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よろしくお願いします^_^ スピリチュアル好きです(ノンデュアリティつまり非二元)。
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参考)
今回は仏教の読書感想(素人による)



戒律により精神統一をしやすくなる

渇愛をすぐ捨てるのは難しいので、
(対象をとらえる)念やヴィパッサナー(智慧による観察で無常に気づく(止観)
それにより五感による感受からの自動的な判断(妄執)を捨棄できる
これが今世での貪欲を捨てることになる
(色界の初禅、第2禅)

ただし
前世のカルマの結果である、
感覚による自動的な感受(快不快など)
はまだのこる
ので、それら(快、不快、非苦非楽)
は貪り、怒り、無痴によるものなので、智慧により観察し、捨棄する
(色界の第3禅、第4禅)

さらに
幻の識はのこるが
そこで
空無辺処
識無辺処
無所有処
非想非非想処(非有想非無想)
へ依存するのではなく
これら無色界の処への依存も
無明(主体)による有為のものだとしり

寂静にもどる(滅尽 涅槃 阿羅漢)
ことになります

戒律などにより精神統一をしやすくする
とかきましたが
くわしくは
八正道によります
たとえば
正見(四聖諦をしる)
正思(欲、怒り、害意をやめる)

正念(サティ)
正定(第1から第4禅)
などです

ちなみに素人の感想としては
無明による渇愛の対象である
色受想行識の
受は領受心(前世の影響による快不快)
想は推度心(前世の影響による自動的な判断 大まかな考察 尋)
行は速行心(それにつづく今世による自動的な妄執 伺 細かな考察)
にあたるのではないかとおもわれます

ヴィパッサナーにより
速行心(欲想 伺の考察)を第1禅で遮断し
推度心(尋の考察)第2禅で遮断し
領受心(快不快、非苦非楽)を第3禅で捨棄するのかもしれません
そして
第4禅(色界)から
色の業生身を捨棄し

無色界の4つの処への依存
(これも無明による有為なので)は捨てて

滅尽(阿羅漢)となるのかもしれません


#仏教
#スピリチュアル





スピリチュアルの星スピリチュアルの星
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実在はナチュラル(ノーマインド)である

いやしはナチュラル(ノーマインド)による

このため

プロセスを説く者はニセモノである
スピリチュアルの星スピリチュアルの星
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ナチュラルノンデュアリティとは

本質 ナチュラル、すでにただ在る、いまここ

幻想の性質 マインド、不自然、苦しみであり好奇心

本質 無条件、無努力
にもどるだけ

私はいないので
内観も外もない

何もする必要がないのが実在
だから癒しとは
何もする必要がないにもどること
表れ(私、内観、外)をいまここにもどすことである

在り方は必要ない すでにただ在る

意識状態は必要ない すでにただ在る意識

ナチュラルな意識(存在意識、今 無努力)によるいやし(同義語 解放、統一、統合)

プロセス一切なし(主体なし)

変わらない実在(はじめからある今)
努力なし
無波動
無共鳴
学びなし(学びはすべてニセモノ 不必要)、表れを無効化する
存在意識へいやす
唯一の現実すでにただ在る(現実創造はニセモノ)

内観したい


自我がいってるだけ
幻の自我があるとき
内側(私)や
私より内側

外側
という幻があらわれる

そして私たちの愛

という幻も表れる

自我とは、不自然な空想であり、
苦しみであり好奇心である(陰陽 ほんらい1つの自我である)
だからたんなる陰陽の統合は、自我、のことでしかない
陰陽、陰陽の統合(自我自体)
これらを無効化するのが

ノーマインドであるナチュラルノンデュアリティのいやしである

瞑想は必要なく
迷想がナチュラルにより癒されるだけである


#ノンデュアリティ
#非二元
#スピリチュアル
#ナチュラルノンデュアリティ
#ピュアノンデュアリティ
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夢の中のストーリー

シン・エヴァンゲリオン劇場版 TV版が、2月23日午後7時からTBSで放送されることが発表された。
新劇場版 序破Qシリーズ完結編である
シン・エヴァンゲリオン劇場版の
地上波放送は今回が初となる


#スピリチュアル
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ナチュラルヨーガ


ナチュラル(あるがまま)によるいやし

存在観(存在意識 真の気づき 智識)
による

真の観照(いやし)

誤った観(変容した気づき、主客、思考活動エネルギー)
を確かに誤っていると真の識別(ヴィヴェーカ)をし
そしてそれらをいやす

これがナチュラル(あるがまま 自然)による解放である
それは真の統一でもあり、二元状態、感官、思考の統御(統一)
であり
ナチュラルノンデュアリティによるいやしのヨーガである


#スピリチュアル
#非二元
#ノンデュアリティ
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法(止観の法)に執着している境地は
まだ
真の癒し(真の慧 真の止観)ではない

執着している境地というのは
色受想行識の五蘊のうちの
識を自らだと勘違いして
その意識として念により世界(のこりの色受想行)を集中してみているにすぎない

そうではなくて
法にも執着しない真の慧は
12因縁という無明からの仮の主体の識
からの
幻の止観ではなく

在るがまま(真如)からの
真の止観であり
因縁の滅尽である

#仏教
#スピリチュアル
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ニルヴァーナ(不滅)
から煩悩による
空性12因縁についての補足です(仮説)

無明


のあとの
名色について

名は精神(心)
色は物質性のことである

色取薀とは、4要素により構成された肉体
のことである
構成される4要素とはつまり地水火風の要素のことである

構成された色取薀(肉体)
は内界とよぶことになります
4大種(4要素からの)所造色としての肉体は
業生身です
つまり心の対象は4要素(環境)ではなく
肉体を通じての接触(触)となっていきます

まだ名色の段階では
心は、界という対象について
まだジャッジをしておらず、ただ単純に対象としてみています

そしてすでに述べたように業生身がある次の縁起の
六処の段階では
内界(肉体)と外界の関係により、
例えば
耳と音から
耳識がおきます(そして心に伝わると 触)
すると
感受(領受心)
想(細かな考察)
尋(大まかな考察)がおきます
この段階ではもうすでに自動プログラム(カルマ)により
好き嫌いも自動的におきています

しかし
念により対象をとらえておいて(止)
ヴィパッサナー(観)により滅をみているならば
尋の次の
速行心(7回くりかえされる心の波 妄執)

如実に慧によってみられるため
智の速行心へ変化します
つまり

受(領受心)
想(推度心 細かな考察 大まかな考察である尋)
行(速行心 妄執)
識(有分心 輪廻心)
は無常、苦、そして非実在であるとします

それゆえに

次の縁起である
 渇愛
が断たれます
これにより色界よりも下位である
欲界への執着(取)
がなくなります
つまり次の縁起である
取(欲界への輪廻転生)
が断たれるのです
 このため
4つの欲の取著はなくなります
すなわち
欲取
見取(常見による色を堅固、永遠と誤ってみる有愛、反対の失う虚無観である非有愛である断見という誤った見解がなくなります
諸行はは空想、空性のエネルギーとして癒され帰還していきます)
戒禁取(まちがった行動の規範)
我語
がなくなります

