

・自分の考えをアウトプットしてみたい!
・色んな人の書く文章を読んでみたい!
・何か創作してみたい!
好奇心から惑星を作ってみました。
きっかけは何か創作をしてみたい、挑戦してみたいかも!と思い立ちグラ友さんたちとお題を決めて400字作文を書く遊びを始めたことです
いざ文章におこしてみると自分の考えを整理するのによく、他の人の作品を読めば違う着眼点、発想も得られてとてもお得です。
学校の作文や論文とは違いルールやいい子ちゃんで書く必要のない自由な文章書いてみませんか?
私自身小説や文法,上手に書く方法なんて微塵も心得てはいないので、少しでもやってみたいと興味を持ってくれた人はぜひ参加してみてください。
多くの人の交流の場になれば嬉しいです!
ちなみに400字ってこれくらいの文章量です、どうでしょう思ったより文字少なくて案外書けそうな気がしてきませんか?
なんか書けそうかもと思った人はぜひ筆を取ってみてくださいね🖌️

D坂
ディズニーやUSJなど、陽キャ御用達のハロウィンイベントに馴染みがあろうはずもなく、その他ハロウィンに因んだ記憶を辿ってみたが、マジで1つもない。
このままでは何も書けないと思い、とりあえず映画「ハロウィン(2018)」を観た。本当は1978年版を探したが、アマプラには無かったため断念。
所謂スラッシャー系のホラーであり、殺人鬼「ブギーマン」がとにかく市民をぶっ殺していく、痛快な映画である。
オープニングの、徐々に形を取り戻すジャック・オー・ランタンの画で既に引き込まれる。
ストーリーは長くなるので割愛するが、意外にも直接的な残酷表現はさほど多くはない。ブギーマンが淡々と獲物を仕留めていくだけである。そして、ブギーマンと相対するローリー・ストロードの魅力。やはりババァがカッコイイ映画は良い。
というわけで、仮装は「ブギーマン」。
マスク被るだけで楽そうだし。
10月の400字作文!
参加

D坂
9.獲得による政治的共同体から見る、支配権の在り方
「3.政治的共同体(リヴァイアサン)の成立」でも述べたように、獲得による政治的共同体とは、戦争状態においてある人または合議体が他者の生命・自由を実力で握り、その者たちが死や監禁の恐怖から、個別に、あるいは多数決によって、その支配者の行為を授権し服従すること、即ち26章での記載に則ると「各人が1人ずつ主権者と信約を結ぶ」ことによって成立する政治的共同体のことである。
その上でホッブズは、設立による政治的共同体との違いを「設立の場合は相互への恐怖」「獲得の場合は主権者への恐怖」という、恐怖の対象の違い一点のみであると主張し、、政治的共同体が共通の恐怖により信約を有効とさせるものである以上、死や暴力への恐怖からの信約は無効にならない、とする。
ただし政治的共同体の成立後、恐怖によってなされた約束が無効になる場合があるが、それは恐怖によるからではなく、その約束内容が法に反し、約束者がそれを実行する権利を持たないからである。合法的に履行できる約束を破った者が免責される場合には、それは信約の無効によるのではなく、主権者の裁決によるのだ、と結論付ける。
その上で、ホッブズは父権的支配権、及び専制的支配権の成立、及び能力を下記のように位置づける。
<父権的支配権>
父権的支配権は、親が子を設けたことで自動的に発生するものではなく、明示的な、あるいは他の十分な証拠に基づいて宣言された、子供の同意によって成立する。
何故なら、子供を産むには男女両方が必要、即ち親が2人いることになり、従って子供は両者に等しく服従する必要があるが、何者も2人の主人に服従することは出来な為、父母間での契約によって、どちらが支配権を持つかの処理をするか、或いは全く処理しないかのいずれかになるからである。
契約で処理した場合は、契約内容に則って、支配の権利は契約によって父母間を転移する。歴史的な事例で言えば、アマゾンの女性が近隣諸国の男性たちと子をもうけた場合、男の子は近隣諸国に送り返し、女の子はアマゾンで育てる、というものがある。
契約で処理をしないことを選んだ場合、支配権は母親の手にある。何故なら婚姻に於ける法が存在しない場合、母親によって宣告されない限り、誰が父親かは分からないが、母親が誰かは明確だからである。そのため、子供に対する支配権は母親の意思に基づく。
加えて未成年者の場合、母親が養育することも、遺棄する事もできるので、子供は生命維持を母親に任せることになり、そのために他の誰よりも母親に服従することを義務付けられる為、支配権は母親のものとなる。
ただし、母親が子供を遺棄し、それを誰かが拾って養育した場合は、その支配権は養育した者に移る。何故なら、他者に服従する目的は生命の保全であるから、各人は自分を救う事も滅ぼす事も出来る人に服従することを約束されるものと想定される為、子供は自らを保全してくれた者に従うべきである。
また、母親が父親の臣民であれば、子供は父親の権力の下にあり、父母の立場か逆の場合は、同様に子供は母親の権力の下にある。加えて、子供に対して支配権を持つ場合は、その子供の子や孫にまで支配権を持つ。何故なら、人間に対して支配権を持つことは、被支配者である人間の持ち物全てに支配権を持つことになるからであり、そうでなければ支配権は効力を欠く単なる称号になってしまうからである。
尚、それぞれが異なる国の君主だった場合は、父母間の契約に従うか、契約が無い場合については、子が住んでいる国側の親が支配権を持つことになる。何故なら君主は、子を含めた臣民全てに対して、支配権を持つからである。
