
あまねくあまね
アラフォーです。周りからは
「柔らかい顔で深海を泳ぐ人」
なんて言われてます。
Xでもっと短編ポストしてます。
友達募集
東京
散歩

あまねくあまね
この連作がもし続くなら、タイトルはこうなる。
「伏線はカラアゲ一個から(続・白線の引き直し)」
次章では、唐揚げを取ろうとした男の箸が、
なぜか空中で止まるところから始まる。
……もちろん、物理的には止まらない。
でも言葉は止められる。
境界線は、引ける。
唐揚げは悪くない。
私も悪くない。
悪いのは、
「大丈夫」を勝手に増殖させる人間の方だ。
読者のみなさま。
年末年始の唐揚げには、くれぐれもお気をつけて。
(そしてもし唐揚げが余ったら、翌日の親子丼が最高です。)
おわり

あまねくあまね
最後に、未来の私に向けてメモを残す。
• 「付き合おう」と「アプリはやめない」は同居しない
• 「ちょっと掃除すれば」は他人の人生を舐めている
• 「行こうと思う」は予定ではない
• 「渋滞だった」は免罪符ではない
• “主語が消える人”は、責任も消す
そして、最重要事項。
揚げ物一個を笑って流すな。
笑って流すのは、油だけでいい。

あまねくあまね
それでも、私はこの物語を悲劇で終わらせたくない。
なぜなら、得たものがあるからだ。
たとえば、唐揚げの腕。
手作り唐揚げを要求され、私は揚げた。
揚げた結果、私の唐揚げスキルだけが年末に爆上がりした。
いまなら言える。
この物語の最終的な勝者は、私ではなく——
私の唐揚げだ。
次に誰かが私の皿から唐揚げを取ろうとしたら、
私はこう言える。
「取っていい?って聞いて」
あるいはもう少し短く。
「それ、私の」
短い言葉は、境界線の濃いペンだ。

あまねくあまね
この一連の出来事で、私は二つ学んだ。
一つ目。
人は、巨大な事件で人柄が出るわけじゃない。
むしろ、笑って流せるサイズに一番出る。
一個。
一口。
“ちょっと”。
“いいよね”。
こういう小さい言葉と小さい行為の中に、
その人の「他人の扱い方」が、圧縮ファイルみたいに入っている。
二つ目。
境界線は、一回だけ強く引けばいいわけじゃない。
むしろ毎回、薄くでも引き直さないといけない。
境界線って、道路の白線みたいなものだ。
放っておくと消える。
消えたら、車は当然の顔で入ってくる。
私が笑った回数だけ、白線は薄くなった。

あまねくあまね
唐揚げは悪くない
ここまで読んでくれたあなたに、まず謝りたい。
唐揚げのイメージを、少しだけ汚したかもしれない。
でもはっきり言っておく。
唐揚げは悪くない。
悪いのは、唐揚げを「境界線のテスト」に使う人間の方だ。

あまねくあまね
最後に、観測者としての結論を書く。
彼は私を嫌いになったのではない。
彼は私を“扱い終わった”だけだ。
言ってしまえば最初から好きではなかっただろう。
扱い終わった相手には、説明はいらない。
だからブロックで消せる。
でもここで、物語の主語は私に戻る。
私はブロックされた。
だから終わり、ではない。
私は、見た。
私は、記録した。
私は、伏線を回収した。
そして私の「出会った変な男ファイル」は、更新された。
タイトルはこうだ。
「伏線はカラアゲ一個から」
物語というものは、いつもそうやって、
最初に答えを出している。
読者だけが、
気づかないふりをしているのだ。

あまねくあまね
ここまで来ると、私は逆に感心した。
人はここまで綺麗に一貫できるのかと。
一貫しているものは、理解しやすい。
理解しやすいと、回復が早い。
私はあの夜の唐揚げを思い出す。
揚げ物一個。
最初の小さな侵入。
笑って流せるサイズ。
でも笑って流せるサイズだからこそ、
相手の“素”が出てしまう。
私は当時、こう思った。
「一個くらい、まあ」
そして彼はこう学んだ。
「このくらい、いける」
一個がいけるなら、二個もいける。
二個がいけるなら、鍋の決定権もいける。
鍋がいけるなら、家もいける。
家がいけるなら、泊まりもいける。
泊まりがいけるなら、手作りもいける。
手作りがいけるなら、沈黙もいける。
沈黙がいけるなら、ブロックもいける。
そうやって物語は完成する。

