

大河ドラマについて語る惑星です。最新の放送から過去作品まで。なお、ルールはありません。自由に大河ドラマについて投稿してください。

にゃんこ

サンダー
松平定信は、一橋治済を捕え、治済に瓜二つの能役者・斎藤十郎兵衛を替え玉として据えようと企んでいた
その仇討ち計画は治済に気づかれたが、重三郎は定信に将軍・家斉を巻き込んだ驚きの策を提言する
家斉は、かつての乳母・大崎が残した治済の悪行を記した文に背中を押され、茶室で自らも身代わりになり治済に眠り薬を飲ませ、斎藤十郎兵衛と入れ替え、人知れず阿波の孤島へ幽閉するという、人を殺めない仇討ちを成功させる
その後、定信は耕書堂を初めて訪れ、「(恋川)春町は我が神、蔦屋耕書堂は神々の集うやしろであった。あのことは我がまつりごと、唯一の不覚である。揚がった凧を許し、笑う事ができれば、すべてが違った」と、自らの過ちを認め、重三郎に和解の意を示し江戸を後にする
定信がカッコ良すぎます♪
定信は重三郎の敵方としてこのドラマを支えました
長く見てきた視聴者は、春町を偲ぶこの言葉の重さを実感したと思います
春町が亡くなった回、一室で定信が悲しみと共に自身への怒りを爆発させていたシーンを思い出します
井上祐貴さんの演技も圧巻でした
ドラマでナレーションがあったように定信は史実でも隠居後は和歌を読み、随筆や古宝物図録を残すなど、文化人としても世の中に貢献した人物だと言われています
そんな定信が寛政の改革の風俗統制で芸術文化を一時的に停滞させたことは本当に苦渋の決断だったのではないかと思います
自身の感情よりも合理性を重視した定信らしいエピソードだと思います
定信が現代の政治家だったら、どんな世の中を作ったのか興味が尽きません
#べらぼう
#大河ドラマ


サンダー
ついに、重三郎のもとに歌麿が戻ってくる
歌麿は、ていの気持ちを代弁するように
「世の中には、好かれたくて、役立ちたくて、そんな尽くし方をしちまう奴がいんだよ!」
と語り、自身の重三郎への想いも滲ませながら、その気持ちを訴える
重三郎は歌麿をはじめ、絵師・戯作者たちの協力を得て、歌舞伎役者たちの素の表情を写実的に捉えた“役者絵”を描き上げる
その絵を目にした松平定信は、画号として「東洲斎写楽」を提案、役者絵は歌舞伎の興行に合わせて店頭で売り出されると、瞬く間に大ヒットとなる
一方で、江戸の町中や城中では「源内生存説」がささやかれ、重三郎と定信の思惑どおりに世論が動き始める
同じ頃、曽我祭の賑わいに乗じて定信は一橋治済を誘い出す罠を仕掛けるが、逆に側近たちが毒入り饅頭によって半壊する罠にかかってしまう
その手が自分たちにも伸びていると知った重三郎は怒りをあらわに定信に詰め寄るが、その場に一橋治済と同じ顔をした男が現れ、言葉を失う
今回の“曽我祭の変”は、大胆な展開になりました
ただ、グレーな部分をドラマティックに膨らませるのは大河ドラマの醍醐味でもあります
最終的には史実と合わせるはずなので、ここからどのように結末へ向かうのか楽しみで仕方がありません
べらぼうが始まって、もう一年近く経ちます
つい最近始まったばかりのような感覚ですが、残りわずか2回、名残惜しさも感じつつ、最後まで存分に楽しみたいと思います
#べらぼう
#大河ドラマ