親子・家族内の支配権や権限の継承は、前述した君主制における継承と同じく、占有・相続・承継に関する規則に従うことになる。
<専制的支配権>
専制的支配権は、征服や戦争の勝利によって獲得されるものであり、下僕に対して主人が持つ支配権である。
この支配権は、敗北者がトドメを避ける為、明示的な言葉か、それ以外の十分な意思を示す印かによって、「敗北者の生命と身体の自由が許される限り、勝利者は敗北者を好きに使って構わない」という信約が結ばれることで獲得され、信約成立後に敗北者は「下僕」となる。
「下僕」は「捕虜(あるいは奴隷)」とは全く異なるものである。
捕虜とは、自身を捕らえたもの、或いは買ったものが、捕虜或いは奴隷をどう扱うか考えている間、牢獄に入れられたり枷を嵌められたりするものであり、信約が成立していない為、自身を捕えている人間に対して義務を負わず、牢を破って主人を殺したり連れ去ったりしても正当である。
下僕とは、捕らえられてはいるが、体の自由は許されており、これは「逃亡もせず、主人に暴力を働かない」という信約によって、主人に信頼されたものを指す為、その信約を破る行いをすれば不正義となる。
即ち、敗北者を支配する権利とは、勝利そのものではなく敗北者による信約によって得られるものである。
勝利者側は、生命を助けるという信約は発生していない段階で降伏してきた相手に対して、その相手を助けるように義務付けられることはなく、また勝利者が自身が適当であると考えるよりも長く助命義務を負うことはない。一方、敗北者側は助命を求める場合、勝利者の現在の怒りを服従によって回避し、身代金や奉仕によって宥恕してもらうことであり、助命を受けたものは生命を許されたのではなく、さらなる熟慮がなされるまで延命したに過ぎない。その後、勝利者が敗北者を信頼し、敗北者に身体の自由を与えた時に、ようやく敗北者の生命は安全となり、奉仕を義務付けられる。
尚、足枷をつけられたまま苦役させられる奴隷は、義務からでなく、仕事監督の残忍さを避ける為、奉仕するのみの存在である。
下僕の主人は下僕に対して、財貨や労働力、下僕が持つ下僕たち、子供たちの主人でもあり、それらを使用することを適当と考えるだけ何度でも強要できる。そして下僕は主人が行ったことを自分のものとして権威付けるという服従の信約を結んでいるのだから、主人に逆らった下僕を殺したり枷に嵌めても、それは下僕本人の行為となる為、権利侵害とは言えない。
上記のことから、父権的統治権と専制的統治権との諸権利は、設立によるものと全く同じであり、その理由はこれまでに記した理由と全く変わらないこととなる。
それゆえ、例えば一方は設立による政治的共同体の君主でありつつ、征服によって死や枷を免れるために各人が服従することによる主権を持つに至った人、すなわち獲得による政治的共同体の君主にもなった、2つの政治的共同体の君主が、獲得による政治的共同体の国民に対してのみ、他方の国民よりも多くを要求するということは、主権の諸権利に対する無知からくる行為である。何故なら、主権者は両方の国民に対して等しく絶対的であって、そうでなければ主権が存在しないことになる為、そのまま戦争状態へと回帰するからである。
そして、ここまでに述べたことから、大きな家族は、何らかの政治的共同体の一員ではない限り、それ自体が一国の小君主国である、と言える。そして父親あるいは主人が主権者なのである。ただし、家族は、家族自体が結合して外敵からの脅威に耐えられない場合、襲撃の際には、まるで小規模な兵士集団が助命を懇願したり逃げたりするように、各々が最善と思う道を選ぶなど、政治的共同体として弱すぎるものである。

D坂
8.リヴァイアサンの永続性
君主制であれ合議体制であれ、君主あるいは主権を担う合議体の構成員も死ぬのだから、政治的共同体を作るために「人工的人間」を作ったのと同じように、平和を保存するためには「生命の人工的な永遠性」も用意しなければならない。これは人々が「継承の権利」と呼ぶものであり、それが無ければ、君主が死ぬたび、或いは合議体の構成員の任期が終わるたびに戦争状態に戻ってしまう。とホッブズは述べる。
継承の権利が現在の主権者にない場合には、それは完全な統治形態ではない。仮に他の特定の人間が継承の権利を持っているのなら、それは主権者に従う人間の中にあることになり、主権者が取り上げることが出来る為、主権者が継承の権利を持つということになる。
もし、継承の権利が誰の手にもなく、新しい専任に委ねられてるなら、政治的共同体は解体することになり、永続的な平和を求め政治的共同体を設立した意図に反し、主権者権力はそれを獲得しうる者の手に帰すことになってしまう、とする。
そして、各政体に置ける継承のあり方については、下記の通りであるとホッブズは整理している。
<民主制の場合>
民主制においては、統治されるべき多数者が消滅しない限り合議体が存在しなくなることもない為、この問題は発生しない。
<貴族性の場合>
貴族制においては、合議体の誰かが死んだ時には、空席を埋める人の選出は主権を持つ合議体に帰属する。また、仮に主権を持つ合議体が、後任を選任する権力を誰かに与えることは可能でも、仮に選挙等で後任者を決めたとしても、その選挙は主権者の権威によって行われるものである以上、主権者が取り消すことが出来る。
<君主制の場合>
