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趣味は読書・音楽鑑賞・評論文筆・エアチェック📼📀💿・音声ルームで音楽ルームなどなどですー。
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昭和懐古録 # 219

#グラビティ昭和部


・昭和9年(1934年)

☆『レントゲン写真の効用』

1月「彼」と「彼女」を結ぶ見合用の写真から銀
行会社で社員採用を決める身体検査代りにある
いは中等学校の入学試験用にと、最近グロテス
クなレントゲン写真の新利用がにわかに激増。
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昭和懐古録 # 218

#グラビティ昭和部


・昭和9年(1934年)

☆『ガルボの結婚💍』

1月15日 グレタ・ガルボ、パラマウントの監督
ルーベン・マムーリアンとアリゾナ州ウィリア
ムで極秘結婚。
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昭和懐古録  ♯ 217

#グラビティ昭和部


 ・昭和9年(1934年)

 ☆『新撰組の現存隊士』

 1月 大森区役所では皇太子殿下御誕生記念とし
 て区内の高齢者に木盃を授与すべく調査中のと
 ころ、その一人として、黎明あけやらぬ幕未
 維新の暗雲時代に佐幕派の前衛として血腥い京
 洛の地に華々しい活躍をつけた新撰組の隊士の
 一人が今年八十六歳の高齢で現存してゐること
 を発見した。恐らく新撰組唯一の生存者であら
 うと言はれてゐるが、その名を稗田利八翁と言
 ひ現在息子さんに当る大森区入新井町、三越店
 員稗田稲之助氏方で安楽な余生を送ってゐる。(時事新報)
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昭和懐古録 # 215

#グラビティ昭和部


・昭和9年(1934年)

1月8日 京都駅構内で、宝塚入団・入営者の見
送り人大混乱、階段で七十七人圧死。


☆『法大で大量処分』

1月14日 法政大学当局は抗争中の反学校派予科
教授団岩田良吉教授以下三十六教授講師全部(他は既に処分発表済み)を首し、学生控室に学
界空前の大量処分者を正式発表し即日書留便を
以て解職状を郵送した。これで反学校派教授、
講師は外人を除いて四十四氏全部一掃された。


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昭和懐古録 # 214

#グラビティ昭和部


・昭和9年(1934年)

☆『東京宝塚劇場開場』

1月1日 東京宝塚劇場(定員二千八百十人)が
開場。宝塚歌劇月組公演の舞踊「宝三番叟」、
オペレッタ「巴里のアパッシュ」、歌劇「紅梅
殿」とレビュー「花詩集」で華やかに柿落(こけ
らおと)とし。
2月16日 東京宝塚劇場の専属俳優第一回発表が
行はれた。市川春代、伏見信子を筆頭に沢村三
兄弟、谷幹一、森野鍜治哉らが有名組で、ほか
に変ったところでは吉野(作造)博土の遺子文子
さん、元有楽座主事久米秀治氏の遺子夏子さ
ん、神田錦蔵氏の息光一君などがゐて全員二十
六名。(読売)

* 画像は東京宝塚劇場と市川春代、伏見信子
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昭和懐古録 # 212

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『この年の墓碑銘』

10月30日 平福百穂(ひらふくひゃくすい)(57)
日本画家。明治十年秋田県生まれ。父は円山
四条派の画家穂庵。川端玉章に師事し、東京
美術学校入学。三十三年結城素明らと自然主義
を唱えて天声会を結成し、作品を発表。かたわ
ら平民新聞等に挿絵やスケッチを描き、アララ
ギ派の歌人としても知られる。大正九年結城、
松岡映丘らと金鈴社結成、文展、帝展で活躍
する。代表作は「アイヌ」「七面鳥」「荒磯」
など。

