50代チビデブ禿無職
In days of youth, we'd tarry late
At diners 'neath the starry gate,
But now at home we speak of fate,
Our zeal for life's gone desolate.
飲む
打つ
買う
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というけれど、たぶんそれってその女性自身に相当な人間的魅力がないと難しいことだと思う。男性がそういう期待を抜きにしてでも自分の時間をその人と使いたいと思うって、かなりレアケース。
シビアな言い方かもしれないが少なく見積もっても90%くらいの女性には、そんな魅力はない。自身の「女性」がなかったら、誰も一緒にいたいなんて思わないというのが現実だ。
仕事のつながりで何かしらの力を持っているとか、他の人にはできない特殊な技能があるとかでないと、女性とただの友達になるというのはメリットがないからだ。
男性同士でさえ、友達としてコンスタントに会って仲良く過ごすなんて歳を取ればレアケース。滅多にないことなのだから。
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ロンドンやパリの惨状を見ると来ないに越したことはないとは思う。
だが一方で現実的に技能実習生をゼロにして全て日本国民で賄おうとした時、一体いくらの給料を出せば一次産業は成立するだろうか。それによる生活コスト増を企業は社員の給与に組み込めるだろうか。百歩譲ってできたとして、では年金暮らしの人たちはどうなる?年金が上げられるとは私には思えない。
もし手を打つならばもっと早い段階で必要だったのだと思う。もう手遅れで、移民を入れる以外にこの国が成立する未来はないのではないだろうか。東京がロンドンやパリのように移民によって汚されてしまうのはいささか寂しいものだが、移民をゼロにして廃墟だらけの東京を見るのもまた、悲しくもなるのだろう。
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ってどうして聞いてもないのに自分の収入の話をするんだろう?
学歴はお金を稼ぐために得るものではないし、むしろ「世の中にはお金ではない価値観があること」を学び、その中で「自分の人生と相性の合うものをチョイスする手助け」をするもので、唐突に「俺はこれだけ稼いでる」と言い出すのは、まさに「他の価値観を知らない無教養な人間です!」と宣言するようなものだと思うのだが。
人生において学歴が必要なのかどうかは学歴のある人にしかわからないし、お金で幸せが買えるのかどうかはお金のある人にしかわからない。
自分が持っていないものを不要だと考えるのは知見が狭いと言うしかないのではないだろうか。
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よーし、じゃあ柴犬の輸出を禁止して対抗だ!
ついでに食べられたりするのが可哀想だと理由もつけよう!
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ねえ。一応公的にはそもそも軍を持っていない国に対して、世界最大級の軍保有国から言われましてもねえ。
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がされていないと現総理を批判する声を見て、
へー、まだガソリン代が下がってないエリアもあるんだなぁ、などと思うなどした。
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昔の外国人は、日本というガラパゴス社会に適用しようとしてその外の国との文化の違いに苦労していた。だから私は彼らに声をかけたし、できるだけ助けになれるよう努めていた。
今の外国人は、自らに日本を適用させようとしてくる。こうなると私は日本側の斥力に加担したくなる。今私は外国人がこの国でどれだけ困っているところを見ようが手助けしようなどとは思えない。
毎年クリスマスに行っていた外国人のクリスチャンが集う教会のボランティアにも行かなくなって久しい。
彼らはもう国に帰っただろうか。
斥力は、いつだって留まってほしい人たちにだけ届き、排斥したい人たちには届かない。彼らはそれに対してさえ文句の声をあげる口実にして、アンプとして使うだけだ。
やるせないな。
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やったこともないど素人でも、その観客になると突然プロの判断や仕事にあたかも彼ら自身が経験者でプロであるかのように意見し出す。
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どうして貧乏な人ってエナジードリンク好きなんだろうか
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中国が一方的にキレ散らかして制裁だなんだと攻撃しているだけで、日本側からは特に何も措置を取っていない。
こういうのは「対立」とは言わない。中国による「反日」と言う。
最近の記者は日本語を知らないのか?
