

大河ドラマについて語る惑星です。最新の放送から過去作品まで。なお、ルールはありません。自由に大河ドラマについて投稿してください。

ちょき
鈴本
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みゆき
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しらき
よしながふみさんの大奥のイメージが強くて、治済役の今後の悪役度合いも楽しみです。
#大河ドラマ
#べらぼう

サンダー
書物問屋・須原屋が禁書の流通に関わったことで「身上半減」の処分を受け、引退を決意
重三郎は須原屋から「知らないことは怖いこと、本屋は正しい世の中のために良いことを知らせる勤めがある」という言葉を託され、「江戸を再び湧き立たせる」と決意し、身上半減しても何度でも蘇る決意を新たにする
重三郎は歌麿の連作「婦人相学十躰」の背景を雲母摺(きらずり)にして印象を高めることを提案し、人相占い師を呼んで販売促進を仕掛けるなど、作品だけでなく販売方法にも工夫を凝らす
その頃、歌麿は滝沢瑣吉から「男色か両刀では」と問われ、「男か女かではなく“好きな人”かそれ以外かで分けている」と答える
そして、自身の想いが重三郎に向いていることを、重三郎の母・つよに打ち明ける
史実として歌麿が男色(なんしょく=男性が男性を恋愛対象にする)だった記録は残っていませんが、江戸時代の日本では男色は特別視されず、自然に受け入れられていたといいます
明治時代に入り西洋化が進むと、キリスト教的価値観の影響で現代に似た風潮になったようです
日本は教育、食文化、思想など多くの面で西洋の影響を受けましたが、LGBTQへの関心が高まる現代においては、むしろ江戸の人々の考え方が先進的だったと言えるのではないでしょうか
礼儀やおもてなしを始め、日本の古き良き文化はたくさん残っています
私はそんな日本が好きですし、誇らしく思います
#べらぼう
#大河ドラマ


サンダー
江戸幕府の老中・松平定信は「人は遊ぶ場所があるから遊んでしまう」と考え、江戸の歓楽街・中洲の取り壊しを命じ、倹約政策を徹底する
その余波で吉原は客足を失い、女郎は安く買い叩かれ、「夢を売る場所」が「地獄」とまで嘆かれる事態になる
重三郎は吉原を救うため、政演・歌麿に「華麗な女郎を華麗に描く本」を出そうと提案する
しかし、妻の″てい″は「旦那様の立場の弱い方を救いたい、世をよくしたい、その志はわかりますが、少々己を高く見積もり過ぎではないでしょうか!」と警告し、身の危うさを案じる
葛藤の末、政演が「女郎のありのままを描く」ことを提案し、読んだ者に「彼女たちを幸せにしてやりたい」と思わせる作品を描く
それを読んだ重三郎は政演の才能に感嘆し、出版を決意する
おていさんは実在の人物ではなく創作のようです
重三郎は別のシーンで「遊ぶは生きる楽しみ」と言っており、そんな道理ある言葉と、おていさんの冷静な警告は、どちらも正しく聞こえます
私は、おていさんは重三郎の心の葛藤を代弁する存在として描かれているのではと感じました
互いを思いやりつつ意見をぶつけ合える二人の姿は、人生を共に歩む上での大きな支えになるのだと思います
#べらぼう
#大河ドラマ


