関連惑星
兵庫の星
3643人が搭乗中
参加
兵庫県のいろいろな話題、写真をお送りしていたいと思います。
兵庫県民集まれ!
613人が搭乗中
参加
同じ兵庫県民の方と仲良くなりたいと思ったので作ってみました!是非是非兵庫県の良さをみんなで共有しましょう!
R7年度出産ママの星
584人が搭乗中
参加
ここは2025年4月〜2026年3月末までに出産した、出産予定のママ専用の星です!
お子さん1人目でも3人目でもこの期間に出産された方の参加をお待ちしております!
「みんな準備してるのかな?」
「この投稿の方と同じこと思ってた〜!」
「今日は雨で1日最悪だった…」
などなど、みんなへの質問や嬉しかったこと、今日の疲れなど色々投稿しちゃいましょう!
この星はモラルを持ちつつも自身の気持ちを素直に投稿できる星を目指しています。なので「つい周りと比べちゃって…投稿見るのが辛くなってきたかも…」となる場合は申し訳ありませんがそっと自主退職の方をお願いしています🙇🏻♀️💦
勿論、星の住人への悪意のある投稿を見つけたら消去又はDMさせて頂きます!
R7年度出産ママの星を
よろしくお願いします😂❤️
謎解き・脱出の星
273人が搭乗中
参加
大会出ない系トレーニの星
112人が搭乗中
参加
趣味は筋トレ!
でもジムに行くのは週に1回ぐらい…
筋トレ頑張ってます!
でも食事調整とかめんどいので好きな物食べてます!
ジムやお風呂の鏡で隣の人と密かに比べてます!
でも大会には出ません!w
それなりに真面目にトレーニングしてるけど、大会は目指してない、趣味範囲で頑張ってるトレーニーさん用の惑星です✨️
メンタルの出会いの星
78人が搭乗中
参加
【ゆるっとつながる出会いの場】
〜生活保護・メンタル疾患、難病や身体の障害などの当事者同士で安心して話せるコミュ〜
「似たような境遇の人と出会いたい」
「分かり合える人と、無理せず話したい」
そんな想いから、このコミュニティをつくりました。
この場は、生活保護を受けている方や、うつ病・不安障害・発達障害などメンタルに不安を抱える方、身体障害などの方が、ゆるくつながり、出会いや交流を楽しめる場所です。
🌿 同じ立場だからこそ、安心して話せる
💌 恋愛・友達・雑談・相談、目的は自由
🛑 誹謗中傷・マウンティングは禁止。やさしさ最優先
🙆♂️ 年齢・性別・地域は問いません。
「恋愛したい」「仲間がほしい」「孤独をちょっと減らしたい」——
そんな気持ちを、少しでも大事にできる場所にしたいと思っています。
また、同時に『生活保護の星』と『おいでよメンタルや生活保護の沼へ』のグルチャも同時に運営中!
⸻
※恋愛目的も歓迎ですが、相手を思いやる気持ちは忘れずに。
※安心・安全な場を守るため、トラブルや不適切な言動は管理します。1発アウトも場合によってはありますのでご注意下さい⚠️
入口と出口の扉の星
77人が搭乗中
参加
人生は選択の連続
何かを始めたり終わりにしたり、どれもこれも
新しい挑戦を始めるのにも終わりにするにも
色んな入口と出口を通ります
見たことない世界への扉
興味あるけど開けるのが怖い扉
仕事終わりに閉じる扉
毎日は入口と出口に満ちています
素敵な場所への入口
興味ある扉
疲れて閉じる扉
色んな扉を見せてください
R6年度出産子育ての星
77人が搭乗中
参加
こちらの星は、令和6年度(2024年4月~2025年3月)生まれのお子さんを持つママさんパパさんの星となっております。
成長過程、寝かしつけ、離乳食など
問題山積みですよね😇
同級生のパパママ同士で、色んな悩みを打ち明けて共感したり交流出来る場として使っていただければなと思っております!
辛い時もひとりじゃなくて吐き出してもらえると嬉しいです。
みんなで対策コメントしたり、慰め合いましょう!!!
子育てはひとりじゃない、
夫婦だけでもないから大丈夫!
この星の運営が安定してから生まれ月毎にグルチャも作っても楽しいかなと思ったりもしてます!
今のところ特に制限はありませんので、ご自由にお使いください♡♡
2025年8月6日 管理人 よん。
元気の出る名言集
66人が搭乗中
参加
自由参加の惑星です🪐
皆さんで元気の出る言葉や写真 音楽など投稿して行きましょう🌟
本音を吐き出す星
61人が搭乗中
参加
人気