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たかだか鞄の一つに正気で、真顔で、その価値があると信じて100万↑払う人間と、一体どんなロジックで話せばいいというのだろう
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いや、別に理解する知能がないのなら無理に読まなくてもいいし、ネットの投稿なんて理解できなくても構わないと思うよ。
文章というのは、表現の一種であり、その目的を達するためには時にそれが長くなることもある。
「私は文章が長くなるとそれを理解する能力がありません」なんてわざわざ告白する必要はないと思うのだけども。
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がどうして組織同士のつながりで構成される社会の経済活動に向いてると思えるのか、とても不思議だ。
組織に向いてないからアーティストとか学者とかならわかるけど、組織で働くのに向いてないから個人事業主でやるって、ちょっと落ち着いた方がいいと思うんだよな。
なんなら歌手とかのアーティストだって活動を持続するには人との繋がりが必要になるのに。
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総理の一挙手一投足からそんなに賢しげにベラベラ語るほど確信的に国際情勢の動きと未来を読めるなら投資でもすればいくらでも巨万の富を築いて国を出ていくくらいできるだろうに。
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体を鍛えてエステや美容皮膚科に通って外見を整えるのは良いことだと思うけど、大人には大人の経験や知識に基づいた会話や価値観があって、大人にはそういうファンデーションに基づいた大人の楽しみがあったりする。たとえば50代になった男性が、ただ30代に見えることだけが自慢の50代のパートナーを持って何が楽しいというのか、という話で、男性は当然そこも考えている。
50代で30代に見えるためには途方もない努力が必要でそれを達成することはすごいことといえば間違いなくすごいのだけど、それゆえにそこに膨大な時間を投資せざるを得ず、他の大人としてのファンデーションを築く経験が不足する。信じがたいかもしれないが、50をこえても「カワイイは正義」「美人はカースト上位」といった10代みたいな価値観を卒業することなく生き続けているような女性は珍しくない。彼女たちは他の価値観を学ぶべき30代40代において外見を維持することにほとんどの時間とリソースを使ってしまったのだ。
仕事を頑張って、上を目指して勉強して挫折して、何かしらのプロフェッションに哲学を持って、さまざまな趣味にトライして多種多様な人と関わって視野を広げることが、魅力のある大人になるということだ。そしてそんな女性のパートナーである男性の人生は、幸せと呼ぶしかないだろうなぁ。
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SNS全盛のこの時代。
明らかに女性は男性を超える力を持っている。何か気に食わないことがあれば、暴力に訴えるまでもなくSNSでつぶやくだけで三桁を軽く上回る”味方”がそのターゲットを自分の代わりに袋叩きにしてくれる。その相手はそれが冤罪であれバイアスがかかっていようが一方的で不公平な言い分だろうが、普通に殴られるなんて比較にならないストレスとダメージを負うことになる。しかも、自身も過剰防衛などで捕まってしまう物理的な報復と違って本人はノーリスクだ。
そんな力を持っているのに、彼女たちがそれを使って相手を追い込んだという話はほとんど聞かない。こんな目にあった!という愚痴の投稿ですら、相手のプライバシーに配慮した形を取っている。
それは自身の持つ強すぎる力からくる余裕なのか、やってしまった時の相手にもたらす影響の大きさを考慮した結果の優しさなのか。なんだか格闘家が町のチンピラに絡まれても手を出さないのに似ている。
女性は根本的に理性的なのかもしれない。
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上海とかドバイとか、東京よりも高層でビルが美しく輝く町は世界にいくらでも存在する。が、私はそれでも東京が世界一美しいと感じる。
それは、上海にしてもドバイにしても、そういうキラキラした景色を意識して作りに行っている一方、東京はあくまで東京で暮らす人が過ごしやすいように改良進化をし続けた結果の姿であるという理由が大きい。
焼け野原に人が集まって、掘っ立て小屋で過ごしながら、少しずつ町が人に適用していく。町が姿を変えるたび、その裏側に見える「人」の存在、その歴史が、東京を作っている。
渋谷スカイから見下ろす光は、イルミネーションでもネオンでもない。人の生活と人の仕事の活動である。町を割る光の帯は飾りではない。通勤に向かう車の波と、それをガイドする照明だ。
この町は、美しい。
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昔のアメリカンジョークというものは、たとえば、新しく洗濯機について話していて
A「今度の洗濯機はすごいんだぜ。乾燥までしてくれるんだ」
