ホッブズの説明は、神の「存在証明」ではない。これは、人間がいかに自身の性質から「神」という概念に至り、宗教を持つようになるかの説明に過ぎない。自然の秩序を追究してゆく中で、その秩序全体の未知の原理を想定することがあり得ることを示すことは、その未知の原理の存在を証明することではない(したがって、ホッブズ自身は言及しないが、この路線では自然の秩序そのものが全体として自立して存在しているという考え方も可能となる)。ただ、それが存在しようとしまいと、それを「非物体的な霊的存在」のように見なすことは、概念そのものが矛盾と見なされるために、絶対的に退けられる。 関連する投稿をみつける
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ホッブズの説明は、神の「存在証明」ではない。これは、人間がいかに自身の性質から「神」という概念に至り、宗教を持つようになるかの説明に過ぎない。自然の秩序を追究してゆく中で、その秩序全体の未知の原理を想定することがあり得ることを示すことは、その未知の原理の存在を証明することではない(したがって、ホッブズ自身は言及しないが、この路線では自然の秩序そのものが全体として自立して存在しているという考え方も可能となる)。ただ、それが存在しようとしまいと、それを「非物体的な霊的存在」のように見なすことは、概念そのものが矛盾と見なされるために、絶対的に退けられる。