11月5日 片山港(75) モスクワで死去し、
クレムリンの赤壁に葬られた。安政六年農家の
二男坊に生まれ、十九歳まで農業に従事。明治
十四年上京、苦学し、同十七年渡米。皿洗いな
どをしながらエール大学を卒業。明治二十九年
帰国後、雑誌「労働世界」を発刊、初期労働組
合運動の発展に貢献。三十一年幸徳秋水らと社
会主義研究会を創立。
三十四年社会民主党を結成、即日禁止。「大逆
事件」後、東京市電六千人のストを指導し投
獄、大正三年渡米。六年ロシア革命が起こると
ボルシェビキを支持し、アメリカ、メキシコなど
の共産党結成に参加、在米日本社会主義者団を組
織。十年ソ連に渡り、十一年極東勤労者大会の組
織者となり、日本共産党の結成を指導、「二十七
年テーゼ」「三十二年テーゼ」作成に参加。著作
に『我社会主義」「片山潜自伝』など。

11月30日 嘉村磯多(37) 結核性腹膜炎。小説
家。明治三十年山口県生まれ。郷里に妻子をお
き愛人と上京、編集記者のかたわら小説を書
く。葛西善蔵に師事。
『崖の下』は宇野浩二に湖賞されたが、マルクス
主義文学、新興芸術派がもてはやされた時期
に、嘉村のような澈しい自己苛貴をつづった私小
説は認められなかった。七年「途上」が「中央公
論」に採用されようやく世評にのぼり、滅型作
家”としての地位をえたが、翌年不遇の生涯を終
えた。

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昭和懐古録 # 211

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『この年の墓碑銘』

9月5日 厳谷小波(64) 児童文学者、小説家、
俳人。明治三年東京麹町に生まれる。硯友社
同人となり「我楽多文庫」に小説を発表。「
少年文学叢書」の「こがね丸」が圧倒的人気を
博し、以後日本の代表的昔話をまとめた「日本
昔噺」などを刊行、児童文学の世界で大きな役
割をはたした。

9月1日 古賀春江(39) 洋画家。明治二十八年福
岡県久留米市生まれ。四十五年上京、太平洋画
会研究所に入り、次いで日本水彩画会研究所で
石井柏亭に師事、大正11年キュビズム風の『埋
葬』で二科展受賞、若手前衛画家たちと「アク
ション」結成。クレーをはじめミーロッパの新
風に敏感に反応し、シュールレアリスム的傾向
を強めたが天折。代表作は「海」、死の年に描
かれた「深海の情景」など。以前本アカ ミチフ
ミ龍之介で古賀の絵画を一日一絵紹介していた時
期がある。好評だった。

9月21日 宮沢賢治(38) 急性肺炎、喀血。
詩人、童話作家。明治二十九年岩手県花巻町
生まれ。郷里で農村改良と農民芸術の合一を意
図し羅須地人協会を設け、農業指導と芸術活動
に尽力。法華経を仰。詩集「春と修羅』、イー
ハトーブ童話集44注文の多い料理店』「風の又
三郎」「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」な
ど。
〇いかりのにがさまた青さ/
四月の気層のひかりの底を/
唾(つばき)しはぎしりゆききする/
おれはひとりの修羅なのだ
(「春と修羅」抄)

10月16日 新渡戸稲造(71) カナダの太平洋調査
会の国際会議に出席中病没。教育家、思想家。
文久二年盛岡生まれ。明治十年札幌農学校で内
村鑑三らとともにキリスト教入信。米国、独留
学から帰国後一高校長、東大教授など官学の教
職を長く歴任。東京女子大創立に参画し、夜学
教育にも貢献。国際文化交流も志し、国際連盟
事務次長を務める。主著は『農業本論』、英文
の「武士道』など。肖像が五千円札となる。

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昭和懐古録 # 210

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『この年の墓碑銘』

2月20日 小林多喜二(30) 小説家。明治36年
秋田県生まれ。四歳のとき一家で北海道小樽に
移住。昭和三年上京、蔵原性人と知り、その
理論的影響を深くうける。小説「一九二八年三
月十五日」『蟹工船』「不在地主』などで注目
され、六年ナルプ書記長、日本共産党に入党す
るが七年より非合法生活に入りビラ貼りなどで
知り合った左翼劇場の伊藤ふじ子と結婚。

