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 宗教は、人間が何にでも原因を求め、それが分からないために目に見えない力を恐れ、未来に不安を抱く限り、そしてそれを利用しようとする人がいる限り、常に生じ続ける。しかし、それを利用し、自分の望む方向に人々を向かわせようとする人は、自分がそれだけの権威を持つことを常に示し続ける必要がある。これは非常に不安定な権威である。そのため、平和の維持のために宗教を利用するとするならば、それに反対する人々を権力により抑圧し、また言うことに矛盾がないよう気をつける必要が生じる。外的なことに無知であっても内的な矛盾に気付くことは出来るからである。
 
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 それから、戦争の敗北や自然災害を神の怒りによるものだとして、それを鎮めるための儀式を定めることで、更に従順にする。そうすることで、そうした出来事が統治者のせいではなく、自分たちが儀式を正しく行わず、神の怒りを買ったからだと思わせるのである。一方で、必要最低限の食糧を与えると共に、祝祭や神に捧げる競技によって、人々の気を逸らさせる。こうした宗教と政治の結びつきについてのホッブズの洞察は、古代ローマの宗教政策についての分析から来るものである。
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 共同体の維持のために宗教を利用する場合、まず、その宗教が勝手に自分で考え出したものではなく、目に見えない神や精霊から伝えられたものだと人々に信じさせるか、自分がその他の人々よりも優れた存在だと信じ込ませる必要がある。そうすることで、自分たちが決めた法に従いやすくするのである。それから、そのように決めた法に従わないことは、目に見えない神々に好ましく思われず、怒りを買うという恐怖を煽る。
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 目に見えない力を想定し、その力への恐怖から引き起こされる宗教は、直接的に目に見えない力を崇拝するよりも、むしろ目に見える何らかのものにその力を宿らせることが多い。また、自然の秩序で説明がつくことでも、それを知らないがために生じる宗教では、自然現象のみならず、様々な技術や人間の営みにも、目に見えない力の作用を見出す。そうして、単なる偶然の直接的な原因として、儀式や祈りによってそのような力の手を借りようとする。
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 ホッブズは、同時代だけでなく、過去の様々な宗教の比較から、人々の中にある宗教の種子が、共同体の指導者にとって、その共同体を維持し、法に従わせ、平和や慈愛や従順をもたらすために利用されてきたことを見て取る。しかし、それとは別に、現世での社会秩序でなく、天の国の法に従わせようとする宗教的指導者もいる。ホッブズは、宗教を共同体の維持のために利用することそのものには敢えて反対しないが、その分裂に危機感を抱いているように見える。
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物事に集中できない。いろいろなことに気が散る。何かから逃げているのか。多分、一つの感情に沈むことから逃げている。
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 かくして、ホッブズは宗教には四つの種があると考える。それは、非物体的な霊の想定、自然の因果関係についての無知、人々が恐れる対象への帰依、そして偶然の事柄を何らかのしるしと見なす傾向である。そしてそれがどのような形で芽生えるかは、それぞれの人々の空想力や判断、感情の違いによって異なり、それに応じて儀式やタブーなどが変わる。そしてこのために、あらゆる宗教は皆同じ根から生じるものであるが、或る宗教にとっては異なる宗教の儀式やタブーは馬鹿げた迷信のように見える。
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 目に見えない力を恐れる時、人間は、何とかしてその力の助けを借りたり、その怒りを買わないようにしたりする。この時、その力は何らか擬人的なものとして想定されている。そのため、そのような力に対して、人間に対して同様に感謝したり、贈り物をしたり、嘆願したり、誓ったり、奉仕したりする。そして、些細な偶然の出来事を、このような目に見えない力がもたらしたお告げと見なし、またそのようなお告げを読み取り伝える人を信じることもある。
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 目に見えない力を非物体的なものとして恐れる人々は、どのようにしてそのような力が世界に効果を及ぼしていると考えるのか?人間にはそれが分からない(分からないからそのような力を想定する)以上、或る出来事の前に何をしたか、または何をしたらその出来事が起きたかという前後関係に注目する。普通に考えれば、そこに直接的な因果関係は見出されないが、逆にそれが見出されないからこそ、何らか目に見えない力が介入していると考えるのである。こうして、迷信的な験担ぎや、タブーが生まれる。
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 ホッブズの説明は、神の「存在証明」ではない。これは、人間がいかに自身の性質から「神」という概念に至り、宗教を持つようになるかの説明に過ぎない。自然の秩序を追究してゆく中で、その秩序全体の未知の原理を想定することがあり得ることを示すことは、その未知の原理の存在を証明することではない(したがって、ホッブズ自身は言及しないが、この路線では自然の秩序そのものが全体として自立して存在しているという考え方も可能となる)。ただ、それが存在しようとしまいと、それを「非物体的な霊的存在」のように見なすことは、概念そのものが矛盾と見なされるために、絶対的に退けられる。