Hexa


ブロッ

るか🍒

マグネ

力

YUM(ヤム

漁師二

クラムボン
もっとみる 
関連検索ワード
新着
ればにら
サリンジャーの話。
家業を継ぐより作家になりたくて大学に入り直す。家はお金持ち。母はサリンジャーを応援してるけど父はよく思っていない。大学で良き師と出会い作家デビュー。一躍有名に。だけど戦争に出兵。出兵中に恋人がチャップリンと結婚。失恋。ノルマンディー作戦に参加し仲間はみんな死ぬ。サリンジャーは奇跡的に生き残るもPTSDに悩まされる。それを乗り越えライ麦畑でつかまえてを書き上げる。ライ麦畑は大傑作となりサリンジャーは引く手数多の作家に。美しい女性と結婚。だけど人との接触を断ち家族とも上手くいかず離婚。そして作品の出版も拒みひとりぼっちで生きていく。
ライ麦畑ってどんな話だったか思い出せない。また読むか。


またんぎ
香椎宮は単なる「神功皇后を祀る神社」ではなく、皇后の人生における最大の転換点(夫の死と自身の覚悟)となった歴史的舞台そのものです。
1. 香椎宮の起源:行宮(仮の宮)から「廟」へ
事実として、現在の香椎宮がある場所は、かつて仲哀天皇(第14代天皇)と神功皇后が仮の皇居(行宮)を置いた場所であり、歴史的には「橿日宮(かしひのみや)」と呼ばれました。
仲哀天皇の崩御:
『日本書紀』等の記述によると、熊襲(くまそ)征伐のためにこの地を訪れていた仲哀天皇は、神功皇后に降りた「海を渡って金銀財宝のある国(新羅)を攻めよ」という神託を信じず、その報いによってこの橿日宮で急死(崩御)しました。
日本唯一の「廟」としての始まり:
夫の死に直面した神功皇后は、その御霊を慰めるため、この地に祠(ほこら)を建てて祀りました。これが香椎宮の起源です。そのため、香椎宮は長らく神社(社)ではなく、死者を祀る**「廟(香椎廟)」**という特別な扱いを受けてきました。皇后自身が祀られるようになったのは、さらに後の時代(聖武天皇の時代など諸説あり)のことです。
2. 「香椎(かしい)」の地名と神功皇后の直接的関係
「香椎」という地名は、神功皇后が夫・仲哀天皇を弔った際の出来事に由来すると社伝に残されています。これは憶測ではなく、神社の由緒として明確に語り継がれている事実です。
棺掛の椎(かんかけのしい):
仲哀天皇が崩御された際、その遺体を納めた棺を、傍らにあった椎(シイ)の木に立て掛けました。すると、その椎の木から不思議な**「香(か)」り**が漂い始めたと伝えられています。
地名の発生:
この「香りのする椎の木」という事象から、この地が「香椎」と呼ばれるようになりました。
現存する証拠:
香椎宮の本殿の北東にある「古宮(ふるみや)」と呼ばれる場所(ここが仲哀天皇の本来の宮の跡地です)には、この伝承の元となった椎の木の子孫とされる木が、現在も「棺掛の椎」として実在し、祀られています。
3. 福岡市東区の地名に残る「皇后の決意」の足跡
香椎宮周辺(福岡市東区)の地名には、仲哀天皇の死後、神功皇后が悲しみを乗り越え、海外出兵(三韓征伐)へ向かうための**「準備」と「儀式」**を行った事実が刻まれています。
御島(みしま)と片男佐(かたおさ)
香椎宮から海側(現在の香椎浜方面)へ出た場所に残る地名と史跡です。
御島(みしま):
香椎の海上に浮かぶ小さな島(現在は東区香椎海岸の沖合にある鳥居が立つ岩礁)。『日本書紀』にも記述がある場所で、神功皇后はここで髪を海水で洗い、神意を占ったとされます。「髪が自然に分かれるならば、海を渡って戦おう」と念じたところ、髪が二つに分かれたという伝承地です。
片男佐(かたおさ):
現在の御島神社の対岸付近(東区香椎駅前〜香椎浜周辺)に残る旧地名です。髪を洗った皇后が、ここで男装(男の髪型=ミズラ)を結った際、「姿は男だが、実は女である(片方は男)」という意味、あるいは「男の格好を補佐した」という意味から「片男佐」の名がついたと、筑前国続風土記などに記されています。現在も「片男佐橋」という橋の名前にその痕跡が残っています。
不老水(ふろうすい)
香椎宮の近く(東区香椎4丁目)にある湧き水です。
武内宿禰(たけうちのすくね)との関係:
神功皇后と仲哀天皇に仕えた忠臣・武内宿禰が、この水を汲んで天皇・皇后の食事や酒を調理したと伝えられています。彼が300歳以上生きたという伝説から「不老水」と呼ばれます。これは神功皇后がこの地で生活(行宮での暮らし)を営んでいたという「生活の事実」を裏付ける史跡として現存しており、環境省の名水百選にも選ばれています。
筥崎(はこざき:現在の箱崎)
香椎と同じく福岡市東区にある筥崎宮の由緒です。
胞衣(えな)の箱:
神功皇后が海外遠征から帰還し、今の宇美町で応神天皇を出産した後、その胞衣(へその緒や胎盤)を納めた箱を埋めた場所が、この地であったことから「箱崎(筥崎)」という地名が生まれました。香椎で決意し、出発し、帰還してその証を埋めた、東区全体が皇后の一連の物語の舞台となっています。
まとめ:香椎における「事実」の核心
憶測を避け、香椎宮と神功皇后の関係を要約すると以下のようになります。
香椎は、神功皇后が夫(天皇)を亡くした悲劇の場所である。
同時に、悲しみを断ち切って国を守る(外征する)決意を固めた再出発の場所である。
その歴史的経緯(棺の香り、男装の儀式、生活の用水)が、「香椎」「片男佐」「不老水」といった具体的な地名や史跡として今日まで定着している。
香椎宮とは、単なる信仰の対象である以前に、日本の古代史における「政権の激動」と「一人の女性の決断」が刻まれた、極めて具体的な歴史現場であると言えます。

