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ハシオキ龍之介

ハシオキ龍之介

昭和懐古録 # 444

#グラビティ昭和部


・昭和11年(1936年)

☆『浪花節大流行』

8月 内務省が発表したレコード検閲件数からみ
ると、流行歌が三千九百八十三件と断然トップ
を占め流行歌時代といへるが、浪花節を含む邦
楽も一千六百八十四件と件数では流行歌に押さ
れてはゐるが、一件でレコードの表裏二枚も三
枚も続くものがあるため枚数でははるかにこれ
を凌いでるる。検閲係の話では、「最近眼立つ
てふえて来たのは浪花節です。邦楽の半分は浪
花節だと見てもい~でせう。流行歌の流行はい
ま始まつたことでも無いが、最近の傾向は歌詞
の中に対話が入ることでケンチョな例をあげれ
ば『二人は若い』の”あなアた、なんだい”とい
つた歌詞のやうにね、それに長唄のサワリなど
をとり入れた『野崎小唄』「三人吉三』といっ
た類もほっく見えて来たやうです」。(国民新聞)
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プリン研究家てと🍎

プリン研究家てと🍎

(*´○`)o¶♪
さーらーば九州よーまたくるまーでーはー
しーばーぁしぃ別れの涙がにぃ〜じぃ〜むー(*`・ω・)ゞ

#ラバウル小唄 #関門橋
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ハシオキ龍之介

ハシオキ龍之介

昭和懐古録 # 428

#グラビティ昭和部


・昭和11年(1936年)

☆『高額所得者』

6月 税務当局が発表した昭和十一年度の所得税額
によると、関西住友財閥の当主住友吉衛門氏が
税額八十万円、年収三百万円で日本一の座を占
めた。
東日本で毎年トップ争いを続けている三井、三
菱両財閥の総本家三井高公氏が税額六十六万二
千三百五十二円余、岩崎久彌氏が税額五十二万
二千八百九十三円余と、三井家が岩崎家を抑え
た。次いで岩崎小っ太、三井源右衛門、服部玄
三、大倉喜七郎氏とつづく。目を転すれば少女
ファンの恋人、水の江滝子さんは税額百七十円
六十八銭、年収五千円、役人なら高等官二等と
いうところ。小唄勝太郎さんは一千四百五十五
円、年収約一万八千円、銀幕の女王入江たか子
さんは税額五百二十七円、栗島すみ子さんは三
百七十円。喜劇界の寵児古川緑波氏は税額三百
八十七円、年収八千円余、国務大臣級。歌舞伎
界では六代目菊五郎氏が税額六千余円、年収六
万円前後。大衆小説の川口松太郎氏は税額三百
八十円、稿料ざっと八千円、長老島崎藤村氏は
百二十円、年収四千円ぐらい。広田首相は年俸
九千六百円に昇給したが、今年度の所得税額は
未発表。
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あお