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 ホッブズにとって、存在するとは物体として存在するということである。そもそも、同じ物体でなければ、物体に作用し、自然の出来事の原因となることは出来ない。そのため、「非物体的な存在」というものは、矛盾しているのである。したがって、自然秩序全体の未知の第一原因を「神」として想定するとしても、それが(それ以前に限定する原因がないから)無限であるとか、(その力を限定する原因がないから)全能だとか、(自然の秩序全体を支えているから)永遠だとか言うことは出来るかもしれないとしても、それ以上のことについては「認識を超えたもの」と言うほかはなく、決してその性質を「非物体的な霊」のように断定的に定義して言うことは出来ない。
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 自然の因果関係の秩序を全て見通すことが出来ないために、目に見えない力を持つ存在を虚構することで、宗教が生まれる。この目に見えない力は、目に見えないが故に、自然と霊的なものと見なされるようになる。これは実際には、単なる虚構に過ぎないが、物事の隠れた原因として、自然と実在するかのように考えられるようになる。物事には自分たちの知らない原因は確かに存在するかもしれない以上、このような力を想定すること自体は、ある程度自然なことである。しかし問題は、ホッブズに言わせれば、そのような力がどのような存在かを考える時、それを物体とは別の次元の、非物体的な存在として想定してしまうことである。
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 日々偶然によって引き起こされるように見えるよく分からない力への恐怖が、宗教をもたらす。しかし一方で、同じ因果関係に基づく思考とその限界を共有しながら、偶然によって引き起こされるように見える出来事も、何か自然の枠組みの中での因果関係の秩序によるものなのだと考えている場合、そのような仕方で目に見えない力を恐れることはない。ただ、その秩序を全て追うことは出来ないという自分の限界を認めることで、自分が追うことが出来ない自然の秩序の向こう側に、何らかその自然の秩序全体の第一原因となる存在を想定し得る。この存在も「神」という名で呼ばれるが、ホッブズにとってはこれは未知の領域を認めることによって理念的に想定されるだけのものであり、これは日常の中で理由が分からない出来事が生じたと時に、目に見えない力を信じて恐れる宗教的な「神々」とは異なる。
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 私たちは様々な出来事について思考を巡らせはするものの、大抵の場合、きちんと物事の因果関係を理解しているわけではない。そのため、何だかよく分からない原因で不幸が訪れるのではないかと、常に不安に駆られる。原因が分からない不幸が訪れた時は尚更である。こうして、何故だか分からない幸運や不幸について、目に見えない何らかの力が原因として働いているのではないかという発想に至る。因果関係を前提とする思考の枠組みと、その限界としての無知が、この力への恐れ、つまり宗教をもたらすのである。
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 私たちは、可能な限りあらゆる悪い出来事を避け、望む出来事をもたらすために、物事の原因を探ろうとする。それは科学においても、日常においても同じである。しかし逆に、そのような思考が暴走して、あまりにも遠い未来のことや、起こるかどうかはっきりと分からないことまで気にして、今差し迫った危険があるわけでもないのに、それを恐れてしまうことがある。未来に備えるための思考力が、却って未来を恐れさせ過ぎてしまうのである。
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 動物にとっては、日々空腹や性欲が満たされ、襲われることがないこと以外に、幸福な状態はない。多少は経験的に物事の因果関係を意識するかもしれないとしても、人間ほど長い因果関係の連鎖を認識し、記憶し、未来を予想することはしないからである。しかし人間は、そのように未来が予想できてしまうから、現在の安心だけでなく、未来の安心まで気にするようになり、因果関係の認識に基づき、望む未来をもたらすための手段を模索する。だが、物事の真の因果関係というものはそう簡単には分からない。だから、勝手に原因を想定したり、あるいは他人の言葉を信用したりする。ホッブズに従うならば、この、原因を求めるにも関わらず、全ての原因を知ることが出来ないという人間の性質が、宗教をもたらす。
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 宗教は、人間にしか見られない。したがって、宗教は、他の動物には見られない、あるいは人間に多く見られる何らかの性質に基づくはずである。まず、人間は、目にした出来事の原因を探究する性質を持っている。ただしそれは、各人が望むものを手に入れ、嫌うものを避けるために、欲求に突き動かされることによる。そのため、その度合いは人によって異なる。そして人間は、他の動物よりもその原因の連鎖を長く追究し、記憶し、また言葉によって一般的に表現できる。そこから、新しい出来事全般について、何らか原因があると考えるようになる。それも、いつ、どこで、どのように起こるのかも、常に先立つ原因によって決まると考えるのである。
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何度でもした時の夢、なんか変な夢だったのいう記憶だけ残り、どんな夢だったか分からない事が多い。
