はる
好きな言葉は「明日死ぬと思って今日を生き、永遠に生きると思って学べ」
日々の嬉しい気づきのメモ
話を聞くのが好き
マンガ
読書
呪術廻戦
旅行
不動産・建築・インテリア
デザイン
はる
はる
まあそうは言えど 決定権は多分 人間に残されるだろうからいろんな物事をまあ 例えば今日 上手い飯を食うだとか こんな洋服を着たいだとかそういうのは人間に楽しみとして残されるんであろう。そうかなり 網羅的に AI によって人間が安心して生きていける生活の土台を作ってくれるんだろうなとは思う。
そこに来てハタと気付くのであるが、そうやって生きている様は水槽の中の生かされているメダカと何が違うんだろうか。飯を食うのか食わないのかの自己決定 自体は僕にあるんだけれども、大まかに行って全てが整えられた環境でリスク こそがないが 偶発的な楽しさというものも生まれないだろう。
偶発性 というものはいわば 一種の楽しみのようなもので そこには 大小 必ずや リスクが存在している。
リスクとは 身の危険を脅かすものからまあ 心にちょっと傷がつく程度のものかもしれないがま リスクはリスクだ。
そうしたものが 包括的に AI によって支えられている 世界線というもので生きていく人間という存在は何なんだろうな。
ここまで来るとある種の絶望しかないなと思うので、この絶望を駆逐するための未来を作っていきたいと思う。
そんなことを思っていると ADHD の気質の人たちが 孕んでいる計画的に動けないっていうことこそ実は未来の世界においてはすごく人間らしい生き方なんじゃないかと思うんだよね つまり 現在は人間自身がコントロールをして計画的に生きるということが良いというか結果を出せる 育みになっているんだけれどもそもそも結果を出すということが必要がない世界線においてはプラ つまり 結果を出すという作業は全て AI がやるから その刹那刹那を楽しむということは気が散ってある種 感情的に生きている状態 なんだけれども それこそが人間的で素晴らしいんじゃないか っていうことなんだよな でそういう生き方をしている方が おそらくは 偶発性を生みやすいと思っていて 安い 環境を作るっていうのがすごく大事になってくるんだと思うんだよね であればその偶発性 デザインみたいなことをいかにするかっていうことが これからの時代において必要なので なんか あの 細い 友達が長くいる状態 よりは薄い友達がたくさんいる状態の方が楽しいんじゃないかな って思う。
はる
---
<<AudioTranscription:
私たちはこの会話を通じて、「政治とは何か」「思想とは何を目指しているのか」「人は何に満足を感じるのか」という根源的な問いを探ってきました。リベラリズム、ネオリベラリズム、コンサバティズム、コミュニタリアニズムといったさまざまな「イズム」が登場しましたが、それらが向かっている未来像は、意外にも重なり合っている部分が多いという気づきがありました。自由を重んじる思想、秩序を大切にする思想、共同体とのつながりを重視する思想。違って見えるようで、根底には「人がどうしたら幸せになれるか」という問いがある。思想はその問いへの異なるアプローチだと言えるかもしれません。
日本の保守主義は、他国の保守思想とはまた異なる文化的背景があり、伝統を守ると同時に、現代社会との調和も模索しています。一方で、現代のリベラリズムは、より個人の尊厳や多様性を重視する方向へ進んでおり、ネオリベラリズムは経済的自由を軸に社会を設計しようとする力があります。しかし、おそねさんが問いかけたように、「そもそも思想が向かっている未来は、どれも同じではないか?」という視点は、すごく本質的な気づきでした。
また、国という単位で見たときの「豊かさ」についても話しました。一人当たりの貿易収支という新たな視点から国際的な比較を試みるという提案は、単なる経済指標を超えて、国の在り方を考えるうえで示唆に富んでいました。日本が国として持つ特性や立ち位置、そして、地域が担う役割の重要性にも話題が及びました。