あまねくあまね
1月4日。
私は別アカウントで確認する。
退会していなかった。
彼はそこにいた。
そこにいた、というより、
私はブロックされていた。
退会ではなく、ブロック。
この二つの違いは、技術的には小さい。
でも物語的には大きい。
退会は「終わらせる」だ。
ブロックは「相手を消す」だ。
終わらせる人は、結末を作る。
消す人は、結末を相手に放り投げる。
そして彼は、ずっとそうだった。
• 揚げ物を取る(確認しない)
• 鍋を決める(返事を待たない)
• 家に来たがる(私の掃除を軽く言う)
• 私が行く提案は断る(非対称)
• 14時過ぎと言う(思う)
• 16時に来る(連絡しない)
• 唐揚げを要求する(手作り)
• 大多数を食べる(共有化)
• 連絡しない(沈黙)
• 退会“に見せる”(表示)
• そしてブロックする(消去)
全部一つの線で繋がっている。
主語がない。
責任がない。
説明がない。
ただ、彼の都合だけがある。

あまねくあまね
1月2日。
私は彼のマッチングアプリの表示を確認する。
退会表示が出ていた。
退会。
その二文字は、便利だ。
一瞬で物語をロマンに戻す。
「やめない」と言っていた人が、やめた。
そう見える。
人間の脳は、都合の良い変化に弱い。
「やっぱり私のこと本気だったのかも」と思いたくなる。
退会表示は、拍手の代わりになる。
言葉のない人が、画面で拍手をする時がある。
私は少しだけ、安心した。
安心すること自体が悪いわけじゃない。
ただ問題は、安心の根拠が“本人の言葉”ではなく、
表示であることだ。
表示は、物語の道具である。

あまねくあまね
第六章
退会とブロックと、見えない拍手
翌朝、彼は帰っていった。
そして連絡はなかった。
私は連絡しなかった。
彼も連絡しなかった。
沈黙が続くと、人はだんだん安心する。
「揉めてない」という意味で。
でも沈黙は、揉めてないのではなく、
もう相手を扱っていないだけのこともある。
私は年末の布団の端で、観測者として一つだけ結論を保留にしていた。
——彼は、今どんな顔をしているんだろう。
この問いの答えは、年明けに“画面”の中から出てきた。

あまねくあまね
唐揚げ一個は、伏線だった。
あの日、彼は私の皿から一個を取った。
私は笑って流した。
彼は「大丈夫」を学んだ。
その「大丈夫」が、鍋の決定権になり、
家への圧になり、
徹夜掃除になり、
そしてこの日の“手作り唐揚げの大多数”に育った。
物語はいつも、最初に答えを出している。
読者だけが、
気づかないふりをしているのだ。

あまねくあまね
夜は過ぎた。
泊まりは“自然”に成立した。
成立したというより、最初から成立していたものが形になった。
翌朝、彼は帰っていった。
そして、連絡はなかった。
「ありがとう」も、
「昨日楽しかった」も、
「無事着いた」もない。
人間の沈黙には二種類ある。
• 言葉が出ない沈黙
• 出す必要がないと思っている沈黙
彼の沈黙は後者だった。
私は、連絡しなかった。
こちらも沈黙した。
この沈黙は、意地ではない。
観測だ。
言葉がない時、関係の正体がよく見える。
装飾が剥がれる。湯気が消える。光が消える。
残るのは、構造だけだ。