3月31日 山川弥千枝(16)中野桃園町の自宅で
結核のため死亡。死後、文芸雑誌「火の鳥」が
全ページを彼女の短歌、日記、絵などで埋めた
遺稿集を特集し、川端康成、中里恒子ら多くの
人がその天才を絶賛した。
・美しいばらさわって見る
つやつやとつめたかった
ばらは生きてる

4月8日 森田恒友(53) 洋画家。
明治十四年埼玉県生まれ。不同舎で小山正太郎
に師事、東京美術学校入学。四十年山本県、
石井柏亭らと美術誌「方」創刊、文展や太平洋
画会に作品を発表。大正三年渡欧、セザンヌや
ドーミエの影響をうける。十一年「春陽会」設
立。関東平野の利根川沿いの自然を写生するな
ど、西欧リアリズムを水墨画に生かし、南画の
伝統を近代絵画によみがえらせた。

4月21日 長岡外史(78) 慶応病院で。安政五
年山口県生まれ。豪農の二男から長岡甫満の養
子となる。陸軍大学卒業後参謀本部に入り、中
将に昇進。晩年、帝国飛行会副会長として民間
航空の発展に寄与。高田第十三連隊長時代にスウ
ェーデンからスキーを贈られ、研究委員会をつ
くリ、スキーの普及に努めたスキーの先駆者。
五月十日の二十日祭に遭骨を国旗に包んで太平
洋に投下、初の空中葬。
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昭和懐古録 # 209

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『この年の墓碑銘』

1月23日 堺利彦(63) 社会主義運動家、評論
家明治三年福岡県生まれ。号枯川。明治三十二
年万朝報社に入社、日露戦争の折内村鑑三、
幸徳秋水らと非戦論を唱え退社。平民社を結成
し「平民新聞」発刊。幸徳と共訳の『共産党宣
言』刊行。日本社会党の結成など社会主義運動
を展開。大逆事件後は売文社開業、雑誌「へち
まの花」を発行し社会戯評をさかんに行う。
その後も全国労農大衆党の反戦委員長をつとめ
るなど社会主義政党運動に活躍を続けた。
1月31日 ジョン・ゴールズワージ(65) ハンプ
ステッドで死去。イギリスの小説家、劇作家。
1861年ロンドン近郊の裕福な弁護士の家に生ま
れる。オックスフォード大学に学び弁護士の資
格を取得後、世界旅行に出発。船員であったコ
ンラッドと出会う。1906年小説『資産家」と戯
曲「銀の箱』によって名声を確立。法律的知識
を基盤とした冷静な目で社会を批判し、1932年
にノーベル文学賞を受賞。代表作に「資産家』
を合む大河小説『フォーサイト家物語』があ
る。
2月18日 吉野作造(56) 逗子町湘南サナトリウ
ムで。大正デモクラシーの理論的指導者。明治
11年1月29日宮城県生まれ。東京帝大法科大学
政治科を首席で卒業後、独英米留学。大正2年
帰国、翌三年帝大法科教授となる。「民本主
義」を説き、思想界に大きな影響。学生が講義
を聴くため朝六時から席を争う人気。浪人会は
「吉野は危険思想で国体を破壊する」と申し込
んだ立会演説会が、7年11月下旬神田南明クラブ
で開かれ、聴衆は電車通りまであふれた。それ
を契機に民本主義を基調とする「黎明会」がつ
くられ、これを母体に帝大に「新人会」創立、
学生運動の先駆となり多くの社会運動家、革新
思想家を輩出。

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昭和懐古録  ♯ 208

#グラビティ昭和部


 ・昭和8年(1933年)

 ☆『この年の流行歌』

 2月 ダミアの「暗い日曜日」レコード発売禁
 止。
「サーカスの唄」曲古賀政男詞西条八十/「ほん
 とにそうなら」曲古賀政男/「十九の春」詞西
 条八十/「東京音頭」曲中山晋平 詞西条八十
 /「天竜下れば」/「山の人気者」/「僕の青
 春」唄 藤山一郎/「秋の銀座」唄 ミス・コロムビア曲江口夜詩/「燃ゆる御神火」/「大
島おけさ」唄 小唄勝太郎
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昭和懐古録  ♯ 207