またんぎ
また、北九州各地に残る地名と神功皇后の「伝説上の事実(記録として残る伝承)」との関連性についても記述します。
1. 甲宗八幡宮と神功皇后の「直接的」な関係
甲宗八幡宮において、神功皇后は単なる「祀られている神の一柱」ではなく、神社の名前の由来および御神体(ごしんたい)そのものと深く関わっています。
【事実1】 御神体は神功皇后の「兜(かぶと)」である
甲宗八幡宮の最大の特徴は、本殿に祀られている御神体(神の依代)が、神功皇后が三韓征伐(新羅出兵)の際に着用したと伝えられる**「御甲(ごかぶと)」**であるという点です。
一般的な八幡宮が「八幡神(応神天皇)」を主とするのに対し、ここは神功皇后の遺品(武具)そのものを信仰の中心に据えています。
* 公開周期: この兜は「秘宝」とされており、通常は一切見ることができません。50年に一度の大祭の時のみ御開帳(公開)されます。
* 直近の公開:平成20年(2008年)
* 次回の公開予定:2058年
【事実2】 社名「甲宗(こうそう)」の由来
「甲宗」という独特の社名は、この御神体である「甲(かぶと)」を「宗(むね=中心、源)」として祀ることから名付けられました。
【事実3】 創建の経緯(宇佐からの勧請)
社伝によると、この神社が創建されたのは平安時代の**貞観2年(860年)**です。
神功皇后が実際にこの場所に兜を埋めたわけではなく、以下の経緯で「兜」が鎮座することになりました。
* 清和天皇の命を受けた太宰大弐(だざいのだいに)・**清原真人岑成(きよはらのまひとみねなり)**が創建に関わりました。
* 当時、豊前国(大分県)の宇佐八幡宮に保管されていた「神功皇后の御甲」を、この門司の地に勧請(神の分霊を移すこと)し、御神体として祀りました。
* これは、門司が京(京都)へ向かう海路の要衝であり、国家鎮護(特に西側の守り)の拠点として重要視されたためです。
2. 門司および北九州市内の「地名」と神功皇后の足跡
北九州市には、神功皇后の遠征ルート(行軍、滞在、凱旋)に由来するとされる地名が数多く存在します。これらはあくまで「伝説に基づいた地名由来」ですが、地域史として定着している事実です。
【門司区】 大里(だいり)
* 由来: 神功皇后がこの地に一時的に宮(仮の御所)を置いたことから、天皇の住まいを意味する「内裏(だいり)」と呼ばれ、後に「大里」の字が当てられました。
* 関連: ここにはかつて「柳ヶ浦」という地名がありましたが、皇后の滞在により地名が変化しました。現在もJR大里駅(現・門司駅周辺)や大里本町などの地名に残っています。
【門司区・海峡】 満珠(まんじゅ)・干珠(かんじゅ)島
* 由来: 関門海峡(門司沖)に浮かぶ二つの小島。神功皇后が龍神から授かった、潮を操る2つの珠(潮満珠・潮干珠)を、凱旋後に海に沈めた場所(またはその珠が島になった)と伝えられています。
【八幡東区】 皿倉山(さらくらやま)
* 由来: 神功皇后がこの山に登り、国見(地形の視察)をした際、下山するときにはすでに日が暮れていたため**「更に暮れたり(さらにくれたり)」**と言ったことが、「皿倉(さらくら)」の語源とされています。
【小倉北区】 到津(いとうづ)
* 由来: 遠征から戻った神功皇后の船が、この地の港に**「到着した(津に到った)」**ことから「到津」と名付けられました。ここには、皇后が皇子(後の応神天皇)に乳を与えたという伝説が残る「乳山八幡神社」も鎮座しています。
【若松区】 若松(わかまつ)
* 由来: 皇后がこの地の海岸に上陸した際、霊石を見つけて「海原の蒼溟(そうめい)たる、松の青々たる、我が心も若し(この松のように私の心も若い)」と詠み、**「若松(小松)」**を植えたという伝承から名付けられました。
まとめ:甲宗八幡宮の位置づけ
北九州各地に神功皇后の「足跡(滞在・行動)」を示す地名が残る中で、甲宗八幡宮は、皇后の「武具(兜)」という物理的な象徴を祀る場所として特異な存在です。
皇后自身がその場を通ったという伝承(大里など)とは異なり、ここは**「国家の守護神としての神功皇后(の力の象徴である兜)」を、宇佐から移して意図的に配置した場所**であるというのが、歴史的記録(社伝)に基づく事実関係となります。