B「うちのやつはもっとすごいぜ。カゴにいれるだけで洗濯、乾燥、折りたたんで翌日には着られる状態でクローゼットに入ってるんだ」
A「ロボット?すげえ!なんて名前の商品なんだい?」
B「W・I・F・E、とかだったような」
ぎゃはははは
こんなようなもんだった。
これで男も「女」も笑っていたのだ。
現代でこんなこと言おうものならフェミニストの格好の標的となり、ヘタをするとその番組自体の存続が難しくなる。
でも、それを笑えたのは、本心ではそう思っていないというコンセンサスが当たり前にあったから、であり、それを見て本気で女は家事マシーンだと認識する人が少数だったということの証左でもある。
蔑視的な「表現」は減ったのかもしれないが、そんなことまで「わかってくれない」人が増えてしまったという指摘も可能だ。それは翻せば、本気で女性を家事マシーンだと認識する人がジョークだと笑えないほどに増えていて、人それぞれ個人の常識としてはむしろ低下しているのではないか、という考え方も成立しうる。
Ashamed by Nothing
Offended by Everything
とは、今の時代の若者を皮肉る標語だが、はたして、これは真実なのかもしれないな。
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理由① そもそもそんな先のことはわからない。
例えば、20年しか生きていない人に40年先のヴィジョンは描けない。だってそれだけ生きたこともないのに、どうなるかなんて空想以外に描きようがない。
また、20年も先になると世の中何が起こるかわからない。ニューヨークのビルに飛行機が突っ込んだりするし、東日本大震災だって起こるし、ウクライナが武力による攻撃を受けたりもすれば、コロナが流行ったりもする。そんなものを予測して備えることはできないし、逆にいえば、どれだけ考えたってそれを根底から覆すような出来事は起きるのだ。
理由② モチベーションを維持できない
10年も20年も先の目的に向かって今を犠牲にするモチベーションを持てる人はほとんどいない。またそれだけの期間を犠牲にして、それが前述のような理不尽な情勢の変化によって無に帰したら取り返しがつかない。人生は80年しかない。特に20〜60の40年はプライムで、そこの時間はもし買えるのならば全財産使ったって買う価値があるくらい貴重な時間。これを犠牲にするのは最小限にすべきだ。
だが、別に無計画に生きろというわけではない。1年とか2,3年とかの比較的短いスパンでの予定、計画は人生において非常に重要だ。人間はゴールとか終わりが見えているとモチベーションを保ちやすいしマラソンのラストスパートのように120%の力を出せることもある。あまり関係ないかもしれないが、会社の中長期行動計画だって、一般に3〜5年の範囲だ。
この2年はこれを頑張る、そしてまた次のスパンで何をするか定めて行動する、その繰り返しが結果的に10年、20年の道程を作り、大きな達成へと繋がっていくのだ。
そしてさらに、その短いスパンのフォーカスは、20年とかの長すぎる未来への道と違って、新しいことを吸収する刺激に満ちていて、必ず充実がついてくるはずだ。
人生は一回だ。
勝負はすべきでかつ慎重さも必要だが、それゆえにあまりにも長い未来の計画を立てることは惰性を生み、その長い旅路に迷子にもなるし、外的要因のリスクも大きいと、私は思うのだ。
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と揶揄されるが、それはインフレを抑制した結果物価が上がらず上来を見通した人生設計が可能だった30年間だったということだ。
それを取り戻そうという活力を若者たちから感じる。冷めた世代だとか無関心とか、色々と言われるが、私個人的には、今の若者ほどエネルギーと意志力を持っていて能力とやる気がみなぎっている世代を、ここ何十年も見ていない気がする。かつてこれほどまでに「このままじゃまずい」という意識を広く共有した時代があっただろうか。学生運動など遥かに超えた規模で今の若者たちはそれを持っている。戦争に負けて全てを失ってから東京タワーが建ったあの20年を支えた世代は、もしかしたら同レベルのモチベーションを共有していたのかもしれない。流石に世代じゃないから知らないが。
一言でいえば、期待していると言ってもいいかもしれない。
ともかく、日本は先に進むだろう。失われた30年は再び時を進め始める。しかしそれは、アメリカの轍を真似る形になるのではないか。すなわち、二極化とインフレはout of controlとなり、将来の計画が立てられない時代が来るのではないか。
失われた30年を生きた私たちは安穏で幸せだった。次の世代は飛躍の陰に、たくさんの屍を作るのではないだろうか。
まだまだ、見ていたい。生きていたいな。
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自分でコントロールできないことを気にしないこと、これに尽きる。
例えば中国や韓国の反日活動とか、日本の政治に対するプロテストとかその論争とかって、どれだけ見たって自分で何とかできないでしょ?何とかできないってことを念頭に、じゃあそれ見ていい気分だったり幸せな気分になりますか?って話なのね。つまらなかったり、不快だったり、ろくな感情湧いてこないでしょ?