#グラビティ昭和部


 ・昭和8年(1933年)

 ☆『この年の文学』

 6月3日 作家山本有三氏(47)は共産党に資金
 を提供した疑いで突如検挙。
 6月9日 釈放。
 7月 「学芸自由同盟」発足。5月のナチス焚書事
 件に対する抗議を契機としてドイツ文化問題懇
 話会が開催され発足した。三木清、広津和郎、
 久米正雄らが集まり、会長は徳田秋声。滝川事
 件等への抗議運動なども行われたが、昭和九年
 の直末三十五らが動いてできた「文芸懇話会」
 の発足により内部崩壊した。
 10・2 大阪刑務所収容中の作家片岡鉄兵氏(40)は、昨夏コップからの脱退を通告していた
が、午前九時仮出所を許され「もう左翼とは絶
 縁したのだから、今後大衆小説に精進するつも
 り」と語った。
 10月 「文学界」創刊、武田購太郎、林房雄、小
 林秀雄を中心に、川端康成、宇野浩二、広津
 和郎、横光利一、河上徹太郎、舟橋聖一、井伏
 鱒二、村山知義らを加えて創刊。旧プロレタリ
 ア系、芸術派系、既成文学系を集め、川端康成
 は編集後記に「時あたかも文芸復興の萌あり」 
 と記す。政治主義に対し、個人主義・芸術主義
 を掲げ、文壇の主流勢力となった。文化公論社
 などいくつかの発行所をへたのち、菊池寛の文
 芸春秋社発行となる。十九年四月、廃刊。

[主な発行作品]
小林多喜二「党生活者」(「中央公論」)/谷崎潤一郎「春琴抄」(同)/宇野千代「色ざん
げ」(同)/尾崎士郎「人生劇場・青春備」(都新聞)/尾崎一雄「暢気眼鏡」(「人物評
論」)/宇野浩二「枯木のある風景」(「改造」)/小林秀雄「故郷を失った文学」(「文芸春秋」)/川端康成「末期の眼」「文芸」)/谷崎潤一郎「陰翳礼讃」(「経済往来」)/石坂洋次郎「若い人」(「三田文学」。
久保栄「五稜郭血書』/内田百聞「百鬼園随筆』/田辺元「哲学通論」/柳田国男「桃太郎の誕生』/西脇順三郎『Ami barvalias』
/国枝史郎『神州纈・城』前篇(後篇は未完のままだったが、昭和四十三年完成版が出版)。

*ベストセラー山本有三「女の一生』。
即「若い人」(「三田文学」)。
*「文学」(岩波書店)「四季」(堀辰雄編集)「行動」(舟橋聖ー、阿部知二ら)創刊。
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昭和懐古録 # 206

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『この年の漫画界』

「ナカムラ・マンガ・ライブラリー」が、大城
のぼる「愉快な探険隊」(五月)でスタートし、
昭和十三年まで六十四冊の児童向け漫画単行本
が刊行された。
いずれも箱入り四六判上製本である。また、児
童出版社の金の星社からも漫画単行本が刊行さ
れはじめ漫画ブームを迎える。
5月 麻生豊「只野凡児・人生勉強」連載(東京朝日)。翌年、PCLが早速映画化した。
7月 島田啓三「冒険ダン吉」連載(少年倶楽部)十四年二月までつづく。単行本は「冒険ダン吉』が九年、『冒険ダン吉大遠征』が十年、「冒険ダン吉無敵軍」が十三年である。「のらくろ」が陸軍漫画とすれば「ダン吉」は海軍漫画といえ、人気を二分した。
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昭和懐古録 # 205

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『この年の洋画』

戦場よさらば(米/監フランク・ボザーキ
原作 A.ヘミングウェイ 出演 ゲーリー・クーパ
ー、ヘレン・ヘイス)。
グランド・ホテル(米/監エドモンド・グール
ディング 出演 グレタ・ガルボ、ジョン・バリ
モア、ジョーン・クロフォード)。

