投稿
はる
まあそうは言えど 決定権は多分 人間に残されるだろうからいろんな物事をまあ 例えば今日 上手い飯を食うだとか こんな洋服を着たいだとかそういうのは人間に楽しみとして残されるんであろう。そうかなり 網羅的に AI によって人間が安心して生きていける生活の土台を作ってくれるんだろうなとは思う。
そこに来てハタと気付くのであるが、そうやって生きている様は水槽の中の生かされているメダカと何が違うんだろうか。飯を食うのか食わないのかの自己決定 自体は僕にあるんだけれども、大まかに行って全てが整えられた環境でリスク こそがないが 偶発的な楽しさというものも生まれないだろう。
偶発性 というものはいわば 一種の楽しみのようなもので そこには 大小 必ずや リスクが存在している。
リスクとは 身の危険を脅かすものからまあ 心にちょっと傷がつく程度のものかもしれないがま リスクはリスクだ。
そうしたものが 包括的に AI によって支えられている 世界線というもので生きていく人間という存在は何なんだろうな。
ここまで来るとある種の絶望しかないなと思うので、この絶望を駆逐するための未来を作っていきたいと思う。
そんなことを思っていると ADHD の気質の人たちが 孕んでいる計画的に動けないっていうことこそ実は未来の世界においてはすごく人間らしい生き方なんじゃないかと思うんだよね つまり 現在は人間自身がコントロールをして計画的に生きるということが良いというか結果を出せる 育みになっているんだけれどもそもそも結果を出すということが必要がない世界線においてはプラ つまり 結果を出すという作業は全て AI がやるから その刹那刹那を楽しむということは気が散ってある種 感情的に生きている状態 なんだけれども それこそが人間的で素晴らしいんじゃないか っていうことなんだよな でそういう生き方をしている方が おそらくは 偶発性を生みやすいと思っていて 安い 環境を作るっていうのがすごく大事になってくるんだと思うんだよね であればその偶発性 デザインみたいなことをいかにするかっていうことが これからの時代において必要なので なんか あの 細い 友達が長くいる状態 よりは薄い友達がたくさんいる状態の方が楽しいんじゃないかな って思う。
話題の投稿をみつける

マリモ3

刺ミ

ちゃま

しゃろ

プルル

三午@立

和修(

はるこ

満足民

みやむ
もっとみる 
関連検索ワード
