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2026年1月24日(土)昭和を感じたい

最低気温1℃。くもり一時晴れ。そんなに寒さは感じない。最高気温8℃。天気痛12時台までと18時台「やや注意」、乾燥状態18時台「カラカラ」、他の時間帯「乾燥」、強風注意報→強風・乾燥注意報発令。

朝食はヨメさん作パン(プレーンとチーズ)、インスタントのホットコーヒー。

明日の夕食をキムチ鍋にしようとの事で、ショッピングセンターに行った。買い物を済ませて紀伊国屋書店へ。『レコード・コレクターズ』を立ち読みしてから店内をウロウロ。中公文庫から出ている関川夏央さんの『砂のように眠る 私説昭和史1』が面白そう。3部作の第1弾で、小説と評論を交互に構成した一作。須賀敦子さんの解説を少し読んだら、「昭和」ならではの生活や時代背景がヴィヴィッドに描かれているようだ。1949年生まれの著者が73年ぐらいまでの期間にわたる時代が本作のテーマとの事だ。私は57年生まれなので心に残るものがあるような気がする。

昼食はカレー。食後にどら焼き。夕食は、卵かけごはん、豚テキ、湯島大根メインのおでん風、大根の皮のきんぴら。食後にみかん、コーヒー&チョコビスケット。

大相撲初場所の熊本出身力士。【十両】佐田の海白星で9勝5敗。藤青雲白星で10勝4敗。若ノ勝も3敗を堅持しているので、藤青雲は他力に頼らなければ優勝の可能性は無い。ただし、来場所入幕は確実だ。【幕内】正代黒星で6勝8敗。無念の負け越し。義ノ富士白星で7勝7敗。どうにか明日勝ち越しを。優勝争いは安青錦が大の里に敗れ、3敗で熱海富士と並んだ。ちなみに4敗は大の里、霧島、阿炎、欧勝海となる。

マイアミのディープ・シンガー、J.P.ロビンソンの68年<アルストン>発「You Can Be A Lady」。豪快というよりしなやかな歌声だが深みは十分。2013年<ソウルスケイプ>盤(20曲)か20年or23年<ソリッド>盤(16曲)にて。

https://www.discogs.com/ja/release/4810464-JP-Robinson-What-Can-I-Tell-Her

https://merurido.jp/item.php?pdid=UVSL2085

♪ J.P. Robinson - You Can Be A Lady
https://www.youtube.com/watch?v=zULmeqswRzo
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You Can Be A Lady

J.P. Robinson

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2025年12月23日(火)買い物めぐり

2日ほど前から趣味のCDレビューを書き始めた。英文ライナーなので少しは時間をかける必要が出てくるかも知れないが、それもまた楽しいものである。

晴れ。朝の最低気温は3℃。日中は暖かく、フリースジャケットを脱ぎ長袖Tシャツだけでも大丈夫だった。最高気温18℃。紫外線17時まで「弱い」、天気痛15時〜21時「警戒」。

朝食は、御飯に納豆、玉子焼き、イカリングフライ、シメジの肉巻き、ウインナー、白湯。

近所で真っ先にガソリン価格を下げる給油所が、リッター144円になっていた(プリカ利用で-1円)。あと10円ぐらいドッと下がらないだろうか。

デパートに入っている手芸用品店が発行している、4割引のクーポン券を使わなきゃという事でいざデパートへ。私は蔦屋書店で『レコード・コレクターズ』の立ち読みなど。前回来た時から結構時間が経っているので、レイアウトが変わっていた。次回はさらに変化しているのでは?