暗黒街の顔役(米/監ハワード・ホークス(ポ
ール・ムニ、ジョージ・ラフト)。

キング・コング(米/監メリアン・C・クーパ
ー、アーネスト・B・シュトザックモフェイ・レ
イ)。

夢みる唇(独/監パウル・ツィンナー
出演 エリザベート・ベルクチア、ルドルフ・フ
ォル
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昭和懐古録 # 203

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『この年の映画』

6月アッパッパが写っている映画は輸出させない
など銀幕統制へ一歩。
6月 大都映画株式会社、河合映画製作社を買収し
て創立。

〈この年封切作品〉
出来ごころ(松竹/監小津安二郎 出演 坂本武、伏見信子、大日方伝)。
滝の白糸(新興キネマ/監溝口健二 出演 入江たか子、岡田時彦)。
夜毎の夢(松竹/監成瀬巳喜男 出演 斎藤達雄、栗島すみ子)。
二つ灯籠(松竹/監衣笠貞之助 出演 林長二郎、飯塚敏子)。
伊豆の踊子(松竹/監五所平之助 出演 田中絹代、大日方伝)

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昭和懐古録 # 202

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『この年の舞台』

1月 大阪の吉本興業「万才」を「漫才」と改
称。翌年四月、東京の新橋演舞場で「特選漫才
大会」を開き、東京進出をはたす。
4月1日浅草常盤座で「笑いの王国」旗揚げ、古
川緑波に徳川夢声、大辻司郎、山野一郎の活弁
組に小杉勇、島耕二ら日活脱退組、さらに三益
愛子等も加わり大当たり、ロッパはエノケンと
並ぶ浅草トップスターに。
10月 「笑いの王国」浅草金龍館を本拠に常打ち
古川緑波座長(~昭和十年五月)。三〜五本立
てで一日二~三、五回公演、+五日単位で演し
物が変わる。文芸部にいた菊田一夫の力も大き
かった 。
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昭和懐古録 # 201

#グラビティ昭和部


☆『皇太子誕生』

12月23日 市内十八カ所に設けられたサイレン
から日の出とほぼ同時刻に、親王誕生を告知す
るサイレンが二回、ボーボーと高々に鳴り響き
(一分間継続して一回鳴れば内親王、十秒後さら
に一分間鳴れば親王との取り決めがあった)、
万世一系の皇位を継ぐ明仁皇太子誕生の慶祝の
電波は満州国をはじめ、海外へも伝わった。
9年2月11日 減刑のみ五万人が恩赦。

* 皇太子は現在の上皇
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昭和懐古録 # 199

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『クロネコ争議』

12月3日 所有者小川一郎氏に提出した要求条項
の回答を待ちながら、籠城待機中であった銀座
カフェー・クロネコの男子従業員連は、小川氏
から約束の日の三日を四日に延ばされ、所有者
に善意なしと前執行委員長小川夢坊氏以下五十
人がクロネコ二階に籠城、夜を明かすこととな
った。白井喬二氏が午後ブラリ姿を現し「しっ
かりやれ」と声援し、グランド銀座会館に鞍替
えした女給連中も、シンパとしてチップの上が
りを維持費に置いて「負けないでちょうだい」
と応援。従業員側は相手の出方次第で、食堂、
化粧室の改善、賞与制度の確立、従業員慰労の
確保などを付加提出するらしい。
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昭和懐古録 # 198

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『東電社長に小林一三』

11月25日 東電の臨時重役会が郷誠之助現社長
を会長に、後任に現副社長小林一三氏を社長に
推薦することを決定。
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昭和懐古録 # 195

#グラビティ昭和部

・昭和8年(1933年)


