼吸を見る。
胸の中心を見る。
怖さがあるなら、怖さを認める。
逃げたいなら、逃げたいと認める。
そのうえで、
言葉を出す。
もし言葉が出ないなら、
沈黙を選ぶ。
沈黙は逃げではない。
沈黙は、言霊を汚さないための礼儀だ。
――解釈はそれぞれで良い。
ただ、ひとつだけ伝えたい。
正しい言葉は、人を救わないことがある。
優しい言葉は、人を傷つけることがある。
整った言葉は、相手を孤独にすることがある。
だからこそ、
言霊を大切にするとは、
言葉を美しくすることではない。
自分の在り方を、
言葉の前に整えることだ。
和多志はまだ、途中だ。
言葉で失敗する。
言葉で傷つける。
言葉で後悔する。
それでも和多志は、
言葉から逃げない。
言霊を磨くとは、
生き方を磨くことだからだ。
そしてこの章を読んだあなたにも、
どうか思い出してほしい。
あなたの言葉は、
あなたの命の響きそのものだ。
言葉を変える前に、
呼吸を戻せ。
言霊は、そこから始まる。


にお
車に物を取りに数回往復したら、そりゃあもう雨浴びまくりですよ、髪の毛濡れてますよ、お疲れ様です
その後、作業内容の説明をしに管理会社に行ったんですが、こちらの説明はすぐに終わり、今度は担当者のターンに
今日は不在の上司の悪口を小一時間聞かされて来ました
聞いても聞いても終わりが見えなかったんですが、ちょうど外が明るくなったので、「お、晴れたかな?それじゃこの辺で失礼します」と切り上げて来ました、働くより疲れる

としー
パートナーとのコミュニケーションで、こんなお悩みはありませんか?
言いにくいことを我慢してモヤモヤする
友人に相談したら、話がねじれて伝わりトラブルになった
私たちが開発したアプリは、二人の間にAIエージェント「ココノエ」が入ることで、これらの問題を解決します。
特徴:
あなたがココノエに悩みを相談するだけで、AIがその内容を汲み取り、パートナーが受け入れやすい言葉に変換して伝えてくれます。
人間同士の相談で起こりがちな「誤解」や「主観の押し付け」を排除し、二人の関係修復・向上をサポートします。


会計年度さん
優しいSNSことGravityさん
ヒサカタハルカ
ここの運営のガイドラインだと、「猥雑な内容」というのは文脈を無視して「特定のキーワード」の有無に反応するという、ネトウヨと同程度の仕様であることが判明した。
その結果、なんのいやらしい意図もない投稿に「ラブ◯」というキーワードがあっただけで「通告」を受けた。