継承の権利を巡る最大の問題は、君主制において、君主が死んだ後に誰が君主を決めるかが定かでない、あるいは、君主が誰を指名したか定かでない場合に生じる。何故なら、この場合においては通常用いるよりもより精密な推理が必要とされるからである。
この時に考えなければならないのは、継承の権利を主権者権力を持つものが有しているのか、あるいはその権利は解体した臣民の手に戻るのか、の2択になる、ということである。
そして、先に述べた通り、2択のうちの後者だったとすれば、それは主権者がいないままに群衆を放置することであり、すると各々が自身の都合の良い者にバラバラに服従する権利も、あるいは自身の身を守るために剣を手に取る権利も持つことになり、自然状態に回帰してしまう。このことから、君主制が設立された場合は、「継承の権利」は常に現在の主権者に委ねられている、ということになる。
その上でホッブズは、主権者権力の継承において必要な条件を、下記の通りに定める。
①継承は明白な言葉によって承認される
明白な言葉あるいは遺言書によってというのは、主権を持つ君主が存命中に、言葉や書面によって宣言することである。
何故なら継承者という言葉は、それそのものは最も近い親族等ではなく、君主が何らかの方法で「この人物に引き継ぐべきである」と宣言した人物を指すからである。したがって、君主がある人物を後継者として言葉や書面で宣言した際は、君主の死の直後から、指定された人物が主権者となる。
②慣習を制限しないことによって
遺言書も明白な言葉もなかった場合は、生前の君主の意思を示す自然の印に従うべきであり、慣習はそういったものの一つである。それ故、例えば最も近い親族が継承するという慣習があるなら、もっとも近い親族が継承権を持つし、そこに男女でも指定があるような慣習であれば、それに従う。何故なら、主権者の意思がそれに反していたなら、その旨を主権者は存命中に容易に宣言できたからである。何故なら、人が言葉によって制約をできるのに、それをしないということは、それで良い、と認識していたことを示す自然の印だからである。
③自然の情愛を推定することによって、について
宣言も習慣も存在しない場合には、まず「君主は生前、君主制の維持を望んでいた」ということである。何故なら、彼はその統治を自ら認めていたからである。
次に、男女どちらであれ、君主自身の子供が優先される、ということである。何故なら人間には、他人の子供より自分の子供を優先させる傾向にあるからである。そして君主自身の子供であれば、女性より男性を優先させるべきである。これは、君主の仕事に付随する危険や労苦を負うのが、男性の方が向いているからである。
さらに、君主自身の血統が途絶えているのなら、当然遠い親戚より近い親戚の方が情が深くなるものかつ、人は最も近い血族が偉大になることによって、自分にも名誉が反射的に及ぶものなので、全くの他人ではなく、一番近い血族のものが主権を継ぐ。
<継承の処理を他国民の君主に対して施したとしても不法ではない>
君主が継承の権利を持つのであれば、それを他国の君主に施すことは不法ではない。とはいえ、そうなってしまうと、「君主が外国人に対して統治の権利を売却する」とか、与えたりする可能性もあり、異なる国の国民同士は互いを低く見積もるのが常であるから、新しい君主の統治は、前の君主の下にいた臣民たちにとって抑圧になりかねず、不都合なことになるからである。
しかし、これは外国人の統治による不都合ではなく、統治のあり方を知らない新しい君主の不手際による不都合である。何故なら、かつてローマは征服した国に対して、重要なポストを用意したり、ローマ市民としての名称を与えたりして、きちんと対等な臣民として統治していたからである。
これは賢明なるジェイムズ王がイングランドとスコットランドを合同にして統治しようと目指したのと同一のことであり、仮にそれが達成できていたなら、イングランド内戦はなかっただろう。
したがって、君主自らの意思で他国の王に主権を与えることは、多くの王侯たちに過ちが見られ、その結果不都合が起こっていたとしても、それは他国に主権を与えたことそのものによる害ではない。
このことの合法性については、例えば王が外国人と結婚した際でも、外国人に王国を与えてしまうと言う不都合が発生することになるのに、それが合法であると皆が認めていることからもわかる。

でかでかすずめ
これは確か、私が幼稚園のときに体験した話です。特別怖いわけではないんですけど、今でも記憶にはっきりと残るほどにはぞっとしたものなのでお話しします。
とある夏のゆうべ、私は母と姉の三人で買い物から帰るところでした。
まもなく家の玄関だというところで幼い私と姉は玄関のドアに駆け寄りました。対して重い荷物をさげた母はゆっくリと歩き、私たちは母が玄関を開けてくれるのを待っていました。
すると、私たち二人の間を何かがしゅっと通ったかと思えば、その黒い影のような何かが一瞬ドアを開け、家の中に入っていくのが見えました。
私たち姉弟は母が先に家に入ったものだと思い、「開けて-」とドアを叩きました。すると後ろから「どうしたん?」と不思議そうな母の声。振り返ると母は後ろにおり、先に入ったのは母では無いことに気づきました。
このことを母に話すと、子供を玄関の外に置いて、母は包丁を持って家の中を見回りしました。確かに玄関の鍵は開いており家に入ることは可能だったようでした。しかし母が中を見回っても何も見つからず、その後何かが出るようなこともありませんでした。
今もなお家に入った影の正体はわかりません。

D坂
7.混合しているように見える政体における主権の所在