☆『早慶戦、水原選手のリンゴ事件』

10月22日 息詰まるシーソーゲームで全国のファンを熱狂させ慶大の勝利となった、第三回早慶野球戦に早慶戦復活以来最初の不祥事が発生。八回裏慶応攻撃の際、岡選手の二盗がアウトになっ
たことで慶大側選手五、六人が斎藤塁審に異議を申し立て、なかでも水原選手が同審判に強硬に出たため、腰本監督が選手一同を引き返させた。しかし早大側はこれを憤慨、九回表で三塁手水原選手目がけ早大側スタンドからリンゴを投げた者があり、同選手が引き揚げた際にそのリンゴを早大側応援団中に投げ返した。早大側は一時どよめき慶大勝利に終わった試合終了後、早大有志が慶応
側選手席に殺到し、「水原を出せ。謝罪させよ」と怒号し始めた。慶大側は「早稲田が応援の指揮棒をぶったくった」と主張し、試合終了後危うく乱闘にまで及びそうな勢いのまま別れ、それぞれ声明書を発表。早大側は水原選手の謝罪のない以上、指揮棒問題に関する交渉には応じないとし、慶大側は早大のような乱暴者はリーグから出てしまえと抗争化。
11月8日 早慶大学野球部に対する野球連盟勧告文の内容が、大体慶大側有利で、野球部長の更迭を求めるとは内政干渉だとする早大側はリーグ脱退の公算大。
11月21日 双方共遺憾の意を表明し、解決。
12月 早大野球部監督大下常吉氏が正式に辞意表明。
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昭和懐古録 # 194

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『古賀政男離婚』

10月7日 「酒は涙か溜息か」で、一躍流行歌
作曲界の寵児となった古賀政男氏(30)が、元
松竹レビュー歌手夢野里子さんこと千曜子夫人(24)と結婚わずか十カ月で、媒酌人山田耕筰氏夫
妻立ち会いのもと、古賀氏から夫人へ一千円の
慰藉金を渡す条件で解消。
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昭和懐古録  ♯ 192

#グラビティ昭和部


 ・昭和8年(1933年)

 ☆『東京音頭大流行』

 8月「東京音頭」(西条八十作詞、中山晋平作
 曲)の盆踊りが大流行。広場があれば、そこに
 ヤグラが建てられ夕方から浴衣がけの老若男女
 が集まって踊り狂う。東京から全国津々浦々に
 波及、一世を風靡した。このチャンカ、チャン
 カのリズムは、南方系の漁猟民(泊民)らの舟
 をあやつるリズムに起源を持つもので、阿波踊
 りや沖縄のカチャーシーのリズムであって、基
 本的に農耕民(定住民)のリズムではないとさ
 れる。幕末の”ええじゃないか”のリズムが、
 このチャンカ、チャンカだったように、潜在化
 して忘れられた漂泊民のリズムは、社会・生活
 が根本から行き詰まった時、身体の奥底からの
 始源への回帰を求めて湧き上がってくるカオス
 のハケロであったようだ。それは「世直し」へ
 の願望が、凝結する核をいたまま噴出した大衆
 的エネルギーであり、権力の側から見れば”ガス
 抜き”でもあった。現在ではこの歌はプロ野球
 ヤクルトスワローズの非公式応援歌として神宮
 球場でのヤクルト戦で、ヤクルト選手がホーム
 ランを打った時とチームが勝利した時に歌われ
 ている。
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昭和懐古録  ♯ 191

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 ☆『海水浴、男女別』

 7月20 海水浴場の雑開と共に交通事故、盗難、
 溺死その他の事件が発生する恐れがあるので、
 長崎県保安課では尚その取締を徹底せしむるた
 め各業者を招致し注意を与へ、左の要項により
 一斉取締をなす事となった。
ー、海水浴場は男女別に区別するは勿論、その
  区域は柵又は浮標をもつて境界を明に標示
  し、混浴をなきしめざること。
ー、休憩所、更衣所、浴室、便所は男女別とし、
  境界に隔壁を設け透視し得ざるようにするこ
  と。
ー、休憩所、脱衣場で酒類は一切販売せしめざる
  やう。(後略)
(長崎日日)
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昭和懐古録  ♯ 189

#グラビティ昭和部


 ・昭和8年(1933年)