あお

忘年会に祇園小唄が流れる弊社である。
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チャーハン大王

チャーハン大王

ハットリ・ハウス # 3

#昭和の歌


☆『山寺の和尚さん : コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ '37 』

服部良一がメジャーデビューした頃はアメリカで流行っていたスイング・ジャズが我が国にも大量に輸入されていたが、スイングと並行してジャズ・コーラスもまたブームになっていた。アメリカ本国では1920年代からビング・クロスビーのいたリズム・ボーイズのスタイルが流行し、リズム・ボーイズと同じキャリアだった元祖女性コーラスグループのボズウェルシスターズもデビューしてその息もつかせぬアッパーな見事なコーラスワークを聴かせていたものだ。少し遅れてデビューしたミルス・ブラザーズは後々ドゥーワップの連中にも影響を与えた。これら本国アメリカのコーラスグループの技術の進化は目を見張るものがあり、一糸乱れぬリズム感覚の上に見事なハーモニーを利かすそのテクニックたるや、ジャズファンならずとも虜にしたものだった。服部がこれらのコーラスモノを見過ごす筈はなかった。が、流石の服部もマイナー契約時代はそうしたコーラスものまでは手が回らなかったらしく、服部は日本の民謡とジャズの融合を若い時分から模索していた。服部の生まれは大阪・玉造のはずれ本庄が出生の地であった。芸事好きな父によく近くの千日前の寄席や演芸場へ連れて行かれて、自然と落語や義太夫や照葉狂言、江州音頭、俄といった浪速特有の芸事に親しんでいった。母は母で富田林出身の気のいい浪速女でやはり、河内音頭や江州音頭が好きだった。服部良一はこのような貧乏の子沢山な家庭で育まれたのだ。2人の姉は近所で三味線や小唄を習っており、そうした環境が良一を音感のいい子へと成長させたのかもしれない。そうした純然たる和雅楽に染まったせいもあり青年になってからの良一が、そうした民謡を覚えたての和声学理論で、民謡をジャズ化することは極めて自然な成り行きであった。
服部の初めてレコードの仕事は大阪・三国にあったコッカレコードで服部のレコード仕事での師匠に当たる鳥取春陽の作品を編曲して時々は大阪コロムビアスタジオでの録音に立ち会うといった仕事が最初と言われている。コッカレコードは当時も今も珍しいセルロイド製のレコードで販売しており、今でもきちんと再生出来るらしくそのレコードはどこで見つけたのかは分からないが、2013年にぐらもくらぶからリリースされた『大大阪ジャズ』という稀少性の高い昭和初期の大阪のレコードメーカーからリリースされた音盤のオムニバス集に服部良一の最も古いレコードの仕事が復刻されている。このコッカレコードのことは服部良一の唯一の自伝『ぼくの音楽人生』にも記載されているにも関わらず2013年に初版された菊池清麿著の『評伝 服部良一』の中では一切触れられていないばかりか、巻末に於ける「服部良一ディスコグラフィー」からも省かれている。今では服部良一の第三者が書いた正史的な位置づけすらされているこうした本でさえ、誤記や記載漏れがあることをこの際、はっきり記して置くべきであろう。
昭和4年発売コッカレコード№63a ♫テルミー
"Tell Me" は国歌ジャズバンド名義だが服部良一の編曲で、しかもas.の奏者は服部自身とのこと。セルロイドレコードからの復刻だから、音質は劣悪だがよくぞ、このような盤が残っていてくれたものだ。♫テルミー はこの時代、服部が道頓堀のカフェーを幾店か掛け持ちしていた頃で、シンガーがたまたまその夜、欠勤すると仕方無しに服部がメガホンで唄っている内に服部の優しい歌声が評判となり、服部には"テルミーさん"というニックネームまで付いて女の子たちから黄色い声援が飛んできた、ということが自伝にも書かれている。♫テルミー は服部にとっても思い出深い一曲なのである。そういう意味で、アルト・サックスのソロだけだが、復刻盤で今の世にそれが聴けるというのはこの自伝の記述を裏付けるに足る重要な一曲ということになるのである。又、翌昭和5年リリースのコッカレコード№.144bの♫串本節 も服部の編曲とサックス(Cメロディサックス)でこのレコードは服部良一の名が初めてレコードレーベルに記載された記念碑的レコードだという。編曲・指揮者と記載されたらしいが、実際はサックスのソリまで吹いているのだから、若き日の服部の前のめりさがひしひしと伝わってくるではないか。
これらを発掘し、リリースさせたぐらもくらぶ並びに(株)メタカンパニーのスタッフらと毛利眞人らの尽力に深謝するのみである。こうして服部良一のレコードキャリアは最初からジャズ+民謡という和洋折衷から始まったのだ。
引き続きマイナーレーベルに身を置いた服部は紅茶メーカーとして有名な日東紅茶が親会社だったマイナーレコードのニットー時代にはキャリアハイの音楽監督という地位にまで上り詰めた。ここで服部は作曲、編曲家としてのみならずニットーレコードでリリースするレコード企画にも参画出来る立場を意味していた。服部の民謡+ジャズの需要はそこそこ保たれながらも他のレコード会社、ましてやメジャー級のレーベルでも各社自慢の編曲家達が次々と民謡をジャズ編曲したレコードをリリースしてゆき、服部ブランドは業界内でステイタスとなってゆく。この民謡+ジャズの精神は戦後も行なわれてゆき、この傾向に着目したのが大瀧詠一だった。彼の幼少期のスター小林旭がコロムビアから相当数の民謡をロック化してリリースされている事実を暴き、後に『日本ポップス伝』としてNHKFMから数回にわけて放送されたことは大瀧が日本に於けるポップスの歴史を俯瞰して解説するというミュージシャンのポップス史として注目に値する。この放送の中で大瀧は服部の初期コロムビア時代のレコード♫草津ジャズ を紹介して戦前に於ける腕利きミュージシャンによる民謡+ジャズの最高峰として紹介していた。