あまねくあまね
キッチンに立つ私の背中は、年末の背中だった。
油の音。
揚がる匂い。
そして、私の中で増えていく静かな疲労。
彼は何をしていたか。
正確には覚えていない。
覚えていないのが、すでに答えだ。
人は“ありがたい行為”は覚える。
覚えていないということは、ありがたい行為が少なかったということだ。
唐揚げが完成して、皿に盛られる。
そして、ここで物語は第一章のスケールを更新する。
第一章:揚げ物一個。
第五章:揚げ物の大多数。
彼は食べた。
食べたというより、 消した。
私が「これ、結構作ったよね」と思う速さで、唐揚げは減った。
減ったというより、 移動した。
唐揚げが私の労力から、彼の満腹へ。
そして一章と同じく、確認は薄い。
「食べてもいい?」ではない。
「美味しいね」だけでもない。
彼の中では、唐揚げは“そこにある共有物”として扱われた。
共有物。
鍋で慣らした「共有」が、ここで家庭内に持ち込まれている。
外食の共有は雰囲気で許される。
家の共有は、生活を削る。
私は笑っただろうか。
たぶん笑った。
笑ってしまう。
笑うと、場が保たれるからだ。
そして彼の中で、最終形態の仮説が成立する。
――この人は大丈夫だ(家でも大丈夫)

あまねくあまね
到着してすぐ、私たちは買い出しに行った。
買い出しは共同作業の顔をしている。
鍋と同じだ。
一緒にカゴを持つと、二人は生活者に見える。
でも生活者というのは、分担がある人のことだ。
分担がないなら、それはただの運搬だ。
彼は食材を眺めながら言った。
「唐揚げ、食べたい」
ここで私の脳内の観測者が、ふっと顔を上げる。
唐揚げ。
第一章の“揚げ物一個”が、ここで戻ってくる。
戻ってくるだけならいい。物語はよく回収する。
問題は、彼が続けて言った言葉だ。
「手作りがいい」
手作り。
唐揚げは、外食だとただのメニューだ。
でも家での唐揚げは、工程になる。
• 鶏肉を切る
• 下味をつける
• 片栗粉をまぶす
• 油を温める
• 揚げる
• 片付ける
そして唐揚げは、工程の割に食べるのが早い。
努力と消失の比率が悪い食べ物だ。
努力と消失。
この比率を雑に扱う人は、だいたい人も雑に扱う。
私は、作った。
作ってしまう。
ここが私の癖だ。
“場”を成立させるために、自分の労力で穴を埋める。
穴を埋めると、相手は安心する。
安心すると、当然が太る。

あまねくあまね
昼過ぎ、彼から連絡が来た。
「14時過ぎに行こうと思う」
“思う”は便利だ。
予定の形をしているのに、責任を発生させない。
私はその言葉を「14時過ぎに来る」と受け取ってしまう。
受け取ってしまうのは、こちらの脳が“善意で補完する”機能を持っているからだ。
14時。
過ぎる。
連絡はない。
本人も来ない。
15時。
さらに過ぎる。
連絡はない。
私の部屋には、昨日の徹夜掃除の疲労だけが残っている。
16時頃、ようやく彼が到着した。
遅刻の理由は渋滞だったらしい。
“らしい”という書き方になる時点で、説明が足りていない。
私は思った。
——渋滞は、起きる。
でも渋滞は、連絡を奪わない。
渋滞で車は止まっても、指は動く。
「遅れる、ごめん」
この一行があるかないかで、人は他人として扱われるか、待機場所として扱われるかが決まる。
彼は後者だった。
待機場所。
私の家。
私の時間。
私の年末。
“待っている私”が成立していることに、彼は無自覚だった。
そして無自覚な人ほど、「大丈夫でしょ?」が上手い。

あまねくあまね
第五章
伏線はカラアゲ“多数”に育つ
12月31日。四回目。
舞台は、私の家。
この章の冒頭でまず言っておくべきことがある。
彼は勝手に泊まることを決めていた。
しかし、集合時間は決まっていなかった。
決まっていないのに、決まっている。
この矛盾は、これまで何度も出てきた。
「付き合おう。でもアプリはやめない」
「家に行きたい。でも君が来るのは嫌」
「泊まる。でも時間は曖昧」
矛盾は、彼の生活様式だった。