またんぎ
和布刈神社と神功皇后の関係は、単なる「立ち寄り地」ではなく、「神社の創建者」であり、かつ現在まで続く「神事の創始者」であるという極めて密接な当事者性にあります。
1. 和布刈神社と神功皇后の直接的な関係(社伝による事実)
和布刈神社の由緒(歴史的起源)において、神功皇后は以下の3つの役割を果たしたと記録されています。
* 創建者としての役割:
社伝によれば、和布刈神社は仲哀天皇9年(西暦200年)、神功皇后自身によって創建されました。三韓征伐(朝鮮半島への出兵)からの帰途、この早鞆の瀬戸(関門海峡)に立ち寄り、戦勝を導いた神への感謝として社を建てたとされています。
* 祭祀者(神主)としての役割:
これが最も特徴的な点ですが、神功皇后は自らが神主(祭祀を執り行う者)となり、早鞆の瀬戸のワカメを刈り取って神前に供えたと伝えられています。これが現在も毎年旧暦元旦に行われている**「和布刈神事(めかりしんじ)」**の起源です。通常、皇族が創建を命じることはあっても、自らが海に入り供物を捧げるという伝承は稀有であり、皇后のこの地に対する強い畏敬の念が示されています。
* 奉斎した神:
皇后が祀ったのは「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)」、別称**「瀬織津姫(せおりつひめ)」**です。この神は潮の満ち引きを司る月の女神とされ、皇后の渡海をその「導きの力」で助けたとされています。
2. 「満珠・干珠」の伝説と地名・遺産
神功皇后の伝説における最重要アイテムである「潮の満ち引きを操る2つの珠」についても、和布刈神社および関門海峡周辺には具体的な「モノ」と「場所」として記録が残っています。
* 満珠(まんじゅ)・干珠(かんじゅ):
龍神より授かったとされるこの2つの珠は、現在も和布刈神社の御神宝として大切に保管されているとされています(社伝)。
* 満珠島・干珠島:
和布刈神社の目の前に浮かぶ2つの無人島です。伝承では、皇后が戦いを終えてこの珠を海に返したところ、島になったとされています。
※事実関係の補足:島そのものは対岸(下関・長府)にある**忌宮神社(いみのみやじんじゃ)**の飛び地境内となっていますが、和布刈神社からもその姿を拝むことができ、海峡を挟んで双方の神社がこの「珠」の伝説を共有・継承しています。
3. 周辺地名と神功皇后の関係
門司および北九州エリアの地名には、神功皇后の行動や持ち物に由来するとされるものが点在しています。
* 和布刈(めかり):
地名および神社名の由来は、前述の通り神功皇后が「和布(ワカメ)」を「刈」ったという行為そのものです。
* 甲宗(こうそう) - 甲宗八幡神社:
和布刈神社の南、門司区旧門司にある甲宗八幡神社には、神功皇后が着用していたとされる**「甲(かぶと)」**が御神体として祀られています。「甲(かぶと)の宗(おさ・もと)」であることから「甲宗」という社名になったと伝えられています。
* 早鞆(はやとも):
海流が「早い」瀬戸(海峡)という意味ですが、神功皇后がここで禊(みそぎ)や神事を行った場所として、神聖視されてきました。
結論
事実関係を整理すると、和布刈神社は神功皇后の**「凱旋記念碑」であり、かつ皇后自身が執り行った「祭祀の継承機関」**としての性格を持っています。
単に「伝説がある」というレベルを超え、1800年以上続く「ワカメを刈る」という具体的な儀式や、「甲(かぶと)」という物証(御神体)への信仰を通じて、皇后の足跡がこの地域のアイデンティティそのものとして機能していると言えます。