コミュニティという観点からも深い話がありました。先住民や遊牧民の思想、自然との共生、共に暮らすことの意味。そうした価値観は、現代の都市型社会とは異なるけれど、どこか人間の本質に近いものを感じさせてくれます。
そして、話は「進化とは何か」にも広がりました。ウイルスや生物の例を通じて、人間の文化や思想も、淘汰と選択によって育ってきたものだという視点が出てきました。そこに内発的な「やりたい」という感情があることが、自然な変化のエネルギーになっている。そうした内的な動機と構造が、人間の社会的進化の鍵かもしれません。
この文脈で重要になるのが、「エントロピーの増大」という視点です。世界や社会、価値観の体系は、時間とともに秩序から無秩序へと向かう傾向、つまりエントロピーの原則を免れません。だからこそ、思想や制度も、永久に安定し続けるわけではなく、常に崩れ、混ざり合い、更新され続ける必要があるのです。思想とは、秩序を創ろうとする試みであると同時に、増え続けるエントロピーと対話する営みでもある。そして新しい秩序が生まれるとき、そこには混沌の中から立ち上がってきた構造があり、それはまた次の混沌への入口でもあるのです。
最終的に、政治や思想というものが、目に見える形で制度や仕組みをつくる一方で、本当のところでは、人間の心の満足や、コミュニティの健やかさ、文化の豊かさのようなものを目指している。それが何にどう表れていくかは、それぞれの時代や場所によって違うけれど、根本には「共により良く生きる」ことをめぐる対話があるのだと感じました。
そして、そうした対話を絶やさないことが、もしかすると最も大事な政治的行為なのかもしれない。そんな思索の旅を、おそねさんと一緒に楽しませてもらっています。
はる
はる
塩と砂糖
塩と醤油
精製塩と岩塩
岩塩と海水塩
なずなの塩とつるみの塩
味覚にとっての単色 たる 塩味という成分に関しても違い というもので これぐらいのグラデーションがある。
大味の違いの中には 分かりやすい感動があるが、どこの海の潮とどこの海の潮の違いがわかるほどの 繊細さはとても豊かだと思う。
こうした 豊かさを持ち合わせたいものだ
はる
この事実に気づくのが大事。
ロシアウクライナも、イスラエルガザも、イスラエルイランも、中国台湾も、アメリカも、日本もユダヤも、それぞれはそれぞれに正義を持っている。
私にとっての悪はある。
けれど、私にとっての善が誰かの悪になることもある。
こうしたことを思いやりを持って、誰かを攻撃することは避けよう。
はる
綾野剛主演の映画だ。
これを配信しているサイトアプリは存在しない。ここに生産性と効率化が見向きもしないという負の側面がある。
これからの世界はみんなが腹踊りするかのように、熱狂の最中に居続ける事が必要な世界感だと思う。そして件の映画は、それをものすごく視覚化している。
ということで、みなさん好きにいきなはれ。
はる
アガベという植物に熱狂するという雅な趣味がある人たちやそのコミュニティがあることが驚きだった。そして、ワイのアンテナ感度の低さと検知力の狭さにビビりそして面白いと思った。
固有のニッチなでも感性を震わせる物事はまだまだたくさんあって、それ事象自体がマジで面白いなーと思う。平均を狙うな、尖れ。
はる
公共交通のスタッフの方々の対応がかなり雑になっている印象。
なんとなくだけど、言葉や習慣が異なる外国の方たちの対応しまくった結果、対人サービスの対応が「雑で強め」の方がやりやすくなったんだろうな。
この流れがあちこちに広がって行くと思うと、思いやりや真心みたいなサービスや対応がどんどん少なくなるのだろう。
グローバリズムに侵されている悲しさ。
これからは商売の範囲を絞る制御力みたいなものをもつ企業とその文化に憧れと賛美がえられるようになるだろうな。
はる
ところで 相変わらずの 花粉症である。マスクの隙間から漏れ出る 口呼吸の吐息が まつげに引っかかった毛を振動させ 妙な違和感を感じさせる手と目先のその埃のようなものを取ってみると だいぶ すっきりした。