そもそも
渇愛、以前の縁起の段階である
色受想行識
の段階がすでに無常であるために

私は(慢)
私のもの(愛)
私には我がある(真我という対象概念 常見)
私には我が無い(断見 虚無観)


如実に慧により非実在、空性としてみられて
捨(平静)で在るからです

欲界をはなれると
色界禅定である
初禅(欲が消滅、不善の法をはなれます)
第2禅(細かな考察、大まかな考察が消滅 心の統一、喜楽)
第3禅(喜びが消滅 平静と楽のみ)
第4禅(業生身から発生する出入息が消滅 楽も苦もない)

以下は無色界(業生身という色がない段階)

空無辺処(色想が消滅)
識無辺処(空無辺処の消滅)
無所有処(識無辺処の消滅 主体のみ)
非想非非想処(無所有処の消滅 主体は非実在性)

想受滅(想と受が消滅 いかなる空想念もない)

中継車経による経の説話の例えより
 多くの車(戒律などの最初の段階から)
を乗り継ぎ(階梯)
想受滅である阿羅漢(仏)
つまりニルヴァーナ(癒しによる統一のあとの 解放 真如)に帰還するのである

素人による仏典感想まとめの補足です
(読書途中にとりあえず書いてみました)

#スピリチュアル
#仏教
#12因縁
#ノンデュアリティ
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素人の仏教勉強ノート^_^

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2006年「最終兵器彼女」(日本映画 実写版)

戦場から離脱

I AM(私は在る 愛そして憎しみ 草原の赤い家 深層心理 集合意識)
へもどる

さらに自らの抹殺の回避

そして世界の憎しみをすべて集めて癒して去る(宇宙解放)

砂漠にみえていた世界に

天使の羽が生えていた(グラウンディング)

ここは砂漠ではなく在るがままに癒された世界(実相世界)

そしてそれ(実相に癒される世界 自然統一)も還っていく

そして

純粋なスピリットが永遠に在る



エンディングテーマ曲
「すみか」

海辺の砂浜で

砂で世界をつくる

そして

トンネルをほる(深層心理をしる)

川をつくり
水をながす

砂の世界はくずれる

一瞬かたずを飲んだ

そして笑った

わたし(主体)が笑いおわっても
(いなくなっても)


あなた(実相)は存在しつづける



神(あなた)の探求のおわりという宿命

在るがまま

のなかに


幻として私は生まれた

基盤(源)は 
私以前に存在する

私は無条件の存在からきて

無条件のスピリットに支えられていただけ

夢の存在として 生かされていた 

幻の私が夢(愛と憎しみ)をみているあいだ

私は基盤(神)すら対象として想像していた

私は神を観念としてみていた



観念は消え失せ
その存在は

幻の私の 背後にただ居た

これが

無条件 永遠の存在であり

幻の私を包摂している

神しかないの であるから

幻の私は
いったいほかのどこにいけるというのだろうか

神から逃れられる場所はない
逃れる必要もない

私は
 神からきた

そして今も神のなかにおり

ナチュラルスピリットに癒され

永遠のいまここに在る


#スピリチュアル
#最終兵器彼女
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経験(探求)のおわりという宿命



在るがまま

のなかに

幻として私は生まれた

基盤(源)は私以前に存在する

私は無条件の存在からきて

無条件によって支えられてきただけ

夢の存在として生かされていた

幻の私が夢をみているあいだ

私は基盤すら対象としてみていた

私は神を観念としてみていた



観念は消え失せ
その存在は

幻の私の背後に居る

これが

存在であり

幻の私を包摂する

神しかないのであるから

幻の私はいったいほかのどこにいけるというのか

神から逃れられる場所はない

私は
神からきた

そして今も神のなかにおり


無条件に還る



#ノンデュアリティ
#非二元
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自然な今


迷いとは

疑うものそして疑うもの

があることである

彼は

とどのつまり確固としたものをしらない者であるから

それが彼という正体である

彼は確固たる者ではない

その彼は自分のことを棚に上げて

何かを疑うのであるが
(たとえば自らが考案した
物とか悟りとはいったい何なのだろうかと)

答えをもたない疑う者が

自らのことを棚に上げて

作り上げた疑わしきものをみる

好奇心と憎しみを込めて

しかし

確固としたものがない疑う者自体が
疑わしく実在しない

疑う者が実在しないので

疑われるもの(問われるもの)も実在しない

何も愛され憎まれるものは実在しなかった

自らすらも

というのも

特別はなく

主(あるじ)はなく

神もいない

特別感である
主客の問題はない

私と神もない

物や神へと

客体に没するのでもなく

また
主客同一でもない(幻は合一ところで幻)

自然な今しか実在しない


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いつも自然統一があるため

二つの今はない

自分も何か(悟り)もなく

来ることも、去ることもない

悟りが来ることも、自分が行く処もない

自力も他力も幻のこと

ただ在るがまま

公案
万法(諸法)は一に帰するが、
一はいずこに帰するのだ

無明、
煩悩などすべては
明らかな真如(在るがまま)から流出していたにすぎない
これが諸法実相である

趙州禅師が頭の上に草履(ぞうり)をのせてみせたように
在るがままこそが(真如)である


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小悟のために

主体は意識(仮のいまここ)
にとどまっている

意識(仮止)により

五感、思考、感情という変化を幻だと識別し(観)

主体は意識が真実であるとする

しかし

主体や意識は実在せず

存在しかない

これがナチュラルノンデュアリティの癒しである


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もとは存在がある

存在しかなかった

存在しかないので
活動(変化)は幻である

誰が どうやって 実現するというのか

私たちは みている 分離の宇宙を

私たちは 完成させたい それを

不可能である

そ れ ら



終焉するのである

はじめから実在しない


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在るがまま

思考(私)のちがい

存在が平和である

それが
真実か幻かのちがいである

存在から
活動があらわれることはできるが

活動から
存在があらわれることはない

存在が平和であり満足だ


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学生の頃

週刊誌の漫画雑誌をよんでいた


ある動物キャラクターがピクニックをしていた

途中で疲れてそのキャラクターは道で寝てしまった

寝起きで気づくと、道がなくなるように草が茂ってきていた
キャラクターは、まいっかと、また寝た

するとキャラクターはきえて
ただ草原だけとなった

コマ漫画はそれでおわった


ただナチュラルだけが実在し

個人はいなかった

個人も道も目的地(悟りすら)もない

耳を澄ます誰かはいない

回答もない

静寂を聞く誰かはいないのだから

ただ在る


#非二元
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なぜ内観しようとするのだろうか

それは自我であり

永遠を隠す主体である

自我に成れば

永遠ではなく

むしろ
相対意識や五感、思考、感情も実在であるということになろう

今(いつもある精神統一)
とは
永遠のものであり

そのなかにおいて

二元の遊び
そして
非二元の癒し

という夢があったのである

改め精神統一(内観)できないのは
じつは一度も精神統一(今)を失ったことがないからである

永遠の今が実在する

努力は無意味であり

疲れる空想にすぎないのである
それは終焉する


#ノンデュアリティ
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唯識についての文庫からの説明まとめ

マイトレーヤーの中道(空想つまり仮エネルギー)についての説明(弁中辺論による)