 ☆『ゴーストップ事件』

 6月17日 大阪市北区天神橋六丁目の交差点
 で、陸軍の第四師団歩兵第八連隊の中村政一
 一等兵が、ストップの信号を無視して道路を横
 断しようとしていたため、交通整理をしていた
 曽根崎署交通係、戸田定夫巡査がこれを止めよ
 うとしたところ、中村一等兵が突っぱねたため
 に二人は口論、格闘となり、中村一等兵は左鼓
 膜破裂の治療三週間の傷、戸田巡査は下口唇部
 に治療一週間の傷を負った。
 6月22日 第四師団の井関隆昌参謀長は「事件
 は皇軍の威信に関する重大な問題」とする声明
 を発表、大阪府側に陳謝を要求。これに対して 
 大阪府側は「正当な職務行為である」として陳
 謝を拒否、双方は対立。以後、第四師団側を荒 
 木貞夫陸軍大臣が激励し、大阪府側を内務省が
 後援、陸軍中央と内務省との面子問題に発展。   
 7月18日 憲兵隊は大阪地裁に戸田巡査を暴行
 傷害罪で告発。和田良平検事正が調停和解に当
 たったが、軍側が斡旋を拒絶して破綻。憲兵隊
 は戸田巡査の身元調査を行い、入籍届け未了ゆ
 え本名は中西だと暴露。すると警察側も負けて
 はおらず中村一等兵の前歴を調べ、過去に七回
 の交通違反をなし常習者だと公表、まったくの
 泥仕合となった。
 11月18日 白根竹介兵庫県知事が仲裁に乗り出
 し、警察側の譲歩を条件に軍側を説得した結
 果、大阪府側が陸軍側に譲歩して和解が成立、
 軍側は告訴を取り下げた。
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昭和懐古録  ♯ 186

#グラビティ昭和部

 ・昭和8年(1933年)

 ☆『ニューディール』

5月12日 米特別議会、農業調整法可決。
5月18日 テネシー渓谷開発公社法可決。
6月16日 全国産業復興法可決=いわゆるニュー
     ディール立法。
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昭和懐古録 # 185

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『沢村貞子出演不許可』

5月5日 築地小劇場で上演された左翼劇場公演
「恐怖」で、クララ役で出演する予定の女優沢
村貞子さんは、昨年四月コップ一斉検挙で目下
保釈中のため、出演不許可を所轄築地署から
言い渡され、沢村さん自身同署に出頭、特高係
の了解を求めようと努めたが、受け入れられず
出演不可能となった。この突発事のため開幕は
遅れ、観客は湧き立ったため一部の人々に対し
切符払い戻しを行う一方、クララ役は病気臥
床中の山本安英を急きょ招き、悲壮な代役を務
めさせた。
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昭和懐古録 # 183

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『大阪地下鉄 梅田-心斎橋間 開通』

5月3日 大阪市営高速鉄道(地下鉄)梅田ー心
斎橋間開通。
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昭和懐古録 # 181

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・昭和8年(1933年)

☆『円安に狙われた古美術』

4月1日 重要美術品等の保存に関する法律公布。
これは、「準国宝的」な古文献、書画、美術品
などを保護する法律がなく、貴重なものが円安
のため外国に流れ去ったことから、今後そうし
たことを防ぐ法律。この法案を検討中にも、
鎌倉時代の土佐光長作「吉備大臣入唐絵巻」が
ボストン美術館に買い取られていたことがわか
った。数年前には紀州徳川家の伝阿佛筆の「源
氏物語」が箱のみの値段でイギリスに買わた。
また日本にあった世界で二番目に古いとされた
唐の閻立本筆の「歴代帝王図鑑」も十数万円で
アメリカに買われた。
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昭和懐古録  ♯ 179

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 ・昭和8年(1933年)

 ☆『三陸地方で大地震』

  3月3日 午前二時三十一分、三陸地方に大
  地震、大津波。明治二十九年以来三十八年
  ぶりの大地震で、釜石、大槌両町を中心に
  津波と火災に襲われ、死者約三千人、流失
  倒壊家屋約七千戸。
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昭和懐古録 # 178

#グラビティ昭和部


・昭和8年(1933年)