あまねくあまね
12月31日。
彼は来る。
勝手に泊まることは、もう決まっている。
集合時間は、まだ決まっていない。
決まっていないのに、決まっている。
この矛盾を成立させるのが、彼の得意技だ。
一章の「付き合おう/アプリはやめない」と同じ種類の矛盾。
定義は彼が決める。
細部は曖昧。
負担は私に寄る。
私はその夜、布団の端で思った。
——たぶん、明日は唐揚げの続きになる。
唐揚げ一個が、何に育つのか。
私はもう知っている気がした。
物語はいつも、先に答えを出している。
読者だけが、
気づかないふりをしているのだ。

あまねくあまね
最終的に私はどうにか家に入れた。
方法は書かない。書かない方がいい。
この章は、方法の話ではない。
“構造”の話だ。
私は部屋に戻って、掃除を再開した。
掃除というのは不思議だ。
床が見えてくると、心が落ち着く。
でもそれは、現実が改善したからではない。
ただ、見える範囲が増えただけだ。
私はこの夜、床だけでなく、関係の床も少し見た。
見たくなかった場所が、見えてしまった。

あまねくあまね
この時、私はとてつもない違和感を感じた。
違和感は、事件が起きた時に出るのではない。
事件が起きたのに“相手が事件として扱わない”時に出る。
私の締め出しは、事件だ。
少なくとも私にとっては。
でも彼にとっては、ただの情報だ。
ただの報告。
そして報告には、薄い反応しか返ってこない。
ここで観測者の私はメモを取る。
• 人のピンチを、ピンチとして扱わない
• 連絡が雑
• 想像がない
• でも要求はする
要求、という言葉がここで立ち上がるのがポイントだ。
彼は私の家に来たがっていた。
私は掃除をしている。
私は締め出されている。
彼は雑。
このバランスの悪さが、きれいに可視化される夜だった。

あまねくあまね
夜中の3時半。
ゴミ出しに行った。
そして私は鍵を持ち忘れた。
オートロックが閉まった。
自分で自分を締め出す、セルフ締め出し。
ここで物語が一気にコメディになる。
年末。
徹夜。
3:30。
ゴミ袋。
締め出し。
絵面は完全に負けている。
負けているのに、当事者は笑えない。
私は寒かった。
眠かった。
なんで私は、ここまでしているんだろうと思った。
この「なんで」が出る時、人は大体、答えを知っている。
知っているけど、認めたくないだけだ。
いつもだったら夜中に彼から来る連絡も今日に限って来ない。
助けてほしいというより、状況を共有したかった。
——今、家に入れない。最悪。
しかし大掃除や疲れで神経が敏感な私は違和感を感じる。近頃の彼の連絡の粗雑さだった。
粗雑、というのは単に返信が遅いとか短いとかではない。
粗雑というのは、“相手の現在地”を想像しないことだ。
今私は、年末の夜中、外で、鍵がなくて、締め出されている。
「大丈夫?」
「今どこ?」
「何かできる?」
「無理しないで」
そういう、人間が人間に向ける基本文が出てくるはずだ。
でも出てこない。
主語がない。
温度がない。
意図が薄い。
そして私は、その薄さにすごく敏感になっていた。
なぜなら私は、体温と睡眠を削っているからだ。
削っている人は、削られていることに気づきやすい。

あまねくあまね
私は掃除を始めた。
年末の部屋は、年末の顔をしている。
物が増え、紙が増え、予定が増え、気力が減る。
そこへ「泊まり」が加わると、部屋は突然、舞台になる。
舞台には“本番”がある。
本番があると、準備が発生する。
準備はいつも、準備する側にだけ発生する。
私は徹夜を選んだ。
徹夜というのは、日常の外にある行動だ。
人は日常の外に出た瞬間、判断が雑になる。
雑になるのは、私の判断だけではない。
違和感のセンサーも、妙に鋭くなる。
疲労は、人を弱くする。
でも同時に、誤魔化しも効かなくする。