サンダー
老中・松平定信による「寛政の改革」の影響で、かつて華やかだった吉原は活気を失い、女郎たちが暇を持て余すほどになっていた
その頃、幕府では将軍・徳川家斉が定信に「将軍補佐を外れても祭り事を取り仕切るようにできないか」と問いかけ、定信は“より上”の地位を目指し始めるが、一橋治済の策略により、老中を解任され、胸に抱いていた“大老”への野望は崩れ去る
一方、重三郎に女郎絵50枚の制作を依頼された歌麿は、次第に重三郎から軽んじられていると感じ始め、西村屋から面白い提案を受け、重三郎に「これを最後の仕事にする」と告げる
その後、重三郎の妻・ていが早産し、重三郎は妻と子の無事をただ祈るしかなかった
質素倹約を貫いた寛政の改革は、以前は教科書でも三大改革として語られるほど有名であり、このドラマでも重三郎の商いを揺さぶる存在として大きな役割を果たしています
寛政の改革は、庶民の娯楽を奪うように見える一方で、定信は大飢饉から民を救い、農村の困窮者や浪人、貧民への救済にも力を注ぎました
その姿は単なる倹約家ではなく、弱者に寄り添う理想家としても映ります
もう少し柔軟な改革であれば民や側近から受け入れられたかもしれませんが、万人に受け入れられる政治は難しいでしょう
中途半端な妥協を避け、信念を貫いた定信の姿に、政治の厳しさと覚悟を感じました
賛否両論ある寛政の改革ですが、一万円札の肖像となった渋沢栄一も定信を称賛していたようです
その質素倹約の精神は、形を変えて現代の日本社会にも息づいていると感じています
#べらぼう
#大河ドラマ


しらき
#べらぼう
#大河ドラマ

サンダー
重三郎の尾張へ出張中に母・つよが亡くなる
葬儀には、髪結の腕の良さと人懐こさを偲び、多くの参列があった
耕書堂は身上半減を乗り越え、「書物問屋」を始める再出発を切る
黄表紙や狂歌集を初め、歌麿が描いた町の看板娘3人、水茶屋の「おきた」、煎餅屋の「おひさ」、吉原の芸者「豊ひな」、が評判を呼び、各店に行列を作るなど江戸の町の活気をもたらした
しかし、高額な茶や煎餅が飛ぶように売れるに伴い、市中の物価が上昇し、老中・松平定信はこれを田沼病の再来と捉え、看板娘の絵に女の名を書き入れることを禁じた
そんな中、重三郎とていの間に子が授かり、
ていは喜びをにじませながら、「この子は母上様(つよ)の生まれ変わりだと信じております」と口にする
重三郎は母の死後、文化人・大田南畝に碑文を依頼したといいます
そこには「母と7歳で別れたが、再会して今の自分がある、これまでの母の苦労に報いたい」という蔦重の感謝の思いが刻まれており、南畝は「寛政の改革の弾圧の中、逆境を乗り越え起業を成した、それは母の教えを大切にして努力した結果であり、既に報いているのではないか」だと述べたようです
この碑文は東京都台東区東浅草の誠向山・正法寺の碑に刻まれているようです
人への心からの感謝を自然に抱ける重三郎だったからこそ、人に認められ、人が集まり、自身と関わる人たちを豊かにできたのだろうと思います
#べらぼう
#大河ドラマ


サンダー
それは新しい書物の出版を規制する法令である
これに対抗するため、重三郎は地本問屋を集め、お触れに書かれている「どうしても新規出版したい場合は奉行所の指図を受けること」という部分を逆手に取り、皆で多くの指図を受けることを画策する
一方、倹約政策の影響で江戸市中では無宿人や不良者が増え、治安悪化が懸念され、定信は長谷川平蔵に人足寄場の設立を命じる
重三郎はその平蔵を吉原でもてなし、定信を煽ることである言葉を引き出すよう仕向ける
平蔵はあえて定信のプライドを刺激するように言う
「江戸の本や錦絵は町人の意地の張り合いですよ、上方(大阪や京都)に任せればいいのに」
定信は怒り気味に答える
「江戸が上方に負けるなんて、将軍の威信に関わる!」
このやり取りによって、重三郎は定信から「お触れに差し障りのない本なら出版できる」という言葉を引き出すことに成功する
番組最後の紀行ではこのような解説がありました
人足寄場とは、犯罪を犯した人を収容し労働を通じて更生させる構想であり、現代の刑務所の先駆けとのこと
平蔵の信念は、″慈悲を持って後押しすれば、悪党どもも改心し、生活できるようになるだろう″というものだったようです
現代においては、刑務所があっても社会構造や個人の問題が解決されなければ、根本的な解決にならないと賛否両論が残っています
しかし、人足寄場ができてから250年弱、同じ制度が残っていることから、これが最善な制度なのかもしれないと改めて感じました
#べらぼう
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2025/05/08 21:37
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