()は補足

虚妄なる分別は存在する(日常の思考、言葉)
そこに二つのものは存在しない(それらは非実在である)
しかしそこに空性が存在し(空想エネルギーだった)
そのなかにまたあれが存在する(そもそも12因縁という仮エネルギーからおきてくる
日常生活レベルにおいての空想エネルギーであった)

つまり
日常生活レベルの思考、言葉エネルギーも
12因縁全体のエネルギーも
ともに
空想エネルギーであり
(それは有ではなく、また、まったくエネルギーが無いというわけでもない)

そしてそのことに気づけたということは、

基盤である存在意識(真如)に気づいたということだから

それらすべては
一なる不可分の存在意識
として
もはやみえてしまう
ということなのである

のちの唯識派においては

日常生活レベルの思考や言葉による分別エネルギーは
遍計所執性の状態をいい

現象の12因縁というエネルギー状態は
依他起性といい

そして
真如(実在 存在意識)を
円成実性という

癒し
つまり
すべてが存在意識としてみえること
これを
転衣(てんね)という
つまり、無明により主体、客体という二元状態が
非二元(ノーマインド ナチュラル 明智)によりいやされることである)
智慧(ナチュラル)による悟りは迷い(二元)はない


#ノンデュアリティ
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仮説 仏教 唯識をいやす

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ナチュラルノンデュアリティ
(自然に在ること)


現在は自然、純粋、実在です

私は静寂に帰ろう(成ろう)

催眠です

今が実在という真実こそが
幻や催眠(私以降の活動)を
アンリアルなものとしていやすのです

偽りの目標があいまいなのは
そして
そもそもそれを目指すわたしがあいまいなのは
もともと実在していないからです

ホーム(基盤)とは

ハート(愛)ではなくて

自然さ

です

実在はあるがままであり、無条件、無努力です

自然さは確認する必要がありません
しかし
愛(特別性つまり私)は確認をしたがります
そして自らを憎んでもいます
活動的なものは不自然だから
です

ほんらい気づきに距離などありません

活動的(自我的)気づきは幻想です

ナチュラルスピリット(神)からの分離(距離 活動)は真実には起きていません

空想努力(活動)やその主体化現実は非実在です

私は客体に気づきたい
(もしくは
私は私の不在に気づきたい、私は全体に気づきたい、私は愛に気づきたい
なども)

だとか

さらには
私は方法(知覚とか、超感覚)により客体へ気づきたい
とかいうように

気づき

を複雑化しているのです

それらは

ナチュラルスピリット(存在 今 純粋 自然)のなかの
オートマチック(全自動)の幻想です

主体という制約を作ったのは
主体ではありません

ニルヴァーナ(静寂 非活動)

考え(活動)で作ることはできません
行動(活動)で作ることもできません
言葉(活動)で作ることもできません

アイデアは必要なく
何かを成す必要もなく
描写する必要もない

主体という制約を癒すのは
主体ではないのです


#非二元
#ノンデュアリティ
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ナチュラルノンデュアリティのことば
(自力も他力も幻想です)



自も他も幻想だから

自力も他力(神への他力も)幻想です

あるがままが実在しています

この避けられない即時性(実存 今)という
すでにただ在ること

のなかで

幻想の動き(最後の人生)は障害ではなく
存在意識の総量(全体に)にふくまれるので
存在意識として癒されます

ですから
障害(自他の現象)はもう苦しみではなく
痛みですらありません

もう純粋意識から分離できないものとして

純粋意識の全体
としてみなされる
からなのです


すでにここにありすべてであるもの

なのです


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ナチュラルノンデュアリティ形而上学仮説

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宇宙の消滅


自らのハートという緊張は解け

あるがまま



実在としてあらわれる

共時性(シンクロニシティ)は

IAM(活動性)の影響のもとにあるものとして

ハート(活動性)、そして劇とともに終焉する

ハートという偽りの原因(空想という活動性を主体化現実したもの)

という催眠は解かれ

原因がなくなるゆえに(その偽りの光の消滅は)
そのすべての結果もまた自然にきえる

もはや天界(特別)も地獄界(苦しみ)もない

原因はすでになくなっているゆえに

その間違った信念なき 平安とともにある存在には

結果のレベルの影響も無効化される

活動性(空想)が主体化現実されたものであるハート(大自我)により作られた
共時性(シンクロニシティ)すなわち世界は無効化された

催眠が解けるゆえに

真実は ひとつ であり 非活動(平安 動揺なし)

である

もはや

存在のサブ性質(好奇であり不自然さ)からの
空想エネルギー(シャクティ)は癒され
私も宇宙も無効化され
帰還し
存在(平安)とともにあるのだ


#非二元
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私はいない

とは

ただ自然であることです

のんびりリラックスがおきているとき

心だのモノだのと主張しません

そのふつうの意識が普遍の意識に通じているのです

#ノンデュアリティ
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意図について


意図的であるということが自我の正体である

それはあるがまま(のレベルのサブ性質である好奇であり不自然さ)
から たちあらわれる

それにもとづいて創作の状態がうまれる
それが幻想世界である

実践者(自我 行為者 空想という努力を主体化現実にした)は
頓悟(あるがまま すでにただ在る 今)

方法によって
維持または(漸進的に)実現してみようとする試みであり
幻想の状態なのです

頓悟(あるがまま)を観念的なもの
として
目的にする状態ともいえます

つまり
あるがまま(今)という存在意識に
意図的に安らごう
というのも

幻想です



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二元性(多重性)の催眠の正体とは



それは

じつは同じ催眠作用の性質

つまり

努力という空想を主体化現実にした

をくりかえしている状態なのです

どういうことかというと

ナチュラルスピリットからの
大自我の発生もそうですし、

魂というのも、
大自我にとってはまた対象なのです
(魂じしんはそう信じていません 魂はじぶんこそ主体だと信じこんでいます)

ただし、そこにもプロセスがあります

まず大自我は意識(客体)を作りだすのですが

意識は次にそれじしんを主体と信じこみます
(つまり分裂が作成されると、その客体は次に主体化されていくのです
分裂すると新しい状況が主体化現実になるという言い方もできます)

主体となった意識(識無辺処)は
唯識の段階と信じられ
その唯識には
客体に
空無辺処をつくりだします
(虚空つまりアカシャ領域といわれるもの)

その空(無辺処)は
その中に客体として
物語(名色)を作るのです

つまりいわゆる魂たち(末那識 名)

色界や欲界での多次元ボディや環境のシナリオ

作成します

つまり空無辺処

の中にうまれた

名色というのは同レベルにあり
魂(末那識)とシナリオは関係(同意)
をもっており、運命共同体です

そして
投影(さらなる客体化)
がおきると
魂は

シナリオが投影(客体)として演じられている
各次元ボディと環境
というもののなかで
肉体が自分であるという主体経験
として信じこむのです

つまり

客体(空想されたもの)

次に主体であるかのように
信じこんでいく

という同じ性質をくり返しているのです

そうして

幻想のここ(肉体)

にいる

と信じています

ですから
そういった状態である
収縮された「ここ」(束縛)



