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たるお

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ホッブズの言う厳密な知は、私たちの感覚とそれに基づくイメージと、そのイメージに一般的であれ個別にであれ付与される言葉が共有されて初めて成立する。その共有のために定義が行われる。しかし、それ以前に、私たちの感覚とイメージが全く一致しているということは少ない気がする。だから、僕が思うに、そもそもこの定義が可能な事柄と、不可能な事柄とを分ける必要がある。言い換えれば、厳密な議論が可能な事柄と不可能な事柄とを区別する必要がある。
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ホッブズは当時の政治的混乱を盲信に基づくものとみなし、冷静に、言葉の定義から始める証明を追うことで、誰もが納得できる政治理論を構築しようとした。しかしだからといって、理性だけで人々が動くとは考えていない。そのために感情の分析が行われるのである。
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そもそも、僕が思うに、世の中には一般的な規則の構築がそもそも難しい場合もあるだろう。だから経験にのみ基づく賢明さが必要になることは数多くある。だからホッブズは、このような経験に従うことを退けるのではなく、むしろただ本で読んだ結論のみを盲信し、それを多く知っていることを誇り、自分の経験に従うことも証明を追うこともしない人々を非難する。
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したがってホッブズは、同じ「賢さ(wisdom)」であっても、証明可能な一般的規則に基づく「英知(sapience)」と、経験にのみ基づく「賢明さ(prudence)」とを区別する。この二つに優劣があるわけではない。ただ、賢明さは生まれつきの才能や経験の差による勘のようなもので、共有がなかなか難しい。一方、英知はもし真なるものならば、言葉の厳密な定義と確かな証明により共有できる。
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ホッブズにおける知は、個々の感覚イメージの言葉による一般化に基づき、物事の因果の連鎖を一歩ずつ追うことによって獲得される。そしてその連鎖を他人にも追えるように示すことが証明であり、そのように示された知は確実なものである。これが単なる経験に基づき、一般化ができないものであれば、その証明は不確かなものであり、たとえ実際それに基づく推測が正しかったとしても、真偽が問えるものではない。
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人間が理性的と言われるのは言葉を使えるようになってからである。しかし、言葉が使えるようになったからといって誰もが理性的な推論をするわけではないし、同じ知識を持っているわけではない。まず個々人で、その知識の源になる経験が異なり得る。記憶力にも差がある。そもそも思考が向かう目的が異なることがある。日常生活においては、私たちは確実な理性によって見出した規則に基づいて行動していると言うよりは、運に左右され、誤りに満ちている。通常、私たちは知の成果を受け入れるだけで、出発点から論理を追うことはしない。しかし、ホッブズに言わせれば、そうした理性による規則を知らないだけなら、誤った推論による規則に従い、それに固執するよりはマシである。
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ホッブズに従えば、理性は、感覚や記憶力と違って、生まれつき備わっているものではない。理性はむしろ、感覚と記憶力によって蓄えられたイメージの連鎖を言葉で表現することによって初めて用いられる。つまり経験なしには理性を用いることは出来ないのである。経験から得た情報を適切に定義づけ、その定義に則って肯定・否定を行い、更にそうして得られた命題同士の連関を追究することによって、目の前にある事柄に関するあらゆる言葉上の帰結を認識すること、それが知(science)である。
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正しい方法を用いて議論をたどれば、誰もが納得の行く答えを出せるはずだと信じたくなる気持ちは分かる。ホッブズに言わせれば、それが出来ないのは単純に、言葉をきちんと使いこなせていないからだ。17世紀は皆がこぞってそんな方法を求めた時代だった。デカルトもホッブズも、その模範を幾何学に求めた。けれども、そんな二人が真っ向から対立した時点で、物事はそううまく行くはずがなかった。
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