浅川浩二
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浅川浩二
一方で、何を知りたいのかを考え、問いを立て、得られた答えを自分の経験や判断と照らし合わせる力は、むしろ重要性を増している。これからの教育に求められるのは、AIを使わせないことではなく、どう使えば自分の学びが深まるのかを伝えることだ。教師の役割も、知識を教える人から、考え方や学び方を導く存在へと変化していく。AIは教育を壊す道具ではなく、学ぶ姿勢を映し出す鏡なのである。
浅川浩二
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私たちは子どもの頃から、家族や先生、友人といった周囲の人々から評価を受けて育ってきました。その結果、いつの間にか他人からの評価を通して自分自身を測る習慣が身についてしまいます。まるで鏡に映った自分だけを見て、本当の自分を知ったような気持ちになってしまうのです。
けれども、他人の評価もまた、完全に信頼できるものではありません。人の価値観は時代や環境によって変化し、昨日まで良いとされていたことが今日は疑問視されることもあります。経済状況や社会情勢、流行や風潮によって、評価の基準そのものが揺らいでしまうのです。
そのような不安定な評価を基準にして、自分自身を縛り付ける必要はないでしょう。心の中に「これをやってみたい」「これに挑戦したい」という気持ちがある人は、それだけで恵まれています。周囲の評価に左右されることなく、自分の内なる声に従って歩んでいけばよいのです。
実体のない自己評価によって自信を失ってしまうことは、とても残念なことです。現代社会には、私たちを評価の檻に閉じ込めようとする力が働いていますが、そうした仕組みに惑わされる必要はありません。自分らしさを大切にしながら、穏やかに自分の道を歩んでいくことが何より大切なのではないでしょうか。
人は誰しも、他人の物差しではなく、自分なりの価値観を持って生きる権利があります。評価に振り回されることなく、自分が信じる道を歩んでいくことで、本当の意味での自己肯定感を育むことができるはずです。(ま、その自己肯定感というのも幻想だけどね)

浅川浩二
私たちは毎日「心」を感じているけど、実はその心はフワフワしていて、ハッキリとは掴めないものなんだ。
考えや気持ちは、一瞬で現れては消えたり、変わったりするし、人に伝えるときには言葉というフィルターを通すから、完全に同じように伝わることはない。
さらに、「私」という自分自身のイメージも、実は過去の記憶を後からつなぎ合わせて作った物語みたいなもの。記憶は書き換えられるし、育ってきた環境や言葉の影響も受けて、「私はこういう人間だ」っていう自分像ができあがる。でも、それはみんなで共有している「そういう物語」に過ぎなくて、本当の心の中は誰にも分からない。だから、「ここに私がいる」っていう感覚自体も、もしかしたらちょっと頼りないものかもしれないんだ。
でも、このフワフワした心と、物語としての「自分」があるからこそ、社会は動いているんだ。言葉、価値観、習慣、宗教、法律、お金…これらは全部、私たちが共通して持っている物語や想像から生まれて、現実の世界に影響を与えている。
例えば、お金に価値があると思うのも、裁判所が正しいと信じるのも、みんなが「そうだ」っていう物語を共有しているから。もしその物語が崩れたら、社会の仕組みも簡単に壊れてしまう。
こう考えると、現実とウソの境目は曖昧になってくるし、「当たり前」だと思っていたことも、「もしかしたら昔の人が作った物語かもしれない」って思えるようになる。
でも、ガッカリする必要はないんだ。自分の心や「自分」っていう物語は、書き換えることができる。色々な考え方を取り入れて、新しい物語をみんなで作り直すことができれば、もっと面白い社会になるかもしれない。
つまり、心や自分はハッキリしないものだってことを知った上で、新しい物語を作る自由を手に入れることが大切なんだ。私たちの心にある物語は、インターネットのページみたいに、どんどん変わっていくもの。その変化こそが、私たちが成長したり、社会が変わったりする力になる。
結局、世界はたくさんの人の心の物語でできている。私たちはその物語を作る役割を担っているんだ。だから、心って何だろう?って考えることは、自分を否定することじゃなくて、新しい物語を作るためのドアを開けることなんだ。そして、その物語を作る力こそが、未来を切り開くカギになるんだね。