ホッブズは過去の事例では、上記の三政体を混合したように見えるものもあり得るが、それらもまた、三政体の中にカテゴライズできる、として、個別の事例の説明を行う。
<選挙された王について>
王が一定期間のみ主権者権力を与えられる選挙王国は、君主制と呼ばれることになるが、これは、選挙された王が、次の王を決める権限を持っているか否かによって変わる。
選挙された王はキリスト教世界の多くの場所がそうであるように、王が、主権者権力を持つのはその一生に限られるか、あるいはローマ人の執政官のように一定期間に限られるかする。
①この際、次の王を選ぶ権利を持っているのであれば、これはもはや選挙された王ではなく、世襲制の王である。
②選挙された王が次の王を選べない場合、次の王を決めることができる公知の他者あるいは合議体が存在する。でなければ、次の主権者が存在せず、政治的共同体が死滅し、人々は戦争状態へと戻ってしまうことになるからである。そして、主権を与える存在が公知であるなら、それは選挙で王が選出される以前には、そういった他者あるいは合議体に主権があったことも公知だということである。何故なら、誰も持っていないものを与えることはできないからである。
③王が選挙された時点で主権を与えられるものがいなかった場合は、臣民が先勝状態に戻る事がないよう、その選挙された王が後継者を樹立するよう配慮する権利を持つ、もっと言うならば、樹立する義務を自然法によって負う。故に、選挙された王はこの時点で絶対的な主権者となる。
上記のことから、ホッブズ自身は明記はしていないものの、①と③は君主制、②については、主権を与える者が1人であれば君主制、合議体であれば合議体制、となる。
<制限された権力を持つ王について>
制限された権力を持つ王は、その制限を行う人あるいは人々に優越せず、優越しないものは至高ではないから、その王は主権者ではない、ということになる。よってこの場合、主権は常に制限する権利を持っていた合議体にあり、その結果、その統治は君主制ではなく民主制か貴族制であった、と延べ、かつてスパルタで、王達が軍隊を率いる権利を持っていたが、主権は5人の監督団にあったようなものである、としている。
尚、ホッブズは歴史的な事例から、王権を与えるものを合議体としている為、合議体制であったとしているが、仮にこれが1人の人間であったとすれば、これは君主制であった、ということになると思われる。
<被支配地の政体について>
かつて、民主制国家であったローマはユダヤを支配したが、だからと言ってユダヤが民主制だったわけではない。何故なら、誰でも加わることのできる合議体に支配されたわけではなかったからである。
一方で、選挙で選ばれた人間なら誰でも参加できる合議体に支配されたわけでもないなかった為、貴族制によって支配されたわけでもなかった。
ユダヤは、民主制の国であるローマ、という一つの人格に支配されたのだから、これは君主制である。人々が自分たちで選んだ合議体に支配されるならそれは民主制あるいは貴族制だが、自分たちで選んだのではない合議体に支配されるのは君主制と呼ばれるからである。1人の人間による他の人々への君主制ではなく、ある人々による他の人々への君主制である、としている。
尚、ホッブズは君主制と合議体制において、前節で述べたような違いがあれど、主権者権力そのものに差異はないとする。
自然状態にある人々は合議体に対しても一人の人間に対しても、完全な代表権を与えられる為、仮に既に主権者がいる状況で、別の誰かに権威を与えて代表とさせるのであれば、後の代表者の持つ権力は、あくまで主権者に制限された範囲のものでなければならない、とホッブズは主張しており、その根拠を、そうでなくては主権者が2人いることになり、分割できない権力が分割され、戦争状態になるからである、と述べる。
そのことから、主権者権力を持つ君主や合議体が、各地の臣民の要望を纏めて吸い上げるような人間を派遣しろと要請した際に、その派遣された人間こそが代表者であるかのように、その代理人を臣民の絶対的な代表とみなすのは、馬鹿げたことである、とも主張する。
さらに、この真理が認められず、君主制が続いていたとある国の王が、自分こそが臣民の代表者だ、と考えられなかったのは訳がわからない、と述べおり、王が許す場合には、王に助言を与えるためにやってきた人に対して、「代表」という呼ばれ方が通用してしまった事例を挙げて、人々を真に、そして絶対的に代表するもの、即ち主権者たちが、その代表という性質を臣民にきちんと教えるべきであり、そして主権者としての信任を果たすのなら、一般的な代表、というものにどこまで注意を払うべきかの警告になるものとして、役に立つ事例だとしている。

D坂
5.主権者権力の持つ性質
ホッブズに寄れば、前節で述べた十二の主権者権力は、以下の様な性質を持つとされる。
<不可分性>
ホッブズはまず、主権者が持つ諸権力の相互依存性から、十二の権力は全て不可分のものであるとする。
例えば
・裁判権があっても、軍事力、強制力がなければ判決を執行できなくなる
・軍事権があっても、徴税権がなければ軍を維持できなくなる
・軍と財政があっても、学説の統制を失えば宗教的恐怖や教義によって反乱を誘発される
といった具合に、相互に依存関係にある諸権力を、一つでも独立した別主体に帰属させる場合、残りの権利も平和維持のために十分機能しなくなる、とホッブスは論じる。