デパ地下でコロッケやメンチカツ、蜂楽饅頭や正月用の純米吟醸酒2本(新潟・越乃寒梅浹[あまね]、秋田・雪の茅舎)購入。ところで、手芸用品店だが、ヨメさんが無事買い物出来たら、また4割引クーポンをくれたそうだ。それがあの人たちのやり方だ〜。

お昼は回転寿司。次いでヨメさんのメガネの蝶番の部分が緩くなったとの事で、メガネ店に立ち寄りお願いする。私のメガネも洗浄してもらった。銀行のATMに寄って、物産館とJAのファーマーズマーケットでポツポツ買い物して帰宅。蜂楽饅頭の白と黒を半分ずつ、みかん。

最近よく外出するが、どこもかしこも交通量が多いように思う。師走ならではと言えるだろうが、焦り気味な運転をする人も中には居るので、より安全運転を心掛けよう。

夕食は、御飯に御飯の友ふりかけ、黒毛和牛のメンチカツ(だったかな?)、黒豚コロッケ、鶏ハムと千切りキャベツ、豚汁。食後にチーズおかき。

プロフェッサー・ロングヘア『1949』から(7)「Bald Head」。名義はロイ・バード&ヒズ・ブルース・ジャンパーズ。ジャンプ・ミュージックの要素が強い曲は特に好きである。それにしても「ハゲ頭」を連呼するコーラスって・・・。

♪ Roy Byrd & His Blues Jumpers - Bald Head
https://www.youtube.com/watch?v=n46PhChYnDY
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Bald Head

Roy Byrd & His Blues Jumpers

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しんちあ

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#音楽好きと繋がりたい
#音楽をソッと置いておく人

昨日は寝落ちではないものの、もうムリ!ってなって寝てしまいました
生まれついての夜更かしマンなのに、最近起きれませんね〜今も出没してるま熊たちも、僕を見習って、おとなしく冬眠した方がいいと思いまーす
昨日の気になったニュースは…大阪の17歳少年がChatGPTでプログラムを作って「快活CLUB」をサイバー攻撃して逮捕された件ですね
今夜の酒場ネタにどうぞ

さて今回はブッカーT & ザ・MG’sで
昨日はスティーブ·クロッパーさんの訃報を知りまして、あらためてSTAX/VOLTの曲を色々と聴いておりました
オーティス·レディングとかメンフィス·ソウル及びファンクの屋台骨を支えた上記バンドのギタリストさんでした
最近までレコード·コレクターズの連載もありましたし、何だかいまだに信じられませんが…ご冥福をお祈りいたします🙏
カバー曲が楽しいアルバムから、スライ&ザ·ファミリー·ストーンの曲ですね
1969年リリース
でわでわ🍗
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Sing a Simple Song

Booker T. & The M.G.'s

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ケイ

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ザ•コレクターズ


#nowplaying #音楽
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#おすすめの音楽垂れ流し計画
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お願いマーシー

ザ・コレクターズ

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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