またんぎ
* 成務天皇40年(170年頃):誕生
* 息長宿禰(おきながのすくね)の娘として誕生。気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)とも呼ばれる。
* 仲哀天皇2年(193年):立后
* 仲哀天皇の皇后となる。同年、天皇の熊襲(くまそ)征伐に同行し九州へ向かう。
* 仲哀天皇8年:神託と不信
* 筑紫の橿日宮(かしいのみや)にて神がかりし、「西にある宝の国(新羅)」を授けるという神託を受ける。しかし、夫である仲哀天皇はこの神託を信じず無視した。
* 仲哀天皇9年(200年):夫の死と熊襲平定
* 2月、仲哀天皇が崩御。
* 3月、皇后は夫の遺志を継ぎ、自ら指揮を執って熊襲征伐を完遂する。
* 仲哀天皇9年(200年):三韓征伐(新羅出兵)
* 4月、松浦にて渡海遠征を宣言し、男装して準備を行う。この際、出産を遅らせるために石(鎮懐石)を腰に巻いたとされる。
* 10月、和珥津(わにのつ)を出航。新羅を攻め、戦わずして降伏させる(新羅王は金銀等を献上)。これを見た百済・高麗(高句麗)も朝貢を約束し、三韓を従わせた。
* 仲哀天皇9年(200年):応神天皇の出産
* 12月、筑紫に帰還後、譽田別尊(ほむたわけのみこと=後の応神天皇)を出産。
* 神功皇后摂政元年(201年):忍熊王の乱と摂政就任
* 3月、畿内へ戻る際、反乱を起こした香坂王・忍熊王の軍勢と交戦し勝利する。
* 10月、初の「摂政」として即位し、政務を執り始める。
* 神功皇后摂政3年(203年):遷都
* 磐余若桜宮(いわれのわかさくらのみや)へ都を移す。
* 神功皇后摂政46年(246年または366年):百済との外交
* 卓淳国へ使者を送り、百済との国交を深める記述がある。
* 神功皇后摂政69年(269年):崩御
* 4月17日、100歳にて崩御。

またんぎ
高見神社は、一般的に「神功皇后が祀られている神社」と誤解されがちですが、正しくは**「神功皇后が自ら戦勝を祈願して創建した神社」**です。北九州の古代史において非常に重要な意味を持つ場所です。
1. 高見神社の起源:神功皇后による「戦勝祈願」
高見神社の創建は、今から約1800年前(伝承では西暦200年頃)に遡ります。
* 伝承の背景
神功皇后が三韓征伐(朝鮮半島への出兵)に向かう際、現在の北九州市周辺に立ち寄りました。このとき、洞海湾(どうかいわん)の地形や潮の流れを利用して軍船を整えましたが、出発にあたり**「皇祖神(天皇家の祖先神)」に戦勝を祈る場所**が必要でした。
* 「高見」の由来
皇后は、洞海湾を見下ろす小高い山(当時の大字尾倉字高見、現在の八幡東区東田付近)に登り、そこで天の神々(天津神)を祀って祈りを捧げました。
この**「高い場所から見渡して祈った(高見)」**という故事が、現在の「高見」という地名および社名の由来となっています。
2. 祀られている神様(御祭神)の謎
ここが重要なポイントですが、高見神社の主祭神は神功皇后ではありません。皇后が**「祈りを捧げた相手」**が祀られています。