またホッブズは、主権者権力が分割可能である、という意見が受け入れられた実例が、イングランド内戦であるとする。
国王・貴族院・庶民院の間で主権的権力が分割されている、という意見がイングランドの大部分に受け入れられた結果、人々が対立陣営に分かれ、まず政治的対立、続いて宗教的自由をめぐる対立から内戦に入ったと考えており、そのことから主権者権力が不可分であることは、内戦の恐怖が残っているうちは人々に受け入れられるだろう、とする。
<主権から分離した移譲の不能性>
ホッブズは、全ての権利が移譲不可能とは述べておらず、貨幣鋳造や未成年相続者の資産・身体の管理、あるいは市場での先買いなどは、主権の本質を構成しないため、権利自体を他者へ移譲しうる、とする。
しかし、十二の主権者権力は主権の本質を構成する分離不能な権利である。そのため、それらのうちいずれかを主権から切り離して移譲したように見える文言があっても、主権そのものを明示的に放棄せず、譲受人たちもなお譲渡者を主権者として承認しているなら、その人には本質的諸権力が属しているといことになり、したがって、それらを移譲したとする文言は無効となる。
また、後の章では権力の実行を他者に委任することもあるとして、軍事における将軍、裁判における裁判官などが挙げられる(これは後の章にて「公的な代行者」として例示される)。ただしこれは、主権者権力が分割又は移譲されたことを意味しない。公的代行者は、主権者から与えられた権威に基づき、その担当業務において政治的共同体を代表して権力を行使する者であり、その権限の最終的な根拠は主権者に属するからである。
<臣民の権力及び名誉に対する優越性>
ホッブズは、「主権者は臣民たち個々人よりも大きな権力を持つ一者であるが、臣民全体を一緒にした権力よりは少ない権力を持つ普遍者である」という言説を誤りと断じ、以下の理由から主権者の持つ権力は臣民の権力に対して優越性を持つとする。
・権力構造上の優越性
「臣民全体」が一人格として統一されているなら、その人格を担っているのが主権者であり、主権者と主権者自身との比較になる為、成立しない。
一方、臣民全体を一つの人格として捉えない場合、そこには主権者と比較しうる一つの統一された権力は存在せず、存在するのは臣民各人の個別の権力だけである。そして、主権者が各臣民より大きな権力を持つことは、当該の言説自身が認めている。したがって、人格として統一されていない「臣民全体」の権力が主権者より大きいとする比較は、そもそも一方が「臣民全体」という形を成していない為、成立しない。
人民の合議体が主権者である場合には、「人民全体は主権者より強い」という言説の矛盾を理解できるのに、主権者が一人の君主になると、人民全体を君主とは別の一つの主体として想定し、君主より強いと考えてしまう。
・名誉を与える者としての優越性
主権者が名誉の階位を決める「名誉の源泉」である以上、主権者の名誉は誰よりも大きいものでなければならず、そして主権者の前では、あらゆる臣民は平等になんの名誉も持たない。
主権者との比較を除けば、臣民の間には名誉の大小が存在する。しかし主権者との比較においては、その名誉は、太陽の前の星々のように等しく見えなくなる。
そしてホッブズは、主権者権力の効用と性質から、「いかなる政治的共同体において最もも主権者権力は絶対的でなければならない」と結論づける。
絶対権力には不都合があることはホッブズ自身も認めるが、それでもなお、絶対的な主権者権力が欠如することで生じる、内戦や共通権力を欠いた状態の悲惨さの方が大きいとする。また、主権者権力を制限しようとする者は、結局それを制限するさらに大きな権力を必要とするが故、結局は巨大な権力が必要になるのだと論ずる。
またホッブズは、最大の反対論として、「そのような絶対的な主権者権力が、実際にいつ、どこで臣民によって承認されたことがあるのか」という、実際の政治経験に基づく疑問を挙げる。それに対しては、長く存続し、外国との戦争以外では滅びなかった政治的共同体では、臣民は主権者権力について争っていなかった、と反論する。
さらにホッブズは、政治的共同体の原因と本性を十分に検討していない人々の実際の慣行を、主権者権力への反論として用いること自体が妥当ではないとする。たとえ世界中の人間が誤った方法で政治的共同体を構成していたとしても、その実例から、その方法が正しいとは導けないからである。
政治的共同体を作り、維持する技術には、算術や幾何学と同様に一定の規則があり、単なる実践経験だけから身につくものではない。しかしこれまで、貧しい人はその規則を見出す暇を持たず、暇がある人も、それを見出そうとする好奇心や方法を持たなかったのだ、と結論付けている。

D坂
出会ったものと言えば、「露出狂の集団(男女複数名)」「僕を見ながら自分で致し続ける兄ちゃん」「女装したおじさまの集団」程度であり、前の2つは身の危険を感じて逃げた。因みに女装の方々は、意外と話し易かった。
ではここ数年での一番の恐怖はと言うと、歯医者が「多分…行ける…?」と言いながら治療を始めたことである。
結果としては行けなかった。神経むき出しのまま、被せものもせずに麻酔切れとなり、固形物を食べられない1週間を過ごす羽目になった。
そもそも、「歯医者を怖いと思いますか?」というアンケートに、10段階評価の内、9を付けたのだから、もっと配慮してくれてもバチは当たるまい(10にしなかったのはなけなしのプライドである)。
いずれにせよ、歯は大事にしようと固く決意した。
8月の400字作文!