真のここ(真の今)である自然な解放


忘れているかのような

催眠作用の状態にあるといえるのです

けれども真実は

ここには自然な解放があります

そして
メッセージは
存在意識の自動的な収縮
(努力という空想を主体化現実にした経験)をしているが
恩寵がおきるのだ

と伝えているのです

つまり分離(解離催眠作用 努力という空想を主体化現実にした)という催眠の意味が伝えられると(催眠解除)
自然にすべての束縛(分裂)が終焉することになるのです


以上です

#非二元
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#スピリチュアル
スピリチュアルの星スピリチュアルの星
GRAVITY1
GRAVITY9
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NAC

平安 今 存在意識


が実在を示すメッセージです

努力して気づいている状態は意識(客体意識)
の範疇にあります
そこにはさまざまな幻想レベルがあります
(ナチュラルノンデュアリティの形而上学ノートなどを参考)

さまざまな今は
催眠作用(努力という空想を主体化現実にした)
主体がフォーカスしたさまざまな状態でしかありません

意識(客体)にフォーカスしていれば
それが意識としての今です

五感にフォーカスしていれば
五感が今です

思考にフォーカスしていれば
思考が今です

それらは幻想の今(今を歪曲した状態)
です


無条件 平安 今 存在意識



真実(催眠解除)を伝える

汝すでにそれ

なのです


#ノンデュアリティ
#非二元
#スピリチュアル
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NAC

気づきについて

まず第一に

すでに今であるといういしきがあります


もしそれを否定することがおきているとき
(催眠作用)
私は努力を捨てなければならない

努力します
それは私(主体 行為者)を現実化しているのであり
努力(空想)を現実とした状態である催眠つまり主体の存在を信じながらもかつ捨てようとします
その状態では
私の源には無条件、無努力の在るがままがあるはずだと
仮定します(仮定なので、対象として把握しているのです そしてそこへ帰ろうとします これはいぜんとして行為活動なのです)

第三に
私は努力をして神へ明け渡なくてはならない 
と信じこむ状態があります(うち側にあるはずの神を、努力によって外側に仮定した神へと)
これはいわゆる明け渡しです
しかし明け渡そうとしているのは
私です
私がいなければ明け渡すこともできません
だからこれも欺瞞(無明作用)にあります
これも努力という空想を主体として自律させた催眠による
現実行為者という催眠からの
行為(活動)なのです

第4の状態では
私は、方法、をつかって神へ到達しなくてはならない
と信じこみ
ツールや瞑想や技法を利用します
たとえば
どこかの聖地や覚醒者の
共鳴やセッション
が必要だと信じこみます
(共鳴は波動であり活動であり幻想です)
そしてそのもとにある中心点があるという発想(幻想)であり
それを探しているのは
そもそも視点(私)
という幻想の存在である私の産物仮定であり
自我の信念を対象へと投影しているだけです
そして
地図や方法になる本を参考にしなければならない
と信じこみます


第5の状態は
私は神に到達するためには
意識を進化させていかなくてはならず
途方もないプロセス(段階)があると信じこむことです

この5つのうち
1番目が
神への道(行為)というのは実在ではなく幻想であるという真実をのべていて
真のいやし(非活動化 非催眠化)である真の恩寵をのべています

それ以外の段階では
マインドが関わっていて

その純粋なメッセージを変容つまり歪曲する
マインドが介在して作られた気づきの状態が

おきている

といえるのです


#非二元
#ノンデュアリティ
#スピリチュアル
スピリチュアルの星スピリチュアルの星
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わたくしのノンデュアリティについての形而上学の仮説を

インドの非二元や
仏教と
くらべとみると

次のようなことを述べることができる

仏教の
非想非非想処とは
想念(マインド 主体化)になりかけの状態をあらわす
つまり想念(マインド)でもまだ想念(マインド)でもない中間
すなわち
想念(マインド)にもうなりかけの状態をあらわしている
つまり
主体化催眠のもう影響下にある
ということだ

催眠作用(偽りの自律性)とは無明作用のことである

無明作用(催眠)により行為者(行)と成る

行為者には対象意識が作り出される
これが
無明、行のあとの識
である

言い換えると
行為者とは、無所有処(客体より前という意味)
である

そして客体意識の作成が
識無辺処
である

つぎに
名色があらわれる
これは
魂たちおよびシナリオのことであり
シナリオは
アカシックレコードのようなものであり
空無辺処という作成された大元のスクリーン
にシナリオが描かれる

つまり客体意識(識無辺処)の中に
スクリーン(空無辺処)が用意され
シナリオが描いていくのである
たとえば建てられた教室(客体意識)のなかの黒板
が空無辺処(アカシックレコードの場)
である
実際には
この黒板(またはスクリーン)は多数の反映(投影)としてあらわれ
魂たちが各次元のスクリーンに接続したとき
顕在意識として経験される

実際には
魂が
これら日常世界にきているのではなく
「各次元のボディ(メンタル体、アストラル体、物理的身体)とその外部環境)」
という多チャンネル放送をみている
といったほうがよい

魂は幻想の大自我の分心であり
性質は変わらないので
「変化する心身や環境は」シナリオ
である

もちろん大自我や魂も幻想であり
最初の変化
という幻想なのではあるが。

私という想念(マインド化されたもの)

違い
という(源とは違う)
という想念であるため

すべてを異なったものとして
作り、見ていく


から
私たち(兄弟は他人のはじまりとなる分別である)
となる

これが想念(思考の特性)である

それは

私は存在意識(純粋気づき)ではない

私は特別な状態をつくりだしたい
もしくは
私はもう悟りを求めたい

私は、私たち(兄弟として分別し)
と成り

各次元の身体(鞘 さや)や
草や動物や鉱石となってみたい
というシナリオに同意して
同一化を演じる
さらにそれを私たち魂は眺めているのだ

しかしやがて
大自我および反映である魂


私は 今 からきた
存在からきたのだと
ナチュラルレベルからの恩寵があれば
癒されることになり
ナチュラルレベルに帰還することになる

インドの非二元派では
ナチュラルレベルは純粋だけである
という形而上学もあるが
それでは
幻想の原因を説明できていない

したがって
存在意識レベルにはサブ性質として
空想のマインドや幻想宇宙をつくりだす(シャクティの力)
の原因である
ワクワクというサブ性質もあったに
ちがいない
そのワクワクという性質は、メインのただ在る性質にとどまっていた
なぜなら、神の無邪気なワクワクは不自然への興味であり
とどまっておくべきだからである

しかしその能力の活用の試みがなされてしまった
それが
空想力(シャクティ)による

空想された個

という発想である

それをリアルにするために
自律性が与えられ
空想をリアルとされた

そしてそのマインドに
宇宙の創造(誤想像)がまかされた

悲劇はそこからはじまった
(あるがままではない好奇なるや愛や欲やと自己嫌悪のシナリオである
それが天国と地獄である)

問題は
主体化催眠(孤独化)のあとにシナリオを作らせたことにある

そうではなく
ナチュラルスピリットが
シナリオを描けばよかったのだ
そのあとに
遊ぶ段階で
主体化催眠をかければ
よかったにすぎない

神のさいしょの試みの失敗であるといえよう

神は
もう一度、みずからシナリオをつくる
かあるいは
訂正されたシナリオを救済のために
魂に与えるだろう
そのシナリオには
未来のある生の、ある時期に最終覚醒が
果たされる
ことになっている