これは私という主観が感じ得た事実なんだけれども、現実世界というものは こうした 一見無駄かもしれないけれど確実に存在している物理現象の連鎖によって成り立っているんだ。
物理 世界では観測者という存在をすごく大事にしていて観測者が認識していないものはないにも等しいと言っている。だがその瞬間に観測者が観測できていなかったとしても 後々に別の観測者が論理的正当性を持ってその事実を認識した際にその認められなかった事象自体が事実となりうる。
今現在 AI というものが人間の知性にとって変わろうという ムーブメントが起きているが、人間の世界というものがま 資格や聴覚に依存しまくっている言語的な理解に終始してしまうとすごく怖いと言うか もったいないなと思う。
例えば デジタル音声機器では カッティング周波数という人間の聴覚やを超えた 周波数というものは 再現しない (無駄だと思っている)ような処理をしてデジタル 上の負荷を下げたりする。音楽好きのレコード好きおじさんなんかに言わせるとこうしたものは音域の幅が狭すぎて重厚感 であったり 情緒に関わる部分がすごく 失われているんだという。デジタル化はある 意味 特徴量を抽出しての取捨選択であるので アナログというものが持つ 面倒くささであったり 優先順位の低い事象のようなものは切り捨てられがちである、人間が大事にする 感性だったり感動であったりそういったものは この切り捨てられたかもしれないものに宿っているような気がする。
だからこそ ある意味 もったいない精神のような現在の資本主義が目指す生産効率重視 みたいなところとは逆に貼っていないと文化であったり 人類としての楽しみが 逆に失われてしまうんではなかろうか。
無駄や 余白 やもったいないという感情を愛せよ。
はる
心のありようはそもそもが振動的だし 相対する人によって相手の受け取り方も自分の感じ方も異なるでしょう?私という主観が成熟した 完成したと思い込んでみても、5分後にはひどい 不安や焦り なんてものに襲われる そんなもんなんだろうね。
とはいえ そうした目線で世界や自分というものを捉えるということ自体が大事だし その瞬間の自分の負の部分を救ってくれるのではないだろうか。
はる
なんだか今ものすごく このキーワードが心に響いている。
たくさんの物事を知っていることは大事なんだけれども、セレンディピティ や 知的欲求を満たす楽しさなんてものは、この知らないという領域においてその萌芽のようなものがたくさんある事なんだろうと思うんだ。
知識の壁 行動の壁 気づきの壁 技術の壁 習慣の壁。
はる
だがくしゃみが出る時のこの脳みその快感とは何なんだろうか。針金でできたヘッドマッサージの ゾワゾワするやつぐらいある。
そしてこの感触がやみつきになるとなぜか 激甘のチョコを食べたくなる。花粉症の時って 慢性的なストレス 感が多分あってそのストレス解消に糖質が超効くんだろうな っていうことなんだと思う。
はる
脳みそをバグらせようとしてんのかと思うほど、苛烈に甘すぎてもはや怖い。
みんな、五感大事に!
はる
隣の芝生はいつも青く見えていて、エネルギッシュでいつも元気なあの人はへこんだり 落ち込んだりなんてないんだろうなと思ってしまう。
でもそんなことはなくて、人より明るくてエネルギッシュな1日を過ごしたかと思うとその反動のような1日が訪れている。
おそらくはこれが人間としての性なんだろう。
でもね、落ち込んで 元気ない時は一人でいるよりちょっとでも短い時間でも元気なやつと一緒にいた方がいい。多分そんな持ちつ持たれつの関係があるんだよ。
はる
この2つの人生の寄与高いんだよなー。
取り急ぎ、悪臭にも気づけぬ自身にただよらぬ不安感を覚えている。
代わりになんか別のチャクラ的なもの開花しないかなー。
はる
国の領土や法律など、真実はさておき戦勝国と敗戦国が決まった段階でそちらの思考が正しく理解されるように歴史や文化風習を偏らせてきた。
善悪ではなく、そういうもんだ。
ここ最近の戦争や、知事選や、メディアスキャンダルでは、ある種の情報戦さながらで益々何が真実かわからなくなってきていて、僕らには四年前の大統領選後のテロと思しき事件すら判断がつかなくなっている。