岸辺の100冊📖´- # 14-30

#読書の星 #松本隆


☆『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店

『80年代〜大滝詠一との再会 、ロンバケが遅れた本当の理由とは?』

'70年代の終わり頃からニューミュージックが台頭してきていた。歌謡曲とニューミュージックと演歌に洋楽、これらの音楽がヒットチャートを毎週入れ替わり立ち替わり目まぐるしくランダムに乱高下していた。日本の音楽シーンに於いて、若者が"自分たちの音楽"を推す風潮は実は1950年代からすでにあったはあった。ニューミュージックは歌謡曲とは明らかに歌の"造り"が違っていて、歌う楽曲はシンガー自身が作る、所謂シンガーソングライターが大半を占めていた。歌謡曲は作詞家、作曲家、レコードの音を決める編曲家が皆バラバラで餅屋は餅屋の分業制だったのだが、ニューミュージックの潮流を作ったのは、1970年デビューのはっぴいえんどである。但し、シンガーソングライターとはっぴいえんどのやり方はちょっと違っていて、その後台頭するシンガーソングライターたちの大半はレコード化する為の編曲まではプロのアレンジャーに発注したが、はっぴいえんどは自分たちで音を紡いでいった点である。まぁ、バンドだから当たり前、と思うが、1970年当時そこに踏み込むのは、既製勢力の壁が高くレコード業界ではその構図を打ち破るのには相当な勇気が必要だった。日本の音楽シーンにもそれなりの慣習が残っていた時代である。それまでの職業作家だった人たちがこの新たな潮流を嫌っていたのは言わずもがなだったが、一人だけ上手く迎合したのが筒美京平であった。筒美京平の作品はよく、洋楽をモティーフに作られている、と言われたが、その思考や在り方はニューミュージックのシンガーソングライターたちと全く機を一にしている。だから、時代が1980年代に入り洋楽の影響色濃い、ニューミュージックや後のJ-POPの時代に入ってからも筒美京平にはミュージシャンやアイドルからのオファーが絶えなかったのである。要約すると、日本のポップス史とは洋楽を如何に日本人の志向に合わせて作るか?が服部良一の時代からの命題だった、と言える。その日本のポップス史を研究したミュージシャンが大滝詠一だった。彼は1984年にアルバム『EACH TIME』を作り、個人としては初のチャート1位になったのを見届けるかのようにして、あっさりとシンガーソングライターを辞めた。1981年のアルバム『A LONG VACASION』のヒットに端を発して、丸3年間、ミュージシャンとして活躍して、他人への楽曲提供にも応じていたが、その三年間が嵐の様に過ぎ去ると彼は世間から身を潜めるかのように第一線からは遠ざかった。以後、あらゆる趣味に没頭する大滝は、三年周期で様々なことに没入しては印税やラジオの出演料で暮らしていた。活躍していた80年代から彼はテレビという媒体では唄わず全てのテレビ出演を断っていたが、その代わりラジオ📻には積極的に出演していた。そして一度没頭した趣味に回帰することも無かったが、本年9月13日土曜日23:00からNHKEテレで放映されたETV特集でクローズアップされた大滝のドキュメントの中で松本隆がインタビューに答えて……もうちょっと頑固にならずに長生きしてくれてたら、はっぴいえんどの再々結成もあったかもしれない……と語っていた"頑固にならず"は、この趣味癖のことを差しているんだろうなぁ、と私は直感で思っていた。長年の盟友ならでは言葉だった。
そんな大滝がはっぴいえんど以来、作品においては一度も組まなかった松本隆と再び組んだのが、『A LONG VACASION』だった。はっぴいえんど解散後、大滝は自己のレーベル『NIAGARA』(勿論、大滝の名に由来している)を設立したが、レコード会社が難航した。と、云うのも大滝ははっぴいえんど解散後から数々のCMソングを手掛けていて、そのCMソングの音源をレコード化したかった。それを条件に大手レコード会社を回ったが、どこも答えはNOだった。CMの音楽なんて誰が買う?。こんな感じで結局一番好感触を得たのが、大滝が一番嫌がっていたエレックレコードだった。エレックは当時吉田拓郎や泉谷しげる、佐藤公彦、海援隊、ずうとるびらを擁していた会社だったが、印税や契約に関することがアバウトで、大滝が嫌っていたのもそこが一番の要因だったようである。然し背に腹はかえられぬことから大滝は契約したのだが、嫌な予感は当たるもので、エレックレコードは1976年7月15日に倒産した。大滝は自己のレーベル『NIAGARA』を発足し最初に山下達郎や大貫妙子らがいたシュガーベイブのプロデュースを手掛けて、ファーストアルバム『SONGS』を1975年4月に、翌月に自己のアルバム『NIAGARA MOON』 をリリース。どちらも製作費を凌ぐほどの売上は出せ無かった。