* 天神皇祖神十二柱(あまつかみこうそしん じゅうにはしら)
皇后が祀ったのは、天地開闢(世界の始まり)の神様である**天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)や、天皇家の祖先である天照大御神(あまてらすおおみかみ)**など、合計12柱の神々です。
* これらは「物事の始まり(造化)」を司る神々であるため、高見神社は現在、製鉄業をはじめとする**「ものづくりの神様」**として信仰されています。
※現在は、これに加えて仁徳天皇や宗像三女神などが合祀され、合計19柱が祀られています。
3. 地元の豪族「熊鰐(くまわに)」との深い関係
この伝説を語る上で欠かせないのが、当時この地域(岡の県:おかのあがた)を支配していた豪族、**岡県主熊鰐(おかのあがたぬし くまわに)**です。彼は神功皇后を全面的にサポートしました。
* 水先案内と船の整備
熊鰐は、周防(山口県)の豊浦まで皇后を出迎え、洞海湾まで導きました。
* 帆柱山(ほばしらやま)の伝説
皇后の船の「帆柱」を作るために木を切り出した山が、現在の八幡西区・東区にまたがる帆柱山であると伝えられています。
* 魚鳥池(うおとりいけ)の伝説(※北九州の重要伝承)
皇后の船が洞海湾に入った際、潮が引いて船が進めなくなってしまいました(あるいは皇后の機嫌が悪くなったとも)。
焦った熊鰐は、急いで近くに池を掘り、そこに魚や鳥を集めて皇后に見せ、心を慰めたといいます。これが現在の北九州市若松区(および八幡西区周辺)に残る**「魚鳥池(ぎょちょうがいけ)」**の伝説です。高見神社の創建伝承は、こうした熊鰐一族の協力エピソードとセットになっています。
4. 近代における数奇な運命:製鉄所との関わり
高見神社は、明治時代以降、日本の近代化とともに劇的な歴史を歩みました。
* 場所の移動
もともと神社があった場所(東田地区の高見山)は、明治29年(1896年)に官営八幡製鐵所の建設用地となりました。そのため、神社は一時的に近くの「豊山八幡神社」に遷座(移動)することになります。
* 現在の場所へ
その後、昭和8年(1933年)、日本製鐵(現・日本製鉄)の誕生などを記念し、国家事業として現在の場所(八幡東区高見)に壮大な社殿が造営されました。
この経緯から、高見神社は**「八幡製鐵所の守護神」**としての性格を強く持ち、鉄鋼マンやその家族たちの心の拠り所となってきました。
まとめ
高見神社は、単なる古い神社ではなく、以下の二つの側面が融合した非常に珍しい神社です。
* 古代: 神功皇后が三韓征伐の成功を祈り、地元の豪族・熊鰐がそれを支えた**「神話の舞台」**。
* 近代: 日本の産業革命(製鉄)の発展を見守り、用地提供を経て再建された**「鉄の守護神」**。
神功皇后自身は祀られていませんが、彼女の**「強い祈り」と「行動」**が起点となって生まれた、北九州の歴史そのものを象徴する場所と言えます。