参加

D坂
4.リヴァイアサンが持つ力
前節で述べたように、政治的共同体の成立原因が設立と獲得のいずれであっても、主権者が持つ権力に違いはない。ホッブズは、その主権者権力として、以下の十二項目を挙げている。
①臣民たちは統治の形態を変更することはできない
②主権者権力は剥奪されえない
③誰であっても、多数派によって宣言された主権者の設立に対して不正義なしには抗議することができない
④主権者の諸行為は臣民によって不正義なしには非難されえない
⑤臣民は主権者が行ういかなることをも処罰することができない
⑥主権者は臣民たちの平和と防衛とに何が必要かの判定者である
⑦各臣民が、それによって、他の臣民が不正義なしに彼から取ら去りえないような、そうした彼自身のものとは何かを知りうるための諸規則を定める権利
⑧彼には争訟に関する裁判と裁決の権利が属する
⑨そして、彼が最善と考えるところに従って戦争を起こし、和平を結ぶ権利
⑩和平と戦争とに関する助言者や代行者を選ぶ権利
⑪報酬を与え、処罰を加える権利、および(その基準を定めた以前の法が存在しない場合には)それらを恣意的に行う権利
⑫名誉と序列についての権利
ホッブズ自身はこれらの主権者権力を分類していないが、その導出根拠に着目すれば、大きく二つに分けることができる。すなわち、
・政治的共同体の成立構造から帰結する主権者権力
・政治的共同体の目的達成に必要とされる主権者権力
である。
<政治的共同体の成立構造から帰結する主権者権力>
まず①から⑤までは、政治的共同体がいかなる構造によって成立するかという点から、主権者と臣民との間に必然的に生じる地位に関するものである。
政治的共同体においては、各人が一人の人間または一つの合議体を自らの代表者として承認し、その判断と行為を自分自身のものとして引き受ける。この関係が成立する以上、臣民はその後に統治形態を変更したり、別の主権者を立てたり、自然状態へ戻ったりすることはできず、それを行えば他の臣民との間で結ばれた相互信約に違反することになる(①)。
また、多数決によって主権者の設立が決せられる以上、自らが反対票を投じていたとしても、その主権者への服従を拒むことは、自らが参加した政治的共同体の成立条件に反するため、不正義となる(③)。
さらに、主権者は臣民相互の信約の当事者ではないため、自ら信約違反を行ったことを理由として主権を剥奪されることはない(②)。群衆全体と主権者との信約を想定することも、群衆がまだ一つの人格を形成していない以上、不可能である。加えて、臣民各人が主権者と個別に条件付き信約を結んだと仮定しても、その違反を裁き、履行を強制する上位の権力が存在しない。もしそのような権力が存在するならば、その者こそが真の主権者となる。したがってホッブズは、主権者権力を条件付き信約によって制限したり、信約違反を理由に剥奪したりすることはできないとする。
加えて、主権者の行為は、あらかじめ臣民自身の行為として権威づけられたものである。ゆえに臣民が主権者の行為を不正義として非難することは、自分の行為を自分で非難するようなものであり(④)、またその行為を理由に主権者を処罰することは、自身の行為を根拠に他者を処罰する行為であるため(⑤)、不正義となる。
<政治的共同体の目的達成に必要とされる主権者権力>
⑥から⑫までは、臣民の平和と安全を確保するという政治的共同体の目的から、主権者が持つ必要がある権力である。ホッブズは、どのような権力が、なぜ必要であるのかを個別に説明している。
⑥主権者は臣民たちの平和と防衛とに何が必要かの判定者である、について
政治的共同体の目的が臣民の平和と防衛にあり、その目的を担う者には、その達成に必要な手段を用いる権利も認められなければならない。その為、何が平和を助け、何が平和を害するかを判定する権利も主権者に属する。
したがって、どの学説を教え、どの学説を禁じるかを判断する権利も、主権者に属する。なぜなら、人は「何を正しいと思うか」「何を不正義と思うか」「誰に従うべきだと思うか」「どの命令が神に反すると考えるか」などの学説や意見に従って行動するからである。そのため、学説や意見を適切に統治することは、行動を統治することにつながる。すなわち、平和のためには、行動だけでなく、行動を生み出す意見、学説及び教育も、主権者が管理しなければならない。
ホッブズは当然、学説においては真理だけが尊重されるべきである、としている。しかしホッブズによれば、平和に反する学説が真理であることは、平和と協調が自然法に反することと同様にあり得ない。したがって、平和を害する学説を規制することは、真理を抑圧することにはならない。
もっとも、統治者や教師の怠慢又は未熟さによって、誤った学説が長く放置され、人々に広く受け入れられている場合には、それに反する真理が突然提示されることで、争いが表面化することがある。しかしホッブズによれば、その真理が平和を破壊したのではない。そのような社会では、人々が自らの意見を守るために武力を取る用意をしており、それ以前の状態も真の平和ではなく、相互の恐怖によって戦闘が停止していただけだからである。