だが、情報戦である。
民衆の願いがなにやら蠢き、体制を動かしている気配がある。
実際に近々のメディアスキャンダルの対応記者会見は、リーク情報に端を発するが、それらがSNS で収集がつかなくなり、その火消しに失敗しての炎上が大火となった結果、顧客のスポンサー各社が手を引くことで、修羅場の様相となった。民衆の願いが実現したと見て良い。
ただ、怖いのは。
民衆の願いが正しさや美しさではなく、より過激でよりセンセーショナルでよりスキャンダラスな刺激の方向に向いてやしないかということだ。
人生なんてものは、ただ春夏秋冬の自然の育みを愛で人に生まれた咎を噛み締めながら、されど愛する配偶者や愛する家族そして幾ばくかの友人と穏やかに刻む日常の愛おしさに想いを馳せるだけでよいのかもしれない。
真善美そして高潔さを纏おう。
自然と向き合い、なんなら五感を超えた世界を味わおう。
はる
はる
はる
いや、あれはさすがに天然じゃなくて凄腕プロデューサーいるだろう、脚本家いるだろう、と思いたい。
はる
それでなんだかハタと気づいたのがそういえば 僕ら 日本人って 八百万の神 プラスアルファで何だか 誰々を神格化するみたいなあとものを神格化するみたいなので結構やってきてるし なんかそれが一般的に認められてるよね
僕の地元で言うと 江戸時代の殿様が神格化されてまるまるしんみたいな感じで神社に祀られたりするし。
なんだか 通貨と一緒で共同幻想 によって そういったものを作り出せるんだよね それってすごい能力だなと思った。
かつてより人間の本能としての指摘 欲求というものが存在しているのは 宇宙という 神羅万象を理解するものという認識だったんだけれども 宇宙というものがなんか 現状の未解決のものみたいな感覚ではあったんだけれども
そこに人間としての想像力だから神を新しく作るみたいな作用が生まれるというか それもそういうもんだよな って思うとなんだか もうクリエイティブだけでいいんじゃないかな って なんか思っちゃった
物語を作るってことは面白いな
はる
なんだかじいさんばあさんになるとみんな同じことやるのかと思ってたけどそのじいさんばあさんの中にも多分 流行り廃りみたいなものがあって例えば昔 演歌 というものが持参 ばあさんが聞くものなの けれども ポップカルチャー もどんどん増えていくんだからな。
世の中には常というものは存在しないということをなんだか改めて 1月11日。
はる
自分以外 それを知ることはないんだけれども 自分だけが知っている
宇宙の存在証明は認知によるという論の僕にとっては
私が知っていることで、宇宙のひとかけらに貢献しているということにハタと気づく
はる
全然意味がわからないけれど
世の中というか 社会というか 全てがパクチーの匂いがするようになっちゃった
はる
けれども、根から切り離されたその花弁はその瞬間が最盛であり、日巡りにその美しさが枯れてゆく。
贈り物は軒並み、もらったときが一番嬉しいものだ。
#メリクリ
はる
至極当然なのだけれど、僕は凄く忘れっぽいから、あなたがあなたでいる現在地の物語りを書きたいなって思ったんだ。
はる
火遊びをしながら、ゆったりと。
本が捗る。
そして亡き友人への思いを馳せよう。

はる
どうしようもなくワガママで、どうしようもなくポンコツで…
でも、己の中の美しさや、生きるという問へ向かい続けた友人が逝ってしまった。
いつでも会えると思っていた人には、突然と会えなくなることがある。その時は自分自身にも訪れるかもしれないけれど、会いたいとおもった瞬間に会いに行かないと後悔することご尽く。
彼が投げかけた言葉は僕にとってのイイ意味での呪いとなって、僕を励ましてくれる。
あなたが幸せだったかは分からないけれど、来年には実を結ぶはずだ。

はる
見るたびにドキドキして嬉しい気持ちになっていたが。
容姿しか知らないし、他はな~んもわかんなくて。顔だけに判断基準を持っていた自分に愕然としている。