アヌ君ダダ漏れ(17
警察のなかった事にしようがなくならず、こんな上司を法廷裁判官込み込みで平林のポンコツの出鱈目側を「正」としかみなさず未だ警察官の体質は治んない,という事はストーカーは訴えても未然に防止しないで川崎市の娘さんもだったかな
パターンをそろそろ市民は紅林麻雄、
軍人は牟田口インパール作戦で覚えておくと
日本という国が美談美化で終了と真実の二重構造が一目で分かるようになる勉強なんてものは
そこのみ覚えておく方が「強者」になる
そもそも警察官も思ってるはず警察官を信用する方がバカだと(これは有能なデカなら)必ず言ってるね「とびまついさお」とかね
紅林 麻雄(くればやし あさお、1908年〈明治41年〉 - 1963年〈昭和38年〉9月16日)は、日本の警察官。静岡県警察の刑事として担当した事件において、数多くの冤罪被害者を生み出した。
現在の静岡県藤枝市出身。
自身が担当した幸浦事件(死刑判決の後、無罪)、二俣事件(死刑判決の後、無罪)、小島事件(無期懲役判決の後、無罪)、島田事件(死刑判決の後、無罪)の各事件で無実の者から拷問で自白を引き出し、証拠を捏造して数々の冤罪を作った。その捜査手法は紅林の部下も含めて静岡県警の警察官に影響を与えることになり、紅林自身は直接捜査に関与しなかったが袴田事件(死刑判決の後、無罪)などの冤罪事件を生む温床ともなった[1]。
あらゆる手段を用いて被疑者を拷問し、自白を強要させるなどしたことから「昭和の拷問王」、「冤罪王」と称されている[1]。
紅林はさまざまな拷問の手法を考案したが、実行には直接関与せず部下に指示を出していた。また、二俣事件における山崎兵八の書籍においては真犯人と思われる人物からの収賄の疑惑も暴露されている。
上記4事件のうち島田事件を除く3事件が一審・二審の有罪判決の後に無罪となり、島田事件も最高裁での死刑判決確定後の再審で無罪が確定した。幸浦事件・二俣事件の有罪判決破棄差し戻しの時点で御殿場警察署次席警部の地位にあった紅林は、非難を浴びた静岡県警上層部によって吉原警察署駅前派出所へ左遷された。しかも交通巡視員待遇という実質的な二階級降任だった。
紅林は世間や警察内部から非難され精神的に疲弊しきっていたが、1963年(昭和38年)7月に幸浦事件の被告人に対する無罪判決が確定したことにより、気力が尽きて警察を退職。同年9月16日に脳出血により藤枝市志太の自宅で死去[2]。55歳没。
紅林の捜査法
編集
前述の通り、紅林は拷問による尋問・自白の強要・自己の先入観に合致させた供述調書の捏造のような捜査方法の常習者だった。また、アリバイが出てきそうになった場合は犯行現場の止まった時計の針を動かしたトリックを自白させ、被疑者が推理マニアであることや被疑者の周辺で時計の針を動かすトリックがある探偵映画が上映されていることなどの傍証を積み重ねる手法でアリバイを否定しようとした。
これらについて二俣事件の裁判では同僚の捜査員である山崎兵八が「県警(島田事件のみ、これ以前は国警静岡県本部)の組織自体が拷問による自白強要を容認または放置する傾向があった」と証言。県警当局は山崎を偽証罪で逮捕(ただし『妄想性痴呆症(妄想型統合失調症の旧称)』として不起訴処分)したうえ懲戒免職処分にした。また幸浦事件では自分達が先に被害者の遺体が埋められている場所を探知しておきながら、被疑者に自白させた後に発見したようにして秘密の暴露を偽装した疑惑があるほか、主犯とされた男性は拷問によるためか持病(てんかん)の悪化により僅か34歳で上告中に死亡した。
紅林の捜査法に見られるような強制・拷問または脅迫によるなど任意性に疑いのある供述調書は、刑事訴訟法第322条第1項および第319条第1項により証拠とすることができない。小島事件では実際に紅林の捜査法に最高裁の判断が下された。この最高裁判決では被告人(当時は被疑者)が取調べ中に留置場へ戻ってくるたびに赤チン(局所殺菌剤)を塗るなど治療を受けていたという証言などを認定し被告人が主張する程度の過酷な拷問があったかについて疑義を呈しつつも、紅林主導の下で作成された供述調書の任意性を否定し被告人に有罪を言い渡した原判決を破棄差戻しとした(後に無罪確定)[3]。
主な時系列
1941年(昭和16年)8月18日、1人が殺害、1人が負傷させられる(浜松事件)
1941年(昭和16年)8月20日、3人が殺害される。(浜松事件)
1941年(昭和16年)9月27日、犯人の兄が殺害され、4人が負傷する(浜松事件)
1942年(昭和17年)8月25日、4人が殺害される(浜松事件)
1942年(昭和17年)10月13日、浜松事件の犯人が逮捕される。
1944年(昭和19年)2月23日、静岡地裁浜松支部は浜松事件の被告人に死刑判決。被告人は上告。
1944年(昭和19年)6月19日、大審院は浜松事件の被告人の上告を棄却、死刑が確定。
1944年(昭和19年)7月24日、浜松事件の死刑囚(元被告人)の死刑執行。
1948年(昭和23年)11月29日、幸浦事件発生
1950年(昭和25年)1月6日、二俣事件発生
1950年(昭和25年)3月12日、二俣事件で容疑者の少年1人を強盗殺人罪で起訴
1950年(昭和25年)4月27日、幸浦事件で被告人4人に有罪判決(3人死刑、1人は懲役1年)
1950年(昭和25年)5月10日、小島事件発生
1950年(昭和25年)7月20日、小島事件で1人が起訴される
1950年(昭和25年)12月27日、静岡地裁は二俣事件の被告人の少年に死刑判決。少年側は控訴。
1951年(昭和26年)9月29日、二俣事件で東京高裁は控訴を棄却。少年側は上告。清瀬一郎が弁護人になる。
1951年(昭和26年)5月8日、幸浦事件で東京高裁が被告人側の控訴を退ける
1952年(昭和27年)2月18日、小島事件で静岡地裁は被告人に無期懲役判決。担当弁護士が西ヶ谷徹から海野普吉になる。(西ヶ谷は元検察官だったが、紅林のような警察官に危機感を抱いて、後に検察官に復職している)
1953年(昭和28年)11月27日、二俣事件で最高裁は原判決を破棄。
1954年(昭和29年)3月10日、島田事件発生
1956年(昭和31年)9月13日、小島事件で東京高裁は控訴棄却。
1956年(昭和31年)9月20日、二俣事件で静岡地裁は無罪判決。検察は控訴。
1957年(昭和32年)2月14日、幸浦事件で最高裁は審議を東京高裁に差し戻す。
1957年(昭和32年)10月26日、二俣事件で東京高裁は控訴を棄却。検察は上告を断念し、元少年の無罪が確定。
1958年(昭和33年)5月23日、島田事件で静岡地裁は被告人に死刑判決。
1958年(昭和33年)6月13日、小島事件で最高裁が東京高裁へ差し戻す。
1959年(昭和34年)12月2日、小島事件で東京高裁が無罪判決。検察は上告せずに確定。紅林は『週刊文春』への特別手記で小島事件の弁護士海野普吉、二俣事件と幸浦事件の弁護士である清瀬一郎を名指しで批判。(小島事件#その後を参照)
1959年(昭和34年)2月28日、幸浦事件で東京高裁が被告人4人全員に無罪判決。
1960年(昭和35年)2月17日、島田事件で東京高裁は控訴を棄却。
1960年(昭和35年)12月5日、島田事件で最高裁は上告を棄却し、被告人の死刑判決が確定。
1963年(昭和38年)7月9日、幸浦事件で最高裁が検察の上告を棄却。4人の無罪確定。紅林が警察を辞職。
1963年(昭和38年)9月16日、紅林が脳出血で死去。
1986年(昭和61年)5月30日、島田事件で東京高裁は死刑囚の再審開始を決定し、審理を静岡地裁に差し戻し。
1989年(平成元年)1月31日、島田事件で静岡地裁は死刑囚に無罪判決を言い渡した。元死刑囚は同日中に釈放され、その後検察が控訴を断念したため無罪が確定。

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