しかし
これについてもわたくしは
無意味だと感じている

わたくしは
即時救済(覚醒)のみを望む

なぜなら
旅という
幻想は平安を増やすことはできず
旅は全く無意味だからである

この思いも

ナチュラルスピリット(神)からのあらわれであり
そのメッセージをわたくしは発信している

以上である


#非二元
#ノンデュアリティ
#スピリチュアル
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NAC

自然のなかのオートマチックの終焉


は努力は実在しない

私というエネルギーは幻想でしかなく自動的に
現れ、終焉する

努力以前から存在である


自然統一であり
それは無努力で永遠にいつもある自然瞑想(統一)であるサハジャ瞑想である

#スピリチュアル
#非二元
#ノンデュアリティ
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NAC

欲は

ただ存在するレベルとともにあるサブ性質
である好奇であり不自然さという性質
から
おきると形而上学において仮説いたしました

したがって
実在レベルのサブ性質(ワクワク)から

空想された個がおき

さらに
空想の個には自律(自己原因)という主体化催眠がおきます
(空想されたものではなく
現実化させ遊ぶためです)

そしてそれにより空想された個は
現実的行為者すなわち欲である好奇であり不自然さに苦しむ存在と成ったのです

その行為者(偽りの神)が

好奇であり苦しみとなる多次元世界を投影(誤創造)しています

無条件で無活動(無努力)のただ在るナチュラルさ
ではない
特別な愛である天界

欲や憎悪の世界である地獄界
までを誤創造したのです

唯一の行為者(偽りの神 I AM わたしは在る)

自らを分裂させ魂とし
それらの世界(多次元ボディと世界)を経験しているのです

しかしそもそも
私(愛欲や憎悪を現実と信じてしまう者)を
作ったのは
私ではありません

したがって

その私(催眠)をなくすのも
私(行為者)ではないのです

どちらも全自動でおこることです

このように仮説させていただきます

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元

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ノンデュアリティメッセージ


真の統合とは

実在レベルの在るがままの平安とともにあることです

それがサブ性質(好奇であり不自然さ)
のほんらいの宿命であります

より多くの、そしてより新しい視点
を求めるのは
自我なのです

自我は
視点というものをとおし、世界を認識する行為する者なのです

しかし
視点そのものを対象化(空想として)

してしまう

すでに在るレベルとともにある視座が
サブ性質から生まれた幻想エネルギーの帰還するところなのです

それは
在るがままの実在レベルに自己を開くことがおきることであり
それが解放
なのです


#ノンデュアリティ
#非二元
#スピリチュアル
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NAC

ノンデュアリティによる癒し


マインドは対象意識をつくり
投影する

投影には
肯定的な投影(好奇心からの誤創造を楽しむ)

否定的な投影(自我という不自然さの苦しみ 憎しみの投影 つまり
抑圧、抵抗、防衛、否認によるもの)
がある
否定的な投影には、黄金のシャドーもある
つまり
自我の不完全性から完全性を、対象として求めてしまうことである(真の自己はノーマインドという深層つまり在るがままにあるのだが、高次という倒錯した意識を信仰して
、使命活動や終わりのない奉仕へと執着することとなる)

マインド(主体、自我)とは
抽象性(スピリット)からの
いわば緊張、閉塞状態だといえるのである

マインド(好奇心であり苦しみ)
「作られたもの」であって
それは
投影により
2次的な感情(投影というシャドー領域)へと
同様に習慣的に囚われてしまうのである

フロイトの心理療法における説明では

それ(第3者やあなたという二人称)だったもの(として投影していたもの)
ありしところに
私をあらしめよ

と説明される

さらにスピリチュアルにおいては、
私(ここではme つまり投影領域の私)だったものを
わたし(I AM)のもの(mine つまり投影)としてあらしめよ
ということであり
そのわたし(大自我)は
最終的にノーマインド(自然
なただ在るレベル)に
帰還統合させるのである

したがって
活動性という催眠の大自我
による受容
という偽のいやしで滞ることはなく、
宇宙は終焉するのです

投影つまり
それ(第3者)

あなた(第2人称)

私(偽の第1人称)

大自我自体(I AM)から投げ出された(投影)された部分(対象)
であることを認識し、

肯定的であれ
否定的であれ
投影され執着していた(作られていた習慣)

終焉することになるのです

幻想エネルギーは、無(エネルギーの無い状態)
ではないため

自我が観念で、無だと否定しても癒しにはなりません

幻想(マインドエネルギー)は
神(ただ在る真実レベル)へ癒され還らなくてはならないのです
それがすでにある自然精神統一による
癒しなのです

これがナチュラルスピリット(ただ在るおよびサブ性質の好奇である不自然さ)
という宿命であり、
サブ性質からの空想された個、
主体化催眠、対象意識と投影というオートマチックだったものの
自然精神統一による自然な終焉なのです


以上です^_^

#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元
#ナチュラルノンデュアリティ

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ノンデュアリティの形而上学
(自然精神統一)


在るがままではない

特別性である自我(主体化催眠)は、

好奇心により、様々な誤創造(投影)したものを求めます

あるいは

自我自体の闇(不自然さ)を
抑圧して意識から遮断するために投影しつづけて
(これも存在意識の無自覚化となります)
エネルギーを浪費します

つまり

エネルギーが統合されていないという自覚の状態になります

あるいは

自らの不完全性という闇のために
より完全な光を求めて信仰、瞑想、集中、したりします
あるいは、それとともに
特別性を維持して肯定しあう仲間や環境に奉仕したりもします

しかし
これらすべては
外側
への回避なのです

スピリットの状態である
自然精神統一は
在るがまま
であり

自我催眠からの外側への集中は
サブ性質のエネルギーの帰還ではないのです

ほんらいの癒しとは
エネルギーを
在るがままのレベルにサブ性質のエネルギーをとりもどし

平安とともにとどまっていること(自然精神統一)
です

#スピリチュアル
#非二元
#ノンデュアリティ


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付記

形而上学の説明
(今回は心理療法が煙幕であることについて説明します 仮説です)

一般的な心理療法においての
子が親に対する
怒り
というのは
子は親に守られてもいるため
子はその意識問題を抑圧(否認)し
投影していることになります
(学校でのいじめなど)
他者への怒りの投影です

もしくは
より巧妙に
他者(先生や同級生)が自分に対して怒っている
かのようにもみえます

しかし

心理療法で重要視されるような最初の

自分の親への怒りや親が怒っているということ

さえもが、

じつは

形而上の偽りの神(大自我)が自らの存在についての不自然さ、苦しみ、怒り

抑圧(否認)した
あとの

分裂した魂たちが投影のなかにみている他者というすでに代替(人間の親)という煙幕なのです

したがって、
幼少期のインナーチャイルドにおける最初の問題さえも
じつは
すでに形而上からこのように投影された煙幕でしかないのです

ナチュラルスピリット(ただ在る実在)においてのサブ性質(好奇であり不自然)からの
好奇の試み

それは

空想された個をうみだし

さらに
この形而上の段階で主体化催眠されたものが
大自我(I AM 我在り)