そういう負の感情を刺激してると、気難しくてとっつきにくくて、めんどくさくて、若い頃絶対になりたくなかったような大人に、だんだんなっていくのよ。
人間、その人にできることなんて究極的には自分の体が関節の範囲内で脳からの信号に従って動くだけなのね。でもその関節や神経の範囲内で動かしていると、だんだん関節は柔らかくなるし、脳は色々な信号を発せられるようになるんだよ。
とにかく目の前の、何とかできる些細なことに一所懸命取り組んだらいいんだよ。そうやって一つずつ積み重ねていくと、達成感だとか、成功体験だとか、プラスの感情が刺激されていく。
結果として、話がわかって、冷静で、物腰が柔らかい大人になっていくということ。
そうなると周りにいる人たちも同じような人が増えていって、より生きやすいコミュニティに入っていく。
だから何か不平とか不満を覚えたら、冷静に問いかける癖をつけるといい。それは自分に何とかできることなのか?と。
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太ったり不健康を心配することなく、ポテトチップスとチョコレートを満腹になるまで交互に食べていられる、それを人は幸せと呼び、断言するがそれ以上の幸せはこの世には無い。
そしてその幸せは、お前の年齢の時代にしか味わえないんだ。
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これをマイナンバーで紐付けできないのかって声をよく聞くけど、マイナンバーからそんな個人情報集めてデータにして共有、リンクするって言ったらお前らそれはそれで猛反対だろ…笑
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と考えたことがある。
たとえば銃や刃物は資格制である。それは使い方を間違えれば危険な凶器になりうるためで、その使い方についてある程度の良識とマナーを担保する方法として、ライセンスという制度が適しているからだ。
SNSも同じではないだろうか。今まで何人の人がその投稿に苦しめられただろうか。何人の人が死にさえ追いやられただろうか。どれだけの歪んだ政策や条例や判例が生まれただろうか。
ダウンロードについてはまあ自由でいいかもしれないが、少なくとも投稿を含むアップロードはライセンスによって規制すべき時期にきているのではないか、と特にアメリカのSNSを見ていると思う。
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好きなこと、興味のあること、なりたいものに手を伸ばし、足を運ぶといい。
例えばアイドルになりたいと強く願ってそっちへ歩いていけば、アイドルにはなれないかもしれないが、アイドルに曲や歌詞を書く作曲家や、振り付けを教えるダンスの振付師にはなれるかもしれないし、それが無理でもアイドルの運営会社に就職することはできるかもしれない。それも無理ならもしかしたらADやテレビ局のアルバイトくらいならなれるかもしれない。それでも、全く興味のない職種の事務員になるよりは充実もするし、幸せにもなるだろう。
東京港区のタワーマンションに住みたいと強く願っていたら、タワーマンションは無理でもとりあえず港区民にはなれるかもしれない。港区が無理でもJR線沿いならなんとかなるかもしれない。それでも、少なくとも東京に近づくことはできるだろう。
社会というのは不思議なものだ。強く願っていれば、その方向に進んでいく、そんなものだから。
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嫌いじゃないんだよね。
でも、もう別に若手っていうほど若くもないんだよな。
あいつが若手の顔してのさばってるから、本当に若い世代が台頭しにくいのではないかと思う。
総理にでもなって頭一つ抜ければ、閣僚には若手が入って来れる余地ができるのではないか。
これから高齢者になる私にとっては、若手が政治の舵をとって高齢者をいじめていく流れはむしろ遠慮願いたいが、でも誰かが切り捨てられなきゃならないのなら、お国のために老いぼれが首を差し出そうではありませんか。
私たちの昭和は、紛れもなく恵まれた社会で、幸せだったのだから。
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私が思うに、AIが成功する産業の発展は壊滅的になるだろう。AIは過去に存在する製品、メソッド、商品、アートを読み込み、そこから模造してプロダクトを製造していく。
医療分野で医師の診断の仕事をAIに任せるわけにいかない理由の一つはそこにある。医師はデータの統計から診断を下すが、そのプロセスを繰り返す中で、そのデータの中にない発見を見つけ、ピックアップすることができる。そこに研究が重なってブレイクスルーが起きるのだ。AI診断にはそれがない。あくまで過去の統計を引っ張り出して、その中で最も可能性の高いものを答えるだけである。