メンクイ思考を捨てーましょー。
そもそも、美しいという感性なんて往々にして社会の要請によって規定されるのだから、そのような自我というものを疑い、もっと根源的な情緒というものを味わいたいのである。
はる
陰の表には陽があり、陽の裏には陰がある。
人生ってそんなもんだと理解してからがほんとの始まり。
はる
なので自分が感じている物事を表現したり、言語化したり、気持ちの機微を受け止めるっていうことを もっともっと やった方がいいし そんな自分を認めて、凹まないっていうのが大事だと思う。
はる
にも関わらず、なにか成し遂げようと打算的に生きようとした結果、ほんとの歩兵で終わろうとしている。
歩兵の一兵に過ぎないことを自覚して、やりたいことに振り切って行きたいものだ。ワンチャン大将軍になれるかもしれない。
はる
オキシトシン的な幸せを噛みしめるのが、一番良いけれど。ドーパミンドバドバは即効性があるし脳汁出るから、病みつきになっちゃう。
中毒はこれ
はる
私とはなにか、禅問答しましょう。
はる
ポリティカル・コレクトネスが求められる世の中て、政治家として間違いなく信頼を得る方法。
選挙前の1年間を含む5年間を24時間365日オンラインライブ中継をし続ける。
問題は、排泄を含む百人の視聴者が百人ともが見たくもないものの瞬間をどうするか。それでも、ただの一分でも空白があっては、人々は疑念をもつはずだ。
事前の根回しのない世界が上手く行くとも思えんではあるが。
はる
なかなか文脈を追うのが辛かったりするので、そこんとこ意識おねがいします!
はる
一方で 創造性と言うと 植物だったり 動物だったり 虫だったりが 種の保存 のずっと進化してきたことが 適者生存 の感覚で創造性が発揮されてきた。
人間の意識とは関係ないところで、やっぱ 想像性が働く サムシンググレートな何かがが働いてる。
事象に変化を加えるものという部分では 創造性というか物は人間だけの力じゃないな。
てか、世の常は変化をすることであるので。なんだかんだ、サピエンス全史で語られたホモ・サピエンスの能力なんてものも思い違いかもしれない。
はる
嘘は想像力で、夢を描くことも想像力。はたまた、共感なんてのも想像力だから、嘘だけ禁ずるなんてことは無理なのかもしれない。
はる
人間が嘘をつけなくなる魔法をかけてください。
疑ったり疑われたり、もうめんどくさいっしょ?
はる
あの人の悪いところが気なるのは、根っこのところでそう思いたいから。
とはいえ、人間とは自己の幸福を目指す機械にしか過ぎず、さりとて自己の幸福も自己の定義による。辛い状況は実は「こんなに辛いんだから努力をしなくていい」という、裏の欲求のためなのかもしれない。
はる
はる
なんだかいつでも話ができるような気がしてて、何気ない日常にかまけてないがしろにしちゃってたのかもしれない。
喪失によってようやく気づくのは愚かさの骨頂のようである。
特にグラビティはそんなものを感じることがおおい。
はる
今日元気がない人もいて、明日は僕かもしれない。
はたまた、明日末期の告知を受けるかもしれない。
それでも、そんな日が自分に訪れるかもしれないからこそ、人に優しくできるそんな世界がほしい。
ご飯が食べれないとそんな余裕は生まれないからこそ、僕らは食料を作ることをしたほうがいいんでないか。
こんなにも環境的に恵まれた日本から人が減っていく意味がわからない。
はる
こないだ連休の最終日に淋しいなと感じていた。家族は会おうと思えばいつでも会えるし、対人間と言うよりは、この気持ち穏やかに過ごせる時間が残り僅かであることへの寂しさだったんだと思う。
僕の寂しいという感情は身体感覚的には、背中の背骨の真ん中くらいから表のみぞおちのあたりがきゅーっと収縮するような感覚。
一方で、怒りやイライラなんかは首筋の根っこの部分が強張って肩が凝ってるみたいなズーンという鈍くて嫌な感じがある。
こうした心の反応と身体の反応をそれぞれに客観的に見ていると、その感情に支配されることがないなぁということを経験値的に知っている。
あなたの感情の身体感覚も聞いてみたい。