又、ニットーレコード時代の印象的な仕事のひとつに、ビクターレコードの♫さくら音頭 の大ヒットに乗じたニットー版♫さくら音頭 の企画が持ち上がった時にも服部は敢然と抗議した様が自伝に書かれている。要するにニットーでもこの機を逃すまいとして、ニットー版♫さくら音頭 を!となった時に服部は……今更月並みな音頭をリリースしても大して売れないだろうと、いっそ違うアプローチが必要だ、と説いたのである。じゃーあ、どうしたら?という幹部連達に……おけさはどうでしょう?と提案したのだ。こうして昭和9年4月に浅草美ち奴の唄でリリースされた♫さくらおけさ はニットーレコードのメイン販路であった関西圏で一定の売上を記録したという。こうして服部良一の単なる作編曲家としてのみならない我が国ポップス界への貢献、という点に於いてはやはりジャズコーラスモノへの着手も見逃せられない。服部のニットーレコードに於ける音楽監督としての功績は民謡+ジャズ、の他にも例えばニットーレコード内に別レーベルを立ち上げた点も見逃せない。それはニットーレコードにドイツのクリスタルレコードと原盤供給契約を結ばせた点で実現が出来た。昭和9年11月に『日本クリスタル蓄音器合資会社』が設立された。このクリスタルレーベルで服部はいよいよ本格的にアメリカ産スイングジャズの歌謡曲化へのかなり思い切った舵を切る。例えば敬愛していたアメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンの作曲した♫ラプソディー・イン・ブルー のようなシンフォニック・ジャズを作品化したりした。それが昭和10年6月リリースの♫意想曲1936(1)(2) である。これは服部の初の管弦楽曲であり、次年度の日本と世界の姿を交響楽にまとめた作品であり、意欲作であった。
楽曲形式は変奏曲で、途中♫ヴォルガの舟歌 や♫スラブ行進曲(チャイコフスキー作曲) の旋律が使用されたり、時に日本軍歌の名曲♫戦友 までもが飛び出す。レーベルには"日本クリスタル交響楽団"と記されたが内実は新交響楽団(後のNHK交響楽団)が演奏したらしい。そこに当時服部と仲の良かったジャズマンである谷口又士のtb.や斉藤広義のtp.が加わった豪華なミュージシャンたちが自慢のプレイを披露されたレコードだった。こうした実験精神が見事に結実したレコードの仕事を残した服部だったが、実はニットーレコード時代にも僅かながら、ジャズコーラスを試した痕跡が確認できる。昭和10年12月リリースの♫カッポレ はニットー・リズム・ボーイズという謎のグループにより吹き込まれてリリースされている。又、服部の作曲した楽曲でもしばしば男声(乃至女声)コーラスが登場するが、レーベルクレジットはなくとも明らかに服部がジャズコーラスを試している録音としては昭和10年6月リリースのクリスタルレーベル№.2008A♫カスタネット・タンゴ では藤川光男名義で吹き込まれたレコードで女声コーラスがハーモニーを付けている。因みに同曲は戦後の昭和24年に藤山一郎がカバーしている。その前月5月にもクリスタルレーベル№.2002B♫僕等のハイキング ではメインボーカル志村道夫のバックで男声コーラスが、確認出来る。又、服部はコロムビアへ移籍する直前にニットーレコードでコーラスグループを編成し「ファイブスターズ」と名付けてレッスンさせていたが、このグループ名義のレコードはとうとうリリースされずに、コロムビアへと移籍してしまう。
昭和11年4月~いよいよニットー及びタイヘイレコードの契約を満了し晴れて大手レコード会社コロムビアレコードへ移籍入社した。翌5月リリースの淡谷のり子とリズム・シスターズ名義の♫おしゃれ娘 は数えてコロムビアレコード移籍第5弾シングルで服部はここでメインボーカルの淡谷のり子のボーカルの間隙を縫うようにボズウェルシスターズ張りの女声コーラスを大胆にも起用する。いよいよ服部のジャズコーラスモノがここで早くも登場する。その後も、当時のレコード各社の共演盤となった外国曲のカバーとなった♫ミュージック・ゴーズ・ラウンド 、二葉あき子をメインボーカルに迎えてリズム・シスターズが活躍する♫月に踊る ♫ビロードの月 淡谷のり子とリズム・シスターズの再びの共演盤♫涙の踊子 、服部と中野忠晴プラスナカノ・リズム・ボーイズの初コラボ作品♫東京見物 に♫支那ルンバ 、などメインボーカルに彩りを添えるジャズコーラスモノは充実してきたが、服部の中ではもう一歩踏み込みたかった。それにこれらの意欲作は決してヒットした、とはおよそ言い難かった。それが遂に服部のコロムビア移籍後の初ヒットがリリースされた。それがあのジャズコーラスの傑作♫山寺の和尚さん であった。これについては服部の自伝に詳述されているので引用しよう。尚、この楽曲については作曲は服部ではなく日本古謡としている資料もあれば服部の作曲としているものもあり、統一見解が待たれる。何れにせよ、服部が大胆にもメインボーカルを置かずに、コーラスグループのみでのヒットは服部をして喜ばせたに違いない。
……ぼくは、むしろ、次のアップテンポの
♫ダガジグ ダガジグ ダガジグ ダガジグ エーホッホー
(リフレイン)の反復部分にジャズコーラスの真髄を見出していて、このアイデアはぼくが自由にやったところである。こうしたスキャット唱法はリズムメイカーとしてのぼくの武器であった。先輩作曲家達に追いつき追い越すには、ぼく自身の個性が必要である。それまでの♫おしゃれ娘 ♫東京見物 ♫月に踊る がヒットに至らなかったのは、中途半端なところがあり、メロディー優先の歌謡曲調を残していたからだという反省があった。♫山寺の和尚さん では、思い切ってリズム本位にし、ジャズ調に徹した。しかし、それだけでもヒットはしなかっただろう。題材に誰でも知ってる日本古謡の手毬うたを取り上げた事が良かったのだと考える。つまりジャズはジャズでも日本のジャズを目指した事が成功に繋がったのだろう。……