あまねくあまね
第四章
徹夜で掃除する女と、主語のない男
12月30日。
四回目の約束は、いったんここで決まるはずだった。
でも私の体調不良でリスケになった。
12月31日に。
日付が変わるだけの話に見える。
けれどこの時点で、物語はもう一段進んでいる。
なぜなら私は、次の予定を聞いた瞬間に、こう思ったからだ。
——掃除しなきゃ。
ここが重要だ。
“家に人を呼ぶ”というイベントが確定すると、私の生活は自動的に忙しくなる。
そして忙しくなるのは、私だけだ。
彼は何もしない。
私は徹夜で掃除をする。
この非対称は、すでに唐揚げ一個から始まっている。
取る側は軽い。
整える側は重い。

あまねくあまね
そしてこの章の最後に、未来の伏線を置いておく。
彼はこの日、私の家に来たがった。
私は掃除が間に合わないと断った。
彼は「ちょっと掃除すれば」と言った。
つまり彼の中では、もう決まっている。
私の家は、近いうちに“自分も使う場所”になる。
だから掃除は、私の問題ではなく、準備になる。
12月30日、私は徹夜で掃除をする。
そして12月31日、彼は来る。
時間も連絡も曖昧なまま来て、
当然のように泊まる空気を作り、
当然のように唐揚げを要求し、
当然のように大多数を食べる。
唐揚げ一個は、最初の答えだった。
次は、量が変わるだけだ。
物語はいつもそうだ。
最初に答えを出している。
読者だけが、
気づかないふりをしているのだ。

あまねくあまね
食後、私たちはそのまま流れた。
ここは描写しない。
描写しない方が、事実の輪郭が鋭くなることがある。
ただ、観測者として一つだけ書いておく。
この「流れ」と言うのは境界線における“デカいイベント”に見える。
でもこの物語の構造では、それは突然の爆発ではない。
唐揚げ一個。
鍋の決定権。
家への圧。
私の提案の却下。
ラーメンの主語消失。
一口ちょうだい。
小さな当然が積み上がった先に、
大きな当然が置かれる。
それだけだ。
私は当時、それを「進展」と呼びたかった。
進展、と名付けると安心できるからだ。
でも観測者の私は、別の単語をメモしている。
侵入。
侵入は、ロマンの顔をする。
侵入は、外食の湯気に隠れる。
侵入は、主語が消えたところに発生する。

あまねくあまね
ラーメンが来た。
湯気。
麺。
香り。
そして、無言の時間制限。
ラーメンはゆっくり話す食べ物ではない。
だから「ちゃんと話すべきこと」が、自然に先延ばしになる。
家の話。
掃除の話。
“私が行く”が却下された話。
そういうものは、麺が伸びる速度に負ける。
彼は私の丼を覗き込み、言った。
「一口ちょうだい」
一口。
この言葉の恐ろしさは、量ではない。
境界に入るための“口実”として完璧なところだ。
鍋は共有だから境界が曖昧になる。
ラーメンは個人丼なのに、曖昧にできる。
つまりラーメンは、個人領域に当然で入る技術を試せる。
私は反応が遅れた。
そして一口は、出来事になる。
出来事になった瞬間、彼の中で次の仮説が育つ。
――この人は大丈夫だ(個人領域も大丈夫)

あまねくあまね
結局その日は、外で会うことになった。
彼が提案したのはラーメン。
ラーメンは外食の中でも特殊な食べ物だ。
なぜなら、選択の主語が簡単に消える。
「ここでいいよね」
「これでいいよね」
「替え玉しちゃう?」
「トッピングしちゃう?」
“しちゃう”の背後では、決定が発生している。
でも決めた人は、はっきり名乗らない。
主語が溶ける。
スープと一緒に溶ける。
店に入ると、彼は行きつけの顔をした。
「ここ、俺けっこう来るんだよね」
行きつけ宣言は、場の支配権を発生させる。
行きつけの人は、強い。
初めての人は、従うのが楽になる。
彼は券売機の前で言った。
「君、これ好きそう」
好きそう、の根拠はだいたい“彼の都合”だ。
そして好きそう、の便利さは、外れた時でも責任が発生しないところにある。
(好き“そう”だっただけ)
(思った“だけ”)
(悪気はない)
悪気がない、は万能の免罪符だ。
境界を越えた後に発行される。
私は「じゃあそれで」と言った。
言ってしまった。
鍋の時と同じく、私は自分の選択権を後ろへ回した。
後ろへ回したものは、だいたい戻ってこない。