田家が書いている通り、当時の大滝は作詞、作曲、編曲、自己のスタジオを持ちレコーディング、トラックダウン、マスタリングのエンジニアまですべて一人で受け持ち、果ては原盤管理に至るまで行った最初のミュージシャンであった。原盤管理についてはフジ・パシフィックの朝妻一郎という音楽に大変造詣の深い理解者がいたので、大滝は自己の音源を他者ではなく自身で管理しなければならない、との信条から1976年7月22日に株式会社ザ・ナイアガラ・エンタープライズを設立、会社の設立資金は朝妻のいるフジ・パシフィックからの援助も受けた。朝妻に関しては大滝のレコーディングに係る必要な資金を供出してくれる正にグレートコンポーザーであった。音楽は文化事業であることを分かってくれていて、単に損得勘定のみで考える人間ではなかった。朝妻がいたから、80年代の大滝の活躍があったと言っても過言ではなかろう。不遇だった70年代の大滝の活動を下支えしたのも朝妻だった。朝妻は、……彼なら間違いなくブレイクするって確信は70年代から思ってました。我々は長い目で音楽を見通さ無ければならないんです。当時の上司からは随分と責められましたが、大滝君や山下君には『時代がまだまだ全然追い付いて無かった』んでしょうね。彼らは先見性をもって音楽と向き合っていたんです。それだけは私の中にもずっとありました。だから、大滝君より山下君の方が♫RIDE ON TIME で先にブレイクしちゃったでしょ?あれれ?ってね(笑) 大滝君の時よりも山下君のブレイクの方が喜びが大きかったかな(笑)信じてたものがやっと報われたんだ、ってね。……
エレックレコードが倒産して大滝はコロムビアレコードと契約したのだが、レーベルは存続可能であり、大滝は契約金まで受け取る事が出来たのだが、大滝は契約そのものより契約金で16チャンネルのマルチトラックレコーダーを購入することの方を嬉しがった、という話は有名だ、と田家は書いている。しかしコロムビアレコードとの契約内容とは3年間でアルバム12枚、シングル12枚、つまり年間で両方4枚ずつというアイドル以上の過酷な条件を突きつけられたという。最終的にその条件はクリアしたが、中には大滝がプロデュースに専念した(2曲はヴォーカルでも参加)シリアポールの『夢で逢えたら』というオールディーズカバーアルバムや大滝の歌が入っていないインストアルバムも含まれていたのだから、コロムビアもよくこれでOKしたな……と思えるアルバムが含まれている。1976年から1979年までの3年余の間は殆ど毎日レコーディングスタジオに居たよ…と大滝の当時"丁稚"だった音楽評論家の湯川学が、後に大滝との回想談を録音したテープの中で親交のあった音楽評論家の萩原健太に語っていた大滝の言である。このテープは今回のETV特集で初披露されていた。田家はこの書の中で、『78年11月、12枚目のアルバム「LET'S ONDO AGAIN」が出て契約満了、彼は晴れて自由の身となった』とある。コロムビア時代の、大滝名義及び大滝詠一名義のみならずとも少なくとも大滝のアルバムとしてカウントできる枚数は総じて11枚であった。これにはエレックレコード時代の『SONGS』と『NIAGARA MOON』のリイシュー盤を含む。田家が指摘した『LETS ONDO AGAIN』以後にはもう一枚アルバムが出ていた。これは契約枚数を消化させる為にコロムビアレコードがナイアガラ時代の山下達郎の音源を編んだベスト盤の様なものだった。それが1980年7月10日にリリースされたTATSURO YAMASHITA FROM NIAGARA / 山下達郎 である。
因みに3年間の内シングルは9枚のみであり、こちらは契約不履行であった。
今月の1日に発行されたナイアガラの丁稚こと音楽評論家の湯川学が嘗て、レコード・コレクターズ誌で連載していた記事が上梓された『A LONG A LONG VACASION』の中でロンバケの担当ディレクターであった旧CBSソニーの白川隆三がインタビューに答えているのだが、大変興味深い証言を取り付けている。今や通説となっている松本隆が妹を亡くしてスランプに陥りロンバケの詞が書けなくなったからキャンセルしてきた、という件のことである。キャンセルしてきた松本に大滝は、発売なんて延期すればいいと言ったのは事実だが、そこで朝妻、大滝、松本、白川の4人が軽井沢で合宿して松本の再起の一助となった、という流れで語られているのは違う、という訳だ。松本隆の妹、由美子が亡くなったのは1980年6月28日のことだという。アルバムの当初の予定が1980年7月28日の大滝の誕生日で設定されていたことと鑑みると、松本の詞が発売の1ヶ月前の段階で上がって無かったというのは直接的には妹の死によるブランクとは関係ない次元でのディレイが生じていた事になる。これは今回出版された湯川の本で改めて分かった事実であった。軽井沢での合宿が発売予定だった1980年7月に行われたことも併せて考えるとロンバケの発売延期はもっと違う理由による制作上の何か、という事に他ならないしその真の理由には誰も何も発言していない。白川隆三はこのアルバムの担当ディレクターでありながら、制作面は全くタッチしていなかったという。白川がディレクターとしてやったことと言えば、大滝のレコーディングためにソニーのスタジオの確保に只管奔走していただけ、と言い切る。大滝の歌入れの為にシナソ(信濃町ソニースタジオ)のスタジオを3ヶ月に亘り立ち入り禁止にしたのは有名な話である。白川は他のディレクター達からのクレームを一身に受けたことは容易に想像できる。発売延期の理由については田家のこの本でも松本隆自身が自分の妹の死で詞が出来なくなり…と語っているCD解説を引用しているため、と紹介しているがこれも事実誤認であることが、今回はっきりしてしまったが白川の発言が如何に貴重な証言かが判るのである。
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カナリア諸島にて