☆『ナチス独裁政権へ』

  1月30日 ヒトラー独首相就任。
  2月27日 国会議事堂放火炎上事件(ナチス
  の陰謀で共産党の仕業と宣伝し、翌日反ナチ
  取り締まりの緊急命令)。
  3月5日 独国会総選挙(ナチス二百八十八、
  社民党百二十、共産八十一)。
  3月9日 共産党非合法化。
  3月23日 独国会で全権委任法可決、ヒトラ
  ー独裁権確立。
  5月2日 労働組合禁止。
  5月10日 焚書事件。
  5月28日 ダンチヒ自由選挙でナチス過半
  数。
  6月22 社民党の活動全面禁止。
  7月14日 新政党結成禁止(ナチス唯一政党
  に)。 
  7月20日 ナチス=ドイツ、ローマ法王庁と
  政教協約(コンコルダート)調印。
  10月14日 独、ジュネーブ軍縮会議・国際
  連盟から脱退。
  11月12日 独総選挙、ナチス六百六十、
  ヒトラー内閣政綱信任人民投票は反対五%(二百十万)無効七十五万で、賛成四千五十八万
  票。「開票結果は予想以上だとヒトラー首相
  も驚いてゐる」(中外商業)。→アインシュ
  タイン、トーマス・マン、独から亡命。
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昭和懐古録  ♯ 174

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 ・昭和8年(1933年)

 ☆『小林多喜二の虐殺』

 2月21日 プロ作家の驍将、小林多喜二氏は
 目下保釈出獄中のものであるが、共産党再建
 運動の疑ひあり、二十日午後一時赤坂区溜池
 電車通で築地署水谷特高主任小澤巡査が逮捕し 
 同署に引致取調べをなしたが、逮捕の際小林氏
 は相当抵抗し至極元気であったが、取調べを行
 つた上同日午後四時留置場に収容し、間もなく
 午後五時半頃小澤巡査が留置場をのぞいてみる
 と、小林の態度が一変して何か苦悶してゐるの
 で直ちに付近の築地一丁目前田博士の往診をう
 けたところ、心臓麻連と決定、直ちに応急手当
 をなし同七時前田病院に収容したが、その時は
 もはや全く意識不明で午後七時半絶命した。小
 林氏は発病直前には非常に元気であり又服毒の
 形跡もないが築地署長は取調べに当って絶対に  
 暴行を加へなかつたと言明してゐるので死因に
 就いて疑ひあり、二十一日午前十一時検事局よ
 り検事が出張検証を行った。
 2月22日(既報)築地署で急死した小林多喜二氏
 の死因につき、東京検事局吉江検事が検証した
 結果、死因は心臓麻連で拷問の疑ひなしと断定
 して死体解剖等はしない事になつた。小林多喜
 二氏の遺骸は二十一日午後九時収容中の前田病
 院から実母セキさん(61)、本家の小林一次氏他 
 プロット作家同盟の諸氏に守られて杉並区馬橋
 の小林多喜二氏の自宅に運ばれ文化連盟、作家
 同盟救援弁護士団の諸氏数名がしめやかに通夜
 を行つたが実母セキさんは涙乍らに語る。
「多喜二は今まで丈夫で子供の時から心臓病なん
 かしたことはありません。すべて帝大でとにか
 く死骸を解剖にした上のことです」。

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昭和懐古録 # 172

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・昭和8年(1933年)

☆『誘拐されて辻占い』

2月5日 東京荒川区三河島町に住むS子ちゃん(8)は、去る昭和六年七月五日、自宅付近で遊んでいたときに誘拐された。車夫の父親は、その年の秋に仕事を休んで巡礼姿となって全国を探し歩いたが見つからなかった。ところが四日大阪飛田遊廓北門付近で中年のルンペンが辻占売りの少女にいたずらしているのを見かねた通行人が警察に届けた。当初、実の父親であると言っていたが翌五日になって、大阪市立市民病院横空地に巣食うルンペンの久七こと小沢啓(37)とS子ちゃんであることがわかった。S子ちゃんは三河島の細工工場で働いていた小沢に可愛いからと目をつけられ誘拐されていた。小沢は誘拐後栃木県の知人を頼って姿を消したが、捜査が厳重なために大阪に行き、西成区細民街の簡易宿に投宿してS子ちゃんに辻占売りをやらせて生活していた。S子ちゃんは一年半ぶりに家族と対面することになった。
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