あまねくあまね
第三章
ラーメンは主語を消す
12月21日。三回目の対面。外食。
そしてこの日、鍋の湯気が“台詞”として姿を現す。
会う前の打ち合わせの段階で、彼はやたらと言った。
「家、行きたい」
“行きたい”は希望の形をしているが、
回数を重ねると要求になる。
私は断った。
家の掃除が追いつかない、と。
すると彼は言った。
「ちょっと掃除すればいけるでしょ」
「日数あるからできるでしょ」
この二文は、優しさの服を着ていない。
完全に、他人の生活コストを軽量化している。
ちょっと。
できるでしょ。
この“ちょっと”は便利だ。
人は自分の「ちょっと」を他人にも配る。
でも他人の部屋の「ちょっと」は、他人の人生の「ちょっと」だ。
私はここで一つ、提案をした。
「じゃあ、私がそっち行こうか?」
理屈としては平等だ。
彼が来たいなら、私が行っても目的は達成されるはずだ。
しかし彼は断った。
断った理由は、どんな言葉であれ本質は同じになる。
ここで起きているのは、単なる場所の問題ではない。
侵入はしたい。
でも受け入れはしたくない。
この非対称が、彼の“関係の定義”の癖だ。
一章では「付き合おう、でもアプリはやめない」。
三章では「君の家には行きたい、でも自分の家には入れたくない」。
定義は彼が作り、負担は私に寄る。
私はまた、笑って流してしまった。
笑うと議論が終わるからだ。
議論が終わると、仮説が成立する。
――この人は大丈夫だ(生活コストも大丈夫)

あまねくあまね
会計の段になって、彼は言った。
「じゃ、割り勘でいいよね」
また“いいよね”だ。
一章では「付き合おう、でもアプリはやめない」。
二章では「割り勘でいいよね」。
“いいよね”という言葉は便利だ。
相手の同意を装いながら、反対の空気を重くする。
いいよね、に「いや」を返すと、
こちらが面倒な人になる。
私は「うん」と言った。
うん、と言った瞬間、また彼の仮説が育つ。
――この人は大丈夫だ(お金の話も大丈夫)
鍋は温かかった。
会話もそれなりに弾んだ。
外食としては成功だ。
だからこそ危険だ。
成功した夜は、
違和感を“気のせい”にする力が強い。
私はまだ、この鍋が次に何を呼ぶのか知らない。
鍋が溶かしたのは、具材だけではない。
境界線も、少し溶けた。
そしてその溶けた分だけ、
次の週、12月21日。
彼はもっと自然に言えるようになる。
「ちょっと掃除すればいけるでしょ」
「日数あるからできるでしょ」
鍋の湯気は、言葉の予告編だった。
物語はいつも、
先に答えを出している。
読者だけが、
気づかないふりをしているのだ。

あまねくあまね
鍋が進むにつれて、彼の動きは滑らかになった。
「これ入れた方がいい」
「そろそろ食べ頃」
「こっち食べなよ」
彼は“世話を焼いている”ようにも見える。
そして外食という舞台は、それを優しさに見せてくれる。
でも観測者の私は、別の点を見ていた。
彼の「食べなよ」は、
私の「食べたい」を確認していない。
彼の「これ入れた方がいい」は、
私の「入れたい」を聞いていない。
彼の「そろそろ」は、
私の「まだいい」を想定していない。
つまり彼は、私の意思を尊重しているのではなく、
私の意思を“推定して採用したことにしている”。
そして推定は、だいたい自分に都合よくなる。