浅川浩二
たとえ孤立しなくても、その違いが知らず知らずのうちにストレスとなり、本人にのしかかってくる。
私たちの心は、思ったよりも脆い。
「人と違う」ということは、その人のアイデンティティにもなるが、同時に諸刃の剣でもある。凡庸ではないがゆえに、自らの心を傷つけてしまうこともあるのだ。
言い換えれば、用意された仕組みの中で、深く考えずに生きることができれば、こうしたストレスは意外と大きくならないのかもしれない。
しかし、そうだとしても人間関係にせよ何にせよ、私たちは苦しみの種を見つけるのが得意だ。
世界は、その人の認識によって形を変える。
苦しみのある世界だと認識すれば、苦しみは増していくし、逆に何も考えずに楽観的に過ごせば、案外うまくいったりもする。
これからの世界では、自律性がますます重要視されるだろう。そうなれば、自分自身をより意識的にコントロールしなければならなくなる。
そして、それができなかったとき壊れていく人が、さらに増えていくのかもしれない。

浅川浩二
回答数 8137>>
浅川浩二
多分ね、恋することと言うのは、自分の中にある幻想に近いものなんだよね。だからといってそれが悪いことではないわけだ。それを知ってるかどうかが重要になる。
そんな状態で恋すると、相手が自分の思っているイメージと違う時に、なんだか腹が立つわけよ。
それってもしかすると、自己愛の裏返しで相手を見ていて、相手をありのままに認めることができない状態なのかもしれないと思う。
それに対して、愛情と言うのは、相手の存在を認めて、自分に不都合なことであっても、その相手を信じることができる。
それって大きな違いだよね。
例えば「どうしてわかってくれない」と、感じる場合があるけど、結局は他人なんだから、理解することはできないよね。
大事なのは、お互いを理解しようと言う気持ちがあるかどうかだね。それが続いてる限りは絆も続いていると言うことになるだろうね。
浅川浩二
その結果、今やいろんな学校で音楽やデザインを教えている。
多分、日本人にとっての自己評価と言うのは、他の国の人たちに比べたらずいぶん低いことが多いような気がする。
そういった感覚で、自分の好きな事を諦めてしまう人がたくさんいるんじゃないかな?
でも、この自己評価と言うもの位あてにならないものはない。基本的に、評価と言うのは、他者がするものであって、自分でできるはずもないのに、気づきたくないので、先回りをして、自分には才能がないのだと考えてしまうのかもしれない。
だからいちどそういった自己評価を捨ててみるのもいいよね。やりたいことをやればいい。何か言われるのが恥ずかしいからやらないのではなくて、単純にやりたいからやるのだ。それでいいんじゃないかな。
浅川浩二
だって、命にとっての生存戦略と言うのは、いろんな可能性を持つということなんだよなぁ。いろんな人がいていろんなことをして、それができると言うだけで価値がある。
きっとそうやって僕らは生き延びてきた。だって、今生きてると言う事は生きてると言うことを許されてるからだと思う。そこに価値がなければ、きっと消えていくんだよ。
浅川浩二
もちろん問題もたくさんあるけど、そういった社会を作ってきたのは私たちなのであって、それに対して各何ができるかを考えた方がより建設的だよね。
それから、マスコミのことをマスゴミと言ったりするのもどうなのかなって思う。これもまた確かに問題は多いけど、それらが存在する理由そのものも私たちにあると言うことを忘れちゃうと判断間違っちゃうよね。
浅川浩二
熊本の天草の松島にあるお店に海鮮丼を食べに行った。やっぱり海の近くにあるお店で出してくれる。海鮮丼はおいしいよね。

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