⑦各臣民が、それによって、他の臣民が不正義なしに彼から取ら去りえないような、そうした彼自身のものとは何かを知りうるための諸規則を定める権利/⑧彼には争訟に関する裁判と裁決の権利が属する、について
⑦は、臣民相互の権利関係を一般的な規則によって定める権力であり、⑧は、その規則を個別の争訟に適用し、最終的に権利関係を確定する権力である。
自然状態では、各人があらゆるものについて権利を主張しうるため、所有権は安定して存在せず、実力による奪い合いが発生する。そのため主権者は、各臣民が何を自己のものとして所有し、また何を行うことができるかを定める公的規則を制定する権利を持つ。所有権をめぐる争いを止めるためには、何が誰のものであるかを定める公的規則が必要であり、その最終的な制定権は主権者に属するからである。これは所有関係だけでなく、各人にどのような行為が許され、また禁じられるかを定める規則にも及ぶ(⑦)。
さらに、上記のように主権者が定めた国法、又は自然法の解釈及び適用をめぐって臣民間に争いが生じた場合には、その争いを裁判し、最終的な裁決を下す権利も主権者に属する。最終的な裁判と裁決を行う権力がなければ、各人は再び自らの力によって権利を守らざるを得ず、自然状態へ戻ることになるからである(⑧)
⑨そして、彼が最善と考えるところに従って戦争を起こし、和平を結ぶ権利/⑩和平と戦争とに関する助言者や代行者を選ぶ権利、について
政治的共同体の外部に対して、戦争をするか、和平を結ぶか、どれだけの軍備を整えるか、どれほどの兵力を用いるか、戦費をどのように調達するかを決める権利は、主権者に属する。なぜなら、政治的共同体の防衛には統一された軍事力が必要であり、その統一された力を用いる権利は主権者に集められているからである。仮に将軍などの軍事的な指導者が存在しても、その者は主権者から権限を与えられた者であり、軍事力に対する最終的な指揮権は主権者に属する(⑨)。
また、主権者は戦争と和平に関して、自身が最善と考える助言者、大臣、代行者及び指揮官を選任する権利を持つ。なぜなら、戦争と和平についての決定権が主権者に属する以上、その判断と遂行に必要となる助言者や代行者の選任権も、主権者に属するからである(⑩)。
⑪報酬を与え、処罰を加える権利、および(その基準を定めた以前の法が存在しない場合には)それらを恣意的に行う権利、について
主権者は臣民に対し、共同体への奉仕を促し、共同体への害を抑止するために、奉仕に対しては財や名誉などの報酬を与え、害に対しては身体的・金銭的・名誉的な処罰を加える権利を持つ。報酬又は処罰の基準を定めた法が既に存在している場合は、その法に従って報酬や処罰を行う。法が定められていない場合には、共同体に最も有益だと主権者が判断するところに従って、報酬や処罰を行う権利も持つ。
⑫名誉と序列についての権利、について
人間は自らを高く評価する一方で、他者の評価を低く見積もる傾向があり、名誉や尊敬をめぐって争うものである。それを避けるには公的な序列・称号・評価基準と、それらを守らせる為の強制力が必要となる。そして、強制力や裁判権は主権者に帰属する以上、名誉・序列・称号・地位・尊敬の作法を定める権力も主権者に帰属することになる。
以上の十二項目は、主権者が個別に保有する相互に独立した権力ではない。ホッブズによれば、これらは政治的共同体の平和と安全を維持するために相互に依存しており、主権者権力を構成する不可分の権力である。

D坂
前節で述べた通り、多数の人間は、一人の代表者、あるいは代表する一つの合議体に授権することで、一つの人工的人格となって行動できる。
そのうえでホッブズは、諸個人の安全を確保するために自然状態を終結させ、共通権力への畏怖を通じて信約の履行を強制し、さらに外敵から人々を防衛する人工的人格を、政治的共同体とした。
政治的共同体には、次の条件を満たすことによって、人々を守るだけの力を持つことが求められる。
・多少の人数差によって容易に覆されないほど、多数の人間が結合していること
・多数の人間が、一つの判断によって導かれていること
・その一つの判断が、継続的に維持されること
政治的共同体が人々の平和と安全を維持し、外敵から人々を防衛するためには、その代表者に十分な権力が与えられなければならない。ホッブズは、この代表者に与えられる諸権利を、主権者権力としている。
この主権者権力を行使し、政治的共同体という人工的人格を担う一人の人間、または一つの合議体を「主権者」と呼ぶ。そして、主権者に授権し、その行為を自らの行為として引き受ける各人を「臣民」と呼ぶ。したがって、主権者が行う政治的共同体の行為については、各臣民がその本人となる。
主権者の形態により、政体は次の三種類に分類される。
・君主制:主権者が、特定の一人である場合
・貴族制:主権者が、特定の資格を持つ者だけが参加できる合議体である場合
・民主制:主権者が、臣民であれば参加できる合議体である場合
またホッブズは、その成立原因によって、政治的共同体を「設立による政治的共同体」と「獲得による政治的共同体」の二種類に区別した。
<設立による政治的共同体>