あまねくあまね
最初の一撃は、小さい。
彼は、良い肉を一番最初に取った。
取ってから言った。
「これ、美味しいやつだよ」
説明がある。言葉がある。
でも一章と同じで、順番が逆だ。
本来、言葉は手より先に出る。
「それ美味しそうだね、取ってもいい?」
言葉が先なら、境界が保たれる。
彼の場合、手が先で言葉が後だ。
言葉は許可ではなく、既成事実の装飾だ。
私は笑った。
「うん、おいしそう」
笑うと、場が保たれる。
場が保たれると、境界が削られる。
その削れ方は、イルミネーションより静かだ。
湯気は光より優しい顔をしている。

あまねくあまね
鍋が来た。
湯気が上がる。
香りが立つ。
店の照明が少しだけ柔らかく見える。
鍋の湯気は、会話を「いい感じ」にしてしまう。
人は湯気の前で、細かいことを言いにくい。
彼は言った。
「俺、入れるね」
この「入れるね」は、確認ではない。
許可を求める文の形をしているが、
そこには拒否権が用意されていない。
もう手が動いているからだ。
具材が鍋に入る。
火加減が調整される。
取り皿が置かれる。
鍋が彼の手順で進んでいく。
鍋は共有の食べ物だ。
共有は、平等に見える。
でも共有には「誰の当然が採用されるか」という問題がある。
そして彼は、当然を持ち込むのがうまい。

あまねくあまね
店に着くと、彼は当然のように席を決めた。
当然のようにメニューを開いた。
当然のように言った。
「これにしよ。白湯のやつ」
“これにしよ”は提案ではなく、決定だ。
私はメニューを見ている途中だったが、
彼の決定は私の閲覧権より早い。
一章で彼は、私の皿から揚げ物を取った。
二章で彼は、私の選択肢から決定権を取る。
取るものが変わっただけで、構造は同じだ。
私は「いいね」と言った。
言ってしまうことで、私は自分の都合を後ろへ回す。
人は断る理由を探すと疲れる。
だから肯定の方が楽だ。
彼の中で、仮説がまた静かに更新される。
――この人は大丈夫だ(決めても大丈夫)

あまねくあまね
第二章
鍋は共同作業の顔をしている
12月14日。二回目の対面。外食。鍋。
鍋、という言葉には不思議な効能がある。
まだ二回目なのに、関係が一段進んだ気になる。
鍋は「温かいものを一緒に食べる」という名目で、
距離と境界を同時に溶かす。
しかも外食なら、なお良い。
家じゃない。生活じゃない。
だから人は油断する。
——今日は安全なはず。
そう思える舞台で、人は一番試される。

あまねくあまね
食事のあと、私たちはイルミネーションを見に行った。
イルミネーションはすごい。
人を無条件に「いい感じの二人」に仕立てる。
光があるだけで、会話の粗さが目立たなくなる。
寒さがあるだけで、距離が近いことが正当化される。
つまりイルミネーションとは、
現実の欠点をロマンに加工する装置である。
そして帰り道、彼は言った。
「付き合おう」
この言葉は、唐突なようで唐突ではなかった。
揚げ物一個を越えた人は、次に“関係の定義”を越えてくる。
ただし、彼は続けて言う。
「でも、マッチングアプリはやめない」
ここで私は、脳内の観測者を一人増やした。
笑っている私の横で、もう一人の私がメモを取っている。
• コミットは言う
• でも責任は持たない
• 定義は作る
• ただし都合のいい形で
付き合おう。
でもやめない。
この二文は、矛盾ではない。
彼の中では両立している。
“付き合う”は、私を確保する言葉。
“やめない”は、彼を自由にする言葉。
彼はその両方を、同じ息で言えた。
私は、返事をしたかどうか覚えていない。
たぶん曖昧に笑って、曖昧に流した。
初対面の私は、境界線の扱い方がまだ下手だった。
でも物語というものはいつもそうだ。
最初に答えを出している。
揚げ物一個。
「付き合おう」
「アプリはやめない」
この三つで、もう結末の骨格はできている。
読者だけが、気づかないふりをしているのだ。
そして次の週、12月14日。
二回目の外食は鍋になる。
鍋は、境界線が溶ける食べ物だ。
それを私は、まだ知らない。