にゃんこ

にゃんこ

サンダー
芝居町では「曽我祭」という通りで役者が踊る祭りを開催すると聞いた重三郎
定信から仇討ちの一環で平賀源内生存説を広めよとの打診を受け、祭りを利用し、″いかにも源内が描いたような素の顔を写した役者絵″を世に出そうと計画する
そして、重三郎は絵師や戯作者たちを集め、架空の画号を考え、その過程で喜三二が「しゃらくさい」という言葉を口にし、ここから「写楽」の名が生まれまれる
その頃、絵師・喜多川歌麿は、重三郎と絵の賛否を論じる中で自身の絵が開花したことを思い出し、作品に対して物申さない地本問屋に憤りを感じる
重三郎たちが理想の絵を描けず苦慮する中、妻・ていが身を挺して歌麿に重三郎の想いを伝えたことで歌麿の気持ちが再び動き出す
東洲斎写楽は、重三郎のもとで、わずか10ヶ月の期間に140数点に及ぶ浮世絵を世に送り出し、正体不明のまま姿を消した謎の絵師です
写楽の画風は写実的すぎて当時の人々に受け入れられなかったと言われています
しかし、絵画に疎い私でも見たことのあるぐらい著名な絵(添付2枚目)、現代では写楽の作品は海外でも高い評価を得ています
写楽の正体に有力な説はあるようですが200年たっても多くの謎に包まれているようです
人は美しいものに惹かれます
それは人の本能であり、同時に希望・夢でもあると思います
江戸時代、庶民の生活は決して豊かではありませんでした
江戸の世を写実的に描くことは、現実を直視することになり、人々は絵に魅力や夢を描けなかったのではないでしょうか
だからこそ、江戸の絵画文化は現代とは異なり、「そっくりに描くこと」が目的ではなく、「魅力や象徴を伝えること」が重視されたのだと思います
#べらぼう
#大河ドラマ



にゃんこ

サンダー
老中・松平定信による「寛政の改革」の影響で、かつて華やかだった吉原は活気を失い、女郎たちが暇を持て余すほどになっていた
その頃、幕府では将軍・徳川家斉が定信に「将軍補佐を外れても祭り事を取り仕切るようにできないか」と問いかけ、定信は“より上”の地位を目指し始めるが、一橋治済の策略により、老中を解任され、胸に抱いていた“大老”への野望は崩れ去る
一方、重三郎に女郎絵50枚の制作を依頼された歌麿は、次第に重三郎から軽んじられていると感じ始め、西村屋から面白い提案を受け、重三郎に「これを最後の仕事にする」と告げる
その後、重三郎の妻・ていが早産し、重三郎は妻と子の無事をただ祈るしかなかった
質素倹約を貫いた寛政の改革は、以前は教科書でも三大改革として語られるほど有名であり、このドラマでも重三郎の商いを揺さぶる存在として大きな役割を果たしています
寛政の改革は、庶民の娯楽を奪うように見える一方で、定信は大飢饉から民を救い、農村の困窮者や浪人、貧民への救済にも力を注ぎました
その姿は単なる倹約家ではなく、弱者に寄り添う理想家としても映ります
もう少し柔軟な改革であれば民や側近から受け入れられたかもしれませんが、万人に受け入れられる政治は難しいでしょう
中途半端な妥協を避け、信念を貫いた定信の姿に、政治の厳しさと覚悟を感じました
賛否両論ある寛政の改革ですが、一万円札の肖像となった渋沢栄一も定信を称賛していたようです
その質素倹約の精神は、形を変えて現代の日本社会にも息づいていると感じています
#べらぼう
#大河ドラマ


サンダー
重三郎の尾張へ出張中に母・つよが亡くなる
葬儀には、髪結の腕の良さと人懐こさを偲び、多くの参列があった
耕書堂は身上半減を乗り越え、「書物問屋」を始める再出発を切る
黄表紙や狂歌集を初め、歌麿が描いた町の看板娘3人、水茶屋の「おきた」、煎餅屋の「おひさ」、吉原の芸者「豊ひな」、が評判を呼び、各店に行列を作るなど江戸の町の活気をもたらした
しかし、高額な茶や煎餅が飛ぶように売れるに伴い、市中の物価が上昇し、老中・松平定信はこれを田沼病の再来と捉え、看板娘の絵に女の名を書き入れることを禁じた
そんな中、重三郎とていの間に子が授かり、
ていは喜びをにじませながら、「この子は母上様(つよ)の生まれ変わりだと信じております」と口にする
重三郎は母の死後、文化人・大田南畝に碑文を依頼したといいます
そこには「母と7歳で別れたが、再会して今の自分がある、これまでの母の苦労に報いたい」という蔦重の感謝の思いが刻まれており、南畝は「寛政の改革の弾圧の中、逆境を乗り越え起業を成した、それは母の教えを大切にして努力した結果であり、既に報いているのではないか」だと述べたようです
この碑文は東京都台東区東浅草の誠向山・正法寺の碑に刻まれているようです
人への心からの感謝を自然に抱ける重三郎だったからこそ、人に認められ、人が集まり、自身と関わる人たちを豊かにできたのだろうと思います
#べらぼう
#大河ドラマ

鈴本
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歴代大河ドラマの人物になれるとしたらどの大河ドラマの誰になりたい?
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2025/05/08 21:37
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