🐘ユメゾウ🐘
おはようございます❄⛄🎿🏂🎅🎄
夜勤明けのみなさんお疲れ様でした
お仕事のみなさん行ってらっしゃい👋
西へ西へと向かった
8泊9日のクルマ旅🚗💨
訪問先のご紹介😊
ここは.....
長崎県唐津城🏯
名前の由来は...
『唐(中国大陸や朝鮮半島)へ渡る港(津)』
古くから大陸との交易が盛んな街とのこと
1592年に朝鮮出兵の拠点として
現在の唐津市から北西に位置した場所に
豊臣秀吉さんが名護屋城を築城
徳川家康さんをはじめとする
全国の大名が率いる15万ともいわれる軍勢と
様々な人々が交流する巨大都市が出現しました
大河ドラマ「豊臣兄弟」でも紹介されるかもねぇ
名護屋城は秀吉の死と共に
7年間の短い期間で廃城となり
幻の都市となりましたが
一方では博多の豪商による南蛮商業交流や
能、浄瑠璃、茶の湯、 唐津焼などによる
安土桃山文化が入った街になったようですね
「唐津くんち」なども有名ですね
唐津城🏯は名護屋城の廃材で
造られたお城とのことで
歴史好きには興味湧きますね
この後....
地元の鮮魚店で
お刺身を買って(これが新鮮でめちゃくちゃ安い)
車中飯🐟🐟🐟
ご馳走様でした🙏
鈍った身体を
奮い起こして
今日も楽しみましょうねぇ😊
#GRAVITY日記
#GRAVITY友活
#おはようGRAVITY
#クルマ旅
#唐津城




翼あるもの
もっとみる 
おすすめのクリエーター

Hexa
きのこ犬のビジュを愛してやまない。原作は知らない。
フォロワー
0
投稿数
1615
ればにら
わたしは何者でもありません。
フォロワー
0
投稿数
916

クラムボン
主に写真あげてます。きれいな写真と猫は
癒し〜
写真以外もけっこうあげます
最近はあくねこにハマってて推しはラトとベリアンとフルーレとミヤジだけど箱推しです
フォロワー
0
投稿数
789

またんぎ
抵抗は無意味だ!
フォロワー
55
投稿数
780

🐘ユメゾウ🐘
関西在住・既婚者☺️だよ
時間があれば愛車で
日本全国を旅してまわっています🚗³₃
でも...最近は仕事が忙しくてね☺️
dmはなかなかお返事出来ないので
投稿へのコメントをお願いしますね♬.*゚
無言フォロー❌ですね
フォロワー
0
投稿数
672