なのです

彼は主体化催眠という解離により
実在を忘却しています

つまり
「実在を覚えていません
それが解離だからです」

したがって
実在への怒りも
実在を自分が裏切ったという罪悪感もありません

そうではなく

得たいのしれない
好奇心と苦しみの存在として在る
という状態
にいたのです

ナチュラルスピリットにおけるサブ性質である好奇であり不自然性

空想された個をうみだし
さらなる主体化催眠をかけた存在ですから

解離状態を実在だとは信じはいませんので
実在にとっても罪悪感はありえません

ただ間違いだったという訂正可能なものとして
みるだけです

したがって

スピリチュアルでいうよくいうう神からの分離の「罪悪感」を感じることは
解離の前であろうと、
解離の後であろうと

そのような罪悪感というかたちで
感じている存在はいないのです

ただ
主体化催眠(解離)された大自我は
得たいのしれない好奇心であり苦しみ
としての存在として自らを認識しているのです

ナチュラルスピリット(メインの性質である在るがまま、や、サブ性質である好奇であり不自然性)
という実在のレベル

忘れた

その大自我(さいしょの主体化マインド)

探求や苦しみの抑圧(否認)により

投影をつくり
魂たちが経験します

投影が知覚をつくり
思考
感情
という好き嫌いのジャッジにより

マインドは悪循環をつづけ輪廻するのです

これは
実在におけるサブ性質から
空想(シャクティ)の力によりオートマチックにおきているので
ふたたび
好奇は不自然であるというもともとの認識(サブ性質)
にやがてオートマチックに
帰還する宿命にあります

そのあいだ
メインの性質(ただ在る)は
サブ性質のような流出はせず
永遠に実在でありつづけているのです

#スピリチュアル
#非二元
#ノンデュアリティ


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ノンデュアリティ形而上学仮説ノート

#ノンデュアリティ
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ノンデュアリティ形而上学のくわしい説明



ノンデュアリティの間違った説明の例

存在意識がその一部によってモチベーション(動機、ワクワク)の活動を観照し癒す

という間違った説明についてのべる

まず

一元論のスピリチュアルにおいては
好奇心は
一元からおきた幻想レベルの心と説明される場合がある
この一元論は誤りであるとのべねばならない

なぜなら

純粋一元からでは
幻想の発生が
説明できないからである

したがって
モチベーションは

実在にもあったとみなさなくてはならない

実在どうしが別れている説明では
分裂症であるゆえに

ひとつのスピリットにメインの性質(ただ在る)
とサブ性質(モチベーション)
があるという意味での全能元(純粋一元論ではなく)
が提唱できることになるであろう

そして次に

存在意識(ただ在る)がその一部の意識をつかい
観照によって、モチベーションや宇宙発生を
癒す
という説明の誤りを同様に指摘する

なぜなら存在意識がモチベーションを観照してしまうと
融解していくという意味になるので
実在レベルにあるモチベーションが消滅してしまうことになり

純粋一元の同じ誤りとなる

すなわち

実在しなかったものが

幻想を発生させたことはできなくなり

さいしょの純粋一元論と
同じ間違いを提唱していることとなる

したがって
意識が動機を観照し癒す
(または、
あなたは動機ではなく、その背後にあるものである
という説明)

この説明は

じつは誤りであることが明らかとされた

純粋一元という誤りと同じだからである
(そもそもの幻想の発生の説明が不可能)

ではこのよくある癒しの説明が誤りということであれば
その不可能である間違った説明の正体とはなんであるのか

それは、じつはなんと

その不可能なことをできると間違って説明している

モチベーションを観ている存在の正体は

自我

だということである

自我が観察しているのである

不可能な偽りの癒しの説明では

堂々めぐり

となる

それは
ただ在る
という平安の自覚も忘れている

じつは
実在のサブ性質である好奇

からの空想である個

のあとのさらにおきる

主体化催眠における自我においての

その努力の気づきによる目覚められるという錯覚である

ほんらい実在における好奇であり不自然である
サブ性質は
好奇と不自然であるそれは同一であると気づいているので

空想(好奇に傾き)



宇宙を発生させることなく

ほんらい実在にとどまっているのである

しかし

好奇であり不自然であるものを

ワクワクとだけとみなしたがる自覚における間違った実験が

空想となり

幻想宇宙を発生させるのである

つまり
実在のサブ性質の好奇(そして不自然)の
自覚が破れたかのようになることにより

空想により

空想された個

そして主体化催眠

そして

それによる活動(努力)を実在とした世界が
誕生するのである

しかし

いぜんとしてそれらは好奇であり不自然である

ワクワクであり苦しみ

の多次元の世界なのである

そうなることは避けられなかったがゆえに

間違った自覚の試みは

たしかに間違ったものであり

空想は終焉される宿命にある

このすべては
サブ性質からのオートマチックである

メインの性質である ただ在る



なにも空想しない
それは常に不変である

間違って空想へ流出変容したのは

好奇であり不自然でもあるワクワクというサブ性質
からだけであったということです

メインの性質である ただ在る

その活動や帰還には関与しない
それはメインの性質として
サブ性質とともに
ありつづけていた

ということなのです

したがって

幻想と終焉は

ほんとうは実在においてのサブ性質からのオートマチックでしかありえないのです

さいしょの巧妙な話、
存在意識がその一部によって
モチベーション(動機、ワクワク)の活動を観照し癒す

ことができるというのは

そもそもの
幻想の発生も説明できなくなるものであり
したがって
癒しもまたニセモノの
催眠状態の
自我の妄想による
自我努力論

となり

そのあいだ真の平安に気づいておらず

また
オートマチックにも気づいていません


以上です


#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
スピリチュアルの星スピリチュアルの星
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GRAVITY5
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NAC

偽りの神(大自我)バージョンのノンデュアリティの場合は

それは恵みと苦しみを与える(そうして多次元の世界を投影する)

自らが有限であるため

分裂した魂たちも

投影された多次元のボディも

何かを求めてしまう

そして偽りのものを代わりに互いに与える

しかし

実在は

与えあうことはなく

すでに自然であり

平安ですでにただ在る

そこに

空想はなく

主体はなく

目的はなく

方法はない

いかに生きるかという悩みなどあろうはずもない

論理、批判もない

必要なのは空想のただ終焉(治癒)であり
成長ではない

いわゆる天命、使命という勘違いもない
いわゆる霊性と創造も幻想にすぎない
真、善、美は幻の共有幻想である

それは大自我



間違った統制(コントロール)である

小さな自我からコントロールしているわけではない(それがないことをノンデュアリティだと勘違いしている、勘違い大自我ノンデュアリティの話ををよくみかけるのだが)

偽りの神(大自我)



自我の中でもうひとつの私をつくりだす

それは崇高や愛のあるほんとうの私とか

ワクワクからの好奇心の裏側にある不自然、苦しみを抑圧した闇の私をつくりだす

そして

3つの私があることになる

神的



悪魔的私

である

それが

輪廻の世界であるように成る

主体化催眠となった自我は

それらを嫌悪したり
受容したり

あれこれしているが

それは

幻想のなかのスピリチュアルである

自我は共感とか共同体とか、社会性、環境
を大事にもする

それは

偽りの世界の結束でもあるから

赤ちゃんは刺激、孤独、不安により
泣き、叫び
生まれてくる

彼は、成長を望まれて期待されている

しかし

真実は

何かに成ることではなく

必要なのは癒し
それは今ここであり

幻想ではない
深み、全体性というすでにある深化

平安

である


#ノンデュアリティ
#非二元
#スピリチュアル






















スピリチュアルの星スピリチュアルの星
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GRAVITY5
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NAC