設立による政治的共同体とは、各人が相互に抱く恐怖から脱し、外敵や他の人々による侵害から自らを守るために、一人または一つの合議体を共通の代表者として定め、その者に服従することを、自発的に合意することによって成立する政治的共同体である。
その成立過程は、次のように整理できる。
1.各人が、共通の代表者を立てることについて、相互に信約を結ぶ。
2.一人の人間、または一つの合議体を、全員の代表者として定める。
3.各人がその代表者に授権し、代表者の行為を自らの行為として引き受け、その行為の本人となる。
ここで重要なのは、この信約が主権者と臣民との間で結ばれるのではないという点である。
各臣民は、特定の一人または合議体に授権し、その行為を自らの行為として認めることを、他の臣民との間で相互に信約する。したがって、主権者自身はこの信約の当事者ではないため、信約によって臣民に対する義務を負うこともない。
一方、臣民は他の臣民との間で結んだ信約に従い、主権者に服従する義務を負う。
<獲得による政治的共同体>
獲得による政治的共同体とは、主権者権力が実力によって獲得されることにより成立する政治的共同体である。
ここで実力によって獲得されるとは、個々人が個別に、または多数者の意思によって、死や拘束への恐怖から、自らの生命と自由を支配しうる一人の人間、または一つの合議体に服従し、その者に授権することをいう。
ホッブズによれば、恐怖によって結ばれた信約であっても、それだけを理由として無効になることはない。
例えば、「服従しなければ殺す」と迫られた場合であっても、死を選ぶことと服従することとの間で後者を選択した以上、その選択によって結ばれた信約は有効であるとされる。
ホッブズが恐怖による信約を有効とするのは、恐怖を理由として信約を無効とすれば、共通権力への畏怖によって人々に信約を履行させるという、政治的共同体そのものの仕組みも成立しなくなるためである。
そのため、獲得による政治的共同体の主権者が持つ権力は、設立による政治的共同体の主権者が持つ権力と同一であるとされる。
設立による政治的共同体と獲得による政治的共同体との違いは、その成立原因となる恐怖の対象にある。
設立による政治的共同体では、人々は互いへの恐怖から共通の代表者を設ける。一方、獲得による政治的共同体では、人々は服従する相手への恐怖から、その者を主権者として受け入れる。
しかしホッブズによれば、この成立原因の違いを除けば、両者の主権者が持つ権力に違いはない。

D坂
やってみたい仕事は大体網羅したし、目標だった大型バイクも今年中には購入できる見込み。
何なら分不相応にも、絶対にありえないと思っていた結婚まで既に出来ている為、正直なところ、大きな目標というものは特になく、寧ろ現状維持で何も問題が無い。
であればいっそのこと、実現可能性が限りなく低いものを願ってみる。
というわけで、これまで適当にやっていた「ご年配ガチャ」の大当たりを目指してみたいと思う。
このガチャは、日常生活の中で困っているご年配の方が、ひょっとしたらものすごい大金持ちで、ビル一棟くらいお礼にくれるかもしれない、という期待を込めて、「大丈夫ですか?」とお声がけするものである。
因みにこれまでの戦果は、最大が龍角散のど飴であり、これは味が苦手なので友人にあげた。
今年はこれで一攫千金を狙う所存。
7月400字作文!
参加
もっとみる 
惑星のイベントをチェックしてみよう!
終了
6月の400字作文!
参加
終了
5月の400字作文!
参加
終了
8月の400字作文!
参加
終了
7月400字作文!
参加
終了
9月の400字作文!
参加
開催中
10月の400字作文!
参加
惑星の質問をチェックしてみよう!
作文のテーマ、お題募集中
1人回答>>
2026/05/10 15:14
関連する惑星をみつける
資産運用の星
4648人が搭乗中
参加
未来を少しだけ豊かにするための、お金と投資のログ。
資産運用のアイデアや収支のつぶやき、大歓迎です。
穏やかなつながりの中で、着実にお金を増やし、心を整える。
そんな、大人のための語り場のような星です。
管理人からのお願い:投資判断は自己責任で。お互いへのリスペクトを忘れずに!治安の良い皆様に感謝です❣️
惑星主→ちみこ。さん
管理人→アイスティーラブ🍹
特撮の星
2963人が搭乗中
参加
登山
12146人が搭乗中
参加
⛰️💕🦌
箱開けの明星
1075人が搭乗中
参加
この星はもう放置らしい
この名 「はこあけ星」チェックみて
箱開けをする人の中でモラル やマナーが
無いor有る 無いのなかでも度が過ぎてない人もいるのは事実です!
そういった人たちを星の投稿にのせて 注意喚起をするために この星を作りました
誰がどういった内容をしたかまであるとでも伝わりが良いと思います
害悪ユーザーをみんなで関わらんようにするためにみんなで 注意喚起をしていきましょう
プログラミングの星
1639人が搭乗中
参加
プログラミング好き集まれ!
プログラミングに関係あるなら何言ってもOK!
IT分野内でもプログラミングに特化した惑星です!
もっとみる 

たかぎ