これは医療だけでなくあらゆる残業で共通する。たとえば作曲でも、あるアーティストの曲をデータとして集積すればそれに近い音楽をAIが作曲することはできるが、あくまでそれは過去の作品の模倣でしかなく、新しい試みとか新しい要素というものは産まれない。
だが問題なのは、過去のデータから模倣することにかけてはAIは無敵なのだ。
ノーコストで、瞬時に商品を生み出せる。消費者からしたら来るか来ないかわからないブレイクスルーよりも、今この場で最適なものがほしいというニーズは当然に上回る。結果としてAIは人がやるよりも利益を出すことができる。
お金にならない研究は発展しない。
AIが人の仕事を奪う未来はやってこないかもしれないが、もしかしたらAIは人による発展を緩やかに殺していくのかもしれない。
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時々、いや。正直しょっちゅうか。若かった頃を思い出す。
その景色は紫煙の籠る昭和の時代。重くて固いスーツを着て、人は新橋の町を闊歩した。人の数はあまり今と変わらない。ただそのほぼ全てが日本人だった。咥えタバコで交差点を渡っていたあのビジネスマン。居酒屋で顔を真っ赤にしていた営業マンに連れてこられていたOLさんたち。
その景色はできたばかりの東京ディズニーランド。日本は大国になったと感じた世界最大級のテーマパーク。家族で日本全国から人が集まっていた。あの時青春を謳歌していたあの人たち、あの時生真面目な接客を訓練されていたキャストたち。
四角いセダンのクラッチを踏むのが得意なタクシードライバー。クラウン・コンフォートが有楽町から銀座へ向けて走っていた道も、ずいぶんと顔を変えた今、あの時のあの人たちの大半はもう亡くなっているのだろうか。生きていたとしても、介護でも受けているのか。とにかく、もうあの頃のように肩で風を切って歩いてはいないだろう。
その時の流れに失くなったものを「生」と呼ぶのか。新橋のカフェで涼む私の姿が、私の記憶の中の生き生きと動いていたあの人たちと重なる感覚。数十年後にはこの世にいない私と、確かにこの国で、この町で、この時代に生きている私。
もう少しだけ、”肩で風を切らせて”はくれまいか。時代の”熱気”の中で。
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税金を罰金と呼び、生活保護を賞金と呼ぶことは、その人の無知無学無教養を声高に叫んでしまって、肝心の自民党への批判が逆効果となり、こんな頭の悪い人が反対しているのなら自民党ってまともな政党なのかも、と思わせるだけだ。
以前、軍拡はいらない、という野党のポスターがあったが、自衛隊と軍の違いもわからないような人たちが政党を作って選挙に出ていることの方が恐ろしいと感じたことにも通じるものがある。
批判するのなら正しく批判しないと逆効果にしかならない。
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スプレーや香水はそれ自体が臭くて気持ち悪いから。
あと食べ物でラーメンとか揚げ物とかニンニクとか味の強いファストフード系も避けるべきだね。
酒、煙草なんて吐きそうになる悪臭だから、制汗スプレー拭いて香水撒いてる子が飲んだり煙草吸ってたりしたら矛盾に失笑を禁じ得ないよ。
まあ私は臭い人がいても距離を置くだけで別にそれを治せとは言わないが、もし何か言うとしたら運動を勧めるね。
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福山雅治が中居正広の会合に参加していたことで燃えかかっている。
これに対し、彼を擁護する声も数多くあり、その中には、「そういうキャラだったから」だとか「時代が違う」だとか「時効を無視してはいけない」と言った声もある。
だが、それをいうなら松本人志や中居正広に関してもそうであり、不法行為や刑事民事のトラブルは裁判でもって法が裁くべきものだ。だが松本や中居を裁いたのは法ではなく民間の正義感と週刊誌だった。事実彼らは何の刑罰も法からは受けていない。その意味で言うなら二人とも「何も悪いことをしていない前科すらない人」である。そんな「善良な市民」が不当な差別的扱いを受け失業しているわけだ。
そして福山雅治は許されそうだ。それが前述の恣意的な民間の心象で許される。これが、松本中居を裁いた週刊誌によるジャッジの導く結末である。人を裁くのが法ではなく、週刊誌と市民の印象。嫌われ者は損をするし好かれているものは救われる。法治主義によって担保される公平公正と対極にある徳治主義。
ペンは剣より強し、だが、法より強いペンについては、私は少し違和感を覚える。
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それは決して結果を出すためではない。
1. それが「不安」というものを除去する唯一の方法だから。
2. それが「充実」という幸せをもたらす唯一の方法だから。