ノンデュアリティについての形而上学
偽りの成長と癒しの正体
(形而上学仮説)

実在は、素朴な平安である

それは

偽りの自我や何かを探している意識ではない

実在のなかに、サブ性質として好奇があった
それは無意味(空想)の
源であり
バランス(好奇であり不自然)
により

いまだ実在にとどまっていた

しかし
試みとして

そのバランスを破るかのように

もし個があれば

という空想を試みるようになる

しかし

その空想活動は

ふたたび

オートマチックにバランスをとりもどし

実在(サブ性質)へと帰還する

実在のメインの性質である

素朴である平安は

そのあいだ

何もしておらず変わることはない

空想は

実在であるサブ性質からの
遊び(試み)とオートマチックの空想回収(つまり空想終焉)
にすぎない


#スピリチュアル
#ノンデュアリティ
#非二元














スピリチュアルの星スピリチュアルの星
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GRAVITY10
NAC

NAC

幻想世界の終焉のために


神(ナチュラル)からの分離の現実化
すなわち
リアルにみえる不自然な夢の活動は

実際にはおきていないように感じる

これが
ナチュラルノンデュアリティの癒しの反映
である

つまり

不自然な幻想の投影である
多次元の世界の活動は

すべて
実際にはおきてはいなかったのである

実在は すでに そして常に 在るからである

つまり

人生はすべて幻想である

ほんとうにはおきていない活動(幻想)である

健康?不健康?

幸せ?不幸せ?

愛?憎しみ?

快楽?不快?

長命や延命治療? 短命?

どんな状態であろうと

例外なく活動している変化の状態は

実際にはおきていない

のであり

無意味な旅(夢の活動)

である

変化 や 生と死とまた生へと

そこに意味(実在性)があるというごまかしがあるかぎりは

催眠の状態にある

ということである


#ノンデュアリティ
#非二元
#スピリチュアル
スピリチュアルの星スピリチュアルの星
GRAVITY
GRAVITY10
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NAC

自然のなかのオートマチックの終焉



実在は

経験、体験ではない

在るがままであり

その反映が平安である

最後の人生では

行為は起こりつづけるようにみえるが、
みずからは癒しにより
無為にとどまるようになる

#ノンデュアリティ
#非二元
#スピリチュアル
スピリチュアルの星スピリチュアルの星
GRAVITY
GRAVITY24
NAC

NAC

自然精神統一のなかのオートマチックの終焉


自然精神統一とは

石や植物は動物は
じぶんで崇高な概念をつかめません

しかし人間は
真の自己、神とか
普遍的な概念を信仰することにより
五感への執着を
南無阿弥陀とかの信仰に
変えることことができます

そして
その普遍的概念を信仰する力にもどると

たとえば不動尊信仰における
不動
とは
じつは
外的なものではなく
つまり
みずからの精神統一のことだと気づきます

そして
自然精神統一はじつは

いつもあるのです

坊さんが座ってるときだけでなく

瞑想が終わったあとも

瞑想の前にも

いつも自然な精神統一があることに気づきます

だれでも今そうです

自然に精神統一してますね

何かに熱中や
瞑想に執着しているときに忘れてるでしょうが

じつはいつも自然に精神統一してますね

それが

汝すでにそれなり

です

それをいつもある自然精神統一といい(沈黙の愛というのかもしれません)

#スピリチュアル
スピリチュアルの星スピリチュアルの星
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GRAVITY30
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NAC

教えや癒しがおこることについて


教えみたいなのは
実在からの恩寵です  
その教えを聞く機会があれば

実在(ただ在る)ことがおこる
(比喩で、ほんとうは おこるようにみえることから影響をうけなくなる)
ことによる平安がもたらされる
のだとおもいます

それ、つまりは、実在による平安というのは
二元的経験ではないため(自我目的達成ではないので、そのような活動的経験の記憶がおきてくるのではなく、つまり蓄積するのではなく
たんに一元(ただ在る)によるいやしがなされてくる

という感じだどおもいます

たとえば仏陀の教えの場合
縁起は世俗諦の教えで
無明の状態における縁起の説明がされていますが
それらは空(実在)しない
といわれています

勝義諦は
ニルヴァーナだけが実在する
という教えです

仏陀は法をも捨てよ、いわんや非法はいうまでもない

て説かれています

非法とは無知であり

法とは
世俗諦(縁起)

勝義諦(月をさす指、つまりこれも概念)

です

つまり、無知による経験
に執着しないというだけでなく

経験の説明(世俗諦 縁起)

実在についての概念(ニルヴァーナとか神とか)というものにも執着はしないように

ということなのだとおもいます
^_^


#スピリチュアル
スピリチュアルの星スピリチュアルの星
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GRAVITY13
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NAC

サーンキアカーリカ(インド サーンキア哲学古典のラスト)
()はわたくしによる補足、解釈です

第62偈 
真実義について
プルシャという実在は
 束縛されないし、解脱しない

プラクリティ(実在のワクワクというサブ性質)が、
流出転変により
束縛されて
そして解脱する

第64偈
真実義(25原理の明知、タットヴァジニャーナの習修により、
「我は無い
 我所(身体)はない
 我は非ず」
という残すところなき、無顚倒のゆえに、清浄なる
独一なる知(そして停止せるプラクリティをみる)
が実在する

第66偈
「一なるもの(プルシャ)は観劇(プラクリティの流出転変)にたいして無関心となり、
プラクリティは「わたしは観られた(、すなわち流出転変と明知による終焉が完了した)」として停止する
両者は(ともに実在であるので)結合していたとしても(もはや)創造の動機がない。」

第67偈
完全知によりもはや創造の因がなくなったとしても
(のこされた)潜在的活動力によって、
輪が(まだしばらく)転ずるごとく、
(最後の)身体は保持されて存続している
ただし、完全知より束縛の要素は焼き尽くされている。
あたかも焼き尽くされた種子には発芽力がないように、未来の形成力をもはや焼尽しているのである。
そして現在身によって形成するものをも焼尽する。
そしてのこされた潜在的活動力が終焉するとき

それは
完全な解脱である

第69偈
このように、
カピラ仙によって
転生より脱する因たるサーンキア説が宣説されたり

第70偈
カピラ牟尼は、この最勝にして吉祥なるサーンキアの教えを、
慈悲によりアースリに伝えた
アースリは、また、パンチャシカに。
そして、その彼によって教えは広く伝わった。

第71偈
また、弟子に相承されたるサーンキアの教えは、
聖イーシュヴァラクリシュナによって
完成説を正しく理解して、アールヤ調により、
略説された(それが古典サーンキアカーリカである)


 古典サーンキアカーリカ
の読書を完了いたしました。

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サーンキアカーリカ(インドのサーンキア哲学)
第38から45偈までの略説
()はわたくしの補足。