大滝詠一

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2025年10月31日(金)10月の振り返り

朝から本降りの雨。最高気温17℃。天気痛12時「警戒」→18時「注意」、pm2.5「少ない」。午後強風注意報発令。

朝食は、御飯に納豆、玉子焼き、ゴボウの素揚げなど。白湯。

あちこちに外出。ヨメさんが、文鳥のカゴにカバーを被せたいので手芸用品店に行くというのが本日の目的のひとつ。その前にまず、里芋などを買いに道の駅の物産館へ。続いてショッピングセンターで買い物。

お昼を外食でカツ丼、ヨメさんのチキンカツカレーも少しだけもらう。その後手芸用品店へ行った。キルティング生地を所望していたのだが、価格面で折り合いがつかず買わず仕舞いに終わった。結局、自宅に中綿がある程度あったのでヨメさん自身の手で作るようにしたそうである。私は隣りの100均でゴミ袋をひとつ買う(担当)。

我が家の近くまで戻り、米麹が置いてあるショッピングセンターで買い物。帰宅してあんドーナツと緑茶。地元では有名な、小さくて美味しいパン屋さんのあんドーナツで、あんこたっぷり、ドーナツの食感もふわもちで、さすがである。

10月の振り返り。真夏日13日、夏日9日。4日、高市早苗氏自民党新総裁(21日総理大臣になる)。趣味のCDレビュー投稿、R.ケリー『愛の12プレイ』(5日に第2弾)。12日、趣味のCDレビュー投稿、スペンサー・ウィギンス『フィード・ザ・フレイム : ザ・フェイム・アンド・XLレコーディングス』(21日に第2弾投稿)。13日、出雲駅伝で國學院大學が連覇。15日、山本由伸投手、メジャーリーグ入りして初の完投勝利(対ブルワーズ、さらに26日ブルージェイズ相手に連続完投勝利)。16日、小出斉著『レコード・コレクターズ増刊 ALBUM SELECTION SERIES ブルース(改訂版)』読了。19日、新道路区間開通し熊本駅が近くなる。20日、宮本輝著『いのちの姿完全版』読了。22日、博多行。CD4枚購入。スタン・モズリー『ノー・ソウル、ノー・ブルース』、ルース・ブラウン『ブルース・オン・ブロードウェイ』、ロレッタ(ロリータ)・ハロウェイ『クライ・トゥ・ミー』、ルーサー“スネーク・ボーイ”ジョンソン『ロンサム・イン・マイ・ベッドルーム』。23日、散髪。Twitterをやめる。ライナーノーツの依頼到着(採用されれば19本目)。25日ワールドシリーズ開幕。ラグビー日本代表、全敗中のオーストラリアに惜敗(4点差)。27日、『ブルース&ソウル・レコーズ』誌最新号購入。28日、ワールドシリーズ第3戦、6時間39分18回の大熱戦、フリーマンのサヨナラホームランで決着。年末調整の書類到着。30日、高血圧関連の定期通院。

夕食は、御飯に物産館で買ったキムチ、ししゃものフライ、じゃがいものバター焼き、ひよこ豆と千切りキャベツとレタスとキュウリのサラダ。食後に物産館で買った落雁。
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