充実とかけ離れて、不安に塗れて生きていたいなら頑張らなくてもいい。そんなふうにストレスと鬱に満ちた人生を自ら望むのならね。
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などと考えてはいけないよ。
女性なんてもんは、男が500万稼いだら500万使って1000万あればと嘆き、1000万稼いだら1000万使って3000万あればと嘆くもの。彼女たちはパートナーの収入に満足して幸せになるということはない。
幸せというものは他人にしてもらうもんじゃない。自分でなるものだ。
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電車で席を譲られるという経験をしてしまった。
年をとったんだなぁ。
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を買うことほどダサいことはない、と随分昔にそんな意見を聞いて、確かに、と妙に納得した記憶があるのだが、それが誰の意見だったのか思い出せない。
ベンツに限らずブランド品全てに言えることで、ブランドというのはその金額を出せるからこそ所有に価値があるもので、それを出さずに手に入れても何の意味もなく、また中古でも買ってしまっている時点で、欲しいとは思っているのに高くて新品では買えないという生活感も出てしまう。また、中古車屋で買うのと正規店で新車を買うのでは接客の質も違い、中古でもものが同じならいいや、というのはその接客の価値が理解できていないことも示唆している。なぜ理解できないのかを突き詰めると、そういうきちんとした接客を受けたことがないからであり、それがまたその人がどんな人生を送ってきたのか、ということを表してしまう。
ともかく、私の時代はそんなものの象徴がベンツだったのだ。それも今は昔か。今やベンツもさまざまなラインを出していて、性能も国産車と比べて劣るようなことはなくなった。必ずしも富の誇示で買うというものでもないだろう。
では、今の時代では一体何がそれに当たるのだろうか。現代において当時との明確な違いはリセールバリューの大幅な増加である。メルカリやヤフオク、ebayといった個人向けのマーケットサイトが隆盛を誇っている影響もあり、昔と違って中古品の金額がそこまで落ちない。
これにより、高額なものを買ったものの、手に入れて新品でなくなった瞬間にその価値が半減するみたいなことが起きにくくなった。当然買い手はこのリセールバリューも計算に入れて買い物をする。
こうなるとブランド品も昔とは意味が変わってくる。ブランドの価値というのは、富の誇示だけでなく、販売した時の価格の保証という意味合いももつからだ。
例えば、ランクルやアルファードは買値は1000万近くするものの、一年後に売却すればほぼ等価で売れる。一年間ヤリスをリースするより安いという見方も可能なのだ。
こんな時代に、当時のベンツに象徴されるような存在は、失われてしまったのかもしれないな。
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話が通じない相手を一方的に頭が悪いとかIQが低いと批判する人がいる。
だが、例えばロシア語で話しかけられて理解できない、話が通じない日本人は頭が悪いと言えるだろうか。
思うに、単にボキャブラリーや知識が不足していることと、概念を認識把握したり得た知識を活用したりするスキルというのは分離して考えなければならない。
特にIQというのは、言語化されていないパターンや状況を非言語のまま理解して処理する能力の指数なので、話が通じる通じないの能力には全く影響しないといえる。
私は一般に高学歴だが、当たり前に使っているワーディングで話をすると同じような学歴のある人にしか通じないということに、特にアナロジーを用いた時にそのアナロジーが理解されないという形でよく直面する。
例えば、今私は、ワーディングとかアナロジーという単語を使ったが、これらの単語さえ日常会話で使えばすんなりと伝わることの方が少ない。
でもこれは単語を知らないだけなので、その相手の思考力が低いということを意味しない。むしろ、社会的に一般的と言えない単語を用いて、誰にでも理解される単語で説明しなかった私の方が思考力としては低いという批判が可能である。
先ほどの例でいえば、日本に来ていきなりロシア語で話しかけて理解されると考えるその思考の方が批判されるべき、という話である。
話を戻して、アナロジー、比喩表現においては、特に気をつけなければならない。比喩を使うには、別の現象の中に言語化されない共通点を見出して提示するわけだが、機能するには当然相手もその両者を認識理解していなければならない。だからこそこのアナロジーの感覚が一致する相手というのは、「相性がいい」とされるのだが。これが一致しないと、ただ”唐突に全く関係のない話を語り出したおかしな人”になってしまう。そこで、理解されないことに癇癪を起こしても、それもまた、冒頭の「ロシア語で話しかけた人」になることは言うまでもない。話し手の方がバイリンガルとなって、伝えやすい方の言語で説明すべきなのだ。