あまねくあまね
私のチキン南蛮は、定食の顔をしていた。
白いタルタル、つやつやの甘酢、野菜は添え物として静かに座っている。
“ちゃんとした外食”の完成形である。
彼の小丼二つは、双子のように並んだ。
「小って何?」という哲学が始まりそうな光景だった。
そして事件は、あまりにも自然に起きた。
彼は、私のチキン南蛮を一つ取った。
確認はなかった。
「取っていい?」もなければ、目線の相談もない。
手が先に動き、揚げ物が移動した。
ここで重要なのは、マナーの話ではない。
彼の中では、「確認」という工程が存在していなかったことだ。
しかも彼は、取ったあとに何も言わなかった。
「ありがとう」もない。
「美味しそうだったから」もない。
「ごめん、つい」もない。
説明責任ゼロ。
揚げ物はただ、私の皿から彼の口へと転送された。
唐揚げ一個でそこまで分かるわけない、と言う人もいる。
私も当時はそう思っていた。
でも人は、大きなことで境界を試すほど勇敢ではない。
代わりに「怒られなさそうな小さな一歩」で、相手の反応を測る。
揚げ物一個は、そのためのあまりにも優秀なテストケースだった。
安い。
小さい。
笑って流せる。
そして流した時、相手の中で静かに仮説が成立する。
――あ、この人は大丈夫だ。
大丈夫というのは、優しいとか寛容とか、そういう美しい意味ではない。
境界を越えても、問題にならない人。
私はその時、何も言わなかった。
言えなかった、の方が正確かもしれない。
初対面の空気には、強い粘着力がある。
「場を壊したくない」という気持ちを、相手の都合のいい形で固めてしまう。
だから私は笑った。
笑って流した。
その瞬間、彼の中の“安全確認”は完了した。

あまねくあまね
伏線はカラアゲ一個から
あとになって冷静に振り返ると、
あの“揚げ物一個”には、実に多くの情報が詰まっていた。
この話の舞台は12月7日。
初対面。外食。
まだ私は、彼が「境界」をどう扱う人なのか知らなかった。
店に入って、注文をする。
私はチキン南蛮定食。
彼は——小丼を二つ。
小丼を、二つ。
普通、人は小丼を一つ頼む。
「小」という文字には、「これで十分です」という意思が含まれているからだ。
なのに彼は小丼を二つ頼んだ。
その選択は、妙に合理的で、妙に不自然だった。
小丼を二つ。
つまり彼は、こういう人だ。
• 量は欲しい
• でも“大盛り”と宣言するのは嫌
• だから「小」を二回やる
主語を小さくして、結果だけ大きくするタイプ。
この時点で、すでに伏線は敷かれている。
ただ私はそれを、変わった注文だな、で流した。
人は初対面で相手を裁かない。
裁かない代わりに、見逃す。

あまねくあまね
#柔らかい顔で深海を泳ぐ人
#私の写真
ってプロンプト組んだら面白い画像生成してくれた。顔は特徴捉えてるし良い画像できてる✨




あまねくあまね

あまねくあまね
終わりにするならその旨言えば良くない??

あまねくあまね

あまねくあまね

あまねくあまね

あまねくあまね

あまねくあまね

あまねくあまね
でもライン返事しないと催促くるんだよ。
この人切った方がいいのかな??

あまねくあまね

あまねくあまね

あまねくあまね
ここにあったんだぁーって喜んでいたのも束の間。今度は本体がないの。
出勤時は傘を使ってたのに!!
超満員電車でおじさんに引っかかったのは覚えてる…きっとおじさん。。。そのまま持って行ったんだろうなぁ。。。


あまねくあまね


あまねくあまね
そういう煩わしさ回避できるのがマチアプの良い点だと思ってるもので…🙂↔️
はぁ。彼氏ってどうやって作るのよ。
#マッチングアプリ