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なんかベッドから出るのが難しくて何度寝もしてしまった。浅いので変な夢ばかり見る。
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お風呂も入ったし今日はもう休みます〜
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なんか、すごく神経が張っているな。大したことのない他人の投稿にピリッとくる。
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なんか今日は疲れちゃった。空回り。
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喋れば喋るほど無知を晒す。それが私。
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他人と比べればコンプレックスを刺激されるだけ。他人の存在を、更には自分のこの世界のなかでの存在をも忘れてテクストと向き合う時間は、それを忘れられる。そして自分が何かしている気分になれる。もっと優れた解釈、優れた読書があるとしてもだ。
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たくさんの本を読んでいる人、本当にそれらの本ちゃんと理解できているのかと思う。しかしそれは単に、自分が少しの本ですら理解しきれていないから、他人もそうに違いないと思いたいだけなのだ。自分の無能を他人にも押し付けたいのだ。
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多くの本を読んだことをステータスにするのはダサいと思ってしまうが、そう思うのは単に自分が本を全く読めないことによるやっかみからだ。自分がかつて憧れたものに自分はなれないと分かった時、憧れたものの価値そのものを否定したくなるのだ。
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『リヴァイアサン』第11章まで。第12章は更に宗教にざっくり踏み込む。有名な自然状態や自然権が出てくるのはその後、第13章からである。
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 宗教の種子である目に見えない力・知らない力への恐れは、当然、無知であればあるほど私たちのうちにある。物事の真の原因を追究し続ける人は、段々と視野が広がり、目に見えない力・知らない力が減ってゆく。ただその先に、まだ自分が知らない全体の原因があると考え、それが便宜上「神」と呼ばれ得るだけである。しかし、無知にとどまる人たちは、目に見えない力への恐れに駆られ続ける。そこで、或る者たちは逆にその恐れを利用して、それを育て、飾り立て、彼らを縛るための法にまで発展させる。そして未来の出来事を予言して恐怖を更に煽り立て、それによって人々の力を集めて自分たちの欲する方向に向かわせようとする。同時代の宗教的混乱に対するホッブズの鋭い洞察が感じられる。
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 好奇心の強い人が、自然の因果関係の秩序を追い求めた結果、目に見える世界を超えて、その秩序の原因として、「神」に辿り着く。一方で、そんな好奇心があるわけではなく、自分で物事の原因を探究するつもりもなく、むしろ物事の因果関係が何も分からない人も、逆に何にも分からないから、本当は自然の因果関係の枠組みで説明できる事についても、よく分からない力の存在を信じて、それを「神」として恐れることがある。ホッブズに言わせれば、この恐れがあらゆる宗教の源である。そして、この力を恐れる人々はそれぞれ自分の宗教こそが真の宗教だと主張し、自分たちとは別の仕方でこの見えない力を恐れる人たちのことを迷信にとらわれていると言う。
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 ホッブズはこれを次のようにたとえる。目の見えない人が、体を温められた時、「火」というものがあるから体を温まったのだと聞けば、実際「火」がどんなものだか知らなくても、「火」というものがある、と考えるだろう。これと同様に、人間は、この世の目に見える事物が、因果関係の秩序に応じて働くのを見て、それがどんなものかは目に見えないから分からないとしても、その秩序の原因が存在すると考える。そして、この原因が「神」と呼ばれているのを聞き、「神」というものがあると考える。とすると、ここで「神」は、私たちにとって、対応するイメージを持たない言葉である。「火」の場合のように、それを目で見ている人が他にいるわけではないからである。
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 未来への不安から、物事の原因を突き止めその知識を得たいという好奇心は、突き止めた原因の更に原因を追究させ、第一原因という考えに至らせる。つまり、決してそれが何なのか知ることにまで辿り着くことはないが、物事の因果関係全体を成り立たしめる絶対的な原因があるはずだと考えるようになる。ホッブズによれば、これが神と呼ばれるものである。
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 未来についての不安が、物事の因果関係の探究の源である。因果関係を知ることで、望む未来をもたらすための原因が分かり、また次に何が起こるかを予測し、それをどう利用出来るか考えられるようになるからである。これは個人レベルでも、人類一般の科学の発展においても言えることだろう。