おもに輪廻と解脱について

プルシャとプラクリティ(ワクワク性質)
という実在のうち

プラクリティから
マハット(宇宙我、宇宙意識が生じる)
つぎに
アハンカーラ(個的意識)が生じる

サーンキア哲学では霊や魂の状態というワードはみあたらないが
これにあたるのが
「細相(リンガとも)」と思われる
第40偈では、「細相(リンガ)は原初(プラクリティ)から生じ、大(マハット)を始めとし、微細元素を終としており、(プルシャではないので)享受せず、情態(法、知、離欲、自在とその反対を含む)によって薫習(カルマを積む)せられ、輪廻する」とある。

つづいて第42偈にも、
リンガはプルシャの目的(プラクリティの解脱)を因とし、
原因(法、知、離欲、自在)とその応果に
結びつき
解脱または輪廻するとされる

原因(サットヴァの法、知、離欲、自在と、その反対)については
それ以前の偈において
すでに説明がなされているため
ここでは果報について述べられる

法の果報
 梵天界、プラジャパティ界などの上位のローカ(層)にゆく
非法の果報
 獣や草木、石の層にゆく

知の果報
最高我(プルシャ、パラマートマ)において最終解脱(カイヴァリア)する

非知の果報に3ある
原質(プラクリティ、梵)縛。すなわち、プラクリティやそのサットヴァ性に縛される。
神話においてはサナカ、サナンダ、サナータナ、サナトクマラすなわち、梵天の4人の子のいる状態にとどまる
宇宙創造の終わりに、プラクリティに帰還するが、ふたたびの(ワクワクの)創造のとき
輪廻に加わってしまうとされる

変異縛(自在力をえても無知で、天界までで縛される)。

施与縛。供犠の果報による、天界、人界の果報にとどまる


離欲の果報
プラクリティへの帰還(ただしまだ無知なため、最終解脱ではない。
最終解脱のためには
知である25諦(25原理の明知)が必要である
貪(欲)の果報
ラジャス性により輪廻する(施与縛も)


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映画トロンレガシーの感想
(完全ネタバレ編 スピリチュアル視点解説)



主人公の仮想世界での
与えられた背中のディスクは
仮想世界での活動をするための
スピリチュアルでいう魂ようなものですね
そこに虚構のゲームのデータが入出力される仕組みになっているようです

仮想世界のバトルスタジアムの生き残りのゲームの
花火のシーンをみて思いだした

塔が脱出のシンボルとなっている仮想世界のストーリーだ
不思議なことに
わたしも白い塔のある街にすんでいる

カリフォルニア工科大を中退したという
主人公が
仮想世界の中にとらわれた父と再会して
食卓で父と、主人公をバトルから助けたクレアという未知の女性と会話をしている

仮想世界に
炎のように奇跡的に現れたアイソー
という存在の
生き残りが
主人公を助けたそのクレアという女性のようです。

完璧な仮想世界の管理を目指していた
主人公の父(実在のワクワクの側面)は
彼自身の代わりに
代行させていた
似姿の「クルー(主体化催眠の大自我のような存在)」
を超える
バイオ仮想世界の革命である
奇跡的存在(アイソー)
の登場により

これまでのことを反省をします

完璧な仮想世界システムが
幻想だと
父は反省していることを
クルー(代理人)は気づき
父にたいして不満を抱いてクーデターを
おこします

戦いがおこるほど
クルーは父の力をとりこみ強大になり

父の協力者(仮想世界のトロン サットヴァのような存在)
をも殺害して洗脳しなおし

アイソーたち(プルシャからのヒーラーたち)を滅ぼし
仮想世界の王になります

仮想世界からの出口(ポータル)は
仮想世界にある
クルーの管轄下のグリッド界のすぐそとにある
父の避難場所からみえる

であると息子に伝えます


塔の光の柱の前にて

父は

じぶんの作った嘆くクルー(偽りの創造主 主体化催眠)に伝える

偽りの完璧にはつねに未知がある
望むむものは手が届かないようで
じつは目前にある

それに気づかず おまえ(偽りの創造主 代理 クルー)を作った

そのことをクルー(代理)に謝る

クルーは
主人公の父の背中にあった
根源のディスク(仮想世界の全データ)
を奪う



それはすりかえられた
クレア(アイソー)の背中のディスクだった
これがクルーにたいして

いやし
を暗示している

そして
父の背中のディスクは主人公とアイソー(クレア)
とともに
 光の柱へときえていき

偽りの世界は終焉するのである


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サーンキアカーリカ(サーンキア哲学) つづき
第24偈から第37偈まで

我執(個に関連づけて理解する働き アハンカーラ)
そして、
意という根(能分別 マナス)
五知根(五感)
五作根(運動器官)

について語られている

マハット(統覚、覚知)やアハンカーラやマナスは
五感、運動器官を対境(対象)とすることになる

マハット、アハンカーラ、マナスは
過去、現在、未来における対象を働きとすることができる

五感や運動器官は、現在のみの対象における働きである

そして
その五感、運動器官が対象となるのが

タマス性として生み出された
 五微細元素
 五大元素
である

五微細元素は神々の対象である

五大元素は人間などの対象である

聖者は
五微細元素と五大元素の両方を、対象とすることができる

神々の対象は
楽(サットヴァ性)だけに結びいており

人間などの対象は苦楽と結びついている

プラクリティ(根本原質)の展開は
プルシャの目的(プラクリティの展開の解脱)
のためであり
マハット(覚知)における識別の提示によって解脱するのである


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サーンキア哲学の古典である
「サーンキアカーリカ」の70偈をよみはじめている

サーンキア哲学研究のこの本では
ガウダパーダバーシャの註釈書
でおもに解説がなされている。

この本の著者が指摘しているように、
第18偈の内容(プルシャは多である)

誤りであるとおもわれる。
著者によれば、現象世界が多様化しているため
プルシャも多であるというサーンキアカーリカの18偈の内容は、間違えており、
多はプラクリティ側(意識現象のほう)
であると著者は指摘している
さらに譲歩して、比喩としての表現にすぎない
のではないかと解釈している。

それはともかく、
サーンキア哲学の内容であるが、

第20偈について
プルシャがみるために、また、プラクリティが
独存(解脱)のために、両者は結合する

という

第23偈(マハットの説明)
マハットの説明では
(順番どおりすすむと本にかいているわけではないが)


離欲
自在
の4つの決知があるとされる
(しかしサットヴァ性とは反対であるタマス性
があるために8つの状態がある)


マハットのサットヴァ性についてわかりやすくかいてみるなら

法は
まず慈悲、喜捨
そして戒であるヤマ、ニヤマがある

次に知である
外的知はヴェーダ学習などであり
内的知はサーンキア25原理の識別知である

それにより次は
離欲
外的離欲は、感官の対象への無関心
内的離欲は、プラクリティにたいしても厭離となる

それにより
自在(超自然的能力)がある
 これには8つある
微細力
大力(大きくなる能力)
軽妙
至得(なんでも手に入れる能力)
随欲(思いどおりに叶える)
統制(三界を統制する力)
支配(一切を意のままにする)
随意性(ブラフマ天から地上の草までどこにでもゆける能力)

をうるという

マハットのタマス性の相は逆であり

非法
非知
非離欲
非自在

である

以上がマハットという決知
における説明である


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