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山寺の和尚さん

コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズ

スイングの星スイングの星
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絵織

絵織

【オフィーリア】
小学生の頃 お家にある百科事典を読むのが趣味でした 特に巻末の美術品の写真を見たり解説を読む事が好きでした
中でもこのミレーのオフィーリアの絵画は特に胸を打つものがあり印象的でした

現在はロンドンのテート・ブリテン美術館の所属になっています

オフィーリアはシェークスピアの戯曲「ハムレット」の登場人物です
デンマークの川で溺れて亡くなってしまう前に歌を口ずさんでいる姿を描いたものです

「(前略)すてきな花輪を、垂れた枝にかけようと、柳によじ登ったとたん、意地の悪い枝が折れ、花輪もろとも、まっさかさまに、涙の川に落ちました。裾が大きく広がって、人魚のようにしばらく体を浮かせて―――そのあいだ、あの子は古い小唄を口ずさみ、自分の不幸が分からぬ様子―――まるで水の中で暮らす妖精のように。でも、それも長くは続かず、服が水を吸って重くなり、哀れ、あの子を美しい歌から、泥まみれの死の底へ引きずり下ろしたのです。」

絵織
美術の物語の星美術の物語の星
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とろろ

とろろ

久しぶりに4時間ぐらい軍歌聞いてたけど
旧字体でできてるからめっちゃ歌詞忘れてた
ラバウル小唄ぐらいわかりやすい歌詞にしてくれ
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ハシオキ龍之介

ハシオキ龍之介

昭和懐古録 # 375

#グラビティ昭和部


・昭和10年(1935年)

☆『流行歌』

「二人は若い」詞 玉川映二(サトウハチロー)曲古賀政男 唄ディック・ミネ 、星玲子 /
「船頭可愛いや」詞 高橋掬太郎 曲古関祐市 唄 音丸 /「明治一代女」詞 藤田まさと 曲 大村能章 唄新橋喜代三/ 「旅笠道中」 詞 藤田まさと 曲 大村能章 唄 東海林太郎 / 「大江戸出世小唄」詞 藤田まさと 曲 杵屋正一郎 唄 高田浩吉/「無情の夢」詞 佐伯孝夫 曲 佐々木俊一 唄 児玉好雄 /「野崎小唄」詞 今中楓渓 曲大村能章 唄 東海林太郎 / 「ラ・クカラチャ」詞 田賀甫 編曲 仁木他喜雄・田代与志 唄 江戸川蘭子 / 「悲しきジ
ンタ」詞 佐伯孝夫 曲 佐々木俊一 唄徳山環 /
「もずが枯木で」詞 サトウハチロー 曲 徳富繁 /「ハイキングの唄」詞 島田芳文 曲 古賀政男 唄 楠木繁夫/「真白き富士の嶺」詞 三角暢子 曲 ガードン 編曲 奥山貞吉 唄 ミス・コロムビア&合唱団 / 「上海リル」詞 三根耕一 編曲 斎藤鉄男 /「緑の地平線」詞 佐藤惣之助 曲古賀政男 唄 楠木繁夫 /「ダイナ」訳 編曲 三根耕一 唄 ディック・ミネ
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