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 物事の自然な因果関係を知らないと、多くの不可能な事柄を可能なこと、あるいは事実として信じやすくなる。不可能であるということが分からないと、あるかもしれないと信じ込んでしまうのである。そして、そうした人は、嘘であってもそうかもしれないと信じてしまう。そして、嘘と真実との区別がつかないから、嘘を広める側にもなってしまう。ホッブズに言わせれば、悪意なき無知が、嘘を信じやすくし、同時に嘘を広めやすくするのである。更には、ひょっとしたらこうかもしれないと、自分で嘘を作り出すことにも繋がってしまうのである。
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 因果関係は長い連鎖によって成り立つ。しかし、その長い連鎖を知らないと、それ以上の原因や理由が視野に入らないために、より近い原因に全ての責任を押し付けることになる。このようにして制度の理由を考えることなく役人を責める人がいる。そして、何故そのような制度なのかを自分では考慮することなく、政府や役人を批判する人に同調する。そして行くところまで行ってしまうと、後戻りが出来なくなり、動機が変わり、罰を恐れ、恩赦されることをも恥じて、権力への攻撃を続けざるを得なくなる。ホッブズによる同時代の分析が反映されている。
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 私たちは自分の行為を、自分で因果関係を分析し、権利や公正、法、正義といった概念から出発することで決めるか、そういったことを知らないから、慣習に従ったり、他人の行動を模範にしたりすることで決めるかである。みんなが非難しているから非難したり、あの人がやってるからそれが正しいんだ、というようにである。ホッブズによれば、子どもは、最初はそのようにして両親や教師から行為の善悪を学ぶ。しかし大人になると、自分の都合に合わせて、理性に従った判断をするか、他人に合わせた判断をするかを選ぶようになる。慣習では自分の利益にならないと理性に訴え、一方理性が自分の欲求に反対する時は慣習に頼るのである。そのために、数学と違って、物事の正しさのような道徳的問題は決着が付かない。
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 ホッブズにとって、一つの行為には一つの意志決定が対応する。したがって、彼に言わせれば、集団が一つの意志に基づいて行う同じ行為と、大勢がそれぞれの意志に基づいて行う同じ行為とは、区別しなければならない。この区別がしっかりついていないと、一人の人物の扇動によって大衆がそれぞれ奮い立って行った行為を、民衆の総意に基づく行為だと勘違いしてしまうのである。
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 私たちは全てを知り尽くすことができず、また誰もが同程度に賢いわけではない以上、他人の知識や推論を信用せざるを得ない場合は多い。しかしそれでも、使われている言葉の意味が分かっていないまま信用する場合、誤りに陥りやすくなる。言葉の意味が分からなければ、誰の言葉を信頼すればいいかすら判別できないからである。けれども私たちは、逆にそれに使われている言葉の意味が分かっていないまま、勝手に自分の考えるままにその意味を考え、都合よく解釈することがある。
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 因果関係について無知である場合、何かを得るために何をすればよいか、また何かが起きた時に次に何が起こるか分からず、それを知っている人の権威に従わざるを得なくなる。誰もが同じくらい賢くあることが出来るわけではないのだから、ある程度は自分より賢く、また嘘をついている必然性を感じない他人の意見に依存せざるを得ないのである。
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 口が上手いお世辞は、巧妙であれば信頼を得る。口の上手さは賢く思われ、お世辞は親切に感じられるからである。それにホッブズの当時であれば軍事的な評判、現代であればひょっとしたらビジネスにおける評判が加わると、人々は庇護を求めてその人に従うようになる。
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 財産があるのにけちである場合、いざという時に他人の助けを得られなくなる。手伝っても報酬が得られそうになければ、誰も助けてはくれないからである。ホッブズにおいては、財産は使ってこそ力になる。
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 気が小さい人は優柔不断に陥りやすく、そのため行動に起こす最良の機会を逃すことになる。私たちは刺激を受けてから行動に移すまで思考を巡らせるが、何が最良かが明らかでない場合、選択肢に大した違いはない。大した違いがないならばとりあえず行動に起こすのが気の大きい人であり、細かいことを気にして行動の機会そのものを見失うのが気の小さい人である。
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 自分が賢いと思っている人は、その賢さを認めてもらうために、おしゃべりになり、特に政治に関してそう思っている人は、野心に駆られる。自分で自分の力だと思っていることを、他人の評価を通して確かめたいからである。
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叫び出したい心を鎮め隠すためにテクストを読み、遠い過去の思索を追っている。
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ベルギーから注文して2月に届くよと言われていた本がもう届いていたらしい。何故「らしい」かというと、数日前の不在票だけが郵便受けの奥底に丸まって置いてあった。
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