では、理解力に乏しい人、というのはどういう人なのか。
その話をする前に、私は今、突然「バイリンガルになるべきだ」と言った。これもアナロジーであり、相手にリスペクトを持って、相手に確実に通じる言葉を選んで話をしようという意味だが、例えば、これに対して「なんで第二言語を覚えなきゃいけないんだよ」と言葉のままにしか受け取れない人や、これだけ長々とアナロジーについて説明してきたのに、まだアナロジーってなんだよと理解できていない人。そういう人たちがいわゆる「頭の悪い人」と評されるのである。
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SNSはごく普通の女性に、自分は特別だと思わせ、極めて高い能力を持つ男性に、自分は普通だと思わせる力がある。
極論、女性は少し足なり腕なり爪なりをアップロードするだけで数千、数万のフォロワーが彼女に傅いて肯定の波で背中を押す。男性はよほど何か秀でた才能なり結果なりを見せない限り、路傍の石と同じである。
これは、恋愛観において、女性側が男性側に求めるイメージを非現実的な好条件に引き上げるに至った。
そうして生まれたのが、完璧だがemotionally unavailableな男性である。
彼らは、平均を大幅に上回る年収を持ち、一人暮らしで全ての家事をたんたんとこなしつつ、トレーニングや美容に励んで容姿も維持、加えて常に仕事に対して向上心がありそちらの努力も欠かさない。女性にはどこまでも優しく、マナーも備わっていて、結婚した日には仕事、家事に加えて育児に尽力することも確約する。
だが、そんな彼らのスキルを達成するためには、当然ながら絶対的にとてつもない時間がかかる。整然と無駄なくルーティン化されたスケジュールを毎日コツコツと繰り返さなければ、常人はその域には達しない。
すると、デートに割く時間がそもそも不足してくる。1日は平等に24時間しかないので、女性の愚痴を聞いてどこまでも付き合ったり、いつでも彼女たちのテキストメールに目を光らせると言った気配りは困難になってくる。その結果、彼らはemotionally unavailableと批判されるわけだ。
不可能と大多数の男性が匙を投げてしまう女性の求めるスタンダードに、真っ向から向き合って達成してしまった人たち。彼らもまた、このSNSの時代が生み出したモンスターの一形態なのかもしれない。
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リテラシーという言葉は、literature(文学)からもわかるように、「読み取る能力」のことを指している。
ネットリテラシーというと、膨大な真偽不明の情報の中から必要かつ正確な情報をピックアップするスキルのことを指していて、フェイクニュースを信じてしまったり、切り抜き記事の印象操作に流されたりすることを主に意味する。
一方で、自身の顔写真や個人情報をアップロードすることにはリテラシーは関係がない。これをネットリテラシーがないと評するのは明らかに間違いである。これは「セキュリティ意識が不足している」だけである。
では、フィッシングサイトやメールを見破る力とかはどうだろうか。どちらかというとこれもセキュリティの問題だが、これは広義でネットリテラシーと言えなくもない。
そう考えると、何かを「見破ること」がネットリテラシーという言葉で使われるリテラシーの意味なのかもしれない。
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神谷氏も、「あれ?俺らこんな支持されんの!?」みたいに驚き戸惑っている可能性がワンチャン。
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左車線走ってると必ず出くわす路駐、停止車両を取り締まってくれ。あいつらの方が万倍邪魔だし有害だ。
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東京五輪に反対だ賛成だと沸いたあの年
2020年。
あれからもう2020日が経つんだそうだ。
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どこの政党も、減税します。消費税減らします。給付します。という、今あるパイの中の分配にしか言及せず、そもそもパイを大きくさせる経済成長、GDP向上に向けた政策が、案すら出てこないということ。
消費税を0%にしますなんて実現不可能な公約を掲げるのなら、夢想や計画でもいいから何かしらの経済的政策のストーリーを見せてもらえたらいいのにな。
50代チビデブ禿無職
行ったらちゃんと調べてから権利を使え
と言われて
調べたらネットの情報を信じるな
と言われて
若者はたいへんだな。
心配せず思ったところに入れたらいいよ。
どこに入れたってそこまでドラスティックに日本は変わらないから。
若者が投票することに意味があるのだよ。
